蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

Xの人生、Yの人生。

2008-08-31 23:12:09 | Hiroya's Note

染色体のことではありません、あしからず。

人生って、必ずどこかで他人と出会うときがある。
出会ってすぐさようならいうときもあるし、ある程度の時間一緒にすごすこともある。
結局は何らかの都合でまた別の道を歩き出す。
これを仮に「Xの人生」とする。

逆に出会ってからなんかよくわからないけれど、ずうっと一緒の道を歩いていく。
これを仮に「Yの人生」とする。

人はXとYの形をした出会いと別れ、という織物を織り上げながら生きているのだ。
その織物はいろいろな色があってとてもきれい。

Xの人生では悲しみ、寂しさ、憂いなどのなんともいえない色。
Yの人生でも喜び、安心、希望などのこれまたなんともいえない色。

どちらもとても大事な要素。
だからいいも悪いも何もいえない。
また新しい人生を歩き始める。


作業は進むよ。

2008-08-30 20:26:49 | Hiroya's Note

ざくざくと予定線を引きなおす。
かなりの誤算が広島対愛媛の試合開始を16時だ、とずっと思い込んでいたこと。
で、改めてぴあで確認していたら18時開始とのこと。
・・・ああ、とうとうヤキが回ったな。

16時開始、ということで帰りのバスの便を組み立てていたのが
どうしようもないのでいろいろ修正しようと試みる。
がだ、発オラ、システムがだめだめやん。
片道を往復に変更したり、往復を片道に変更したり、
乗り場変更や時刻変更、乗り便の変更まで効くというのに、
肝腎要のサーバーがエラーばかり、しかものろのろ。
七転八倒して結局往復便丸々取り消す。

とりあえず、当初の予定より二番目とフーズの見学だけは行くことにしよう。
あとは来週、どんな動きになるか見当付かないし。

ああ、もどかしい。


雨が降ったら儲かる仕事は何だろう?

2008-08-29 21:59:02 | Hiroya's Note

巷で流行の「ゲリラ雷雨」、あれ、新手の環境テロなのかなぁと。
隣の国での大きいイベントをストレスなく終わらせるために
近辺の雨雲をミサイルで散らしてその煽りを日本が食らったのかな。
でないとあんな雨の降り方理解できない。

というか、本当はあの雨の中を東京行っていたのかもしれない。
日立台で柏対ときおがあって、それ、何が何でも行きたいな、と考えてた。
しかし、ローソンチケットがだめだめになったのと、高速バスの問題、
さらにはお金の問題、いろんなことが重なって行くのいいやと。

なんか、最近いろんなことが重なってくるなぁ。
で、やるか、やらないかでやらない、を選択することが多い。
その分自分のこれからをやっている、と言い聞かせてはいるが、
そのこともなかなか前に進まない。

要するに「天気が晴れでことが進む仕事」はもらいが少ない。
へそ曲がりだけど大多数の人が嫌がる「雨降ってことが進む仕事」のほうが
もらいが多い、天気が晴れだと仕事にならないからなお良いわけで。
んなことわかってるけど、それがいったい何かわからない自分に腹が立つ。


続・夏の終わりに。

2008-08-28 21:09:44 | 舞台のこと

昨日の続き、行きます。

のこされ劇場三というカンパニーによる「さかのぼれども、青」という演目。

「人生とは水より出でて、山を登り、そして水に戻る」ということを
うまく表現できた、と思う。
前作の「蒲団」のほうが「自分語り」がものすごくひどかったけれど、
今回は市原さんが経験した外の仕事で学んだことと、ドラマドクター、という
「外の目」がきっちり効いていていやみのない「自分語り」になっていた。

その証拠に自分が去年、おととしに経験した「じいちゃん、ばあちゃんの死」の
ことで自分、どんなこと考えて、どういう心持だったのだろう、ということを
自然な形でつらつらと思い出して、えりこねえさんからもらった
「ひとはなにかしら務めを果たして死ぬものだよ」という言葉を改めて実感できた。

