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ひろかずのブログ・3

81歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

加古川市の水風景(16) 台風の被害は、なかったでしょうか

2023-08-17 11:51:04 | 風景

     加古川市の水風景(16) 台風の被害は、なかったでしょうか

 写真は、昨日(16日)の午後5時ごろの水管橋と水環境から見た加古川の流れです。

 午前中に神吉町へ出けました。加古川の流れは前日の台風の雨のために茶色でした。

 帰りの午後5時ごろに通過した時はご覧のようにもういつもの清流に戻っていました。

 新聞では、兵庫県でも大きな被害でたようですが、 市内では台風の大きな被害がなかったようです。

        水 管 橋

 きょうは、面白くない記事ですので、水環境の説明をさせてください。

 「昭和55年に完成した、直径1.2m、全長426mの送水管2条を渡している工業用水送水管の橋です。

 平荘湖や権現ダムの工業用水を右岸の東神吉町から左岸の加古川町へ渡し、臨海部の工業地帯へ1日に約2万トンを配水しています。

 上は歩道橋になっていて自転車・歩行者専用の市道としても役立っています。

 清流が美しい加古川の景観の中で、鮮やかなセルリアンブルーのアーチ型をしたこの橋は独特の存在感があります」

 一般的に的に人工物はその風景を壊すのすが、この水管橋ばかりは風景を引き立たせています。




加古川市の水風景(15) 別府町大変 台風23号の被害

2023-08-16 08:15:43 | 風景

     

 

  加古川市の水風景(15)  別府町大変 台風23号の被害

   
 昨日の台風7号はいかがでしたが。我が家では玄関のノウゼンカズラが少しやられだけでした。やれやれ・・・


    台風23号(昭和40年) 


 台風23号(昭和40年)から続いた高潮・豪雨は東北播各地に悲惨な爪跡を残しました。
 台風23号が姫路市西部に上陸したのは、9月10日午前10時55分。
 東北播は朝から暴風雨県内に巻き込まれ、(瞬間最大風速58.7㍍)加古川市に吹き荒れました。
 別府町では、あまりにも強い雨で風速計が壊れ、アンテナや屋根ガワラの全戸に及びましたが、高潮に飲まれた海岸線のゼロメートル地帯の被害はひどい状態になりました。


加古川市の水風景(14) 放牧の風景

2023-08-15 10:58:43 | 風景

    加古川の水風景(14) 放牧の風景

 
  戦後しばらくの加古川の河川敷にこんな風景がみられました。
 農家は、労働力の大切な一部として、たいてい牛を飼っていました。
 その他に戦前から神戸肉は美味しく有名でしたが、神戸は戦災で肉の生産はストップしてしまいました。
 そのため、戦後加古川は、神戸に代わる肉の生産地となりました。
 放牧の風景が撮影されたのは、昭和30年代の初めのころです。
 農作業・食肉のために、加古川で牛の放牧が盛んに行われました。


加古川市の水風景(13) 堰(六ヶ井用水取り入れ口)

2023-08-14 11:18:48 | 風景

     加古川の水風景(13) 堰(六ヶ井用水取り入れ口)


 JR加古川鉄橋と加古川バイパスでの間で、加古川右岸(西岸)側に堰(写真)があります。堰は川の流れをせき止めて、水を付近の田畑や工場に水をとりいれる施設です。
 加古川河口辺りの水田は海に近く、塩を含んでいます。そのため、この堰から水を取り入れています。右岸に沿って流れる水路は、「六ヶ井水路」です。

 中学校の頃、この堰の南側が水泳の場所でした。さすがに危険があるのか先生がよく監督に来られていました。
 もちろん、今は危険な場所として水泳は禁止されています。
 子どものころは、危険なんて考えたこともありませんでした。


加古川市の水風景(12) 故郷へ

2023-08-13 07:10:55 | 風景

 

   加古川市の水風景(12) 故郷へ

 ゴゴゴゴー
 新幹線が加古川の鉄橋を西へ驀進してきました。
 コロナ後の初めてのお盆です。
 いつもと違って車内は満席でしょうね
 いっぱいのお土産と孫たちを連れて故郷のお爺ちゃん・おばあちゃんが待っている列車は走っています。
 子どもたちは故郷でをお叔母ちゃん・爺ちゃんとどんな話をするのでしょう。

 いま(12日の5時ごろ)河原は、すこしだけ涼しくなってきました。
 走っている人もおられます。
 魚が時々、川面から飛び跳ねています。
 いつもの水のある風景です。


加古川市の水風景(11) 中山集落、権現ダム湖底に消える

2023-08-12 10:58:41 | 風景

 

  

