宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

松尾正(1954-)「『デカルト的省察』(E・フッサール)と精神分裂病者――他者の〈二重の二重性〉と分裂病者の現出に関する一試論――」(その5):「事物様対象」として我々に与えられる「分裂病者」!

2021-10-31 12:55:39 | Weblog
※新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学Ⅱ:哲学と精神医学のあいだ』北斗出版、1992年所収

第5節「分裂病者の前の私自身の不自由」
(5)「絶対的な外部性」である《他なる超越論的主観性》!「事物様対象」としてわれわれに与えられる「分裂病者」!(77-79頁)
E 「明証的に直観可能な《事物様対象》」としてわれわれに与えられる「分裂病者」は、結局「第3の道が塞がれている」こと、つまり「絶対的な外部性」(※他なる超越論的主観性)としてわれわれに「分裂病者」が与えられないことを、意味する。(77-78頁)

《感想1》ここで「絶対的な外部性」とは、《超越論的な他我》(他なる超越論的主観性)ということだ。
《感想1-2》「絶対的外部性」である他者は、「われわれ」によって包摂されないし、包摂されてはならないのだ。フッサールほど、「第3の道」の存在、つまり「自我にとって決して根源的に与えられぬ他者の絶対的超越性」というものに気づいていた者はいなかった。(77頁)
《感想1-3》評者の私見では、「絶対的他者性」が「絶対的」であるとは、無条件に「心的生活を生起させる《物》」(「他なる身体」or他なる超越論的主観性)が存在するように「この世界が出来ている」ことだ。
《感想1-3-2》この「他なる身体」は「自他未分化的に未分離な《一者》である心的生活が生起する」こと(《心的共感》or「感情移入」)によって生じる。Cf. この場合、もちろん同時に「私の身体」となる《物》も生じる。
《感想1-3-3》すでに述べたが、直接の出会いのうちで、一方で相手の息づかい、ぬくもり、表情等(以上は他人の身体)が根源的に呈示され、実は他方で喜び・慰め等も、《他人の心的生活かつ私の心的生活である》ような一体的生起として、つまり《一者》として生じており、この限りで(※評者の私見では)「根源的に呈示」され、「確かに『それ自身そこに』・・・・あるものとして意識されている」。
 
《感想2》《直接の出会い》においては、「他人の心的生活」が「それ自身現在するもの」として、「私の心的生活」と区別しえぬ《一者》として《生起している》。評者の私見では、この場合、他者の「心」(超越論的主観性)が根源的に呈示されるといってよい。(他者の「心」が間接呈示されるのでない。)「他人の心的生活」の根源的呈示は、《心的共感》(フッサールは「感情移入」と呼ぶ)という《一者》的出来事(Cf. 木村の「自他未分化な領域」)において生じる。
《感想2-3》ただしその場合「他人や他人の心的生活」の総体はもちろん「原的に与えられる」(「根源的に呈示される」)わけでない。《直接の出会い》の場合以外は、他者が、根源的に与えられることはなく、ただ《類型的にor地平的に》間接呈示されるだけだ。
《感想2-3-2》言い換えれば、《心的共感》(フッサールは「感情移入」と呼ぶ)という《一者》的出来事において根源的に呈示される「他人の心的生活」も「地平」を持つ、つまり類型的に与えられる。
《感想2-3-3》この場合、「地平現象」が可能なのは、「他人の心的生活かつ私の心的生活である」ところの「一体的生起(《一者》)」という出来事が現に生じており、この限りで「他人の心的生活」が「根源的に呈示される」からだ。

《感想3》「分裂病者」においては、《心的共感》(フッサールは「感情移入」と呼ぶ)という《一者》的出来事(Cf.木村の「自他未分化な領域」)が生じないので、「他人(分裂病者)の心的生活」の根源的呈示がなされない。(「絶対的な外部性」としてわれわれに「分裂病者」が与えられない。)かくて、「分裂病者」は「事物様対象」として与えられる。
《感想3-2》「他人(分裂病者)の心的生活」の根源的呈示がなされないことは、「分裂病者」が「絶対的な外部性」(他なる超越論的主観性)として、われわれに与えられないということを意味する。
《感想3-2-2》ただしここで「絶対的」とは、「他」であること、あるいは「外部性」ということだ。
《感想3-3》「他」であり、あるいは「外部性」である、つまり「絶対的な外部性」である《他なる超越論的主観性》(=「他人の心的生活」=《他者の「心」》)が、根源呈示されることがなければ、《他なる超越論的主観性》の(矛盾的だが)「絶対的な外部性」が気づかれることはない。
《感想3-3-2》なお「事物」は根源呈示される。

E-2 「我々の前の分裂病者」は「生き生きした絶対的未来性」(※他なる超越論的主観性)としてわれわれ自身の存立根拠において到来せず、我々自身の自由を生き生きと賦活しえない他者(=「事物様的対象」)だ。(78頁)
E-2-2 「われわれ自身の絶対的未来」として、「匿名的な『原初的差異』の『超越論的媒体機能』」として「接する」(Fulung:フッサール)他者とは、その他者を前にした我々に新鮮な風を吹き込む「通風孔」だ。(78頁)
E-2-3 我々は「分裂病者」を前にしてはじめてそこに「通風孔」という特別な他者との接触性、つまり「《第2の二重性》が与えられる《第3の道》」があったことを知るが、気づかれた瞬間にはそれは「塞がれて」しまっている。(78頁)
E-2-4 分裂病者は、「塞がれた通風孔」だ。つまり「分裂病者」は「事物様対象」として、われわれに与えられる。(77-78頁)

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松尾正(1954-)「『デカルト的省察』(E・フッサール)と精神分裂病者――他者の〈二重の二重性〉と分裂病者の現出に関する一試論――」(その4):「他者の第三の道」&「他者の絶対的な外部性」!

2021-10-30 18:07:11 | Weblog
※新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学Ⅱ:哲学と精神医学のあいだ』北斗出版、1992年所収

第4節「他者の第三の道」
(4)他者の「絶対的な間接性」、「絶対的外部性」、「絶対的他者性」!(76-77頁)
D 他者の「絶対的な間接性」、つまり「第2の二重性において指し示される絶対的外部性」の明証的な与えられ方や、その究極的機能については、ヘルトやレヴィナス等によって、すでに「生き生きした現在」における絶対的な隔たり、つまり「絶対的に予測不可能な未来性」として解明されつつある。(76頁)
《感想1》類型的予測(つまり地平)のうちにない「未来性」(未来)とは、いかなるものか?

D-2 新田義弘は、地平形成を制約する「原初的差異」という超越論的媒体機能として、「絶対的他者性」の究極的な位置と機能を捉える。(76頁)
《感想2》「物」とは、既に「相互に他である」という事態を(超越論的主観性の領野において)成立させる出来事だ。
《感想2-2》「地平形成を制約する」とは、《繰り返しにおける共通要素》としての「類型」形成を制約することだ。
《感想2-3》「絶対的他者性」が「絶対的」であるとは、「他者」が存在するように無条件に(「絶対的」に)「この世界ができている」ということだ。
《感想2-3-2》すなわち「絶対的他者性」が「絶対的」であるとは、無条件に(「絶対的」に)[521頁《感想4-3》の(エ)で述べたように]「心的生活を生起させる《物》」(※《物》を含む、他なる超越論的主観性)が存在するように「この世界が出来ている」ということだ。言いかえれば「自他未分化的に未分離な《一者》である心的生活を生起させる」ことによって、「他なる身体」となるような《物》(※《物》を含む、他なる超越論的主観性)が存在するように、「この世界が出来ている」ということだ。Cf. もちろん同時に「この私の身体」となるような《物》(※《物》を含む、この超越論的主観性)も存在するように、「この世界が出来ている」。 
《感想2-3-3》「類型」(地平)形成は、この「絶対的他者性」という原事実性(世界がそのように出来ているということ)に制約される。

