宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)11.「人口過剰は戦争でも調整することも――インド神話『大地の重荷』」:「クルクシュートラの大戦争」で多くの戦士が死んだ(『マハーバーラタ』)!

2023-08-31 12:00:15 | Weblog
(1)古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』:戦争で人口が調整され、「大地の重荷」は取り除かれた!
「増えすぎた人類を戦争で減らす」という神話がある。古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』の主題である大戦争がまさにそれだ。4つの宇宙期(ユガ)の最初、クリタ・ユガの時代に大地はくまなく多くの生類によって満たされていた。その頃、神々との戦いに敗れたアスラ(悪魔)たちが天界より落とされて、人間や様々な動物に生まれ変わった。ある者は力ある人間の王として生まれ変わり、力に奢り、かくて「大地の女神」は苦しめられた。創造主の「ブラフマー神」は大地女神の悩みを知って、全ての神々に「大地の重荷を取り除くために、それぞれの分身によって地上に子を造りなさい」と命じた。人間が増えてやがて地上において「クルクシュートラの大戦争」が行われ多くの戦士(人間)が死んだ。こうして戦争で人口が調整され、「大地の重荷」は取り除かれた。

《参考1》『マハーバーラタ』(バラタ族の戦争を物語る大史詩):バラタ族のパーンドゥ王の息子である五王子(パーンダヴァ)7軍団と、その従兄弟である百王子(カウラヴァ)11軍団の間の、クル国の継承を懸けたクル・クシェートラ(クル平原)における大戦争を本題とする。18日間の凄惨な戦闘の末、戦いはパーンダヴァ側の勝利に終わるが、両軍ともに甚大な被害を出す。(この戦いで百王子は全滅した。)本題は全編の約5分の1にすぎず、その間に神話、伝説、宗教、哲学、道徳などに関する多数の挿話を含む。Ex. ヒンドゥー教の 宗教哲学的聖典『バガバッド・ギーター』など。
《参考2》『ラーマーヤナ』(ラーマ王行状記):古代インドの長編叙事詩。ヒンドゥー教の聖典の一つ。『マハーバーラタ』と並ぶインド2大叙事詩。ラーマ王子が、誘拐された妻シーターを奪還すべく大軍を率いて、ラークシャサの王ラーヴァナに挑む姿を描く。

(2)数の増えすぎた人間の重みに耐えかねた「大地の女神」の嘆願:ゼウスは「トロイ戦争」を起こし多くの人間を殺し大地の負担を軽減した!
ギリシア神話は「トロイ戦争の発端が、大地の女神のゼウスへの嘆願である」と述べる。あまりにも数の増えすぎた人間の重みに耐えかねた「大地の女神」が、その重みを軽減してくれるようにゼウスに嘆願した。ゼウスは「トロイ戦争」(Cf. 英雄アキレウス、絶世の美女ヘレネ)を起して多くの人間を殺し、大地の負担を軽減した。

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沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)10.「『ノアの箱舟』は二次創作?――『ギルガメシュ叙事詩』の『洪水』神話」:神々は「数の増えすぎた人間」を滅ぼすことにした!

2023-08-30 15:26:14 | Weblog
(1)
メソポタミアからギリシア、インドにかけて分布している洪水神話は起源が同じで、メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』がもとになっている。
《参考》『ギルガメシュ叙事詩』:古代オリエントで広く流布した英雄叙事詩。実在の王とみられるギルガメシュGilgameshをもとに作られた。3分の2が神で3分の1が人間の「ギルガメシュ」、野人「エンキドゥ」、美の女神「イシュタル」らが登場する。
(1)-2
『ギルガメシュ叙事詩』の洪水神話によると、①神々は「数の増えすぎた人間」を滅ぼすことにした。②情け深いエア神が、賢者であった人間のウトナピシュティムに秘かにそのことを知らせ、大きな箱の形の船をつくり洪水を逃れるように教えた。ウトナピシュティムは船を造り、その中にすべての生き物の雄と雌を入れ、自分も家族と一緒に乗り込んだ。③次の日から6日と6晩、大洪水が地上を襲った。④箱舟はニシルという山の上に留まった。⑤ウトナピシュティムは船からまず(ア)「鳩」を放したが地上のどこにも休む場所を見つけられず船に戻ってきた。しばらくして(イ)「燕」を放したが、燕も戻ってきた。またしばらくして(ウ)「大烏」を放すと、水の引いた地面に食べ物を見つけたので帰って来なかった。⑥洪水が終わったことを知り、ウトナピシュティムは、生き物たちを放し、家族とともに箱舟から出て、香を焚いて神々に感謝の祈りをささげた。

(2)
『ギルガメシュ叙事詩』の洪水神話の影響を受けて、『旧約聖書』「創世記」の「ノアの洪水」の話ができた。①「主」は「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている」のをご覧になって、「人を地上から消し去ろう」と決めた。②しかしノアは主の好意を得た。主はノアに言った。「大きな箱舟をつくり妻子や嫁たちと共に舟に入りなさい。また舟の中にすべての生き物を、雄と雌を入れ生き延びるようにしなさい。」③洪水は40日間地上を覆った。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。④箱舟はアララト山の上にとまった。⑤ノアは箱舟からまず(ア)「烏」を放したが水の上を行ったり来たりするだけだった。次に(イ)「鳩」を放ったが地上のどこにも休む場所を見つけられなかったので船に戻ってきた。(イ)-2 ノアはさらに待って再び「鳩」を放った。鳩はオリーブの枝をくわえて戻ってきた。(ウ)さらに7日待ち、また「鳩」を放つと今度は戻ってこなかった。⑥ノアは洪水が終わったことを知り、家族とともに箱舟から出て、祭壇を築き感謝の祈りをささげた。主はノアとその息子たちに「今後ふたたび洪水が世界を滅ぼすことはない」と言い、その印として「虹」が空にかけられた。

(3)
ギリシアの洪水神話もメソポタミアの洪水神話からの影響を受けて成立した。①最高神ゼウスは「邪悪だった人類」を滅ぼすことにした。②しかしデウカリオン(プロメテウスの息子)とピュラ(エピメテウスとパンドラの間にできた娘)は正しい人間だったので、プロメテウスから教えられて造った箱舟に乗った。③最高神ゼウスは大雨を降らせて地上に大洪水を起こした。⑥洪水が引いたあとでデウカリオンとピュラの二人は、神託の教えに従って、石を拾って肩越しに投げると、デウカリオンの投げた石は「男」に、ピュラの投げた石は「女」になった。
(3)-2
ギリシアの洪水神話も①最高神が洪水で人類滅亡を計画すること、②神に選ばれた一組の男女が洪水を逃れて、⑥人類の祖先となったことなどで、『ギルガメシュ叙事詩』の洪水神話の影響を受けている。

《参考》オウィディウス(前43-後18)『変身物語』(上)「巻1」(7)「デウカリオンとピュラ」:大洪水でデウカリオンとその妻ピュラだけが死ななかった!投げた石から新しい人間が生まれた!
(A)デウカリオンとピュラ!
ユピテルは人類を滅ぼすため大洪水を起こしたが、デウカリオンという男とその妻ピュラ二人だけが、パルナソスというひときわ高い山の頂に、小さな筏(イカダ)に乗ってたどり着き助かった。デウカリオンは正義を愛する男であり、ピュラは敬神の心あつい女だった。彼らのために、ユピテルは大洪水を終わらせた。
(B)テミス女神の神託!
世界は復旧したが、そこは空漠な荒れ果てた大地で、深い静けさが包んでいた。「今や、人類は、私たち二人が残っているだけだ。」デウカリオンが言い、妻ピュラとともに泣いた。助けを求め二人は聖なるテミス女神の神殿で祈った。テミス女神は「大いなる母の骨を、背後に投げよ!」という神託を授けた。(プロメテウスの子)デウカリオンが、(エピテウスの娘)ピュラに言った。「『大いなる母』とは大地のことだ。『骨』とは大地のふところに包まれた石のことだ。テミス女神は『石を背後に投げよ』とわれわれに命じたのだ!」
(C)投げた石から新しい人間が生まれた!
2人は神殿を出て、それぞれが石をうしろの方へ投げた。すると石はしだいに柔らかくなり、また外形も徐々に大きくなっていった。そして神の思召(オボシメ)しによって、男の手で投げられた石は男の姿をとり、女が投げた石からは女が新生した。そういうわけで、われわれ人間は石のように頑健で、労苦に耐える種族となった。

