宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

安部悦生『文化と営利』「第4章」(その2)企業の目的(続):⑤株主への高配当&高株価、⑥社会的責任、⑦経営理念!「三方よし」(売手、買手、世間=社会)の理念!

2020-07-30 19:06:41 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第4章 企業の存在理由と企業組織」(51-65頁)(その2)

(1)-2 企業の目的(理念・目標)(経営理念・経営目的・経営目標)(続)!(54-57頁)
(ⅴ)「株主への高配当&高株価」という企業目的!(54頁)
G 現在のアメリカ企業では、「株主への高配当と高株価」を企業目標とする企業が跋扈する。短期的な利益目標。Ex. ]四半期主義。
G-2 1980年代から技術変化・社会変化によって、スピードが重視され、このような企業目標になった。従業員の賃金、企業内福利はなおざり。株主資本主義の弊害だ。
G-3 1970年代までは、企業目標はもっと長期的だった。従業員福祉も重視されていた(かつてのIBM、GM)。

(ⅵ)「社会的責任の重視」という企業目的!(54-55頁)
H 「環境重視」:これまで環境問題はコスト増になるとして無視されることが多かった。最近では、環境重視が企業の声望(corporate reputation)を高める。Ex. グリーン・インベストメント、SDG(持続可能な開発目標)、ESG(環境、社会、統治)
H-2 「法令順守」(compliance):自然人と同じく法人(legal person)も企業市民(corporate citizen)だ。(ア)脱税つまり税法の問題、(イ)独占禁止法、環境保護法、労働保護法、労働法など。
H-3 企業市民として、(ウ)演劇公演や美術展、音楽会など文化芸術活動への支援(メセナ)(Cf. 古代ローマのMaecenasマエケナス)、(エ)スポーツイベントの支援。

(ⅶ)企業の社風としての「経営理念」!(55-56頁)
I 様々な企業目的・目標のどれを重視するかを示し、掲げられた「経営理念」が企業の社風を示す。
I-2 (a)住友:「浮利を追わず」(堅実経営)、(b)三菱:「産業報国」・「処事光明」(ディスクロージャーorトランスペアレンシー)・「立業貿易」(資源の少ない日本における貿易の重要性)、(c)三井:「現金、掛け値なし」(顧客との誠実な関係)、(d)大丸:「先義、後利」(公正誠実な取引)、(e)キッコーマン:「産業魂」(社会の福祉、国家の発展、労使協調主義)、(f)ソニー:「自由闊達で、愉快な理想工場」、(g)ホンダ:「三つの喜び(買う、売る、創る)」消費者、販売者、生産者の「三方よし」の精神、(h)パナソニック:「水道哲学」(水道の水のように低価格で良質なものを大量供給し物の面から貧をなくす)・「七精神」(産業報国、公明正大、和親一致、力量向上、礼節、順応、感謝)、(i)サントリー:「やってみなはれ」(積極精神)、(j)キャノン:「共生」「実力主義」(単なる年功序列と一味違う日本的経営)。

(1)-3 まとめ:「三方よし」(売手、買手、世間=社会)の理念!(56-57頁)
J 企業目的として最も重要なのは近江商人の唱えた「三方よし」(売手、買手、世間=社会)の理念だ。
J-2 類似したものにフォードの理念がある。買手には安くて質の良い車、従業員には同業他社より高い給料、株主には高配当という「三方よし」。
J-3 かくて他者を犠牲にし、会社の利益のみ追求する企業(Ex. ブラック企業、泥棒専門会社、「梁山泊」というパチンコ荒らし)は企業として存在すべきでない。「三方よし」あるいは「ウィンウィン関係」(カスタマー・サティスファクション(CS)を通じて売手と買手の双方がベネフィットを得ること)がないからだ。

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『伊勢物語』(Cf. 在原業平825-880)「第17段 年にまれなる人」:訪れのまれなお方をも待っておりました!私が来たことであなたは美しい桜花となる!

2020-07-29 19:29:59 | Weblog
しばらく訪れてこなかった人が、桜の花の盛りに見に訪れた。その家の女が歌を詠んだ。
「あだなりと名にこそ立てれ桜花年にまれなる人も待ちけり」
A cherry blossam is famous for its unreliability. It has waited for a man, who came to me few times within a year.(移り気ですぐ散ってしまうと評判の桜花ですが、一年のうちに訪れのまれなお方をもこうして待っておりました。)

男が歌を返した。
「今日(ケフ)来ずは明日は雪とぞふりなまし消えずはありとも花と見ましや」
If I did not come to you today, a cherry blossam would fall like snow tomorrow. It would not disappear, but no one would think it as a cherry blossam.(今日来なければ、明日は雪のように降り散ってしまったろう。散った花びらが消えないでいても、誰も桜と見ないでしょう。)

《感想1》妻問(ツマドイ)婚の時代、まれに訪れた男(在原業平)に、女が詠う。「あだなり」は不誠実、浮気で、はかないこと。「『あだなり』と評判の私(桜花)ですが、殊勝にもあなたを待っておりました。」男を少し責めているが、女は嬉しいのだ。
《感想2》男の返しの歌。強気のプレイボーイの歌だ。「桜花は、私が今日来なければきっと明日は雪のように散ってしまったでしょう。本物の雪でないから消えないと思いますが、そんなの花と誰も見ないでしょう。」私が来たことであなたは美しい桜花となる!男は強気だ。強気が彼の魅力だ。

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安部悦生『文化と営利』「第4章」(その1)企業の目的:①利潤追求、②企業の存続or企業の成長、③業界における売り上げシェアor序列、④従業員への配慮&雇用の維持・増大!

