宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

浮世博史『もう一つ上の日本史』⑬『万葉集』では「一般庶民」が歌うが、こういう文化は世界に存在する!⑭「民のかまど」のエピソードは「徳治」をアピールした!

2020-08-31 12:09:18 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年) 「飛鳥時代~平城京」の章(43-66頁)

(13)『万葉集』:「一般庶民」が歌うが、こういう文化は日本だけでなく世界に存在する!(56-58頁)
J 百田尚樹『日本国紀』は、7世紀前半から8世紀半ばまでに詠まれた歌を収録した『万葉集』について、「1300年も前にこれほど豊かな文化を持った国が世界にあったろうか」(52頁)と言う。特に「一般庶民」の「ごく普通の嗜み」として歌が歌われたことを誇る。
J-2 だがこういう文化はもっと昔からたくさん世界に存在していた。(ア)前3500年(今から5500年前)のメソポタミアのシュメール人の職人・商人の言葉が残る。(イ)前3000年(今から5000年前)のエジプト文明では、ピラミッド建設は奴隷の労働でなく、祭りの行事のように建設がなされたと今、わかっている。その時の様子を記した詩や話の記録が残る。(ウ)前5世紀(今から2500年前)の古代ギリシアでは市民レベルの学問も発達していた。
《感想1》世界史の中で、日本が後発であることはあまりに自明。例えば、「倭の五王」の時代(5世紀)はメソポタミアのシュメール人の時代から4000年、エジプト文明から3500年、古代ギリシアから1000年もあとの事だ。
《感想2》今、日本人は「自信を無くしている」。(a)「失われた30年」で経済が低迷して久しい。(b)若者の半数は非正規雇用で子どもを持つのが大変。未来が描けない若者が半数だ。(c)日本が経済援助していた中国が今や世界の大国で核も保有する。かくて「日本人は優れている」という言葉を日本人は聞きたがる。
《感想2-2》Cf. なおそのような信念の物書きは「思いがけず」儲かる。物書きは「売文業」だ。

(14)仁徳天皇の「民のかまど」のエピソード:「徳治」をアピールする必要があった!(59-60頁)
K 仁徳天皇(5世紀)の「民のかまど」のエピソード(民のかまどから煙の上がらないのを見て税を免除し、自らも倹約に努めた)(『日本書紀』巻11)について、百田尚樹『日本国紀』は「当時の為政者に大衆の人気取りをする必要はない。・・・・つまり創作する理由がない」(53-54頁)と述べる。
K-2 しかし『日本書紀』(720年)の完成した奈良時代、日本(大和政権)は中国の律令国家を理想としていた。中国では為政者の「徳治」(仁と徳による政治)を理想とする。『日本書紀』は中国を意識し、天皇の「徳治」を描いた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浮世博史『もう一つ上の日本史』⑪遣唐使以降、朝鮮から「民間交易」で文化・技術がもたらされた!⑫稗田阿礼は、「記憶(暗唱)」していたわけでない!

2020-08-30 17:07:40 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年) 「飛鳥時代~平城京」の章(43-66頁)

(11)「遣唐使以降の文化や技術の輸入には、朝鮮はまったく関与していない」ことはない!新羅との政府レベルの交流が減るが、民間交易で文化・技術が多くもたらされた!(54-55頁)
H 百田尚樹『日本国紀』は「遣唐使以降の文化や技術の輸入には、朝鮮はまったく関与していない」(49頁)と述べる。白村江の戦い(663年)の後、日本と唐の交流が途絶えるが、667年に交流が始まり、「遣唐使」が送られるようになった。 
H-2 朝鮮半島は7世紀に新羅が統一。日本は新羅と使節の往来があったが、7世紀末、天武天皇の頃から日本は新羅を従属国として扱った。また奈良時代には、政権中枢にあった藤原仲麻呂は渤海とともに新羅攻撃を企画した。
H-4 こうして8世紀半ば以降、遣新羅使は格段に減る。しかし新羅の民間商人の往来が盛んになる。政治的外交と民間の通商は別だ。「文化・技術」がこの民間交易で多くもたらされる。
H-5 8世紀末には新羅からの使節が途絶。しかし9世紀前半には新羅商人が多数来航した。

(12)稗田阿礼は『帝紀』『旧辞』(クジ)を記憶(暗唱)していたわけでない!(55-56頁)
I 百田尚樹『日本国紀』は、「稗田阿礼」(ヒエダノアレ)が「『帝紀』『旧辞』などを記憶していた」(51頁)と述べる。
I-2 しかし「記憶」=「暗唱」していた(かつて学校でそう教えられていた)というのは誤り。これは「誦習」(ジュシュウ)という語を、「暗唱」と同義と考えたからだ。だが「誦習」とは「意味をふまえた読み方に精通していた」ということだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浮世博史『もう一つ上の日本史』⑩「任那が日本の影響下・支配下にあった」というのは一定の説得力ある説だが、「百済が日本の支配下にあった」とは言えない!

