宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(三)「理性」1「観察」(その5):「自然観察」はいつしか「有機体の観察」にうつる!「有機体」において「外は内の表現である」!

2024-06-21 16:42:37 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(三)「理性」1「観察」(その5)(172-173頁)
(36)-3 「自然観察」は、「無機物の観察」がいつしか「有機物or有機体の観察」にうつり、後者に重点が置かれる!「有機体」において、「外」といってもじつは「内」と区別のないものだ!「外は内の表現である」!
★《 (C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」》あるいは《(三)「理性」1「観察」》における「自然観察」は、「無機物の観察」が、いつしか「有機物or有機体の観察」にうつり、後者に重点が置かれる。かくて前者(無機物)の「法則」が、後者(有機物or有機体)の「法則」になってしまう。(172頁)

★ところで「法則」とは、「相反するものの綜合」として「相反するものが相反しながら帰一し、しかもまた対立に分裂すること」だ。(172頁)
☆「法則」についてのそういう考え方に、(「自然観察」において)もっとも適当しているのは「有機体」だ。(172頁)
☆「有機体」はそれぞれ独立的なもので、「環境」から自由に食物その他のものを摂取して、「自分」を形成して生きている。たとい「外」へ関係しても、けっきょくは「自己保存」のために働いており、なんとしても「個体」としての自分自身を、また「種族」としての自分自身を「再生」することをめざしている。(172頁)
☆だから「有機体」は、「外」へ関係するにしても、けっきょくは「自分自身」へ帰ってくるのだから、「外」といってもじつは「内」と区別のないものだ。(172頁)

《感想1》「外」といってもじつは「内」と区別のないものだとヘーゲルor金子武蔵氏は言うが、常識的には「外」と「内」の境界は明確だ。例えば「拷問」は、痛みの神経が行きわたった範囲としての「内」を対象とする。あるいは「物理的な身体」は触覚的に自らの範囲(「内」)を確定している。
《感想2》《「有機体」は、「外」へ関係するにしても、けっきょくは「自分自身」へ帰ってくるのだから、「外」といってもじつは「内」と区別のないものだ》とヘーゲルor金子武蔵氏は言うが、『高校生物基礎』の教科書は常識に従って「外」と「内」を明確に区別し、例えば次のように述べる。「生物は《外界》から取り入れた物質を、《体内》でバラバラに分解しエネルギーを取り出したり(異化)、単純な物質から複雑な物質を合成したり(同化)する。」「《生体内》での物質の化学反応を代謝という。」

★「個体」が「個体」として「自分自身を保存し再生していく」というのは、それ(「個体」)が「独立」することに相違ない。(172頁)
☆「個体」が「独立」するのは、食物その他のものを「環境」から摂取して行われるから、「環境から独立になる」ことはじつは「環境と連続する」ことで、「環境から分離する」ことではない。(172頁)

★「有機体」において、「外」はやはりある。しかし「内と外」といっても相即しているから、「外は内の表現である」という関係が成立する。(172頁)
☆すなわち「生物」と「環境」との関係において、「外は内の表現である」という命題が成立する。この命題は「観察」(※《 (C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」》)の全体に対して基本的意義を持つ。(172-173頁)

★「観察的理性」の段階に関して、これからの課題はこの命題「外は内の表現である」を種々の場合について検討することだ。この検討は次の順序で行われる。(173頁)
(イ)「有機体」と「環境」との関係
(ロ)「感受性」と「反応性」と「再生」との関係
(ハ) 「感受性」と「反応性」と「再生」の三者(※「機能」)と、「組織」(「神経組織」と「筋組織」と「内臓組織」)との関係
(ニ)「比重」(※質量)と「凝集力」との関係
(ホ)「論理学的心理学的法則」(※「論理学的法則」と「心理学的法則」)
(ヘ)「人相術」
(ト)「骨相術」(173頁)
(注)なお(イ)から(ト)まで、順序はヘーゲル『精神現象学』のテキストのままだが、表現は必ずしもそのままでない。(161頁)

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「半分のひよこ」『スペイン民話集(エスピノーサ篇)』(第73話):「ひよこを2つに分けた」のにひよこが「死なない」のが謎だ!半分のひよこは1本足でピョンピョン歩いて行くのだろう!

