第1部 イジメ、ビジュアル系バンド、KATAN DOLL、サブカル少女
(1)イジメ
A 中学生の頃、毎日、いじめにあっていた。パシリ、殴られ蹴られ、給食には消しゴムのかす、埃(ホコリ)、雑巾の水。
A-2 原因は、アトピー性皮膚炎。1歳の頃から病気。
A-3 両親は、クラスで3番以内を要求。イジメを親には言わない。
A-4 小学生の3年から、いじめられるのが辛くて、もっと弱い子や小さい子を殴ったり蹴ったりした。
A-5 中学校で、みんなの前で裸にされるいじめを受けたとき、自分が分裂。裸にされた肉体が自分と思えなくなる。
A-6 病院へ行くようになる。
(2)追っかけ
B 14歳の私を、ビジュアル系のバンドだけが救ってくれた。
B-2 彼らの音楽を聴くと、生きててもいいんだって、優しく言われている気がした。
B-3 マキという女の子と友達になる。黒ずくめ、トランク、網タイツ、ケバイ化粧、ブレスレットをゴテゴテにつける。
B-4 ライブに行く&初めて私の存在を認めてくれた、私と同じような女の子たち。
B-5 死ななくて良かったと私は思った。
C 私は初めて家出した後、父は「学校へも行かずこんな髪をして!」と私を殴り、CDを割り、ポスター・写真を破り、「ライブに二度と行くな」「マキたちと会うな」と命じた。
D 学校へ行かず、私は、家でぶらぶらしていた。
D-2 母は私をごみのように見る。「勉強をしていい学校に入れ」としか言わない。母を私は、殴りつけた。
E 高校生となり、マキと私は「追っかけ少女」となる。家出ばかりし、カツアゲする、万引きもプロ級。
E-2 でも「こんなことしてていいのかな」と楽しくなかった。現実逃避に過ぎないと思った。
(3)ファック隊
F 追っかけをしていたら、なぜか大好きなミュージシャンの部屋に呼ばれた。ビジュアル系ミュージシャンとセックスする。ファック隊のメンバーに突然なる。
F-2 いじめた同級生たちと、「あんたなんか相手にされるワケない」と言った母、みんなを見返す。
F-3 マキたちからは、離れる。友達を失う。ファック隊は、ミュージシャンとのセックスしか話題にしなかった。
F-4 ファック隊になって、何か得られると思ったが何も得られない。結局、通じ合えていた友達を失っただけ。そして私を理解していたはずのミュージシャンたちへの幻滅。
F-5 私は再び手首を切るようになる。
(4)治療
G いつも私のことを怯えた目で見る弟に耐えられず、私は弟に包丁を突き付け、部屋に立てこもる。
G-2 この事件のあと、東京へカウンセリングを受けに行く。
G-3 母は、この日から別人になる。学校へ行かなくてぶらぶらしていても、家出しても、ライブに行っても、なにも言わなくなった。
G-4 少しずつ落ち着いた空気へ。母が、「登校拒否や非行の原因は、子供への親の接し方が原因」との“子供の更生のためのマニュアル本”を私に見せた。
G-5 わざわざ私に手の内をみせた母がおかしくて、笑った。少し気が楽になった。
(5)KATAN DOLL
H 母の“子供更生マニュアル”で私は結構、更生された。
H-2 寺山修司の本などを学校で読み続ける。また激動の時代にあこがれる。戦争、60-70年代の学生運動など。
I 天野可淡『KATAN DOLL』という写真集が気に入る。彼女は「精神に棲む者」を形にした。
I-2 何もせずに本ばかり読んでいた自分に焦る。
I-3 人形を作りたくて美大を志望する。高3の時。美大の受験に落ち、東京の予備校へ。
(6)無言電話
J 美大に行っても、人形が作れるわけでないとわかり、予備校にいかなくなる。私は、夜、ランダムに無言電話をかけ続ける。
J-2 私は、勉強のために、ファック隊の人やな曲なったミュージシャンが下宿に来るのを断るようになっていた。
J-3 今や、目標も友達も失った。無言電話。そしてリストカット。
J-4 幸せそうな奴は、皆殺しにしたい。世界を燃やしてしまいたい。結局、憎しみが最後は自分に向かう。
(7)胃洗浄
K 救急車で運ばれる。みんなが優しくしてくれた。
K-2 薬を大量に服用し自殺未遂。急に怖くなり、タクシーでヒデ君の所に行く。ヒデ君が救急車を呼んでくれた。
K-3 地獄のような胃洗浄。終わった時の幸福感。リストカットや自殺未遂が、私を生かしているすべてだった。
(8)弟子入り
L 天野可淡の元旦那の吉田良一氏に、弟子入りする。予備校の先生が、紹介してくれた。
L-2 球体関節人形を作る。私の人形ふぶきを半年かけて作る。私と人形だけの楽園を作りたいと思う。
L-3 マリスミゼルのメンバーが人形の展覧会を見に来てくれた。“セックスの対象”でなく“人形を作る人”として対等に扱ってくれた。マリスミゼルの舞台にも出してもらえた。
(9)世界を呪え
M 毎日、年度に触れているためアトピーが劇的にひどくなる。手から常に膿がでる。人形制作は3体で中止。私は自分の身体を呪う。
M-2 ヒデ君を口説き、またピアニストの伊藤竜太さんに参加してもらい、バンドを作る。しかしバンドは失敗。私はまた手首を切り始めた。
M-3 私はしょっちゅうバイトを首になり、落ち込み、社会を恨んだ。お前なんていらないと世界中から言われている気がした。世界を呪った。
N 1995年(著者20歳)、オウム事件が起き、私の代わりにこんな世界を消すため、サリンを撒いてくれた気がした。
N-2 私は何でもいいから必要とされたかった。自分の存在を認めてほしかった。
N-3 私は世の中や社会の事を一人であれこれ考えるようになる。こんなに生きていくのが難しいのは社会と関係があるかもしれない。
N-4 豊かな世界なのに、生きづらい日常の地獄。
N-5 『ゴーマニズム宣言』を全巻、そろえる。
(10)サブカル街道まっしぐら
O 『ガロ』のイベント告知欄で、とうじ魔とうじさん“ジャンル撲滅キャンぺーン”を知る。
O-2 どうでもいいことを一生懸命やっている人を見て、生きる勇気がわいてきた。
O-3 AKIRAさんが、「一揆、革命が30年のサイクルで起こる」と言う。“明るい未来”のウソ。私は感動に打ち震える。
O-4 新右翼団体一水会代表、鈴木邦男と会う。
O-5 誰かに会える、共通のムカツキを持っている人と会える。私は自分の居場所を見つけた。私は“サブカル少女”となる。
(11)オナニストの憂鬱
P “雨宮処凛の一日個展と姫処凛ミニ・ライブ”の開催。イベント名は“オナニストの憂鬱”。1996・8・31。参加者7人。
P-2 後半の交流会が盛り上がる。こんな世の中、しらふで生きられない。みんなが自殺未遂話を独白し合う。
P-3 私は一人じゃない。
P-4 でも何から始めていいのかわからない。
(12)オウム信者との出会い
Q サリン事件後、オウムをやめた猪瀬正人氏と加納秀一さんと話した。→結局もうこの社会に私たちをつなぎとめておく力なんてないと、結論。自分が嫌いだし、今の社会も嫌い。
Q-2 世の中を変えたいが、その術(スベ)を知らない。
Q-3 元オウム信者のY君は、尊師(麻原)は、お父さんのようだと言う。(2か月もたたずに、またオウムに戻る。)
《評者の感想》
()アトピー性皮膚炎が、彼女へのいじめを引き起こした。現在、雨宮氏は大丈夫なのだろうか?