(4)-2 他者の問題の解明の「第1の道」(自我論的試み)、「第2の道」(初めから他者との共同性を前提する)、「第3の道」(自我の生きる絶対的事実性としての他者の絶対的超越性)!(76-77頁)
D-3 他者の問題の解明の「第1の道」は「自我論的試み」であるが、これは「他者」を「自我の対象的投影」へと下落させる。「第1の道」は、他者を自我にとって「対象」として下落させる。(76頁)
D-3-2 他者の問題の解明の「第2の道」は、初めから「他者との共同性」を前提するもので、他者問題は単に止揚(※消失)されてしまう。「第2の道」では、他者を自我との等根源性において「われわれ」として弁証法的に(自他の差異を)止揚(※消失)してしまうだけだ。(76頁)
《感想3》評者の私見では、《物》は、《触覚》という出来事、つまり《相互に他なる抵抗の出現》の出来事であることから、「他」性が出現する。「他者との共同性」or「われわれ」が成立しても、《触覚》という出来事にもとづく「身体」が生起する限り、自他の差異が止揚され消失してしまうことはない。
D-3-3 他者の問題の解明の「第3の道」は、「他者の絶対的超越性、『原初的差異』としての無限の距離」を「自我の生ける絶対的事実」として解明する。(76-77頁)

(4)-3 フッサールにおける「他者の絶対的な外部性」に対する確信つまり「第3の道」への確信!(77頁)  
D-4  他者の問題の解明において、フッサールは「第2の道」、つまり「私と他者との等根源性」を主張する「われわれ」の道を選択しなかった。(77頁) 
D-4-2 フッサールは他者の問題の解明において「第1の道」、つまり「第1次的主観性の自我論的権能」を主張し続けた。だが同時にフッサールは、そのことによって自らが決して「独我論」であらぬことも確信していた。(77頁) 
D-4-3 フッサールほど、「第3の道」の存在、つまり「自我にとって決して根源的に与えられぬ他者の絶対的超越性」というものに気づいていた者はいなかった。(77頁) 
D-4-3-2 「絶対的外部性」である他者は、「われわれ」によって包摂されないし、包摂されてはならない。(77頁)
D-4-3-3 他者の問題の解明において、フッサールは、決して安易に「われわれ」を語らぬこと、ただ「我」のみを語り、そのことによって「独我論」に陥ることを恐れるな、と何度も力説した。(77頁)
D-4-3-4 そう力説するフッサールの背後には「他者の絶対的な外部性」に対する確信、つまり「第3の道」への確信が常に働いていたのだ。(77頁)

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松尾正(1954-)「『デカルト的省察』(E・フッサール)と精神分裂病者――他者の〈二重の二重性〉と分裂病者の現出に関する一試論――」(その3):「新たな間接的呈示」と「普通の間接的呈示」!

2021-10-30 10:36:40 | Weblog
※新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学Ⅱ:哲学と精神医学のあいだ』北斗出版、1992年所収

第3節「『デカルト的省察』再考」
(3)『デカルト的省察』第5章は、この「失敗」した試みにおいて、「決して明るみに出ることがない他者の暗闇の明証的な与えられ方」というもの(つまり「第2の二重性の与えられ方」)を明らかにした! (70頁)
C フッサールの『デカルト的省察』第5章は、「目に見えぬ暗黒の他者の明証性」(第2の二重性) を、「目に見える明証性の明るみ」(第1の二重性)へと引きずり出そうとする試みだった。つまり「第2の二重性」を「第1の二重性」のなかに吸収しようとする「自我論的理念」に支えられた試みであった。(70頁)
C-2  フッサールはこの試みに「失敗」するが、この「失敗」は、「成功として肯定的に評価されねばならない」。(70頁)
C-2-2 すなわち、この「失敗」した試みによって、「決して明るみに出ることがない他者の暗闇の明証的な与えられ方」というもの(つまり「第2の二重性の与えられ方」)がその位置と機能において明らかにされたからだ。(70頁)

(3)-2 『デカルト的省察』第5章の「他者(他我)構成」論における「新たな間接的呈示」は、「単なる普通の間接的呈示」でなく、「決して根源的に提示されざるもの」の間接呈示だ!(70-73頁)
C-3 フッサールの試みは「暗闇に潜む他者の他者性」を「純粋な自我の明るみ」において照らし出す試みだ。しかしフッサールはその「他者の暗闇」を「自我の明るみ」のなかで抹殺しようとしたのでない。(70頁)
C-3-2 すなわちフッサールが『デカルト的省察』第5章の「他者(他我)構成」論で持ち出してきた「間接的呈示」は、「単なる普通の間接的呈示」ではなく、「決して根源的に提示されざるもの」の間接呈示だ。(70-71頁)
C-3-3  このフッサールの「新たな間接的呈示」(Neue Appräsentation)(『デカルト的省察』第5章)においては(71頁)、「根源的に呈示されるもの」(第一次領域における内在的超越としての身体物体)(72頁)と、間接的に呈示される「根源的に呈示されぬもの」(他者の生ける身体性)(※つまり他我=他なる超越論的主観性=他者の《心》)が、決して統一体として一つの明証的な意味をなさない。(73頁)
C-3-3-2 フッサールの「他者(他我)構成」論においては、「他者の生ける身体性」(※他者の《心》)が、根源的に呈示される「そこ」にある身体物体(※他者の身体)の背後で、「ここ」にいる私自身の対化的連合(Paarende Assoziation)によって、「私自身にとっての第二の生ける身体」(※他者の《心》)として間接的に構成される。(73頁)
C-3-3-3 この場合、「間接的に構成された生ける身体」(※他者の《心》)という意味は、私にとっては「根源的に呈示されうる可能性がない」。つまり「他者の生ける身体」(※他者の《心》)は、私に対する「絶対的超越性」を持つ。(73頁)
C-3-3-4 つまり「根源的に呈示された単なる物体身体」(※他者の身体)は、決して「間接的に呈示された生ける身体」(※他者の《心》)という意味を、「根源的明証性」のなかで受け取ることができない。(73頁)

(3)-3 「単なる普通の間接的呈示」あるいは「通常の意味における間接呈示」:「根源的に呈示されるもの」にその「地平」的な意味を与える!(73-74頁)
C-4  「通常の意味において間接的に呈示されるもの」は、それが「極限理念として十全的明証性(※イデアとしての意味形象)を目標としうる根源的呈示可能性を有する」が故に、それは間接的に呈示されうるのであり、「根源的に呈示されるもの」にその「地平」的な意味を与えうる。(73頁)
C-4-2  すなわち「通常の意味において間接的に呈示されるもの」は、「私の脱パースペクティブ化的運動能力に理念的に対応しうるもの」であるがゆえに、「地平現象として間接的に呈示されうる」。(73頁)

(3)-4「新たな間接的呈示」において、「根源的に呈示される可能性をはじめから喪失したもの」(「間接的に呈示された生ける身体」※他者の《心》)は、「根源的に呈示された対象」(※他者の物体身体)の「絶対的な未知性」として、その対象の「意味地平」から排除されねばならない!
C-5 「新たな間接的呈示」(Neue Appräsentation)において、「根源的に呈示される可能性をはじめから喪失したもの」(「間接的に呈示された生ける身体」※他者の《心》)は、万が一、間接的に呈示されたところで(これはありえない仮定であるが)(※しかしこれが、フッサールが『デカルト的省察』第5章で試みた「他者(他我)構成」論だ!)、その呈示すべき意味を「根源的に呈示された対象の地平的意味として与えることはできない」。(73-74頁)
C-5-2 かくて「新たな間接的呈示」において、「根源的に呈示される可能性をはじめから喪失したもの」(間接的に呈示された[他者の]生ける身体、※他者の《心》)は、「根源的に呈示された対象」(※他者の物体身体)の「絶対的な未知性」として、その対象の「意味地平」から排除されねばならない。(74頁)

(3)-5 「第2の二重性」として私に与えられる「絶対的他者性」(つまり新田の言う「超越論的媒体機能」としての他者性)!(74-75頁)
C-6  かくて「第2の二重性」として私に与えられる「絶対的他者性」(つまり新田の言う「超越論的媒体機能」としての他者性)は、「地平現象」としてではなく、「地平制約的な根源的匿名的な機能」として、「地平現象とは別の根源的次元」において、私にその「私自身の存立根拠」として「与えられる」。(74頁)