2020-08-29 14:11:58 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年) 「飛鳥時代~平城京」の章(43-66頁)

(10)「任那(ミマナ)が日本の影響下・支配下にあった」と言えるが、「百済が日本の支配下にあった」とは言えない!(51-52頁)
E 百田尚樹『日本国紀』は「百済が日本の支配下にあった」(47頁)と述べる。しかし「任那(ミマナ)が日本の影響下・支配下にあった」というのは一定の説得力ある説だが、「百済が日本の支配下にあった」とは言えない!  
E-2 3世紀:統一的な国家が日本側にない。九州の小国などが朝鮮半島の南部地域と関わりを持っていた。(Cf. 邪馬台国卑弥呼の死(247-248)。)
E-3 4世紀、「好太王碑文」と『日本書紀』の記述の一致から、ヤマト政権が本格的に朝鮮半島に進出したことは明らかだ。(Cf. 神功皇后が海を越えて新羅と戦う。)(Cf. 日本武尊→仲哀天皇・その妻神功皇后→応神天皇。)(Cf. 5世紀に南朝に遣使した倭の五王、讃・珍・済・興・武のうち讃は15代応神・16代仁徳・17代履中のいずれかだ。)
E-4  4世紀~6世紀朝鮮半島南部の《伽耶諸国=「任那」》に日本が強い影響力を持つ。
E-5 5世紀、倭王武(雄略天皇)は地方豪族を抑えヤマト王権の力を拡大させた。また朝鮮半島にも積極的に進出した。

(10)-2 6世紀半ば過ぎに、新羅が伽耶諸国(任那)を奪う(任那滅亡562年)!日本(倭)の朝鮮半島における拠点が失われ、倭と協力関係にあった百済は不利な状況になる!(53-52頁)
F 6世紀高句麗によって国土の北半分を奪われた百済の要求で日本が任那4県(任那の一部)を割譲する:512年、継体天皇の時。百済は北方の高句麗と東方の新羅から圧迫され、危機に陥っていた。6世紀半ば過ぎには、新羅が伽耶諸国(任那)を奪う:任那滅亡562年。かくて日本(倭)の朝鮮半島における拠点が失われ、倭と協力関係にあった百済は次第に不利な状況になっていく。
F-2 なお北九州の磐井の反乱(527年)は新羅と結んだものだ。
F-3 百田氏は「百済があった地方から日本特有の前方後円墳がいくつも発見されている」(46頁)と述べるが、「百済があった地方」というより「百済に割譲した任那4県があった地方」というべきだと浮世氏が言う。(百田氏は「百済が日本の支配下にあった」と言いたい。)

(10)-3 聖徳太子による新羅遠征計画(600、602年)!(53-54頁)
G 任那滅亡562年で、倭(日本)と協力関係にあった百済は次第に不利な状況になっていく。
G-2 そして友好国百済が滅亡したりすれば、新羅による北九州進出もありうる。日本は新羅遠征・百済防衛に動かざるを得ない。
G-3 かくて聖徳太子による新羅遠征and計画(600、602年)がなされた。Cf. 600年、約1万の軍勢で新羅に併合された任那に出征し勝利するが、倭国の軍が帰国すると新羅は再び任那を占領した。Cf. 602年、新羅遠征のため来目皇子(クメノミコ、聖徳太子の弟)を将軍とする約2万5千人の兵を築紫に集結させるが、来目皇子急死のため中止となる。

(10)-4 白村江の戦い:百済の王族が、百済の復興をめざし倭(日本)に救援を要請した!(54頁)
G-4 百済の滅亡:新羅は「百済に侵犯された領土の回復」を唐に訴え、唐は新羅支援を口実に「百済を討つ」と決定。660年、唐の13万の大軍と新羅の5万の軍に東西から挟撃され、百済は滅亡した。
G-5 白村江の戦い:百済の王族の一人豐璋は倭(日本)に人質としてきていたが、百済の復興をめざし倭に救援を要請した。663年、白村江で唐・新羅の水軍と衝突するが、百済・倭の連合軍が大敗。百済の再興はならなかった。
G-6 白村江の戦いについては、大化の改新の急進的な改革で生じた国内対立を、対外危機・対外遠征をテコに国内統合に向けようとした面もある。(浮世氏)
G-7「植民地だった百済」の回復のため大規模な遠征(Ex. 白村江の戦い)をしたというのは百田氏の根拠のない「新説」だ。「百済が日本の支配下にあった」ことはない!(浮世氏)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部悦生『文化と営利』「あとがき」:《「自由」(機会の平等)は格差を生み、「結果の平等」が損なわれ、結局、「機会の平等」(自由)が失われる》という資本主義のパラドックス!それを「友愛」が緩和する!