()中学生の時のいじめがひどすぎる。「美しい国日本」は美しくない。
()その時のいじめによる症状は、人格の分裂、いわゆる多重人格化の初期に見える。
()「生きててもいいんだ」と自己肯定されることが、どんなに大事かわかる。
()「母の“子供更生マニュアル”で私は結構、更生された」と雨宮氏は率直だと思う。
()人形制作の道が、アトピーのためふさがれたことは、本当に不幸だったと思う。
()「誰かに会える、共通のムカツキを持っている人と会える。私は自分の居場所を見つけた。私は“サブカル少女”となる。」雨宮氏、1996年、21歳。
()そして、「生きる意味・目的と壮大なドラマ」を求めて、雨宮氏は右翼となる。「(13) Let’s右翼」から「(22)維新赤誠塾」まで、雨宮氏の右翼としての奇跡。
第2部 超国家主義『民族の意志』同盟(突撃隊)&パンクバンド「維新赤誠塾」
(13)Let’s右翼
A 見沢知廉(ミサワチレン)氏に誘われ、右翼の集会に参加。
A-2 60-70年代の学生運動がうらやましいと雨宮。
A-3 右翼と左翼の違いはおぼろげにしかわからないが、すごいスピードで惹かれている。
A-4 生きる意味・目的と壮大なドラマが欲しい。
B 超国家主義『民族の意志』同盟(突撃隊):国会議事堂閉鎖、戦後民主主義者殺せ、東京裁判史観打倒。
B-2 委員長の演説:この国には、若者をつなぎとめるだけの価値観が存在しない。時代の閉塞感。腐りきった戦後日本。
B-3 未来に希望を失ってさ迷う魂の死刑囚!
B-4 私は間違っていない。間違っているのは時代の方だ。
C 「フーン?で、大和民族って何?」と私。
(14)初めての街宣
D 御茶ノ水駅前での突撃隊の定期街宣をヒデ君たちと一緒に見る。
D-2 委員長の演説:お前らは、アメリカの家畜だ!自由・民主・平和・平等の金縛り。ボケ平和。物質主義と拝金主義。腐りきった戦後日本。
D-3 私は感動した。神聖な気持ちになった。
D-4 「なんかすごくいい人たちだったね。ためになったね!」と私たち5人。
(15)Let’s世直し
E 世界のからくりが見え始めた。
E-2 出会えるかもしれない:命を賭けるに値するもの、やり場のない憤りのはけ口、普遍的で高尚なもの、自分の魂を少しづつ汚していく日常から脱出させるものに。
F ヒデ君、猪瀬さん、加納さん、ジャス子さんたちと第1回“世直し会議”。
F-2 けだるい日本をぶっつぶせ。世直し一揆で“ええじゃないか”をやる!
F-3 イベント名“平成のええじゃないか・世紀末意識革命前夜”→元オウム信者とか右翼と書いたのでライブハウスが借りられない。
(16)平成のええじゃないか:1997/4/11
G ダミーの企画書で、イベントをやるライブハウスが見つかる。夜はキャバクラで働き、会場費16万円を私が出す。
G-2 世直しや革命を語る私の資格:私は自分を殺そうとする負のパワーを外に向けたい。80人の前で私は5枚の原稿を読んで思いを伝えた。AKIRAさんも、マリスミゼルも、突撃隊も来てくれた。
G-3 ゲストに一水会の鈴木さんが来てくれた。
G-4 反省会で、みんな、喜んだ。主催者は雨宮と元ビジュアル系のヒデ君。
G-4 突撃隊は機関誌を挙げて、ほめてくれた。“戦後民主主義に毒された現代日本”に「否!」と言った。
G-5 しかし“戦後民主主義”って何だろう?
