宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

北村薫(1949-)「ものがたり」(1993年):「娘」(茜)の渾身の実存的決断が、「侍」(耕三)によって理解された!

2023-06-29 18:04:46 | Weblog
※北村薫(1949-)「ものがたり」(1993年、44歳)『日本文学100年の名作、第8巻、1984-1993』新潮社、2015年、所収
(1)
百合子の妹の茜が大学受験のため耕三と百合子のマンションに来て泊っている。耕三は会社(テレビ局)の仕事が忙しく、すでに1週間たつのに茜と会っていない。茜は18歳。耕三が茜と会うのは、3年前に耕三が、宮城の百合子の実家に婚約の挨拶行った時以来だ。百合子と茜は、九つ違う。
(2)
茜が帰る前日、耕三ははじめて茜と話をした。あれこれ話をして、最後に茜が「お話を考えるのが好きなんです」と耕三に自作の時代劇のストーリーを話し始めた。
(2)-2 ある侍の家に、一人の娘が家出してやって来た。侍の奥さんの妹だ。娘は嫌な相手との祝言を嫌い、自分の顔を切って拒否した。ただしそれは1カ月前のことだった。
(2)-3 それが噂になり、殿様がその娘に興味を持ち、鷹狩の帰りがけに娘の家に寄る。その夜、殿様が娘の部屋に案内される。(娘の家族は「お手がつくなら、それも幸せ」と考えた。)ところが娘は殿様にお手向かいしてしまった。(懐剣でお殿様を刺した。)そして今、侍の家に逃げてきたのだった。
(2)-4 娘は「従うしかない運命」を「刺した」のだ。娘は自分が、「この時のために生きてきたのだ」と悟った。娘は家を飛び出し姉の家に向かった。
(2)-5 姉の家に着いて、姉の夫である侍に「姉に会いに来た」と思われたら、「娘は死んでも死にきれないだろう」と耕三が言った。
(2)-6 茜の唇が、微かに震えた。「それでは侍は――」と茜が言った。
(2)-7 「侍は何も言えないだろう」と耕三が答えた。
(2)-8 茜のきつい顔に、「激しい喜び」が、哀れなほどあからさまに浮かんだ。

《感想1》茜の「お話」の登場人物「娘」は、茜の分身だ。「運命」に反逆するという渾身の決断、「この時のために生きてきたのだ」と思うほどの「娘」(茜)の決断。
《感想2》「お話」の中の「娘」に憑依した茜は、「侍」(耕三)が「姉に会いに来た」と決して言わないと知って、つまり「娘」(茜)の渾身の実存的決断が、「侍」(耕三)によって理解されたと知って、(茜は)「激しい喜び」を示す。

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宮部みゆき(1960-)「神無月」(1993年):毎年、神無月に奇妙な「押し込み」がある!神様のいない神無月に娘は生まれ母親は死んだ!見られては困ることは、神様が留守の神無月にする!

2023-06-27 10:29:48 | Weblog
※宮部みゆき(1960-)「神無月」(1993年、33歳)『日本文学100年の名作、第8巻、1984-1993』新潮社、2015年、所収
(1)
岡っ引き(親分)が黙々と飲んでいたが、ふと「神無月だ。去年の今頃、押し込みがあった」と居酒屋の親父に言った。
(2)
長屋で畳職人の男がひとり、病気の八つの娘のためにお手玉を縫っている。この子を産んで女房は命を落とした。女房の命をもらって来たこの子のために「どんな高価(タカ)い薬も買う」と男は言う。
(3)
「毎年、神無月に奇妙な押し込みがある」と岡っ引きは気づいた。八年前からだ。ところが盗られた金はいつも5両からせいぜい10両。「段取りを決めて、年中行事みたいに、きっちりこなしていく。しかも賊は一人だ。人を殺めることもない。」賊はおそらく「堅気」だ。
(4)
「当たり前の働きで稼ぐ以上の金が要る」とわかった時、男は心を決めた。「他人様に迷惑をかけたくないが、自分の子供の命がかかっているから仕方ない。去年は相手が飛びかかって来たので、刺すしかなかった。本当に危ないところだった」と男は思った。「今年は少し、大きな金を持ち帰ろう。」
(5)
「この先、何年かは危ないことをしないで済むように、賊は、今年は大金を狙うかもしれない」「無理をして危ない真似をするかもしれない」「歯止めがきかなくなり、本当に人を手にかけちまう前に、袖をとらえて引き戻してやらねえと」と岡っ引き(親分)が言った。そして「襲われた家どうしにはつながりはねえ」と言った。
(6)
黒い頭巾を懐(フトコロ)におさめ「おとっちゃんはこれから出かけてくる。夜明けまでには戻ってくる」と男は寝ている娘に話しかけた。「おめえは神無月の月末に生まれた。神様が留守にしちまう月だ。だからお前はこわれものの身体を持って生まれてきた。おっかさんも死んでしまった」と男は言った。
(6)-2
「とっちゃんは神さまに見られては困るようなことをする。だから神様が留守の神無月にするんだ」。
(7)
「賊は狙った家の造りをよく知っているから大工かと思って調べたら、大工に縁のなかった家があった。お得意先に出入りする油売り、魚屋、町医者も考えて調べたが、みな違う」と岡っ引き(親分)が言った。居酒屋の親父が「渡り職人の畳屋じゃないですか?あちこちの家に行きますよ」と言った。岡っ引き(親分)は合点がいった。「有難うよ。間に合うといいがな」とぐいと立ち上がった。
(8)
男、「たたみ職 市蔵」が年に一度のおつとめのため、夜道をいそいでいく。岡っ引きが不思議な押し込みの袖を、少しでも早くとらえるため、夜道をいそいでいく。神様は、出雲の国に去っている。

《感想》おそらくありえないが、あったらいいなと思われる「岡っ引き」像。この小説と違って、現実の「岡っ引き」は普通、権力をかさにきて弱い者にえばり散らす。そして権力にできるだけうまく取り入り生きる。人間社会は無残だ。宮部みゆき氏はユートピアの「岡っ引き」を描く。

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大城立弘(1925-2020)「夏草」(1993年、68歳):「手榴弾」一発で豪快に恐怖から解放されると私は思った!妻が「生きているのよね、私たち」、「死にたくない・・・・・」と言った!