2020-08-28 19:52:47 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「あとがき」(367-370頁)

(1)フランシス・フクヤマ(1952-、Ex. 『歴史の終わり』)、マックス・ウェーバー(1864-1920)、エマニュエル・トッド(1951-、Ex. 『帝国以後』)など!
A 本書の骨組みに大きな影響を与えたのは、フランシス・フクヤマ(1952-、Ex. 『歴史の終わり』)、マックス・ウェーバー(1864-1920)、エマニュエル・トッド(1951-、Ex. 『帝国以後』)、アルフレッド・チャンドラー(1918-2007)、丸山眞男(1914-1996)、森嶋通夫(1923-2004、Ex. 『イギリスと日本』『なぜ日本は没落するか』)、佐藤優(1960-)、源了圓(1920-、Ex. 『義理と人情』)、川北稔(1940-、『民衆の大英帝国』)、中川敬一郎(1920-2007、Ex. 『イギリス経営史』)、米川伸一(1931-1999、Ex. 『現代イギリス経済形成史』)、森川英正(1930-、“Zaibatsu”)、由井常彦(1931-、Ex. 『歴史が語る「日本の経営」』)などだ。

(2)1960年代末の三大研究者:宇野弘蔵、大塚久雄、丸山眞男!
B 1960年代末、次の3人が三大研究者と言われていた。①「マルクス経済学の最高峰」と言われた宇野理論の宇野弘蔵、②比較経済史と呼ばれた大塚史学の大塚久雄、③政治学の丸山眞男。
B-2 だがその後、数十年が経ち、①宇野理論(というよりマルクス経済学)は、「近代経済学にノックアウトされて」解体。②大塚史学は川北稔氏などの「世界システム論」に押され昔日の面影はない。③唯一、「体系性」を持っていなかった丸山政治学が生き残っているかに見える。(橋爪大三郎『丸山眞男の憂鬱』は本質的批判でない。)

(3)ウェーバー、トッド、チャンドラー!
C マルクス経済学は凋落したが、ウェーバーの宗教社会学は、毀誉褒貶(キヨホウヘン)はあるが緊張感をもって我々に迫って来る。
C-2 トッドの家族形態と相続の理論はかなりの説得力がある。
C-3 チャンドラーの経営者企業論は、家族と経営を考えるうえで大いに参考になる。

(4)《「自由」(機会の平等)は格差を生み、「結果の平等」が損なわれ、結局、「機会の平等」(自由)が失われる》という資本主義特有のパラドックス!それを緩和するのが「友愛」だ!
D フランス革命の「自由、平等、友愛」が社会や文化、そして経済の在り方、企業経営に大きな影響を与えている。
D-2 第一義的に重要な「自由」は、機会の平等など様々な自由として存在するが、その結果、格差が発生し、「結果の平等」が損なわれ、結局、「機会の平等」(自由)が失われるという資本主義特有のパラドックスが生じる。それを緩和するものが「友愛」だ。

(5)ウィリアム・モリス:芸術家でありながら、企業家であり、かつ社会主義者!
E 「表紙で使用したウィリアム・モリスの作品は、芸術家でありながら、企業家であり、かつ社会主義者であったモリスが、本書の『文化と営利』のテーマにピッタリであるとの理由から使わせていただいた。」


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浮世博史『もう一つ上の日本史』⑧飛鳥文化・白鳳文化は「日本独特の様式」「日本人らしい芸術性」でない!⑨645年乙巳(イツシ)の変で蘇我氏は滅んでいない!

2020-08-27 18:19:29 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年) 「飛鳥時代~平城京」の章(43-66頁)

(8)飛鳥文化・白鳳文化:四天王寺式伽藍配置は「日本独特の様式」でない!百済・高句麗・中国南北朝、また新羅・唐の影響下にある「芸術性」だ!(47-49頁)
C  百田尚樹『日本国紀』は四天王寺、法隆寺について「日本独特の様式」と述べ、薬師寺金堂薬師三尊像、法隆寺百済観音像、高松塚古墳壁画について「いずれも日本人らしい芸術性が感じられる」(43-44頁)と述べる。
C-2 法隆寺(西院伽藍)は「日本独特の様式」である。しかし四天王寺式は「中国の影響を受けた伽藍配置」である。
C-3 飛鳥文化は百済・高句麗、中国南北朝時代の影響を受け、白鳳文化は新羅経由(7世紀)および遣唐使(8世紀)によってもたらされた文化だ。高松塚古墳壁画は、唐・高句麗の壁画の影響がある。「日本人らしい芸術性」というのは無理だ。