(17)突撃隊入会
H 元オウム信者の猪瀬さんが突撃隊に入会。命を賭けるものを探し続けた。日本の現実は醜く吐き気を催す。日本の伝統に根ざさないヨーガやチベット仏教(オウム真理教)では世直しは出来ない。
H-2 N君:悠久の歴史と伝統を誇る日本の歴史的使命、大ロマンに覚醒せよ!何の意味もなく生き延びるより、この国のため潔く命を捨てる人間になる。
H-3 猪瀬さん:僕は生きる場所を見つけた。元オウムの僕を受け入れる委員長の懐の深さ。
H-4 私も、あんなふうに輝きたい。
I 突撃隊の下部組織“意志の会”に入会。同盟の指示命令には絶対的に服従する。
I-2 突撃隊は、企業の恐喝はしない。私が一番信じるところ。
I-3 研修&維新のための猛勉強:自由・民主主義・平和は、豚のように食べ、自分の事しか考えない一億総白痴の日本人をもたらした。
I-4 靖国神社:神風特攻隊員の遺書を読んで涙が止まらなかった。
I-5 私は自分の使命を見つけた。
J 必死に叫んで街宣しても、女も男も、無関心、一瞥し笑うだけ。
J-2 「最優秀最強民族」、その名にふさわしくない日本人は、一人残らず殺してしまえばいいと私は思った。「死ねー!」と言った私を突撃隊員が羽交い絞めにした。
(18)突撃隊強化合宿:理論武装のため1泊2日
K 委員長に会って、みんな変わった。
K-2 私たちは、この国を変えたいという明確な意思を持つ。毛沢東語録にあるように「若く、貧しく、名もないものだけが、革命家たる資格を持っている。」
K-3 委員長を含め5人しかいなかった突撃隊が、今は10人以上。元自衛官、元ヤンキー、元オウム、ハードコア、元パンクス、元ビジュアル系など。
(19)右翼でさわやかな青春
L 元オウムの猪瀬さんの発案で、突撃隊の軍事訓練。修行に近い。
L-2 最近の私は、体育会系の部活のマネージャーのよう。
L-3 私たちが入って、演説が、政治ネタばかりでなく、みんな好き勝手なことを言う。
L-4 私の命は、天皇陛下と委員長、そして突撃隊と共にある。熱い血が流れている。
(20)“平成のええじゃないか2”:約80名参加
M 突撃隊のほか、在日コリアンのシンガーソングライター、川西杏(キョウ)さんも出演。M-2 “平成のええじゃないか2”は、立場、主義主張、年齢、性別、国籍を問わず、何か世の中に物申したい人に開かれた場所にする。
N 私の出番で叫ぶ!:私は今一つの疑問にぶち当たっている。私は自分の価値を、まるで新興宗教のように、その団体に委ねているんじゃないか?この国を変えるという大義名分のもとに、私は自分の弱さから逃げているだけではないか?
N-2 突撃隊員から「雨宮さんは、立派な維新の志士なんだから、自分の迷いなんかあまり出さないほうがいい」と言われる。
N-3 私は組織の一員だから、個人的な感情をはさんではいけないのに、私は忘れていた。
(21)事件
O 突撃隊も委員長も天皇陛下も、私は、日常の苦しさを紛らわす道具にしている。
O-2 でも私が行く場所は、ほかにない。
O-3 突撃隊の街宣の場所からどかない白人のオルゴール親父を、「白ブタを殺せ!」と突撃隊が襲う。
O-4 血を流し倒れている外人。でも私たちの目的は、外人を殴ったりすることじゃない。私はもしかしたら、日の丸も『君が代』も天皇陛下も、自分を強く見せるための道具として使っているんじゃないかと思った。そんなことを隊員たちと話した。
O-5 猪瀬さんが綱領の問題で悩む:規制緩和やグローバリズムで全体に自由な方向に世界が向かっているとき、民族派でいいのかという問題。→猪瀬さんは突撃隊をやめる。新しい恋愛へ。
O-6 N君も突撃隊をやめる。民族主義にすがり、右翼という看板が嬉しくて粋がっていただけだった。→再びオウムへ。
P 突撃隊を辞めたら私に行く場所はない。恋愛・宗教・資本主義では私は救われない。消費と性の欲望にまみれ堕落した戦後日本。猪瀬さんやN君のことなどもう考えない。
P-2 私だけは、天皇陛下と英霊と共に生きる。
(22)維新赤誠塾
Q 若者に言葉が届く運動のため、「突撃隊がバンドになったようなものをやろう」と私とヒデ君で決める。突撃隊員の横井君も誘う。集会が音楽になったようなパンクバンド!
Q-2 維新への期待と天皇陛下への赤誠を示し、バンド名は維新赤誠塾。
Q-3 維新赤誠塾の第一次決起集会には、鈴木邦男さん、元赤軍派議長の塩見孝也さん、漫画家山田花子のお父さんなどが来る。
Q-4 私は高尚な魂の高ぶりの中で『君が代』を歌い終えた時、「天皇陛下万歳」と叫ぶ。
Q-5 突撃隊に参加しなくなり維新赤誠塾の方が面白くなってきた私とヒデ君が、委員長と対立。→維新赤誠塾第2回ライブには突撃隊は参加せず。
第3部 私は、生まれて初めて自分を好きだとちょっとだけ思った
(23)平和ボケ日本に捧ぐ
R 小林よしのりの漫画『戦争論』を読んで感動した。戦争で亡くなった人への素直な感謝。犬死に呼ばわりする論調にうんざりしていたから。
S 漫画『戦争論』の素晴らしさをイベントで熱弁していたが、平和の上に胡坐をかいての議論や演説はいやだ。私は民族主義にすがりついている。
S-2 「右翼に入ることと自己啓発セミナーに行くこと、いったいどこが違うんだー!」と私は叫んだ。
S-3 平和ボケ:何か生きている実感が得られそうな場所として、運動を選んだだけかもしれない。社会を論じたり否定したりしていないと自分の存在が確かめられない。
T 『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?』という映画の監督土屋さん。終戦記念日に靖国神社を参拝に訪れた人たちに、その質問を繰返す。
T-2 「戦争を知っている人の生の声を聞こうとするだけで、またそれに一生懸命なので、信頼できると思った」と、雨宮氏。
(24)Let’s北朝鮮
A 塩見孝也さん。左翼の人だけど、民族と反米で私たちとつながっている。“日本のレーニン”と言われ赤軍派を作った。1970年に逮捕され、獄中20年。
A-2 「反米の姿勢を学びに行く」と言われ、雨宮氏は北朝鮮に行く。また本で読むだけじゃなく、実際、この目で確かめたい。
A-3 ハイジャックして北朝鮮に渡ったよど号グループのかっこよさに、しびれまくった。彼らと北朝鮮で会える。それぞれが日本人と結婚し、生まれた子どもが20人位いる。
B 北朝鮮では、熱烈な歓迎を受け、よど号グループと彼らの奥さんたちの家族は心地よかった。
B-2 「帰りの飛行機の中で、私は混乱した」と雨宮氏。大がかりに騙されたのか?北朝鮮は、本当にいい国なのか?
B-3 「殺される」「食われる」「人肉市場で売られる」ことはなかった。
B-4 北朝鮮には、個人の薄汚い欲望を垂れ流しにするような資本主義のプロパガンダなんてなかった。「自力更生」「殉死愛国」「自爆精神」「肉弾精神」「全人民武装化」など、誇り高き国家としてのスローガンだけ!