《感想1》だが「絶対的他者性」はどのようにして「与えられる」のか?つまり「地平制約的な根源的匿名的な機能」とはどのようなことか?
《感想2》「他人や他人の心的生活は、確かに『それ自身そこに』、しかも他人の身体と一緒になってそこにあるものとして意識されているが、しかし、他人の身体が《原的に与えられたもの》として意識されるのと同じようには意識されないのである。」(フッサール『イデーンⅠ-1』)(62頁)
《感想2-2》評者の私見では、フッサールは「他人や他人の心的生活は、確かに『それ自身そこに』・・・・ある」というのだから、実は「他人や他人の心的生活」も他人の身体と同様に「《原的に与えられたもの》として意識される」、「根源的に呈示される」ことがあると考えるべきだ。新田氏は「絶対的他者性」をだから、「地平制約的な根源的匿名的な機能」と呼ぶのだ。「根源的に呈示される」ことなしに、「他者」が、《「自我」と同等の権利をもつ「他我」だ》と気づかれるはずがない。
《感想2-3》すでに述べたが、直接の出会いのうちで、一方で相手の息づかい、ぬくもり、表情等(以上は他人の身体)が根源的に呈示され、実は他方で喜び・慰め等も、《他人の心的生活かつ私の心的生活である》ような一体的生起として、つまり《一者》として生じており、この限りで「根源的に呈示」され、「確かに『それ自身そこに』・・・・あるものとして意識されている」。
《感想2-3-2》ここでは「他人の心的生活」が「それ自身現在するもの」として「私の心的生活」と区別しえぬ《一者》として《生起しているor体験される》ことは、他者の「心」(※他なる超越論的主観性)が根源的に呈示されるといってよい。(間接呈示されるのでない。)「他人の心的生活」の根源的呈示は、《心的共感》(フッサールは「感情移入」と呼ぶ)という《一者》的出来事(木村の「自他未分化な領域」)だ。
《感想2-3-3》ただしその場合「他人や他人の心的生活」の総体はもちろん「原的に与えられる」(「根源的に呈示される」)わけでない。
《感想2-3-3-2》この場合、根源的に呈示される《一者》的出来事としての「他人の心的生活」も「地平」を持つ、つまり類型的に与えられる。この場合、地平現象が可能なのは、「他人の心的生活かつ私の心的生活である一体的生起(《一者》)」という出来事が生じており、この限りで他人の心的生活が「根源的に呈示される」からだ。

《感想3》私見では、そもそも《物》は、《触覚》という出来事、つまり《相互に他なる抵抗の出現》の出来事、つまり抵抗し合う《境界面》の生起の出来事だ。
《感想3-2》《物》の世界は《境界面》で二分される。一方の《物》は、感情・欲望・意図等の「心的生活」に対応して動くところの「第一次領域における内在的超越としての身体物体」(自己身体)だ。他方の《物》は、単なる《他》なる物体だ(単なる物体)。
《感想3-3》ところが「単なる物体」の中から「特別な物体」(※他人の身体)が出現する。直接に接触して《境界面》を生起させる他方の《物》において、息づかい、ぬくもり、表情等(以上は他人の身体)が「根源的に呈示される」とともに、同時に他方で喜び・慰め等(「心的生活」)が、他の物体の息づかい、ぬくもり、表情等と同時に、《一者》的に、つまり「《私の心的生活かつ他なる物体の心的生活》が自他未分化的に未分離の状態で」生じる。この場合、相互に他なる「物」(単なる物体)も、「自他未分化的に未分離な《一者》である心的生活」も「根源的に呈示」される。
《感想3-3-2》「根源的に呈示される《一者》である心的生活(超越論的主観性)」という出来事が起こる《超越論的主観性の領野》=《超越論的相互主観性の領野》=《超越論的モナドの全体》は3分される。
《物》世界が「相互に他なるもの」として二分されることから、①「私の《物》領域(私の身体)を含む心的生活(超越論的主観性)」と、②「自他未分化的に未分離な《一者》である心的生活を生起させることが可能な《物》領域」(他なる身体)を含む心的生活(超越論的主観性)」、さらに③「自他未分化的に未分離な《一者》である心的生活を生起させることが《不》可能な《物》領域(「裸のモナド」あるいは「眠れるモナド」)」(単なる《物》)に3分されるに至る。

《参考1》E.HUSSERL『間主観性の現象学Ⅲ その行く方』(ちくま学芸文庫)「第1部自我論」
「一三 自我-意識-対象と裸のモナド」:原典タイトル「その一般構造におけるモナド(1921年6月)」(全集第14巻、付論4)(222-231頁)
訳注[35] 「裸のモナド」あるいは「眠れるモナド」とは、非生物の段階のモナドである。もっとも不明瞭、不鮮明な表象能力の段階のモナド。

《参考2》E.HUSSERL『間主観性の現象学Ⅲ その行く方』(ちくま学芸文庫)「第4部 他者と目的論」
「三一 モナドと目的(テロス)――誕生と死」:原典タイトル「モナド論(1930年代初め)」(全集第15巻付論46)(515-521頁)
★「無意識的なもの、意識の沈殿した根底、夢のない眠り、主観性の誕生形態、もしくは誕生以前の問題にされる存在、死と『死後』の問題にされる存在」、これら「潜在的存在」は、「覚醒」した「顕在的存在」(すなわち「根源的な」存在)の「志向的変容」である。(515-6頁)
★「潜在的存在」については、「この存在領分の全体が、一種の再構築の存在領分である――すなわち、顕在的なものから潜在的なものへと、その変様をたどりつつ遡っていく」(516頁)
★「人間から動物、植物、最下層の生物、新しい物理学の原子構成へと送り返される」ような考察!(517頁)
★「沈殿という理念」(518頁)
(一)「根源的に本能的なコミュニケーションのうちにある複数のモナドの総体性」。「眠れるモナドたち」。(518頁)
(二)「眠れるモナドたちという背景をともなって、覚醒するモナドたちと覚醒における発展。」(518頁)
(三)「世界を構成するものとしての人間のモナドたちの発展。・・・・モナドたちが理性的な自己意識・人類意識へと至り、世界理解へと至る等々。」(518頁)
★「モナドは始まることも終わることもできない。超越論的モナド全体は自己自身と同一である。」(518頁)
★「系統発生的発展に対応する過程全体が、誕生へ至るすべての生殖細胞モナドのうちに沈殿している。」(519頁)
★(ア)「モナド全体、すなわちモナドの全一性は、無限に高まりゆく過程のうちにあり、この過程は必然的に、眠れるモナドから顕在的モナドへの発展の恒常的過程であり、モナドのうちで繰り返し構成される世界への発展の過程である・・・・。」(519頁)
(イ)「こうした世界構成は、つねにより高い人間性と超人間性の構成なのであって、そこにおいて、全体が自己自身の真なる存在を意識するようになり、“理性ないし完全性の形態へと自由に自己自身を構成していく存在”という形態をとるのである。」(520頁)
(ウ)「神は・・・・モナド全体のうちに存している完成態(エンテレヒイ)であり、無限の発展すなわち絶対的理性に基づく『人間性』の無限の発展の目的(テロス)という理念として・・・・ある。」(520頁)
★「死からは、誰も呼び覚まされることはできない。」(520頁)
★「普通の意味での不死性はありえない。しかしすべてのモナドと同様、人間は[別の意味では]不死であり、神性の自己実現過程への参与は不滅であり、一切の真なるものと善なるもののうちで作用し続けていくことは不滅である。」(521頁)

《感想4》かくて「絶対的他者性」のうち「他者性」は次の(ア)(イ)(ウ)によって成立する。(ア)《物》は、《触覚》という出来事、つまり《相互に他なる抵抗の出現》の出来事であることから、「他」性が出現することによって、そして(イ)「物」において《境界面》の一方が感情・欲望・意図等の「心的生活」に対応して動く「身体物体」となることで「自性」が出現することによって、さらに(ウ)ある特別な「物」(※これが「他なる身体」となる)において、「自他未分化的に未分離な《一者》である心的生活を生起させる」ことによって「他なる身体」という「物」が出現することで、成立する。
《感想4-2》ただし「絶対的他者性」の成立根拠である(ア)(イ)(ウ)は「他者性」の成立根拠だ。
《感想4-3》「絶対的他者性」が「絶対的」であるのは、(エ)「心的生活を生起させる《物》」(※他なる超越論的主観性)が存在するようにこの世界が出来ているということだ。言いかえれば「自他未分化的に未分離な《一者》である心的生活を生起させる」ことによって「他なる身体」となるような《物》(※他なる超越論的主観性)が存在するようにこの世界が出来ているということだ。

