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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

デュルケムと多様性

2007年12月16日 | 読書
 今日、社会学史研究の29号で、横井先生の「デュルケムにおける異質性と同質性の問題」という論文を読んだ。デュルケムをめぐっては、私自身は、「いわゆる共和主義」とは異なった文脈で読む必要があるのではないかと思っていて、この論文と共通の問題意識を持ったのだった。

 その面でも、横井先生の論文は非常に勉強になった。

 あるいは、さらには(ここからは私見に過ぎないのだが)、デュルケムに関する「現代のイメージ」は、かつてのそれとは、かなり異なっているのではないか、と考えている。このあたりは、様々な論証が必要だと思うのだが……。例えば、デュルケムの周囲に形成されたデュルケム「学派」(と呼べるかどうかは実は微妙だったりする:それよりは『年報』を中心に形成されたグループと考えた方が妥当だと思う)は、実のところ、デュルケムが『社会学的方法の規準』で展開した社会学の方法論に沿って研究を進めていた社会学者はおらず、むしろそれぞれ異なった方法論と興味関心を持っていた。また、デュルケムが意図していた社会学の諸分野も、実のところあまり展開されずに終わっている。デュルケム「学派」自体、第二次大戦後には、様々な要因もあって消えるに至っている。

 我々が「学説史」の講義の中で学んだ「デュルケム像」というのは、その後の社会学の流れの中で形成されたもので、彼自身の時代のそれとは、異なっていると思われる。例えば、上の例に加えて、「社会分業論」は、日本社会では「産業社会の発展」との関連で語れることが多いが、実のところどの後のデュルケムは、例えば宗教社会の問題に関心を移したりしている。こう考えると、それほど簡単には、彼が「産業社会論」を展開していたとは言えないと思われる(これはスタイナーなどがすでに言ったりしていることだが)。
 我々が今現在デュルケムに対して持つイメージは、パーソンズとその後のアメリカの社会学の影響が強いのではないかと、個人的には思っている。

 この点に関しては、デュルケムではなくウェーバーに関して、佐藤先生と先日の日本社会学会の昼休みで質問させていただいた。つまり、ウェーバーを合理性の文脈で捉え、それを広めたのはパーソンズのアメリカへの輸入の仕方に原因があったのではないか? という質問をさせていただいた。
 少し背景を説明すると、最近(というか数年前)のある発表でバリバールがウェーバーについて議論をし、そのテクストを読んだのだが、ウェーバーのをroutineと英語で訳すのは間違いであるという出発点から、ウェーバーのカリスマ概念を捉え返そうという話なのだが、それに関して、パーソンズの米への輸入に関して質問をしたのだった。

 で、まあ、佐藤先生の答えは、バリバールにしても、あるいはウェーバー研究で有名な矢野さんにしても、「二週目の解釈」としてはわかるけれど、一番最初に、普通に読んだ場合、やはりウェーバーは合理化の進展の話をしていると読めるのではないか、という話だった。
 確かにそれは言えるし、また、当時の米の時代・社会状況を考えても(世界の中心が欧から米に移りつつあり、工業化が急速に進んでいたという社会状況)、そうした話にならざるを得ないというのは、まさに現実だったと思う。

 そう考えると、デュルケムについても同じ事が言えるのではないかと思う。

 あと、それから、学説史研究に限らず、歴史的事実をめぐる見解の違いは、社会学ではどう処理すればいいのだろう? という、けっこう基本的な疑問を持ってしまったりしています。史実をめぐる些細な部分の相違とも言える反面、「前提条件」をめぐる相違とも言えるわけで……。

 ちなみに、歴史研究における移民研究のパイオニアであるノワリエルによると、19世紀末から20世紀初頭、それからその後の仏では、かなり最近の時期になるまで、同時代の米と比較して、同等かそれ以上の移民の割合を内包していたという。まあ、米は現代になってその比率を極端に伸ばすわけだが、そうだとしても、「かつての米以上」という点を考えれば、それは、「割合」としてはかなりのものであったはず。そこをして、「現代の移民とは比較にならないが」という前提で、話を展開することはできないと個人的には思っている。
 ただし、日本でそれが受け入れられるかは、微妙。

 ちなみに、ノワリエルによると、仏は移民の移動において交通上の要衝にあり(「新大陸」を目指す場合、仏を通ることが多かったよう)、それが移民の割合が多かった原因の一つであると述べている。まあ、たしかに、職があればそこに身を落ち着けるという選択は、移民であれば十分合理的な選択のはず(「目的地」へ行っても職を得られる保証がないならなおさら)。

 ただし、ノワリエルは「割合」で、話を進めているのが、少し気になるところ。それはトッドも言えることで、割合だけでなく、人口規模も換算に入れないと、移民やマイノリティーの話は、客観的には展開できないのではないかと、他方で思われる。おなじ10%でも、3億のうちの10%と、6000万の内の10%では、3000万人対600万人という絶対数になるけれど、3000万人いれば、マイノリティーのコミュニティーが形成されれば、その内部で再生産も可能だと思われるけれど、果たして600万人の人口規模で内部の再生産が可能なのだろうか?

 まあ、上のことは、今回の話と無関係だけど……。最近Le moment républicain en Franceという本を読んでいて、いろいろ気になった。ちなみにこの本には、デュルケムに関する章が数章あり、120ページ強の分量。なかなか読みでがあったりする(他の本も読まねばならないのだけれど……(+_+))。


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