B-5 みんなと常に価値観が共有できたら、私は今より寂しくないだろう。自分が思い切り国家に必要とされたら、私は何も迷うことなんてない。
B-6 私にとって個人主義はしんどいし、資本主義はつらい。私はいつも蹴落とされ、そして自分を支えるものがないことに戸惑ってきた。
B-6 だけど民族は私を裏切らない。日本人だってことだけで私は肯定される。
B-7 また、よど号グループと、彼らの子供たちの素朴で純粋で素直な人格。心が洗われる気がした。主体思想はすごいのかもしれない。
C この話をヒデ君と土屋さん(映画監督)にすると、二人は私の洗脳されやすさに呆れ果てていた。
(25)映画『新しい神様』土屋監督:雨宮処凛主演
D 私の部屋にビデオカメラが常駐。毎日、思ったことなんかを、ビデオカメラに言う。土屋監督が、私の映画を撮る。
D-2 「私は、今の社会が大キライで自分も大キライだった。そのことを、ずっと自分が悪いからだ思っていた。でも突撃隊が悪いのは、社会、戦後民主主義、アメリカと明言してくれた。私は、その言葉に救われた。」
E でも、本当にこの居心地の悪い社会を変えたいとも思ってもいる。
E-2 ライブハウスでマイクを握って「オマエら、今すぐに立ち上がれ!立ち上がらなくてはならない!」って言う時、人に言うっていうより、自分に言い聞かせているのだと思う。
E-3 ビデオカメラの前で、毎日自問自答しながら、ちょっと前進してる気がした。
E-4 わたしは「突撃隊」を辞めた。
E-5 私は、少しだけ、“自由”になってしまった。
E-6 私たちの世代にとって、右や左は二の次。あるのは、この腐った平和への嫌悪感。
E-7 この国の息苦しさ。選挙権をいくら行使しても、自分の一票ではなんも変わらないほど肥大化した間接民主主義と議院内閣制。
E-8 自分で作り上げた幻の祖国という、何か大きくて絶対のものに、帰属したい、すがりたい、繋がりたいという個人的な願望だけがあった。
F 4/26、維新赤報塾第4次ヤルタ・ポツダム体制打倒決起集会の日、私は人に言うのでなく、自分に言い聞かせるって自覚しながら叫ぶと、本当に素直に言葉が出てきた。借り物の言葉でカラ回りするのでなく、初めて自分の言葉で言えた気がした。
G 映画『新しい神様』:一本の映画で、生きている価値もないと思っていた私が肯定された。私は悪あがきしながらも、必死で前に進もうとしていた。
G-2 私は、生まれて初めて自分を好きだとちょっとだけ思った。
(26)Let’sイラク
H 一水会書記長・木村三浩さんに誘われイラクへ。総勢10人。イラク政府の“公賓”。木村氏は、イラク政府と10年来の付き合い。湾岸戦争で、反米を掲げ、イラク支援したのがきっかけ。
H-2 イラクの音楽祭“バビロン・フェスティバル”に日本代表として参加。「イラク万歳!日本万歳!とにかくもう、全部バンザーイ!」と叫ぶ。
H-3 みんな大きな拍手で包んでくれた。
H-4 私は歌いながら泣いた。こんな心の動きにしか、私は正直にならない。私の心を揺さぶるもののためにしか、私は動かない。
H-5 私はもう、イデオロギーでは動かない。自分が見たものしか信じない。自分の心を動かされたことしか、やらない。
H-6 人は、ナントカ主義者になった途端に、間違った方向に行きやすい。
(27)天皇陛下バイバイ
I “天皇陛下御即位10年をお祝いする国民式典”に行く。ここ何年か、私の心の支えであり続けてくれた天皇陛下。3年間追い続け幻。
I-2 5万人集まるが、その能天気ぶり。「いやー、今日は天皇陛下見れてよかったねえ。」「安室ちゃんも見れたしね。」
I-3 みんな、私と同じ気持ちで、支持してると思った。日本の天皇制は、この国と自分の在り方の問題を考えた末に、民族への帰属意識としてそれぞれが求めてやまないものだと思っていた。
I-4 あんな無責任な人たちが支持していた。
I-5 私は、右翼の人が叫ぶ「天皇陛下万歳」の方が好きだ。ビジュアル系ファンの女の子が叫ぶミュージシャンへの声援の方が好きだ。
J 「私はもう、一人で生きていけるだろう。天皇陛下に幻を押しつけなくても、ちゃんと生きていけるだろう。別に本当の自由なんて、怖くない気がする。」
(28)エピローグ:世界の輪郭
K 私は世界がどこにあるのかわからなかった。私だけが世界の仲間外れだと思っていた。
K-2 依存を繰り返し、思い切り遠回りして、今私は世界の輪郭を掴むことができた。
K-3 個人的な欲望と得体の知れない正義感をごちゃ混ぜにした、私の自分探し格安ツアーは、現在も続行中である。(以上、2000年、25歳)
《評者の感想》
()雨宮氏は、右翼を去る。理由は、次の1文で明らかである。「私はもう、一人で生きていけるだろう。天皇陛下に幻を押しつけなくても、ちゃんと生きていけるだろう。別に本当の自由なんて、怖くない気がする。」((23)から(28)参照。)
第4部 最終章:7年後(2007年、文庫版のためのあとがき、32歳)
A 2003年、開戦1か月前、私を含む総勢30人以上が、「人間の盾」となるためバグダッドへ反戦デモに行く。
A-2 帰国後、イラク戦争が勃発。バグダッドで出会った人たちの上に降り注ぐ爆弾の映像を見ながら、何度も自分の無力さをかみしめた。
B 2005年、マイ師匠・見沢知廉さんが8階からダイブして亡くなる。
C この本を読んで、ひきこもりから脱出した若者がいる。
D 7年後の私は、プレカリアート(不安定なプロレタリアート)運動にはまっている。競争原理や経済至上主義に歯向かい「生きさせろ!」と叫ぶ「生存権」運動。現代の百姓一揆!