2020-07-28 14:10:42 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第4章 企業の存在理由と企業組織」(51-65頁)(その1)

(1)企業の目的(理念・目標)(経営理念・経営目的・経営目標)!(51-54頁)
A 企業は利潤追求という基底的目的(動物で言えば、存続のための食料の確保)をもつ。つまり企業は、利潤追求という目標のための手段合理性を徹底しようとする合理的存在だ。
A-2 だが企業は他の目的・目標も持つ。利潤追求という目的と異なるという意味で、非合理的な理念(目的・目標)も追求する。従業員福祉、消費者満足、株主価値最大化、社会的責任(CSR)など。
B 経営目的・経営目標・経営理念を一応、区別する。(a)経営理念は経営の理想的な形(Ex. 国家社会に貢献する)。(b) 経営目的は最終的な到達目標(Ex. 三方よし)。(c)経営目標は、経営目的より短期的・実際的な目標(Ex. 5年後に売上倍増)。
B-2 ただしこれらの区別は、明快に分けられものでない。
B-3 企業目的(理念・目標)として具体的には以下のような項目があげられる。

(ⅰ) 「利潤追求」(利益、収益性)という企業目的!(52頁)
C 利益追求は、企業存続・企業発展のための必要条件的要素だ。
C-2 ただし利益は課税されるので、納税はそれだけで社会への貢献だ。税を払う企業は本来的に「社会的」企業だ。(Ex. 税をほとんど払わないアマゾンは「社会的」企業でない。)
C-3 利益追求と言っても短期的な利益の追求(Ex. 四半期主義)もあれば、長期的な利益の追求(Ex. 10年単位の利益・収益性)もある。

(ⅱ)「企業の存続」or「企業の成長」という企業目的!(52頁)
D  利益(収益性)(上述(ⅰ))よりむしろ「企業の存続」or「企業の成長」を目的とする企業もある。
D-2 「企業の存続」という目的:冒険的な投資をしない。従来の安定的な事業領域にとどまる。老舗企業。
D-3 「企業の成長」という目的:Ex. 上場企業に対しては、収益性に加え、企業「成長」への株主からの圧力が強い。(株価は収益性の高低だけでなく、「成長」可能性にも影響される。)

(ⅲ)「業界における売り上げシェアor序列」という企業目的!(53頁)
E かつての日本の大企業は「業界における売り上げシェアor序列」を重視した。(高度成長期からバブル期まで。)業界の会合における座席の位置が「売り上げ」(orシェア)で決まる。会長や社長は「利益」より、「売上」を重視し、業界の会合での上座を目指した。
E-2 かくて売上優先、生産量優先、業界シェア優先。
E-3 ただし現在では「シェア」よりも「収益性」が重視されるように変わってきた。

(ⅳ) 「従業員への配慮&雇用の維持・増大」という企業目的!(53-54頁)
F  「従業員への配慮」、「雇用の維持・増大」を重視する企業も多い。
F-2 (ア)解雇や賃金引下げをできるだけしない。(※従業員の忠誠心が高まる。)
F-3 (イ)あるいは多くの従業員を雇用し「社会に貢献する」。Ex. オハイオ州でホンダは最大の雇用企業だが、それは同社の誇りである。
F-4 (ウ)雇用数「増大」は企業の重要な社会貢献だ。失業率「低下」は社会にとってプラスだ。
F-4-2 (ウ)-2 企業が成長し雇用数を「増加」させることは、社内的には、多くの管理職ポストを創りだし、社員のモラールアップにつながる。
F-5 (エ)社会的に見て十分な給与を保証することは、企業の目標の一つでありうる。同業他社より高い給与は、企業の文化をゆとりと誇りあるものにする。
F-5-2 賃金を圧縮し、健康保険など企業内福利を削減し利益を追求する企業もあるが、社会的批判を受けることも多い。(Ex. かつてのウォルマート)

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安部悦生『文化と営利』「第3章」(その6)「自然界と人間界」:「樹木モデル」と「収斂モデル」!「西欧型の民主主義モデル」に収斂する!長期的には経営者企業が優勢となる!

2020-07-26 12:47:55 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第3章 合理性あるいは営利について」(その6)「自然界と人間界」(49-50頁)

(5)自然界と人間界:「樹木モデル」と「収斂モデル」!(49-50頁)
(a)自然界の「樹木モデル」(「種の多様性」)!
X 自然界は「種の多様性」が「種相互の、また生物界全体の安定・繁栄」をもたらす。
《感想5》「生物界全体の安定・繁栄」は価値的目標だ。この目標が実現された状態が「樹木モデル」(「種の多様性」)と呼ばれる。「樹木モデル」は、一方で「生物界全体の安定・繁栄」という価値的目標の内容の定義であるとともに、他方で現実に達成されている事実でもある。(この事実が壊されることを阻止するのが環境保護だ!)
X-2 つまり自然界の安定・繁栄は、「樹木モデル」(branching tree model)において達成される。
X-3 「樹木モデル」は、単細胞生物から始まる植物・動物の「系統樹」だ。

