宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

太宰治(1909-1948)『貨幣』(1946、37歳):「お前ら軍人は『悪い』。あたしたちは勝ってもらいたくてこらえているんだ。それをお前たちはなんだい。」とお酌の女のひとが言った!

2022-06-25 14:18:02 | Weblog
※太宰治『貨幣』(1946、37歳):『女生徒』角川文庫(1954)所収

(1)私は「百円紙幣」で最初、1939年、東京で大銀行の窓口で大工さんに渡された!
私は「百円紙幣」。今は、すでに古くしわくちゃになってしまった。私は最初、何年も前に東京のある大銀行の窓口で若い大工さんに渡された。お金(私)はおかみさんに渡され、おかみさんは、質屋に私を渡し、預けてあった着物十枚を受け取った。(※1939年)(204-206頁)
(2)私は5年間、四国・九州と渡り歩き、6年ぶりで東京に戻った!
医学生が顕微鏡を質屋に預け、私(百円紙幣)を受け取った。その医学生は瀬戸内海の小さい旅館に宿泊するため、その旅館に私を渡した。だがその医学生は海に身を投じ死んだ。それから私は5年間、四国・九州と渡り歩き、6年ぶりで東京に戻った。(※1945年)(206頁)
(3)日本は1945年、「やぶれかぶれになっていた時期」だった!
日本は「やぶれかぶれになっていた時期」で、東京もすっかり変わってしまい、私(百円紙幣)は闇のブローカーの手から手へと次々と目まぐるしく渡り歩いた。私は皺くちゃになり、いろいろなものの臭気が体についた。そして東京には毎日「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)があった。(206-207頁)
(4)この時期(1945年)、人間は「地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしている」ようだった!
この時期、人間は「けだもの」みたいだった。自分or自分の家の安楽を得るため、隣人を罵り、あざむき、押し倒し、「地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしている」ようだった。こんな「滑稽で悲惨な図」ばかり私(百円紙幣)は見せられていた。だが「楽しい思い出」もいくつかあった。その一つは東京から汽車で3、4時間で行けるある小都会に闇屋の婆さんに連れていかれた時のことだ。(207頁)
(5)闇屋の婆さん!葡萄酒の闇屋!軍人専用の煙草「ほまれ」を闇に流す陸軍大尉!
婆さんはその小都会に葡萄酒を買い出しに来て、私(百円紙幣)1枚で葡萄酒4升を手に入れた。(婆さんはこれを水で薄めて売る。)葡萄酒の闇屋は、私を陸軍大尉に手渡し、「ほまれ」という軍人専用の煙草100本と交換した。(後で数えると「実際には86本だった」と葡萄酒の闇屋は怒った。)(208-209頁)
(6)陸軍大尉は、薄汚い小料理屋で大酒を飲み、その上、酒癖が悪くお酌の女をずいぶんしつこく罵った!
新たに百円紙幣(私)を手に入れた陸軍大尉は、薄汚い小料理屋の二階で大酒を飲んだ。その上、大尉は酒癖が悪く、お酌の女をずいぶんしつこく罵った。「お前の顔は狐だ。お前はケツネ(狐)の屁で臭い。」階下で赤子の泣き声がすると、大尉が言った。「うるさい餓鬼だ、興がさめる。あれはお前の子か。お前はけしからん。子供を抱えてこんな商売をするとは、身のほど知らずだ。そんなさもしい女ばかりいるから日本は苦戦するのだ。」「日本は勝てるもんかい。だから、おれは毎晩こうして、酒を飲んで女を買うのだ。悪いか。」(209-211頁)
(7)お酌の女のひとが言った:お前ら軍人は「悪い」!あたしたちは勝ってもらいたくてこらえているんだ!それをお前たちはなんだい!
「悪い。」とお酌の女のひとが、顔を蒼くして言った。①狐(ケツネ)がどうしたっていうんだい。嫌なら来なければいい。②いまの日本でこうして酒を飲んで女にふざけているのは(軍の物資をくすねて闇に流している)お前たち軍人だけだ。③お前ら軍人の給料は、あたしたちの稼ぎからおかみに差し上げたものだ。お上はその金をお前たちにやって、こうして料理屋で飲ませている。馬鹿にするな。④女だから、子供だってできる。お前に文句を言われる理由はない。⑤いま゙乳飲呑子をかかえている女がどんなにつらい思いをしてるか、お前らにはわかるまい。乳房から乳も出ない。空(カラ)の乳房を子供はぴちゃぴちゃ吸う。この頃は吸う力もない。皺だらけの顔で一日中ヒイヒイ泣いている。⑥あたしたちは我慢しているんだ。勝ってもらいたくてこらえているんだ。⑦それをお前たちはなんだい。(211頁)
(8)突然、例の「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)が始まった!
その時、爆音が聞こえ、突然、例の「ドカンドカン、シュウシュウ」(空襲)が始まり、小料理屋の障子が真っ赤に染まった。「とうとう来やがった」と大尉は叫んで立ち上がるが、泥酔してよろよろだ。お酌の人は階下に駆け降り、赤ちゃんをおんぶして、なんと再び二階に上がって来た。「さあ逃げましょう、早く。できそこないでもお国のためには大事な兵隊さんのはしくれだ。」お酌の女のひとは、ほとんど骨がないみたいに、ぐにゃぐにゃしている大尉をうしろから抱き上げるようにして歩かせ、階下へおろし、靴をはかせ、大尉の手を取って近くの神社の境内まで逃げた。(211-212頁)
(9)兵隊さん、向うのほうへ逃げましょう、ここで犬死にしてはつまらない!
大尉は神社で大の字に仰向けに寝転がってしまい、空の爆音にさかんに何やら悪口を言う。だがそこにもパラパラ火の雨が降って来て神社も燃え始めた。お酌の女の人が言った。「たのむわ、兵隊さん。もう少し向うのほうへ逃げましょうよ。ここで犬死にしてはつまらない。逃げられるだけは逃げましょうよ。」(212頁)
(10)お酌の女は、ただもう眼前の酔いどれの客を救おうとした!
私(百円紙幣)はこのとき思った。「人間の職業の中で、最も下等な商売をしていると言われているこの蒼黒く痩せこけた婦人が、私の暗い一生涯において一ばん尊く輝かしく見えた。」お酌の女は何の欲もなく、また見栄もなく、ただもう眼前の酔いどれの客を救おうとして、渾身の力で大尉を引き起こし、わきにかかえてよろめきながら、田圃の方に避難した。その直後、神社はもう火の海だった。(212-213頁)
(10)-2 日本は「欲望」と「虚栄」ために敗れた!
私(百円紙幣)(=太宰治)は思う。「ああ、欲望よ、去れ。虚栄よ、去れ。日本はこの二つのために敗れたのだ。」(212頁)
(10)-3 大尉はすでにぐうぐう高鼾だ!
麦を刈り取ったばかりの畑に、酔いどれの大尉を引きずり込み、小高い土手の陰に寝かせ、お酌の女自身もその傍(ソバ)にくたりと坐り込んで荒い息を吐いていた。大尉はすでにぐうぐう高鼾だ。(213頁)
(11)夜明け近く、大尉は眼を覚まし、傍らで居眠りしているお酌の女の人に気づいた!
1945年のその夜、その小都会の隅から隅まで焼けた。夜明け近く、大尉は眼を覚まし、起き上がり、なお燃え続けている大火事をぼんやり眺めた。そしてふと自分の傍らでこくりこくり居眠りしているお酌の女の人に気づいた。大尉は、なぜだかひどく狼狽し、逃げるように5、6歩歩きかけた。(※彼は泥酔した自分が、お酌の女に助けられたことを知った。)(213頁)
(11)-2  私(百円紙幣)が自身に幸福を感じたのは、この時だった!
だが大尉は引き返し、ズボンのポケットから私(百円紙幣)を引き出し、上衣の内ポケットからも私の仲間の百円紙幣を取りだし、6枚重ねて二つに折り、それを赤ちゃんの一番下の肌着のその下の地肌の背中に押し込んで、荒々しく走って逃げて行った。私(百円紙幣)が自身に幸福を感じたのは、この時だった。「貨幣」がこのような役目ばかりに使われるんだったら、どんなに私たちは幸福だろうと思った。(213頁)