《参考3》E.HUSSERL『間主観性の現象学Ⅲ その行く方』ちくま学芸文庫「第2部モナド論」
「一四 自我論(Egologie)の拡張としてのモナド論(Monadologie):原典タイトル「事物の超越に対する他我(alter ego)の超越。超越論的自我論の拡張としての絶対的モナド論。絶対的世界解釈(1921年1月/2月)」(全集第14巻、テキスト13番)」(231-278頁)
★「絶対的な考察においては、絶対的形式における複数のモナドは、このモナドの純粋自我主観が原創設する能動性によって絶対的に結合されている。他方においては、それらモナドは、その受動的基盤に関して、その絶対的結合をもち、受動的形式における絶対的相互規定をもっている。この受動的形式とは、すなわち絶対的かつ受動的な因果性である・・・・。」(275頁)
★「複数のモナドの交流それ自体も、基づけられた発生の本質法則をもち、意識的な交流、すなわち社会的共同体(絶対的なるもの、すなわちモナド的なものへと移されている)は、その歴史および歴史の本質法則をもっている。」(276頁)
★「複数のモナドが共可能的であるのは、それらが発展の法則にくまなく支配され、この法則にしたがって一義的に規定された一つの全体、すなわちそのすべての位相が予描されているような共同体的発展の一つの全体としてのみだということ」、これを示すことが、当面の課題である。(276頁)
★「この共同体的発展は、
[1]世界がその発展において客観的世界として構成され、
[2]客観的な生物学的発展が起こり、それとともに動物と人間が客観的存在として登場し、
[3]人間が真の人類史を構成するように努力することに向けて客観的に発展していく
というようにしてのみ可能である。」(276-7頁)

《参考4》E.HUSSERL『間主観性の現象学Ⅲ その行く方』ちくま学芸文庫「第3部 時間と他者」
「二四 再想起と感情移入の並行性:原典タイトル「感情移入について:すでに感情移入の合致により、他者は、世界客観であることと共同主観であることが一つになっている。再想起と感情移入の並行性。再想起からして我(エゴ)に疑いの余地がないこと。他者(アルター)ないし共同主観の宇宙に疑いがないことの持つ問題(1932年1月27・29日)」(全集第15巻テキスト28番)」(443-461頁)
★「再想起による自己自身との合致(自己自身との共同体としてのもっとも根源的な自我-共同体)」と、「感情移入による、すなわち共現前 [※間接呈示]化による他者との合致(通常の意味での一人の他者と、そして多くの他者とのすべての共同体の基盤としてのもっとも根源的な他者との合致)」とのあいだには、必当然性に関して、本質的な違いがある。」(452頁)

C-6-2 「地平制約的な他者(※「絶対的他者性」)を地平現象的な他者性へと組み入れようとしたフッサールのの試みは、その試みの不可能性を証示することによって、逆に両者が厳密に区別されねばならない別次元の出来事であることを明らかにした。」(75頁)
《参考》「第2の二重性」として私に与えられる「絶対的他者性」(つまり新田の言う「超越論的媒体機能」としての他者性)は、「地平現象」としてではなく、「地平制約的な根源的匿名的な機能」として、「地平現象とは別の根源的次元」において、私にその「私自身の存立根拠」として「与えられる」。(74頁)

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松尾正(1954-)「『デカルト的省察』(E・フッサール)と精神分裂病者――他者の〈二重の二重性〉と分裂病者の現出に関する一試論――」(その2):「分裂病者の事物様現出」と「他者」把握の誤謬!

2021-10-28 16:46:17 | Weblog
※新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学Ⅱ:哲学と精神医学のあいだ』北斗出版、1992年所収

第2節「現象学的精神病理学の根本的な誤謬」
(2)「他者現象の第1の二重性」を見落とす:現象学的精神病理学においては、「他者」が「知覚可能な事物的存在者」に還元されてしまっている!これは「分裂病者の事物様現出」に由来する!
B 現象学的精神病理学は「他者現象の第1の二重性」、つまり「物体としての他者の身体」と「他者によって生きられる身体」がないかのように扱う。これは「根本的な誤謬」だ。
B-2 例えば(ア)ビンスワンガーが「フッサールの意味での本質直観によって、他者の心に生じる出来事の本質を直接的に捉えることができる」と主張する。
(イ)ブランケンブルグは「現象学的還元、つまりエポケーを通じ、原本的な直観によって、他者に固有な超越論的存在様式がわれわれに直接的に現前されうる」と説く。
さらに(ウ)西田哲学に依拠する木村敏は「『気』という自他未分化な領域を通じて、外部知覚される身体という壁を超え、他者における内的現象がそのまま私の内的現象へと翻って自覚的に把握されうる」と「自覚的現象学」を主張する。(65-66頁)
B-2-2  つまり「他者」が「知覚可能な事物的存在者」に還元されてしまっている。これは「他者の他者性」を踏みにじる「独我論的かつ神秘主義的主張」だ。(66頁)
B-2-3  現象学的精神病理学がこうした誤謬に陥った根拠は、「分裂病者の事物様現出」に由来する。(67-68頁)B-2-3-2 「分裂病者の事物様現出」とは、「感情移入しえない」(ビンスワンガー)、「生き生きした接触性の障害」(ミンコフスキー)、「気を通じさせることができない」(木村)などだ。(68頁)

(2)-2 「他者現象の第2の二重性」を見落とす:現象学的精神病理学は、誤って、「匿名的な接触性」を「他者知覚の一般的手段」としてしまった!
B-3 「分裂病者の事物様現出」は「他者現象の第2の二重性」の欠落である。
B-3-2 「他者現象の第2の二重性」とは、「他者は決して明証的には私に与えられぬものとして、私になんらかの仕方で明証的に与えられる」ということ、すなわち「他者とは、新田のいう『原初的差異』(Urdifferenz)として、私自身の究極的な超越論的媒体として、私によって『生きられるアノニミテート』(新田)である」ということだ。(68頁)
B-3-3 「分裂病者の事物様現出」において、普段は「匿名的に生きる」だけの、「匿名的な接触性」、「匿名的な媒体機能」が、「障害態という特別な形で意識に浮上する」。
B-3-3-2  現象学的精神病理学は、誤って、この「匿名的な接触性」を「他者知覚の一般的手段」としてしまった。Ex. 「生き生きした接触性という手段を用いて、分裂病者をその生き生きした接触性の障害として知る」(ミンコフスキー)。「気という手段を用いて、分裂病者とは気が通じないことを知る」(木村)。(68-69頁)

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松尾正(1954-)「『デカルト的省察』(E・フッサール)と精神分裂病者――他者の〈二重の二重性〉と分裂病者の現出に関する一試論――」(その1):明証的に与えられぬ他者の存在そのものが、明証的だ!