2023-06-24 17:59:59 | Weblog
※大城立弘(1925-2020)「夏草」(1993年、68歳)『日本文学100年の名作、第8巻、1984-1993』新潮社、2015年、所収
(1)
1945年沖縄、米軍の猛攻撃下、私と妻は避難民として南部の海をめざし歩いていた。その一日、屋根の残る豚小屋に潜んでいた。砲弾が降りしきり、土煙を吹きあげる。砲声には耳慣れよほどの至近弾でなければもはや恐怖をよばない。道路には兵隊や民間人の死体がころがっているのをたくさん見てきた。部落じゅうの家が焼けている。
(2)
そこへ一人の痩せ衰えた兵隊がやって来たが、もつれる足取り、頬の肉が削げ落ち、黒ずんだ唇、鉄帽はなく略帽の顎紐が切れて垂れさがっている。その兵隊が前のめりに倒れた。死にかかった兵隊の雑嚢を探ると手榴弾があった。自決用だ。「これを持っていこうな」、私は妻に言った。これがあればいつでも楽に死ねる。
(3)
二週間前まで大きな自然壕に県庁の職員家族として家族四人(私、妻、小学生の娘と息子)が避難していた。だが集団は持ちこたえきれず解散。各自が銃砲撃をくぐって壕を出て行くことになった。数日のうちに娘が砲弾の破片を胸に受け即死。息子が貫通銃創を大腿部に受け、一日悲鳴をあげていたが出血多量で死んだ。
(4)
「餓え死にさせたのでないから」と妻が自分を慰めるように言った。「守るだけは守ってやった」ということだった。「餓死は砲火や銃弾を受けて死ぬことに比べ惨めすぎる」という思い込みが私たちに生まれていた。それからは私と妻は野生の芋や蓬(ヨモギ)のたぐいを手当たり次第に採って食べ、余分は鞄に詰め込んできた。
(5)
食うものが尽きたら、餓死する前に自分で命を絶つと、自分に言いきかせるようになったのはこの二日間だ。そして今や手榴弾をわがものとして確認すると、この上もなく勇気が湧いてきたのだった。
(5)-2
数知れない死骸を見てきた。畑、道路、家の軒下。兵隊と民間人の区別も差別もなかった。銀蠅がたかって、死んでいることを証明していた。銀蠅の群れを見ると、人間がこの上もなく劣等になったという認識を強いられた。ひどく死にたくなる瞬間があった。それは銀蠅を見るときでであった。「ああはなりたくない」という恐怖が、そこから逃げるには「死ぬしかない」と私に思わせた。
(5)-3
また遮蔽物のないときの、頭上からの機銃掃射の恐怖。その恐怖からいつ解放されるのかという思いで疲れた。「手榴弾」一発で豪快にその恐怖から解放されるという思いつきは私にある種の至福の思いを抱かせた。
(6)
私と妻は亀甲墓(カメノコウバカ)の門をはいって行った。墓は萱(カヤ)が繁り放題だった。私たちは腰をおろした。萱が周りを囲ってくれた。私は手榴弾を左手で握りしめ、目の前にかざし、右手の人指し指でピンをさわり「ここを抜くのだ」という仕種を妻にして見せた。私の指がピンにかかった。私は妻と自決するつもりだった。
(6)-2
その時、妻が「ハブ!」と声をふるわせ抱きついて来た。とぐろでも巻いたら、間違いなく襲ってくる。二人で息を殺していた。「こちらが襲う気配を見せなければ安全だ」と聞いたことがある。人間が二人だが、できるだけ一人のように振る舞う。呼吸のリズムを合わせ、呼吸音が聞こえるほど、二人は抱き合った。ハブは悠然とした動きで門を出ていった。
(7)
私たちは魔の襲撃をまぬかれた。私は全身の力を抜き、腕を解こうとした。しかし、妻の身体が離れなかった。二人は「死ぬ前に」と身体を求めあった。手榴弾を妻の頭の横においた。萱の匂いが、やさしく二人の身体を包んでくれた。妻のモンペをぬがせ、私も服をぬいだ。いま「夏草」たちに囲まれ私と妻の身体は、自由の中にあった。「食うこと」と「銃砲弾を避けること」だけを考えてきた身が、忘れていたことを思い出した。私は妻の体内で射精し、妻も同時に呻いた。
(7)-2
満ちたりた汗と息遣い。「わぁ。月がきれいさあ」妻が私の顔を下でよけて叫んだ。不意に草がピュッと鳴った。銃弾だった。私は咄嗟に全身がひきつった。妻が身体を硬くした。
(7)-3
私は頭をめぐらして妻の顔を見た。妻が「生きているのよね、私たち」と言った。わたしたちは抱き合うことで「ともに生きていること」を確かめたかったのだ。「死にたくない・・・・・」妻がさらに言った。「海まで・・・・・行けるだけ行ってみようか」と私が言うと、「そうね」妻がすんなりと答えた。立ち上がりながら「ごめんね・・・・・」妻はひっそりと呟いた。それは死んだ子供たちへの言葉であることを、私は覚った。
(8)
墓の門を出た。「手榴弾を忘れてきた」と私。「もういいんでない」と妻が言った。「そうだな」答えながら私は、子供の死体のひとつをよけて通った。

《参考》大城立弘氏は沖縄県生まれだが、中学卒業後1943年(18歳)上海の東亜同文書院大学に入学、在学中に現地入隊。終戦後、帰国。小説の舞台の1945年沖縄戦を大城立弘氏は経験していない。米軍占領下で琉球政府経済企画課長など務める。日本復帰後は沖縄県沖縄史料編集所所長、また県立博物館館長を務める。

《感想1》この小説は、伝聞あるいは手記等にもとづく虚構である。
《感想2》沖縄戦の限界状況のもとでの、死への欲求と生への欲求が対比され、後者の勝利が宣言される。

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阿川弘之「鮨」(1992年、72歳):浮浪者は「自由人」・「ディオゲネス」・「老荘思想」の体現者?

2023-06-22 13:12:08 | Weblog
※阿川弘之(1920-2015)「鮨」(1992年、72歳)『日本文学100年の名作、第8巻、1984-1993』新潮社、2015年、所収
(1)
A 上野から特急で3時間と少々の町で彼はセミナー(討論会)の講師として参加し、帰りがけに主催者側から折詰の「鮨」をいただいた。彼は討論会終了後の宴席を辞退したからだ。東京帰着後、人と遅めの夕食の約束があった。それなのに折詰の「鮨」をいただいてしまった。彼は考えた。四十何年前の「餓えて苦しくあさましかった時代」の記憶が残っていて、「無駄にしてしまえばいい」(捨ててしまえばいい)とは思わない。
(2)
B ともかく折詰の「鮨」を開くと、おいしそうで「よし、一つだけ。人の好意だ」と彼は一番好物の太巻の海苔巻を手でつまんで口に入れた。だがすぐ彼は後悔した。残りをどうするのか?①「鮨」をこれ以上食うわけには行かない。夕食の約束があり、満腹では先方に無礼だ。②家に持ち帰っても、冷蔵庫の中で滞留し数日後、生ごみとなる、亡くなった老母なら「今にドバチがあたる」と言うだろう。③「貰ったまま」の折包みなら特急の乗務員室に持っていき受け取ってもらうこともできたのに、今はそれも無理だ。④屑物入れに捨てるのは人の心づくしの食物を土足にかけるようなことでやっちゃいかん。
(3)
C その時、彼は此の列車の終着駅は上野駅で、その地下道に浮浪者がたむろしていることを思い出した。こちらに浮浪者を蔑(サゲス)む気持ち恵む気持ちさえ無ければ、食べ残しの「鮨」を渡しても構わないのではないかと、彼は思った。
D だが浮浪者は「自由」を求める「樽の中のディオゲネス」あるいは「老荘思想」の体現者のような存在との意見を、友人の新聞記者から聞いたことがある。
D-2  これら「上野地下道の自由人たち」に食べ残しの「鮨」を渡した場合、いくつかの反応が想定できる。彼は列車の中で想像した。(ア)「貰ってやるからその辺に置いときな」と言われ、浮浪者に見向きもされない。こちらはムッとせず「あいよ」とすぐ立ち去る。(イ)浮浪者が酔っぱらっていて「俺がその鮨食うから、お前も此のチュウ、一杯だけ飲め」と言われるかもしれない。まして断って「飲み残しは飲めないというのかよォ」とからまれたら困る。(ウ)「自由人」・「ディオゲネス」・「老荘思想」の体現者のような浮浪者から「そんな物、要らないよ、俺たちは乞食じゃないんだ」、「馬鹿にしてるのか」と剣突(ケンツク)を食わされる場合もありうる。
(4)
E 列車は上野駅に着いた。地下道には四人の浮浪者がいた。そのうちの一人に声をかけた。彼は手短に事情を話し、「食べ残しだがよかったらこの鮨を食ってくれないか」と言った。すると思いがけないことに浮浪者は立ち上がり、不動の姿勢をとり、一礼し「頂きます。有難うございます」と両手を差し出し「鮨」の袋を受け取った。(この浮浪者は七十歳前後で従軍経験があるのかも知れなかった。)(※阿川弘之氏と同世代!)
E-2 浮浪者の態度は列車の中で彼が想像したどの場面とも全く違っていた。彼は感動した。「通りすがりの男が僅かな食い物をくれたからって、今どき、直立不動の姿勢をとって、有難うございますと両手で受け取る奴が世の中にいるかね。フィリピンで三十年ぶり(1974年)に発見された小野田少尉のようだった」と彼は家で話した。
E-3 一週間後、彼に又、上野を通る用事が出来たので、地下道をたずねたが、当該の浮浪者はもういなかった。

《感想1》浮浪者を「自由人」・「ディオゲネス」・「老荘思想」の体現者とする阿川弘之氏の見方は、誤りだ。浮浪者は「自由人」でない。(※以下は「浮浪者は自由人と思うか?」との質問に対するChatGPTの回答を参考にして要約&大幅補足した!例示はすべて評者の補足!)
(a)「浮浪者が自由人である」との見方は、一部の人々の間で存在するが、一面的で正確でない。(これはChatGPTの「浮浪者の自由」問題についての基本的スタンスだ!)
(a)-2 浮浪者の状況は次のような要素の結果として生じる。
①貧困(Ex. 失業、非正規雇用の雇止め;Ex. 学歴が高くない)、
②住居不安(Ex. アパートを借りる金がない)、
③社会的孤立(Ex. 家族がないor連絡がない;Ex. DVによる家族関係崩壊;Ex.障害年金を家族が使ってしまう;Ex. いじめの被害者;さらにEx. ホームレス同士のいじめ)、
④健康な生活にアクセスする権利を保障され医療的サポートを受ける(Ex. 健康保険)ことができない、
④-2精神的疾患(Ex. 知的障害;Ex. 借金癖;Ex. アルコール中毒;Ex. 賭け事中毒)、
④-3身体的健康問題(Ex. 薬品アレルギーによる失業;Ex. てんかん;Ex. 高齢化による貧困・ホームレス化;Ex. ホームレスであることによる不潔・劣悪な環境・社会的放置が疾病を引き起こす)など。

