神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

大龍神社

2015年06月09日 | 再訪

兵庫県三田市上相野


今回も福知山線に乗って神社へ行くことにする。
長い間、車での移動が当たり前になっていたけれど、私は元々、電車に乗るのは好きなほうだ。
窓の外を見たり、本を読んだり、眠ったり、見るとは無しに他の乗客を眺めたり、と、過ごし方は様々で、べつにそれが特に退屈と感じることは無かった。
ところが改めて車内を見回してみると、最近は多くの人がスマホをいじっている。
スマホも用途は多岐に亘るから、ニュースを読んだりだとか、調べ物をしたり、お絵かきアプリで絵を描いてみたりと、様々に活用できる筈なのだが、どうも私の目に入った範囲では、多くの人がゲームをしているようであった。
通学の中学生から、中年のサラリーマンに至るまで、一様に指を熱心に動かしている。
これはちょっとおかしな眺め、というか、大袈裟に言えば、由々しき事態では、などと考える。
もちろん、ゲームをする人はいてもいい。楽しいだろうしハマるのも理解できる。
だが、ゲームをする人と同じくらい、本を読む人や景色を見る人がいて然るべきなのでは、とも思う。
多様な価値観や時間の過ごし方が失われて、一律に、電車での通勤通学は退屈でゲームで時間潰し、という状態では、どんどんつまらない人間ばかりになるのではないか。
しかも福知山線は、それなりに自然豊かなところも通るから、田植えが始まっただとか、花が咲き出したとか、葉が色づき始めただとか、何かしら日々の変化が感じ取れるところであるから、誰も窓の外に関心を向けていないというのは悲しいことだ、というようなことを職場の同僚に話すと、「そんなもんでしょ」と一蹴された………。

とまあ神社と関係無い話はこれくらいにして、今回は前回の道場駅よりもう少し先まで乗って相野駅で降りる。
時刻は9時過ぎだが、駅前にいる何人かの高校生を尻目に線路沿いの狭い道を歩き出す。
今日は晴天で、撮影条件は厳しそうだ。
これから向かう大龍神社は、訪れるのは三回目、掲載は二回目になる。
過去二回で、この神社はどういうわけか写真が撮りにくく、いい色が出てくれないということを痛感しているから、晴天でコントラストの強い今日は尚更だろうと少し気が重い。
踏切を渡ってすぐに神社前。
車で来ていたときは意識していなかったけれど、ここも駅から徒歩10分以内で行ける神社で、いいところである。



似たような構図で何枚も撮ってみるが、やはりまあ目で見た印象のようには写ってくれない。
駅からここまでは田畑の広がる明るい風景だから、神社に足を踏み入れたときの陰翳と奥深さには心惹かれるものがあって、こんな写真では伝わらない。
少なくとも直射光が入っていない前回の方が、まだいい写真が撮れたように思う。



鳥居をくぐれば、光線状態は幾分マシになるような気がする。



以前に掲載したときにも書いたし、他の神社でも書いたことがあるけれど、長床というか舞台というか、なんと呼べばいいのか判らない建築物がある。






そしてこれも何度か書いてきているけれど、くぐる建物は大好きで、いつも何だかワクワクしてしまう。



うーん、色が…。



いろいろと設定や角度を変えて撮ってみるものの、結果は変わらない。



羊歯を取り入れてみたりもするが…。



部分的に補修が行われたようで、一部、木の色が新しくなっている。



それにしても色が濁る。
思うに、常緑広葉樹が多いところは、特に直射日光が当たっている時は色が濁るような気がする。
常緑広葉樹は、言い換えれば照葉樹で、その名の通り光を照り返す。
落葉樹の葉は光を含んで輝く感じだし、針葉樹は光の強弱に対して素直に明るくなったり暗くなったりするだけのようなのに、常緑広葉樹は、あらゆる方向を向いた葉が、あらゆる方向に光を跳ね返すから、カメラのほうも上手く処理できないのではなかろうか。
尤も、私のカメラが古くて安物であるからかも知れないし、それ以前に腕の問題である可能性が大きいから、あまり考えても仕方ない。



本殿と拝所を右側から。



左側からは光輝いて神々しくあるのだが、写真ではそうもいかない。
境内ではハルゼミが鳴いている。
春に鳴く蝉がいるのか、と思われる方もいらっしゃるだろうが、夏のそれが、うるさくとも夏の風情を感じさせるのに対し、ハルゼミはべつに春らしいわけでもないし、どちらかと言えば汚い声で鳴く。






本殿。
大龍神社という名前からか、小さな龍の彫刻が心なしか雄雄しく見える。



境内社は幾つかあるが、本殿左側にあるものは、あまりに光が強かったので、本殿右側にある稲荷社を中心に。






掲載はしていないけれど、長床というか舞台の写真を本殿側から撮っていると、突然、非常ベルが鳴り出した。
四枚目の写真を見てもらえば、辛うじて非常ベルの赤い点が見えると思うが、つまりこれが作動して、静かな境内に鳴り響いたわけである。
当然、飛び上がるほどに驚く。
とはいえ、ここでそそくさと神社から出れば、余計に怪しまれる気もするし、近隣の方が駆けつけたとしても堂々としていようと決める。
好きでやっていることとはいえ、神社巡りも楽ではないのである。
それにしても、何故、非常ベルが鳴り出したのだろう?
センサーのようなものは無いし、建物の中に入ったわけでも無い。
ふと時刻を確認すると、9時59分だった。
もしかしたら、10時を知らせる時報のようなものかも知れない。
結局、誰も駆けつけては来なかったし、ベルも一分ほどで鳴り止んだ。



