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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

介護士受け入れについて

2009年04月16日 | 社会問題
 知人の仏人に日本語を教えているからか、最近は言語について考えることが多い。

 先日、インドネシアからの看護師・介護士受け入れについて報道されているときも、言語について考えた。(本来であれば移民や労働者の問題としても考えるべきだろうが)

 日本語にもさまざまなものがあり、お年寄りの日本語が理解できずにいる姿が、報道されていた。そういえば、以前、友人のベルギー人を新年の親戚の集まりに連れて行ったところ、彼女が祖父母の日本語が理解できずにいた姿を思い出した。あとから聞いた時も、お年寄りの日本語はわかりにくいと言っていた。
 おそらくは発声上の問題(と言って良いのか、要は聞き取りにくいこと)があると思うのだが、それと同時に、古い言葉が用いられる語彙や使われる助詞の問題もあると思う。

 前者は、慣れれば改善するだろうから、それほど問題ではないと思われる。後者の問題も、実のところ、日本語のインストラクションをしっかりすれば、大きな問題にはならないのではないか、個人的にはそう考えている。

 今でこそ日本語を母語としない人々への日本語教育は普及し、指導法も体系立てられたものがあり、様々なテキストも簡単に手にはいるようになっている(ただし、日本語教師の置かれた状況というのは、まだまだ社会的に認められたものとはいえないようだが)。
 しかし、その昔は、非母語者向けの一番良い日本語テキストというのは、外国人労働者を受け入れていた自動車工場が外国人社員の教育のために独自につくったものしかなかったという。そうすると、初級の日本語なのに、ピストンやシリンダーという語が出てきたり、これまた初級なのにモーターとエンジンの語の用法の違いなどが説明されていたという(笑)。ただし、テキストとしての出来が良かったらしく、通常の日本語指導にもこのテキストが用いられていたとか。

 この点をして、日本語学習者を、労働力としてしか見ていなかったことが透けて見えるだろう。他方で、独自に日本語テキストを編集するほど、それだけ本腰を入れて受け入れ準備をしていたと言うこともできるかもしれない。
 今回も、本気でやるのであれば、地方ごとの方言について、あるいは話者の年齢による言葉や助詞などの用法の違いについても、特化した指導法やテキストなりを作っても良いのではないかと思う。覚えることは多くなるが、日本語として難しいわけではなく(おそらく)、それほど負担にならないように思われる。

 言語というのは一般的なものではなく、地方ごとに、あるいは、階級などによっても変わってくるし、それが道具である以上、領域によって、あるいは、用いられる用途によって変わってくるものである。そう考えるなら、特化した部分というのも考えていって良いのではないか。知人の仏人に日本語を教えながらそうしたことを考えた。(彼女の場合、仕事で日本語を使うため、待遇表現などを使う必要に迫られることがある。そうした意味では、たとえそれが難易度の高いレベルであっても、そこに特化してレッスンをやる必要があるから、なのだが)


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