宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

小熊秀雄「白い鰈(カレイ)の話」(1920年代)(『小熊秀雄童話集』より⑤)2009/6/28

2009-06-28 19:09:04 | Weblog
 普通、鰈は黒いが、一人の利巧ぶった漁師が白い鰈を釣ったと言う。だが鰈が白い理由がわかる。彼は釣った鰈を白い腹側を上にして並べていた。仲間が言う。君は鰈の裏表さえわからない。それどころか前に言ったことを手の裏を返すように平気で変える信用できないズルイ男だと。裏表を区別しない、または区別できない男は人と信頼関係を築けないという悲しい話である。

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小熊秀雄「たばこの好きな漁師」(1920年代)(『小熊秀雄童話集』より④)2009/6/25

2009-06-25 21:47:56 | Weblog
 たばこ好きで怠け者、その上、乱暴者の漁師の話。そこは烏賊釣りで栄えた漁村だった。夜、漁師がたばこを吸っていると大きなくさめを聞く。それはたばこ嫌いの箒星の天女のくさめだった。漁師は天女の美しさに魂が抜けた人のようになる。
 翌晩、怠け者の漁師は天女に嫁さんになってくれと頼むが、たばこが嫌いだと断られる。漁師は怒り、竹で長く巨大なキセルをつくり天女の箒星にたばこの煙を吹きかけた。天女は苦しみ海に落ちる。漁師は天女が持つ金の箒を探しそれを高く売り払おうと考え海の中を探す。金の箒は見つからない。天女も見つからない。
 ただ星の形をした赤い色の魚とも虫ともつかないものがたくさん現れる。それが「恨めしい。私を天から落としたね」と言う。これ以後、漁師たちの釣り針に烏賊は一つもかからない。ただ赤い気味の悪い海星ばかりがかかる。村は見る影もなく寂れた。
 怠け者で乱暴者の漁師が犯した罪。天女が殺された。天女はたばこを吸う漁師に煙が苦しいからたばこが嫌いと言っただけ。ところが漁師は独善的で天女の願いを聞かない。それどころか天女が美しいから嫁になれと頼み、断られると恨んで天女を海に落とす。死んだ天女の化身の赤く気味悪い海星が悲しいが共感を呼ぶ。

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小熊秀雄「豚と青大将」(1920年代)(『小熊秀雄童話集』より③)2009/6/23

2009-06-23 22:49:23 | Weblog
 正直者だからといって賢いわけではないという話。あるいは正直な愚か者の話。ここでは正直であることは何の美徳にもならない。その上、この男は独善的で酒を飲むと相手の気持ちにお構いなくつまらない話をくどくどと何度も聞かせる。彼は正直者だから嘘はつかない。しかし彼の真実はただ彼が愚かだということだけである。
 彼がどのくらい愚かか見てみよう。彼が豚飼いに失敗した話である。彼は豚を3匹買い駅で貨車から豚を受け取る。①帰り道、彼は愚かで道を間違う。大事な豚を連れて帰るのだから彼は道順くらいあらかじめ調べておくべきである。②そこは川で、彼は川を渡るのに豚を生きたまま逆さにして船の代わりにする。豚は水を飲み溺れて死んでしまう。馬鹿な男である。③翌日、豚をきちんと檻の中に閉じ込めなかったので豚が除虫菊畑を踏み荒らす。彼は怒るが彼の自業自得である。④彼はまた不注意なウッカリ屋でフライパンを火にかけたままその場を離れ、そのためその肉鍋は割れてしまう。愚かである。⑤これは豚の尻の肉を切ろうとしていたときのことで、彼はあわてて豚の尻に包丁を刺したまま豚から離れ、豚は石垣から転げ落ち胴体が包丁で二つに切断され死んでしまう。またも彼は愚かだった。⑥残った最後の豚は雌豚で豚の子をたくさん産む。ところが豚は子供を産みながらぴちゃぴちゃと青大将を食べ続ける。生まれた豚の子は元気に四方八方へ駆けてゆく。無気味な光景である。青大将を食べ続ける母豚の独善性、無神経な正直さ、生まれた子豚を構わない愚かさ。まるで馬鹿な男そのものである。
 かくて結論:正直であることは愚かで独善的であるなら美徳でなく悪徳である。


