※ 池田晶子(1960-2007)『考える人 口伝オラクル西洋哲学史』 1998年(1994年初刊、34歳)中公文庫
(9)-4 ソクラテスにおいては、語の「定義」より語の「使用」が問題である!「語」を「使用」しつつ、その語に「固定した意味」を与えない、という自覚的な作業をソクラテスは遂行する!
★ソクラテス特有のわかりづらさのもう一つが、例の「無知の知」だ。(132頁)
☆つまり「無知の知」を切り札に、「知の無知」を切り崩すソクラテスは実に、空とぼけて「知の知」の位置にいる。(132頁)
☆このときソクラテスは、「知る」ということの「形式」の側から、「知る」ということの「内容」を無化している。ソクラテスは、「内容」よりもその「知り方」に注目させることで、知識「内容」を巡るてんやわんやを、鎮圧する。ソクラテスのこの方法は、哲学史において、画期的なことだった。(132頁)
☆ソクラテスの対話はいつも、相手の考えを聞き出しておいてから、とぼけながらその周囲を大きく巡り、最後に、その核心に孕まれている矛盾に相手を追い落とす、という方法を取る。(133頁)
☆ソクラテスにおいては、語の「定義」より、語の「使用」が問題である。その「語」を「使用」しつつ、その語に「固定した意味」を与えないという極度に自覚的な作業を、ソクラテスは遂行する。(134頁)
(9)-4-2 「ある『語』それ自体の正体(意味)」は、「同語反復」以外では絶対に語ることができないか、「『論理』によって周到に囲い込んで行った果てに残る『空白』」としてしか与えられない!
★「言葉」は「定義」されるとその刹那、「意味」がそこから逃げてゆくから、「言葉」の最も正確な「使用」とは、それを「定義」しないままそれを「使用」することに他ならない。つまり、「『言葉』をして、語らしめる」こと!(134頁)
☆だから「『真理』とは何か」という問いに対しては、「『真理』とは『真理という語』(の示すところのもの)である」が正解である。(134頁)
☆このことを理解させるため、かくてソクラテスは、様々な対話の相手を必要とした。「相手が気づかずにその『語』に与えている『意味』」を余剰として指摘し、「その『語』それ自体の『意味』」へと還元すること。(134頁)
☆が、「ある『語』それ自体の正体(意味)」などというものは、「同語反復」以外では絶対に語ることができないか、「『論理』によって周到に囲い込んで行った果てに残る『空白』」としてしか与えられないものである。(134頁)
☆それで、ソクラテスのおとぼけ、「無知の知」とは、「言葉」というものの習性に通暁した者の正攻法なのだ。(134頁)
(9)-4 ソクラテスにおいては、語の「定義」より語の「使用」が問題である!「語」を「使用」しつつ、その語に「固定した意味」を与えない、という自覚的な作業をソクラテスは遂行する!
★ソクラテス特有のわかりづらさのもう一つが、例の「無知の知」だ。(132頁)
☆つまり「無知の知」を切り札に、「知の無知」を切り崩すソクラテスは実に、空とぼけて「知の知」の位置にいる。(132頁)
☆このときソクラテスは、「知る」ということの「形式」の側から、「知る」ということの「内容」を無化している。ソクラテスは、「内容」よりもその「知り方」に注目させることで、知識「内容」を巡るてんやわんやを、鎮圧する。ソクラテスのこの方法は、哲学史において、画期的なことだった。(132頁)
☆ソクラテスの対話はいつも、相手の考えを聞き出しておいてから、とぼけながらその周囲を大きく巡り、最後に、その核心に孕まれている矛盾に相手を追い落とす、という方法を取る。(133頁)
☆ソクラテスにおいては、語の「定義」より、語の「使用」が問題である。その「語」を「使用」しつつ、その語に「固定した意味」を与えないという極度に自覚的な作業を、ソクラテスは遂行する。(134頁)
(9)-4-2 「ある『語』それ自体の正体(意味)」は、「同語反復」以外では絶対に語ることができないか、「『論理』によって周到に囲い込んで行った果てに残る『空白』」としてしか与えられない!
★「言葉」は「定義」されるとその刹那、「意味」がそこから逃げてゆくから、「言葉」の最も正確な「使用」とは、それを「定義」しないままそれを「使用」することに他ならない。つまり、「『言葉』をして、語らしめる」こと!(134頁)
☆だから「『真理』とは何か」という問いに対しては、「『真理』とは『真理という語』(の示すところのもの)である」が正解である。(134頁)
☆このことを理解させるため、かくてソクラテスは、様々な対話の相手を必要とした。「相手が気づかずにその『語』に与えている『意味』」を余剰として指摘し、「その『語』それ自体の『意味』」へと還元すること。(134頁)
☆が、「ある『語』それ自体の正体(意味)」などというものは、「同語反復」以外では絶対に語ることができないか、「『論理』によって周到に囲い込んで行った果てに残る『空白』」としてしか与えられないものである。(134頁)
☆それで、ソクラテスのおとぼけ、「無知の知」とは、「言葉」というものの習性に通暁した者の正攻法なのだ。(134頁)