(9)645年乙巳(イツシ)の変で蘇我氏は滅んでいない!この時、中大兄皇子はまだ皇太子でない!(49-51頁)    
D 百田氏は、乙巳(イツシ)の変で「皇太子の中大兄皇子が645年に蘇我氏を滅ぼし」た(45頁)と言うが、(ア)蘇我氏は滅んでいない。滅んだのは「蘇我蝦夷・入鹿」だ。また(イ)645年乙巳の変の時、中大兄皇子はまだ皇太子でない。皇太子になるのは乙巳の変の後だ。
D-2 645年乙巳(イツシ)の変の翌年、「改新の詔(ミコトノリ)」が出され、日本(大和朝廷)は「律令国家」を目指す。百田氏は律令国家を「儒教に基づく法治国家」(45頁)と述べるが、これは誤り。「律」が刑法(刑)、「令」が儒教(礼・楽)というのは漢代の話。当時すでに唐代では、律令国家の「律」は刑法、「令」は行政法その他諸法を指す。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部悦生『文化と営利』「第Ⅰ部まとめ」:「経営文化」の位置!市場・戦略・組織・文化モデル!「市場の嗜好性」と「経営文化」(経営風土)!「企業支配者」の思考行動様式=文化!

2020-08-27 12:36:20 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第Ⅰ部まとめ 経営文化の位置」(101-104頁)

(1)「経営文化」の位置:M-SSGCモデル=市場・戦略・組織・文化モデル!(101-102頁)
A チャンドラーのモデルをもとに、安部悦生氏は「M-SSGCモデル」(market, strategy, structure,governance, culture モデル)を提示する。すなわち「市場・戦略・組織・文化モデル」だ。
A-2 なおここで(a)「市場」は技術を含む。(b)「組織」は《management structure》(管理組織)と《corporare structure》=《governance》(企業組織or企業形態)の両方を含む。
A-3 「市場」(規模・性質)(「技術」を含む)と「企業組織」(企業形態)(ガヴァナンス構造)が、「経営戦略」に影響し、経営戦略が「管理組織(公式組織)」に影響し、管理組織が「経営行動」に影響する。
A-4  「企業組織」(企業形態)(ガヴァナンス構造)は、経営戦略に影響するとともに、また「組織体質」(経営慣行)(非公式組織)に影響する。
A-5 「組織体質」(経営慣行)(非公式組織)は、管理組織(公式組織)とともに、経営行動に影響を与える。
A-6  「文化(経営風土)」(or「全般的な文化の性質」)が、「市場」(規模・性質)、「企業組織」(企業形態)(ガヴァナンス構造)、「組織体質」(経営慣行)(非公式組織)に影響を与える。
A-7 「企業文化」が「企業組織」(企業形態)(ガヴァナンス構造)・「経営戦略」・「管理組織(公式組織)」・「組織体質」(経営慣行)(非公式組織)・「経営行動」に浸透している。

(1)-2 「市場の嗜好性」(量産品か手作り品か)は「経営文化」(経営風土)(or「全般的な文化の性質」)で決まる!(101-103頁)
B「M-SSGCモデル」=「市場・戦略・組織・文化モデル」のうち市場の性質=嗜好性について見てみよう。
(ア)「市場」(市場は技術を含むor市場と技術は相互作用する)は「経営戦略」に強く影響する。
(ア)-2 「市場」の2大要素は、規模(人口・所得)と性質(=嗜好性)だ。嗜好性は例えば、「量産品を好む市場」か「手作り風の商品を好む市場」かの違い。
(ア)-3 産業革命前の手工業時代はおおむね「手作り品」だった。
(ア)-4 機械制工業時代になり、市場の中心は「大量生産品」となった。「手工業製品」は廃れるか、ごく一部のハイエンド・セグメントで生き残った。
(ア)-5 所得の増大につれ「個性的な製品」を望む市場拡大、つまり「手工業的なハイエンド市場」が拡大。しかも「伸縮的生産システム」(flexible manufacturing system: FMS)(※できるだけ汎用性のある柔軟性に富んだ設備を複合し多種多様な部品や製品を自動的に生産するシステム、多品種少量自動生産、FA=factory automaton のひとつ)の登場で一部のハイエンド市場から、ミドルエンドにも拡大。
B-2 そうした方向性(「個性的な製品」を望むかどうか)の程度は、各国・各地域の「経営文化」(経営風土)(or「全般的な文化の性質」)によって決まる。仏・伊では「個性的な製品」が好まれる。米では「量産品で良し」とされローエンド・セグメントのウェイトが高い。

(1)-3 社風(企業文化)・業界文化・地域の文化・職業文化!(103頁)
C 個々の企業には、企業が設立された経緯、創業者の理念などから「社風(企業文化)」が誕生する。
C-2 同じ産業なら、「業界文化」も成立する。
C-3 さらに「地域の文化」の影響も受ける。
C-4 「職業文化」(Ex. 医師、弁護士、会計士、税理士、社会保険労務士、建築士、技師など)が、企業文化に少なからぬ影響を与える。