(b)「自由」とは「選択や意思決定の自律性」である。しかし、浮浪者は社会的・経済的・健康的制約によって「選択や意思決定の自律性」(「自由」)が制限される。また浮浪者は社会的孤立、差別、暴力のリスクなどの問題にも直面する。

(c)このような状況下で浮浪者が「自由」を享受していると主張するのは誤りだ。
(c)-2 浮浪者の問題を解決するには、「社会的なサポート」(包括的な支援や保護の仕組み)が必要だ。それによって彼らが①自立つまり十分な「機会」(Ex. 就労)を獲得し、①-2「貧困」から解放され、①-3基本的なニーズ(Ex. 衣食住)を満たし、②安定した環境(Ex. 住宅)を得て住居不安がなくなり、③「社会的孤立」から救われ、社会的なつながりを持てるようになり、④健康な生活にアクセスする権利を保障されて医療的サポートを受け(Ex. 健康保険)、かくて④-2精神的疾患の治療を受け、また④-3身体的健康問題の解決に向かえる。
(c)-3 このような取り組みつまり「社会的なサポート」によって、言いかえれば「浮浪者が浮浪者でなくなる」ことによってのみ、浮浪者の「自由」(選択や意思決定の自律性)が実現される可能性が高まる。

《感想2》「ChatGPT」の回答に含まれなかったが、「浮浪者」になる原因につては、(ア)「怠惰」こそが最大の要因だ、彼らは「怠け者」だという意見も多い。その上、(イ)彼らは「無能」だから浮浪者になったのだとの意見もある。これらは、この世は「弱肉強食」「優勝劣敗」だという「社会ダーウィニズム」の立場だ。「浮浪者」は「怠惰」で「無能」だとされる。
Cf. 「無能」な人間(or人種・民族・国家)はたとえ「怠惰」でなく、いくら切磋琢磨し「努力」しても「優秀」な人間(or人種・民族・国家)に勝てないと「社会ダーウィニズム」は主張する。。
Cf.  貧困者・敗者・奴隷・低学歴・非差別集団所属等は、「怠惰」かつ「無能」の結果だと「社会ダーウィニズム」は主張する。
Cf. 「怠惰」かつ「無能」の結果でなく、「親ガチャ」が貧困者・敗者・奴隷・低学歴・非差別集団所属等の原因のひとつだとの見方もある。(Ex. 奴隷制社会の奴隷、封建制社会の下級武士・農奴・農民、資本制社会の貧困者。)「親ガチャ」とは子供が親を選べないことをガチャに例えたコトバ。①生まれもった容姿や能力(親からの遺伝)、②家庭環境(親の経済力・社会的地位)によって人生が大きく左右されることだ。
《感想2-2》「社会ダーウィニズム」には「人間同士が助け合う」との見方はない。大乗仏教的「慈悲」の立場とも無縁だ。むき出しの権力支配・暴力支配・金権支配こそ人間社会だと考える。切磋琢磨する「優秀な者」(エリート)たちが権力・暴力・金力を独占し、怠惰で無能な「劣等者」を支配or放置する。これこそが社会の実際の姿だと「社会ダーウィニズム」は主張する。
《感想2-3》「社会ダーウィニズム」はダーウィンの生物進化論を社会現象に適用する。生物学の「生存競争」における「適者生存」の理論を拡大解釈し、社会進化における「自然淘汰」説を唱える。
《感想2-4》「社会ダーウィニズム」はEx. ①利潤追求・経済的成功の正当化や、②「優秀な」人種・民族の支配・征服の合理化(Ex. ナチズムの人種理論)、③「劣等者」を絶滅する優生学,また④強大な国家による支配・制服としての「帝国主義」の思想的正当化の一翼をになった。

《感想3》「無能」と言われ、また「親ガチャ」がアンラッキー(不運)であっても、ともかく生き抜かねばならない。この世が「弱肉強食」「優勝劣敗」であることは事実だが、しかし時に「渡る世間に鬼はない」、「地獄で仏」、「袖すれ合うも他生の縁」、「魚心あれば水心」ということもあり、善いor良い人と出会う可能性もある。
《感想3-2》苛烈な「いじめ」、不幸な「DV」もある。生き抜ければよいが、不幸にも力尽きることもある。

Cf.  阿川弘之の小説『ぽんこつ』(1960)ではハンマーで古い自動車を解体している様子を「ぽん、こつん。ぽん、こつん。」と表現した。これが話題となり「ぽんこつ」は古く故障が多い自動車さらに機械類、ひいては「役に立たない人間」を指すようになった。

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中島らも「白いメリーさん」(1991年、39歳):お友だちもいなくなったし、お母さんもお祖母ちゃんもみんないなくなったから、私、白いメリーさんになるの!

2023-06-21 12:22:43 | Weblog
※中島らも(1952-2004)「白いメリーさん」(「う・わ・さ」)(1991年、39歳)『日本文学100年の名作、第8巻、1984-1993』新潮社、2015年、所収
(1)
A わたしは四十面(ツラ)さげたフリーライター(売文稼業)で、ここ数年は「うわさ」を追っかけてレポートしている。それを雑誌社や大手広告代理店に売る。
B わたしには十五歳の娘由加がいる。由加の母親は9年前に白血病でなくなった。母親を亡くした由加は妻の実家で祖母に育てられた。中学生になる直前にその祖母も亡くなり、以降、私と由加は都内の狭いマンションで父と娘二人きりの生活を続けている。
B-2 由加は亡くなった「妻」の役目(Ex. 酔って帰った私を「まあ、酒臭い」と𠮟る)と、「祖母」に学んだ母性(Ex. 「さあさあ、ちゃんと着替えてあったかくして寝ないと」と私を幼児のようにあやす)と、「子供」としての自分(Ex. 「早く寝なさい」と父親に叱られることを期待する)という三つの役割を懸命に演じていた。
(2)
C ある日、夕飯の時、由加が「白いメリーさん」の噂について話した。
C-2 「白いメリーさん」は五十くらいのおばさんで、全身上から下までまっ白な服を着てる。白い帽子、白い服、白いストッキング、白い靴、髪の毛(たぶんカツラ)もまっ白、顔も白粉(オシロイ)でまっ白。
C-3  「ほんとにいるのよ、そういう人が。うちの学校じゃ、加奈ちゃんのお姉さんが見たって言ってるし、幸子も千恵ちゃんも見たことあるって」と由加が言った。
D 私は「噂とかデマの取材をしている。お父さん、ちょっと調べてみたい」と私は言った。由加は私をにらんだ。「白いメリーさんの話がデマだって言うわけ?」「それじゃ、私の友だちが嘘ついてるってことになるじゃないの」。
D-2 「お前の友だちに会って、白いメリーさんの話をすこし詳しく聞いてみたいだけなんだ」と私。無理矢理、私は由加を説得した。
(3)
E 私は「白いメリーさん」について①池内幸子、②井土(イヅチ)千恵、③立石里奈(加奈ちゃんのお姉さん)とインタビューしテープに録音した。①池内幸子は「白いメリーさん」を見たのは「自分」でなく「私の友だち」ですと証言した。②井土(イヅチ)千恵は「ついその場のノリで見たことがあるって言っちゃった」と証言した。③立石里奈は「見たのはバイト先で一緒に働ている子のお姉さんなんです」と証言した。
(4)
F 私がこんな調査をしたために由加はノイローゼ気味になってしまった。学校から帰ってきても、口をきかずに部屋に閉じこもってしまう。デリケートな年頃の子に、がさつなことをしてしまった。調書を取る刑事のように尋問し、結果的に由加の友だちに「嘘つき」の烙印を押してしまった。由加と、親友だった幸子や知恵や加奈との関係が壊れてしまった。
(5)
G ある日、私は「ずいぶんと荒れた酒を飲んで、したたか酔い」、駅から自分のマンションまでの一本道を歩いていた。前から「白いメリーさん」があるいてきた。まっ白な帽子、白いスーツ、白ストッキングに白いハイヒール、髪(カツラ)もまっ白、顔も白のドーランを全面に塗ったようにまっ白だ。
G-2 その異様な風体の女がゆっくりと歩いてくる。「白いメリーさん」が私の横をゆっくり行き過ぎようとする。だが私は金縛りにあったように立ち尽くした。それは由加だった。
G-3 私は「白いメリーさん」の片腕をつかみ「由加」と言った。「ばかなことをするんじゃない!」
G-4 とたんに由加が静かに泣き始めた。(ア)「嘘つき」になってしまった友人たちとの均衡を取り戻すため、自分自身が「白いメリーさん」を演じたのか?(イ)友人たちを「嘘つき」にしてしまった私への復讐なのか?
(5)-2
H 「白いメリーさんになるの。私、白いメリーさんになるの」由加はしゃくりあげながらそうつぶやいた。「白いメリーさんになるの、私。お友だちもいなくなったし、お母さんもお祖母ちゃんもみんないなくなったから、私、白いメリーさんになるの」
H-2  「ばかを言ってるんじゃない。いいから、人に見られないうちに、早く家へ帰ろう」私はつかんだ由加の腕を引いてマンションの方へ行こうとした。
(5)-3
I 振り向いたとたんに、私は凍りついた。何十人もの白い人影がこちらへと進んでくる。四方を見まわすと、どの方角からも何十人もの白い人影が私たちへ向かって進んできた。白い人影、無数の「白いメリーさん」が私たちから二メートルほどのところで円を描いて立ち止まった。
I-2  その中の一人、八十くらいの白いメリーさんが由加に手をさしのべた。由加は歩み寄り、その手を取った。しわがれた声が聞こえた。「いっしょに行こう。白く白くなろうね」「はい」由加が答えた。
(5)-4
J 「いかん。もどるんだ、由加」私の叫びは声にならなかった。
J-2  次の瞬間、由加を含めてすべての白い人影が消えた。そして、今年初めての雪が降り始めた。