だから、湿っぽい感じじゃなく「務めを終えた喜び」を女の子たちが
リズムよく歌い上げていたのかなぁと。

自分のルーツ云々よりも、まずは自分の務めを果たせ、それでいいじゃないか。


夏の終わりに。

2008-08-27 22:22:43 | 舞台のこと

秋の足音が少し早めにやってきた。
ほら、余計なことをするから(以下略。
自分も今日の今頃は東京へ向かう夜行バスの中だったのに。
現実はなかなかうまく回りません、正直悔しいです。

さて、今まで貯めに貯めてた見学のお話をしましょうか。

まずは「謎のモダン館」というカンパニーによる「王(きんぐ)たる者」

この演目は7月に一度長崎で見に行ったのです。
けれど、箱が少し大きくて物語の意味はわかったけれど、
凄みがうまく伝わらなかった。

今回は長崎でやった箱よりかなり小さくて密度の濃い箱だから、
物語の意味も、凄みも十分に伝わっている。
ある駅での待合室での一夜の始まり、という導入部分から、
実はこの駅は「三途の川の渡し場」へ向かう電車の駅だった、
その電車は「どうして死んだのか」ということをわからないと乗ることが出来ない。
三途の川への渡し場にたどり着いても自分の生き方、死に方を
はっきりさせなければ渡し舟にも乗せてもらえない、結構過酷だな、というところを
このカンパニーの持ち味である「言葉遊び」を十分に生かしながら見せている。

で、生前、たくさんの人を苦しめて自分だけいい思いをしていた人が
自分の犯した罪によって三途の川の渡し場にもたどり着かせてくれない、
たくさんの三途の川を渡ろうとする人に引導を渡す仕事を罪の重さに応じて
やらなければ渡し場にたどり着く電車に乗ることが出来ない。
ラスト前、その人はかなりかっこいいこといっているけれど、
行く人の罪よりその人の罪のほうが重かった、故にまたも電車に乗れず、
ラストで開き直りの歌を歌いながらベンチに横になる。
・・・これ、重いですよ。
しかもお盆の真っ只中だからいい宗教教育になっている。

はい、次は「非・売れ線系ビーナス」の「猫大爆発」
世の中の吹き溜まりにいるろくでなしの男と女。
宗教団体らしきところで集団生活をしている。
なんともいえない閉塞感を吹き飛ばすには爆弾テロしかないでしょ、
そこからろくでなしがゆるーく自分を解放して新しい人生を生きる、
という内容。
集中が20分以上続いたことと、色の使い方、箱の使い方に
田坂氏の「演出コンペ」と「クラブ・オブ・アリス」という二つの外仕事で
学んだことが良く出ていた、けれど内輪のばたばた感が少しひどすぎた。

のこされさんについてはまた明日。


続々・人は皆、無念を背負って生きているのだ。

2008-08-26 21:09:54 | 舞台のこと

「漂流画報」の筆者、マヤ北島氏が4月に亡くなっていた。
この知らせをオフィスのT親分のブログから教えてもらった。

いや、まあ、こないだの例のサイトの飲み会のときでも、
一体全体どうしたんでしょうね、年が明けてぜんぜん姿を見せていないけれど、
もしかしたらふるさとの佐世保に帰ってしまったのかなぁ、とか、
文化芸術のこれからの骨組みを考える会のときでも、始めて触れる人に
ためになるお話がたくさんあるから探してぜひ読んで見てね、という話もした。

あの、なんていうか気難しい音楽、絵画関係の人が「演劇」に触れるための
入り口にはとてもいい切り口だったし、文章の内容だったし、イラストのうまさだった。
自分も、こういうスカウティング作業をするにあたって、
「自分の中にある経験から生まれた体内言語」と
「演者の中にある経験から生まれた体内言語」のすりあわせを
どう人様に伝えるか、いろいろな間合いを楽しみながら学んでいった。

そうだ、去年の今頃、久留米フェス、がらぱの演目を見学した帰りに
西鉄特急久留米から二日市までいろんな話をしたのです。
それから12月の芝居屋で出して受けてやって、あの時妙に顔色悪かったな、
で、きららのときは長崎でわれらが愛媛と一緒に戦ってきた帰りで、
「あんまり無理するでねぇ」といわれて、さいごのk2t3のときは
「実はあなぴぐも見た後夜行バスで広島渡って天皇杯見て、
 終わったあと新幹線で博多戻ってk2t3と思ったけれど心と体がしんどくて」
といったら、「それでいいのだよ」、といってくれて、
それから「おれらにとって、たたかうってなんだろう」、
「たたかわなくても別にいいんじゃないのかなぁ」と寂しそうにつぶやいた。

いろいろな思いを背負って、今度は自分が歩いていく番だ。
まだまだ及ばないところはあるけれど、自分なりにやってみます。
空からいつまでも見ていてください。

R.I.P.


