宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

解意(解釈)とは、《・・・・として》(als)という構造をそなえることだ!:ハイデガー『存在と時間』(1927)「第32節 了解と解意(解釈)」(その1)

2019-07-07 12:20:22 | Weblog
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第1編 現存在の準備的な基礎分析」「第5章 内存在そのもの」「【A】現の実存論的構成」「第32節 了解と解意」(その1)

(1)了解(Verstehen)と解意(解釈)(Auslegung)!
A 「現存在は、了解(※ノエシス=ノエマ構造をもつ分裂の同一としての意識)というありさまで、おのれの存在をさまざまな可能性へむけて投企する。」(148頁)
A-2 「了解を発達(完成)させることを、われわれは解意(解釈)(Auslegung)となづける。」(148頁)
A-3 以下では、「日常的現存在の準備的分析の方針」に従って、「解意という現象を世界の了解にそくして、すなわち非本来的な了解にそくして――ただしその真正性の様態について――追跡してみよう。」(148頁)

《感想1》第28節で述べたが、私見では、「解意」とは、既に構成されたノエマ(意味・類型)のうちに新たな体験を包摂すること、またそれにともないノエマ(意味・類型)間の関係の展開(再構成等を含む)のことだ
《感想1-2》また「言明」は、私見では、《語》が指示するノエマ(意味・類型)のうちに新たな体験を包摂し、またそれにともない、《語》が指示するノエマ(意味・類型)の間の関係の展開(再構成等を含む)のことだ。つまり「言明」(Aussage)は「解意(解釈)(Auslegung)の派生的形態」だ!なお《語》とはそれ自身ノエマ(意味・類型)であり一定の他のノエマ(意味・類型)を指示する。

(2)解意(解釈)とは、《・・・・として》(als)という構造をそなえることだ!
B 「用具的なものにたずさわる配慮的存在」において、「配視が発見するということは、すでに了解されている『世界』が解意(解釈)されることである」(148頁)
B-2 「《・・・・のためにあるのか》という点において配視的に解き分けられたものは、そのありさまで、表立って了解され、しかじかのものとしてのあるもの(Etwas als Etwas)という構造をそなえる。」(149頁)(※類型化される。つまりある類型に属させられること。)
B-3 「配視的に解意する答えは、《それは・・・・するためにある》という形をとる。」つまり「用途の表示」、「名前をつけること」。(149頁)
B-4 「《・・・・として》(als)が、了解されている事柄の表明性の構造をなしている。そしてそれが解意を構成する。」(149頁)

《感想2》第31節で、ハイデガーは了解における「視」について、①(用具的存在者への)配慮の配視、②(共同現存在への)待遇(顧慮)の省視、③現存在の存在そのものへの視(透視性)を区別する。
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