2024-06-21 12:55:43 | Weblog
(1)
2人の奥さんが雌鶏に卵を抱かせると1羽のひよこが孵(カエ)った。2人ともひよこを欲しがったので、ひよこを2つに分けた。1人はその半分のひよこを食べてしまったが、もう1人は半分のひよこを藁積みの中に投げ込んでおいた。
《感想1》「ひよこを2つに分けた」のにひよこが「死なない」のが謎だ。
《感想1-2》どのようにひよこを2つに分けた(切断した)のだろうか?あとで「半分のひよこ」は旅に出るから、歩けるはずだ。半分のひよこは1本足でピョンピョン歩いて行くのだろう。
(2)
「半分のひよこ」は藁積みの中からお金の入った袋を見つけた。そこへ一人の壺売りの男が通りかかって、「その袋のお金をわしに貸しておくれ。8日たてばあんたに返すから」と言った。半分のひよこは袋の金をわたし、壺売りは立ち去った。
《感想2》おそらく壺売りは8日分の「利子」を払って金を返すはずだ。「利子」の支払いなしで、「半分のひよこ」が壺売りに金を貸すわけがない。
(3)
8日たったが壺売りの男は戻ってこなかった。「半分のひよこ」は男を探しに行った。道をどんどん歩いて行くと、途中で、(ア)「狐」に出会った。狐が言った。「おい、半分のひよこ、どこへ行くんだ。お前を食ってやる。」半分のひよこは「だめだめ、僕を食べないで。僕のお尻に入ってちょうだい。僕はぼろ屑で蓋をするから」と答えた。
《感想3》「狐」は寛容だ。①なぜ半分のひよこを「食う」のをやめたのか?また②半分のひよこの「お尻」の中になぜ素直に狐ははいったのか?
《感想3-2》「狐」がひよこの「お尻」の中に入るor入れるというのが謎だ。しかもそのお尻に「ぼろ屑で蓋をする」のだ!不思議だ。
(4)
「半分のひよこ」がさらにどんどん歩いていると、さらに(イ)「狼」、(ウ)「猫」、(エ)「小石だらけの野原」にも会い、彼らは「お前を食ってやる」と言う。しかし彼らも寛容で、①半分のひよこを「食う」のをやめ、また②半分のひよこの「お尻」の中に素直に入る。
《感想4》「小石だらけの野原」が半分のひよこの「お尻」の中に入るというのが、不思議だ。野原は広い。「お尻」の中は四次元空間のようだ。Cf. ドラエもんの「四次元ポケット」のような「お尻」だ。
(5)
「半分のひよこ」がさらにどんどん歩いていると、(オ)「フーカル川」に出会った。フーカル川が言った。「おい、半分のひよこ、どこへ行くんだ。お前を溺れさせて(食べて)やる。」半分のひよこは「だめだめ、僕を食べないで。僕のお尻に入ってちょうだい。僕はぼろ屑で蓋をするから」と答えた。フーカル川は半分のひよこのお尻の中に入った。
《感想5》「川」が半分のひよこの「お尻」の中に入るというのが、不思議だ。「四次元お尻」だ!しかもそのお尻に「ぼろ屑で蓋をする」のだ!
(6)
こうして「半分のひよこ」は壺売りの家に着いた。そして戸口で叫んだ。「ピオ、ピオ、ピオ、僕のお金を返しておくれ。」(ア)壺売りは女房に「鶏小屋に投げ入れておけ、きっと鶏がつついて、ひよこを食ってくれるだろう」と言った。すると半分のひよこは「狐」を(尻から出して)放した。「狐」はすべての「鶏」を食べてしまった。
(6)-2
それから半分のひよこは、また壺売りの家の戸口に言って叫んだ。「ピオ、ピオ、ピオ、僕のお金を返しておくれ。」
(イ) 壺売りは女房に「驢馬小屋に投げ入れておけ、きっと驢馬がひよこを踏みつけてくれるだろう」と言った。すると半分のひよこは「狼」を(尻から出して)放した。「狼」はすべての「驢馬」を食べてしまった。
(6)-3
