「漂流画報」の筆者、マヤ北島氏が4月に亡くなっていた。
この知らせをオフィスのT親分のブログから教えてもらった。
いや、まあ、こないだの例のサイトの飲み会のときでも、
一体全体どうしたんでしょうね、年が明けてぜんぜん姿を見せていないけれど、
もしかしたらふるさとの佐世保に帰ってしまったのかなぁ、とか、
文化芸術のこれからの骨組みを考える会のときでも、始めて触れる人に
ためになるお話がたくさんあるから探してぜひ読んで見てね、という話もした。
あの、なんていうか気難しい音楽、絵画関係の人が「演劇」に触れるための
入り口にはとてもいい切り口だったし、文章の内容だったし、イラストのうまさだった。
自分も、こういうスカウティング作業をするにあたって、
「自分の中にある経験から生まれた体内言語」と
「演者の中にある経験から生まれた体内言語」のすりあわせを
どう人様に伝えるか、いろいろな間合いを楽しみながら学んでいった。
そうだ、去年の今頃、久留米フェス、がらぱの演目を見学した帰りに
西鉄特急久留米から二日市までいろんな話をしたのです。
それから12月の芝居屋で出して受けてやって、あの時妙に顔色悪かったな、
で、きららのときは長崎でわれらが愛媛と一緒に戦ってきた帰りで、
「あんまり無理するでねぇ」といわれて、さいごのk2t3のときは
「実はあなぴぐも見た後夜行バスで広島渡って天皇杯見て、
終わったあと新幹線で博多戻ってk2t3と思ったけれど心と体がしんどくて」
といったら、「それでいいのだよ」、といってくれて、
それから「おれらにとって、たたかうってなんだろう」、
「たたかわなくても別にいいんじゃないのかなぁ」と寂しそうにつぶやいた。
いろいろな思いを背負って、今度は自分が歩いていく番だ。
まだまだ及ばないところはあるけれど、自分なりにやってみます。
空からいつまでも見ていてください。
R.I.P.