2021-10-27 19:40:53 | Weblog
※新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学Ⅱ:哲学と精神医学のあいだ』北斗出版、1992年所収

第1節「他者の二重の二重性」
(1)フッサール:「私」に対する「他者」の「他者性」=「絶対的超越性」=「絶対的外部性」!
A 「他者とは何か」という問いに対しフッサールは次のように答えるだろう。「他者とは私に決して根源的に与えられぬものである」と。(61頁)
A-2 フッサールは「私」に対する「他者」の「他者性」=「絶対的超越性」=「絶対的外部性」を直視した。(61頁)
A-2-2  フッサールは「自我論的哲学」の内部に「絶対的真理」を見出そうとしたことによって、その「自我」の前に「超然と立ちはだかる他者の絶対的外部性」に激突した。(61頁)
《感想1》ここで「私」は超越論的な「私」だ。また「他者」は超越論的な「他者」だ。
《感想1-2》ここで「他者」とは、「自我」と同等の権利をもつ「他我」のことだ。単なる「他なる対象」としての「他者」ではない。
《感想1-3》「自我」は超越論的主観性としての自我であり、「他我」は超越論的主観性としての他我である。

(1)-2 「知覚」:「事物ないし出来事」を「それ自身現在するもの」として把握する!(61頁)
A-3 フッサールは終始、「他者の外部性」(※「他者性」=「絶対的超越性」=「絶対的外部性」)に突き当たった。(61頁)
A-3-2 フッサールによれば、「知覚」とは「事物ないし出来事」を「それ自身現在するもの」として把握する「直観的思向」だ。(61頁)
《感想2》「それ自身現在するもの」として把握するとは、《そのもの》が把握されることであり、《像》ではないということだ。

(1)-3 フッサール:《心的現象》を、《ありのままに直観する》ことはできない!(62頁)
A-3-3 これに対して私は「告知する人物(※他者)をまさに《人格》たらしめている《心的現象》を、《ありのままに直観する》ことはできない。」(フッサール『論理学研究第2巻』)(62頁)
《感想3》だが評者の私見では、「他者」が、《「自我」と同等の権利をもつ「他我」のことだ》と気づくためには、「他者」を「それ自身現在するもの」として把握する「直観的思向」(知覚)が必要だ。

(1)-4 フッサール:「他人や他人の心的生活は、確かに『それ自身そこに』、しかも他人の身体と一緒になってそこにあるものとして意識されている」!(62頁)
A-3-4 「他人や他人の心的生活は、確かに『それ自身そこに』、しかも他人の身体と一緒になってそこにあるものとして意識されているが、しかし、他人の身体が《原的に与えられたもの》として意識されるのと同じようには意識されないのである。」(フッサール『イデーンⅠ-1』)(62頁)

《感想3-2》評者の私見では、フッサールは「他人や他人の心的生活は、確かに『それ自身そこに』、しかも他人の身体と一緒になってそこにあるものとして意識されている」と言うのだから、実は「他人や他人の心的生活」も他人の身体と同様に「《原的に与えられたもの》として意識される」(つまり「知覚」)される(※「間接呈示」されるのでない)と考えるべきだ。そうでなければ「他者」が、《「自我」と同等の権利をもつ「他我」のことだ》と気づかれるはずがない。
《感想3-2-2》直接の出会いのうちで、相手の息づかい、ぬくもり、表情(以上は他人の身体)、喜び・慰め(これは他人の心的生活であり同時に私の心的生活であり、両者が一者として生じている)が、「確かに『それ自身そこに』・・・・あるものとして意識されている」。「他人の心的生活」が「それ自身現在するもの」として(私の心的生活と区別しえぬ一者として体験され)把握されることは「知覚」に相当することといってよい。(間接呈示されるのでない。)「他人の心的生活」の「知覚」に相当すると呼びうるものは、《心的共感》(フッサールは「感情移入」と呼ぶ)と言えるだろう。
《感想3-2-3》ただしその場合「他人や他人の心的生活」の総体はもちろん「原的に与えられる」わけでない。それらは「地平」として類型的に与えられる。

(1)-5 フッサールの明証の概念:明証(Evidez)、十全的明証(Adäquate Evidenz)! Cf. 必当然的明証(Appodiktische Evidenz)!(62頁)
A-4 「明証(Evidez)」:何の疑いもなく、現出者がその現出者それ自身として(※「像」ではない!)そこにあるがままに現出していること、その現出によって現出者が、直観的に現在化され充実されていること、これがフッサールの「明証(Evidez)」ということだ。(62頁)
A-4-2 「十全的明証(Adäquate Evidenz)」:あらゆるものは、ある一つのアスペクト与件としてそのパースペクティヴ性において与えられ、その背後に充実されざる暗い地平的現象(※《として》構造or類型的・イデア的把握)を伴う。つまりあらゆるものは「十全的明証」において与えられることはない。しかしあらゆる現象は、その「十全的明証」を極限理念として「その究極的目標に向けて無限に接近してゆく」(新田)ことができる。(62頁)
A-4-3 Cf. 必当然的明証(Appodiktische Evidenz)」:フッサールにおいて「明証」とは、直観される事象を、決して変わらぬ恒常的な明証性をもって与えられる領域、つまり現象学的還元を通し、「必当然的明証(Appodiktische Evidenz)」において与えられる超越論的自我の領域でのみ取り扱い、その構成を問うことを意味した。超越論的自我が自分で実際見ることのないものについては、いっさい言及しないようにすること、それが超越論的現象学の理念的立場だった。(62頁)

《感想3-2-4》評者の私見では、《直接の出会い》(A. Schutzの「直接世界Umwelt」)のうちで、「他人の心的生活」が「それ自身現在するもの」として把握される、つまり「知覚」に相当すること、あるいは《心的共感》とでも呼ぶべきものが生じる。
《感想3-2-5》その場合「他人や他人の心的生活」の総体(「十全的明証」)はもちろん「原的に与えられる」わけでない。それらは地平として類型的に与えられる。
《感想3-2-5-2》要するに、「他人の心的生活」は、直接の出会いのうちで、「それ自身現在するもの」として把握される、つまり「知覚」に相当する出来事が生じる、あるいは《心的共感》とでも呼ぶべきものが生じる。
《感想3-2-5-3》直接の出会いのうちで《心的共感》(あるいは相互的な「感情移入」)において、「それ自身現在するもの」として把握される「他人の心的生活」は、その背後に充実されざる暗い地平的現象(※《として》構造or類型的・イデア的把握)を伴う。
《感想3-2-5-3》つまり「他人の心的生活」は「十全的明証」において与えられることはない。しかし「他人の心的生活」は、その「十全的明証」を極限理念として「無限に接近してゆく」。そのようにして「他人の心的生活」は「私」によって把握されていく。(評者の私見)

(1)-6 「他者の現象」の二重(※二種類)の二重性:①身体物体性(Körper)と生ける身体性(Leib)!②原信憑として、他者の存在はすでに初めから明証的である!(62-65頁)
A-5 「他者の現象」の二重性①:「私が見ることができる身体物体性(Körper)」と「私が見ることが出来ぬ他者に固有の生ける身体性(Leib)」(※《他者の心=他なる超越論的主観性》)との隔たり。(63頁)
A-5-2  すなわち、「視点に対する視像としての《物体性》」と「その視像として照らし出されざる《暗闇》(※他者の心)」という他者の「第1の二重性」。(65頁)

A-6 「他者の現象」の二重性②:これは「他者一般のアプリオリな明証性」あるいは「他者実在の絶対的な確証性」のことだ。一方で私に「明証的に外部知覚される物体」について、他方で私は「その物体が目に見えぬ他者(《他者の心=他なる超越論的主観性》)に属する身体であると明証的に確信する」。「原信憑として、他者の存在はすでに初めから明証的である」。(63-64頁)
A-6-2 すなわち「明証的に与えられぬ他者の存在そのものが、明証的である」という他者の「第2の二重性」。(65頁)
A-6-3 なおこの「原信憑的な他者」は、「世界一般」と「自我自身」のアプリオリな明証性と共に、原受動的な領域における「地平形成の制約となるもの」(新田)として分析されねばならない。

A-7 かくてこの「二重の二重性」によって、現象学は「他者」を最大のアポリアとなさざるをえなかった。(65頁)

《参考1》E.HUSSERL『間主観性の現象学Ⅲ その行く方』第4部 他者と目的論(ちくま学芸文庫、2015年)「それぞれの自我は一つの『モナド』である。だがこれらモナドは窓を持つ。それらのモナドは、別の主観が実質的に入り込むことができないという意味では、窓も扉ももたないが、別の主観は窓をとおして(窓とは感情移入のことである)経験されうるのであって、それは自分の過去の体験が再想起をとおして経験されうるのと同様である。」(257頁)