《感想1》由加は「不登校」になるかもしれない。つらいことだが、責任は父親にある。父親と娘由加の「父子家庭」は維持できるだろうか?
《感想1-2》由加は絶望し狂気の一歩手前にいる。「白いメリーさんになるの、私。お友だちもいなくなったし、お母さんもお祖母ちゃんもみんないなくなったから、私、白いメリーさんになるの」
《感想2》由加とかつての「親友3人」(幸子・知恵・加奈)はもとの関係にもどることはないだろう。万一もとにもどるにしても時間がかかるだろう。
《感想3》現実世界から幻想世界への移行が起きる。由加が「白いメリーさん」を演じた所から、父親の幻想だ。
《感想3-2》「白いメリーさんになるの、私。お友だちもいなくなったし、お母さんもお祖母ちゃんもみんないなくなったから、私、白いメリーさんになるの」この由加のつぶやきも父親の幻想だ。
《感想4》無数の白い人影、つまり無数の「白いメリーさん」も父親の幻想だ。
《感想4-2》「いっしょに行こう。白く白くなろうね」とひとりの八十くらいの「白いメリーさん」が誘い、「はい」と由加が答えたのも、父親の幻想だ。
《感想5》「いかん。もどるんだ、由加」と私(父親)が叫んだ時、私の幻想世界が終わる。私は現実世界に戻る。「次の瞬間、由加を含めてすべての白い人影が消えた。そして、今年初めての雪が降り始めた。」
《感想5-2》下世話に言えば、父親(私)は「ひどく酔っぱらっていた」。

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稲垣足穂『一千一秒物語』(その14-2)(69)「喫煙家」煙の輪をとおして見るとお月様は三角だ!(70)「A MOONSHINE」《日常的現実》・《空想》・《狂気》等諸現実の境界が、消失する!

2023-06-18 16:48:35 | Weblog
※稲垣足穂(イナガキタルホ)(1900-1977)『一千一秒物語』(1923、23歳)
(69)「どうして彼は喫煙家になったか?」:彼の関心は最初は「煙の輪をとおして見ると、月は三角に見えるか?」だった!
A  「お月様は三角だ」と云っている青年に向かって、ある少年が「それはどういうわけか」とたずねた。
A-2  青年はシガレットの煙をいっぱい吸い込んで、煙の輪を吐き「こうやって煙の輪をとおして見ると、お月様はまぎれもなく三角なんだ」と云った。
A-3  「青年のロジック」によると、月が三角に見えても見えなくても、そんなことにかかわりなく、「電燈を消した部屋で青い月光に向かって煙の輪を吹きつける」というのは、「月が三角である」のと全く同じことだったのである。
《感想1》「人が電燈を消した部屋で青い月光に向かって煙の輪を吹きつける」(出来事A)は、「月が三角である」(出来事B)と等価である。《出来事A =出来事B》である。
《感想1-2》この「青年のロジック」はとてもフレキシブルだ。例えば《犬が歩いて棒に当る》(出来事C)は、《犬が三角である》(出来事D )と等価である。《出来事C =出来事D》である。「青年」は宇宙のあらゆる《出来事》に彼の自由意志にもとづいて《等価の秩序》を形成できる。「青年」は全能の《神》に等しい。

B 「煙の輪をとおして見ると、お月様は三角なんだ」と教えられた少年は次の日から、煙草の輪を吐く練習を始めた。三カ月たつと少年は銀のシガレットケースを持つ禁煙家となった。
B-2  だが「煙の輪をとおして見ると、月は三角に見えるか?」はもはや「青年」ならびに「わたし」にとって話題にならなくなった。話題は「あれがどうしてタバコをすうようになったか?」だけだった。
B-2-2 「われわれはそんなことにのみ興味を抱くように生まれついた『人間』であるのだから」。
《感想2》「月が三角に見える」かどうかより、「あれ(少年)がどうしてタバコをすうようになったか?」の方に「人間」は関心を持つ。
《感想2-2》つまり「人間」は「人間」に関心を持って生きる。例えば《諺》の大部分は、「人間」が他の多くの人々(「人間」)との関係の内で生きることを示す。
《例1:あ行》「悪事千里を走る」(悪いことは隠してもあっという間に広まる;他の人間たちからの評価の問題)、「あばたもえくぼ」(人を好きになれば欠点が見えなくなる)、「雨降って地固まる」(人間関係の困難;もめごとがあると議論したり互いの本音を理解し合うようになり、かえって落ち着きうまくいく)、「一寸の虫にも五分の魂」(弱者だからといって侮ってはいけない)、「言わぬが花」(他者には秘密にしておいた方がいい)、「魚心あれば水心」(一方が好意をもつと、他方も好意を持つ)、「馬の耳に念仏」(人の言うことを聞く気がない)、「売り言葉に買い言葉」(悪口の応酬)、「老いては子に従え」(親子関係;親も年とったら子どもに任せ従ったほうがよい)、「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」(親が子から教えられる)。
《例2:か行》「飼い犬に手を噛まれる」(人に裏切られる)、「蛙の子は蛙」(平凡な親の平凡な子)、「壁に耳あり障子に目あり」(他人に用心せよ)、「枯れ木も山の賑わい」(その場にいるだけでよい人もいる)、「かわいい子には旅をさせよ」(子どもを鍛えよ)、「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」(先達・先輩・師匠は大切だ)、「雉も鳴かずば撃たれまい」(余計な事を言うと他者から攻撃される)、「昨日の敵は今日の友」(他者との関係は時々に変りフレキシブルだ)、「犬猿の仲」(敵対関係)、「喧嘩両成敗」(喧嘩と公権力による決定の問題)、「紺屋の白袴」(商品生産という経済関係;人のことで忙しくて、自分のことをする隙がない)、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」(敵との戦いにおける戦術;危険を顧みず行動しないと、大きな成果を上げることができない)、「五十歩百歩」(他者との比較;多少の違いがあっても、似たり寄ったりだ)。
《例3:さ行》「先んずれば人を制す」(競争関係)、「去る者は日々に疎し」(行為の相手は死者でなく生者だ)、「触らぬ神に祟りなし」(面倒な・危険な人間に近寄らない)、「三人寄れば文殊の知恵」(人との協力関係が重要)、「親しき仲にも礼儀あり」(味方・仲間間の倫理)、「釈迦に説法」(専門家・プロに対する敬意)、「朱に交われば赤くなる」(良い仲間・友人を持て)、「船頭多くして船山に登る」(リーダー・指示者は一人でよい;ライバル関係)、「袖振り合うも多生の縁」(友人・仲間関係の形成)、
《例4:た行》「他山の石」(他者の失敗・弱点を観察し自分の教訓とする)、「立つ鳥跡を濁さず」(立ち去るときは今までいたところを綺麗にしてから出るべきだ;人間関係への教訓)、「蓼食う虫も好き好き」(世の中には様々な人がいる)、「旅の恥はかき捨て」(旅先では知っている人がいないから、恥ずかしいこともできる)、「旅は道連れ世は情け」(世の中を渡るには互いを思いやる心が大切)、「月夜に釜を抜かれる」(油断すること)、「角を矯(タ)めて牛を殺す」(欠点を直そうと厳しい手段をとり、かえって全体をダメにする、Ex. 組織改革の問題)、「鶴の一声」(複数人の議論の決定のしかた;紛糾した議論が優れた人の一言ですぐに決まる)、「敵に塩を送る」(敵対関係;争っている相手を助ける)、「出る杭は打たれる」(有能or目立つ行動は憎まれ不当な仕打ちを受ける;嫉妬)、「隣の花は赤い」(他人のものはよく見え羨ましい)、「鳶が鷹を生む」(平凡な親から優れた子が生まれる)、「鳶に油揚げをさらわれる」(他者に横取りされる)、「虎の威を借る狐」(他人の権威を利用し威張る人)、「どんぐりの背比べ」(誰もが凡庸だ;他者との比較)。
《例5:な行》「長いものには巻かれろ」(権力・勢力ある者には逆らわない)、「情けは人のためならず」(他者への情けは結局、自分のためになる)、「憎まれっ子世にはばかる」(憎まれ嫌われている人が結局、世の中で大きな顔をしいばっている)、「猫の首に鈴をつける」(権力・勢力を持つ者に意見するのは危険)、「能ある鷹は爪隠す」(他人に権力・声望・能力を誇示しない)、「残り物には福がある」(財物・権限など価値あるものの取り合い;最後に残ったものに意外によい物がある)、「暖簾に腕押し」(手応えのない相手)。
《例6:は行》「破竹の勢い」(向かうところ敵なし)、「歯に衣着せぬ」(思ったままを遠慮せずズバズバと他者に言う)、「人の噂も七十五日」(噂は気になるがやがて忘れられる)、「人の振り見て我が振り直せ」(人のまずいやり方を見て自分のやり方を見直す)、「人を見たら泥棒と思え」(他人への警戒心が大事だ)、「火のないところに煙は立たぬ」(人々の噂になるのは何らかの理由がある)、「武士は食わねど高楊枝」(他人に対し誇り高く痩せ我慢する)、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」(他者への憎悪)、「仏の顔も三度まで」(他者の善意への期待はほどほどにせよ)。
《例7:ま行》「負けるが勝ち」(他者との闘争方針:無駄に争わず、相手に勝ちを譲ることで、結果的に勝つ)、「馬子にも衣装」(他者に対しては外見・衣装が重要)、「ミイラ取りがミイラになる」(人を連れ戻しにor説得に行って、帰ってこないor相手に説得されてしまう)、「無理が通れば道理が引っ込む」(無理つまり理屈に合わないことが世の中で行わると、道理つまり理屈にあったことが行われない;世の中は無茶苦茶だ)、「目の上のたんこぶ」(自分にとって邪魔になる他者)、「餅は餅屋」(下手に自分でやるよりも専門家に任せれば間違いない)、「門前の小僧習わぬ経を読む」(人は周りの環境・人に影響される;「孟母三遷」)。
《例8:や行》「柳に風」(相手の強い言葉や態度を上手に受け流す)、「藪をつついて蛇を出す」(余計なことをしたり言ったりして困ったことになる;「やぶへび」)、「油断大敵」(他人等に用人せよ)。
《例9:ら行》「類は友を呼ぶ」(似た者同士は自然に寄り集まる)、「瑠璃も玻璃も照らせば光る」(優れた人はどこにいても目立つ)。
《例10:わ行》「我が身をつねって人の痛さを知れ」(人への思いやりの大切さ)、「渡る世間に鬼はない」(世の中は鬼のように薄情な人ばかりでなく情け深い人もいる)、「笑う門には福来る」(人はいつもニコニコと愛想よく振る舞えば他者との関係がよくなり幸福になる)。