(4)
インドにも洪水の神話がある。人間の祖先にマヌという人がいた。マヌが水を使っていると彼の手の中に一匹の魚が入ってきた。②魚は自分を飼ってくれるように頼み、「もし飼ってくれたら、やがて起こる洪水の時に助けてあげます」と言った。マヌは魚を飼ってやることにした。その時、魚が言った。「これこれの年に洪水が起こります。その時までに船を作っておきなさい」。マヌは全て魚に言われた通りにして魚を育て、大きくなると海に放してやった。③やがて魚が伝えた年になり、洪水が起きた。マヌが作っておいた船に乗ると魚がやって来たので、マヌはその魚の角に船の縄を結びつけた。④魚は北方の山、ヒマーラヤに箱舟を導いた。⑤魚が言った。「約束どおり、あなたをお救いしました。これからは、水が引くにしたがって、少しずつ山を降りてください」。⑥洪水は全ての生き物たちを滅ぼし、世界にはマヌだけが残っていた。マヌは「どうしても子孫がほしい」と願った。彼は神々を讃え、儀式を行って、水の中にグリタという乳製品などをそなえた。1年が経つとグリタからひとりの乙女があらわれた。乙女はマヌのもとへ行き、娘であると名乗った。こうしてマヌとこの乙女が始祖となってふたたび地上に人類があふれた。

(5)
オリエント(orメソポタミア)からギリシア、インドの洪水神話の系統とは別に、東アジアから東南アジアにも洪水神話がある。中国のミャオ族の洪水神話によれば、大昔、「雷さま」が暴れ回るので、ある男がさすまたで捕らえて鉄の檻に閉じ込めた。ある日、男が留守をするとき、二人の男女の子供(きょうだい)に見張りを命じ、「決して水を与えてはいけない」と言いつけた。雷さまがあまりに苦しそうに水を求めたので、「きょうだい」はついに同情して「一滴の水」を雷さまに与えた。そのとたん雷さまは檻をやぶって飛び出し、天空に昇っていった。その時。雷さまは自分の「歯」を抜いて、それを植えるように言い残した。戻ってきた父親は、驚いて船を造りはじめた。きょうだいが雷さまの歯を植えるとたちまち生長し、大きな「瓢(フクベ)」の実がなった。まもなく大雨が降って大洪水になり、船に乗った父も人々もみな溺死した。瓢(フクベ)の中に入った「きょうだい」だけが助かり、のちに結婚してひとつの肉塊を産んだ。それを細かく切って撒くと、人間に変わった。

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沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)9.「人口過剰は洪水で解決する――インドネシアの『洪水』神話」:「洪水」が起こり「一組の男女」をのぞいて人類が滅亡した!

2023-08-29 14:28:56 | Weblog
(1)スラウェシ島の「洪水」神話:人類は原初の海の中の「孤島」に降りてきた「一組の男女」から発祥した!
インドネシアのスラウェシ島の「洪水」神話は「『洪水』が起こり、『一組の男女』をのぞいて人類が滅亡した」と述べる。①人類は原初の海の中の「孤島」に降りてきた「一組の男女」から発祥した。何か必要なものがあれば、夫が天に昇って天の神からもらってきていた。やがて男は地上で農耕を始めたので、天地の結びつきはなくなった。
《感想1》『古事記』では伊邪那岐・伊邪那美の二神が「淤能碁呂島」(オノコロジマ)に降り、男女(神)として目合った(性交した)ことで国生み、神生みがなされた。他方、人間が「命ある青人草(あおひとくさ)」として「葦原の中つ国」で繫栄した。Cf. 黄泉の国から逃げ帰る途中、イザナキは追ってきた亡者たちに「魔よけの呪力を持つ桃の実」を投げつけることによって命拾いする。そこでイザナキは、その桃の実に言った。「汝よ、われを助けたごとくに、葦原の中つ国に生きるところの、命ある青人草(あおひとくさ)(※人間)が、苦しみの瀬に落ちて患い悩む時に、どうか助けてやってくれ」。

(1)-2 人間は年を取ると「脱皮」して若返っていた!
この時代、②天の神は人間の死を認めなかった。人間は年を取ると「脱皮」して若返っていた。その結果、地上は人間であふれ争いが増えた。
《感想1-2》「脱皮型」死の起源神話は、蛇の脱皮を「若返り」つまり「不死」ととらえ、人間は「脱皮」することがなくなったので「死ぬ」運命となったと述べる。
(1)-2-3 「洪水」による人類滅亡:「一組の男女」のみ生き残る!
②-2 だがやがて「洪水」が起こり、「一組の男女」をのぞいて人類は滅亡した。
《感想1-2-3》『旧約聖書』「創世記」(6-9章)の「ノアの方舟」の大洪水神話では、洪水後に生き残るのは「ノアとその妻、三人の息子とそれぞれの妻」だ。Cf. ノアはすべての「動物のつがい」も方舟に乗せた。

(1)-3 「バナナ」(死)と「小エビ」(不死)!
③「一組の男女」の乗った船は水とともに天に昇った。天神は二人に「小エビ」を与えたが二人は食べなかった。次に「バナナ」を与えたところ、二人は食べた。二人は「小エビ」を食べなかったので「脱皮」して不死になることがなかった。
《感想1-3》インドネシアの「バナナ型」の死の起源神話では不死の「石」を選ばず、「バナナ」を選んだので不死でなくなったとする。ただし人間は(個体として)死んでも愛により子を持ち(種として)存続して行く。
《参考》大山津見神(オオヤマツミ)の娘である磐長姫(イワナガヒメ)は木花咲耶姫( コノハナサクヤヒメ)とともに天孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)の元に嫁ぐが、姉の磐長姫は醜かったことから父の元に送り返された。大山津見神はそれを怒り「磐長姫を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のもの(不死)となるためであり、木花咲耶姫を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するためである」、だが磐長姫を送り返したことで天孫(代々の天皇)が不死でなくなると告げた。磐長姫は「岩のような永遠性(不死)」を象徴する。木花咲耶姫と磐長姫の話も「バナナ型」神話だ。

(2)「不死」による人口過剰は「死の女神ムリトゥユ」によって解決される:インド神話『マハーバーラタ』!
「不死」による人口過剰の話はインド神話『マハーバーラタ』にもある。ここでは人口過剰は「洪水」でなく「死の女神」によって解決される。すなわち創造神ブラフマーは多くの生類を創造したが、それらは死ななかったため、大地に溢れ大地の女神を苦しめた。困ったブラフマーは、破壊神シヴァの助言にしたがって、「死の女神ムリトゥユ」を創造し、生類を殺すことを命じた。
《感想2》「不死」という運命を終了させる「死の女神ムリトゥユ」は、「死」という運命を前提する「死神」(シニガミ)あるいは「冥界の神」と異なる。
《感想2-2》生類が「不死」であれば、そもそも死者の国である「冥界」はなく、「天上界」と「地上界」のみある。「死神」(シニガミ)あるいは「冥界の神」は存在しない。
《感想2-2-2》生類に「死」が不可避の場合、はじめて「天上界」と「地上界」のほかに「冥界」が存在する。この場合は「死神」(シニガミ)あるいは「冥界の神」が出現する。

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沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)8.「分離する天と地――ニュージーランド神話のランギとパパ」:エジプト神話では「大地の神ゲブ」と「天空の神ヌト」が父神によって引き離された!

2023-08-28 15:44:32 | Weblog
(1)
ニュージーランドのマオリ族の世界起源神話によれば①はじめは何もなかった。すべては全くの「無」から始まった。
《感想1》今日の科学の知見でも、ある説では宇宙は「無」から生まれたとする。「無」から幻のように「有」(宇宙)が現われ、様々に展開する。(Ex.「私」という存在or出来事も「有」つまり「宇宙」の様々な展開の一つだ。)
《感想1-2》『新約聖書』「ヨハネによる福音書」「第1章」は「初めに言(コトバ)があった。・・・・言(コトバ)は神であった。・・・・すべてのものは、これによってできた」と述べる。キリスト教では始源は「無」でなく「神」=「言(コトバ)」(ロゴス)だ。
(1)-2
次は②「夜」だった。(つまり「無」は「夜」を生み出した。)暗黒の夜が計りしれないほど広く長く続いた。
《感想2》宇宙の最初の存在(有)は「夜」(暗黒)だ。Cf. 「暗黒」は「無」でなく「有」(存在)である。
(1)-3
そこに③「光」がさした。それは虫が放つような光にすぎなかった。④時が経ち「大空」ができた。すなわち「天空神ランギ」だ。④-2ランギは「月」と「太陽」を作ったのち、④-3「大地の女神パパ」と一緒に住んで子供たちの神々を作った。⑤その頃、「天空」は10の層からなっていた。その最下層の部分が「大地」の上に横たわっていて、大地を不毛にしていた。⑥「ランギとパパの子供たちの神々」はひたすらに続く「闇」に疲れ果て、また「人間」を生み出すために、「両親を引き離さなければならない」という結論に至った。⑥-2 タネ・マフタという「森の神」が力の限り空を押し上げた。⑥-3 こうして「大空」(ランギ)と「大地」(パパ)の間に大きな空間ができて、「光」も降り注ぐようになった。
《感想3》「天空神ランギ」と「大地の女神パパ」とが一緒に住んで「子供たちの神々」を作ったというマオリ族の世界起源神話は、『古事記』の伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二神が目合った(性交した)ことによる「国生み/国産み」(クニウミ)および「神生み/神産み」(カミウミ)の神話に相当する。
(1)-4
天空神ランギと大地の女神パパは苦しみに満ちたうめき声を上げた。「両親の愛をどうして殺そうとするのか」。大空のランギと大地のパパは今でも深く慕いあっていて、朝霧はランギの涙、霧はパパの吐息と言われる。
(1)-5
天と地を引き離した「森」の神タネ・マフタは、あたかも天地を媒介する「世界樹」のようなはたらきをしたと、沖田瑞穂氏は言う。
(2)
「分離する天と地」というモチーフは他の神話でも見られる。エジプトの神話では「大地の男神ゲブ」と「天空の女神ヌト」は抱き合っていたが、父神である「大気の神シュウ」によって引き離されたとされる。

