さて、ミッションの胆に入ろうか。
いや、まあ、こないだの九州演劇ミーティング@別府で
出して受け手をした鹿児島のきれいどころの仕事がみたいな、
で、帰ってきて開けることのなかった資料袋を開けてみて、
チラシをふと見ると、12月になにかやるとのこと、
日にちをよく見ると12月12日、音二郎の日じゃないか、
開演時間は、11時と14時と19時。
11時のやつを見て、新幹線に乗ればぎりぎりのところで博多座に着く。
5000円の席か3000円の席が当日券であればそのままゴー、
なければそのまま見ずに帰る、という方向性から、いろいろなものがくっついた。
というわけでLed CHAPLINの「檸檬」のことを。
これ、2005年にのこされ劇場≡がhoramiriダンス研究所と組んで
「レモンヱロウ」という形で前衛的になおかつダンサブルに演ったのを見た。
前衛的に「古典作品」を組み立てなおして、という仕事の一番最初で
それから「夕鶴」を再編成した「つる」、田山花袋を再編成した「蒲団」という
三部作につながり、色んなことがあって、北芸での「出稼ぎ兼修行」があって
「さかのぼれども、青」で「それぞれのダイアローグ」を「演劇化」する手法を見つけ、
その手法を練り上げ、成果を地元に還元する場所として「枝光アイアンシアター」を
つくって今に至る、という流れだったのだな、と。
そんな事をつらつらと考えていると、舞台の奥行きを生かした
オープニング、すうっときれいどころが入って、これまた美形の男の子が
スイッチをいれるかのように丁寧に、丁寧に動かして、
「桜の樹の下には死体が」というくだりをロックかつパンクに、
すごくおしゃれなモード系でまとめあげた。
「ことば」から湧き上がるイメージを身体に乗せて動かしている。
「オンナノコ」という「迷宮」と「美しさ」の下には「死」という醜さがあって、
その醜さを「肥料」にして「美しさ」はそこに存在している。
・・・石油だって、琥珀だって、ダイヤモンドやルビーなんかの宝石だって、そうじゃないか。
次は梶井基次郎という人間は頭の中に「オンナノコ」をたくさん飼っていたのだな。
「女神系」とか「モード系」とか「ユニセックス系」とか年齢層も多種多様で。
そのオンナノコたちを自分の想像の中で十分に遊ばせている。
ここに「向精神薬」の危なさや「死と抱き合う感覚」、「死を求めて引き寄せられる感覚」を
前衛的になおかつクラシックに「舞踏」を取り入れたムーブマイムで見せていく。
こういう所を劇団ぎゃ。が演るとかなり油ギトギトの甘さベタベタでやるのかなぁ。
最後は「檸檬」を敏感すぎる「これぞ南国の」色彩で表現することで
「何かに追い立てられている」から「心が重い」、心が疲弊していて
「自分の周りにあるもろもろ」に対する嫌悪感、生活に漂う疲弊感、
という物語の全体を覆う「暗い」色彩が生きている。
で、その暗い色彩をぐっちゃぐっちゃにしたるねん、と
巨大な積み木を組み立てて、その上に実物の檸檬を載せる。
・・・これがいわゆる「こんてんぽらりーあーと」と言うものの始まりだよな。
梶井基次郎に忠実かつ、ガーリーにまとめて、「きれいの中に潜む毒」を
きっちり味わった、そういう見後感。