午前と午後の仕事が今日から入れ替わる。
時間配分に少し気をつけないとな。
とにかく、今の状況を受け止めるのに時間がかかる。
波に乗れそうで波に乗れない嫌な状態、というのはわかってる。
しかし、週に一度、もしくは二度ある試合、というものは
きちんと消化しなければいけない。
・・・問題は「慎重さ」というものをどのタイミングでかなぐり捨てて
細かいチームつくりをJの「修羅場」を十分潜り抜けた
「プロ」の強化担当フロントにどれだけ、何を任せるか?
悠長に地元経済の回復を待つようじゃ前に追いつくどころか
チーム自体がくたばっちまう。
何なら「愛媛FC」が県内最大の「地場企業」になって「サッカー」を
メインとした裾野の広い「エンターテイメント産業」を県の「売り」に
するのが一番早いのですが、これまた時間がかかる。
今度10月に福岡からギンギラが松山に遠征公演するのですが、
(演目は例の「飛行機」のお話です、10月6日@松山コミセンホール)
(少し寂しいんで御花ください)
ギンギラと愛媛FCが手を組んで「松山の隠れた歴史」を見つけて
「演劇」という身体表現で発表する試みをやってくれたらいいと思う。
そういう風にして「接点」を増やしていかないとなぁ。
先週は身柄の移動で休みじゃない休みだった。
そのせいかもしれないけれど、今週はへばり具合に磨きがかかって。
まず朝起きて、ローソンで「漂流画祭」のチケを取りにロッピーを叩く。
・・・すんなり取れたもののポジションに多少の難あり。
ちゃんと楽しめるかどうか、心配になってきた。
あとは挨拶回りとご機嫌伺いに出てまっすぐ家に帰ってゆっくり休む。
・・・よかった。
というものが終わったのかな。
ACLのガンバ敗戦を聞いて思ったこと。
西野さんが「糞チーム」とぼろくそにけなしたところから始まって、
ユースを鍛えて、なんだかんだして、リーグを取り、ヤマナビを取り、
行きがけの駄賃でACLを取り、マンUと殴り、殴られの試合をし、
天皇杯を取って、再びACLいけるか、と思ったが甘かった。
おまけにU-18も来シーズンは関西プリンス2部降格らしい。
・・・高いレベルで「長く」戦う準備をするのには最低でも12年はかかる。
しかし、その12年の「蓄え」を吐き出してしまうのは4年だってよ、
如何に消耗が激しいか、よくわかる。
まあいい、また「挑戦者」に戻るだけだから。
さらに「追うもの」の強さを十二分に見せられる。
とにかく2点取れたことを由としなければ。
後はいいように持っていくのも、悪いようにもって行くのも、
これからの「姿勢」しだい、ということで。
・・・福岡蜂にニンスタで勝った次の日にU-18の小僧たちが
全クラ進出をかけた試合があって、壮絶な殴り合いの末、
危惧していたことが的中してしまった。
正直、徳島に先を行かれるのは悔しくて、悔しくて、さらに悔しくて
またさらに悔しくて、とても、とても堪らない。
徳島が先に行けば行くほど「自分たちが求めていて、進もうとしている方向」と
いうものが間違いだったのかな、ということがあたまをぐるぐる、
さらにたたかってもたたかっても及ばない、という現実まで見て
辛くなってしまう。
そういった思いを少しでも「消して」行くために毎日叫び続けるのですが。
・・・心の中で。
あと、愛媛FC、というものを根本から変えていくための苦しみなのかもしれない。
徳島や草津に先を越される、という苦しみは。
ぼちぼちと変わっては来ている。
金曜日、試用の試用期間が終わるので
今後の話し合いをしに会社に休日出勤をして、
「よくやれているけれど、精度と密度」という話があって、
社会保険とか、失業保険とか、労働組合とか
いろいろ、もろもろの細かい話があって、
契約書を出しにいく段取りを決めて、
その足でくうきさんの「俳優ショーケース」リハーサルに出る。
で、場当たりして、ムーブとマイムをほぼ固めて、
「カーテンからカーテン」で一通り動いて、確認を取って、
そのあとぽつぽつと自分の来し方行く末について話。
という流れ。
家に帰ってご飯を食べたら両親は
車で大阪に「フルムーン」旅行に出る。
土曜日、起きて、ご飯食べて、福大病院に出向いて
いつものように話。
「まあ、よかった」、また次を続けよう、という内容。
天神に戻って、ご飯食べて、くうきさんに入って、
準備して、雑談して、ムーブとマイムを確認して、
たくさんのお客さんの前で一通りやって、
呼ばれないかな、と思ったら何とか引っかかって、
ぜれずれの演技をやって、落ち込んで、という一日。
日曜日、起きて、ご飯食べて、仕事に行って、
契約書をもらって、働いて、くたくたになって家に帰って、
そうめんゆでて、ツナ缶かけて食べて、契約書書いて、
仕事して。
・・・正直、疲れた。
われらが愛媛、福岡蜂というひとつの山をようやく越えて、
何とか「明日をつかむ戦い」に生き残った。
自分もおんなじ時間、おんなじように「明日をつかむ戦い」をやってきた。
これから、どう転ぶかわからないけれど、「自分はこれだけのことができる」
ということだけは何とか見せられた、のかな。