(70)「A MOONSHINE」:《日常的現実》・《妄想》・《空想》・《狂気》・《幻覚》・《虚構》・《冗談》の境界が、「ムーンシャイン」のもとで消失する!
A 竹竿の先に針金の環を取りつけ、その竿の先にひッかけて「三日月」を取ったと、「A」 が「ぼく」に云った。
《感想1》 竹竿の先に取りつけた針金の環にひっかけて「三日月」を取ることなど《日常的現実》の内ではできない。この話は「A」and「ぼく」(and稲垣足穂氏)の《妄想》or《空想》or《狂気》or《幻覚》or《虚構》or《冗談》だ。
A-2 さあ取れた取れたと云いながら、「A」は三日月をつまみかけたが、熱ツツと床の上へ落としてしまった。
A-3 そこで「A」はサイダーを入れたコップの中に、お月様を入れることにした。「そんなことをしたらお月様は死んでしまうよ」と「ぼく」は云ったが、「A 」は「なあに構うものか」と鉛筆で三日月を挟んで、コップの中へほうり込んだ。
A-4 するとへんな紫色の煙がモヤモヤと立ち昇った。「A」も「ぼく」もその煙を吸って二人とも気が遠くなった。
B  「ぼく」が気がつくと時計はもう十二時を廻っている。それにおどろいたのは三日月がやはり窓のむこうで揺れていたことだ。
B-2  そしてテーブルの上のコップの中には何もなくなっている。只サイダーが少し黄いろくなっていた。
B-3  「A」はコップを電燈の下ですかしながら見つめていたが、やにわにその残りの「サイダー」をグーと飲んじまった。

C 「きみ、それからだよAがあんなぐあいになっちまったのはね」と「ぼく」は云った。
《感想2》 ここで場面が《妄想》or《空想》or《狂気》or《幻覚》or《虚構》or《冗談》から、《日常的現実》の内へと転換する。それ以前は、すべて「A」and「ぼく」の《妄想》・・・・だ。
《感想2-2》  だが《妄想》・・・・の中で飲んだ「サイダー」は、《妄想》・・・・の世界に属すのか、《日常的現実》の世界に属すのか?

D ぼくは、いくら考えても判らないからS氏のとこへ行って話した。
D-2  デスクの前でS氏はホウホウと云って聞いていたが、「その晩お月様は照っていたかい」と質問した。「ぼく」は「そりゃすてきな月夜でした」と云うと、S氏はシガーの煙を輪に吐いて「ムーンシャインさ!」て笑いだしたのさ。
《感想3》 「ムーンシャイン」によって《日常的現実》と《妄想》・・・・の世界が境界を失う。つまり《妄想》・・・・の中で飲んだサイダーは同時に《日常的現実》のサイダーでもある。《日常的現実》・《妄想》・《空想》・《狂気》・《幻覚》・《虚構》・《冗談》の境界が、「ムーンシャイン」のもとで消失する。

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稲垣足穂『一千一秒物語』(その14)(66)「お月様が三角になった話」、(67)「星と無頼漢」、(68)「はたしてビールびんの中に箒星がはいっていたか?」

2023-06-17 19:48:59 | Weblog
※稲垣足穂(イナガキタルホ)(1900-1977)『一千一秒物語』(1923、23歳)
(66)「お月様が三角になった話」:「三角形のお月様」が照り、「自分ら」が「三角形」になる!
A ある夜、友だちと3人歩いていると、「三角形のお月様」が照っていた。いつのまにか「自分ら」も「三角形」になって、お月様と「重なって」しまった……こんな話を「自分」が少年に聞きかせた。
《感想》①「お月様」がなぜ「三角形」なのか?丸くないのか?②「自分ら」がどのようにして「三角形」になるのか?③「三角形」のお月様と「三角形」の自分らが「重なって」しまったとは、幾何学的に相似or合同という意味か?
B 「うそだと思うなら証明しよう」と「自分」は引き出しからボールを取り出し、「このボールは実はお月様が化けている」と云った。そのボールをころがすと、机の表面に微(カス)かなキズがならんでできた。「これはお月様が三角形であるためだ」と「自分」は云った。
B-2  少年と物理の先生とがつれだって「自分」の所へやってきた。「三角形のコマ」がブーンと廻れば「円い」。「三角形のお月様」の場合も同じだ。そのように「自分」は説明した。
C  物理の先生は無口になり、毎夜、「お月様」をにらんでいる。するとその夜毎(ヨゴト)夜毎に「お月様」がだんだん「三角形」になって行った。
《感想》「三角形のお月様」が照り、「自分ら」が「三角形」になるというのは日常的現実においてはありえない。それは稲垣足穂氏の《妄想》or《空想》or《狂気》or《幻覚》or《虚構》or《冗談》だ。
D  実は、以上の話(A~C )は、二人の友だちのうちのひとりが話した内容だ。いま一人は「だってきみ、お月様は円いんじゃないか」と云った。ところが話をした友だちが「だからこのことを聞かせているんだよ」と云った。
D-2  二人の友だちが遅くなって別れた時、スレートの屋根の上に「三角形のお月様」が照っていたというからよけいにこの話は不思議になる。