なんか、別世界。

2008-08-25 22:17:54 | Hiroya's Note

今年は、オリンピックも、夏の甲子園も、その他もろもろのスポーツも
自分にとっては完全なる別世界でございました。
唯一、別府に温泉保養がてら行った大分対ときおの試合だけかな。

これからの12年間お世話になる「枠組み」をあーだ、こーだ考えながら
作っていく「作業」がらみのことが大変で、楽しくて。

風通しの良い組織、というものを作っていくことかな、まずは。
個々人がいろんな場所で「勉強」した成果を持ち寄って、
このことをフィードバック出来る環境つくりからはじめてる。

そういった作業の成果をわれらが愛媛のことにも生かすことが出来れば。


なんだかなぁ。

2008-08-24 22:00:12 | Hiroya's Note

しがらみの世界に生きる、ということはかなり難しいことだよなぁ。

スポンサーという「金主」のしがらみ、組織、というしがらみ、
レベルが高ければ高いほどそういうへんてこりんなやつが行動を妨げやがる。

そんなのないことが還って幸運なのかもしれないね。


これ、迷うわ。

2008-08-23 21:09:28 | Hiroya's Note

今日は北九州でのこされさんの仕事を見学に行き、
きららのいけださんに久しぶりに会い、みさか父にも挨拶。
ん、まあ、こないだの佐賀で市原さんにおもいっくそいじられて、
いろいろな意味でリラックスしてバンプが取れたのは大きい。
(まあ、順調に進んでいるから、なるべく早いうちに婚礼御礼出すから待ってて。)
お話自体も市原さんが今まで北芸の仕事の手伝いでもらったことを
上手に生かしたな、と言う見後感。

それから一便早いのに間に合いそうな展開だったのでいけださんとエレベーターで
少し雑談、どんな宿を使っているか、ということだけだったけど。
早いバスに間に合うように自分の感情のスイッチが入ってるから
うまくさよならができなくて申し訳ない。

何とか一便早いバスに間に合ってその便も西鉄の「家畜運搬車」ではなく、
産交のバスで一安心。
柄にもなくハリー・ポッター見て、軽く拷問喰らって熊本。
いつもは辛島のでドーミー使うのですが、夏休み期間中は結構高いみたい
なので、新市街のリッチモンドが月末割引で少し安かったから使ってみた。
風呂と洗濯機の物足りなさをカバーするほどの部屋の質の高さ。

・・・すごく疲れているので、安心して休めそう。


われわれは試されているのだ。

2008-08-22 23:37:40 | Hiroya's Note

例の話し合い以後、初めて天神、川端方面にやってきた。
まずはオフィスに寄って、「すみませんでした」のお手紙とともに
不足分のお金を預けることをして、リバレインのアジア美術館へ。

出口らへんに第七のかめいさんがものすごく喜びそうな
チャイニーズアートがどっちゃりと。
こっちもユン・チアンの「マオ」を読んだものだから「何か嘘くせぇ」と
毒吐きつつ眺めてる。

それからひとつ上の階で面白い現代アートを見て、「女の人の情念がうまく
表現されているな、カレー風味で」とうなり、図書室で手塚治虫の「ブッダ」を
ぱらりぱらり、そうしているうちにチケットのピックアップが始まり、
いとやまさんにこないだの自分なりのまとめと、こうなったら面白いよな、
という話をする。

乱暴にまとめたら今までかなり忘れてた「自主独立」を思い出させる
仕組みだったのかな、もしそうだとしたらここで生まれたつながりを
何とかして続けていかないと、そのためには情報交換や意見交換を
まめにやっていく仕組みを作っていかないと、自分らは福岡市のやることを
「試して」見たけれど、これからはあっちも自分らを「試して」行く展開だよ。
このことを前提にしていろいろと作っていかなければ。

見学のことはまた明日。