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小熊秀雄「狼と樫の木」(1920年代)(『小熊秀雄童話集』より②)2009/6/20

2009-06-21 00:22:19 | Weblog
 ①大工狼が樫の木が結婚する。
 PS1:不思議な取り合わせである。二人の関係はひたすら精神的である。
 
 ②大工狼は腕がよかったので王様のお抱えになることを夢見ていた。やがて彼の腕のよさの評判が広がると細君を切り倒し高い高い踏み台を作る。その上に載って王様の迎えを待つ。
 PS2:大工狼の細君の夫を助ける健気な気持ちがいじらしい。
 
 ③ところが大工狼は欲を出し樫の木の細君を捨てもっと立派な桐の木と結婚する。
 PS3:自信を持つようになった男が糟糠の妻を捨てるのはよくある話である。

 ④大工狼のところに王様が自らやってくる。大工狼は王様のお抱えの大工となる。大出世である。

 ⑤樫の木の前細君はたいそう憤慨し復讐を願い狼の悪いうわさが広まる。
 PS4:泣き寝入りしない樫の木の前細君は強い女性である。

 ⑥王様が憤慨する前細君の樫の木を面白がり踏み台としてお城に雇い入れる。
 PS5:これは権力者の暇つぶしの一種である。
 
 ⑦前細君が悪い狼の行状を書いた手紙を王様に進呈する。
 PS6:彼女の復讐心はいささかも減じない。たいした女性である。

 ⑧王様が村の者たちの意見を聞くため手紙を城壁に張り出す。
 PS7:王様にとって被支配者の評判は威信の問題として重要。だから村の者たちの意見を聞くことは当然の成り行きである。

 ⑨誰一人、狼の味方はなく誰もが樫の木の前細君をかわいそうだと言う。

 ⑩狼はすっかりしょげて言う。「樫の木と結婚するのはよいが決して踏み台にはするもんではない」と。
 PS8:この大工狼の教訓が「細君を捨ててはいけない」ではない点が不思議である。大工狼は前細君の心の状況を全く理解できない。前細君の復讐心が狼の惨めな状況の原因だと考えるのが普通である。ところが大工狼は細君を踏み台にしたことが原因と考える。大工狼の教訓は「細君を踏み台にするな」である。

 PS9:出来事の原因とは一体何なのか。最大限で言えば過去の全体が原因である。その過去の全体のうちの何を主要な原因と指定するのか?大工狼は自分に味方が誰もいない状況の原因を「細君を捨てたこと」でなく「細君を踏み台にしたこと」と指定した。しかしこれは間違いである。前細君は「踏み台」になった時、事情を受け入れる。彼女が復讐心を抱いたのは大工狼が「捨てた」からである。

 PS10:大工狼による出来事の原因の間違った把握をなぜ著者はわざわざ書いたのか。そうしたことがしばしば起こると彼は言いたかったのである。

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小熊秀雄「珠をなくした牛」(1920年代)(『小熊秀雄童話集』より①)2009/6/20

2009-06-20 13:46:13 | Weblog
 牛がなぜモーモーと鳴くだけでまた日永一日草を食べているかが説明される。牛は昔おしゃべりの王様になれそうな位おしゃべりだったがおしゃべりの珠を口の中から抜き取られ遠くの草原に投げられてしまった。だからモーモーと鳴くだけとなりおしゃべりの珠を探すためいつも草原にいて草を食べる。
 おしゃべりだった牛は獰猛凶悪で森の暴君であった。あらゆる動物をひれ伏させ言う事を聞かない樵を大木でぺちゃんこにつぶして殺す。その牛が動物たちと樵の息子の策略で敗北。謝罪したため許されるがおしゃべりの珠は抜かれた。
 残酷な話である。樵はぺちゃんこにつぶされる。牛は獰猛凶悪さの象徴のおしゃべりの珠を抜かれいわば去勢される。殺人と去勢がさらりと描かれることが怖さを感じさせる。

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