(1)-4 「企業支配者」の個性・価値規範・行動規範(思考行動様式=文化)が、「社風(企業文化)」、さらに「企業の構造」(企業組織=企業形態=ガヴァナンス構造)・「経営戦略」・「管理組織(公式組織)」・「非公式組織」に大きく影響する!(103頁)
D 「企業文化(社風)」に関しては、企業支配者(人事の主導的な意思決定者)の個性・価値規範・行動規範が重要となる。なぜなら「企業組織」(企業形態)(ガヴァナンス構造)が、企業支配者によって決定されるからだ。
D-2 要するに、企業支配者の思考行動様式(文化)が、(※「社風(企業文化)」に影響を与え、またそれと相まって)「企業の構造」(企業組織=企業形態=ガヴァナンス構造)・「経営戦略」・「管理組織(公式組織)」・「非公式組織」(=組織体質organizational habit=経営慣行management practice)に全般的に影響する。

Cf. 「企業文化」が「企業組織」(企業形態)(ガヴァナンス構造)・「経営戦略」・「管理組織(公式組織)」・「組織体質」(経営慣行)(非公式組織)・「経営行動」に浸透している。(102頁)

(1)-5 まとめ:「経営文化」は価値判断、嗜好であり、だが(※《客観的》に存在し、つまり《理性的》に把握できるという意味で《合理的》な要因であって)「非合理的」な主体的要因でない!(103-104頁)
E 「経営文化」は、マクロ的に見て市場の性質(Ex. 「市場の嗜好性」、量産品か手作り品か)に強い影響を与、ミクロ的には「企業支配者」を通じて企業のさまざまな諸側面を規定する。
E-2 メゾ的には「経営文化」(経営風土)(or「全般的な文化の性質」)は、業界文化・地域文化・職業文化に大きな影響を与える。(※むしろ双方向的な影響だ!)
E-3 当該国の文化、地域の文化は、労働者のエートスにも大きな影響をもたらす。
E-4 「経営文化」は、(※《「手段合理性」という意味での合理性》の前提である「目的」の根拠をなす)価値判断、嗜好であり、だが(※《客観的》に存在し、つまり《理性的》に把握できるという意味で《合理的》な要因であって)「非合理的」な主体的要因でない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浮世博史『もう一つ上の日本史』「とぶとりの」、「聖徳太子はいなかった」説、「富本銭」、ペルシア人!⑦十七条憲法:豪族の争い、仏教が浸透しない、朝廷の官吏の心得!

2020-08-26 12:05:41 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年) 「飛鳥時代~平城京」の章(43-66頁) 

「飛鳥時代~平城京」の章:「とぶとりの」、「聖徳太子はいなかった」説、「富本銭」、ペルシア人!(43-44頁)
A 「飛鳥」は『万葉集』では「明日香」(あすか)と普通表記される。「明日香」の枕詞が「とぶとりの」だったので、「飛鳥」が「あすか」と読まれるようになった。《感想》トリビアだ。なるほど賢くなった。
A-2 1990年代後半ごろ「聖徳太子はいなかった」という説が話題になった。しかし、この説は結局否定された。《感想》この時、本が売れたから、出版社は儲かったと思われる。「聖徳太子はいなかった」説は出版社の販売戦略だったかもしれない。
A-3 和同開珎(ワドウカイホウ)以前に作られた「富本銭」(フホンセン)鋳造所あとが発見された。しかし、富本銭は貨幣として流通しなかったようだ。流通した日本最古の貨幣はやはり「和同開珎」だ。《感想》秩父の「和同開珎」の碑を昔、見に行った。この場所の意義は変わらない。
A-4 ペルシア人が奈良時代、朝廷の役人をしていた。《感想》外国人(ペルシア人)の学問的知識を式部省大学寮で教えていた。Cf. 奈良県高取町・光永寺にペルシャ人の頭と呼ばれる「人頭石」があり、見に行った。