《参考2》新田義弘(1929-2020)「序論 他者論の展開の諸相――現象学における哲学と精神医学との交差領域に定位して」(新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学Ⅱ:哲学と精神医学のあいだ』北斗出版、1992年所収)
★他者は「私ではないという与えられ方」をしている!
フッサールの問いは「私ではないが、私と同じ構造をもつ他者(※超越論的主観性としての他者)をどのようにして理解できるのか」という問いである。他者は「私ではないという与えられ方」をしている。(14-15頁)
★ だが「事物への関り(①)」も、「自己自身への関り(②)」も、「他者への関り」と同様に「否定性(『~ではない』)の構造をもつ関係」である!
そもそも「事物は対象化的に認識されうるし、また自己の内部は自己自身に直接に直観されうるのに対して、他者だけが否定性を介して与えられる」との見解は、「現象学」(フッサール)と無縁である。フッサールにおいては①「事物」について「射映的な与えられ方」が探られ、志向性の構造として「意味論的な差異性」(『~として』規定する仕方)が取り出された。これが後期のフッサールでは「地平現象」として緻密に分析される。②「自己への反省的関わりを可能にする原初の出来事」は、「自己分裂として生起する差異化現象」(※「生き生きした現在」)である。要するに「事物への関り(①)」も、「自己自身への関り(②)」も、「他者への関り」と同様に「否定性(『~ではない』)の構造をもつ関係」である。(15頁)
★否定性を介して私と他者とが密接に属しあう構造:「われわれ性(Wirheit)」(「われわれ-構造」)!
他者と私との関りにおいては、《「私は他者でない」、「他者は私ではない」という否定性を介して私と他者とが密接に属しあう構造》(※超越論的モナドの共同体)が機能している。この構造は「われわれ性(Wirheit)」(「われわれ-構造」)と呼べる。この「われわれ性(Wirheit)」は、「ない」(否定性)を亀裂として内に抱いて非主題的にのみ機能するアノニム的な媒体である。(Cf. 「生きられる身体性」、「生き生きした現在」。)したがって「われわれ-構造」の有する「否定性」のゆえに、私や他者がそれぞれに人間関係の「基体」とされるとき、私や他者はすでに一つの「抽象」の産物(※対象)と化す。(16-18頁)

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オウィディウス(前43-後18)『変身物語』(上)「巻2」(16)「キュクノス」:友パエトンの死を嘆き白鳥となった!白鳥は、雷電を嫌い、自分の住処に、燃える火と対照的な水流を選ぶ!

2021-10-26 21:31:43 | Weblog
(1)キュクノスが、友パエトンの死を嘆く!(69頁)
太陽の娘たち(ヘリアデス)がパエトンの死の悲しみで木々に変わってしまった!たまたまこの場にいあわせて、この不思議な出来事を目にしたのがステネロスの息子のキュクノスだった。キュクノスは、パエトンの血縁だが、しかし気持ちの上では、もっと親しい間柄だった。キュクラスはリグリアの王だったが、その領地を捨て、エリダノスの流れと、友パエトンの姉妹たちの変身で木の数を増やした森を、嘆きの声で満たしていた。
(1)-2 キュクノスは白鳥となった!(69頁)
すると突然、キュクノスの髪の毛に羽毛が取って代わり、頸が長く伸び、指は赤くなって水かきで結ばれ、羽根が生え、口もとには太短い嘴(クチバシ)がおさまった。つまりキュクノスは白鳥になった。この鳥は、ユピテルが理不尽にも投げた雷電を嫌い、自分の住処に、燃える火と対照的な水流を選んでいる。

(2)父アポロンは、悲しみ怒った!(69-70頁)
パエトンの父、太陽神アポロンは、悲しみの上に怒りを加え、この世界への務めを拒絶する。「もうたくさんだ。あのユピテルご本人が光を運ぶあの馬車を御すればよい。そうすればあの馬たちの力を存分に思い知るだろう。馬たちをうまく御しえなかったからといって、その者が死の刑罰を受けるにはあたらなかったと悟るだろう!」
(2)-2 ユピテルも、雷火を投げたことを弁明した!(70頁)
よろずの神たちが、アポロンの回りに集まって来て「世界を闇でおおってやろうという気にはならないように」と猫なで声で懇願する。ユピテルも、雷火を投げたことを弁明し、しかし王者にふさわしく、願いの言葉に脅しも付け加えた。
(2)-3 アポロンは拍車と鞭を、猛然と馬たちに向けた!(70頁)
かくて太陽神は、いまだに恐怖におののいて狂ったようになっている馬たちを呼び集め、拍車と鞭を、猛然と彼らに向けた。アポロンは、息子パエトンの死を馬たちのせいにし、彼らを責めた。

《参考1》アポロンは、白鳥となったキュクノスに、歌声を与えた。「白鳥が死に際して歌う」というのは、このためである。(高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』)
《参考2》パエトンの死を嘆き白鳥となったキュクノスを、父神アポローン(ヘーリオス)が、天に上げて「はくちょう座」にしたという。(パウサニアス『ギリシア案内記』)
《参考2-2》あるいは「はくちょう座」になった白鳥は、レダに近づくために大神ゼウスが変身した姿とも言われる。


ルラン@C_C_Luran「ギリシア神話から、パエトンを探すキュクノス(白鳥)」

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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(111 ) 百田氏の誤り:①「53億ドルにのぼる資産」は「朝鮮半島内」全体に残した資産だ!②それらは「アメリカ及びソ連」に接収された!

2021-10-26 12:35:57 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)  

(111) 百田氏の誤り:①「53億ドルにのぼる資産」は「韓国内」に残したのでなく、「朝鮮半島内」全体に残した資産の額だ!②それら「資産」は「アメリカ及びソ連」に接収された!(429頁)
J  「日韓基本条約」(1965年)に関し百田尚樹『日本国紀』は次のように述べる。「この条約と同時に締結された『日韓請求権・経済協力協定』で、日本が韓国に支払った金は、無償で2億ドル、有償で3億ドル、民間借款3億ドル、その他を含めると11億ドルにものぼった。これは当時の韓国の国家予算の2.3倍にあたるものであった。・・・・しかも併合時代に日本政府が韓国内に残した53億ドルにのぼる資産はすべて放棄した上でのことである。」(百田462-463頁)
J-2  「韓国内に残した53億ドルにのぼる資産」と百田氏は述べるが、これは二重に誤りだ。
J-2-2  百田氏の誤り①:「53億ドルにのぼる資産」は「韓国内」に残したのでなく、「朝鮮半島内」全体に残した資産の額だ。(429頁)

J-2-3  百田氏の誤り②:「53億ドルにのぼる資産」は「韓国」に対して「放棄」したと百田氏は述べるが、これは誤りだ。「この『資産』はアメリカ及びソ連に接収されており、もともと日本は返還を要求できないもの」だ。(サンフランシスコ平和条約第2条a[1951年9月];アメリカ軍政法令第33条[1945年12月])。(429頁)

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オウィディウス(前43-後18)『変身物語』(上)「巻2」(15)「太陽の娘たち(ヘリアデス)」:パエトンの姉妹の「太陽の娘たち」は木(ポプラ)に変身し、その涙が「琥珀」となった!

