2004-2009年、日本の殺人事件は年1000-1400件台で増加傾向はない。
「LB級施設」は刑期10年以上(平成22より、それまでは刑期8年以上)(Long)で再犯者等重罪の者(B級)を収容する。
著者は2件の殺人で無期懲役。すでに20年弱、刑務所にいる。
Ⅰ ほとんどの殺人犯は反省しない
窃盗を悪いと思わず抵抗されると怒って殺す。自分を棚にあげ被害者を恨む。普段はおとなしい。
強姦はゲーム、娯楽。自分では「病気ですから」と言う。
強盗殺人が死刑か無期懲役のみであることを知らずに犯行。
無期の仮釈放は約30年。
共犯では量刑に差があることが不満。なぜ自分だけが重いのかと恨む。
暴力団員は「チンピラ」「社会のダニ」が7-8割。
長期刑受刑者(8年以上)にとって短期刑受刑者は「ションベン刑」。
罪、悔恨とは程遠く、砂のようにさらさらの心。
窃盗は取られる側の「管理の仕方が悪い」。
犯罪者はエピキュリアン。共に暮らすと真面目な者も再犯受刑者に同化する。
自己の非は絶対に認めない。自分に都合のよい合理化。殺す気はなかったのに被害者の言動で殺した、獄に長くいる自分のほうが被害者。被害者を罵り、自分の行為は評価しない。
殺人一般は悪いとする。自分の殺人は非を認めない。Ex. 自分は金が必要だった、向こうは持っている、くれてもいいだろう、抵抗しなければ殺さなかった。
共感が全くなく、人のために何かすること皆無。
被害者の犯行時の悲惨な状況を楽しげに語る「鬼畜」。
Ⅱ 「悪党の楽園」と化した刑務所
みなしゃあしゃあとして屈託ない。
2006、2007年「監獄法」大改正、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」と改称。その後「法律的根拠は何か」など反抗的態度をとる者が増える。規律の緩和は真面目な者、弱者に負担がかかるだけ。
自分の利益しか考えない&楽のために狡猾にふるまう&物事を都合よく解釈する受刑者。
今の刑務所は楽で苦にならない。
更正:「働く」気持ちにさせるべし。経済的に困れば盗めばよいとしか思わない。条件の良い仕事を求めるので仕事がない。彼らは基本的に怠惰。
働くより窃盗のほうが稼ぎになる。
彼らも老後の生活が恐怖。特に獄死はいやがる。
更正をめざす者は分離する。他の受刑者が嫉妬で引きずり下ろそうとするから。
受刑者は社会にいる間も、犯罪に費やす時間以外は遊んでいる。
刑務所に慣れ、厭う気持ちがない。
出所後のために職業訓練、報奨金のプール、住居として全寮制の工場などはどうか?
Ⅲ 殺人罪の「厳罰化」は正しい:死刑絶対肯定論
判例主義の問題:利得・性欲等を目的としない偶発的殺人は懲役10-13年。
しかし10年はションベン刑。10-15年はあっという間。著者自身、もう20年もたったのかと長く感じない。
殺人を反省しない受刑者がわずか10数年で何事もなかったように刑務所を出て行く。不条理。「人権のインフレ」。
死人に口なしで被告人は、被害者に非があるように陳述する。
殺人の被害者だけでなく遺族の夢・希望・未来も奪われる。
殺人は刑法199条で懲役5年以上でも酌量減軽で3年になることもあり、懲役3年以下なら執行猶予もつく。
Cf. ハムラビ法典の同害報復は、報復の連鎖防止が目的。
被害者は死んで「すでに終わったこと」となり、「10年、15年はあっという間」。反省、改悛、謝罪などない。
獄中で日々笑い暮らす受刑者。刑罰の効果のなさ。
日本には10回以上の再犯者がいる。Cf. アメリカには三振法がある。3度目は窃盗でも無期。
1983年、最高裁「永山基準」は軽い。一人殺人で死刑は稀有。
裁判官の自由心証主義は誤り。恣意的な判決、同種事犯での均衡を失した判決。
一度人を殺すと殺人の心理的抵抗が減る。
Ⅳ 殺人者に反省と改悛を促す方法:不定期刑、執行猶予付き死刑
例えば懲役15年なら懲役15-25年の不定期刑とし、無期懲役なら執行猶予付きの死刑とする(条件を定めそれを満たさない場合は死刑、猶予期間30年)とし、服役中の態度・行動で刑期を調整する。
受刑者に長いレポートを課し反省させる。「目標」を持たせる。
遺族への賠償を法制化する。長い期間にわたって作業報奨金のなかから支払わせる。
仮釈放された者の32.2%は5年以内に刑務所に戻る。職員の前でのみ従順。
刑務所が楽、量刑が軽いので満期出所者の再犯率は55.1%。5回、6回はざら、10回以上もいる。
特別予防として犯罪者の社会からの隔離も必要。
約7万人の受刑者。刑務所職員の不足。工場担当の職員の目を盗み話ばかりしている受刑者がいる。
Ⅴ 無期懲役囚の真実