それから半分のひよこはまた壺売りの家の戸口に言って叫んだ。「ピオ、ピオ、ピオ、僕のお金を返しておくれ。」
(ウ) 壺売りは女房に「兎小屋に投げ入れておけ、きっと兎がひよこを食べてくれるだろう」と言った。すると半分のひよこは「猫」を(尻から出して)放した。「猫」はすべての「兎」を食べてしまった。
(6)-4
それから半分のひよこはまた壺売りの家の戸口に言って叫んだ。「ピオ、ピオ、ピオ、僕のお金を返しておくれ。」
(エ) 壺売りは女房に「オリーブ油の壺に投げ入れておけ、きっと溺れてしまうだろう」と言った。すると半分のひよこは「小石だらけの野原」を(尻から出して)放した。「小石」は「壺」を壊してしまった。
(6)-5
それから半分のひよこは、また壺売りの家の戸口に言って叫んだ。「ピオ、ピオ、ピオ、僕のお金を返しておくれ。」
(オ) 壺売りは女房に「広場にある焚火の上に投げておけ、きっと焼けてしまうだろう」と言った。すると半分のひよこは「(フーカル)川」を(尻から出して)放した。「川」の水は「焚火」を消してしまい、広場にいた人々を流し去ってしまった。
《感想6》「半分のひよこ」が尻の中に入れた(ア)「狐」、(イ)「狼」、(ウ)「猫」、(エ)「小石だらけの野原」(「石」)、(オ)「(フーカル)川」は、それぞれ「半分のひよこ」を殺そうとした(ア)「鶏」、(イ)「驢馬」、(ウ)「兎」、(エ)「(オリーブ油の入った)壺」、(オ)「焚火」をやっつける、すなわち殺し・割り・消してしまう。
《感想6-2》ストーリーの構成は明瞭だ。「天敵」or「強弱」の組み合わせだ。(ア)「狐」-「鶏」、(イ)「狼」-「驢馬」、(ウ)「猫」-「兎」、(エ)「石」(「小石だらけの野原」)-「壺」、(オ)「水」(「フーカル川」)-「焚火」。
(7)
それから「半分のひよこ」はまた壺売りの家の戸口に言って叫んだ。「ピオ、ピオ、ピオ、僕のお金を返しておくれ。」壺売りは女房に「おい、お前、あいつのお金を返して、あいつを帰らせろ」と言った。半分のひよこはお金を返してもらうと帰っていった。
《感想7》「半分のひよこ」はお金を返してもらい、目的を達成した。ただし「利子」はない。「半分のひよこ」は《お人よし》だ。
(8)
しかし途中で自分のお金を勘定してみると、1センティモナ足りない。そこで「半分のひよこ」は再び壺売りの家に引き返し、家にやって来ると叫んだ。「ピオ、ピオ、ピオ、僕のお金を返しておくれ。」
《感想8》センティモナは、スペインで使用された通貨ペセタの補助単位であり、1ペセタ=100センティモナだ。1ドル=100セントのようなものだから、1センティモナはほんの僅かの金額だ。「半分のひよこ」はなかなか「細かい」!「壺売り」に何度も殺されかけて取り返した金なのだから、危険な「壺売り」の家に引き返さないほうが良かったかもしれない。
(8)-2 
壺売りは腹を立て、「半分のひよこ」をつかまえると、首を切り、焼き鳥にして食べてしまった。
《感想9》「壺売り」は実に悪党で、その本性をあらわした。それまで壺売りは、「半分のひよこ」を殺そうとする意図はあったが、自分が直接、手を下そうとしなかった。すなわち(ア)「鶏」、(イ)「驢馬」、(ウ)「兎」、(エ)「(オリーブ油の入った)壺」、(オ)「焚火」によって、「半分のひよこ」を殺そうとした。
《感想10》物語の実に残酷な終了だ。物語の主人公である「半分のひよこ」はあっさり殺されてしまった。

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