D-2 敵はグローバリズム、ネオリベラリズム、資本主義。
D-3 こんな無力な自分でも、世界をほんの少しだけ変えられると、錯覚でもいいから思っていたい。
《評者の感想》
()雨宮氏は、①自分を捉える目が、客観的である。②ひどいいじめに耐え、死を選ぼうとしたこともあって、覚悟ができていると思う。③エネルギーがある。④状況の分析力、総合判断力が、すぐれている。
(ⅺ)倫理的に見れば、「社会が要求する法・規則の順守」と、「正しいと思う感情のエネルギー」が衝突した時は、雨宮氏は、後者を優先するようである。
(1)イジメ
A 中学生の頃、毎日、いじめにあっていた。パシリ、殴られ蹴られ、給食には消しゴムのかす、埃(ホコリ)、雑巾の水。
A-2 原因は、アトピー性皮膚炎。1歳の頃から病気。
A-3 両親は、クラスで3番以内を要求。イジメを親には言わない。
A-4 小学生の3年から、いじめられるのが辛くて、もっと弱い子や小さい子を殴ったり蹴ったりした。
A-5 中学校で、みんなの前で裸にされるいじめを受けたとき、自分が分裂。裸にされた肉体が自分と思えなくなる。
A-6 病院へ行くようになる。
(2)追っかけ
B 14歳の私を、ビジュアル系のバンドだけが救ってくれた。
B-2 彼らの音楽を聴くと、生きててもいいんだって、優しく言われている気がした。
B-3 マキという女の子と友達になる。黒ずくめ、トランク、網タイツ、ケバイ化粧、ブレスレットをゴテゴテにつける。
B-4 ライブに行く&初めて私の存在を認めてくれた、私と同じような女の子たち。
B-5 死ななくて良かったと私は思った。
C 私は初めて家出した後、父は「学校へも行かずこんな髪をして!」と私を殴り、CDを割り、ポスター・写真を破り、「ライブに二度と行くな」「マキたちと会うな」と命じた。
D 学校へ行かず、私は、家でぶらぶらしていた。
D-2 母は私をごみのように見る。「勉強をしていい学校に入れ」としか言わない。母を私は、殴りつけた。
E 高校生となり、マキと私は「追っかけ少女」となる。家出ばかりし、カツアゲする、万引きもプロ級。
E-2 でも「こんなことしてていいのかな」と楽しくなかった。現実逃避に過ぎないと思った。
(3)ファック隊
F 追っかけをしていたら、なぜか大好きなミュージシャンの部屋に呼ばれた。ビジュアル系ミュージシャンとセックスする。ファック隊のメンバーに突然なる。
F-2 いじめた同級生たちと、「あんたなんか相手にされるワケない」と言った母、みんなを見返す。
F-3 マキたちからは、離れる。友達を失う。ファック隊は、ミュージシャンとのセックスしか話題にしなかった。
F-4 ファック隊になって、何か得られると思ったが何も得られない。結局、通じ合えていた友達を失っただけ。そして私を理解していたはずのミュージシャンたちへの幻滅。
F-5 私は再び手首を切るようになる。
(4)治療
G いつも私のことを怯えた目で見る弟に耐えられず、私は弟に包丁を突き付け、部屋に立てこもる。
G-2 この事件のあと、東京へカウンセリングを受けに行く。
G-3 母は、この日から別人になる。学校へ行かなくてぶらぶらしていても、家出しても、ライブに行っても、なにも言わなくなった。
G-4 少しずつ落ち着いた空気へ。母が、「登校拒否や非行の原因は、子供への親の接し方が原因」との“子供の更生のためのマニュアル本”を私に見せた。
G-5 わざわざ私に手の内をみせた母がおかしくて、笑った。少し気が楽になった。
(5)KATAN DOLL
H 母の“子供更生マニュアル”で私は結構、更生された。
H-2 寺山修司の本などを学校で読み続ける。また激動の時代にあこがれる。戦争、60-70年代の学生運動など。
I 天野可淡『KATAN DOLL』という写真集が気に入る。彼女は「精神に棲む者」を形にした。
I-2 何もせずに本ばかり読んでいた自分に焦る。
I-3 人形を作りたくて美大を志望する。高3の時。美大の受験に落ち、東京の予備校へ。
(6)無言電話
J 美大に行っても、人形が作れるわけでないとわかり、予備校にいかなくなる。私は、夜、ランダムに無言電話をかけ続ける。
J-2 私は、勉強のために、ファック隊の人やな曲なったミュージシャンが下宿に来るのを断るようになっていた。
J-3 今や、目標も友達も失った。無言電話。そしてリストカット。
J-4 幸せそうな奴は、皆殺しにしたい。世界を燃やしてしまいたい。結局、憎しみが最後は自分に向かう。
(7)胃洗浄
K 救急車で運ばれる。みんなが優しくしてくれた。
K-2 薬を大量に服用し自殺未遂。急に怖くなり、タクシーでヒデ君の所に行く。ヒデ君が救急車を呼んでくれた。
K-3 地獄のような胃洗浄。終わった時の幸福感。リストカットや自殺未遂が、私を生かしているすべてだった。
(8)弟子入り
L 天野可淡の元旦那の吉田良一氏に、弟子入りする。予備校の先生が、紹介してくれた。
L-2 球体関節人形を作る。私の人形ふぶきを半年かけて作る。私と人形だけの楽園を作りたいと思う。
L-3 マリスミゼルのメンバーが人形の展覧会を見に来てくれた。“セックスの対象”でなく“人形を作る人”として対等に扱ってくれた。マリスミゼルの舞台にも出してもらえた。
(9)世界を呪え
M 毎日、年度に触れているためアトピーが劇的にひどくなる。手から常に膿がでる。人形制作は3体で中止。私は自分の身体を呪う。
M-2 ヒデ君を口説き、またピアニストの伊藤竜太さんに参加してもらい、バンドを作る。しかしバンドは失敗。私はまた手首を切り始めた。
M-3 私はしょっちゅうバイトを首になり、落ち込み、社会を恨んだ。お前なんていらないと世界中から言われている気がした。世界を呪った。
N 1995年(著者20歳)、オウム事件が起き、私の代わりにこんな世界を消すため、サリンを撒いてくれた気がした。
N-2 私は何でもいいから必要とされたかった。自分の存在を認めてほしかった。
N-3 私は世の中や社会の事を一人であれこれ考えるようになる。こんなに生きていくのが難しいのは社会と関係があるかもしれない。
N-4 豊かな世界なのに、生きづらい日常の地獄。
N-5 『ゴーマニズム宣言』を全巻、そろえる。
(10)サブカル街道まっしぐら
O 『ガロ』のイベント告知欄で、とうじ魔とうじさん“ジャンル撲滅キャンぺーン”を知る。
O-2 どうでもいいことを一生懸命やっている人を見て、生きる勇気がわいてきた。
O-3 AKIRAさんが、「一揆、革命が30年のサイクルで起こる」と言う。“明るい未来”のウソ。私は感動に打ち震える。
O-4 新右翼団体一水会代表、鈴木邦男と会う。
O-5 誰かに会える、共通のムカツキを持っている人と会える。私は自分の居場所を見つけた。私は“サブカル少女”となる。
(11)オナニストの憂鬱
P “雨宮処凛の一日個展と姫処凛ミニ・ライブ”の開催。イベント名は“オナニストの憂鬱”。1996・8・31。参加者7人。
P-2 後半の交流会が盛り上がる。こんな世の中、しらふで生きられない。みんなが自殺未遂話を独白し合う。
P-3 私は一人じゃない。
P-4 でも何から始めていいのかわからない。
(12)オウム信者との出会い
Q サリン事件後、オウムをやめた猪瀬正人氏と加納秀一さんと話した。→結局もうこの社会に私たちをつなぎとめておく力なんてないと、結論。自分が嫌いだし、今の社会も嫌い。
Q-2 世の中を変えたいが、その術(スベ)を知らない。
Q-3 元オウム信者のY君は、尊師(麻原)は、お父さんのようだと言う。(2か月もたたずに、またオウムに戻る。)
《評者の感想》
()アトピー性皮膚炎が、彼女へのいじめを引き起こした。現在、雨宮氏は大丈夫なのだろうか?
