僕はもう一つ初見に強くなるための能力があるんじゃないかと思う。それは、文字列を立体化する作業への経験・技術だ。実は舞台や映画を観てもその能力は身につかない。現代劇の俳優の多くは、手本となる人の演技を見てそれを真似るわけではない。台本を読んで、それを立体化、つまり身体化するのだ。
安倍政権のゆいいつの功績は、日本人の心の奥に隠れていた自由な魂に火をつけたことかもよ。
自由の火は広がってゆくことはあっても萎むことはない。
自由の火に焼かれて、めらめらと燃え上がりながら崩れ落ちてゆく、日本の、気が遠くなるほど長かった天然全体主義社会が目にみえるようです
他人を「利己的」と批判した本人がこの上なく「利己的」だったんだから、自民党を離党しただけでは済まない。また、国会議員向けの未公開株って、アベノミクスで景気を後退させながら、国会議員は株価つり上げて儲けていたんだろう。自民党が早速トカゲの尻尾切りしたわけも、推して知るべしである。
本日の植草一秀(番外6):
ゆくゆくは、この勢力が一つの勢力にまとまればよいだけだ。
「いまの民主や維新を軸に再編を考える」
という発想そのものに根本的な誤りがあるということを、確実に認識しておかなければならない。
本日の植草一秀(番外5):
①原発再稼働
②集団的自衛権行使容認
③TPP参加
に、はっきりと NO を言い切る政治家だけを選別して、主権者がその候補者を国会に送り込む。
主権者が選び、主権者が国会に送り込む議員を、議会過半数にすれば、主権者が権力を握ることになる。
文字列の身体化とパターンの蓄積、たぶんそれらの掛け算のような形で初見に強いかどうかは決まる。鍛え方もなんとなくわかった気がする。初見に強いことは俳優にとって大切だ。実は、オーディションという場で本当に問われているのは、こういった能力なんじゃないかと思う。なんつって。
蹴球さんは原発関係者と理解できたので申し上げます。被害を訴える側がそれを客観的に証明せよと言うのは、原発事故で放射能をまき散らした立場で許される言葉ではないのでは?
幾ら安倍君がunder controlと宣言しても、それは同じです twitter.com/hishikawachan/…
俳優は、演技する時に戯曲という文字列を読んでそれを三次元化、身体化する。それは、情報量の小さいものから、大きな情報量を引き出す作業だ。だから情報量の大きなものばかりに慣れていてはいけない。たとえば短いエッセイとか、俳句とか、あるいは一枚の絵から、物語・状況を想像する力を鍛えたい。
映画や舞台を鑑賞することも当然演技の役に立つ。が、それは戯曲を読む手助けにはある意味ではならない。パターンは蓄積されるが、文字列を立体化する訓練にはならないからだ。どうすればよいか? 多分、漫画は映画・舞台と戯曲との中間領域にあるからそれもひとつの導入になるだろう。
奨学金も借りていないし、希望する企業に内定が決まって一安心と思ったら、研修先が自衛隊になっていて、すぐに退職できるだろうか。マイナンバー制度で退職の理由も共有されるだろうから、自衛隊での研修をいやがるような若者は、正社員として雇われなくなるか?
日本の政治風土を考えるとき重要と思われるのは、憲法上政治的発言が許されないとされる象徴天皇・皇族のありようが、日本人一般の政治的思考停止という高度に政治的な「美徳」のモデルとなっている点である。
デモには、直接的な政治権力へのアピールと同時に、メディアオリエンテッドな性格もあるのだから、「デモには意味がない」というメディア上の批判自体が、デモが想定している効果の圏域内のリアクション。実際に意味はあり、報道を通じて参加者は増えている。更には支持率、選挙への反映。
10年以上前のことだが、「○○○研究所」「白装束集団」と呼ばれた教団が、テレビで注目された時期があった。その教祖の主張は、私には「典型的な統合失調症の妄想」としか思えないものだったが、多数の信者が教祖の言うことを鵜呑みにしていた。精神科関係者で、信じる人はいないような内容だった。
統合失調症、妄想性障害、認知症などによって妄想を抱える人は珍しい存在ではない。だが、そのことは、あまり知られていない。だから、妄想話を信じてしまう人は、少なくないのだ。
830は戦後政治の転機となるはず。前にもツイートしたが、今まで政治エリートを相手に政治変革を説いてきて、挙句の果てが一強多弱、永田町の混沌。社会が動けば政党がついてくる。市民が主で、政党は従。安倍政治打倒の道筋は見えてきた。
今日のデモには有名人もいらしてました。坂本龍一さんは遠くから微かな声だけだったけど聞こえたし、高畑勲監督と園子温監督は目の前を人垣を掻き分けながら通り過ぎて行きました。声を上げることにリスクがあるなんて思わせる国の方がおかしい。もっと芸能人文化人来てもいいのに! #30日決戦
広島演劇協会月例会から甲子園の野球から今日の高松カブフェス。
腹減りすぎて途中で帰る。
さて、明日は松山経由で福岡に帰る。
「社会全体のレベルを上げる」、この言葉に本末転倒感を覚える。
まずは「変な差別」をやめることやろ。
何で、ハーフやクォーターの生まれが
差別されなきゃいけないんだよ?
彼ら彼女らがもしかしたら「社会全体のレベルを上げる」救世主なのに twitter.com/co_oyaji/statu…
女の人が賢い方が子供が先天的後天的に賢くなるとしても「生き物としての生存競争」では不適応だから女の人は頭より容姿が重視されるんだと思うし、女が賢い方が世の中にメリットがあるというなら、その賢い頭で世の中を背負えばいいじゃないですか。