(b)人間界の「収斂モデル」:「西欧型の民主主義モデル」に収斂していく!
Y 人間界は、一方で「多様性」も社会(人間界)の安定・繁栄に貢献するが、他方で「収斂モデル」(convergence model)も存在する。「収斂モデル」では、同一のタイプに収斂することが「社会の安定・繁栄」とされる。
Y-2 人間界の「多様性」モデルとしては、「イスラム民主主義」「中華民主主義」「西欧型民主主義」の併存モデルがある。
Y-3 人間界の「収斂モデル」は、「普遍的人権を基盤にした民主主義モデル」が世界の向かうべき方向とされるモデルだ。安部氏は「長期的には西欧型の民主主義が普遍的な傾向として立ち現れていくと予想される」と述べる。(50頁)
Y-4 ただし「収斂モデル」は、(ア)完全に収斂する前に、別の方向が出て来て、実際には様々なタイプが併存する。(イ)時代ごとの収斂傾向も存在する。
Y-4-2 かくて完全な収斂以前には、様々なモデル・タイプが存在する。(Ex. 市場資本主義、共同体資本主義、国家資本主義)(50頁)(Cf. ドイツと日本は組織重視、共同体重視で「共同体資本主義」だ。英米流の「市場資本主義」と一線を画する。)

《感想5-2》「社会(人間界)の安定・繁栄」は、価値的目標であり、これを否定することは出来ないだろう。
《感想5-2-2》問題は「社会(人間界)の安定・繁栄」をどう定義するかだ。一方に「多様性」モデルがある「イスラム民主主義」「中華民主主義」「西欧型民主主義」「指導者原理」「権力集中制」等々。これらが併存することが「社会(人間界)の安定・繁栄」だと考える。
《感想5-2-3》他方に「収斂モデル」がある。「社会(人間界)の安定・繁栄」とは価値判断的に「西欧型の民主主義モデル」が実現することだと考える。そして同時に事実的にも、「西欧型の民主主義モデル」に収斂していくだろうと見る。「収斂モデル」は価値判断と事実的傾向の両者を含む。
《感想5-2-4》「進化」とは「社会(人間界)の安定・繁栄」の方向に進むことだ。そして安倍氏にとって「普遍的人権を基盤にした民主主義」・「西欧型の民主主義」が「社会(人間界)の安定・繁栄」と等価である。
《感想5-3》安部氏は、経済についても「収斂モデル」をとるが、収斂先は、市場資本主義、共同体資本主義、国家資本主義のいずれか、明瞭でない。あるいは収斂先が、時代とともに変化するのかもしれない。
《感想5-3-2》「①奴隷制、②農奴制、③資本主義という経済制度の発展」(33頁)を安部氏は指摘するが、人間の経済が再び「①奴隷制」や「②農奴制」へもどることもあるのか?だあるいは結局、「③資本主義」に収斂するのか?
《感想5-3-3》なお「③資本主義」経済モデルはすでに出現しているので、新たなプロテスタンティズムはいらない。

(c)ビジネスの世界:長期的には経営者企業が優勢となるだろう!
Z 「ビジネスの世界では、「経営者企業」の方向に長期的・全体的に進化している。」
Z-2 「所有者企業」(同族企業や創業者型企業)がイノベーションの激しい環境では相対的に有利だが、第二世代、第三世代などを考えれば、後退していく。
Z-3 長期的には 俸給経営者(salaried manager)が支配権を持つ「経営者企業」が優勢となるだろう。

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安部悦生『文化と営利』「第3章」(その5)「合理性モデルⅢ」:合理的なビジネス(営利企業)の進化のサイクルは「革新」→「競争」→「固定」→「革新」である!人間界の「革新」の起点は、「意思」である!

2020-07-25 13:00:50 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第3章 合理性あるいは営利について」(その5)「合理性モデルⅢ ビジネスにおける革新と競争」(46-48頁)

(4)合理性モデルⅢ:合理的なビジネス(営利企業=《利害の追求》)の進化のサイクルは「革新」(技術、組織)→「競争」→「固定」→「革新」(技術、組織)である!(46-47頁)
U 人間界において現在では、ビジネス(営利企業=《利害の追求》)が最も重要な経済要素となった。
U-2 ビジネス(営利企業=《利害の追求》)の進化のサイクル:「革新」(技術、組織)(innovation)→「競争」(competition)→「固定」(retention)→「革新」(技術、組織)(innovation)→・・・・
U-3 Cf. 生物界の進化のサイクル:「突然変異」(mutation)→「選択(淘汰)」(selection)→「固定」(retention)→「突然変異」(mutation)→・・・・
U-4  自然界の「突然変異」は遺伝子の「偶然」の突然変異だ。これが「環境」によって選択(淘汰)される。
U-5 人間界の営利企業の「革新」は、「遺伝」における突然変異と同様、時には「偶然」の要素もある。(Ex. ノーベル賞級の発見も偶然の要素がある。)
U-5-2 しかし人間界の営利企業の「革新」の起点は、自然界のように「偶然」でなく、「意思」である。
U-6 「意思」の強さは「能力」(構想力、実行力)と「努力」(継続できる意志力)に依存する。※これは「意思」の強さ=f(能力, 努力)と表記できる。

(4)-2 合理性モデルⅢ(続):合理的なビジネス(営利企業=《利害の追求》)における「革新」①技術レベル!「技術革新」!(47-48頁)
V 「革新」は「技術レベル」(「技術革新」)と「組織レベル」との二つのレベルで可能だ。
V-2 近代社会発展の主要な原動力は「技術革新」だ。
V-3 「技術革新」は、古代ギリシアを濫觴(ランショウ)とし、それがイスラム世界に伝わり、さらにルネサンスを経てヨーロッパに戻り、近代科学として登場する。
V-4  「技術革新」は、18世紀の産業革命以降、加速度的に進歩した。なお「技術革新」は、社会にとって有用なものから害をなすものまである。(※Ex. 原発、核兵器)
V-5  資本主義社会の基礎をなす重要な単位の一つである企業(ビジネス)は、生産性を高めるため、(※つまり営利のための目的合理性を高めるため)、①「技術革新」を先導し、あるいは②大学などにおける理論科学進展の恩恵を受け、「技術革新」を推進してきた。
V-6 「技術革新」こそ、近代社会および近代資本主義発展の最重要ファクターである。

