宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『怖い絵、泣く女篇』中野京子(1956生)、2008年、角川文庫

2012-09-19 21:14:27 | Weblog
  作品1 ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(1833年)
 レディ・ジェーン・グレイは、英国女王メアリーにより、16歳で処刑された。(1554年)覚悟を決め、従容と死につこうとするジェーン・グレイの美しさが際だつ。彼女は、ヘンリー8世の妹の孫。ヘンリー8世が死んだとき、王位継承順位は、1位エドワード、2位メアリー、3位エリザベス、4位ジェーン・グレイだった。フランスのロマン主義の作品。
     
  作品2 ミレー『晩鐘』(1833年)
 ミレーは、宗教性の高い清貧の画家と言われているが、ダリは、『晩鐘』を、母親と息子の近親相姦の絵と解釈する。実際、ミレーは「農民画家」になる以前、ポルノの画家だった。また、ダリは、もとは、この絵は、死んだ子供を埋葬する絵だったと言う。
         
  作品3 カレーニョ・デ・ミランダ『カルロス二世』(1675年頃)
カレーニョ・デ・ミランダは、ベラスケスの次代のスペイン宮廷画家。(ゴヤは1世紀後。)カルロス2世は、近親婚の影響で病弱。父は「無能王」フェリペ4世。カルロス2世は、10歳になっても読み書きができず、「呪いをかけられた子」と言われた。彼は、1700年に、35歳で死去。スペイン・ハプスブルグ家は断絶する。
               
  作品4 ベラスケス『ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)』(1656年)
 「慰み者」の矮人女性、マリア・バルボラ。道化の怒りを示す。マルガリータはオーストリア皇帝に嫁ぐが、21歳で死去。ベラスケスは、フェリペ4世の信任が厚かった。
          
  作品5 エッシャー『相対性』(1953年)
 異世界への通路としての階段。ある人にとっての床が、別の人には壁になる。同じ空間なのに、三つの重力世界の、三つの地表がある。どれが本当のこの世なのか、定かでない。相対性。
          
  作品6 ジェラール『レカミエ夫人の肖像』(1805年)
 社交界の花、レカミエ夫人。ギリシア・ローマ風のシュミーズ・ドレスを着る。フランス革命後、女性の服装は、豪奢なロココ趣味から、極端に簡素化する。寒くて肺炎で早死にする女性が多かった。
                    
  作品7 ブリューゲル『ベツレヘムの嬰児虐殺』(1565年前後) 
 キリストの誕生を知り、2歳以下の男子をことごとく殺すようヘロデ王が命じた。絵は、残酷だからと改竄される。今や、嬰児が、壷や包みや鳥や猪にされた。
     
  作品8 ヴェロッキオ『キリストの洗礼』(1473年頃)
 ヴェロッキオの工房の作品。少年ダヴィンチの才能に驚いて、ヴェロッキオは筆を折った。(左端の天使!)以後、ヴェロッキオは、絵画をやめ、彫刻に徹した。
          
  作品9 ビアズリー『サロメ』(1894年)
 ヘロデ・アンティパスは兄を殺し、兄嫁と結婚。この兄嫁、つまりサロメの母が、ヨハネの首を望んだ。「自分の兄弟の妻と結婚してはならない」と律法にある。ビアズリーは結核により25歳で若死。
     
  作品10 ボッティチェリ『ホロフェルネスの遺体発見』(1470年頃)
 アッシリアの将軍ホロフェルネスが、ユダヤ人の女性ユーディットに殺される。首のない死体が、血の通うトルソとして描かれている。ネクロフィリア(死体嗜好症)的。
        
  作品11 ブレイク『巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女』(1803-05年)
 ブレイクは幻視を見る変人or狂人。ロマン主義の先駆け。神秘主義者。多頭のレッド・ドラゴンは、『黙示録』の一場面にもとづく。
          
  作品12 フォンテーヌブロー派の逸名画家『ガブリエル・デストレとその妹』(1600年前後)
 フォンテーヌブロー派はフランス・ルネサンスの父と言われるフランソワ1世の時代に始まる。彼らは、16世紀半ばから、17世紀前半まで人気を独占。ガブリエル・デストレはアンリ4世の愛妾。当時の流行はスペイン風の胴着で女性の腰のくびれは重視されなかった。乳首をつまむのは、懐妊の示唆。
 1599年、ガブリエル・デストレが毒殺される。アンリ4世の正妻はメディチ家出身のマルグリット・ドゥ・ヴァロア。「淫乱の王妃マルゴ」。メディチ家のキーワードは毒殺。
     
