神野町をゆく(55) 石守廃寺
日本へ仏教が伝えられて比較的はやい白鳳時代(645~710)に、加古川地方に仏教が伝わりました。
神野町の西条と石守に当時の寺院跡があります。
*西条にあった寺院(西条廃寺)は、後日紹介しましょう。
石守廃寺について『加古川市史(第一巻)』の説明の一部を読んでみます。
・・・(石守廃寺は)加古川下流の左岸の城山より二キロメートルあまり下った南東に隣接して、日岡山があり、その南方には日岡古墳群が立地する。
石守廃寺は、その東方に当たる台地周辺部に位置し、西条廃寺から南西1.4キロメートルを隔てているにすぎない。
1983・84年にわたる発掘調査により・・・法隆寺式伽藍配置を基準とし、寺域はおそらく方一町を占めていたものと推察されている。
・・・・8世紀の前葉に創建されたものであり、終末は9世紀に入ってからと考えられのである。
また、南面する法隆寺式伽藍配置、瓦積基壇や回廊代用の柵列、古瓦など、隣接する西条廃寺との数々の類似点も見逃しがたいところである・・・
詳しくは、『加古川市史(第一巻)』をご覧ください。
現在、石守廃寺跡がみつかりません。近所の人に訪ねてみても分かりません。それもそのはずです。
市教委に問い合わすと、「保存が難しくなったので、現在少し南の宝塔寺の境内に移転保存されている」(写真)とのことでした。
基壇部等の保存はなかったのですが、塔の礎石が境内の隅に保存されています。