 加古川市の水風景(11) 中山集落、権現ダム湖底に消える

 東播磨工業地帯の建設は急速に進み、平荘湖ダムからの送水だけでは工業用水の需要に応じることはできなくなり、兵庫県は、第二の貯水ダム(権現ダム)を計画しました。
 今回は、権現ダムの底に沈んだ中山集落の話です。
 建設委員会は、平荘湖ダム建設の用地買収の難航の苦い経験もあり熱心に動きませんでした。

      難航する移転・保障問題

 昭和45年5月、ようやく、県・市による第1回目の説明会が行われ、地元への協力要請をしました。
 5月25日、中山町内会は、次のような回答書を市長に提出した。
 「中山地区町内会は、権現ダム建設に伴う水没計画には絶対反対である」としました。
 その理由として、「住みなれた土地を離れ、他に移住することは大きな苦痛である。
 平荘湖ダムの場合と異なり、地元の反対や市会で、ダム建設は難航し、ほとんど進展を見ないまま年を越ましたが、昭和45年12月に、ついに了解点にたっしました。
 しかし、計画は、さらに遅れ、結局さまざまな問題が解決したのは、昭和53年1月でした。
 権現ダムの建設は、最初の計画から実に10年。ようやく着工の運びとなり中山集落は湖底に沈みました。
 *写真:湖底に消える前の中山集落と中山集落の人々の生活(ともに、竹中計夫氏撮影) 『加古川・高砂の1000年(樹林舎)』より

 


加古川市の水風景(10) 消えた又兵衛新田

2023-08-11 11:09:19 | 風景

 

  

  加古川市の水風景(10) 消えた又兵衛新田
 
 加古川市は、工業誘致に積極的に取り組み、工業都市としての発展をめざしました。そのために、工業用水の確保は急を要しました。
 平荘湖ダム建設が計画されました。升田山の北に100万平方メートルが土地が水没すことになります。
 そこに、約30戸の又平新田ありました。
 今回の「水の風景」は湖底に沈んだ集落の話です。


     難航した難航した保障交渉


 地元民の将来に対す生活に対する不安はぬぐえず誠意ある県の対応を求めました。交渉は難航しました。
 市会ダム対策特別委員会は補償交渉の解決に向けて両者の斡旋に乗り出しました。
 昭和37年12月、難産の末、県と地元との最終合意がまとまり、昭和38年に入り、本格着工され、44年、7月1日ダムは完成した。
 又兵衛新田は消滅しました。
 写真は、又兵衛新田にあった「料亭・鴨場」と鴨の捕獲場です。
 明治時代からあった「料亭・鴨場」は看板も無く、客層のほとんどは軍人・役人が利用していたそうです。
 *写真:『加古川・高砂の100年』(樹林舎)


加古川市の水風景(9) 松風公園(尾上町池田)

2023-08-10 09:24:57 | 風景

     加古川市の水風景(9) 松風公園(尾上町池田)


 「松風公園」といっても、すぐに「あの公園だ・・・」と頭に浮かぶ人は人は、ほとんどおられないのではないのではないのでしょうか。
 しかし、しっかりと管理されている公園のようで、公園には小さいながら池(魚はいません)もあります。東屋(あずまや)もあります。
 ここに寄った時、肝心の公園で休憩をされている人を見かけたことがほとんどありません。あまり利用されていない静かな、寂しすぎる公園です。
 この公園は、海岸に続く公園として計画されたのでしょうが、海の手前で止っています。海に続いていません。
 公園の突き当りにエコタンの活動として竹炭を作っておられる小屋があり海の景色を遮っています。
 加古川市としては貴重な水辺(海辺)の公園です。
 もっと利用方法は、ないものでしょうか。


 *場所は、グーグルマップでお探しください。(写真手前が海)


加古川市の水風景(8) 平荘湖とタカサゴユリ

2023-08-09 08:19:29 | 風景

 

  加古川市の水風景(8) 平荘湖とタカサゴユリ
 写真は、平荘湖をバックにしたタカサゴユリです。
 いま、平荘湖ではタカサゴユリが咲き始めました。来週あたりは、いっぱい咲いていますよ。
 平荘湖にはタカサゴユリがよく似合います。
 昨日(8日)散歩した弁天神社~第3堰堤は、風がなく、木陰もムッとした蒸し暑い風のたまり場のようでした。でも、タカサゴユリだけは涼しそうでした。

 それにしても、タカサゴユリの名前が気になります。高砂市と関係はありません。
 台湾を意味する古称の高砂国に由来し、原産地は台湾で「台湾ユリ」「高砂百合」と呼ばれています。


加古川市の水風景(7) 別府港の船溜まり

2023-08-08 08:06:59 | 風景

     