  作品13 ルーベンス『パリスの審判』(1632-35年頃)
 17世紀のフランドル人は、豊満な美女が好きだった。
 「諍いと不和の女神」エリスが、黄金の林檎を「もっとも美しき者へ」提供する。
 ヘラは孔雀を従える。ヴィーナスは黄金の林檎を受け取るため、前に歩み出る。アテナの盾には護符としてメデューサの首がある。
 空にいるのは、復讐の女神アレクト。黄色い歯に、赤い眼、蛇の髪をした老女。パリスが、スパルタ王の妻ヘレネを望んだため、ヘラとアテナの復讐により、トロイアが破滅する。
     
  作品14 ドレイパー『オデュッセウスとセイレーン』(1909年)
 トロイア戦争の帰途のオデュッセウス(=ユリシーズ)。彼はセイレーンの歌が聴きたくて、マストに身を縛る。彼は、英雄にふさわしからず、裏切り、残酷さに満ちる。トロイアの木馬作戦は彼の発案。セイレーンは本来、胸から下が鳥。ドレイパーはラファエロ前派。セイレーンが死の音楽を歌う。
          
  作品15 カルパッチョ『聖ゲオルギウスと竜』(1602-07年)
 絵は、この時代、生の豊かさと死の無惨が、隣り合っていたことを示す。Cf. 牛肉の赤とソースの白がカルパッチョ絵画に似ていたので、かつて料理人が、新作の料理をカルパッチョと名付けた。(1950年)
     
  作品16 レンブラント『テュルプ博士の解剖学実習』(1632年)
 17世紀オランダの商業貴族的共和制。記念集団肖像画。外科医ギルドが依頼。テュルプ博士のみ、大学を出た上流階級。外科医は身分が低く、理髪師を兼業した。この絵は、無名のレンブラント、25歳の出世作。当時、死刑囚の解剖は一種の懲罰。解剖ショーが流行。新鮮な死体が高く売れ、墓場荒らしが増える。また浮浪者を殺し、死体を高く売る。レンブラントは、幸福なルーベンスと異なり、後に破産。
     
  作品17 ホガース『精神病院にて』(1733年)
 精神病院は、大人気の観光場所だった。動物園の感覚。患者をつつくため、長い棒の持ち込みもOK。狂気は、道徳の低さの結果とされた。絵は、ロンドンのベスレヘム精神病院(別名ベドラム)。ホガースは「イギリス風刺漫画の始祖」。
          
  作品18 ファン・エイク『アルノルフィニ夫妻の肖像』(1434年)
 階級下の可愛い少女を妻とした大金持ちのアルノルフィニ氏。絵は初夜の「朝の贈与」(それ相当の財産の贈与)のシーンかもしれない。部屋が質素すぎる。なお、腹部のふくらみは妊娠でなく、流行のファッション。
          
  作品19 ハント『シャルロットの乙女』(1905年)
 アルフレッド・テニスンの詩『シャルロットの乙女』にもとづく。アーサー王伝説。騎士ランスロットへの恋ゆえに、小船に乗ったシャルロットの乙女は、死ぬ。エロスが死を圧倒する。ただし、ヴィクトリア朝時代の道徳家ハントは、堕落した女には悲惨な結末が待つと、教え諭す。ハントはラファエロ前派。
          
  作品20 ベックリン『死の島』(1880年)
 糸杉は死を象徴する。小舟は死者を来世へ導く。「夫の喪に服し夢想するための絵がほしい」と若い未亡人が注文主。19世紀とともに火葬が普及し墓地が清潔となった。このベックリンの絵は20C 前半、ドイツ語圏で大人気。ヒトラーも執務室に飾る。
     
  作品21 メーヘレン『エマオの晩餐』(1936-37年)
 戦前、突然、発見され、フェルメール作品とされた。その後も陸続と「新発見のフェルメール」。8点すべてが偽作と、戦後、わかる。メーヘレンによる偽作。彼は、ナチスに偽作をつかませた「英雄」となる。
          
  作品22 ピカソ『泣く女』(1937年)
 モデルはドラ・マール。ピカソの愛人。ピカソにとって1936年からの6年間はドラの時代。ピカソは、芸術のために平気で人を踏みにじる。Ex. 「藤十郎の恋」
          
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