(67)「星と無頼漢」:「妄想」は《主観的現実》を変えるが、他者とともに住み共有される《日常的現実》(or《客観的現実》or《間主観的現実》)を変えることはない!
A ある夜、街かどのバーに無頼漢どもが集まっていた。宴たけなわであった時、「この集まりの中に星が一つ化けてまじっている」とこっそり隣りの者に告げた男があった。そのことが次から次へと耳打ちされた。坐は急に白け、無頼漢どもはだれが「星」であるか他の者を疑い出した。「あいつだ!」と一人が寄ってたかってぶん殴られ表へほうり出された。
A-2  「いまのは間違いらしい」と今度は別の者が表へほうり出された。
A-3  「いや、まだ星が残っている気がするぞ」ということになって、また別の者が表へほうり出された。
A-4  こうして二十人ばかりの人数がだんだんとへって、最後に二人が格闘の末、一人が一人を表へ蹴り出してからふらふらと帰って行ったのは真夜中をすぎて、バーの中は椅子もテーブルもめちゃくちゃに壊されていた。
《感想1》無頼漢仲間は《内集団》のメンバーであり、「星」は《外集団》のメンバーだ。《外集団》のメンバーは《敵》として《内集団》から排除される。Cf. アメリカの社会学者W・G・サムナーによると《内集団》は個人が自らをそれと同一視し所属感を抱いている集団で、《外集団》は「他者」と感じられる集団で、競争心・対立感・敵意が向けられる。
B ところが朝になってみると、バーには少しもそんなさわぎのあとが見えない。
C 気まぐれなバーの主人が「妄想」を起して、そのような気がしたにすぎぬのであった。
《感想2》「妄想」は《主観的現実》を変えるが、他者とともに住み共有される《日常的現実》(or《客観的現実》or《間主観的現実》)を変えることはない。

(68)「はたしてビールびんの中に箒星(ホウキボシ)がはいっていたか?」:「ビールがホーキぼしだ」が真だから、「ビールびん」から(只の)「ビール」が出てきたのは、「ホーキぼし」が出てきたのと等価(同じこと)だ!
A  昨夜おそく「街」を歩いていると青く尾を曳いた「ホーキぼし」が歩いてやってきてぼくに「タバコ」を一本くれた。ところが火がつかない。そのタバコは石筆だった。
《感想1》①なぜ「ホーキぼし」が空でなく「街」を歩いているのか?②なぜ「ホーキぼし」はぼくに「タバコ」をくれたのか?③なぜ「ホーキぼし」はタバコと思わせながら「石筆」をくれたのか?Cf . 「石筆」は蝋石 (ロウセキ) を加工し鉛筆状にしたもの。石盤に書くのに用いる。
B 「こりゃ一杯くわされた」と思ってふりむくと「ホーキぼし」の奴があわててそこに転がっていた「ビールびん」の中へかくれた。「ぼく」はそーと近づいて、そしてかたくコルクをつめて持って帰ってきた。
B-2 こう云って「その人」は「ビールびん」を差し出した。
《感想2》「ホーキぼし」が中へかくれた「ビールびん」を持って帰ってきたのは、「その人」であって「自分」ではない。
C 「自分」は「本当ですか」とたずねた。「その人」はコルクを抜き、コップの中へびんを傾けたが、注がれたのは「ビール」だった。「ホーキぼしは?」と「自分」はたずねた。「ホーキぼしはこれじゃないか」と「その人」は云って、ニコニコしながら一息に飲んでしまった。
C-2  「ビールがホーキぼしだ」とはどんな意味だろうかと「自分」は考え出した。
《感想3》 昨夜おそく「街」を歩いていたのは「ホーキぼし」で、その「ホーキぼし」が「ビールびん」の中へ隠れたのなら、「ビールびん」からは当然「ホーキぼし」が出るはずだ。
《感想3-2》ところがいま注がれたのはどうみても「自分」には「ビール」だ。ところが「その人」は、「自分」には「ビール」に見えるものが「ホーキぼし」だと云う。「ホーキぼし」が「ビールびん」の中へ隠れた時に、「ホーキぼし」は「ビール」へとメタモルフォーゼ(独Metamorphose;変化・変身)した。今や「ビールがホーキぼしだ」。
C-3  「ビールびん」か次の一杯、そのつぎの一ぱいとついで行かれたが、どれも只の「ビール」で「ホーキぼし」なんか少しも出てこなかった。
《感想4》「ビールがホーキぼしだ」が真だから、「ビールびん」から(只の)「ビール」が出てきたのは、「ホーキぼし」が出てきたのと等価(同じこと)だ。

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稲垣足穂『一千一秒物語』(その13)(61)「黒い箱」、(62)「月夜のプロージット」、(63)「赤鉛筆の由来」、(64)「土星が三つ出来た話」、(65)「お月様を食べた話」

2023-06-16 15:38:50 | Weblog
※稲垣足穂(イナガキタルホ)(1900-1977)『一千一秒物語』(1923、23歳)
(61)「黒い箱」:その紳士は「なにもはいっていない」箱を「開けてもらいたい」!
A  ある夜、シャーロック・ホームズ氏の許(モト)へ一人の紳士がとびこんできて「これを開けてもらいたい」と云った。それは黒い頑丈な小箱で、いわくありげな宝石の唐草模様がついていた。ホームズ氏は鍵の輪を出して順々に箱の孔(アナ)にあてていった。いずれも合わなかった。第二の鍵の輪も、第三の鍵の輪もだめであった。だがともかくこの夜の一時半になって小箱のふたがあいた。
B 「なんだ、空っぽじゃありませんか」とシャーロック・ホームズ氏が云った。「そうです、なにもはいっていないのです」と紳士が答えた。
《感想1》箱を「開けてもらいたい」とホームズ氏に頼んだ紳士の意図は何か?①箱は「なにもはいっていない」と紳士は初めから知っているから、箱を「開ける」こと自体が目的だ。②あるいは紳士は、箱を「開ける」ホームズ氏の技量がどの程度か確かめたかったのだ。
《感想2》箱を「開けてもらいたい」と紳士に頼まれたホームズ氏は、箱は「空っぽ」でなく何か大事なものが入っているのだと、勝手に思い込んでいた。ホームズ氏でも「思い込み」に騙される!

(62)「月夜のプロージット」(Prosit=乾杯):《十五夜》に最も「うまくなる」、今晩は「十三夜」だ、「だんだんうまくなる」!
A 時計が十一時を打った時、窓を開け、「青い光」がいっぱい降っているのを見ると「男」が「おいやろうぜ」と身を突き出しながらどなった。すると隣の窓から「OK!」と返事がした。
B 青いバルコニーに円テーブルが持ち出され、「二つの影」がそのまわりに立って、「À votre santé!」(乾杯)と云った。「双方のグラス」には、いつのまにか「水のようなもの」がはいっていた。
B-2 それを一息に呑むと、一方が云った。「だんだんうまくなるじゃないか」。他方が答えた。「そうさ、十三夜だもの」。
《感想1》二人の「男」つまり「二つの影」は、「月」の「青い光」を飲む。「青い光」は「水のようなもの」として「双方のグラス」を満たしている。「月」の「青い光」がより多く「降る」ほどその「水のようなもの」は「うまくなる」。《十五夜》に最も「うまくなる」、今晩は「十三夜」だ、「だんだんうまくなる」!
《感想2》稲垣足穂氏は「月」・「ホーキ星」・「星」(Ex. 土星)、さらに「卵」・「風船」が好きだ。

(63)「赤鉛筆の由来」:「けさ」、「夢」が「日常的現実(事実)」の一部となり、こうして(「昨夜」の)「夢」の「赤いホーキ星」は(「日常的現実」の)「赤いコッピ―エンピツ」となる(推定される)!「日常的現実(事実)」の「物干し場の竿」の同一性を媒介として!
A  「昨夜」、自分は「夢」に「赤いホーキ星」が「物干し場の竿」にひっかかって落ちたのを見た。
B 「けさ」起きてしらべてみると、この「赤いコッピ―エンピツ」が落ちていた。
※「日常的現実(事実)①」:「昨夜」、「夢」のなかで「赤いホーキ星」が「物干し場の竿」にひっかかって落ちた。
※「夢」:「物干し場の竿」にひっかかって「赤いホーキ星」が落ちた。
※「日常的現実(事実)②」「けさ」、「物干し場の竿」の下に「赤いコッピーエンピツ」が落ちていた。
《感想1》「夢」そのものは、「日常的現実(事実)①」の「昨夜」の出来事だが、「昨夜」という規定は含まない。「日常的現実(事実)②」の「けさ」において、「日常的現実(事実)①」の「昨夜」が確認され、「夢」に「昨夜」という規定が与えられる。つまり「夢」が「日常的現実(事実)」の一部に属す出来事となる。(Cf. 「日常的現実(事実)」はひとつで「昨夜」も「けさ」も含む! )
《感想2》こうして「夢」の「赤いホーキ星」は、「日常的現実(事実)」の「物干し場の竿」の同一性を媒介として、(「日常的現実」の)「赤いコッピーエンピツ」となる(推定される)。

