【満福寺正殿】
鎌倉の春の風物詩と言われている「鎌倉まつり」が一週間も続く賑わいの中を、私は「義経まつり」に絞って、腰越の満福寺に参詣してまいりました。
義経は源氏を率いて 一の谷 屋島 壇ノ浦 と平家に勝利して鎌倉に凱旋しましたが、待っていたのは「鎌倉入場あたわず」だったのです。
義経は満福寺に逗留して、頼朝の怒りを解くべく幕府公文所別当の大江広元に嘆願書を差し出しました。それが世に言う「腰越状」です。
縦30cm 横7~80cmのガラスケースに入った毛筆書きは現代人にも読める(拾い読み)程のものでした。寺に現存の理由は「不顧為敵亡命」の六文字が抜けた為と言うことですが・・・
「まつり」の始まる前に拝観出来ましたので、襖絵を数点真近に見 撮影も出来て幸いでした。
鎌倉彫の技法を取り入れた漆画が襖一杯に描かれています。
【義経】
【静】
【義経&静】
【逃避行】
鎌倉の春の風物詩と言われている「鎌倉まつり」が一週間も続く賑わいの中を、私は「義経まつり」に絞って、腰越の満福寺に参詣してまいりました。
義経は源氏を率いて 一の谷 屋島 壇ノ浦 と平家に勝利して鎌倉に凱旋しましたが、待っていたのは「鎌倉入場あたわず」だったのです。
義経は満福寺に逗留して、頼朝の怒りを解くべく幕府公文所別当の大江広元に嘆願書を差し出しました。それが世に言う「腰越状」です。
縦30cm 横7~80cmのガラスケースに入った毛筆書きは現代人にも読める(拾い読み)程のものでした。寺に現存の理由は「不顧為敵亡命」の六文字が抜けた為と言うことですが・・・
「まつり」の始まる前に拝観出来ましたので、襖絵を数点真近に見 撮影も出来て幸いでした。
鎌倉彫の技法を取り入れた漆画が襖一杯に描かれています。
【義経】
【静】
【義経&静】
【逃避行】