(4)-3 合理性モデルⅢ(続々):合理的なビジネス(営利企業=《利害の追求》)における「革新」②組織レベル(「組織面での革新」)!(ア) 組織(ハードウェア)の改編、(イ) 文化的側面(ソフトウェア)の改善!(48頁)
W 合理的なビジネス(営利企業=《利害の追求》)における「組織面での革新」は二重だ。(ア)「組織(ハードウェア)」の改編による生産性(※営利のための目的合理性)の向上。
W-2 (イ)「非公式組織」と言われる組織構成員の「文化的側面(ソフトウェア)」の改善による生産性の向上も可能だ。人材の質の向上、人間関係の改善等。
W-2-2 最後のソフトウェアと呼ばれる「人材の文化的側面(質の面)」では、経営成果(営利)の観点からの「経営文化」の良し悪しが問題となる。
《参考》経営文化とは、経営の「合理性」と文化の「超合理性」(合理性の次元を超えた領域、Ex. 好き嫌い、嗜好=テイスト、信じる・信じない)の融合である。(35頁)

《感想5》ビジネス(営利企業=《利害の追求》)は「目的合理的」で健全だと著者は言う。資本主義に対し著者は肯定的だ。「価値合理性」はナチズムや共産主義として、この100年間、人間に災厄をもたらしてきたと著者は思う。
《感想5-2》著者は資本主義(営利)の目的合理性に、人間理性の健全さを見る。
《感想5-3》ただしこの資本主義(営利)の合理性は、取引する当事者相互の対等性を前提する。そうでなければ資本主義の目的合理的営利は、暴力的搾取・奴隷化を生み出すゼロサム・ゲームに陥る。
《感想5-4》資本主義(営利)の目的合理性が健全だと言えるのは、《ウィンウィン関係が目標であるという「価値」》、つまり《取引する当事者相互の対等性(Ex. 民主主義、基本的人権の保障、権力分立、法の支配、国民主権、秘密選挙・平等選挙、機会の平等の実質的保障等々)という「価値」》が前提される限りでだ。
《感想5-5》《営利という価値をめざす目的合理性(=手段合理性)》は、《民主主義的価値をめざす目的合理性(Cf. 価値合理性)》と両立して初めて、人間理性の健全さを示すことができる。

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安部悦生『文化と営利』「第3章」(その4)「合理性モデルⅡ」:人間は「意思」を持つ!「意思」は、(a)「感情」、(b)「理念」追求、(c)「利害」追求の3要素から成り立つ!「利害」追求のみが合理的だ!

2020-07-24 18:49:55 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第3章 合理性あるいは営利について」(その4)「合理性モデルⅡ」(44-46頁)

(3)合理性モデルⅡ:人間界が、自然界(※合理性モデルⅠ)と異なる点は、「環境」(※自然淘汰という合理的選択)と「遺伝」(※遺伝子の突然変異)に加えて、人間は「意思」を持つということだ!
P 自然界においては「環境」(※自然淘汰という合理的選択)と「遺伝」(※遺伝子の突然変異)が決定的な影響を及ぼす。
P-2 これに対し人間界が、自然界(※合理性モデルⅠ)と異なる点は、「環境」と「遺伝」に加えて、人間は「意思」を持つということだ。
P-3 「意思」は、意識、認識、判断、記憶、知識、それらの集積・蓄積として、身体的にまた脳科学的に進化する。
《感想1》「動物」も一部は一定程度、「意思」を持つ。(Ex. 鳥類のカラス、哺乳類のチンパンジー、犬、猫。)この限りで「動物」は自然界と人間界の境界にある。
《感想1-2》「動物」には無脊椎動物、脊椎動物がある。無脊椎動物とはホヤ、カニ、昆虫、貝類、イカ、線虫などであり、単細胞の原生動物も含める。無脊椎動物には「意思」はないだろう。
《感想1-3》「植物」は「意思」は持たないだろう。
《感想1-4》 全生物界は「古細菌」、「細菌」、「真核生物」(動物、植物、菌類、原生生物)に3分される。あるいは全生物界は「原核生物」(古細菌、細菌)と「真核生物」(動物、植物、菌類、原生生物)に2分される。

(3)-2 合理性モデルⅡ(続):「意思」は、(a)感情、(b)理念、(c)利害の3要素から成り立つ!「利害」追求としての意思が、「感情」、「理念追求」と異なり合理的だ!
P-4 人間界では、自然界における遺伝子に加えて、「意思」における文化遺伝子(ミーム、“meme”=記憶による知識の集積・蓄積)が、文明や・知的活動の素となる。
P-5 「意思」は、判断力、嗜好、好悪、知識、情報などの総体に関わる。
P-6 「意思」は、(a)「感情」、(b)「理念」(の追求)、(c)「利害」(の追求)の3要素から成り立つ。

(a)「感情」(としての意思)!(非合理的かつ短期的!)
Q 「感情」は非合理的、短期的、また時に抑えることがベターである。
《感想2》だが実は、(a)「感情」は広義には、「理念」、「利害」の基礎である。
《感想2-2》(b)「理念」の肯定性を支えるのは感情である。
《感想2-3》(c)「利害」を支えるのは、カネへの崇拝、財貨への崇拝であり、それらは物神崇拝と言うべき強固な肯定感情だ。
《感想2-4》これら「理念」・「利害」を支える「感情」は、(b)「理念」に関しては「非合理的」感情、(c)「利害」に関しては「合理的」感情と言われる。
Q-2 「感情」は審美的分野、すなわち芸術などにおいて重要である。
Q-3 「感情」は人間のリビドー(フロイト、ユング)の根源を構成するものとして重要だ。リビドーは本能のエネルギー、性的衝動、生きて行く上での欠くべからざる原動力だ。(Cf. )