()中学生の時のいじめがひどすぎる。「美しい国日本」は美しくない。
()その時のいじめによる症状は、人格の分裂、いわゆる多重人格化の初期に見える。
()「生きててもいいんだ」と自己肯定されることが、どんなに大事かわかる。
()「母の“子供更生マニュアル”で私は結構、更生された」と雨宮氏は率直だと思う。
()人形制作の道が、アトピーのためふさがれたことは、本当に不幸だったと思う。
()「誰かに会える、共通のムカツキを持っている人と会える。私は自分の居場所を見つけた。私は“サブカル少女”となる。」雨宮氏、1996年、21歳。
()そして、「生きる意味・目的と壮大なドラマ」を求めて、雨宮氏は右翼となる。「(13) Let’s右翼」から「(22)維新赤誠塾」まで、雨宮氏の右翼としての奇跡。
第2部 超国家主義『民族の意志』同盟(突撃隊)&パンクバンド「維新赤誠塾」
(13)Let’s右翼
A 見沢知廉(ミサワチレン)氏に誘われ、右翼の集会に参加。
A-2 60-70年代の学生運動がうらやましいと雨宮。
A-3 右翼と左翼の違いはおぼろげにしかわからないが、すごいスピードで惹かれている。
A-4 生きる意味・目的と壮大なドラマが欲しい。
B 超国家主義『民族の意志』同盟(突撃隊):国会議事堂閉鎖、戦後民主主義者殺せ、東京裁判史観打倒。
B-2 委員長の演説:この国には、若者をつなぎとめるだけの価値観が存在しない。時代の閉塞感。腐りきった戦後日本。
B-3 未来に希望を失ってさ迷う魂の死刑囚!
B-4 私は間違っていない。間違っているのは時代の方だ。
C 「フーン?で、大和民族って何?」と私。
(14)初めての街宣
D 御茶ノ水駅前での突撃隊の定期街宣をヒデ君たちと一緒に見る。
D-2 委員長の演説:お前らは、アメリカの家畜だ!自由・民主・平和・平等の金縛り。ボケ平和。物質主義と拝金主義。腐りきった戦後日本。
D-3 私は感動した。神聖な気持ちになった。
D-4 「なんかすごくいい人たちだったね。ためになったね!」と私たち5人。
(15)Let’s世直し
E 世界のからくりが見え始めた。
E-2 出会えるかもしれない:命を賭けるに値するもの、やり場のない憤りのはけ口、普遍的で高尚なもの、自分の魂を少しづつ汚していく日常から脱出させるものに。
F ヒデ君、猪瀬さん、加納さん、ジャス子さんたちと第1回“世直し会議”。
F-2 けだるい日本をぶっつぶせ。世直し一揆で“ええじゃないか”をやる!
F-3 イベント名“平成のええじゃないか・世紀末意識革命前夜”→元オウム信者とか右翼と書いたのでライブハウスが借りられない。
(16)平成のええじゃないか:1997/4/11
G ダミーの企画書で、イベントをやるライブハウスが見つかる。夜はキャバクラで働き、会場費16万円を私が出す。
G-2 世直しや革命を語る私の資格:私は自分を殺そうとする負のパワーを外に向けたい。80人の前で私は5枚の原稿を読んで思いを伝えた。AKIRAさんも、マリスミゼルも、突撃隊も来てくれた。
G-3 ゲストに一水会の鈴木さんが来てくれた。
G-4 反省会で、みんな、喜んだ。主催者は雨宮と元ビジュアル系のヒデ君。
G-4 突撃隊は機関誌を挙げて、ほめてくれた。“戦後民主主義に毒された現代日本”に「否!」と言った。
G-5 しかし“戦後民主主義”って何だろう?