(64)「土星が三つ出来た話」:「土星①」・「土星②」・「土星③」!話に「輪」をかけると、その者は「土星」となる!
A  バーへ「土星が飲みにくる」というので、しらべてみたら只の人間であった。その人間がどうして「土星」になったかというと、話に「輪」をかける癖があるからだという。(「土星①」)
B そんなことに「輪」をかけて「土星が来る」なんて云った男の方が「土星」だ(「土星②」)と自分は云った。
C するとそんなつまらない話に「輪」をかけてしゃれたつもりの君こそ「土星」だ(「土星③」)と云われた。
《感想》話に「輪」をかけると、その者は「土星」となる。

(65)「お月様を食べた話」:「毎晩月が出ている」以上、Aが食べたのが「卵か?風船か?月か?」、そんな問題に頭をなやますのは無用だ!
A  ある晩、マロニエの梢から「まん丸いもの」がぶら下がっているので、何かの「卵」らしいとA が口に入れるとこわれて炭酸ガスみたいなもの出た。しばらくすると胸がつかえてきて、口から「白いゴム風船」のようなものが出て「ふわりふわりと昇ってしまった」。
A-2  Aの食べたものが「卵」だったか「ゴム風船」であったか、まだ判っていない。
B Aの友人が、それが「卵」にしてはあまりに丸く、「風船」にしてはあまりに固い。それを「星明り」に見たのに、それが「ふわりふわりと昇ってしまった」あと、Aが帰る折には「月夜」だったのだから、たぶんそれは「月」だときめた。
C ①さて自分は「卵か?風船か?月か?」いずれが本当か決めていない。
C-2  もともと云えば②「それがいつどこで起こった」か、②-2「Aとはどんな人物」か、②-2「その友人のそれがしがだれだか」も知らない。
C-3  その上③「こんな話を何人(ナンビト)から聞いたのか」さえはっきりと憶(オボ)えていない。
D 何故(ナゼ)ならそんな事件があったなかったにかかわりなく、やはり「毎晩月が出ている」以上、そんな問題(①②③)に頭をなやますのは無用なことだから・・・・・・
《感想》「毎晩月が出ている」以上、Aが食べたのが「卵か?風船か?月か?」など、そんな問題(①②③)に頭をなやますのは無用だ!

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稲垣足穂『一千一秒物語』(その12)(56)「真夜中の訪問者」、(57)「月の客人(まろうど)」、(58)「ニュウヨーク」、(59)「酔いからさめた」、(60)「ROC」(ロック鳥)

2023-06-15 15:57:36 | Weblog
※稲垣足穂(イナガキタルホ)(1900-1977)『一千一秒物語』(1923、23歳)
(56)「真夜中の訪問者」:たいへんにいいシガーの香り!
ある夜、一時頃にめがさめて、部屋の扉をあけると、入れ代わりに、スーッと「黒い三角形をした半透明のもの」がはいってきた。ギョッとしたが廊下へとび出し扉に鍵をかけた。庭へ下り外からのぞいたが何者もいない。窓から部屋へはいると「たいへんにいいシガーの香り」が微かに残っていた。
《感想》①「黒い三角形をした半透明のもの」は何らかの妖怪だ。②結局、すぐに消え去ったが、「たいへんにいいシガーの香り」が残っていたから、稲垣足穂氏は「シガー」が好きだ。(Cf. 1 1923年は《喫煙》の時代だが、2023年は《禁煙》の時代だ。)(Cf.2 西インド諸島を制圧したスペイン人が16世紀前半、喫煙の習慣をヨーロッパにもたらした。さらにポルトガル人によって日本などアジアにも伝えられた。)

(57)「ニュウヨークから帰ってきた人の話」:「火星の写真」を撮って「二ドル五十セント」の「罰金」を取られた!
ニュウヨークに住んでいた青年が「火星の写真」を撮って「二ドル五十セント」の「罰金」を取られた。しかし(ア)その写真に「星らしいものはちっとも見えなかった」。(イ)「合衆国法律何条」に依っているか不明だ。また(ウ)その青年が「何の必要があってそんな写真を撮ったか」も判っていない。
《感想》1923年当時、1米ドルは約1円だ。大正時代の小学校教員の給料は月50円程度だった。これが現在20万円とすると、大正時代の1円は現在の4000円程度だ。当時の罰金「二ドル五十セント」は現在の1万円だ。

(58)「月の客人(まろうど)」
A 「月」の冷たい深夜、「1台のセダン」が、人げのない「ホテル」の玄関に止った。タキシードの紳士が「おおぜい」、「まあこんなにはいっていたのか」と思われるくらい自動車の中から出てきて、ホテルの中へはいって行った。玄関からのぞくと(ア)煌々と電燈が照り、(イ)蛇紋石の階段の上を「黒い影」が行き来している。(ウ)「マズルカらしい伴奏につれて人々の舞っている」けはいがする。(エ)サワサワと衣ずれにまじって、(オ)「裂いたような笑声」がぶちまかれる・・・・・・
《感想1》「1台のセダン」の中から出てくる客人は普通、一人か二人なのに、「おおぜい」、「まあこんなにはいていたのか」と思われるくらい自動車の中から出てきたのは不思議だ。
《感想1-2》「裂いたような笑声」とは不気味だ。
B こんな次第が、次の朝ひとりの口によってつたえられた時、「ホテル」の前には黒山のように人々が集まって、この「久しく空家」になっている建物へはいった深夜の「影」について「取沙汰」をした。
《感想2》「ホテル」は「久しく空家」だった。そこに多くの「影」or「黒い影」or「タキシードの紳士」がはいっていって、「マズルカらしい伴奏につれて人々の舞っている」けはいがした。当然、人々は「取沙汰」するだろう。
《感想2-2》「空き家なのに、夜になると声が聞こえてくる」or《騒がしい空き家》の話がしばしばある。Ex. その空き家の敷地が元々は「墓地」だった。あるいはその空家で「人が自殺した」。
C 人々は云った。建物へはいった深夜の「影」はたぶん「夜もすがらあれほど鮮やかに冷たく、すべてのものを照らしていたあの月のまろうどたち」であったろうと。
《感想3》稲垣足穂氏は「月」(ラテン語Luna)が好きだ。「月」は人間を狂気に引き込むとされ、英語の「lunatic(ルナティック)」は狂気を表す。Ex. 満月の光によって狼に変身する《人狼伝説》。
《感想3-2》魔女たちの《サバト》(魔女集会)は満月の日に開催されるとの説がある。Cf. 《黒ミサ》はサタン崇拝者の儀式。
《感想3-3》①ギリシア神話の月の女神は元々《セレーネー》である。《セレーネー》は太陽神ヘーリオス、曙の女神エーオースと兄妹である 。
②ギリシア神話の《アルテミス》は狩猟・貞潔の女神だが(《アルテミス》の双子の弟アポロンが、ヘーリオスと同一視され太陽神とされたので)、後にセレーネーと同一視され月の女神とされた。
さらに②-2また《アルテミス》は、闇・冥府の女神《ヘカテー》と同一視された。(Cf. 月が満ちて欠け新月になる。)
③かくてギリシア神話では月神は《セレーネー》《アルテミス》《ヘカテー》の3つの姿を持つ。
④ローマ神話では、《ルーナ》(月の女神)が(ギリシア神話の)セレーネーと、《ディアーナ》(ダイアナ)(狩猟・貞節の女神)が(ギリシア神話の)アルテミスと同一視された。
⑤月神である(ギリシア神話の)《セレーネー》《アルテミス》、また(ローマ神話の)《ルーナ》《ディアーナ》は一般にあまり区別されない。
⑥ 中世ヨーロッパでは夜間に異教の女神《ディアーナ》に導かれ野獣に乗って騎行する女たち(魔女)の話が伝えられていた。
⑦元素周期表で原子番号52テルル((英 tellurium、独 Tellur)(ローマ神話 の大地の女神 テルース の名に由来する)の真上に位置し、あとから発見された原子番号34セレンは《セレーネー》(月)から命名された。

(59)「どうして酔いからさめたか?」:「自分」が「自分の片手にぶら下がっていた飲みさしのブランディびんの口」から出てきた!
A ある晩、唄をうたいながら歩いていると、井戸へ落ちた。HELP!HELP!と叫ぶと、たれかが綱を下ろしてくれた。
B 自分は(自分の)片手にぶら下がっていた飲みさしのブランディのびんの口から這い出してきた。
《感想1》「どうして酔いからさめたか?」答①「井戸へ落ちた」ため「酔いからさめた」。答②「自分」が「(自分の)片手にぶら下がっていた飲みさしのブランディびんの口」から出てきたので驚いて「酔いからさめた」。
《感想2》「飲みさしのブランディのびん」をぶら下げている「自分A」と、「飲みさしのブランディびんの口」から這い出してきた「自分B 」はどいう関係があるか?
答:「自分B 」は、「自分A」の《ドッペルゲンガー》(二重身)である。ただし「自分B」は「ブランディびんの口」から這い出すことができる小さな一寸法師のような《ドッペルゲンガー》(二重身)である。