(7)十七条憲法:豪族の争い、仏教がまだ浸透しなかった、朝廷の官吏の心得!(45-47頁)
B 十七条憲法にある「和を以て貴しと為し」とは、まだ豪族の争いが見られたことを示す。《感想》当時、物部氏と蘇我氏(仏教推進派)の対立は激烈だ。実際、聖徳太子(蘇我氏側)は物部氏との戦いで殺されそうになった。大阪府八尾市大聖勝軍寺には、「聖徳太子(16歳)が絶体絶命の窮地に陥った時、椋の大木が真っ二つに割れ、太子をその割れ目に隠した」という椋の木がある。数年前に見学に行った。裂けた木の中に聖徳太子像があり不思議な感じがした。
B-2 「篤く三宝を敬へ」とは(蘇我氏・聖徳太子が推奨する)仏教がまだ浸透しなかったので、仏教を「敬へ」と述べたものだ。「篤く三宝(※仏法僧)を敬へ」に関して、百田氏『日本国紀』が「当時の人々にとって宗教は、現代とは比べものにならないくらい重要なものだった」(42頁)と述べるのは、意味の取り違えだ。《感想》ただし当時が「科学」の世界でなく、「呪術」の世界だったことは確かだ。呪術=宗教だから、当時は宗教の世界だとも言える。例えば、医者は呪術師だった。だが血で血を洗う権力争いは、呪術と無縁の此岸的(この世的)世界の出来事だ。呪術=宗教は、此岸的世界の隙間を埋める程度にすぎない。(Cf. 「苦しい時の神頼み」!)
B-3 十七条憲法について、「人々が平和に暮らしていくための道徳規範が記されている」(42頁)と百田氏が言うのは誤り。十七条憲法、朝廷の官吏の心得を述べたものだ。《感想》聖徳太子は、中国風の中央集権的(天皇中心的)律令国家を建設したかった。その朝廷の「官吏の心得」が十七条憲法だ!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部悦生『文化と営利』「第7章」(その7):フリーグスタインのアメリカ企業社会発展論!不正確orうその証言があったとしても、事実は一つなはずだ(安部氏)!

2020-08-25 14:28:13 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第7章 合理性モデルと新制度学派」(91-100頁)(その6)

(3)-12 フリーグスタインのアメリカ企業社会発展論(99-100頁)
R フリーグスタインは「企業コントロ-ル」の観点からアメリカ企業社会発展論を述べる。
(a)19世紀末:「トラスト→持株会社→職能別組織→事業部制」、あるいはオーナー経営者による直接的コントロール。
(b)1920年代:製造によるコントロール。
(c)第2次大戦後:マ-ケティングを通したコントロール。
(d)1960年代以降:財務によるコントロール。
R-2 安部氏は言う。フリーグスタインの主張が「チャンドラーの主張とほぼ同じ」などと言えない。
R-3 またフリーグスタインのアメリカ企業社会発展論は「『歴史的な事実』と照らして説得力がない。」「チャンドラーの歴史的説明の方がはるかに納得できる。」(安部氏)
《感想7》チャンドラー・モデルについては、次の通り。(安部94-95頁)
Cf. 1 市場《環境》に適合的な《戦略》の採用、そしてその《戦略》を遂行するのに適合的な《組織》(企業組織)の採用が企業の存続や成長に必須だとチャンドラー・モデルは説明する。
Cf. 2 チャンドラー・モデルは、アメリカで19世紀末に大企業が登場した事実を跡付ける。それまでの分散した地方市場が、運河、鉄道などの交通網の発達により結びつけられ、全国的統一市場が形成された。この全国的統合市場という《環境》に適合的な《戦略》が「垂直統合戦略」だ。そして、この《戦略》を遂行するのに適合的な《組織》(企業組織)が「集権的職能別組織」だった。
Cf. 3 20世紀に入ると、とりわけ1920年代には、大衆消費文化の到来とともに、ハイエンド(高級品)、ローエンド(低価格品)、新種の商品などによって市場の細分化が進行した。こうした新たな《環境》に適合的な《戦略》として、巨大企業は「多角化戦略」を採用する。その「多角化戦略」に適合的な《組織》(企業組織)が「事業部制」だった。

(3)-13 不正確orうその証言があったとしても、事実は一つなはずだ!(99-100頁)
S「ある事象(※事象の説明)が妥当であるか否かは・・・・客観的に確定できることも多い。」
S-2 芥川龍之介原作の映画『羅生門』において、ある者(あるいは複数者)が殺人という行為を行ったことは明白。そして不正確orうその証言があったとしても、「事実は一つ」という事態は変わらない。
《感想8》一般に「説明」は、間主観的であれば、客観性を得る。最も基本的な間主観性(客観性)は「物」世界の客観性(間主観性)だ。
《感想8-2》次に客観的(間主観的)なのは「言葉」(記号・対象・意味)だ。言葉は意味世界を作り出す。言葉が「物」も「心」もおおいつくす。Cf. 対象は意味としてしか出現しえない。Cf. 記号もすでに意味的に分節されているが、物世界的だ。
《感想8-3》「事実は一つ」という場合、それは「物」世界の客観性(間主観性)についてのみ堅固だ。しかし行為が「心」にもとづくとき、そしてその説明をなす「言葉」が「物」だけでなく「心」に言及する限り、「言葉」の客観性(間主観性)の問題が生じる。「事実は一つ」という場合、「物」世界の客観性(間主観性)とともに、「言葉」の客観性(間主観性)が必要だ。
《感想8-4》評者の私見では「心」は次のように考えられる。「モナド(超越論的主観性)としての広義の心」は《感覚・感情・欲望・意図・夢・意味世界・意味世界の展開としての虚構》からなる。「狭義の心」は《各モナドに固有の感覚の揺らぎ・感情・欲望・意図・夢・意味世界・意味世界の展開としての虚構》からなる。普通「心」と言われるのは「狭義の心」だ。
Cf. 超越論的主観性は実は、超越論的間主観性=モナド共同体だ!間主観的=客観的「物」世界が出現するということは、《超越論的主観性の間の共同が可能となること》、《モナドの共同が可能になること》、つまり《個々のモナドはモナド共同体を成していること》を意味する。
Cf. 超越論的主観性は《「物」の「超越」》という《臆見=ドクサ》を停止すること、つまり《「物」が「心」の外にあると考えること》をやめること(エポケー=判断停止=現象学的還元)によって見いだされた主観性だ!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部悦生『文化と営利』「第7章」(その6):一般に《目的の体系》を「神話」と呼ぶなら、《利潤最大化という「目的」》あるいは《この世的(此岸的)=功利的な「目的」》の体系も「神話」だ!

