a journal of sociology

社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

気になる本:Un debat sur la laicite

2005年12月05日 | 読書
 まだ読んでいないが「気になっている本」という形で、いろいろな本を紹介してゆきたい。というのも、この形だと、読まなくてもその本について触れられるから(笑)。いや、実のところ、読んでから本について書くというのは、なかなか時間がかかるし、そして、私は読んだ本の説明をし始めると止まらなくなってしまう性格。それよりは、「こういう本がある」という「情報」を伝える目的で、「気になっている本の紹介」をできればと、そう考えたからだ。

 まず私が気になっているのは、アラン・ルノーとアラン・トゥレーヌによるUn d?bat sur la la?cit?(左のリンクでAmazon.frへ)。
 仏であった暴動(今回の件では、暴動ではなく騒乱という語をあてるべきだという意見が仏研究の中ではあるようですが)について、日本の報道では、「仏=同化主義の国」という形で言われていましたが(日本に限らず英米系の報道機関でも同様だったようですが)、この「同化主義」的政策の一例とも言えるライシテ(宗教的中立性)に関して、二人が議論しているようです。このライシテを根拠として、昨年成立した「スカーフ禁止法」などが施行されたわけだが、ルノーとトゥレーヌという、世界的に著名な二人の研究者が、仏社会を内側から見て、どのような議論を展開するのか興味があるところ。

 なぜ宗教的中立性が同化主義なのかというと、仏の共和主義では、すべての市民はその個人的属性(出自・所属階級・宗教etc.)を問われることなく、すべて公平で平等な存在である、とされているから。それ故に、この共和主義的伝統では中間集団が排除されるわけだが、そして公共空間では、その宗教的属性を公にすることが禁止される、ということになる。まあ、この説明は非常に短絡した議論で、より詳しく知りたい方は、例えば、拙訳のアルチュセール『再生産について:イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置』の第9章などを参照して頂きたい。

 今回の暴動でも、トッドやモラン、フィンケルクロート等が発言をしているが(そしてフィンケルクロートの発言は物議を醸しているようだが)、ルノーとトゥレーヌの二人が、どうした議論を展開しているのか、確認したい。

 と、この本、気になっているだけではなく、すでにAmazon.frに注文し、そして半月前以上前に発送されたというメールも届いたのだが、未だ現物が届かず。もしかしてちゃんととどくのだろうか?

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