あまり満足できるような写真は撮れなかったけれど、まあ色々あって楽しくはあった。
ちょっと軽薄ではあるが、駅から徒歩15分以内で行ける駅近物件神社、なんて本があれば、意外と需要があるのでは、などと考えたりすると、この神社は是非とも掲載したいなぁ、と思う。


撮影日時 150526 9時15分~10時10分
地図


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4 コメント

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神社の色 (Jun)
2015-06-09 22:13:12
こんばんは

確かに、色が鈍いですね。
6月でもまだ新緑の輝きは残っているはずですが。

私は先週の土曜日に京丹後市峰山町の金刀比羅宮に行って来ました。
緑の中の朱色の神門を撮影したのですが、目で見たより色が綺麗に出ていなくて少しがっかりでした。
緑がイマイチ出ないんですね。
でもこの神社は狛犬・狛猫・狛狐がたくさんいて楽しかったです。
大きな神社で、目立つせいもあるのか、絶えず人がいて静かとは言えませんでしたが、愛されている神社と言う印象はありました。
昭和2年の丹後大震災で江戸時代の物が全て崩壊してしまい、今あるのは再建されたものだそうですが、古い感じが出ていて、社殿も良かったです。

非常ベル、私も三木市の伽耶院に行った時に経験しました。
他にも観光客がいたので、何に反応したのか知りませんが、かなり耳障りでした。
僧侶が酷く不機嫌な顔で歩いていましたが、ベルを止めに出て来た風にも見えず、どうなっていたのか・・・?

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Unknown (hiro1jz)
2015-06-10 04:43:08
>Junさん
殆ど常緑樹なので、鮮やかな新緑にならないんですが、
それにしても色が悪いです…。

丹後のこんぴらさん、知りませんでしたが、けっこう大きなところですね。
狛猫が目当てで行く人も多そうな。
丹後縮緬に関わる養蚕に於いて、ねずみの被害に悩まされていたところから、
天敵である猫の登場、というところらしいですが、
あの辺り、今でも養蚕業に携わっている方はいらっしゃるのでしょうか。
知人に丹後出身者がいますが、丹後縮緬というと織機の音を思い出すと言っていました。
私も父方が西陣ですので、あの騒がしい織機の音が懐かしくなったりします。
昭和初期の再建ですと、もう充分古びて味わい深いものになっているでしょうね。

非常ベル、たった一人の静かな境内ですと、
耳障りというより心臓に悪いです(笑
わりと誤作動が多いんでしょうかね。
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Unknown (Jun)
2015-06-13 22:14:14
こんばんは
今日は京都府京丹後市網野町の「霧降の滝」に行って来ました。
曇り空なので撮影しやすかったです。
遊歩道が整備されていて、滝前にはベンチなんかもありましたが、アクセス道路がとても細くて緊張しました。(運転は家人)
人がいなくて楽しめましたが、「熊出没」と注意看板もあって、これも緊張しました(笑
お手軽滝ですが、神秘的で良かったです。

スマホ、なんとかならないかなぁ?
滝に行く前に人気の料理屋さんで昼食を取ったのですが、バイクのツーリングで4人の男性がやって来て、それは珍しくないのですが、料理が来る迄全員スマホや携帯でゲームとかして、会話がないんです。
普通、ツーリングで来る人って、同好の集まりでしょ? 趣味の話すると思うけど、時代でしょうかね・・・
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Unknown (hiro1jz)
2015-06-16 09:24:30
>Junさん
ちょっと体調を崩して返信が遅くなってしまいました。すみません。

霧降の滝は、以前、丹後に行ったときに寄ろうと思ったところです。
丹後に行った記事で、車のエアコンが故障したことに触れたことをご記憶かも知れませんが、
あの時、エアコンが壊れなかったら車中泊して行くつもりだったのが日帰りになってしまいました。
手軽に行けるのに良さそうな滝ですよね。
確か駅から徒歩で行ける距離だったと思いますが、
駅近の良い神社は結構あるのに、駅近の良い滝は殆ど無さそうだなぁ…。

他人事とはいえ、見ていて何か「それでいいの?」って言いたくなりますよね(笑
思い返すと昔からそういう人達はいたようで、
携帯電話が普及する前にも、喫茶店で黙々と雑誌を読んでる親子だとか、
友達と行動してるのに本屋やコンビニで延々立ち読みしてる子達とか。
スマホなんかは、より手軽にそういった環境、状況を作り出しやすいんでしょうねぇ。
それでも、ツーリング途中でそれは異常、というか、引き篭もってろ、という感じです(笑
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