2020-08-24 15:52:06 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第7章 合理性モデルと新制度学派」(91-100頁)(その6)

(3)-10 一般に《目的の体系》を「神話」と呼ぶなら、《利潤最大化という「目的」》あるいは《この世的(此岸的)=功利的な「目的」》の体系も「神話」だ!(98-99頁)
P 個人主義的・功利主義的・合理主義的・効率主義的・適応主義的パラダイムへの挑戦として(社会学的)制度学派は誕生した。
《感想5》合理主義は安部氏が言うように「手段合理性」だ。だからいかなる「目的」にも合理性は仕える。だが、「合理性=効率性=適応モデル」としてのチャンドラー・モデル(93頁)において、「合理性」は単なる手段合理性ではない。チャンドラーの「合理性」は、利潤最大化を「目的」とする限りでの手段合理性だ。
《感想5-2》 (社会学的)制度学派は「単なる手段合理性」としての合理性を問題にしたのでなく、《利潤最大化を「目的」とする限りでの手段合理性》あるいは《この世的(此岸的)=功利的な「目的」にとっての手段合理性》だけを「合理性」と呼ぶことを批判したのだ。
《感想5-3》《利潤最大化という「目的」》あるいは《この世的(此岸的)=功利的な「目的」》あるいはそれら目的の体系と異なる目的の体系が「神話」である。「神話」は《あの世的(彼岸的)な「目的」》の体系だ。
《感想5-4》一般に《目的の体系》を「神話」と呼ぶなら、《利潤最大化という「目的」》あるいは《この世的(此岸的)=功利的な「目的」》の体系も「神話」だ。

P-2 (※《利潤最大化という「目的」》あるいは《この世的(此岸的)=功利的な「目的」》の体系を前提する)合理主義的立場においては意志決定者の《選好や効用》(※上記の目的の体系)は与件として定義され問題視されることがない。
P-3 これに対して社会学的新制度論は、活動主体自身を「問題視し説明しようとする視角を提供する。」(※つまり意思決定者=活動主体の《目的の体系》を問題視するということだ。)

(3)-11 行動の動因は、感情・理念・利害であるが、長期的に見て、人間社会は利害(合理性、効率性、※功利性、※適応性)に基づいて動いていく(99頁)
Q 社会学的新制度論は「アクターが・・・・損得の合理的計算よりも、《何がその場においてふさわしい行動であるか》を基準にして自らの行動を決定する」と主張する。(99頁)
《感想6》《何がその場においてふさわしい行動であるか》とは《目的の体系》とそれに仕える《手段合理性》を決定することである。《目的の体系》or《目的》は「短期的な」《感情》にもとづいて決定されることもあるし。「短期的・中期的な」《理念》に基づくこともある。そして《目的の体系》or《目的》の決定において最も長期的なのは《利害》である。

Q-2 安部氏が言う。「行動の動因は、感情・理念・利害であるが、長期的に見て、人間社会は利害(合理性、効率性、※功利性、※適応性)に基づいて動いていく。」(99頁)
Q-6 「新制度学派の認知論は、人間界における自然科学的な要素(客観性、※利害、※利潤最大化、※功利性、※適応)の過小評価を行っているように見える。」(99頁)

