犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

「逸失利益」という言葉 その1

2007-11-09 17:13:13 | 言語・論理・構造
犯罪被害に伴う損害を賠償しようとすれば、近代法および資本主義のシステムの下では、これを金銭に換算するしかない。このシステムが強固になると、単なる次善の策であることが忘れられ、その制度自体が絶対的なものに見えてくる。こうなると、言語ゲームの階層性は無限に細かくなる。それ自体を自己目的化した部分的言語ゲームは、「その犯罪被害は世界で1つの犯罪被害である」という何よりの現実を見落とし、現実的であると称されるところの専門技術を追求するようになる。そこでは、犯罪被害は事案ごとに分類され、ケースとして蓄積され、研究材料となる。

犯罪被害に伴う損害賠償の算定において、詳細な研究が進められ、専門家の間でも盛り上がっているのが「消極損害」をめぐる議論である。これは「休業損害」と「逸失利益」に分けられているが、この後者の逸失利益の計算が非常に難しく、悩ましい問題を生んでいる。そもそも実際には起こらなかったことを想像して計算するのだから、大前提としてそのようなものは無理に決まっている。「事故がなければこうなっているはずである」、「むしろこうなっていたはずではないか」との想像は無数に可能である上、双方の利害得失の問題もからみ、争いはいつまでも終わらない。しかしながら、社会科学の客観性と実証性への信頼は、あるべき唯一の逸失利益の額を模索して精密な議論を展開してきた。そして、この種の争いは根本的に解決することができるものと考えてきた。

例えば、24歳の大学院生の男性が交通事故に遭ってPTSDになった場合の逸失利益は、3,175,600 ×(35/100)×17.54591 という計算式で算出される。まず3,175,600円というのは、厚生労働省政策調査部をもとに日弁連の交通事故相談センターが作成した「賃金センサス」における平均年収額である。実際には、加害者側や保険会社から「被害者は能力が低く、事故がなくても昇進による昇給は望めない」などと主張され、大幅に減額されることが多い。次に35/100というのは、後遺障害別等級表において神経系統に障害を残した場合は第9級第10号に該当するものとされ、労働能力喪失率が35%と定められていることに基づくものである。これも単なる一般論であるから、個々の事故に応じて、加害者側や保険会社から「被害者のPTSDは軽く、働こうと思えば働ける」との主張がなされるのがお約束である。

最後に、17.54591というのは、43年間に対応するライプニッツ係数である。就労可能期間を67歳までとし、24歳で事故に遭ったとすれば、残りは43年間であるから、一見すれば年収と労働能力喪失分の積を単純に43倍すれば済む話である。しかしながら、資本主義とは「お金を持っている者は運用して増やすことができる」「他人に貸せば利子が取れる」というルールである。そうなると、43年分もの収入を前払いでもらうのは不当に得をしているという話になり、この期間の中間利息は控除すべきだという理論が確立してくる。かくして、年5%の利息を複利で差し引くことにより、17.54591という残酷な数字が出る。ちなみに、ライプニッツ係数による計算ではあまりに安すぎるということで、もう一つホフマン方式という計算方法も考えられているが、あまり使われていない。東京地裁がライプニッツ係数を採用すると宣言したことによって、全国の裁判所がそれに従ったからである。

(続く)