       加古川市の水風景(7) 別府港の船溜まり


   ここは別府港(別府川の河口)です。
 昨日(7日)は、久しぶりで、日照りはなかったものの、やはり蒸し暑く、汗びっしょりの散歩になってしまいました。

 むかしの写真は、昭和35年の船溜まりの風景です。当然、船溜まりは昔のままですが繋留されている船はほとんど木製。
 現在は、ほとんどの船がプラスチック製のプレジャーボートです。
 こんなに暑くては、プレジャーボートで風を切って加古川沖のクルージングがしてみたいですね。


 *写真上:現在の別府港
   写真下:昭和35年の別府港(『(写真集)加古川・高砂の100年-(樹林舎)』)から


加古川市の水風景(6) オニユリの風景がありました

2023-08-07 06:16:01 | 風景

   

 

   加古川市の水風景(6) オニユリの風景がありました


 今回の話題は、消えたオニユリの群生地です。

 高御位山の登山口の近くの池に出かけました。
 特別な池ではありませんが、ガマの穂を見つけました。
 懐かしいガマの穂です。


 でも、池が気になったのは、5・6年前前までは、この池の土手にオニユリの群生地があったことです。
 どうしたことでしょう、今は見当たりません。
 以後、オニユリを見なくなりました。
 この場所へ来るとオニユリの風景を思い出します。
 だんだん、こんな風景も消えているようですね。


 *写真:今は消えたオニユリの群生地


加古川市の水風景(5) 市民レガッタ大会

2023-08-06 08:40:29 | 風景

 

    加古川市の水風景(5) 市民レガッタ大会
 
 加古川大堰が完成したのは平成元年のこと。  
 以来、加古川大堰上流部は、日本ボート協会公認コースの認定を受け、レガッタが行われています。
 また、毎年7~8月には「市民レガッタ」も行われ、市内のみならず県内外からも多くのクルーが出場されます。
 昨日と今日が、市民レガッタの日で、昨日たまたま、2時ごろ上荘橋の付近を車で走っていると市民レガッタが行われており、寄ってみました。
 残念なことに大会が丁度終わったところで、爽やかなレガッタの風景は見ることはできませんでした。残念。
 写真は、S氏が撮られたレガッタの風景です。無断でお借りしました。
 一度チャレンジしてみたいですね。でも、80歳のお爺さんには無理なよう。
 加古川市の爽やかな水風景です。


舞子海上プロムナードを歩く

2023-08-05 07:36:47 | 風景

                  

 

   舞子海上プロムナードを歩く

 

 きょうの「加古川市の水風景」は番外編です。でっかすぎる水の風景です。

 2日(水)孫たちと舞子へ出かけました。

 少し奮発してお昼は舞子ビラでバイキング、その後近くの「舞子海上プロムナード」へ出かけたんです。

 なんと海上喫茶店があり、少しだけですが海上47㍍の歩道橋を歩くことが出来ました。

 でっかい風景を見ながらのアイスコーヒーは特別で、歩道橋の一部はガラス張りで47メートル下の海面がまる見え。

 安全だと思うもののすこし怖い。

 孫はスキップでとおります。若いですね。


加古川市の水風景(4) 上部井用水(取水口付近)

2023-08-04 10:24:26 | 風景

     加古川市の水風景(4) 上部井用水(取水口付近)

 加古川西岸の開発は、東岸より遅れますが、ここを灌漑するのが「上部井(うえべい用水」です。

 現在、「上部用水の水」は、暗渠で加古川大堰から取水しています。

 関係する村は、神吉村・米田村・砂部村・西井ノ口村・大国村・岸村・中西村・平津村I(以上加古川市)、島村・塩市村・神爪村(かづめむら)・中筋村・南池村(みなみけむら)・北池村・伊保崎村・曾根村(以上高砂市)の16か村を含む広大な地域です。

 写真は、上部井用の水取口付近(升田)です。新しい水が勢よく湧き出しているように見えます。この辺りだけは、少し涼しいです。


加古川市の水風景(3) 寺田池(平岡町)変身?

2023-08-03 09:53:07 | 風景

 

      

      加古川市の水風景(3) 寺田池(平岡町)変身?

 記録によれば、寺田池は平安時代(寛平年間・889893)に造られたとされています。

 寺田池は、加古川市では最大の池です。



 1日(火)、兵庫大学のそばの寺田池の風景を見たくて撮りに出かけました。ビッックリでした。前号で紹介した三ツ池と同じく、水面が見えません。

 三ツ池は蓮池と知っ出かけたんです。

 寺田池はこの大きな池は現在全体がヒシ池に変身していました。

 ヒシ・ヒシ・ヒシの風景です。これはこれで一興の風景ですが、どこか変です。

 農業用水としてはあまり利用されていないようです。