2021-10-25 19:55:46 | Weblog
(1)エリダノスの流れ!
墜落したパエトンを受け取ったのは、故国を遠く離れた地の、大いなるエリダノスの流れだった。水の精たちがパエトンの遺骸を埋葬し、墓碑銘を立てた。哀れな父親アポロンは、悲しみにやつれ、顔を隠し、まる1日の間、日が出なかった。
(2)母親クリュメネと「太陽の娘たち」!
母親のクリュメネは、悲嘆のあまり半狂乱で、地上のいたるところを遍歴し息子の遺骸を探し求めた。ついにそれを探し当てたが、それは異国の河辺に埋められた彼の白骨だった。パエトンの姉妹の「太陽の娘たち(ヘリアデス)」も涙をそそぎ、パエトンの名を日夜呼び叫んで塚に伏した。
(3)月が4度満ちた!
こうして月が4度満ちた。ある時、長女パエトゥーサが大地にひれ伏そうとしながら、急に足がこわばって動かなくなった。まばゆいばかりに色白のラムペティエが、姉のそばに駆け寄ろうとすると突如根が生えたように動けなくなった。次の妹が手で髪の毛をかきむしろうとすると、むしり取られたのは木の葉だった。
(4)「これがお別れ」!
「太陽の娘たち(ヘリアデス)」がこの出来事に驚いているうちに、樹皮が下腹部を包み、腹部、胸部、肩、手としだいに上へあがってゆく。口だけが残っていて母親を呼び求める。母親はうろうろとあちこちへ駆け寄る。娘たちが「これがお別れ!」と言う。樹皮がこの最後の言葉をふさいでしまった。
(5)「琥珀」!
そしてそこから、涙が流れ落ちる。できたばかりの枝からしたたるこの樹脂は、日光で凝固して「琥珀」となった。澄んだ流れの河がこれらを受けとって、ローマへ運び、妙齢の婦人たちの身につけられることとなった。

《参考1》「太陽の娘たち(ヘリアデス)」は「ポプラ」の木になったという。
《参考2》エリダノス川は神話上の北洋に注ぐ大河で、河口にエレクトリデス(琥珀)諸島がある。この川は、バルト海にしか産しない琥珀が青銅器時代の地中海世界に入ったときの交易路,いわゆる「琥珀の道」の記憶をとどめるものとされる。


サンティ・ディ・ティート(1536-1603)『ポプラに変身したパエトンの姉妹たち』

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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(110 ) 百田氏の誤り:「水俣病」や「イタイイタイ病」といった公害病が「1955年あたり」から発生したとするのは誤りだ! 

2021-10-25 10:50:15 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)  

(110) 百田氏の誤り:「水俣病」や「イタイイタイ病」といった公害病が「1955年あたり」から発生したとするのは誤りだ!(427-428頁)
I  百田尚樹『日本国紀』は社会問題の記述が希薄だ。(a) 明治時代最大の公害事件の「足尾銅山鉱毒事件」に触れていない。(b)労働問題への言及もほとんどない。(c) 公害病については水俣病やイタイイタイ病に言及するが、新潟水俣病・四日市ぜんそくを含めた「四大公害病」については述べていない。(c)-2 公害対策基本法(1967年)への言及はあるが、それが環境基本法(1993年)に変わったことは説明されない。(427-428頁)

I-2  戦後の公害問題につて百田氏はわずか7行のコラム(百田460-461頁)に「1955年あたりから、工場排水や産業廃棄物による公害が全国で発生し、水俣病やイタイイタイ病といった痛ましい公害病を生んだ」(百田460頁)と書く。(428頁)
I-2-2  百田氏の誤り①「水俣病やイタイイタイ病といった痛ましい公害病」が「1955年あたりから・・・・発生」したとするのは誤りだ。(ア)「水俣病」は「1940年代から」その兆候が始まっていた。(Cf. 水俣病の「公式確認」が「1953年」だ。)(イ)「イタイイタイ病は1920年から始まっている。」(428頁)

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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(109) 百田氏の誤り:①日本政府が「メディア問題に鈍感」と言うのは誤りだ!②《放置》していない!《参考》 CIAの「正力ファイル」!

2021-10-24 16:39:10 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)  

(109) 百田氏の誤り①:日本政府が「メディア問題に鈍感であった」と百田氏は述べるがこれは誤りだ!(425-426頁)
H  「テレビの登場」の項で百田尚樹『日本国紀』は次のように述べる。「公共放送のNHKを除いて、民間のテレビ事業に参入したのは新聞社だった。多くの先進国では新聞社がテレビ局を持つこと(クロスオーナーシップという)は原則禁止されているが、当時、メディア問題に鈍感であった日本政府は禁止しなかった。これにより多くの弊害が生じたが、それらは改善されることなく現在に至っている。」(百田461頁)
《参考》「クロスオーナーシップ」は、同一資本が 新聞・TV・ラジオなど 多種多数のメディアを傘下に置ける制度で、《言論の自由》を狭めると批判される。
H-2  百田氏の誤り①:日本政府が「メディア問題に鈍感であった」と百田氏は述べるがこれは誤りだ。すなわち1953年、民放テレビ局として日本テレビが放送を開始するが、読売新聞社(正力松太郎社長)などが出資し日本テレビを設立した。当初は東京を中心に支局を置く計画だったが郵政省(当時)がストップさせた。(※「放送法」で、民放テレビ局において、中央局が地方局を所有することは許されていない。)(426頁)

(109)-2 百田氏の誤り②:「クロスオーナーシップ」規制について日本政府が《放置》していたように百田氏は述べるが、誤りだ。(426-427頁)
H-3  百田氏の誤り②:「クロスオーナーシップ」について「それらは改善されることなく現在に至っている」と日本政府が《放置》していたように百田氏は述べるが、誤りだ。(426-427頁)
H-3-2  鳩山紀夫(民主党)政権の2010/3/14原口一博総務相が「クロスオーナーシップ」禁止の法制化について発言。「クロスオーナーシップ規制」の見直しを盛り込んだ放送法改正法案が閣議決定される。しかし同年、民主党が参院選で大敗し、「クロスオーナーシップ規制」を削除し、改正放送法が成立した。(426-427頁)

(109)-3  米国CIAが正力松太郎を工作員に仕立てようとしていた(アメリカ公文書館によって公開された外交文書による)!
H-4  百田尚樹『日本国紀』は「『WGPI洗脳世代』が社会に進出するようになると、日本の言論空間が急速に歪み始める」(百田465頁)と述べ、朝日新聞を「WGIP」と絡めて批判する。(427頁)        
《参考》「WGIP」(※GHQの《戦争責任を伝える計画》で1947年にほぼ終了)および「WGIP洗脳論」については既述。参照:(89)~(92)、346-358頁等。
H-4-2  しかし百田氏が「日本では、世論は新聞社とテレビ局によって操作される部分が非常に大きい」(百田462頁)というのであれば、「1947年にはほぼ終わっていた計画(※「WGIP」)を例にするよりも、CIAとメディアの関連を指摘した方が『陰謀論』としては面白かったように思う」と浮世氏が言う。(参照:有間哲夫『日本テレビとCIA』2006年。)(427頁)
H-4-2 -2 「『週刊新潮』2006/2/16号で早稲田大学有間哲夫教授が、正力松太郎の戦犯不起訴後、CIAが正力を工作員に仕立てようとしていたことを、アメリカ公文書館によって公開された外交文書から指摘し、話題になった。」(427頁)

《参考1》「【特別読物】CIA『政界裏工作』ファイル発見!ポダムと呼ばれた『正力松太郎』」早稲田大学教授 有馬哲夫」(『週刊新潮』2006/2/16号)の要旨。
(a) CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎(1885-1969):正力松太郎がCIAに操縦されていた歴史的事実が明らかになった。その根拠は米国公文書館の公開された外交機密文書である。そのファイルはきわめて量が多い。同じCIAのファイルとして既に研究されている岸信介元首相や重光葵元外相のものと比べても、圧倒的な厚みだ。CIAが正力を徹底してマークしていたことがわかる。CIA は正力を「ポダム」という暗号で呼んでいた。
(b)正力は東京帝大を出て警察庁につとめ戦前、無政府主義者、共産主義者の取締りで名をあげた。その正力が政界の大物から大金を借り、当時わずか5万部に低迷していた読売新聞を買収し、自ら陣頭指揮をとって奇抜な企画や大衆に親しみやすい紙面つくりに励み、『毎日』、『朝日』につぐ大新聞に『読売』を成長させた。米国はその正力に目を付け、援助を与えることによって、彼のマスコミに対する大きな影響力を利用しようとした。日本全土に、「親米・反共のプロパガンダ」を流すためだ。
(c)今回、明らかになった事実として、CIAが1000万ドルの借款を正力に与え、「全国縦断マイクロ波通信網」を建設させようとしていた計画がある。これが完成した暁には、CIAは日本テレビと契約を結んで、アメリカの宣伝と軍事目的に利用する予定だった。
(c)-2 この工作は直前で破綻した。その原因は「正力とアメリカの国防総省が陰謀をめぐらし、正力がアメリカの軍事目的のために、アメリカの資金で全国的な通信網を建設しようとしている・・・・近代国家の中枢神経である通信網を、アメリカに売り渡すのはとんでもない」という怪文書がばらまかれ、国会で取り上げられCIAが作戦を見直したからだ。
(d)CIAは、資金、女性問題、麻薬によるコントロールまで、あらゆる情報をファイルし、工作対象者をマークしている。正力のフィル名は「テレビのベンチャーに対するアメリカの資金供与」と記載されていた。