(b)「理念(理想)」追求(としての意思)!(非合理的かつ長期的、ただし「価値合理的」!)
R  「理念(理想)」は非合理的、長期的だ。(Cf. 「感情」は非合理的、短期的だ。)なお「理念」に基づく行動は旧来の用語でいえば「価値合理性」を持つ。
R-2 宗教、政治、思想において「理念(理想)」の追求は、しばしば崇高とされる。
R-3 (a)「感情」が、「考える動物」(人間)の「動物」の部分に相当する。これに対し(b)「理念(理想)」が「考える」に相当する。
R-4 「理念(理想)」は間違った方向に行くこともある。世界4大殺戮は「理念(理想)」の名のもとに行われた。①ヒトラーによるユダヤ人虐殺、②スターリンによるウクライナ富農の餓死、③ポルポトによる「キリング・フィールド、④毛沢東による文化大革命の厖大な死者。
R-5 「利害」追求(としての意思)の方が、穏健で無難ともいえる。
《感想3》世界4大殺戮は①はナチズム(国家社会主義)、②③④は共産主義だ。ともに価値合理的な行動(Ex. クーデター、暴力的革命、指導者原理、プロリタリア独裁、権力集中制)によって、「法の支配」「民主主義的選挙制度」「自由の保障」「権力分立制」を破壊した。

(c) 「利害」追求(としての意思)!(合理的、短期かつ長期的!)
S 「利害(利益)」追求としての意思は、自己の利益を求めて、(短期的または長期的に)合理的である。
S-2 自己の利害(利益)の追求は、ゼロサムゲームのみでなく、ウィンウィンの関係も築ける。
S-3 「利害」追求は、「理念」(※Ex. 実質的平等)の追求より劣っているような印象を与えるが、「AよりBが得」という手段合理性(=手段適合性=目的合理性)の追求であり、「先が読める」という意味では、(a)「感情」としての意思や(b) 「理念(理想)」追求としての意思より健全だ。
S-4 「利害(利益)」追求は、長期的でも短期的でもありうる。また両者が一致することも対立することもある。

(c)-2 「利害」追求としての意思は、(a)「感情」、(b)「理念」追求と異なり合理的だ!
T 政治は、理念や理想を追い求めがちだが、経済は利害追求であり、「ウィンウィンの関係」も築けるし、「手段合理性」(=手段適合性=目的合理性)の追求であり、「先が読める」(※予測可能性)という点で健全だ。従って人間の「進化」(※民主主義的な最大多数の最大幸福、最終的にはすべての人間の幸福の実現に向かって進むこと)にとって有用だ。
《感想4》「利害」追求がゼロサムゲーム(※参加者の得点と失点の総和=サムがゼロになるゲーム)の場合は、弱者は利益ゼロとなる。
《感想4-2》「ウィンウィンの関係」が築けるためには当事者双方が対等な関係でなければならない。一方が権力的・軍事的に強奪・搾取できる場合は、ゼロサムゲームとなり、弱者は「生かさぬように殺さぬように」利用される。
《感想4-3》著者は、「理念」追求は非合理(=価値合理的)で「先が読めない」ので、人間の「進化」にとってマイナスだという。20世紀の、つまりロシア革命(1917年)以後の「世界4大殺戮」を見れば、著者は正しいだろう。
《感想4-4》ただし著者は、「理念」追求(※Ex. 実質的平等の保障、機会の平等の保障=出自による機会の不平等の補正)を否定するわけでなく、「政経分離」を求める。すなわち「理想主義的政治ではなく、現実的政治(real politics)の方が間違いを起こすことが少ない」(46頁)と述べる。

(c)-3 「利害」追求の合理性:著者は「政経分離」を求める!すなわち「理想主義的政治ではなく、現実的政治(real politics)の方が間違いを起こすことが少ない」!
T-2 自然界は、(b)「理念」などなく、(c)「利害の追求(自然淘汰)」が行動の基本だ。(46頁)
T-3 「理念に走ることは、人間界においてさらなる問題を生じがちである。」
T-4 「政経分離、すなわち理想主義的政治ではなく、現実的政治(real politics)の方が間違いを起こすことが少ない。」
T-5 この視点から見るとザ・ボディショップが掲げる「援助ではなく取引を!」(Not Aid But Trade)は刮目すべき重要な標語だ。たんなる「善意の援助」でなく、「対等な取引関係」(fair trade)が生み出す「ウィンウィン(win-win)の関係」、それゆえの「まっとうな利益」(legitimate profit)こそ、合理的な「利害」追求のあるべき姿だ。
《感想4-5》ザ・ボディショップの活動は、(b) 「理念」そのもの、つまり《「対等な取引関係」(fair trade)が生み出す「ウィンウィン(win-win)の関係」》という「理念」そのものの内に、《「手段合理性」(=手段適合性=目的合理性)の追求で「先が読める」(※予測可能性)という点で健全な》(c)「利害」追求を組み込んだ。