(17)突撃隊入会
H 元オウム信者の猪瀬さんが突撃隊に入会。命を賭けるものを探し続けた。日本の現実は醜く吐き気を催す。日本の伝統に根ざさないヨーガやチベット仏教(オウム真理教)では世直しは出来ない。
H-2 N君:悠久の歴史と伝統を誇る日本の歴史的使命、大ロマンに覚醒せよ!何の意味もなく生き延びるより、この国のため潔く命を捨てる人間になる。
H-3 猪瀬さん:僕は生きる場所を見つけた。元オウムの僕を受け入れる委員長の懐の深さ。
H-4 私も、あんなふうに輝きたい。
I 突撃隊の下部組織“意志の会”に入会。同盟の指示命令には絶対的に服従する。
I-2 突撃隊は、企業の恐喝はしない。私が一番信じるところ。
I-3 研修&維新のための猛勉強:自由・民主主義・平和は、豚のように食べ、自分の事しか考えない一億総白痴の日本人をもたらした。
I-4 靖国神社:神風特攻隊員の遺書を読んで涙が止まらなかった。
I-5 私は自分の使命を見つけた。
J 必死に叫んで街宣しても、女も男も、無関心、一瞥し笑うだけ。
J-2 「最優秀最強民族」、その名にふさわしくない日本人は、一人残らず殺してしまえばいいと私は思った。「死ねー!」と言った私を突撃隊員が羽交い絞めにした。
(18)突撃隊強化合宿:理論武装のため1泊2日
K 委員長に会って、みんな変わった。
K-2 私たちは、この国を変えたいという明確な意思を持つ。毛沢東語録にあるように「若く、貧しく、名もないものだけが、革命家たる資格を持っている。」
K-3 委員長を含め5人しかいなかった突撃隊が、今は10人以上。元自衛官、元ヤンキー、元オウム、ハードコア、元パンクス、元ビジュアル系など。
(19)右翼でさわやかな青春
L 元オウムの猪瀬さんの発案で、突撃隊の軍事訓練。修行に近い。
L-2 最近の私は、体育会系の部活のマネージャーのよう。
L-3 私たちが入って、演説が、政治ネタばかりでなく、みんな好き勝手なことを言う。
L-4 私の命は、天皇陛下と委員長、そして突撃隊と共にある。熱い血が流れている。
(20)“平成のええじゃないか2”:約80名参加
M 突撃隊のほか、在日コリアンのシンガーソングライター、川西杏(キョウ)さんも出演。M-2 “平成のええじゃないか2”は、立場、主義主張、年齢、性別、国籍を問わず、何か世の中に物申したい人に開かれた場所にする。
N 私の出番で叫ぶ!:私は今一つの疑問にぶち当たっている。私は自分の価値を、まるで新興宗教のように、その団体に委ねているんじゃないか?この国を変えるという大義名分のもとに、私は自分の弱さから逃げているだけではないか?
N-2 突撃隊員から「雨宮さんは、立派な維新の志士なんだから、自分の迷いなんかあまり出さないほうがいい」と言われる。
N-3 私は組織の一員だから、個人的な感情をはさんではいけないのに、私は忘れていた。
(21)事件
O 突撃隊も委員長も天皇陛下も、私は、日常の苦しさを紛らわす道具にしている。
O-2 でも私が行く場所は、ほかにない。
O-3 突撃隊の街宣の場所からどかない白人のオルゴール親父を、「白ブタを殺せ!」と突撃隊が襲う。
O-4 血を流し倒れている外人。でも私たちの目的は、外人を殴ったりすることじゃない。私はもしかしたら、日の丸も『君が代』も天皇陛下も、自分を強く見せるための道具として使っているんじゃないかと思った。そんなことを隊員たちと話した。
O-5 猪瀬さんが綱領の問題で悩む:規制緩和やグローバリズムで全体に自由な方向に世界が向かっているとき、民族派でいいのかという問題。→猪瀬さんは突撃隊をやめる。新しい恋愛へ。
O-6 N君も突撃隊をやめる。民族主義にすがり、右翼という看板が嬉しくて粋がっていただけだった。→再びオウムへ。
P 突撃隊を辞めたら私に行く場所はない。恋愛・宗教・資本主義では私は救われない。消費と性の欲望にまみれ堕落した戦後日本。猪瀬さんやN君のことなどもう考えない。
P-2 私だけは、天皇陛下と英霊と共に生きる。
(22)維新赤誠塾
Q 若者に言葉が届く運動のため、「突撃隊がバンドになったようなものをやろう」と私とヒデ君で決める。突撃隊員の横井君も誘う。集会が音楽になったようなパンクバンド!
Q-2 維新への期待と天皇陛下への赤誠を示し、バンド名は維新赤誠塾。
Q-3 維新赤誠塾の第一次決起集会には、鈴木邦男さん、元赤軍派議長の塩見孝也さん、漫画家山田花子のお父さんなどが来る。
Q-4 私は高尚な魂の高ぶりの中で『君が代』を歌い終えた時、「天皇陛下万歳」と叫ぶ。
Q-5 突撃隊に参加しなくなり維新赤誠塾の方が面白くなってきた私とヒデ君が、委員長と対立。→維新赤誠塾第2回ライブには突撃隊は参加せず。
第3部 私は、生まれて初めて自分を好きだとちょっとだけ思った
(23)平和ボケ日本に捧ぐ
R 小林よしのりの漫画『戦争論』を読んで感動した。戦争で亡くなった人への素直な感謝。犬死に呼ばわりする論調にうんざりしていたから。
S 漫画『戦争論』の素晴らしさをイベントで熱弁していたが、平和の上に胡坐をかいての議論や演説はいやだ。私は民族主義にすがりついている。
S-2 「右翼に入ることと自己啓発セミナーに行くこと、いったいどこが違うんだー!」と私は叫んだ。
S-3 平和ボケ:何か生きている実感が得られそうな場所として、運動を選んだだけかもしれない。社会を論じたり否定したりしていないと自分の存在が確かめられない。
T 『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?』という映画の監督土屋さん。終戦記念日に靖国神社を参拝に訪れた人たちに、その質問を繰返す。
T-2 「戦争を知っている人の生の声を聞こうとするだけで、またそれに一生懸命なので、信頼できると思った」と、雨宮氏。
(24)Let’s北朝鮮
A 塩見孝也さん。左翼の人だけど、民族と反米で私たちとつながっている。“日本のレーニン”と言われ赤軍派を作った。1970年に逮捕され、獄中20年。
A-2 「反米の姿勢を学びに行く」と言われ、雨宮氏は北朝鮮に行く。また本で読むだけじゃなく、実際、この目で確かめたい。
A-3 ハイジャックして北朝鮮に渡ったよど号グループのかっこよさに、しびれまくった。彼らと北朝鮮で会える。それぞれが日本人と結婚し、生まれた子どもが20人位いる。
B 北朝鮮では、熱烈な歓迎を受け、よど号グループと彼らの奥さんたちの家族は心地よかった。
B-2 「帰りの飛行機の中で、私は混乱した」と雨宮氏。大がかりに騙されたのか?北朝鮮は、本当にいい国なのか?
B-3 「殺される」「食われる」「人肉市場で売られる」ことはなかった。
B-4 北朝鮮には、個人の薄汚い欲望を垂れ流しにするような資本主義のプロパガンダなんてなかった。「自力更生」「殉死愛国」「自爆精神」「肉弾精神」「全人民武装化」など、誇り高き国家としてのスローガンだけ!
B-5 みんなと常に価値観が共有できたら、私は今より寂しくないだろう。自分が思い切り国家に必要とされたら、私は何も迷うことなんてない。
B-6 私にとって個人主義はしんどいし、資本主義はつらい。私はいつも蹴落とされ、そして自分を支えるものがないことに戸惑ってきた。
B-6 だけど民族は私を裏切らない。日本人だってことだけで私は肯定される。
B-7 また、よど号グループと、彼らの子供たちの素朴で純粋で素直な人格。心が洗われる気がした。主体思想はすごいのかもしれない。
C この話をヒデ君と土屋さん(映画監督)にすると、二人は私の洗脳されやすさに呆れ果てていた。
(25)映画『新しい神様』土屋監督:雨宮処凛主演
D 私の部屋にビデオカメラが常駐。毎日、思ったことなんかを、ビデオカメラに言う。土屋監督が、私の映画を撮る。
D-2 「私は、今の社会が大キライで自分も大キライだった。そのことを、ずっと自分が悪いからだ思っていた。でも突撃隊が悪いのは、社会、戦後民主主義、アメリカと明言してくれた。私は、その言葉に救われた。」
E でも、本当にこの居心地の悪い社会を変えたいとも思ってもいる。
E-2 ライブハウスでマイクを握って「オマエら、今すぐに立ち上がれ!立ち上がらなくてはならない!」って言う時、人に言うっていうより、自分に言い聞かせているのだと思う。
E-3 ビデオカメラの前で、毎日自問自答しながら、ちょっと前進してる気がした。
E-4 わたしは「突撃隊」を辞めた。
E-5 私は、少しだけ、“自由”になってしまった。
E-6 私たちの世代にとって、右や左は二の次。あるのは、この腐った平和への嫌悪感。
E-7 この国の息苦しさ。選挙権をいくら行使しても、自分の一票ではなんも変わらないほど肥大化した間接民主主義と議院内閣制。
E-8 自分で作り上げた幻の祖国という、何か大きくて絶対のものに、帰属したい、すがりたい、繋がりたいという個人的な願望だけがあった。
F 4/26、維新赤報塾第4次ヤルタ・ポツダム体制打倒決起集会の日、私は人に言うのでなく、自分に言い聞かせるって自覚しながら叫ぶと、本当に素直に言葉が出てきた。借り物の言葉でカラ回りするのでなく、初めて自分の言葉で言えた気がした。
G 映画『新しい神様』:一本の映画で、生きている価値もないと思っていた私が肯定された。私は悪あがきしながらも、必死で前に進もうとしていた。
G-2 私は、生まれて初めて自分を好きだとちょっとだけ思った。
(26)Let’sイラク
H 一水会書記長・木村三浩さんに誘われイラクへ。総勢10人。イラク政府の“公賓”。木村氏は、イラク政府と10年来の付き合い。湾岸戦争で、反米を掲げ、イラク支援したのがきっかけ。
H-2 イラクの音楽祭“バビロン・フェスティバル”に日本代表として参加。「イラク万歳!日本万歳!とにかくもう、全部バンザーイ!」と叫ぶ。
H-3 みんな大きな拍手で包んでくれた。
H-4 私は歌いながら泣いた。こんな心の動きにしか、私は正直にならない。私の心を揺さぶるもののためにしか、私は動かない。
H-5 私はもう、イデオロギーでは動かない。自分が見たものしか信じない。自分の心を動かされたことしか、やらない。
H-6 人は、ナントカ主義者になった途端に、間違った方向に行きやすい。
(27)天皇陛下バイバイ
I “天皇陛下御即位10年をお祝いする国民式典”に行く。ここ何年か、私の心の支えであり続けてくれた天皇陛下。3年間追い続け幻。
I-2 5万人集まるが、その能天気ぶり。「いやー、今日は天皇陛下見れてよかったねえ。」「安室ちゃんも見れたしね。」
I-3 みんな、私と同じ気持ちで、支持してると思った。日本の天皇制は、この国と自分の在り方の問題を考えた末に、民族への帰属意識としてそれぞれが求めてやまないものだと思っていた。
I-4 あんな無責任な人たちが支持していた。
I-5 私は、右翼の人が叫ぶ「天皇陛下万歳」の方が好きだ。ビジュアル系ファンの女の子が叫ぶミュージシャンへの声援の方が好きだ。
J 「私はもう、一人で生きていけるだろう。天皇陛下に幻を押しつけなくても、ちゃんと生きていけるだろう。別に本当の自由なんて、怖くない気がする。」
(28)エピローグ:世界の輪郭
K 私は世界がどこにあるのかわからなかった。私だけが世界の仲間外れだと思っていた。
K-2 依存を繰り返し、思い切り遠回りして、今私は世界の輪郭を掴むことができた。
K-3 個人的な欲望と得体の知れない正義感をごちゃ混ぜにした、私の自分探し格安ツアーは、現在も続行中である。(以上、2000年、25歳)
《評者の感想》
()雨宮氏は、右翼を去る。理由は、次の1文で明らかである。「私はもう、一人で生きていけるだろう。天皇陛下に幻を押しつけなくても、ちゃんと生きていけるだろう。別に本当の自由なんて、怖くない気がする。」((23)から(28)参照。)
第4部 最終章:7年後(2007年、文庫版のためのあとがき、32歳)
A 2003年、開戦1か月前、私を含む総勢30人以上が、「人間の盾」となるためバグダッドへ反戦デモに行く。
A-2 帰国後、イラク戦争が勃発。バグダッドで出会った人たちの上に降り注ぐ爆弾の映像を見ながら、何度も自分の無力さをかみしめた。
B 2005年、マイ師匠・見沢知廉さんが8階からダイブして亡くなる。
C この本を読んで、ひきこもりから脱出した若者がいる。
D 7年後の私は、プレカリアート(不安定なプロレタリアート)運動にはまっている。競争原理や経済至上主義に歯向かい「生きさせろ!」と叫ぶ「生存権」運動。現代の百姓一揆!
D-2 敵はグローバリズム、ネオリベラリズム、資本主義。
D-3 こんな無力な自分でも、世界をほんの少しだけ変えられると、錯覚でもいいから思っていたい。
《評者の感想》
()雨宮氏は、①自分を捉える目が、客観的である。②ひどいいじめに耐え、死を選ぼうとしたこともあって、覚悟ができていると思う。③エネルギーがある。④状況の分析力、総合判断力が、すぐれている。
(ⅺ)倫理的に見れば、「社会が要求する法・規則の順守」と、「正しいと思う感情のエネルギー」が衝突した時は、雨宮氏は、後者を優先するようである。