《参考2》有間哲夫『日本テレビとCIA』(2006年)の要旨。
[1]本著の早稲田大学や文部科学省向けのタイトルは「日本のテレビ放送の成立におけるアメリカ合衆国の反共産主義政策の影響」である。その目的はこれまで憶測や伝聞、あるいは企業のPRや個人の自慢話や事実の意図的捏造と隠蔽の集大成だった日本のテレビの「神話」を客観的資料によって裏付けして検証可能な「歴史」とすることだ。
[2]文書には「本人に知られないように」ポダム(正力松太郎)をポダルトン(全国的マイクロ波通信網建設)作戦に使うと書いてある。だが正力はCIAが「自分に支援を与えることで自分を利用しようとしていた」ことは承知していた。
[3]しかしながら、さまざまな文書を読んでわかることは、正力は「自分の会社の利益を第一に考える」が、かといって「国益に反することはしなかった」ということだ。つまり、「第一に自分の会社のためになり、第二に国益にもかなう場合」はことを進めるが、「自分の会社のためになるが国益に反する場合」は敢えてしなかったということだ。
[4] したがって、正力が「国を売った」という事実は、今のところ見つかっていない。これからもでてこないだろう。彼は彼なりに愛国者であり、国士であり、だからこそ財界有力者や政治家の支持を受けてメディア界の大物にのしあがることができたのだろう。
[5] それに「売国奴」は、アメリカの名門出身者が多いCIA関係者にも蔑まれる。しかし正力は1954年以降の「原子力発電導入」のときは、操られるどころかCIAと虚虚実実の駆け引きをしている。つまり、正力は原子力導入にCIAの支援を得ることで、5年以内の商業発電を目指し、この実績をもとに「総理大臣の椅子」を手に入れようとしていた。CIAは正力を利用して「第五福竜丸事件」(1954年)で高まった「日本の反原子力世論」を讀賣新聞と日本テレビを動員させて沈静化し、これを果たしたのちに「日本への核兵器の配備」を政府首脳に呑ませようとしていた。
[5]-2 結局、CIAとUSIA(合衆国情報局)は「讀賣グループの原子力平和利用キャンペーン」には手は貸すものの、アメリカ政府は「原子炉の日本への輸出」は渋った。「日本やドイツのような科学技術の水準が高く、かつ敵国だった国には原子力平和利用の支援をひかえる」というのが方針だった。その一方でイランやパキスタンやインドなどは積極的に支援した。
[5]-3 アメリカの態度に業を煮やした正力は、讀賣新聞を使ってアメリカの外交を批判し、かつ「イギリスから原子炉を購入する」ことを決めてCIAを激怒させた。(それでも実験炉はアメリカから購入して抜け目なくバランスをとっている)
[5]-4 このような事実に照らしてみると、「正力はCIAに操られていた」というより、少なくとも原子力導入の時期は、「CIA と互角にわたりあっていた」というほうが正しいといえる。正力とCIAの関係は、「持ちつ持たれつの、不思議な共生関係」であって、「どちらかがどちらかを支配するという関係」ではなかった。終戦直後、巣鴨プリズンに押し込められていた時期の正力とGHQの関係とは明らかに異なっていた。
[6]それにしてもCIAやUSIA関係者は、正力の「たかり根性」には往生していた。正力は上院外交委員会(およびその顧問のホール・シューセン)には「マイクロ波通信網」を、CIAには「原子力発電所」と「カラーテレビ」をただでくれとしつこくねだった。
[6]-2 結局、最後のものだけはCIAからもらえたが、他のものはだめだった。とはいえ、正力は「原子力発電所」をねだるときでさえ、「マイクロ波通信網」はもういらないとは決していわなかった。「カラーテレビ」をねだるときでさえ、タイのテレビと放送網と提携するためにやはり「マイクロ波通信網」が必要だと言っている。
[6]-3 また、何でも自分の手柄にしたがり、「原子力平和利用博覧会の成功も自分のおかげだ」と大いばりして、費用と労力をほとんど負担したUSIA関係者をうんざりさせた。にもかかわらず、「どことなく憎めないやつだ」とUSIA、CIA関係者に思われていたふしがある。
[6]-4 自分の欲望や感情に素直で、大物にしては人間としてわかりやすく、ナイーヴですらあるからだ。あの「ジャガイモに目をつけたような顔」で子供じみた自画自賛とおねだりをやるのだからアイヴィーリーグ出身のエリートたちはついつい警戒をゆるめてしまうのだ。
[7] しかし、CIAにとって正力は「思いのままに操れるような人間」ではなく、「気をつけないと、知らないうちに自分たちを利用しかねない油断のならない人間」だった。この意味で正力は、吉田や鳩山や岸よりも手ごわかったといえる。正力の持つ「讀賣新聞や日本テレビ」に対する影響力を利用するためにCIA関係者は正力が死ぬまでこの「タフ・ネゴシエイター」といろいろ取引しなければならなかった。
[8]これまでゆがめられ、矮小化されてきた正力像、とくに柴田秀利の私怨によって捏造された正力像は改められてしかるべきだろう。「プロ野球の父」「テレビの父」「原子力の父」がこれまで書かれてきたような卑小な人物であるはずがない。これだけの多く偉業をなし得た人物は日本の現代史ではほかに見当たらない。
[8]-2 「正力はアメリカに利用された」というかも知れないが、占領期とそれに続く時代では、そうすることによってしか歴史に残るような大業はなしえなかった。吉田茂とて同じではなかったか。だが、吉田を評価するにせよ、批判するにせよ、彼が歴史的に大きな役割を果たしたということは否定しないだろう。正力の場合も同じだ。
[8]-3 少なくとも私(有間哲夫)にとって正力は「昭和の傑物」のナンバーワンだ。いろいろ調べてみてこれほど面白い人物はない。ただし、彼が生きていたとして、彼の下で働こうとは金輪際思わない。

《参考3》有間哲夫「正力の原子力導入推進キャンペーンとCIAの心理戦」2006/11/25発表(於東京経済大学)の発表要旨。
(ア)讀賣新聞・日本テレビの1955年前半の「原子力平和利用使節団」、後半の「原子力平和利用博覧会」などの一連のメディア・キャンペーンは、正力松太郎とアメリカ情報機関(CIA、国務省、合衆国情報局、極東軍司令部)の合作だった。
(イ)正力のキャンペーンの目的はきわめて政治的なもので①産業界なかんずく電力業界の支援のもとに「政界」に打ってでること、②早期に「原子力発電」を実現して「総理大臣」の椅子を手に入れること、③それによって宿願の「マイクロ波通信網」を手に入れることだった。
(ウ)アメリカ側の目的は、①アイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォー・ピース」政策を日本で実現すること、②「第五福竜丸事件」(1954)で戦後最高の高まりをみせた反原水禁=反米運動を沈静化させること、③日本に「核兵器」を配備することを日本政府首脳に飲ませることだった。
(エ)両者(正力とアメリカ側)が目的を達成するためには、広島・長崎の原爆投下と第五福竜丸事件によって根強い「原子力アレルギー」を持っている日本の世論を転換する必要があった。この点で利害が一致したために両者は共同で「メディア・キャンペーン」(アメリカの側からすれば「心理戦」)を行った。
(オ)しかしながら、一方で正力は「早期に原子炉を手に入れ原子力発電を実現したい」のに対し、アメリカ側は「日本の原子力発電の実現をなるべく遅らせようとしていた」ので、やがて両者は決裂することになる。このため正力はイギリスから「コルダー・ホール型の原子炉」(※東海発電所1号炉はこの改良型、1966年運転開始、日本初の商業用原子炉)を購入することを急ぎ、のちのちまで尾を引く日本の原子力行政の混迷のもとを作る。

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