《参考1》エジプト神話における「シュー」・「ヌト」・「ゲブ」:「大気の神シュー」(父)によって「天空の女神ヌト」(娘)と「大地の神ゲブ」(息子)が分離された。ヌトとゲブは夫婦。
《参考2》「天空の女神ヌト」:大気の神シュー(男神)と湿気の神テフヌト(女神)の娘。兄でもある夫「大地の神ゲブ」との間に、オシリス、イシス、セト、ネフティスをもうける。(Cf. オシリスの配偶神はイシスであり、彼女との間に天空の神ホルスを成した。)夫のゲブと抱き合っている所を無理矢理シューによって引き離され、天と地が分かれた。天空の女神ヌトは、指先と足先だけで大地(ゲブ)に触れ、弓なりになった腹部に星が輝き(天の川)、ゲブの上に立つシュー(大気)がこれを支える図像がよく知られている。
《参考3》「大地の神ゲブ」(男神):妻ヌトと別れるのを嫌がったゲブの一部が隆起して山になったと言われる。またゲブがくしゃみor笑いが地震とされる。
《参考4》「大気の神シュー」(男神):「創造神アトゥム」から自慰によって(両性具有的に)誕生した。(アトゥムは両性具有とされる。)「大気の神シュー」は、妹でもある妻「湿気の神テフヌト」との間に、「大地の神ゲブ」と「天空の神ヌト」をもうける。

《参考5》天地創造の神「アトゥム」:エジプト・ヘリオポリス神話の9柱の神々(創造神アトゥム、大気の神シュー、湿気の神テフヌト、天空の神ヌト、大地の神ゲブ、冥界の神オシリス、豊穣の神イシス、戦いの神セト、葬祭の女神ネフティス)の筆頭格。(Cf. 1. オシリス、イシス、セト、ネフティスは4兄弟姉妹。)(Cf. 2. オシリスの配偶神はイシスであり、彼女との間に天空の神ホルスを成した。)(Cf. 3. 兄オシリスが弟セトに殺害され身体をバラバラにされたとき、これを探すオシリスの妻イシスに、セトの妻ネフティスが同行し手助けする。 オシリスの復活に協力したことから、ネフティスは死者の守護神、葬祭の女神となった。)(Cf. 4. セトの妹であり妻であるネフティスは、不倫関係でオシリスとの子アヌビスを産む。アヌビスは狼の頭を持ち冥界の神、ミイラづくりの神だ。)
《参考5-2》「アトゥム」は、原初の水「ヌン」より自らを誕生させ、他の神々を生み出した偉大な造物主だ。
《参考5-2-2》アトゥムは「蛇」の姿をして誕生した。蛇は、死を運ぶ忌まわしい存在であると同時に、脱皮によって死と再生を繰り返す生命を象徴する存在でもあった。アトゥムは、世界が破滅を迎え「ヌン」の中に帰っていく時、再び蛇の姿をとるとされる。
《参考5-3》天地創造の神「アトゥム」は太陽神であり、ヘリオポリスには、太陽神であるアトゥムを象徴するベンベン石があり信仰の対象となっていた。アトゥムは、この石の上に立ち世界を照らしたとされる。後にこの石は、「ラー」や「アメン」を象徴することになった。
《参考5-3-2》「アトゥム」信仰は、あらゆる太陽神信仰の根底にあり、後に「太陽神ラー」と習合して「ラー・アトゥム」となった。これにより「ラー」は、ヘリオポリス神話の最も重要な神とみなされるようになった。また中王朝時代になると「アメン」がラーと習合することでアトゥムとも同一視された。

《参考5-4》「太陽神ラー」はエジプト神話の最高神であり、太陽の化身にして宇宙の創造者である。(Cf. 天地創造の神「アトゥム」と「太陽神ラー」はすでに習合している。)ラー(アトゥム)は混沌が擬人化された神格「ヌン」(原初の水「ヌン」)から生まれた最初の神であり、大気の神シューや湿気の女神テフヌト、猫の女神バステトの父となった。
《参考5-4-2》「太陽神ラー」は、昼は太陽船に乗って東から西へと天空を移動し、夜は「天空の女神ヌト」の体内を通ってふたたび東方へ戻る。「ラー」は天空神としての鷹、あるいは太陽円盤を頭上にのせた鷹の頭をした人像として表現される。

《参考5-5》「太陽神アメン(アモン)」:もともとはナイル川東岸のテーベ(現・ルクソール)地方神(大気の神、豊饒神)である。中王国時代第11王朝がテーベを首都としてエジプトを(紀元前2040年頃)再統一して以来、末期王朝時代の第30王朝(紀元前4世紀、エジプト人最後の王朝)までの1,700年余にわたり、「ラー神」と一体化し、「アメン=ラー」としてエジプトの神々の主とされた。ファラオも「アメンの子」と捉えられた。新王国時代(ヒクソスを撃退しエジプトを統一;紀元前1570年頃 - 紀元前1070年頃)には、アメン神殿と祭司団は絶大な権力をふるい王権を脅かすほどになった。アメンホテプ4世(在位紀元前1364頃~紀元前1347頃)はアマルナ改革(Cf. 唯一神アテン)を行ったが、彼の死後アメン信仰は復活した。新王国は前13世紀ラムセス2世(在位:紀元前1279頃 - 紀元前1213頃)の時、最盛期となる。「アメン(アモン)神」は エジプト最大の神殿であるカルナック神殿(テーベ=現ルクソールにある)に祭られている。
Cf.  アメン神は、神々の主とされることから、ギリシア人はゼウスと、ローマ人はユーピテルと同一視した。

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沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)7.「世界は一本の巨木で出来ている――北欧神話の『ユグドラシル』」:世界(世界樹)は常に危機に瀕している!インドの世界樹「ジャンブー」は健康で楽園だ!

2023-08-28 08:38:04 | Weblog
(1)北欧神話の世界樹「ユグドラシル」!
北欧神話を記した13世紀の詩人スノリ・ストルルソンが世界樹「ユグドラシル」(イグドラシル)について語る。それは巨大なトネリコの木であり、その枝々は全世界の上に広がり、天の上にまで出ている。この樹を3本の根が支える。1本はアースたちの世界(アースガルズ)に立ち(そこには神聖なウルズの泉がある)、1本は霜の巨人たちのもとに立ち(そこにはミーミルの泉があり賢さと知恵が隠されている)、そして3本目の根はニヴルヘイム(ニフルヘイム)(氷の国)に立っている。3本目の根は下から蛇ニーズホッグ(ニズヘグ)が齧っている。また上の葉は牡鹿が齧る。このように苦しむ世界樹ユグドラシルだが、ウルズの泉のほとりに住むノルンたち(運命の女神)が毎日泉から水を汲んで、ふりかけ枝が乾いたり腐ったりしないようにしている。
(1)-2 北欧神話における世界の終末「ラグナロク」!
世界を貫く、あるいは世界そのものである巨木ユグドラシルは、常に苦しみの中にある。世界は常に危機に瀕している。実際、北欧神話では世界の終末「ラグナロク」が語られる。そこでは神々と巨人が最終戦争をして双方が滅び、人類も滅び、大地は海に沈む。

(2)インド神話の世界樹「ジャンブー」!
インド神話は世界樹「ジャンブー」について語る。それはマハーメール山の南の山腹にある。この樹は一年中、果実や花をつける。半神族がこの樹に水を与える。その枝は天界の縁にまで届く。象ほどの大きさの熟した実が地面に落ちて割れる。そこから流れ出した液汁はジャンブー川となって流れる。この川の岸に住む女神ジャンブヴァーディニーは人々に健康、長寿、富、繁栄、幸福を授ける。ジャンブーの実の液汁が土、水、空気、太陽の光線と混じりあうとジャンブーナダという金に変わる。神々や半神族はこの金で妻たちの装身具をつくる。
(2)-2 インド神話の世界樹は健康だ!
インドの世界樹「ジャンブー」は健康で、その記述も楽園のようだ。北欧の世界樹「ユグドラシル」が緊迫した世界観のもとに表現されているのと対照的だ。

《感想1》世界樹の「世界」は地球上の現実の時空的「広がり」のことだ。科学が明らかにした現実においては、「世界」の「広がり」(時空)が、地球上の現実の場合より拡張された。その拡張された「世界」が、「宇宙」と呼ばれる。
《感想2》「世界樹」は科学の時代の神話としては「宇宙樹」として語られるべきだ!

《参考1》「国立天文台」の説明によると、私達のこの「宇宙」(世界)は、138億年前のビッグバンで誕生したと考えられている。
《参考1-2》「時間と空間の始まり、宇宙の急膨張『インフレーション』」:「ビッグバン」のすさまじい高温は、その直前まで宇宙に満ちていたエネルギーが熱に変化したものだった。「宇宙」は誕生直後から「ビッグバン」直前までの10の34乗分の1秒の間に、「インフレーション」と呼ばれる、数十桁も大きくなるような猛烈な加速膨張を起こした。現在の宇宙膨張を加速させているダークエネルギーと同じの、しかしその100桁以上もの驚異的な大きさをもった「真空のエネルギー」が、生まれたばかりの宇宙空間を倍々に膨張させた。そしてこのインフレーションとともに、この宇宙には「時間」が流れ「空間」が広がり始めた。(「国立天文台」の説明)
《参考1-2-2》「超高温の火の玉宇宙、灼熱のビッグバン」:宇宙は誕生直後、とてつもない大量のエネルギーによって加熱され、超高温・超高密度の火の玉となった。「ビッグバン」の始まりだ。その中で、「光(光子)」を含む、大量の「素粒子」が生まれた。「素粒子」にはふたつの種類があった。ひとつが「粒子」で、もうひとつが粒子と反応すると光を出し消滅する「反粒子」だ。何らかの理由で、粒子よりも「反粒子」の方が10億個に1個ほど少なかったため、宇宙のごく初期に反粒子はすべて消滅し、わずかに残った「粒子」が、現在の宇宙の物質のもととなった。(「国立天文台」の説明)
《参考1-3》「すべてを生み出した3分間、物質生成の出発点」:宇宙誕生直後の約3分間に、私たちのまわりにあるすべての物質のもとが生み出された。超高温の宇宙は、この間に急激な膨張を起こしながら冷えていった。その中で、物質のもとである素粒子のうち「クォーク」が集まり、陽子や中性子となった。さらにはその陽子や中性子が集まって、元素の中でももっとも軽い水素やヘリウムの「原子核」がつぎつぎと生み出され。(このとき生まれた原子核は、総数の92%が水素、残り8%がヘリウムだった。)(「国立天文台」の説明)

《参考2》「宇宙の姿」:①「宇宙」を構成する成分の7割以上が宇宙膨張を加速させる謎のエネルギー「ダークエネルギー」、②2割以上が正体不明の物質「ダークマター」であり、③普通の「元素」は4%程度である。またこの宇宙には、星が数百億、数千億集まっている「銀河」や、銀河が数百個、数千個も集まっている「銀河団」、さらに何億光年にもまたがった「銀河の網の目状の構造」すなわち「大規模構造」など、多様な階層構造が存在している。(「国立天文台」の説明)
《参考2-2》「銀河の網の目状の構造『大規模構造』」:「銀河」はなぜ、網の目状に分布しているのか?原因は「ダークマター」(重力は働くが、光で観測することのできない、いまだ正体不明の物質)である。かつてこの宇宙では、ダークマターがまわりよりわずかに多い部分に、重力によっていっそう多くのダークマターが集まり、立体的な網の目のような「大規模構造」が作られた。ダークマターの多い部分には普通の「物質」もより多く集まるので、この大規模構造をなぞるようにしてやがて「銀河」が誕生した。(「国立天文台」の説明)
《参考2-3》「最初の星が宇宙に灯る」:約130億年前には、銀河はすでに宇宙に存在したと観測からわかっている。しかし最初の星がいつ頃生まれたかは、正確なことはわかっていない。宇宙で最初の巨大な星々が、内部でさまざまな元素を作り出した後、超新星爆発を起こした。まき散らされた元素が、次の世代の星の種となった。(「国立天文台」の説明)

《参考3》「宇宙の誕生」:「宇宙」の始まりについて、ある説では、宇宙は「無」から生まれたとする。「無」とは、物質も空間も、時間さえもない状態。しかしそこでは、ごく小さ な「宇宙」が生まれては消えており、そのひとつが何らかの原因で消えずに成長したのが、私たちの宇宙だという。(「国立天文台」の説明)
《参考3-2》また生まれたての「宇宙」では時間や空間 の次元の数も、いまとは違っていた可能性がある。ある説によれば、「宇宙」は、最初は11次元で、やがて余分な次元が小さくなり、空間の3次元と時間の1次 元だけが残ったという。「宇宙」の始まりは、まだ多くの謎につつまれている。(「国立天文台」の説明)

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沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)6.「巨人の死体から生まれた世界――北欧神話『エッダ』の世界1」:「世界巨人型」の世界起源神話!

2023-08-26 17:22:17 | Weblog
(1)原初の巨人ユミルの死体から世界(「大地」「海」「岩石」「樹木」「天」など)が作られた:北欧神話『エッダ』!
10世紀頃にアイスランドで編纂された北欧神話『エッダ』に「世界巨人型」の世界起源神話が記されている。①原初に巨人ユミルがいた。①-2 アウズフムラという牝牛が乳を与えてユミルを養っていた。①-3 牝牛は塩辛い霜の石をなめると1日目に人間の髪、2日目に人間の顔、3日目に人間の全身が現われた。この男がブーリだ。②ブーリの息子がボル、③ ボルの3人の息子がオージンとヴィリとヴェーだ。(後にオージンが天地の支配者になる。)③-2 ボルの息子たちが巨人ユミルを殺した。③-3 巨人ユミルの死体から世界が作られた。(ア)ユミルの肉から「大地」、(イ)血から「海」、(エ)骨から「岩石」、(オ)髪から「樹木」、(カ)頭蓋骨から「天」、(キ)まつげから「人間の住む場所ミズカルズ」、(ク)脳みそから「雲」が作られた。

(2)メソポタミアの原初の女神ティアマトの殺害:「天」と「地」の創造!さらに「人間」の創造!
メソポタミアの神話によれば①初めに真水の男神アプスーと海水の女神ティアマトだけがあった。①-2 両神はそれぞれの水(真水と海水)を混ぜて神々を生んだ。①-3 若い神々が騒々しいので男神アプスーは機嫌をそこね若い神々を殺そうとした。② だがエアという神が男神アプスーを殺害した。②-2 エアからマルドゥクが生まれた。③愛する夫アプスーを殺された女神ティアマトは11の怪物を創造し復讐を準備した。③-2 そして息子の一人であるキングを戦闘の指揮官とした。④ 女神ティアマトの敵意に神々は怖気づき、強力なマルドゥクに、ティアマトと戦うことを望んだ。マルドゥクは自分が最高神となることを条件に受け入れた。④-2 武装したマルドゥクは風を味方につけティアマトと戦った。④-3 マルドゥクは勝利し、女神ティアマトの死体を二つに切り裂き、一つを「天」に、もう一つを「地」にした。④-4 さらにマルドゥクは神々の職能や天体の運行などを定めた。④-5 またマルドゥクは捕らえたキングの血から「人間」を創造し、神々に仕えさせることにした。

(3)中国の神話ではこの世のはじめに生まれた盤古(バンコ)という巨人が死ぬ時、「太陽」「月」「河川」「大地の起伏」「耕地」「田野に住む人々」などが生まれた!
中国の神話ではこの世にはじめに盤古(バンコ)という巨人が生まれた。彼が死ぬ時、彼の身体がさまざまなものに変った。(a)吐く息は「風」や「雲」に、(b)声は「雷鳴」に、(c)左の眼は「太陽」に、(d)右の眼は「月」に、(e)胴体や手足は「東西南北の四つの方角」と「五つの山」に、(f)血液は「河川」に、(g)筋脈は「山や丘陵、池や沢など大地の起伏」に、(h)肉は「耕地」に、(i)髪の毛やひげは「星々」に、(j)皮膚の毛は「草や木」に、(k)歯や骨は「金属」や「岩石」に、(l)もっともすぐれた部分は「珠玉」に、(m)汗は「雨」に、そして(n)体内のさまざまな虫は「田野に住む人々」となった。
《感想》『古事記』によれば黄泉の穢れから身を清めるため「禊」(ミソギ)を行った伊邪那岐が、「左の目」を洗うと天照大御神(あまてらすおほみかみ)が、「右の目」を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれた。これは中国の盤古の神話の場合と同じだ。盤古が死ぬ時、左の眼は「太陽」に、右の眼は「月」になった。(Cf.  伊邪那岐が「鼻」を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が生まれた。)

《参考》『旧約聖書』「創世記」第1章「天地創造」!
1日目:神は「天」(※天上界or彼岸)と「地」(※地上界or此岸)をつくった。「地」は形なく、むなしく、「やみ」が淵のおもてにあり、「神の霊」が水のおもてをおおっていた。神が「光あれ」と言われた。神はその光とやみを分けた。こうして光を「昼」、やみを「夜」と神が名づけられた。
2日目:神は「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」と言われた。すなわち神は「おおぞら」(「天」)を造って、「おおぞらの下の水」と「おおぞらの上の水」とを分けた。
3日目:神は「天(おおぞら)の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現われよ」と言われた。かくて「海」と「陸」(「地」)ができた。また神は「陸」(「地」)に「青草」と「種を持つ草」と「種のある実を結ぶ果樹」をはえさせた。
4日目:神は、昼をつかさどる「大きい光」(※太陽)、夜をつかさどる「小さい光」(※月)、また「星」を造られた。
5日目:神は「海の大いなる獣」と「水に群がるすべての動く生き物」(※魚など)を創造し、また(「地の上」つまり「天のおおぞら」を飛ぶ)「翼のあるすべての鳥」を創造された。
6日目:神は「地の獣」と「地に這うもの」と「家畜」を造られた。また神は「神のかたち(※神の似姿)」に「人」を創造し、ただし「男と女」とに創造した。
7日目:『旧約聖書』「創世記」第2章「こうして天と地と、その万象(バンショウ)とが完成した」。神はすべての作業を終って第7日に休まれた。

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沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)5.「月の表面には何がいる?――北アメリカの神話『月の蛙』」:「蛙の女」(太陽の妻)は「人間の女」(月の妻)への仕返しに月に張り付いた!

2023-08-24 13:56:54 | Weblog
(1)
月の表面には何がいる?「ウサギ」、「カニ」、「蛙」等々。北アメリカのアラバホ族に「月の蛙」の神話がある。太陽と月は兄弟で、天上世界で暮らしていた。弟の月は「人間の女」と結婚した。だが兄の太陽は「蛙の女」と結婚した。なぜなら「人間の女」は太陽を見るとき顔をしかめるので醜いが、「蛙の女」はしかめ面をせずに太陽を見つめるからだという。さて「人間の女」(月の妻)は何をしても上手だったが、「蛙の女」(太陽の妻)はいつも小便を垂れ流し、何をしても下手くそで夫の太陽からも、義理の両親からも、月からも軽んじられた。「蛙の女」は、これに腹をたて仕返しにと言って、月にぺったりと張り付いた。そのまま今でも、蛙は月に張り付いている。
(2)
なお中国の神話「嫦娥奔月」(ジョウガホンゲツ)では嫦娥という女性が不老不死の薬を夫から盗んで月に逃げる(奔月)が、その罪で嫦娥はヒキガエルになったという。かくて月の表面にはヒキガエルがいる。

《参考》北アメリカの神話『月の蛙』以外にも、世界で月の模様の見え方はさまざまだ。Ex. (ア)餅をつくうさぎ(日本・韓国)、(イ)不老不死の薬を挽くうさぎ(中国)、(ウ)ろば(南米)、(エ)ワニ(北米インディアン・南米・インド)、(オ)ほえるライオン(アラビア)、(カ)髪の長い女性(東欧・北米)、(キ)ヒキガエルの頭と前足(中国「嫦娥奔月」)、(ク)編み物をしている女性(インドネシア)、(ケ)大きな樹とその下で休む男(ベトナム)、(コ)悪行の報いとして幽閉された男(オランダ)。

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沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)4.「神様だって年を取る――エジプト神話の『太陽神ラー』」:神は「不死」であるが「不老」ではない!『古事記』では神々は天上界「高天原」に住む!

2023-08-23 10:51:49 | Weblog
A 神様は「不死」であるが、「不老」ではない。
B  エジプト神話の「太陽神ラー」ははじめ、自らが創造した世界を「地上」にあって統治した。彼は毎朝、ヘリオポリスの館から出て、大気のシュウを伴い、王国の12の州(日中の時間)を、威厳を持って進んだ。ある時、蛇のアペプがラーの敵と共謀し、ラーを殺そうとしたが一日の戦いの後、ラーは蛇アぺプを制圧した。
B-2 だがラーは年老いていくにつれて衰え、自制心をなくし、口から涎(ヨダレ)をたらした老人となった。
B-3  ラーは世界から引退することを望んだ。ラーは牝牛(メウシ)であるストの背に乗り、ストはラーを天まで揚げた。また他の神々は牝牛ストの腹にしがみつき、星々となった。
B-3-2 こうして天と地、神々と人間は引き離され、今日のような世界ができあがった。

《参考1》『古事記』では始めから天上界と地上界はわかれ、神々は天上界つまり「高天原」(タカマガハラ)に住む。「太陽神ラー」のように地上界に住むことはない。Ex. 有名な「天の岩戸」の段も「高天原」が舞台だ。
《参考1-2》『古事記』では、地上の人間が住む世界(地上界)は「豊葦原中国」(トヨアシハラノナカツクニ)と呼ばれ、また地中(地下界)に「根の国」or「黄泉」がある。

《参考2》『古事記』によれば「天地初発之時」(アメツチノハジメノトキ)、「高天原」に相次いで三柱の神(「造化の三神」)が生まれる:天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)・高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)・神産巣日神(カミムスヒノカミ)。続いて二柱の神が生まれる:宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)・天之常立神(アメノトコタチノカミ)。これら五柱の神は性別はなく、独身のまま子どもを生まず身を隠し、これ以降、表だって神話には登場しない。これら五柱の神は「別天津神」(コトアマツカミ)と呼ばれる。
《参考2-2》次に二柱の神が生まれた:国之常立神(クニノトコタチノカミ)・豊雲野神(トヨクモノノカミ)。この二柱の神は性別はなく、これ以降、神話に登場しない。引き続いて五組十柱の神々が生まれた。(五組の神々はそれぞれ男女対の神々である。)宇比地邇神(ウヒヂニノカミ)・須比智邇神(スヒヂニノカミ)、角杙神(ツノグヒノカミ)・活杙神(イクグヒノカミ)、意富斗能地神(オホトノジノカミ)・大斗乃弁神(オホトノベノカミ)、於母陀流神(オモダルノカミ)・阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)、伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)。(男性神・女性神の順。)以上の七組十二柱を総称し「神世七代」(カミノヨナナヨ)という。

《参考3》「国生み/国産み」(クニウミ)(Cf .「 国生み/国産み」の後には「神生み/神産み」カミウミが続く):伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二神は、漂っていた大地を完成させるよう「別天津神」(コトアマツガミ)たちに命じられる。別天津神たちは天沼矛(アメノヌボコ)を二神に与えた。伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(アメノウキハシ)に立ち、天沼矛で渾沌とした地上を掻き混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(オノゴロジマ)となった。
《参考3-2》伊邪那岐・伊邪那美の二神は淤能碁呂島に降り、男女として交わる。しかし女性である伊邪那美から誘ったため正しい交わりでなく、最初に生まれた不具の子である「水蛭子」(ヒルコ)を葦船(アシブネ)に乗せて流してしまう。
《参考3-3》悩んだ二神は「別天津神」(コトアマツガミ)のもとへと赴き、まともな子が生まれない理由を尋ねたところ、女から誘うのがよくなかったと言われた。そのため、二神は淤能碁呂島に戻り、今度は男性である伊邪那岐のほうから誘って再び目合った(性交した)。ここからこの二神は、「大八島」(オホヤシマ)を構成する島々を産む。①淡道之穂之狭別島(アハヂノホノサワケシマ): 淡路島。②伊予之二名島(イヨノフタナノシマ):四国。これは胴体が1つで、顔が4つあり、顔のそれぞれが愛比売(エヒメ)(伊予)、飯依比古(イヒヨリヒコ)(讃岐)、大宜都比売(オホゲツヒメ)(阿波)(後に食物神としても登場する)、建依別(タケヨリワケ)(土佐)だ。③隠伎之三子島(オキノミツゴノシマ)(別名は天之忍許呂別アメノオシコロワケ):隠岐島、④筑紫島(ツクシノシマ):九州。これは胴体が1つで、顔が4つあり、顔のそれぞれが白日別(シラヒワケ)(筑紫)、豊日別(トヨヒワケ)(豊国)、建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)(肥国)、建日別(タケヒワケ)(熊曽国)だ。⑤伊伎島(イキノシマ)(壱岐島)(別名は天比登都柱アメノヒトツバシラ)。⑥津島(ツシマ)(対馬)(別名は天之狭手依比売アメノサデヨリヒメ)。⑦佐度島(サドノシマ)。⑧大倭豊秋津島(オホヤマトトヨアキツシマ)(本州)。以上の八島が最初に生成されたため、日本を「大八島国」(オホヤシマノクニ)という。
《参考3-3-2》伊邪那岐・伊邪那美の二神は続けて6島を産む。(ア) 吉備児島(キビノコジマ)(児島半島:かつて島だった)、(イ) 小豆島(アヅキジマ)(小豆島)(別名は大野手比売オホヌテヒメ)、(ウ) 大島(オホシマ)(屋代島or周防大島)、(エ) 女島(ヒメジマ)(姫島)、(オ) 知訶島(チカノシマ)(五島列島)、(カ) 両児島(フタゴノシマ)(男女群島)。
《参考3-4》伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の「 国生み」で生成した「大八島国」(オホヤシマノクニ)とそれ以外の6島が、地上の人間が住む世界(地上界)つまり「豊葦原中国」(トヨアシハラノナカツクニ)である。

《参考4》「神生み/神産み」(カミウミ)とは、『古事記』によれば伊邪那岐・伊邪那美の二神が「国生み/国産み」(クニウミ)の後、多くの神々を生み出したことを指す。すなわち伊邪那岐・伊邪那美はさまざまな神々を生み出すが、火の神「火之迦具土神」(ヒノカグツチノカミ)を出産した際に伊邪那美は火傷で死ぬ。そのため伊邪那岐命は怒って火之迦具土神を十拳剣(トツカノツルギ)で切り殺した。(その時流れた血から神々が生まれる。)伊邪那岐は伊邪那美に再び会うため黄泉の国へ赴くが、伊邪那美は変わり果てた姿(伊邪那美の体には多くの雷イカズチの神がいた)になっており、伊邪那岐は逃げた。地上にもどった伊邪那岐は黄泉のケガレを清めるために禊ぎをしたが、このときもさまざまな神々が生まれた。さらに多くの神々が生まれる。最後に生まれた天照大御神(日の神、高天原を支配)・月読命(月の神、夜を支配)・須佐之男命(海を支配)は「三貴神」と呼ばれ、伊邪那岐に世界の支配を命じられる。

《参考4-2》「神生み/神産み」(その1):大八洲国やその他の小さな島々を産んだ伊邪那岐・伊邪那美は次に神々を産む。ここで産まれた神は家宅を表す神および風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々だ。
・大事忍男神(おほことおしをのかみ):伊邪那岐・伊邪那美が「国産み」を終えて「神産み」の最初に産んだ神。本居宣長『古事記伝』は、大事忍男神は熊野本宮大社に祭られる事解之男神(ことさかのおのかみ)のことだと解釈している。
・(1)石土毘古神(いはつちびこのかみ):土を司る神。Cf. (1)~(6)は「家宅六神」(カタクロクシン)であり家宅を表す(または守る)六柱の神である。
・(2)石巣比売神(いはすひめのかみ):砂を司る神。
・(3)大戸日別神(おほとひわけのかみ):門の神。
・(4)天之吹男神(あめのふきおのかみ):屋上の神。
・(5)大屋毘古神(おほやびこのかみ):木国(きのくに:紀州)に住む、木や家の神様。後にオオナムチ(大国主大神)を匿い助ける。
・(6)風木津別之忍男神(かざもつわけのおしをのかみ):「風木津」を風・持つとし、屋根が風に吹き飛ばされないように支え持ちこたえるという意味で、家屋の耐久性の神との説がある。
・大綿津見神(おほわたつみのかみ):海の神。
・速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)・速秋津比売神(はやあきつひめのかみ):両神の別名は「水戸神」ミナトノカミ)。「勢いの速く盛んな河口の神」の意。両神は以下の8柱の神々を産む:①沫那藝神(あはなぎのかみ)・沫那美神(あはなみのかみ)、②頬那藝神(つらなぎのかみ)・頬那美神(つらなみのかみ)、③天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)、④天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)・国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)。これら同時に生まれた八神の連関は、①河と海の二神の相打って生じる泡に沫那芸神・沫那美神が生じ、②その水面に頬那芸神・頬那美神が生じ、③水が蒸発して天に昇り雨となって国土に下り湧き出す作用を天之水分神・国之水分神(水分神は水の分配を司る神で「くまり」は「配りクバリ」の意)が司り、④天之久比奢母智神・国之久比奢母智神がそれを補助して水を分かち与える、という水の恵みを讃えたものとする説がある。
・志那都比古神(しなつひこのかみ):風の神。
・久久能智神(くくのちのかみ):木の神。
・大山津見神(おほやまつみのかみ):山の神。①八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)退治において、須佐之男(スサノヲ)の妻となる櫛名田比売(クシナダヒメ)の父母、足名椎・手名椎(アシナヅチ・テナヅチ)はオオヤマツミの子と名乗っている。②天孫降臨の後、邇邇芸命(ニニギノミコト)にオオヤマツミは娘の木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)とその姉の石長比売(イワナガヒメ)を差し出した。ニニギが、容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。
・鹿屋野比売神(かやのひめのかみ):草の神。「カヤ」は萱のことであり、家の屋根の葺く草。
・大山津見神(山の神)と鹿屋野比売神(草の神or野の神)は以下の8柱の神々を産んだ:①天之狭土神(あめのさづちのかみ)(山の土の神)・国之狭土神(くにのさづちのかみ)(里の土の神)②天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)(山の霧の神)・国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)(里の霧の神)、③天之闇戸神(あめのくらどのかみ)(山の暗いところor谷の神)・国之闇戸神(くにのくらどのかみ)(里の暗いところの神)、④大戸惑子神(おほとまとひこのかみ)(窪地の男神)・大戸惑女神(おほとまとひめのかみ)(窪地の女神)。
・鳥之石楠船神(とりのいはくすぶねのかみ):別名を天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、天鳥船(あめのとりふね)という。神が乗る船。この神は『古事記』では人格的な神だが、『日本書紀』では物体的な船そのものとされる。「楠」は古来船材とされた。
・大宜都比売神(おほげつひめのかみ):高天原を追放された須佐之男命は、空腹を覚えて大気都比売神に食物を求めると、様々な食物を須佐之男命に与えた。それを不審に思った須佐之男命が覗いてみると、大気都比売神は鼻や口、尻から食材を取り出していた。須佐之男命は、そんな汚い物を食べさせたのかと怒り、大気都比売神を殺した。すると、大気都比売神の頭から「蚕」が生まれ、目から「稲」が生まれ、耳から「粟」が生まれ、鼻から「小豆」が生まれ、陰部から「麦」が生まれ、尻から「大豆」が生まれた。これを神産巣日(カミムスヒ)御祖神が回収した。
・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ):別名は火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)あるいは火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)。別府市にある火男火売神社(ほのおほのめじんじゃ)は神体山である鶴見岳にあり火之加具土命等を祭神とする。

《参考4-3》「神生み/神産み」(その2):「火之迦具土神」(ひのかぐつちのかみ)を出産したとき女陰が焼け、伊邪那美は病気になった。病に苦しむ伊邪那美の吐瀉物などから次々と神が生まれた。
・金山毘古神(かなやまびこのかみ)・金山毘売神(かなやまびめのかみ):ともにイザナミの吐瀉物から生まれた。「金山」は鉱山であり、この二神は鉱山の神である。
・波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)・波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ):ともにイザナミの大便から生まれた一対の神。(a)「ハニ」は、土器や陶器のもとになる粘土を示す語であり、ハニヤスは粘土を神格化したもの。(b)記紀の語るハニヤス誕生譚では、火の神、金属・鉱石の神、粘土の神、水の神、食物の神が連続して誕生している。「火」によって金属加工技術や土器・陶器の焼成技術を獲得したこと、また焼畑農業のような農耕文化の誕生を象徴する。(c)ハニヤスは「土の神」として農耕・開墾・田畑の守護神ともされる。(d)大便から生まれたことから、農業神の一種として農耕に役立つ肥料の神として祭祀されたり、便所の神として祀られることもある。(e)「土」に関わる土木業・造園業の守護神ともされる。(f)『延喜式』所載の祝詞には、記紀と異なり「荒ぶる火の神の害から民を守るためイザナミが火鎮めの神としてハニヤスを生んだ」という挿話がある。このためハニヤスは「鎮火の神」として愛宕神社(埴山姫神ハニヤマヒメノミコト)で重要な祭神である。古代には火災の消火に土や泥が用いられたことを象徴する。
・彌都波能売神(みつはのめのかみ):イザナミの尿から生まれる。日本における代表的な水の神(水神)である。
・和久産巣日神(わくむすひのかみ):イザナミの尿から生まれる。『日本書紀』では、この神の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(へそ)の中に五穀が生じたとしている。
・和久産巣日神には一柱の子がいる:食物神の豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)。

《参考5》「神生み/神産み」(その3):伊邪那岐は伊邪那美の死に涕泣したが、この涙から泣沢女神(なきさわめのかみ)が生まれた。Cf.  「ナキ」は「泣き」で、「サワ」はたくさん泣くという意味がある。「メ」とあるので女神である。Cf. 太古の日本には、巫女が涙を流し死者を弔う儀式が存在した。ナキサワメはこの巫女の役割が神格化したものとも言われ、出産など生命の再生に関わる信仰を集める。また雨は天地の涙でありナキサワメは降雨の神様ともされる。