《感想6-2》安部氏は「利害・感情・理念」の3者からなる人間行動の枠組みを考えるべきだと言う。(91-92頁)これに関連する安部氏の議論は次の通り。
Cf.  (c)「利害」追求としての意思は、(a)「感情」、(b)「理念」追求と異なり合理的だ! 政治は、理念や理想を追い求めがちだが、経済は利害追求であり、「ウィンウィンの関係」も築けるし、「手段合理性」(=手段適合性=目的合理性)の追求であり、「先が読める」(※予測可能性)という点で健全だ。従って人間の「進化」(※民主主義的な最大多数の最大幸福、最終的にはすべての人間の幸福の実現に向かって進むこと)にとって有用だ。(44-46頁)
Cf.  (b)「理念(理想)」は非合理的、中期的だ。(Cf. (a)「感情」は非合理的、短期的だ。)なお(b)「理念」に基づく行動は旧来の用語でいえば「価値合理性」を持つと呼ばれる。(44-46頁)
Cf. 「意思」は、(a)感情、(b)理念、(c)利害の3要素から成り立つ!(c)「利害」追求としての意思が、(a)「感情」、(b)「理念」追求と異なり最も合理的だ!(44-46頁)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部悦生『文化と営利』「第7章」(その5):新制度学派は「客観性を否定」する?「手段合理性」についてはフリーグスタインも《客観的に論じる事ができる》と考えているはずだ!

2020-08-23 13:21:21 | Weblog
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅰ部 経営文化の理論的解明」「第7章 合理性モデルと新制度学派」(91-100頁)(その5)

(3)-7 新制度学派は「客観性を否定する点で行き過ぎの感がある」(安部氏)!評者の私見では、「手段合理性」についてはフリーグスタインも《客観的に論じる事ができる》と考えているはずだ!(97-98頁)
O フリーグスタイン流の新制度学派は、文化的・認知的要因を重視する。そして安部氏は、新制度学派は「客観性を否定する点で行き過ぎの感がある」と述べる。
《感想4》新制度学派は「客観性を否定する点で行き過ぎの感がある」と述べるのは、評者の私見では、言い過ぎと思う。新制度学派にとっても《物》世界は客観的である。ただし新制度学派は「客観性は間主観性だ」と主張するのだ。
Cf.(3)の《感想2-6》をここで再び述べる。「客観的な間主観的な物世界」は《誰にとっても認知的に同一》=客観性=間主観性(「社会的な約束事」)である。ここでは「主観」の概念は《「物」の客観性を可能にする主観》であり、「物」に対立する(日常的な)主観と異なる。《「物」の客観性を可能にする主観》は、(主観を超えた)「超越的な」物を可能にする主観であり「超越論的主観性」と呼ばれる。

(3)-8 「効率性や合理性について・・・・様々な見解がある」(フリーグスタイン)とは、「目的」は「立場や世界観の違い」で様々あると言っているだけにすぎない!(98頁)
O-2 フリーグスタインは言う。「効率性や合理性についての問いには唯一正しい正解等はなく、ただ立場や世界観の違いによる様々な見解があるだけであり・・・・合理性の仮定自体が社会的に作られた神話でしかない。」
《感想4-2》安部氏は「効率性や合理性」について「客観性」を持った正解があると考える。もちろん最適解が複数であることはありうる。つまり《唯一ではないが「客観性」はあるはずだ》と、安部氏は言う。
《感想4-2-2》フリーグスタインが「効率性や合理性について・・・・様々な見解がある」と言うのは、(安部氏が言うように「効率性や合理性」は手段合理性であって)《「目的」に関しては「立場や世界観の違い」で様々ありうる》と言っているだけにすぎない。
《感想4-2-3》私見では、フリーグスタインも《手段合理性については客観的に論じる事ができる》と考えているはずだ。(Cf. ただしここでの客観性とは、間主観性=《誰にとっても認知的に同一》ということである。「客観性」が《実体》として、「主観」と無関係に存在するのではない。「客観性」はあくまで「間主観性」だ。)
《感想4-3》フリーグスタイン「合理性の仮定自体が社会的に作られた神話でしかない」とは、《「立場や世界観」に応じて異なるさまざまの「目的」が一種の「神話」にもとづく》と言っているだけだ。だから、《このような神話的「目的」につかえる「手段合理性」も、「神話」だ》と言っているだけのことだ。《「目的」と切り離された「手段合理性」そのもの》についてはフリーグスタインも《客観的に論じる事ができる》と考えているはずだ。(Cf. ただし、ここでの客観性とは「物」の客観性=間主観性に限られる。)

(3)-9 「半分しかない」、「半分も残っている」、「半分は半分」!(98頁)
O-3 認知論で「半分しかない」と思うか、「半分も残っている」と思うかは、重要な相違であろう。しかし「半分は半分」であるとの客観的な立場も無視できない。(安部氏)
《感想4-4》認知論(フリーグスタイン)においても「半分しかない」、「半分も残っている」、「半分は半分」は、重要な相違だ。認知論も当然、「客観的な立場」(「物」の客観性)は前提する。「物」の客観性(=間主観性=《誰にとっても認知的に同一》であること)は認知論でも認めている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする