宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

朝井リョウ(1989-)『正欲』(2021年、32歳):「多様性」を認めるとは、実は「理解しがたいもの」、「嫌悪感を抱くもの」に「しっかり蓋をする」だけにすぎないという可能性が常にある!

2023-11-30 10:54:41 | Weblog
(1)
人生には「大きなゴール」がある。それは「明日死にたくない」と思うことだ。つまり「明日死なないこと」だ。「死にたくない人たち」がこの世の「多数派」だ。(6-7頁)「正しい命の循環」の中にいる人たち!(181頁)
《感想》「多数派」にとっては、この世が「少数派」にとってのように「生きにくい」ことはない。
(2)
名門私立小5年の寺井泰希(タイキ)は、小3の時から不登校だ。父の寺井啓喜(ヒロキ)(40歳代)は検事だ。泰希(タイキ)は、「これからの時代、もう学校は必要ない」・「自分の力でやりたいことをやる」と説く小学生インフルエンサーに傾倒している。(29-30頁)

(3)
モールの寝具店につとめる桐生夏月(30歳代)は彼氏がいない。異性への性的興味がない。夏月は「性欲」にかんして「ありふれた人生の形」を生きることができない。彼女は「水フェチ」である。(44-47頁)
Cf. ただし夏月はいつもこう唱える。「睡眠欲は私を裏切らない」、「食欲は人間を裏切らない」。(93頁)
(3)-2
夏月は思う。「他者が登場しない人生」(①「異性愛」でない、また②「水フェチ」であることを隠さねばならない)は「本当に虚しい」。「私はあんたが想像もできないような人生を歩んでるんだ」って叫び散らして、「安易に手を差し伸べてきた人間から順に殺してやりたい」。
(3)-3
「蛇口から吹き出る水を見たかった」という「藤原悟」の器物損壊罪の記事を笑っていたクラスメイト全員を「ブチ殺してやりたかった」と(水フェチの)佳道が(水フェチの)夏月に言った。(366頁)
《感想1》「殺してやりたい」と多数派に殺意を持つ「非異性愛」者(少数派)は、他者が「異性愛者」である」というレッテルだけで、他者に対して殺意を持つ。「非異性愛」者(少数派)は「危険」とされるほかない。
《感想2》「手を差し伸べる」善意者よりも、少数派(非異性愛者)に対し唾を吐きかけ暴力的である「悪意者」の方がましだということか?(ひねくれ、かつ攻撃的だ。)
《感想2-2》そもそも「他者理解」は原理的に常に困難なのだから、「善意者」が「悪意者」よりも悪質とは言えないだろう。

(4)
神戸八重子(大1)は「人の美醜にランク付けする」のはおかしいと思い「ミスコン廃止」・「全員がミス・ミスターだ」と主張する。(48-49頁)ミスコンは「性的搾取」・「ルッキズム」を助長すると八重子は言う。(144頁)
(4)-2
女子の衣装が露出が多いのは「性的搾取」だと八重子は思う。(51頁)
(4)-3「ブスの僻みでミスコンがつぶれた」という陰口がある。(97頁)「ブスでデブのおまえは自意識過剰だ」との悪口もある。(156頁)
(4)-4
結局、学祭は「ミスコン」を廃止し、「ダイバーシティフェス」、「誰もが自分に正直になれて、繋がりを感じられる祝宴」になった。(208頁)

(5)
「恋愛感情によって結ばれた男女二人組」に八重子は興味がない。「ボーイズラブ」にも八重子は興味がない。(60-61頁)
(5)-2
八重子にとって「男という生き物が気持ち悪い」。9歳上の(2年以上)引きこもりの兄の部屋で、17歳の八重子がAV動画を発見し、「世の中の男が全員ああいう動画を家で独りじっくり楽しんでいる」と思い気持ち悪いと思うようになった。(213頁)
(5)-3
だが八重子は諸橋大也(大1)に恋心を持つようになる。「抱きしめてもらいたい」と思う。(68-69頁)
(5)-4 
大也は「AVを経た眼差しで、自分を含めた女性のことを見ていない」と八重子は思い好意を持つ。だが実は大也は異性愛に無関心な「水フェチ」だ。(220頁)

(6)
「世間体」じゃなくて「子どもの人生」のために、子どもはきちんと「登校」すべきだと寺井啓喜(ヒロキ)は思う。小学生インフルエンサーが「学校はいらない」と言うが、「親の金で暮らしてる奴が、何言ってるんだ」だと啓喜(ヒロキ)は思う。(74-75頁)

(7)
諸橋大也(大1)は「異性愛者」(多数派)でない。大也は彼らの「無自覚な特権階級」度合に怒る!(317-318頁)
(7)-2
大也が自慰行為の際に思い浮かべるのは、女の姿でなく「水にまつわる映像」だ。大也にとって自由自在に形を変える水の姿は、他の何にも代替されえない「煽情的な存在」だ。(水フェチ!)(326頁)
(7)-3
大也は、「異性」に対する以外に様々な「性的嗜好」があることを中学2年生の時、SNSで知って安心した。①人が嘔吐する様子に性的興奮する「嘔吐フェチ」、②丸吞みされる様子に興奮する「丸呑みフェチ」、③時間停止・石化・凍結などによる人体変化に興奮する「状態異常/形状変化フェチ」、④風船そのものあるいは風船を膨らませる人に興奮する「風船フェチ」、⑤ミイラのように拘束する・されることを好む「マミフィケーションフェチ」、⑥「窒息フェチ」、⑦「腹部殴打フェチ」、⑧「流血フェチ」、⑨「真空パックフェチ」・・・・・・(325-327頁)このように様々な「特殊性癖」の当事者たち。(367頁)
(7)-4
世の中には「異常性癖」の者はたくさんいる。小児性愛のほか、風船を割ることに興奮するなど。(169頁)
(7)-5
大也は、「自分が想像しえない世界を否定せず、干渉せず、隣同士ただ共に在る」という「多様性」の概念を知った。大也は自分に正直に生きるため、声を上げず、ありのままの自分を、誰かにわかってもらおうとする必要のないまま生きていられることを知った。(327頁)

(8)
「社会に恨みがある」、「自分は社会に受け入れてもらえなかった」、「どうしようもなかった」と多くの被疑者が言い訳するが、「自分で自分をどうにかできるチャンスはいくらでもあっただろう」、「自己責任」があると検事の寺井啓喜(ヒロキ)は思う。(166頁)
(8)-2
検事の寺井啓喜(ヒロキ)は「小児性愛者」は「この世のバグみたいな奴らだ」、彼らは「性犯罪者予備軍」だと言う。(349頁)

(9)
桐生夏月(30代)と佐々木佳道(30代)は水の動きに性的に興奮する。水道の蛇口を壊し吹き出る水を見て性的に興奮する。「水フェチ」!(187頁)「蛇口を壊して思い切り水を噴出させてみたかった」と佳道が言った。(201頁)「水風船を割れないまま何度投げ合えるか対決」、「ホースの水をどこまで飛ばせるか対決」を見たい。(205頁)

(10)
「多数派」は少数派の性的嗜好(Ex. 水フェチ)に対して、「なんよそれ。意味わからん。まじウケる。でもキチガイは迷惑じゃなあ」と言う。(197頁)
(10)-2
「水フェチ」の桐生夏月と佐々木佳道は言う。「自覚してるもんね。自分たちが正しい生き物じゃないって。」(198頁)「社会の多数派から零れ落ちることによる自滅的な思考や苦しみ」!(244頁)
(10)-3
夏月と佳道は、「多数派」or「世間」を欺くため婚姻届けを出すが、「異性愛」には全く興味がなく、ともに「水フェチ」(噴出する水などに性的に興奮する)だ。すなわち「恋愛関係にない異性同士による婚姻」。(303-305頁)
(10)-4 
「これまでずーっとウソつきながら生きてきた」と佳道。(303頁)

(11)
「多数派」は異性愛者であり、男子生徒の「多数派」は「どの女子部屋に行きたい」とか、「誰の風呂を覗きたい」とか、「普段、どんなAVを見てるか」など「下ネタ」でもりあがる。(193頁)
(11)-2
「マジョリティ」側に生まれ落ちれば自分自身と向き合う機会は少なく、「自分がマジョリティである」ということが唯一のアイデンティとなる。そしてそのように特に信念がない人ほど、自分が「正しい」と思う形に他人を正そうとする。(Ex . 田吉)(294頁)

(12)
朝井リョウ氏が言う。「人間は結局、自分のことしか知り得ない。」「社会とは、究極的に狭い視野しか持ち合わせていない個人の集まりだ。」(359頁)
《感想1》だが「人間は結局、自分のことしか知り得ない」という朝井リョウ氏の見解は誤りだ。各人の「細かい」感情・気分・意図については「自分のことしか知り得ない」が、「社会生活を営む上で必要」な他者の感情・気分・意図は十分(or不十分)に適切にわかる。
《感想1-2》法律的、政治的、軍事的、経済的、社会的、文化的等の諸制度は他者の相互了解の上に必要な限りで十分(or不十分)に適切になされる。文化的行為もしばしば共同行為である。(極めて私的・個人的行為以外の)社会生活or社会的相互行為の一切は、他者の感情・気分・意図の理解に基づく。そしてその他者理解によって社会生活or社会的相互行為は十分(or不十分)に適切に行われる。
《感想2》「数学」はきわめて間主観的であり、人々の共通の「理性」という名の相互(他者)理解の産物だ。
《感想3》「言語」も間主観的であり、人々の相互理解(他者理解)の産物だ。

(13)
佐々木佳道(30代)は「マイナーなフェチ当事者の精神的な互助会のようなコミュニティ」を組織しようとする。佳道は「今のうちに(水フェチの)仲間を作っておきたい」と言う。そしてそうした趣旨を佳道はSNSに投稿した。(386-387頁)
(13)-2
SNSでのやり取りで、「我々のような人間にとって、世の中って正直、恨みの対象だ」と佳道が述べる。「わかります」と大也。「でも社会を恨むことにももう疲れてきたんです」、「どうせこの世界で生きていくしかないんだから、少しでも生きやすくなるように、同じ状況の人ともっと繋がってみたくなったんです」と佳道が言う。(388-389頁)

《感想1》「正欲」とはすなわち「正しい」性欲のことだ。「正しい」性欲は、普通「多数派」の性欲(異性愛)とされる。
《感想2》だが「多様性」の肯定の観点からすれば「少数派」の性欲(特殊性癖、諸フェチ)も「正欲」すなわち「正しい」性欲だ。
《感想2-2》ただし皮肉なことに、「多様性」を認めるとは、実は「理解しがたいもの」、「嫌悪感を抱くもの」に「しっかり蓋をする」だけにすぎないという可能性が常にある。(Cf. 8-10頁)

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三浦哲郎「おおるり」(1975年):一方は突然の「予期されない」彌田さんの「死」、他方は「予期された」、ただしまだ三十代の旦那の若い「死」!旦那を気遣う奥さんの「愛情」!

2023-11-10 18:20:52 | Weblog
※三浦哲郎(ミウラテツオ)(1931-2010)「おおるり」(1975年、44歳)『日本文学100年の名作、第7巻、1974-1983』新潮社、2015年、所収

(1)
彼は消防士だ。消防団員の彌田さんが火事の現場で突然死んだ。その初七日の翌朝だ。彌田さんは、新建材の有毒ガスの中毒であっけなく亡くなった。命のあまりの脆(モロ)さに、彼は「呆然とする」ばかりだ。
(2)
その朝、8時前、「ごめんください」と三十前くらいの女性がやって来た。その女性は小柄で色白だった。「随分いろんな小鳥の声がきこえますね」と女の人は云った。この消防屯所では6種類の小鳥を飼っていた。その女の人は隣の市民病院の付添婦で、「おおるり」の声を毎朝、耳を澄まして聴いていると言った。
(2)-2
5階建ての市民病院の3階以上が入院患者の病室だが、毎朝、小鳥の啼き声が聞こえてくる。入院患者はそれをなにより楽しみにしている。ただ欲を言えば、もう少し近いところで聞きたい。それでその付添婦の人は、寝たきりの病人たちの願いをかなえてやりたくて、小鳥を飼っている消防屯所をさがして、やって来たと言う。
(3)
そこで彼は、「おおるり」の啼き声が市民病院の5階でもよく聞こえるように、消防署の鉄塔に滑車をつけ、「おおるり」を入れた鳥かごを高い位置まで滑車で上げると、その付添婦の女性に約束した。彼はそれを、毎朝実行した。
(4)
1カ月ほどたったある朝、彼が消防屯所へ出勤すると、宿直明けの同僚の友さんが、黙って彼の胸もとへ菓子折りを突き出した。友さんが言った。「きのう、『おおるり』の奥さんが来てね、これを君にといって置いて行った。」彼は「付添婦のひとね。」と笑って訂正すると、「奥さんだよ、入院していた主人が亡くなったといってたから」と友さんが言った。「旦那さんはまだ三十過ぎたばかりで、癌にやられたんだって、気の毒に。君に『おおるり』の礼をいってたよ。毎朝とてもよく聞こえたそうだ。」

《感想1》消防団員の彌田さんの突然の死、入院していて三十過ぎたばかりで癌で亡くなった男性、主題は「死」である。
《感想2》一方は突然の「予期されない」彌田さんの死、他方は「予期された」ただしまだ三十代の旦那の若い死。
《感想3》そしてその旦那を気遣う奥さんの「愛情」。

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沖田瑞穂『すごい神話』53.「天と地の悲しみ――『ラーマーヤナ』の世界」:世界が成り立つためには、「天」ラーマと「地」シーターは離れていなければならない!「天地分離の神話」!

2023-11-08 11:10:50 | Weblog
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

A  コーサラ国のダシャラタ王の子ラーマは、魔王(羅刹の王)ラーヴァナを退治するために「ヴィシュヌ神」が自ら化身したものであった。ラーマは成長するとジャナカ王のもとへ行き、強弓を引く試練を経て王女シーターを妻に得た。シーターは畝(「大地」)から掘り出されてジャナカに拾われた赤子で、女神の化身だった。
A-2  ラーマは、偽計により王位継承権を奪われ森に追放され、シーターもそれにしたがった。森でシーターは魔王ラーヴァナにさらわれる。猿王スグリーヴァの家臣ハヌマーンの助力で、ラーマはシーターを取り戻した。
A-3 ところがラーマはシーターの貞操を疑う。火神アグニがシーターの身の潔白を証明した。
A-4 その後、ラーマ王とシーター妃の統治が続いたが、シーターが妊娠すると、民衆から再びシーターの貞操を疑う声が上がった。ラーマ は、シーターをヴァールミーキ仙(Cf. 『ラーマーヤナ』の編纂者と言われる)のもとに連れて行った。シーターはそこで双子の息子クシャとラヴァを産むが、ラーマは、シーターに対して、シーター自身の貞潔の証明を求めた。シーターは「大地」に向かって訴え、貞潔ならば「大地」が自分を受け入れるよう願った。すると「大地」が割れて女神グラニーが現れ、 シーターの貞潔を認め、シーターは「大地」の中に消えていった。
A-5  その後、ラーマは深い悲しみとともに長く王国を統治した。ラーマは、妃を迎えることなく世を去った。

B  ラーマとシーターの夫婦は、一時的に結ばれるが、別離に終わる。これは「天地分離の神話」である。世界が成り立つためには、「天」と「地」は離れていなければならない。ラーマは、「ヴィシュヌ神」の化身として「天」である。一方、シーターは「大地」から生まれて「大地」に還った「大地の女神」である。

★魔王(羅刹の王)ラーヴァナ


《参考》『ラーマーヤナ』のあらすじ
第 1 編「少年の巻」
コーサラ国王ダシャラタはヴィシュヌ神の化身であるラーマなど 4 人の王子を得た(カウサリヤー妃からラーマ、カイケーイー妃からバラタ、スミトラー妃からラクシュマナとシャトゥルグナ)。ヴィシュヴァーミトラ仙の薫陶を受けたラーマは、ジャナカ王の宮廷で開かれた婿選びの競技で優勝し、王女シーターと結婚する。
第 2 編「アヨーディヤーの巻」
ダシャラタ王はラーマに王位を譲ろうとするが、カイケーイー妃の干渉にあって、バラタを王位につけること、ラーマを 14 年間森に追放することを余儀なくされる。ラーマは父の命にしたがい、シーター妃とラクシュマナに伴われてアヨーディヤーの都を出るが、残された王は悲しみの余り絶命する。バラタはラーマを引き戻そうとするが拒絶され、ラーマから譲り受けた履き物を王座に置いてラーマの代理として統治する。
第 3 編「森林の巻」
ラーマたちは行者たちを邪魔する羅刹たちの退治に活躍する。シュールパナカー(羅刹女)はラーマに懸想して拒絶され、ラクシュマナからは侮辱を受ける。(ラクシュマナに鼻と耳を切り落とされる。)彼女は復讐のため兄ラーヴァナにシーターをさらって妻にするようそそのかす。小鹿を使った奸計でシーターを誘拐したラーヴァナは、シーターを救おうとした鳥の王ジャターユスを倒し、ランカー島に帰還する。失踪したシーターを探すラーマたちはキシュキンダー(ヴァナラ族=猿族の都)でスグリーヴァとその家来の猿たちに出会う。
第 4 編「キシュキンダーの巻」
ラーマはスグリーヴァが兄ヴァーリンから王国と妻を取り戻すのを手伝い、代わりに猿王スグリーヴァの家臣ハヌマーンなど部下たちにシーター探索の援助をうける。ハヌマーンはランカー島にシーターが誘拐されたことを突き止める。
第 5 編「美麗の巻」
ハヌマーンは海を飛び越えてランカー島へ渡り、シーターと接触し、ラーマの指輪を渡して救出が近いことを知らせる。ハヌマーンは羅刹たちに捕まるが、羅刹の王ラーヴァナの宮廷を火の海にしてラーマのもとに帰還する。
第 6 編「戦闘の巻」
ラーマたちは猿たちの力によって海に橋を架けてランカー島に攻め込む、羅刹のヴィビーシャナは兄ラーヴァナを諌めるが聞き入れられず、ラーマに協力する。激しい戦いの末、ラーマはラーヴァナたちを倒し、ヴィビーシャナを羅刹(ラークシャサ)の王位につける。ラーマに貞操を疑われたシーターは火の中に身を投じるが、火神アグニが現れてシーターの潔白を証明する。ラーマら一行はアヨーディヤー(コーサラ国の首都;ラーマの生誕地)へ凱旋し、ラーマは王位につく。
第 7 編「最後の巻」
国民の間にシーターの貞操を疑う声が生じ、ラーマはシーターを森に追放する。シーターはヴァールミーキ仙の庵に滞在し、クシャとラヴァの双子を産む。ヴァールミーキ仙は二人に『ラーマーヤナ』を語って聞かせる。二人が物語を朗詠するのを聞いたラーマは、シーターに身の潔白を証明するよう求める。シーターが大地の女神を呼び出すと、女神はシーターを抱いて地中に消える。嘆き悲しむラーマは王位をクシャとラヴァに譲り、天界に昇ってヴィシュヌ神に戻った。

★ラーマとシーター

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沖田瑞穂『すごい神話』52.「私たちは仮想現実の世界を生きている――『マハーバーラタ』のマトリックス」:神話においては、全世界が「神が作り出した虚構」だ!

2023-11-06 13:08:48 | Weblog
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

(1)「人為的に作り出された虚構」と「神が作り出した虚構」!
A 現代のゲーム世界は「人為的に作り出された虚構」だ。神話においては、全世界が「神が作り出した虚構」だ。
《感想》たとえ「神が作り出した虚構」と言おうと、「圧倒的な生きる苦痛」(生老病死)、「抑えがたい衝動・欲望」という「現実」が君を支配する。「現実」を生きる君にとって、それら「苦痛」(Ex. 拷問の苦痛、火あぶりの苦痛)・「衝動・欲望」(Ex. 性衝動)が「虚構」であるなどありえない。

(2)ヴィシュヌ神の「マーヤー」(不思議な呪力)とは、「世界を作り出す力」だ!
B インドの神話において、ヴィシュヌ神の「不思議な呪力」すなわち「マーヤー」とは、「世界を作り出す力」だ。
B-2  ナーラダ仙が、苦行の果てにヴィシュヌ神の恩寵を得て、ヴィシュヌに「あなたのマーヤーを示し賜え」と願う。ヴィシュヌ神が、ナーラダを従え、太陽が照りつける荒漠とした道を進む。ヴィシュヌ神が「喉が渇いたから近くの村から水を汲んでくるように」とナーラダに頼む。
B-3  ナーラダは村へ行き、一軒の家で水を請う。家から一人の美しい娘が出て来る。ナーラダは本来の目的を忘れる。ナーラダはその娘を娶り、12年の歳月が流れ、ナーラダには3人の子もあった。
B-3-2  ある日、大洪水が起こり、家は流され、妻も3人の子も濁流にのまれ死んだ。ナーラダも流され岩の上に打ち上げられ、あまりの不運に泣き崩れた。
B-4  その時、聞きなれた声がナーラダを呼ぶ。「私が頼んだ水は何処にあるのか。私は30分以上もお前を待っている。」ナーラダが振り返ると、濁流が渦巻いていた場所には、ただあの荒漠たる地があるのみだ。ヴィシュヌ神が言った。「私のマーヤーの秘密を理解したか?」
B-4-2  ヴィシュヌ神の「マーヤー」(不思議な呪力)とは、「世界を作り出す力」だ。
B-4-3  「マーヤー」はサンスクリット語で、一方で「作り出す」という意味であり、他方で「幻」という意味だ。

《感想》世界はヴィシュヌ神によって「作り出された幻」だと、神話は言う。「神」にとっては「現実世界」は「幻」かもしれないが、「人間」は「現実世界」を生きる。「現実」の「苦痛」そして「衝動・欲望」において、「人間」は生きる。
《感想(続)》かくて人間は「現実」が「幻」であってほしいと願う。「人間」は、「現実世界」は「神が作り出した虚構」だと信じたい。
《感想(続々)》さらに「死」の不可避性が、個々の「人間」に「現実世界」の相対性・脆弱性を示す。個々の「人間」にとって、「現実世界」は「死」と共に滅ぶ。「死」の前で現実世界は「幻」に等しい。

C 神は「マーヤー」(幻力)により、万物をからくりに乗せられたもののように回転させる、つまり世界を創造し、維持し、破壊する。(Cf. 『バガバッド・ギーター』)

(3)映画『マトリックス』:「人間」は「現実」の世界を知らず、コンピューターの造りだした「仮想現実」を生きる!
D アメリカの映画『マトリックス』(1999)(Cf. 「マトリックス」は母体・基盤・行列・鋳型・発生源の意)は、人々の暮らす世界がその「人間」自身も含めて「コンピューターによって作られた仮想現実」だとして描く。「現実」(「仮想現実」ではない)においては「人間」は「培養槽の中に入れられ」ており「機械(コンピューター)」のエネルギー源になっている。「現実」においては「人間」は「機械(コンピューター)の奴隷」である。「人間」は、「現実」の世界を知らずに、コンピューターの造りだした「仮想現実」を生きる。

(4)マールカンデーヤ仙が目撃した「滅びた世界」が、原初の海に漂う童子の姿の「ヴィシュヌ神の体内」に全て存在していた!
E 『マハーバーラタ』に次のような神話がある。マールカンデーヤ仙は世界の終末を体験する。終末の時、カリ・ユガの終わりに至ると、世界は異変を生じ、激しい干ばつが生じ、あらゆる生き物が滅亡した。七つの燃えたつ太陽により、全てが燃やされ灰となった。「終末の火・サンヴァルタカ」が地底界も焼き、そして神々も悪魔も、ガンダルヴァもヤクシャも蛇もラークシャサも一切が滅んだ。
E-2  すると稲妻にかざられた、不思議な色の雲が空に湧き上がり、雷鳴をとどろかせながら12年間にわたり雨を降らせ世界を水浸しにした。マールカンデーヤ仙はその「原初の水」の中を一人ただよっていた。
E-2-2  やがてある時、水中に大きなバニヤン樹があるのをマールカンデーヤ仙は見た。枝の中に神々しい敷物を敷いた椅子があり、卍の印をつけた一人の童子がそこに座っていた。童子が言った。「そなたが疲れて休息を願っていることは知っている。さあ、私の体内に入って休みなさい。」童子はそう言うと口を開けた。私はその口の中に入った。
E-2-2-2 そこには全地上世界が拓かれていた。海獣が住む広大な海、月や太陽の輝く天空、森を抱く大地。バラモン、クシャトリヤ、農業を行うバイシャたちが生活し、山々があり、多くの獣が大地を歩き廻っている。神々がいて、ガンダルヴァ(インドラまたはソーマに仕える半神半獣の奏楽神団;天界の音楽師;アプサラスを配偶者を配偶者とする)やアプサラス(天女、妖精、水の精の類、天の踊子)、ヤクシャ(悪鬼)、聖仙、悪魔たちがいた。童子の体内には全てのものがあった。私は百年以上もそこにいた。
E-2-2-3  マールカンデーヤ仙が願うと、突風が吹き、童子の開いた口から外に吐き出された。その童子の姿をしたお方こそ、至高の主(アルジ)「ヴィシュヌ=クリシュナ」その方であった。

(5)われわれはどうやら現実世界の「リアル」を疑いながら生きているところがある!この「現実世界」の外側に、「いまだ知らぬ何か」があるのではないか?
F マールカンデーヤ仙が目撃した「滅びたはずの世界」が、原初の海に漂う童子の姿の「ヴィシュヌ神」の、体内に全て存在していた。
F-2  この『マハーバーラタ』の神話は、「ヴィシュヌ神の体内で展開される世界の営み」と「その外側にある原初の海」について語る。
F-3  映画『マトリックス』は、「コンピューターによって見せられている幻」としての世界と、「コンピューターに管理された真の身体」が属す世界(「コンピュータの国」)について語る。
F-4  「自分たちの世界」の外側には、実は「原初の海」(『マハーバーラタ』の神話)や「コンピュータの国」(映画『マトリックス』)のような「真の現実の世界」があるのかもしれない――。
F-4-2  『マハーバーラタ』の神話でも、また映画『マトリックス』でも示されたように、われわれはどうやら現実世界の「リアル」を疑いながら生きているところがある。つまりこの「現実世界」の外側に、「いまだ知らぬ何か」があるのではないかと、疑っている。

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沖田瑞穂『すごい神話』51.「骰子賭博は身を亡ぼす――『マハーバーラタ』の盤上遊戯神話」:中国の「碁」が宇宙の営みを表すように、インドの「骰子賭博」も宇宙の運行を表す!

2023-11-04 14:40:38 | Weblog
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

A 『マハーバーラタ』において、「パーンダヴァ」五王子側の長兄、ユディシュティラ王が「骰子(サイコロ)賭博」に負け続け不幸を招いた。ユディシュティラは、彼に対抗心を燃やす従兄弟ドゥルヨーダナ(「カウラヴァ」百王子側の長兄)と伯父シャクニと「骰子賭博」を行い、シャクニのいかさまによって負け続け、結局、弟たちと妻ドラウパディーと共に13年間、国を追放される。
A-2  中国の「碁」が宇宙の営みを表すように、インドの「骰子賭博」も宇宙の運行を表す。インドには4つの「ユガ」と呼ばれる長大な時代区分があり、4つのユガのそれぞれの名称が骰子賭博の目に対応している。最初の時代「クリタ・ユガ」の「クリタ」は、4つの良い特徴を備えた最高の賽の目、次の時代「トレーター」は3つ、三つ目の時代「ドゥヴァーパーラ」は2つ、最後の時代「カリ」は1つのみの良い特徴を備えた賽の目だ。

B ユディシュティラは王の義務として「骰子賭博」を行った。それは、世界を運行させる者としての王の義務だった。

C このように中国やインドの盤上遊戯(Ex. 「碁」、「骰子賭博」)において、ゲームの進行は世界の運行を意味する。
C-2  これは、現代のゲーム、とくにRPG(ロールプレイングゲーム)において「神の視点」を持つプレイヤーが、ゲームという「仮想世界」を運行させていく構造とよく似ている。

《参考1》「ユガ」は、12,000神年=432万年にあたる「マハーユガ」を前から4:3:2:1の割合で分割した期間である。それぞれの「ユガ」は段々と悪い世界になる。「ヴェーダの法と正義」もそれぞれの期間で4:3:2:1の比率で減り、悪がはびこる。
 1.「クリタ・ユガ」(4800神年)(172.8万年)すべての法と正義が保たれ、人は病気にならず、400年の寿命を持つ。
2.「トレター・ユガ」(3600神年)(129.6万年):法と正義が4分の3まで減った世界。人間の寿命は300年。
3. 「ドヴァーパラ・ユガ」(2400神年)(86.4万年):法と正義が半分になり、その分悪がはびこる世界。人間の寿命は200年。
4. 「 カリ・ユガ」(1200神年)(43.2万年):法と正義が4分の1まで減った世界。人々は神から遠ざかり、悪が世界を支配する。人間の寿命は100年になる。「カリ・ユガ」は人間の時間では43万2千年続く。カリ・ユガの時代では人々はヴェーダの教え(「ヴェーダの法と正義」)から離れて宗教的に堕落し、神々は信仰されず、支配者は理性を失い、世界ではあらゆる悪が行わる。現在の私たちが生きる時代はこの「カリ・ユガ」に当たる。「カリ」は対立・不和・争いを意味し、またこの時代を支配し世界を悪で満たす「悪魔カリ」を指す。
4-2. この「カリ」を倒すために登場する救世主がヴィシュヌの化身「カルキ」だ。「カリ・ユガ」の終末期、カルキは白馬に乗った騎士、又は馬頭の巨人として登場し、世界の悪を滅ぼす。世界を救い使命を果たしたカルキが天界に帰ると「カリ・ユガ」の時代は終わり、また法と正義で満たされた「クリタ・ユガ」の時代が始まる。

《参考2》中国に「生死を司る星」の話がある。ある少年(趙の子)に、管輅(カンロ)という物知りの男が言った。「大きな桑の木のそばで碁を打っている二人の男がいる。お前は酒と鹿の干し肉を持っていき、酒をついだり肉を差し出したりお給仕をしなさい。ただし決して口をきいてはならない。」少年が行くと確かに二人の男が碁を打っていた。二人は少年に見向きもしない。少年は黙って懸命に給仕をした。碁を打ち終わると北側の人が「どうしてこんな所にいるのだ」と少年をしかりつけた。少年はただ頭を下げるばかりで何も言わなかった。南側の人が「ご馳走になったのだから」ととりなし、北側の人から「台帳」を受け取った。そこには「趙の子、寿命十九前後」と書かれてあった。南側の人が、その十と九の間に上下を逆さまにするS字の記号を入れた。少年は二人から「お前の寿命を延ばし九十まで生かしてやるよ」と言われ、何度も頭を下げ、黙って去った。少年は急いで家に帰り、管輅(カンロ)に報告した。管輅が言うには、北側に座っていた人が「北斗(七)星」で人間の「死」を扱う星だ。南側の人が「南斗(六)星」で人間の「生」を扱う星だ。そもそも人間がこの世に生まれるのはみな、南斗が北斗のところに行って頼むのだ。なにか願いことがあればみな北斗星に対してお願いするのだという。

《参考2-2》この「生死を司る星」の話で「碁盤」は世界そのものであり、黒と白の「碁石」は世界を構成する「陰と陽の気」を表す。「碁」を打つことは「天体の動き」・「人間の地上における営み」を象徴する。北斗星と南斗星が「碁」を打つことは、世界を動かす「聖なる」営みである。一方少年は「俗」世界に属する。少年が「口をきくこと」は「聖」の中に「俗」をもちこむことであり、少年には「口をきくなの禁」が課される。少年が「口をきくなの禁」を守ったので、寿命を延ばしてもらえた。
《参考2-3》「北斗七星」と「南斗六星」は中国の星座で、現在の天文学ではそれぞれ「おおぐま座」、「いて座」の一部になっている。 「北斗七星」は人の「死」をつかさどり「南斗六星」が「生」をつかさどる。
《参考2-4》「陰陽思想」によれば、原初の混沌(カオス)の中から澄んだ明白な気すなわち「陽の気」(能動的な性質)が上昇して「天」となり、濁った暗黒の気すなわち「陰の気」(受動的な性質)が下降して「地」となった。この二気の働きによって万物の事象を理解・予測する。具体的には「陽」は光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などであり、「陰」は闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女などである。
《参考2-5》「陰」と「陽」は相反しつつも、一方がなければもう一方も存在しない。森羅万象、宇宙の万物は、陽と陰の二気によって消長盛衰し、陽と陰の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。「陰陽二元論」は善悪二元論ではない。陽が善で、陰が悪でない。陽は陰があって、陰は陽があって存在する。

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沖田瑞穂『すごい神話』50.「もう一つの『対』の英雄――カルナとドゥルヨーダナ」:「カルナドゥルヨーダナウ」という「双数形」で表現され、「クリシュナウ」と同様、緊密な「一対」だ!

2023-11-04 14:12:16 | Weblog
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

(1)ドゥルヨーダナ(百王子の長兄)とカルナという「対」の英雄!弓の名手カルナ!
A  インドの叙事詩『マハーバーラタ』において、「パーンダヴァ」側のアルジュナ(五王子の三男)とクリシュナの「対」の英雄に対し、「カウラヴァ」側のドゥルヨーダナ(百王子の長兄)とカルナの「対」の英雄が対応する。
A-2  「カルナ」は、クンティーが、クル王パーンドゥの妃となり「パーンダヴァ」兄弟を産む以前に、太陽神スーリヤとの間に産んだ子。カルナは、パーンダヴァ五王子と敵対する「カウラヴァ」(クル族の息子たち)側の中心的人物の一人。カウラは生まれながらに黄金の耳輪と鎧を身につけていた。彼は優れた弓の使い手であり、大英雄アルジュナを宿敵とする。そしてカルナはクル王の子「ドゥルヨーダナ」と友情を結ぶ。
A-3  カルナとアルジュナは共に弓の名手であり、クル王家において御前試合が行われた時、両者はともに神的な技を披露した。
A-4  クルクシェートラの大戦争でカルナは、「カウラヴァ」側の(ビーシュマ、ドローナに続く)総指揮官となった。だが「カルナ」はアルジュナによって殺害された。
A-5  カルナと友情を結んでいた王子ドゥルヨーダナは、悪徳の人物であるが、カルナは決して固い友情を裏切ることがなかった。

(2)「カウラヴァ」百人兄弟の長男ドゥルヨーダナは、 邪悪で嫉妬深い性格から従兄弟の「パーンダヴァ」五兄弟と対立し、「クルクシェートラの戦い」を引き起こす!
B ドゥルヨーダナは「クル国」の盲目王ドリタラーシュトラと妃ガーンダーリーとの間に生まれ「カウラヴァ」百人兄弟の長男。 邪悪で嫉妬深い性格から従兄弟の「パーンダヴァ」五兄弟と対立し、「クルクシェートラの戦い」を引き起こした。(Cf.  兄ドリタラーシュトラが盲目であったため、パーンドゥが代わりに「クル国」の王位を継いだが、後に世俗を捨て森に隠遁したため兄ドリタラーシュトラが王となった。)
B-2  ドゥルヨーダナの母ガーンダーリーは、盲目王ドリタラーシュトラの子を身籠ったが、2年経ってようやく胎児を産み落とした。しかし、それは鉄のように堅い肉塊であった。聖仙ヴィヤーサの指示により、その肉塊は100個に分けられ、それぞれギー(インドの乳製品)で満たした100個の瓶に入れられた。やがて、それらの瓶から第一に生まれ出た息子がドゥルヨーダナである。 ドゥルヨーダナが生まれると、いたるところで肉食獣やジャッカルが唸り声をあげるなど不吉な前兆が見られた。

C 人望があり年長でもある「パーンダヴァ」五兄弟の長子「ユディシュティラ」のほうが、「クル国」の次期王にふさわしいという声が大きく、王位を狙う「ドゥルヨーダナ」は、常にパーンダヴァ兄弟を征服し、自らが権力を得られることを望んだ。 そのため、ドゥルヨーダナは母方の伯父(or叔父)シャクニ、親友のカルナ、弟のドゥフシャーサナ(カウラヴァの100人兄弟の次男)などを腹心とし、パーンダヴァ兄弟に対し様々な策略を講じた。
C-2 「ユディシュティラ」が王国を得て素晴らしい宮殿を造ると、ドゥルヨーダナはその美麗な宮殿と富に激しい嫉妬を抱いた。シャクニは、甥のドゥルヨーダナに「いかさまの骰子賭博」を仕掛ける提案をする。結果、ユディシュティラは負け続け、ドゥルヨーダナは、「パーンタヴァ」五兄弟と妃ドラウパティーを13年間、王国から追放した。

D 「パーンダヴァ」五兄弟が13年間の追放を満了した後も、「カウラヴァ」百人兄弟の長男ドゥルヨーダナは、「パーンダヴァ」五兄弟に一切の領土を返還することを拒んだ。ドゥルヨーダナは、(ア)両親(盲目王ドリタラーシュトラと妃ガーンダーリー)、(イ)武芸の師であるドローナ、(ウ)一族の長老であるビーシュマ(パーンダヴァ、カウラヴァ両方にとっての大伯父)の説得、(エ)パーンダヴァ側からの和平交渉のすべてを拒絶したため、かくて「クルクシェートラ戦争」に至った。

《参考》武芸の師であるドローナは、クルの王子たち、カルナなど他国から来た王族たちにあらゆる武術を伝授した。ユディシュティラは「戦車」、ビーマとドゥルヨーダナは「棍棒」、アルジュナとカルナは「弓」、「パーンダヴァ」の双子であるナクラとサハデーヴァは「剣」に優れた才能を発揮した。

E  「クルクシェートラ戦争」には諸国の王らが、ドゥルヨーダナら「カウラヴァ」陣営と、ユディシュティラら「パーンダヴァ」陣営に分かれて戦った。戦争はドゥルヨーダナの思い通りには進まなかった。「カウラヴァ」陣営の総指揮官であり最も強力な戦士であるビーシュマと「カルナ」が対立し、カルナはビーシュマが倒れるまでの十日間は、戦争に参加しなかった。
E-2  またビーシュマが倒れた後、「カウラヴァ」陣営の総指揮官となった武芸の師で強力な戦士であるドローナが「パーンダヴァ」に手を下すことを拒絶した。味方が次々と「パーンダヴァ」側のビーマやアルジュナに倒される中、ドゥルヨーダナがユディシュティラを生け捕りにするようドローナに命じる。「やっと和平を結ぶ気になった」とドローナは感動するが、すぐに「生け捕り後、骰子賭博で再度追放する」というドゥルヨーダナの言葉に失望する。

(3)カルナの最期!ドゥルヨーダナの最期!
F  戦争17日目(「クルクシェートラ戦争」は18日間続く)でカルナはアルジュナと一騎打ちの機会を得る。カルナが放った矢は、クリシュナがアルジュナの戦車を地中に沈めたので、アルジュナの首を落し損ねる。戦車が埋まって動けないアルジュナにカルナは矢を射かける。アルジュナはこれに対し数倍の矢を射返す。その後、カルナの戦車の車輪が地中に沈む。放たれるアルジュナの矢の攻撃を、戦車を降りたままカルナは迎え撃ったが、ついにアルジュナの矢により、カルナの首が切り落とされた。カルナの死を知ったドゥルヨーダナは、悲憤の涙を流し、その死を悼んだ。

G  次々と自陣営の強力な戦士らを失い一人になったドゥルヨーダナは、戦争の最後に「棍棒」でビーマと一騎打ちする。しかしドゥルヨーダナはビーマに敗北した。
G-2  ドゥルヨーダナは、駆け付けてきたアシュヴァッターマンを「カウラヴァ」側の最後の総指揮官に命じる。アシュヴァッタ―マンは、命令を受けて「パーンダヴァ」側への夜襲を決行する。ドゥルヨーダナは血だまりの中で一晩を過ごし、アシュヴァッターマンの夜襲「成功」の報告を受け、息を引き取った。(ただし実際には「パーンダヴァ」五兄弟は生存しており、アシュヴァッターマンの夜襲は「失敗」だった。)

H クリシュナとアルジュナは「クリシュナウ(かのクリシュナたち二人)」と呼ばれる。あるいは「ナラ・ナーラーナヤウ」つまり「かの二人のナラ(=アルジュナ)とナーラーヤナ(=クリシュナ)」と呼ばれる。語尾「アウ」という「双数形」は、緊密な「対」をあらわす。
H-2  カルナとドゥルヨーダナもまた『マハーバーラタ』の原典で「カルナドゥルヨーダナウ」という「双数形」(語尾アウ)で表現されており、クリシュナとアルジュナの「クリシュナウ」(かのクリシュナたち二人)と同様、緊密な「一対」である。

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沖田瑞穂『すごい神話』49.「『対』の英雄――アルジュナとクリシュナ」:アルジュナの父は「戦神」にして「神々の王」インドラ神!クリシュナはヴィシュヌ神の(第8番目の)化身!

2023-11-02 12:14:16 | Weblog
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

『マハーバーラタ』の主役である「アルジュナ」はクル国の王子「パーンダヴァ」五兄弟の三男だ。アルジュナの父は「戦神」にして「神々の王」インドラ神。アルジュナは『マハーバーラタ』随一の英雄である。彼は弓術の達人でありアグニ神から授かったヴァルナの神弓ガーンディーヴァを操りクルクシェートラの大戦争を戦う。

アルジュナの特徴の一つに「クリシュナ」との友情がある。クリシュナはヴィシュヌ神の(第8番目の)化身として『マハーバーラタ』の時代に地上に生を受けた。クリシュナは名高い英雄であり、クルクシェートラの大戦争においては「パーンダヴァ」の参謀の役を果たすとともに、アルジュナの戦車の御者として、クリシュナはアルジュナを導く。

《参考》「クリシュナ」はビシュヌと一体視され、さまざまなクリシュナ伝説が生まれ、ヒンドゥー教の神話の中で活躍が著しい。クリシュナはしばしば「青い肌」で表現される。叙事詩『マハーバーラタ』の中で「クリシュナ」はヴィシュヌの化身として主要人物の一人である。『マハーバーラタ』中の『バガバッド・ギーター』(神の詩)はパーンダヴァ軍の王子「アルジュナ」と、彼の導き手であり御者を務める「クリシュナ」との対話という形式をとる。
《参考(続)》クルクシェートラの戦争直前、親族同士が殺し合い、師を殺すという罪悪感に耐えきれなくなったアルジュナは、戦を放棄しようとする。これに対し、クリシュナはアルジュナに対し、武器を手に取って戦うように説得する。『バガバッド・ギーター』と呼ばれるクリシュナとアルジュナの問答において、クリシュナは、偉大なヴィシュヌ神の姿をアルジュナに見せたり、クルクシェートラの戦いでアルジュナに討たれた者は天界へ至ることを説いたり、あらゆる説得を行う。アルジュナは遂に決心し、神弓ガーンディーヴァを携えて戦に望む。

★インドネシア・ジャワ島のワヤン・クリ(影絵)のアルジュナ

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沖田瑞穂『すごい神話』48.「『マハーバーラタ』の世界――神々と人間が織りなす豪華絢爛な大叙事詩」:「パーンダヴァ」五王子と「カウラヴァ」百王子の「クル国」継承をめぐる戦争!

2023-11-02 09:31:25 | Weblog
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

(1)インド神話の宝庫である『マハーバーラタ』!
世界最大級と言われる長大な叙事詩『マハーバーラタ』(全18巻)はインド神話の宝庫である。『マハーバーラタ』は紀元前4世紀頃から紀元後4世紀の頃の間に次第に形作られたものと推測される。

《参考》『マハーバーラタ』(バラタ族すなわちクル族にまつわる大叙事詩)は、紀元前4世紀頃からテキスト化が開始され、特にアショーカ王(在位:紀元前3世紀頃)の時代に進展し、紀元前2世紀中葉〜紀元後1世紀末頃に完成したとも言われる。なお『ラーマーヤナ』(ラーマ王行状記)(第1~7巻)の成立は紀元後3世紀頃だが、その核心部分の第2~6巻の成立は紀元前4-5世紀頃とされる。『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』はインドの二大叙事詩と呼ばれる。
《参考(続)》『マハーバーラタ』は、バラタ族のパーンドゥ王の息子である五王子(「パーンダヴァ」)7軍団と、その従兄弟である百王子(「カウラヴァ」)11軍団の間の、「クル国」の継承を懸けた「クル・クシェートラ」(クル平原)における大戦争を本題とする。18日間の凄惨な戦闘の末、戦いはパーンダヴァ側の勝利に終わるが、両軍ともに甚大な被害を出す。(この戦いで百王子は全滅した。)本題は全編の約5分の1にすぎず、その間に神話、伝説、宗教、哲学、道徳などに関する多数の挿話を含む。(Ex. ヒンドゥー教の 宗教哲学的聖典『バガバッド・ギーター』など。)
《参考(続々)》『ラーマーヤナ』はラーマ王子が、誘拐された妻シーターを奪還すべく大軍を率いて、ラークシャサ(羅刹or鬼神)の王ラーヴァナに挑む姿を描く。
★クルクシェートラの戦い


(2)『マハーバーラタ』の主役:「パーンダヴァ」(パーンドゥ王の5人の王子)と「カウラヴァ」(クル族の100人の王子)!
さてここからは『マハーバーラタ』のあらすじの紹介である。『マハーバーラタ』の主役は「パーンダヴァ」(パーンドゥの息子たち)と総称されるパーンドゥ王の5人の王子と、彼らの従兄弟にあたる「カウラヴァ」(クル族の息子たち)と総称される100人の王子である。この「パーンダヴァ」と「カウラヴァ」による「クル国」の王位継承権をめぐる確執が、やがて周辺の国々を巻きこんだ大戦争に発展する。

(3)『マハーバーラタ』は「大地の重荷」(人類)を軽減させるため「増えすぎた人類を戦争で減らす」という神話だ!
『マハーバーラタ』は、「大地の女神」が増えすぎた生類による「大地の重荷」という苦境をブラフマー神に訴えたことから始まる。ブラフマーは神々に命じて化身を地上に降ろさせ、「大地の重荷」(人類)を軽減させることにした。こうして神々の化身として生まれた英雄たちが、大戦争で戦い多くの命が大地から失われることになる。
《参考》『マハーバーラタ』は戦争で人口が調整され、「大地の重荷」が取り除かれたと述べる。「増えすぎた人類を戦争で減らす」という神話だ。『マハーバーラタ』の主題である大戦争がまさにそれだ。4つの宇宙期(ユガ)の最初、クリタ・ユガの時代に大地はくまなく多くの生類によって満たされていた。その頃、神々との戦いに敗れたアスラ(悪魔)たちが天界より落とされて、人間や様々な動物に生まれ変わった。ある者は力ある人間の王として生まれ変わり、力に奢り、かくて「大地の女神」は苦しめられた。創造主の「ブラフマー神」は大地女神の悩みを知って、全ての神々に「大地の重荷を取り除くために、それぞれの分身によって地上に子を造りなさい」と命じた。人間が増えてやがて地上において「クルクシュートラ(クル平原)の大戦争」が行われ多くの戦士(人間)が死んだ。こうして戦争で人口が調整され、「大地の重荷」は取り除かれた。

(3)-2 神々を父として誕生した「パーンダヴァ」の5人の王子!「カウラヴァ」百兄弟はアスラや羅刹の化身として生まれた!
この神々の計略に基づき、『マハーバーラタ』における主役となる「パーンダヴァ」の5人の王子がそれぞれ、神々を父として誕生させられた。法の神ダルマの子として①ユディシュティラ、風の神ヴァーユの子として②ビーマ、神々の王インドラの子として③アルジュナ、双子神アシュヴィン(医術・生殖の神)の子として双子の④ナクラと⑤サハデーヴァの5人だ。一方、ドゥルヨーダナを長兄とする「カウラヴァ」百兄弟は、アスラ(悪魔)や羅刹(ラセツ)の化身として生まれた。

(4)妃「ドラウパディー」は前世の因縁により「パーンダヴァ」五兄弟の共通の妻となった!
「パーンダヴァ」五兄弟は、従兄弟たち「カウラヴァ」百兄弟の殺意から逃れるため、母クンティーと放浪の旅に出る。その途中、ドルパダ王の王女ドラウパディーの婿選び式(スヴァヤンバラ)に参加し、アルジュナが弓の競技に勝利してドラウパディーを獲得した。ドラウパディーは前世の因縁により五兄弟の共通の妻となった。

(5)骰子(サイコロ)賭博に目がないユディシュティラ(「パーンダヴァ」五兄弟の長兄)は骰子(サイコロ)賭博に負け、王国と兄弟、ドラウパディーをも失う!「パーンダヴァ」五兄弟の13年間の王国追放!
その後、王国を獲得した「パーンダヴァ」五兄弟は繁栄を享受した。これに対し「カウラヴァ」百兄弟の長兄ドゥルヨーダナは嫉妬を増大させた。ある時、ドゥルヨーダナとその叔父シャクニは、骰子(サイコロ)賭博に目がないユディシュティラ(「パーンダヴァ」五兄弟の長兄)にいかさまを仕掛けた。負け続けたユディシュティラは、王国と兄弟、ドラウパディーをも失う。これにより「パーンダヴァ」五兄弟とドラウパディーは12年間、森に住み、13年目には誰にも正体を知られずに過ごさなければならないという取り決めになった。

(6)「クルクシェートラの戦い」:「パーンダヴァ」五兄弟の側が「カウラヴァ」百兄弟の側を倒す!
やがて「パーンダヴァ」五兄弟らの13年間の王国追放の期間が終了するが、「カウラヴァ」側が王国を返却しようとしないので、周囲の国々を巻きこんだ大戦争(「クルクシェートラの戦い」)に発展していく。「パーンダヴァ」側のアルジュナは、親族を敵として戦うことをためらい武器を捨てようとした。その時、ヴィシュヌの化身である英雄クリシュナがアルジュナに説いたのが、『バガヴァッド・ギーター』(神の詩)と呼ばれる聖典だ。戦争は18日間続き、アルジュナの戦車の御者を務めるクリシュナの詐術によって、敵方(「カウラヴァ」側)の将軍が次々に倒され、最終的に「パーンダヴァ」側の勝利に終わった。
★馬車に乗ったアルジュナと親友のクリシュナ(青い人物;御者)


《参考》「クリシュナ」はビシュヌ神の第8番目の化身。紀元前7世紀ころ実在した人物が神格化されたといわれる。ビシュヌと一体視され、さまざまなクリシュナ伝説が生まれ、ヒンドゥー教の神話の中で活躍がもっとも著しい。しばしば「青い肌」で表現される。叙事詩『マハーバーラタ』(バラタ族の戦争を物語る大史詩)の中で「クリシュナ」はヴィシュヌの化身として主要人物の一人である。『マハーバーラタ』中の『バガバッド・ギーター』(神の詩)はパーンダヴァ軍の王子「アルジュナ」と、彼の導き手であり御者を務める「クリシュナ」との対話という形式をとる。

(6)-2 「カウラヴァ」側のアシュヴァッターマンによる「パーンダヴァ」の陣営への夜襲と殺戮!
「カウラヴァ」側の将軍ドローナの息子アシュヴァッターマンは、父が「パーンダヴァ」側の詐術によって戦場で殺されたことを恨み、勝利に酔う「パーンダヴァ」の陣営に夜中密かに潜り込み、殺戮を繰り広げた上で焼き討ちした。この時不在であった五兄弟、そしてクリシュナ、クリシュナの親友サーティヤキを除く「パーンダヴァ」側の全ての英雄が命を落とした。
(6)-3 「パーンダヴァ」側のアルジュナと「カウラヴァ」側のアシュヴァッターマンの戦い!  
「パーンダヴァ」五王子とクリシュナは、壊滅した自分達の陣営を見て怒り、アシュヴァッターマンの後を追った。アシュヴァッターマンは、魔術的な武器「ブラフマシラス」で、「パーンダヴァ」側のアルジュナと一騎打ちをしようとした。だが聖仙ヴィヤーサが「ブラフマシラス」の使用は世界を壊滅させかねないと両者に武器を収めるよう言った。「ブラフマシラス」は清浄な魂の持ち主でなければ回収できないため、アルジュナは「ブラフマシラス」を回収できたが、アシュヴァッターマンはそれができず、武器をアルジュナの息子アビマニユの妻であるウッタラー王女の腹に向かって放った。こうして「パーンダヴァ」の系譜を永遠に断とうした。この時死んだ胎児がパリクシットである。胎児はクリシュナの力によって蘇り、後にクルの王位を継ぐことなる。
(6)-4 5人の息子たちを殺されていたにもかかわらず妃ドラウパディーは、アシュヴァッターマンの生命を見逃す!
アシュヴァッターマンは、命をもって償うかわりに額の「宝石」(Cf.  アシュヴァッターマンの額には、生まれつき宝石が埋め込まれており、これによって彼は、武器や病気や空腹、神々やダーナヴァや羅刹の恐れから守られた)を外すよう聖仙ヴィヤーサから言われた。5人の息子たちを殺されていたにもかかわらずドラウパディーは、アシュヴァッターマンの生命を見逃すことを受け入れ、「宝石」をユディシュティラの頭に載せた。

(7)「パーンダヴァ」側の長子ユディシュティラがクル国の王として即位した!
「パーンダヴァ」五王子は、クル国(クル族すなわちバラタ族の国)の老王ドリターラシュトラ(「カウラヴァ」百王子の父)と王妃ガンダーリーと和解し、「パーンダヴァ」側の長子ユディシュティラが王として即位した。しかしやがて「パーンダヴァ」五兄弟の神的な力も翳りを見せ、五兄弟と妃ドラウパディーは山へ死の旅に出て、そこで一人ずつ人間としての罪を問われながら命を落とし、天界へ昇った。

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