《参考5-2》「神生み/神産み」(その3-2)妻を失った怒りから伊邪那岐命は火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を十拳剣(トツカノツルギ)で切り殺した。このとき剣からしたたった血から8柱の神々が生まれた。
・石折神(いはさくのかみ):岩を裂く神。岩を裂くほどの切れ味をもった剣の神。
・根折神(ねさくのかみ):堅い木の根すらも切り裂く神。
・石筒之男神(いはつつのをのかみ):磐石(いわむら)の神。
以上、3柱の神は十拳剣(トツカノツルギ)の「剣先」からの血が岩石に落ちて生まれた。
・甕速日神(みかはやひのかみ):雷神。落雷による出火の霊威の神格化とする説がある。
・樋速日神(ひはやひのかみ):雷神。火が地上の樹木等につき発火する落雷の表象とする説がある。
・建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ):雷神。後に「葦原中国」の平定に際し「高天原」から葦原中国へ派遣する三度目の使者で天鳥船神とともに派遣された。出雲国の伊耶佐の小浜に降り立ち大国主神との国譲りの交渉に成功した。鹿島神宮の主神(武甕槌大神)。
以上、3柱の神は十拳剣(トツカノツルギ)の刀身の「鍔元(ツバモト)」からの血が岩石に落ちて生まれた。この3柱は雷神である。
・闇淤加美神(くらおかみのかみ):竜神。「闇(クラ)」は谷間、「オカミ」は龍の古語。龍は水や雨を司る神として信仰された。
・闇御津羽神(くらみつはのかみ):峡谷の出始めの水を司る竜神。「闇」は「暗」で暗がりである谷間を、「ミツハ」は「水早」で水の出始めを意味する。
以上、2柱の神は十拳剣(トツカノツルギ)の「柄」から指の間に垂れしたたった血より生まれた。

《参考5-3》「神生み/神産み」(その3-3)殺された「火之迦具土神」(ひのかぐつちのかみ)の死体からも神々が生まれた。すなわち火神の屍体から8柱の山の神々(山津見神)が化成した。
・正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ):迦具土神(かぐつちのかみ)の「頭」から生まれる。正真正銘の(正鹿)山の神との説がある。あるいは山頂部を司る山の神。
・淤縢山津見神(おどやまつみのかみ):迦具土神の「胸」から生まれる。山腹を司る神との説がある。
・奥山津見神(おくやまつみのかみ):迦具土神の「腹」から生まれる。木々の繁る暗い山奥を司る神。
・闇山津見神(くらやまつみのかみ):迦具土神の「性器」から生まれる。山の谷間の暗い場所を司る神。
・志藝山津見神(しぎやまつみのかみ):迦具土神の「左手」から生まれる。「志藝」を「繁木(しぎ)」と解釈し木の茂った山の神とする説がある。
・羽山津見神(はやまつみのかみ):迦具土神の「右手」から生まれる。ハヤマは端山の意で、山の麓を司る神。奥山津見に対応する。
・原山津見神(はらやまつみのかみ):迦具土神の「左足」から生まれる。「原」つまり山中の平な場所を司る神、あるいは「原」という字は「石」と「泉」から成るので山中に湧き出る泉を司る神との説がある。
・戸山津見神(とやまつみのかみ):迦具土神の「右足」から生まれる。山から見て外(ト)つまり里近くをつかさどる神との説がある。ヤマツミは山の神。

《参考6》「神生み/神産み」(その4):伊邪那岐(イザナギ)は伊邪那美(イザナミ)を取り戻そうと「黄泉国」へ赴いた。伊邪那美は姿を見せず戸越しに「黄泉神と相談しましょう。お願いですから、私の姿は見ないで下さい」と言い家の奥に入った。伊邪那岐は、伊邪那美がなかなか戻ってこないため、火をともして中をのぞき込んだ。すると伊邪那美は、体は腐って蛆がたかり、蛇の姿をした8柱の雷神(八雷神)がまとわりついていた。
・大雷(おほいかづち):伊邪那美(イザナミ)の「頭」にある
・火雷(ほのいかづち):同上の「胸」にある
・黒雷(くろいかづち):同上の「腹」にある
・折雷or咲雷(さくいかづち):同上の「陰部」にある
・若雷(わかいかづち):同上の「左手」にある
・土雷(つちいかづち):同上の「右手」にある
・鳴雷(なるいかづち):同上の「左足」にある
・伏雷(ふすいかづち):同上の「右足」にある
伊邪那美命に生じた8柱の雷神は、「大雷神」は強烈な雷の威力を、「火雷神」は雷が起こす炎を、「黒雷神」は雷が起こる時に天地が暗くなる事を、「咲雷神」は雷が物を引き裂く姿を、「若雷神」は雷の後での清々しい地上の姿を、「土雷神」は雷が地上に戻る姿を、「鳴雷神」は鳴り響く雷鳴を、「伏雷神」は雲に潜伏して雷光を走らせる姿を示すとの説がある。

《参考6-2》「神生み/神産み」(その4-2):おののいた伊邪那岐は逃げようとしたが、伊邪那美は自分の醜い姿を見られたことを恥じて、黄泉醜女(よもつしこめ)、さらに8柱の雷神と黄泉軍に伊邪那岐を追わせた。伊邪那岐は十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)に着いた。そこで桃の実を3つ投げ追っ手を追い返した。最後に伊邪那美本人が追いかけてきたので、伊邪那岐は大岩で黄泉比良坂をふさいだ。
・黄泉比良坂をふさいだ大岩は、道返之大神(ちかへしのおほかみ)あるいは黄泉戸大神(よみとのおほかみ)という。

《参考7》「神生み/神産み」(その5):伊邪那岐(イザナギ)は黄泉の穢れから身を清めるため「禊」(ミソギ)を行った。衣を脱ぐと12神が生まれた。前半6神が陸路の神、後半6神を海路の神とする説がある。
・衝立船戸神(つきたつふなとのかみ):「杖」から生まれる。境界にあって邪悪なものを侵入を防ぐ道祖神に当たる神。「船戸」は「船門」、港の事で人の出入りが頻繁なため、そこで邪悪なものの侵入を防塞する道の神。
・道之長乳歯神(みちのながちはのかみ):「帯」から生まれる。邪悪な物を防塞し、長い道中の安全を守護する岩の神とする説がある。「長い道の端」として異界との境界としての意味を汲む説もある。『書紀』に「長道磐神」(ながちはのかみ)とある。
・時量師神(ときはかしのかみ):「袋」から生まれる。黄泉国の邪悪な穢れを除去することを職能とする神との説がある。「トキハカシ」は「解き放(ハカ)し」or「解き剝かし」で、災厄や穢れの込められた嚢をうち捨てること。
・和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ):「衣」から生まれる。「和豆良比」は「煩ひ」、「宇斯」は大人で人格化の称。黄泉国の穢れそのものの神格化で疫病神との説がある。
・道俣神(ちまたのかみ):「袴」(ハカマ)から生まれる。道に関する神で、「ちまた」は「道(チ)股(マタ)」つまり道の分かれる場所。『日本書紀』ではサルタヒコと同神とされる。
・飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ):「冠」から生まれる。諸々の罪穢れを喰う神。また飢餓から守ってくれる神。

・奥疎神(おきざかるのかみ):「左手の腕輪」から生まれる。「奥」は沖の意。「サカル」は放る・離るで、遠くの意。海の沖の神か?
・奥津那芸佐毘古神(おくつなぎさびこのかみ):「左手の腕輪」から生まれる。「那芸佐」(なぎさ)は渚に打ち寄せてくる波。海の沖からの波の神か?
・奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ):「左手の腕輪」から生まれる。「甲斐弁羅」(かひべら)は境界・中間。海の沖の海辺側の神か?
・辺疎神(へざかるのかみ):「右手の腕輪」から生まれる。「辺」は海辺の意。海辺の「海から遠い側」の神か?
・辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ):「右手の腕輪」から生まれる。海辺の「波が打ち寄せる岸辺」(なぎさ)の神か?
・辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ):「右手の腕輪」から生まれる。海辺の「海」と「遠い側」との「中間」の場所の神か?
これら「海の6神」が腕輪(手纏)から生まれたのは、腕輪が真珠や貝殻で海を連想させるからとの説がある。

《参考7-2》「神生み/神産み」(その5-2):伊邪那岐が「上流は流れが速い。下流は流れが弱い」といって、中流で身を清めたとき、二神が生まれた。この二神は「黄泉の穢れ」から生まれた神である。
・八十禍津日神(やそまがつひのかみ)Cf. 「八十」は数の多さを表す語。
・大禍津日神(おほまがつひのかみ)
次に、その「禍(まが)を直そう」とする三神が生まれた。穢れを払い、禍(まが)を直す神。(『古事記』に「其の禍を直さむと為て成れる神」とある。)
・神直毘神(かむなおびのかみ)
・大直毘神(おほなおびのかみ)
・伊豆能売(いづのめ):「伊豆」は神聖・清浄のイツ(厳)、「能」は助詞、「売」は女で、「伊豆能売」は禊の際の巫女と解する説がある。Cf. 「ナオビ」は穢れを祓う神事を行う際の祭主であり「イヅノメ」は巫女だ。