無期が15年で出れたのは80年代半ばまで。
2007年頃以後は仮釈放まで30-40年。刑務所内で無事故の模範囚で30年がひとつの区切り。
無期囚の唯一の希望は仮釈放。無事故となるため無期囚は有期刑囚の横暴に耐える。
仮釈放後は普通、更生保護施設へ。引き受け手がいないなどのため。更生保護施設には6ヵ月いられる(食費のみ本人負担)。
無期囚は、30年経っても勤労精神なし、経済観念なし、改心も更生もない。被害者、遺族について何も思わない。
自制心、計画性がないので働くことをしない。殺そうとは思わないけど盗むしかないと言う。無期囚は総じて年老いてからの出所なので職業訓練が不可欠。これは社会の安全のためのコスト。
Ⅵ 絶対的終身刑(=仮釈放のない終身刑)創設には反対
過酷な強制労働は長期の拷問に相当し死刑より効果が有ると終身刑導入。1587年オランダの人道主義者コーンハートの提案。
明治中期の北海道開拓期に多くの政治犯が北海道で強制労働。明治14年から20年代。年4000-7000人。凍傷で1割の者手足など切断。2割が寒さで死亡。獄内は一切火の気がない。「暴戻の悪徒が死ねば監獄費支出が減り良い」と金子堅太郎(1885)。
欧米の終身刑の目的は特別予防、つまり凶悪犯の社会からの隔離。
絶対的終身刑では将来の希望がないから反省しない。被害者を一層恨み、弁護人を罵倒し、裁判官・検察官を呪う。普通、自分の非を認めることはない。
死刑囚なら死が目前にあるので反省する者もある。
人権派が死刑廃止の観点から絶対的終身刑を主張するのは誤り。改心と更生を妨げる絶対的終身刑は権的。
絶対的終身刑では囚人は職員の言うことを聞かない。将来がないのに、更生・改心など考える必要ない。一生、塀の中にいるだけで償いは十分。
死刑こそ公正、正義(行為と罰の均衡)、応報である。
死刑の廃止の観点からの絶対的終身刑は偽善である。
Ⅶ 死刑は「人間的な刑罰」である:死刑廃止は誤り
死刑囚は執行まで拘置所で過ごす。
改心し複数の被害者の冥福を祈る仏様のような死刑囚もいる。
「バッタンコ(死刑執行)はおれが殺されることだから、暫くして殺した相手のことを考えるようになった。あれだけ何人も殺ってたら死刑以外ないよな」とAさん。保険金殺人で「当時は一人殺るたびにカネがどさっと入ってきて天下を取ったような気分だった」とのこと。数年を経て執行。
無期囚で反省する者はほとんどいない。1%位。「反省はいりません。体で代償を払ってるから」と言う。
国連総会が1989年に死刑廃止条約(国際人権(自由権)規約第2選択議定書)採択、1991年発効。
被害者の人権、遺族の人権も考慮せよ。
カッとなって殺したというのはウソ。すぐには死なないので、その後、10-20分の殴打中or刃物で刺す間は殺意あり。理由は、顔を見られた、つかまりたくない&怒り・憎悪。
最高裁「永山基準」で二人殺さないと死刑にならない。
昭和40年代前半まで(1970年まで)警察の取調べは暴力的だったが、平成に入ってからは暴力的でないとのこと。
生きたまま被害者をドラム缶に入れ焼き殺して死刑にならない。「公正」でない。国は被害者に代わって加害者に報復するのが正義。社会防衛のためにも必要。
応報としての死刑の必要。被害者の改心とは別。
遺族は、死刑執行で赦しはしないが納得し新しい人生を歩むきっかけとなる。
法律では死刑執行は確定後、6ヵ月以内。
Ⅷ 裁判員裁判:無期懲役囚から裁判員へのアドバイス
① 刑務所は人権がインフレ化し笑い声が絶えない。裁判員は「暗く過酷な刑務所」を考えなくて良い。
② 更生しようと思う者はまれなので、将来の更生の可能性は考えなくて良い。
③ 殺人で判例主義のため「あっという間の15年」の刑では軽すぎる。
④ 不幸な生い立ちでも犯罪者にならない者の方が多い。
⑤ 被害者が死んでいるので、被告人は平気でウソばかりつく。Ex. 被害者は無抵抗だったのに先に攻撃してきたと言う。
⑥ ウソをついても、しかも少しも悪いと思っていない。
⑦ 考えるべきは(A)行為と刑罰の均衡、(B)正義、(C)秩序の維持、(D)被害者・遺族の応報感情に配慮し厳しく処断すること。
⑧ 更生など普通ありえない。大事なのは「更生させ立ち直らせる」との自己満足でなく「犯罪行為の責任を取らせる」こと。
⑨ 加害者が反省するのは当然のこと。死刑になればタリオ(同害報復)で均衡し殺人者は反省の必要がないというのはウソ。相手にはそもそも殺される理由がない。しかも多大な苦痛を受ける。死刑の苦痛は最少のはず。
⑩ 正義・公正を実現するため「死刑」を臆せず、課すべき。法の正義と被害者の人権こそ重要。