※太宰治『貨幣』(1946、37歳):『女生徒』角川文庫(1954)所収
(1)私は「百円紙幣」で最初、1939年、東京で大銀行の窓口で大工さんに渡された!
私は「百円紙幣」。今は、すでに古くしわくちゃになってしまった。私は最初、何年も前に東京のある大銀行の窓口で若い大工さんに渡された。お金(私)はおかみさんに渡され、おかみさんは、質屋に私を渡し、預けてあった着物十枚を受け取った。(※1939年)(204-206頁)
(2)私は5年間、四国・九州と渡り歩き、6年ぶりで東京に戻った!
医学生が顕微鏡を質屋に預け、私(百円紙幣)を受け取った。その医学生は瀬戸内海の小さい旅館に宿泊するため、その旅館に私を渡した。だがその医学生は海に身を投じ死んだ。それから私は5年間、四国・九州と渡り歩き、6年ぶりで東京に戻った。(※1945年)(206頁)
(3)日本は1945年、「やぶれかぶれになっていた時期」だった!
日本は「やぶれかぶれになっていた時期」で、東京もすっかり変わってしまい、私(百円紙幣)は闇のブローカーの手から手へと次々と目まぐるしく渡り歩いた。私は皺くちゃになり、いろいろなものの臭気が体についた。そして東京には毎日「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)があった。(206-207頁)
(4)この時期(1945年)、人間は「地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしている」ようだった!
この時期、人間は「けだもの」みたいだった。自分or自分の家の安楽を得るため、隣人を罵り、あざむき、押し倒し、「地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしている」ようだった。こんな「滑稽で悲惨な図」ばかり私(百円紙幣)は見せられていた。だが「楽しい思い出」もいくつかあった。その一つは東京から汽車で3、4時間で行けるある小都会に闇屋の婆さんに連れていかれた時のことだ。(207頁)
(5)闇屋の婆さん!葡萄酒の闇屋!軍人専用の煙草「ほまれ」を闇に流す陸軍大尉!
婆さんはその小都会に葡萄酒を買い出しに来て、私(百円紙幣)1枚で葡萄酒4升を手に入れた。(婆さんはこれを水で薄めて売る。)葡萄酒の闇屋は、私を陸軍大尉に手渡し、「ほまれ」という軍人専用の煙草100本と交換した。(後で数えると「実際には86本だった」と葡萄酒の闇屋は怒った。)(208-209頁)
(6)陸軍大尉は、薄汚い小料理屋で大酒を飲み、その上、酒癖が悪くお酌の女をずいぶんしつこく罵った!
新たに百円紙幣(私)を手に入れた陸軍大尉は、薄汚い小料理屋の二階で大酒を飲んだ。その上、大尉は酒癖が悪く、お酌の女をずいぶんしつこく罵った。「お前の顔は狐だ。お前はケツネ(狐)の屁で臭い。」階下で赤子の泣き声がすると、大尉が言った。「うるさい餓鬼だ、興がさめる。あれはお前の子か。お前はけしからん。子供を抱えてこんな商売をするとは、身のほど知らずだ。そんなさもしい女ばかりいるから日本は苦戦するのだ。」「日本は勝てるもんかい。だから、おれは毎晩こうして、酒を飲んで女を買うのだ。悪いか。」(209-211頁)
(7)お酌の女のひとが言った:お前ら軍人は「悪い」!あたしたちは勝ってもらいたくてこらえているんだ!それをお前たちはなんだい!
「悪い。」とお酌の女のひとが、顔を蒼くして言った。①狐(ケツネ)がどうしたっていうんだい。嫌なら来なければいい。②いまの日本でこうして酒を飲んで女にふざけているのは(軍の物資をくすねて闇に流している)お前たち軍人だけだ。③お前ら軍人の給料は、あたしたちの稼ぎからおかみに差し上げたものだ。お上はその金をお前たちにやって、こうして料理屋で飲ませている。馬鹿にするな。④女だから、子供だってできる。お前に文句を言われる理由はない。⑤いま゙乳飲呑子をかかえている女がどんなにつらい思いをしてるか、お前らにはわかるまい。乳房から乳も出ない。空(カラ)の乳房を子供はぴちゃぴちゃ吸う。この頃は吸う力もない。皺だらけの顔で一日中ヒイヒイ泣いている。⑥あたしたちは我慢しているんだ。勝ってもらいたくてこらえているんだ。⑦それをお前たちはなんだい。(211頁)
(8)突然、例の「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)が始まった!
その時、爆音が聞こえ、突然、例の「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)が始まり、小料理屋の障子が真っ赤に染まった。「とうとう来やがった」と大尉は叫んで立ち上がるが、泥酔してよろよろだ。お酌の人は階下に駆け降り、赤ちゃんをおんぶして、なんと再び二階に上がって来た。「さあ逃げましょう、早く。できそこないでもお国のためには大事な兵隊さんのはしくれだ。」お酌の女のひとは、ほとんど骨がないみたいに、ぐにゃぐにゃしている大尉をうしろから抱き上げるようにして歩かせ、階下へおろし、靴をはかせ、大尉の手を取って近くの神社の境内まで逃げた。(211-212頁)
(9)兵隊さん、向うのほうへ逃げましょう、ここで犬死にしてはつまらない!
大尉は神社で大の字に仰向けに寝転がってしまい、空の爆音にさかんに何やら悪口を言う。だがそこにもパラパラ火の雨が降って来て神社も燃え始めた。お酌の女の人が言った。「たのむわ、兵隊さん。もう少し向うのほうへ逃げましょうよ。ここで犬死にしてはつまらない。逃げられるだけは逃げましょうよ。」(212頁)
(10)お酌の女は、ただもう眼前の酔いどれの客を救おうとした!
私(百円紙幣)はこのとき思った。「人間の職業の中で、最も下等な商売をしていると言われているこの蒼黒く痩せこけた婦人が、私の暗い一生涯において一ばん尊く輝かしく見えた。」お酌の女は何の欲もなく、また見栄もなく、ただもう眼前の酔いどれの客を救おうとして、渾身の力で大尉を引き起こし、わきにかかえてよろめきながら、田圃の方に避難した。その直後、神社はもう火の海だった。(212-213頁)
(10)-2 日本は「欲望」と「虚栄」ために敗れた!
私(百円紙幣)(=太宰治)は思う。「ああ、欲望よ、去れ。虚栄よ、去れ。日本はこの二つのために敗れたのだ。」(212頁)
(10)-3 大尉はすでにぐうぐう高鼾だ!
麦を刈り取ったばかりの畑に、酔いどれの大尉を引きずり込み、小高い土手の陰に寝かせ、お酌の女自身もその傍(ソバ)にくたりと坐り込んで荒い息を吐いていた。大尉はすでにぐうぐう高鼾だ。(213頁)
(11)夜明け近く、大尉は眼を覚まし、傍らで居眠りしているお酌の女の人に気づいた!
1945年のその夜、その小都会の隅から隅まで焼けた。夜明け近く、大尉は眼を覚まし、起き上がり、なお燃え続けている大火事をぼんやり眺めた。そしてふと自分の傍らでこくりこくり居眠りしているお酌の女の人に気づいた。大尉は、なぜだかひどく狼狽し、逃げるように5、6歩歩きかけた。(※彼は泥酔した自分が、お酌の女に助けられたことを知った。)(213頁)
(11)-2 私(百円紙幣)が自身に幸福を感じたのは、この時だった!
だが大尉は引き返し、ズボンのポケットから私(百円紙幣)を引き出し、上衣の内ポケットからも私の仲間の百円紙幣を取りだし、6枚重ねて二つに折り、それを赤ちゃんの一番下の肌着のその下の地肌の背中に押し込んで、荒々しく走って逃げて行った。私(百円紙幣)が自身に幸福を感じたのは、この時だった。「貨幣」がこのような役目ばかりに使われるんだったら、どんなに私たちは幸福だろうと思った。(213頁)
(1)私は「百円紙幣」で最初、1939年、東京で大銀行の窓口で大工さんに渡された!
私は「百円紙幣」。今は、すでに古くしわくちゃになってしまった。私は最初、何年も前に東京のある大銀行の窓口で若い大工さんに渡された。お金(私)はおかみさんに渡され、おかみさんは、質屋に私を渡し、預けてあった着物十枚を受け取った。(※1939年)(204-206頁)
(2)私は5年間、四国・九州と渡り歩き、6年ぶりで東京に戻った!
医学生が顕微鏡を質屋に預け、私(百円紙幣)を受け取った。その医学生は瀬戸内海の小さい旅館に宿泊するため、その旅館に私を渡した。だがその医学生は海に身を投じ死んだ。それから私は5年間、四国・九州と渡り歩き、6年ぶりで東京に戻った。(※1945年)(206頁)
(3)日本は1945年、「やぶれかぶれになっていた時期」だった!
日本は「やぶれかぶれになっていた時期」で、東京もすっかり変わってしまい、私(百円紙幣)は闇のブローカーの手から手へと次々と目まぐるしく渡り歩いた。私は皺くちゃになり、いろいろなものの臭気が体についた。そして東京には毎日「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)があった。(206-207頁)
(4)この時期(1945年)、人間は「地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしている」ようだった!
この時期、人間は「けだもの」みたいだった。自分or自分の家の安楽を得るため、隣人を罵り、あざむき、押し倒し、「地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしている」ようだった。こんな「滑稽で悲惨な図」ばかり私(百円紙幣)は見せられていた。だが「楽しい思い出」もいくつかあった。その一つは東京から汽車で3、4時間で行けるある小都会に闇屋の婆さんに連れていかれた時のことだ。(207頁)
(5)闇屋の婆さん!葡萄酒の闇屋!軍人専用の煙草「ほまれ」を闇に流す陸軍大尉!
婆さんはその小都会に葡萄酒を買い出しに来て、私(百円紙幣)1枚で葡萄酒4升を手に入れた。(婆さんはこれを水で薄めて売る。)葡萄酒の闇屋は、私を陸軍大尉に手渡し、「ほまれ」という軍人専用の煙草100本と交換した。(後で数えると「実際には86本だった」と葡萄酒の闇屋は怒った。)(208-209頁)
(6)陸軍大尉は、薄汚い小料理屋で大酒を飲み、その上、酒癖が悪くお酌の女をずいぶんしつこく罵った!
新たに百円紙幣(私)を手に入れた陸軍大尉は、薄汚い小料理屋の二階で大酒を飲んだ。その上、大尉は酒癖が悪く、お酌の女をずいぶんしつこく罵った。「お前の顔は狐だ。お前はケツネ(狐)の屁で臭い。」階下で赤子の泣き声がすると、大尉が言った。「うるさい餓鬼だ、興がさめる。あれはお前の子か。お前はけしからん。子供を抱えてこんな商売をするとは、身のほど知らずだ。そんなさもしい女ばかりいるから日本は苦戦するのだ。」「日本は勝てるもんかい。だから、おれは毎晩こうして、酒を飲んで女を買うのだ。悪いか。」(209-211頁)
(7)お酌の女のひとが言った:お前ら軍人は「悪い」!あたしたちは勝ってもらいたくてこらえているんだ!それをお前たちはなんだい!
「悪い。」とお酌の女のひとが、顔を蒼くして言った。①狐(ケツネ)がどうしたっていうんだい。嫌なら来なければいい。②いまの日本でこうして酒を飲んで女にふざけているのは(軍の物資をくすねて闇に流している)お前たち軍人だけだ。③お前ら軍人の給料は、あたしたちの稼ぎからおかみに差し上げたものだ。お上はその金をお前たちにやって、こうして料理屋で飲ませている。馬鹿にするな。④女だから、子供だってできる。お前に文句を言われる理由はない。⑤いま゙乳飲呑子をかかえている女がどんなにつらい思いをしてるか、お前らにはわかるまい。乳房から乳も出ない。空(カラ)の乳房を子供はぴちゃぴちゃ吸う。この頃は吸う力もない。皺だらけの顔で一日中ヒイヒイ泣いている。⑥あたしたちは我慢しているんだ。勝ってもらいたくてこらえているんだ。⑦それをお前たちはなんだい。(211頁)
(8)突然、例の「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)が始まった!
その時、爆音が聞こえ、突然、例の「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)が始まり、小料理屋の障子が真っ赤に染まった。「とうとう来やがった」と大尉は叫んで立ち上がるが、泥酔してよろよろだ。お酌の人は階下に駆け降り、赤ちゃんをおんぶして、なんと再び二階に上がって来た。「さあ逃げましょう、早く。できそこないでもお国のためには大事な兵隊さんのはしくれだ。」お酌の女のひとは、ほとんど骨がないみたいに、ぐにゃぐにゃしている大尉をうしろから抱き上げるようにして歩かせ、階下へおろし、靴をはかせ、大尉の手を取って近くの神社の境内まで逃げた。(211-212頁)
(9)兵隊さん、向うのほうへ逃げましょう、ここで犬死にしてはつまらない!
大尉は神社で大の字に仰向けに寝転がってしまい、空の爆音にさかんに何やら悪口を言う。だがそこにもパラパラ火の雨が降って来て神社も燃え始めた。お酌の女の人が言った。「たのむわ、兵隊さん。もう少し向うのほうへ逃げましょうよ。ここで犬死にしてはつまらない。逃げられるだけは逃げましょうよ。」(212頁)
(10)お酌の女は、ただもう眼前の酔いどれの客を救おうとした!
私(百円紙幣)はこのとき思った。「人間の職業の中で、最も下等な商売をしていると言われているこの蒼黒く痩せこけた婦人が、私の暗い一生涯において一ばん尊く輝かしく見えた。」お酌の女は何の欲もなく、また見栄もなく、ただもう眼前の酔いどれの客を救おうとして、渾身の力で大尉を引き起こし、わきにかかえてよろめきながら、田圃の方に避難した。その直後、神社はもう火の海だった。(212-213頁)
(10)-2 日本は「欲望」と「虚栄」ために敗れた!
私(百円紙幣)(=太宰治)は思う。「ああ、欲望よ、去れ。虚栄よ、去れ。日本はこの二つのために敗れたのだ。」(212頁)
(10)-3 大尉はすでにぐうぐう高鼾だ!
麦を刈り取ったばかりの畑に、酔いどれの大尉を引きずり込み、小高い土手の陰に寝かせ、お酌の女自身もその傍(ソバ)にくたりと坐り込んで荒い息を吐いていた。大尉はすでにぐうぐう高鼾だ。(213頁)
(11)夜明け近く、大尉は眼を覚まし、傍らで居眠りしているお酌の女の人に気づいた!
1945年のその夜、その小都会の隅から隅まで焼けた。夜明け近く、大尉は眼を覚まし、起き上がり、なお燃え続けている大火事をぼんやり眺めた。そしてふと自分の傍らでこくりこくり居眠りしているお酌の女の人に気づいた。大尉は、なぜだかひどく狼狽し、逃げるように5、6歩歩きかけた。(※彼は泥酔した自分が、お酌の女に助けられたことを知った。)(213頁)
(11)-2 私(百円紙幣)が自身に幸福を感じたのは、この時だった!
だが大尉は引き返し、ズボンのポケットから私(百円紙幣)を引き出し、上衣の内ポケットからも私の仲間の百円紙幣を取りだし、6枚重ねて二つに折り、それを赤ちゃんの一番下の肌着のその下の地肌の背中に押し込んで、荒々しく走って逃げて行った。私(百円紙幣)が自身に幸福を感じたのは、この時だった。「貨幣」がこのような役目ばかりに使われるんだったら、どんなに私たちは幸福だろうと思った。(213頁)