(60)「ROC ON A PAVEMENT」(歩道の上の巨鳥ROC)
A 月の青い晩、歩道の上に「緑色の卵」が落ちていた。
B  「口に入れる」とポシャ!とこわれて「黄色い煙」が出た。
《感想1》歩道に落ちていた「緑色の卵」を安易に「口に入れ」るとは無警戒すぎる。「黄色い煙」が出たくらいですんでよかった。(しかしこれは実は中毒症状を起こす危険があった。後述!)
《感想1-2》稲垣足穂氏は「黄色い煙」が好きだ。しばしば語られる。
Cf.  浦島太郎の玉手箱は《白い煙》だ。Cf. 《紫煙》はタバコの煙だ。Cf. 《黒煙》は不完全燃焼の炭素の色だ。Cf. ロケットの酸化剤である赤煙硝酸(セキエンショウサン)の《赤煙》は二酸化窒素の色だ。
Cf. 《黄色い煙》は塩素ガスだ。火災が発生すると《白煙》がゆらゆらと漂い始め、その後《白煙》の勢いが強くなり、徐々に《灰色に近い濃い煙の色》に変わっていく。 その後《黄色い煙》が発生し、最後は色の濃い《黒煙》になる。黒煙になる直前の《黄色い煙》がとても毒性が強い。《黄色い煙》の正体は塩素ガスで 独特な刺激臭があり、吸い込むと体内にやけどを負ったり、肺に液体がたまる中毒症状を起こす。
《感想1-3》「口」の中で「黄色い煙」(塩素ガス)が出たのに、何の被害もなかったのは幸いだ。
《感想1-4》「ROC」(ロック鳥)は象や犀をつかんで運び去るほどの巨大な白い鳥だ。「千夜一夜物語」に登場する。またマルコ・ポーロの「東方見聞録」にも記載がありマダガスカルに棲息していたという。
C  しばらく歩いていると、「腹」の底からグルグルとこみ上げてきたものがある。ゲプッ!と口の中からへんな「ヒヨッ子」がとんで出た。
《感想2》「口」の中で「緑色の卵」は「ポシャ!とこわれ」てしまったのに、「腹」の中で「ヒヨッ子」に孵ったたのが不思議だ。
D 「ヒヨッ子」は見る見る大きくなって、街いっぱいに拡がった。旋風が起って自分は歩道の上に吹き倒された。鳥(ロック鳥)はそのまま舞い上がってしまった。
《感想3》「街いっぱいに拡がった」とは本当にロック鳥は巨大だ。
《感想3-2》メソポタミア神話には巨鳥ズー(アンズー)が登場する。この神(巨鳥)はもともと鷲の形をした巨大な黒い雷雲として想像されていたが、後に雷の轟音のイメージからライオンの頭で描かれた。(Cf. グリフォン:鷲(or鷹)の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ。紀元前3千年紀のイラン神話に鷲獅子という名で登場する。)

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稲垣足穂『一千一秒物語』(その11)(51)「AN INCIDENT」、(52)「A HOLD-UP」、(53)「銀河からの手紙」、(54)「WEDDING 」、(55)「自分によく似た人」

2023-06-14 15:57:36 | Weblog
※稲垣足穂(イナガキタルホ)(1900-1977)『一千一秒物語』(1923、23歳)
(51)「AN INCIDENT AT A STREET-CORNER」(街角での出来事):《テレキネシス》or《念力》(サイコキネシス)!
ある夕方、歩きながら「たあれもいない、妙だな」とひとり言を云うと「それが面白いんだ!」と「はね倒された」。ガス燈の下を「黒い影」が歩いて行って、かどを曲ってしまった。
《感想》①「はね倒された」のは《テレキネシス》or《念力》(サイコキネシス)によるものだろう。②「黒い影」の正体は不明だ。

(52)「A HOLD-UP」(手を挙げろ):「お月様」は同時に「金貨」である!「お月様」は《ドッペルゲンガー(二重身)》化している!
A ある晩、四辻を横切っていると、「お月様」がやにわに自分のわき腹へ「ピストル」をあてがった。
《感想1》「お月様」は人間の背格好だ。なぜこうしたことが起こるのか?《妄想》or《空想》or《狂気》or《幻覚》or《虚構》or《冗談》?
B  手をあげると、「お月様」は「自分」の服のポケットの底から「金貨」を一箇さぐりとって行ってしまった。
《感想2》「お月様」は「ピストル」強盗で「自分」の「金貨」を一箇奪った。
C  その「金貨」は、夕方にデパートの塔の上にくっついていたのを自分が苦心してハギ取ったものである。
《感想3》「金貨」は「自分」の所有物でなく、《占有離脱物》(Ex. 遺失物)を「自分」が横領したものだ。
D  夕景の塔にくッついた「金貨」とはむろん「お月様」であった。
《感想4》①「ピストル」強盗の「お月様」が奪ったのは、「金貨」ではなく「お月様」そのものだった。
②「お月様」が二個に分裂している、「お月様」は一方で「ピストル」強盗の「お月様」であり、同時に他方で「金貨」である。つまり「お月様」は《ドッペルゲンガー(二重身)》化している。(Cf. 「お月様」の《自己像幻視》ではない。他者である「自分」にとっても、「お月様」は同時に「金貨」でもあったからだ。)
②-2 日常的現実においてはあらゆる《同一物》(Ex. 「お月様」、Ex.「自分」)は同時に二箇所(or複数箇所)にいるorあることはできない。

(53)「銀河からの手紙」:「山の頂上に降ります」というのが不思議だ!
A  ある夜、寝ているとピシュッ!と天井をぶちぬいてとび込んだものがある。床の上に「小さな真鍮の砲弾」が落ちていた。取り上げてふたを外すと、巻いた「アートペーパー」がはいっていて「Dear Sir! I’m alighting for the top of a mountain with a scarlet cap on my head. Yours ever, a man in the Milky Way」(拝啓!私は山の頂上に降ります。「赤い帽子」をかぶってます。敬具、天の川の人)と書いてあった。
《感想1》「山の頂上に降ります」というのが不思議だ。普通は「山の頂上」に向けて登る。「上の方から綱が下りてくる」のだろか?《現実》なら例えばヘリコプターから・・・・
《感想1-2》なぜ「小さな真鍮の砲弾」が「自分」の家に打ち込まれたのか、またなぜ「砲弾」の中から「アートペーパー」の手紙が出てきたのか、理由は不明だ。
B すぐにマントーを着て自分は山へ登って行った。「赤い帽子」の人は見つからず、「上の方から綱が下りてくる」けはいもなかった。自分は長い間待っていたが、月の出前に、ガッカリしながら降りて行った。
《感想2》それにしても「a man in the Milky Way」(天の川の人)とは誰だったのか?

(54)「THE WEDDING CEREMONY」:「人形のような花嫁」は「人形」そのものだった!
樅(モミ)の梢(コズエ)に黄いろい月が昇り出すと、「WEDDING CEREMONY」が始まった。銀のベルが鳴って、しゅろの葉かげから、若い公爵と、その「人形のような花嫁」とが現われた。黒衣の人が聖句をよみ上げた。若い公爵が花嫁の手を握った。パチン!花嫁が消えた。しおれた「ゴム風船」が床に落ちた。
《感想》「人形のような花嫁」は、実際、「ゴム風船」の「人形」そのものだった。

(55)「自分によく似た人」:同一の自分が《ここ》にも《そこ》にも同時にいる!
「星と三日月が糸でぶら下がっている晩」、細い道を行くとその突きあたりに「自分によく似た人」が住んでいるという真四角な家があった。近づと「自分の家とそっくり」なのでどうもおかしいと思いながら、二階へ登ってゆくと「背をこちらに向けて本をよんでいる人」があった。「ボンソアール」と大きな声で云うと向うはおどろいて立ち上がってこちらを見た。「その人」とは「自分」自身であった。
《感想1》《ここ》いいる「自分」が同時に、《そこ》にいる「自分」と同一だ。(同一の自分が《ここ》にも《そこ》にも同時にいる。)「自分」が《ドッペルゲンガー(二重身)》化している。
《感想1-2》Cf.  孫悟空の《分身の術》においては、孫悟空が《複数身》化する。
《感想2》「星と三日月が糸でぶら下がっている」からこの出来事は《妄想》or《空想》or《狂気》or《幻覚》or《虚構》or《冗談》だろう。

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