水の「底」で身を清めると二神が生まれた。
・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ):綿津見三神の一柱
・底筒之男神(そこつつのをのかみ):住吉三神の一柱
水の「中程」で身を清めると二神が生まれた。
・中津綿津見神(なかつわたつみのかみ):綿津見三神の一柱
・中筒之男神(なかつつのをのかみ):住吉三神の一柱
水の「表面」で身を清めると二神が生まれた。
・上津綿津見神(うはつわたつみのかみ):綿津見三神の一柱
・上筒之男神(うはつつのをのかみ):住吉三神の一柱
Cf. 底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神は墨江(スミノエ)(住吉大社)の三柱の大神(住吉三神)である。

《参考7-3》「神生み/神産み」(その5-3):①伊邪那岐が「左の目」を洗うと天照大御神(あまてらすおほみかみ)が生まれた。②「右の目」を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれた。③「鼻」を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が生まれた。伊邪那岐は最後に三柱の貴い子(「三貴神」)を得たと喜び、①天照大御神に首飾りの玉の緒を渡して高天原を委任した。その首飾りの玉を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)という。②月読命には夜の食国(をすくに)を、③建速須佐之男命には海原を委任した。

《感想1》まことに日本は「八百万神」(やおよろずのかみ)の国だ。『古事記』上巻「天(あま)の岩戸」の段に「八百万神、天(あめ)の安(やす)の河原に神集(かむつど)ひ集ひて」とある。本居宣長は『古事記伝』で「八百万は、数の多き至極を云(いへ)り」と述べている。
《感想2》なお伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二神による「神生み/神産み」以後も新たな神が生まれる。
《感想2-2》例えば「宗像三神」はアマテラスとスサノヲの誓(うけい)から生まれた。(沖津宮の「田心姫神(タゴリヒメ)」、中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)」、辺津宮の「市杵島姫神(イチキシマヒメ)」。)アマテラスは、スサノヲの邪心(国を奪おうとしている)を疑い、スサノヲがたばさんでいる剣を天の真名井ですすぎ、口で噛みくだいて吐き出すとこの三女神が生まれた。Cf. 天孫ニニギノミコトが降臨するときアマテラスは三女神に「あなたたち三神は、道中(みちなか)に降臨して天孫を助け奉り、天孫に祭(いつ)かれよ」と命じた。「道中」とは九州から半島・大陸へつながる海の道(海北道中)である。

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沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)3.「脱皮して若返る人間たち――オセアニアの『脱皮型』神話」:人間は「脱皮」をやめ、あるいは「脱皮」のチャンスを失い「死ぬ」運命となった!

2023-08-20 12:47:49 | Weblog
(1)
メラネシアのソロモン諸島に死の起源についての「脱皮型」神話がある。人間は、以前は蛇のように「脱皮」をして若返ることができた。そして永遠の青春を楽しんでいた。ある日、祖母が孫娘の面倒を見ていた。祖母は若返ろうと思い、孫娘から離れ「脱皮」して古い皮を川岸に捨て家に戻った。ところが孫娘は若返った祖母を、自分の祖母と思わず泣きやまない。しかたなく祖母は川に戻って古い皮を再び身に付けると、孫娘は泣きやんだ。これ以来、人間は「脱皮」をして若返ることができなくなった。
(2)
メソポタミアの神話にも「脱皮型」死の起源神話がある。英雄キルガメシュが苦労して手に入れた「若返りの草」を蛇が食べてしまい、蛇は「脱皮」し若返り不死となったが、人間は「脱皮」できず、若返ることなく老いて死なねばならなくなった。

《感想1》死の起源神話のうち①「バナナ型」神話はバナナ(甘美な生)と死のセットを人間は選び、不死だが無味な石は選ばなかったと述べる。②「カメ型」(「カメと石」)神話は人間は「カメ」のように子どもをもつことを願ったので不死でなくなった、つまり「石」のように不死だが子どもをもたないことを人間は選ばなかったと述べる。
《感想2》③「脱皮型」死の起源神話は、蛇の脱皮を「若返り」つまり「不死」ととらえ、人間は「脱皮」することを自分からやめ(ソロモン諸島の神話)、あるいは「脱皮」するチャンスを失い(メソポタミアの神話)、かくて人間は「死ぬ」運命となったと述べる。
《感想3》現実には蛇の寿命は最長でも30年程度のようだ。

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安部公房(1924-1993)「公然の秘密」(1975年):虚構された「仔象」は事実世界に存在しない!「仔象」は物語の「幻」であり、物語が終わるとき(燃えつき)存在しなくなる!

2023-08-19 17:03:20 | Weblog
※安部公房(アベコウボウ)(1924-1993)「公然の秘密」(1975年、51歳)『日本文学100年の名作、第7巻、1974-1983』新潮社、2015年、所収
(1)
なかば埋め立てられた掘割の底に、泥と汚水がねっとりとよどんでいる。そこに泥に埋まった「街路樹のようなもの」が見える。それが動くはずがないのに動いている。だが誰もが見て見ぬふりをしている。誰もが「真相を見抜いている」。気にしていてもしないようなふりをしている。「公然の秘密」だ。
(2)
動いている。たしかに動いている。白く乾いた泥の被膜に、裂けめができた。樹の幹に見えた部分は背骨だった。枝に見えた部分は肋骨だった。骨と骨のあいだの、油紙のような皮。骨はもがいて起上ろうとしている。ついに背骨の前に大きな頭部が露出した。それは「飢えた仔象」だった。
《感想1》《掘割の底の泥に埋まった「街路樹のようなもの」が「象」であることは誰もが知っていた》のに、それについて誰も語らない。それは「公然の秘密」(①)だった。
《感想2》死んで腐って骨と皮しか残っていない仔象が起上る。このような出来事を当然のことと考える人々!《彼らは“ゾンビ的存在”を信じる、つまり“事実世界の蓋然性”と異なる“異世界の蓋然性”を信じる。》だがそのことを彼らは口に出さない。これも「公然の秘密」(②)だ。
(3)
「飢えた仔象」の《生きているかのように行為する死体》(Cf. ゾンビ)の鼻は腐って、すっかり短くなってしまっている。腐った死体である「仔象」が掘割の斜面をのぼる。だが誰も突き落とさない。「仔象」は掘割を這上り、腐った足で、よろめきながら歩きだす。「仔象」は飢えている。食べ物を探している。
(4)
腐った仔象がうろつきまわるのは「目ざわりだ」と人々は言った。《あそこ(掘割の底の泥)に象がいることは、誰もが知っていた》:「公然の秘密」(①)。そして《誰もが仔象が「腐りきるまで、あの中(掘割の底の泥の中)でじっと待っていてくれりゃよかったのに」と思っていた》:「公然の秘密」(③)。
(5)
腐った死体である「飢えた仔象」は食べ物を欲しがり探す。橋の上から誰かが何かを投げつけた。それは「マッチ箱」だった。腐り落ちた鼻を持つ「仔象」は、箱をゆっくりと小さな口で齧(カジ)りはじめる。つづいていくつものマッチ箱が、いっせいにその飢えた「仔象」めがけて飛んだ。仔象の視線には感謝の色がこめられていた。
(5)-2
腐った死体である「飢えた仔象」は小さな口で「マッチ箱」を食べつづけ、ぼくらは待った。何を待っているのか、はっきりはしなかったが、とにかく待ちつづけた。仔象は無邪気に食べつづけ、ぼくらの間には、しだいに殺気がみなぎりはじめていた。当然だろう、《弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている》:「公然の秘密」(④)。
(5)-3
「やがて仔象は、古新聞のように燃え上り、燃えつきた。」

《感想3》「公然の秘密」は4つある。《掘割の底の泥に埋まった「街路樹のようなもの」が「象」であることは誰もが知っていた》:「公然の秘密」(①)。《彼らは“ゾンビ的存在”を信じる、つまり“事実世界の蓋然性”と異なる“異世界の蓋然性”を信じる》:「公然の秘密」(②)。《誰もが仔象が「腐りきるまで、あの中(掘割の底の泥の中)でじっと待っていてくれりゃよかったのに」と思っていた》:「公然の秘密」(③)。《弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている》:「公然の秘密」(④)。

《感想4》「やがて仔象は、古新聞のように燃え上り、燃えつきた。」それはなぜか?
《感想4-2》この物語は、「死んで腐って骨と皮しか残っていない仔象が起上る。そしてこのような出来事を当然のこと(公然の秘密)と考える人々が存在する」という世界を虚構している。虚構された「仔象」はそもそも事実世界に存在しない。つまり「仔象」は物語という「幻」産出装置が生み出した「幻」だ。物語が終わるとき、「仔象」は(燃えつき)存在しなくなる。
《感想5》あるいは「仔象」が「燃え上り、燃えつきた」ことについては、人々の「殺意」がサイコキネシスpsychokinesis(念力)として働き、腐った死体である「飢えた仔象」の存在を消滅させたとも考えられる。

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