《参考1》ザ・ボディショップのホームページ:世界の貧困地域に、経済的自立と自由を。援助ではなく“取引”で、私たちは人々を笑顔にしています。コミュニティトレードは1987年に開始したザ・ボディショップ独自のフェアトレードプログラムです。「援助ではなく取引を!」をモットーに、創業者アニータ・ロディックが貧困を減らすために最も効果的だと信じ、始めた取り組みです
《参考2》ザ・ボディショップの会社案内:ザ・ボディショップは、アニータ・ロディックが「企業には世界を良くする力がある」と確信して、1976年に英国ブライトンで自然派化粧品のお店をオープンするところから始まりました。世界中から選りすぐりの優れた天然原料を配合したスキンケア、ボディケア、フレグランス、メイクアップなどの製品を通じて、人々の生活を心地よくするのはもちろんのこと、自然環境や生物多様性を尊重し、地球上のすべてをより豊かにすることを継続して実践しています。現在世界中に60カ国以上、3000店舗以上を展開しています。また、1987年にはザ・ボディショップは国際的な化粧品ブランドとして世界に先駆けて、原料や雑貨のフェアトレードを開始しました。“援助ではなく取引を!”をコンセプトにした独自のフェアトレードプログラム「コミュニティトレード」です。優れた自然原料を資源として持っていながら、適正な価格での取引や資源活用の機会がないなど、支援を必要としている生産者と継続的な取引を行うことで、経済的、社会的に恵まれない地域コミュニティの自立をサポートしています。

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安部悦生『文化と営利』「第3章」(その3)「合理性モデルⅠ」:遺伝子レベルでの突然変異と「環境」による「合理的選択」(自然選択or淘汰)! 社会ダーウィニズムは否定される!

2020-07-22 14:44:05 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第3章 合理性あるいは営利について」(その3)「合理性モデルⅠ」(42-44頁)

(2)合理性モデルⅠ:遺伝子レベルでの突然変異と「環境」による「合理的選択」(自然選択or淘汰)!自然界における進化プロセス! (42-44頁)
M 現実の世界では、「合理的選択」と「偶然」が基本的な様相を決定する。
M-2 自然界の進化プロセスは、突然変異(mutation)→選択(淘汰)(selection)→固定(retention)→突然変異(mutation)→と進行する。
M-3 突然変異は、「表現型レベルでの突然変異」でなく、「遺伝子レベルでの突然変異」だ。
M-4 環境によく適合する「遺伝子レベルでの突然変異」が生き残り、優勢となる。これが「自然選択」だ。環境に最も適合するものが新しい「種」として進化していく。(※「環境」による「合理的選択」!)
M-5 以上の理解は①ダーウィンの自然選択、②メンデルの遺伝説、および③ド・フリースの突然変異説を総合したもので、「進化の総合説」として現在では最も説得力ある学説だ。

(2)-2 合理性モデルⅠ(続):ハーバート・スペンサーの社会ダーウィニズムは「勝ち組」の能力を「優れた」能力となづけるだけのことだ!「勝ち組・負け組」が生まれる根拠を、個人の《能力》の「優劣」からだけで説明し、《カネ》・《身分》・《教育》・《有利な人的関係(地位)》《出自》)等々から説明することがない!
N 自然界における進化プロセス(「進化の総合説」)を、人間界に適用したのがハーバート・スペンサーの社会ダーウィニズムだ。
N-2 スペンサーは「優勝劣敗」つまり「優れた者のみが生き残る」と述べた。
《感想1》社会ダーウィニズムは(ア)「優勝劣敗の法則にあらがうことは出来ない」と言う。だが社会権の主張が示すように人間には「意思」があり「法則」を阻止することができる。
《感想2》人間界の「法則」は、「法則」といっても「物理法則」のような変更不能なものでなく、「傾向性」にすぎない。また上述のように人間の「意思」で変更可能だ。
《感想3》「優勝劣敗」と言う時の「優れた者」の意味が曖昧だ。①遺伝的に(知的・身体的)能力が高いと言う意味で「優れて」いるのか?
《感想3-2》②社会的環境内で、学習によって得た組織力、指導力、コミュニケーション力、大勢の把握力、人徳等々で「優れて」いるのか?
《感想3-3》③親にカネ・身分・教育・有利な人的関係がありその結果、子が成功する(生き残るで)ので、後付け的にその子は「優れて」いると定義されるのか?
《感想3-4》④そもそも何について「優れて」いるのかがはっきりしない。成功した人の能力が、後付け的に「優れた」能力とされる。要するに、社会ダーウィニズムは成功者(生き残った者)の存在を前提し、成功者の能力を「優れた」能力となづけるだけのことだ。
《感想3-5》社会ダーウィニズムは、世の中には「勝ち組・負け組」があるという事実を指摘する。その上で、「勝ち組・負け組」が生まれる根拠を、個人の《能力》の「優劣」からだけで説明する。親に《カネ》・《身分》・《教育》・《有利な人的関係(地位)》がありその結果、子が成功する(《出自》)等々から説明することがない。

(2)-3 合理性モデルⅠ(続々):自然界における「最適者(the fittest)生存」・「適者(the fitter, the fit)生存」・「中立者(the neutral)生存」・「若干の不適合者(a little unfit)生存」!
O 自然選択(or淘汰)に関して、しばしば「最適者生存」(survival of the fittest)が言われるが、実際には「the fitterの生存」(survival of the fitter)、「the fitの生存」(survival of the fit)、つまり広い意味での「適者生存」が可能だ。
O-2 「中立説」(木村資生モトオ)も有力だ。環境に適合的でなくとも中立的であれば生き残ることができる。「中立者生存」(survival of the neutral)!
O-3 近年、「やや不利説」も有力だ。少々の不適合があっても、自然界で生き残っていくことができる。
O-4 自然界で「最適者生存」「適者生存」だけでなく、「中立者」(「中立説」)、「若干の不適合者」(「やや不利説」)の生存も可能だ。いわんや人間界では、環境への不適合者の存続は大いなる可能性を持つ。スペンサーの議論は否定さるべきだ。

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『伊勢物語』(Cf. 在原業平825-880)「第16段 紀の有常」:妻は、有常の貧窮に前途の希望を失い、尼となって出て行くことになった!

2020-07-21 18:20:08 | Weblog
むかし、紀の有常という人がいた。三代の帝に仕え栄えたが、時移り晩年は暮らしも貧しくなった。「人がらは、心うつくしく、あてはかなることを好みて、こと人にもにず。」(人柄は、心が立派で、品よく優雅なことを好んで、他の人とは違っている。)妻は、貧窮に前途の希望を失い、尼となって出て行くことになった。夫の有常は、愛おしく思ったが、何もしてやれない。親しくしていた友達(業平)に手紙を送り、「わずかなことさえしてやれずに、送り出します」と書き、歌を添えた。

「手を折りてあひ見しことをかぞふれば十(トヲ)といひつつ四つは経にけり」
I count on my fingers. I have lived with my wife for 40 years.(指を折って妻と共に暮らした年月を数えると、40年は経ってしまった。)

友達(業平)はこれを見て、有常に妻向けの夜具など贈り、歌を詠んだ。
「年だにも十とて四つは経にけるをいくたび君をたのみ来ぬらむ」
40 years has passed. Your wife has trusted you for such a long time.(40年が経った。あなたの奥様はそんなに長い間、あなたを信じ続けたのです。)

有常が感謝の歌を返した。
「これやこのあまの羽衣むべしこそ君がみけしとたてまつりけれ」
This is a heavenly splendid robe for a nun. It was worn by the nobleman.(これはなんと天の羽衣ですね。立派なあなたのお召し物と存じ上げます。※「天」と「尼」をかける。)

有常が喜びのあまりもう一首。
「秋やくるつゆやまがふと思ふまであるは涙のふるにぞありける」
Has autumn come? It seems that there are many dewdrops. I shed tears a lot. (秋が来たのだろうか。多くの露があるように見える。私が涙を沢山こぼしたのだ。)

《感想1》紀有常(815-877)は、官位は従四位下・周防権守。清らかでつつましく、礼に明るいとの評判が高かった。(「性ハ清警、儀望アリ。」)(『三代実録』)勅撰歌人で、『古今和歌集』『新古今和歌集』にそれぞれ1首ずつ採録。(『勅撰作者部類』)
《感想2》有常62年の人生のうち、40年共に過ごした妻が、尼になって出て行くとは有常の貧窮が相当だったのだ。妻は、姉が先に尼になっている所へ行った。

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安部悦生『文化と営利』「第3章」(その2):東洋は「美」と「善」は追求したが、「真」は西洋のみが追求した!「認知主義アプローチ」(認知・認識は価値判断に影響される)!

2020-07-21 14:06:51 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第3章 合理性あるいは営利について」(その2)(39-50頁)

(1)-8 「真・善・美」:東洋は「美」と「善」は追求したが、「真」は西洋のみが追求した!「真」を西洋のみが追求したことが、合理性をもととした近代資本主義の発展を可能にした!(39-40頁)
I 「真・善・美」との関係では、合理性は「真」(真実)と関係する。
《感想》事実(真実)の規則性を知ることなしに、目的に適切な手段を見出すことは出来ない。目的合理性=手段合理性=手段適合性。
I-2 「善」は価値判断に関係する。「美」は嗜好・好き嫌いに関係する。
I-3  東洋は「美」と「善」は追求したが、「真」は西洋のみが追求した。(野中郁次郎)
I-3-2 「真」を西洋のみが追求したことが、合理性(ただし形式合理性)をもととした近代資本主義の発展を可能にした。合理性は資本主義と親和的だ。(安部悦生)
《感想》資本主義は、暴力性を前面に出さず、自由な契約関係、利益の合理的計算、事実の合理的予測にもとづき、ウィンウィン関係を通して富を蓄積する。
I-3-3 『論語』は何が「善」かを語り、そのために何をなすべきかを語る。
J 「真」とは「全体の真実」「真実の全体像」である。これには「多面的な角度からアプローチしていく方法」が重要だ。
J-2 「真実全体」は「神のみぞ知る事柄」であり「人間はいつも真実の一部しか知らない」。この意味では「物事の真実、本質を知りえない」という「不可知論」(agnostic)の主張は説得力を持つ。

(1)-9 「認知主義アプローチ」:認知・認識は価値判断に影響される!
K 「真実の全体像」に迫るため「真実」に関する「多面的な角度からアプローチしていく方法」が必要だ。(上述)
K-2 だが認知・認識は、価値判断に影響される。そしてその後の行動に影響する。かくて「認知主義アプローチ」が必要だ。Ex. 「水が半分残っている」時、「水が半分しか残っていない」(as little as a half)と思うか、「まだ水が半分も残っている」(as much as a half)と思うかという認知・認識の差異。
L 「主観主義アプローチ」:「半分しか」「半分も」という(価値判断を含む)認知・認識に注目する「主観主義アプローチ」(=「認知主義アプローチ」)!
L-2 「主観主義」は、極端な場合、「精神主義」に至る。「気合」・「心のもちよう」で全て解決できるとする。Ex. 東条英機は、飛行機は「弾」でなく「精神」で落とすと言った。
L-2 「客観主義アプローチ」:「半分は半分」という客観主義も重要だ。
《感想》認知・認識は価値判断に影響されることに注目するアプローチである「認知主義アプローチ」は、「主観主義」的態度に注意を向ける。
《感想(続)》だが実は「客観主義」的態度も一つの価値判断に基づいている。《感情中立》的であることこそ真理を捕らえうるとの価値判断だ。Cf. ハイデガーは『存在と時間』で「客観主義」は「主観主義」同様、人の《気分》にもとづくと述べる。ここで《気分》とは、存在論的には「心境(情状性)(Befindlichkeit)」、あるいは存在的には「気分(Stimmung)、気持ち(Gestimmtsein)」である!

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安部悦生『文化と営利』「第3章」(その1):①目的or価値合理性、②形式or実質合理性、③全体or部分合理性、④事前or事後合理性、⑤完全or限界合理性、⑥長期or短期合理性!

2020-07-20 15:24:17 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第3章 合理性あるいは営利について」(その1)(35-39頁)

(1)経営文化の基本要素(経営の合理性と文化の超合理性)と認知(35-42頁)
A 経営文化とは、経営の「合理性」と文化の「超合理性」(合理性の次元を超えた領域、Ex. 好き嫌い、嗜好=テイスト、信じる・信じない)の融合である。

(1)-2 合理性の問題①:目的合理性(手段合理性)と価値合理性!「価値合理性」は用語自体が「形容矛盾」だ!(35-36頁)
B 目的合理性とは、目的に照らした場合の手段が適合的か否かという手段適合性である。(Ex. 売り上げ倍増という目的に対する手段の適合性=目的合理性。)
B-2 手段が目的実現にふさわしければ(目的)合理的、ふさわしくない手段は(目的)非合理的。
B-3 手段が、目的と矛盾・緊張関係に陥ることがある。Ex1. 目的のために手段を選ばない。Ex2. 抑圧のない自由な理想国実現のため敵を拷問する。Ex3. 反戦活動のため戦争行為を行う。
B-4 目的とは価値判断を含むので(Ex. 経済成長か福祉か、バターか大砲か)、目的合理性は手段合理性と呼ぶべきだ。
《感想》合理性は、理性的判断だ。価値判断はそもそも理性的でなく、感情・価値の問題だ。つまり合理的でない。
C かくて著者は言う。「価値判断に合理性概念はなじまない。」「価値合理性」は用語自体が「形容矛盾」だ。「『価値合理性』という用語は追放さるべきだ。」
《感想》価値追求的に生きることは、理性的判断(合理的判断)と無縁だ。価値or感情は理性(合理性)を超える。

(1)-3 合理性の問題②:形式合理性(Ex. 契約の自由)と実質合理性(Ex. 低賃金・解雇などの実質合理性の欠如)!(36-37頁)
D 「形式合理性」は、(数学的)論理性であり、普遍的(Ex. 近代的法の抽象的・形式的規定性)で、内容は問わない。
D-2 M.ウェーバーは「形式的なる法の適用」(形式合理性)(Ex. 契約の自由)と「実質的なる正義感」(実質合理性)の矛盾について語る。
《感想》「形式合理性」は(a)論理的一貫性(Ex. 形式合理的な法)あるいは(b)民主主義における形式的自由のことだ。

(1)-4 合理性の問題③:全体合理性(全体最適)と部分合理性(部分最適)!(37頁)
E 全体合理性(全体最適)と部分合理性(部分最適)が一致すれば問題がないが、両者が矛盾・乖離することがる。(アグリゲーション問題!)
E-2 個別・部分にとっては手段合理的であっても、全体にとって手段合理的でない場合がある。Ex, 企業がグローバル化への対応で海外工場を新設するのは部分合理性があるが、日本経済にとっては産業の空洞化(hollowing out)であり全体合理性を持たない! 

(1)-5 合理性の問題④:事前合理性と事後合理性!(or主観的合理性と客観的合理性!)(37-38頁)
F 事前合理性と事後合理性:事前には合理的であったが、実際に起きた結果(事後)が非合理的である場合。
F-3 これは主観的合理性と客観的合理性に近い。合理的と思ってある手段を選択しても(主観的合理性)、結果的に非合理であることがある。(客観的合理性の欠如。)

(1)-6 合理性の問題⑤:完全合理性(情報の完全性を前提したマルクス経済学や近代経済学の「経済人」)と限界合理性(限界づけられた合理性)!(38頁)
G 「人間は主観的には合理的だが、限界を持っている。」(ハーバート・サイモン)
G-2 この「限界づけられた合理性」(bounded rationality)の概念は、情報の完全性を前提したマルクス経済学や近代経済学の「経済人」(完全合理性)の否定だ。
G-3 現実の世界では、当然にも、人間は不完全な情報にもとづいて、選択し行動しなければならない。限界合理性!
G-4 「限界づけられた合理性」(限界合理性)概念は、完全合理性の前提を置く経済理論へのアンチの考え方として意義がある。

(1)-7 合理性の問題⑥:長期合理性と短期合理性!(38-39頁)
H 短期合理性とは数か月、せいぜい数年の期間の合理性。長期とは数年から数十年に及ぶ期間、あるいは数百年の時間にわたる合理性(国家百年の計!)。
H-2 20世紀の70年代までは、長期主義(長期合理性)が優勢だったが、1980年代以降、(a)技術変化のスピードアップ、(b)消費者需要の多様化に煽られて、長期主義から短期主義(短期合理性)への転換が起こった。
H-3 現在では、10年後を見据えた経営戦略の策定(長期合理性)より、極端に言えば、3か月後の収益性を問題にする。(短期合理性)(Ex. アメリカの四半期主義)
H-4 収益性、成果を測る場合、長期合理性と短期合理性の乖離の問題がある。

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