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太宰治(1909-1948)『十二月八日』(1942、33歳):昭和16年の十二月八日に「日本のまずしい家庭の主婦」がどんな一日を送ったか?「歴史の参考」になると考え「日記」にていねいに書く!

2022-06-19 12:53:03 | Weblog
※太宰治『十二月八日』(1942、33歳):『女生徒』角川文庫(1954)所収

(1)「紀元2700年」(2040年)に読まれた時の「歴史の参考」!
昭和16年(1941年)の十二月八日に「日本のまずしい家庭の主婦」がどんな一日を送ったか、「日記」にていねいに書く。「紀元2700年」(2040年)に読まれたら、「歴史の参考」になるだろうと考える。だから「嘘だけは書かない」。(180頁)
(2)「米英軍と戦闘状態に入れり」!
十二月八日早朝、ラジオ放送があった。「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」それをじっと聞いているうちに、私の人間は変わってしまった。「強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。」(182-183頁)
(3)「隣組長」の重い責任!かならず勝ちます!
お隣りの奥さんだって、戦争の事を思わぬわけではなかったろうけれど、「隣組長」の重い責任に緊張して居られるのにちがいない。朝ごはんの時、「日本は、本当に大丈夫でしょうか。」と私が思わず言ったら、「大丈夫だから、やったんじゃないか。かならず勝ちます。」とよそゆきの言葉で主人が答えた。(185-186頁)
(4)けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊ども!
いろいろ考えた。「目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起させるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持ちが違うのだ。本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩き廻るなど、考えただけでも、たまらない。」(186頁)
(5)店先の様子も、人の会話も、平生(ヘイゼイ)とあまり変っていない!
重大ニュウスが続々と発表せられている。比島、グワム空襲。ハワイ大爆撃。米国艦隊全滅す。帝国政府声明。「全身が震えて恥ずかしい程だった。みんなに感謝したかった。」他方、町の様子は、少しも変っていない。ただ、八百屋さんの前に、ラジオニュウスを書き上げた紙が貼られているだけ。店先の様子も、人の会話も、平生(ヘイゼイ)とあまり変っていない。この静粛が、たのもしいのだ。(190頁)
(6)「燈火管制」なのだ。もうこれは「演習」でないのだ!
夕方、銭湯へ行く時には、道も明るかったのに、帰る時には、もう真っ暗だった。「燈火管制」なのだ。もうこれは「演習」でないのだ。心の異様に引きしまるのを覚える。でも、これは少し暗すぎるのではあるまいか。こんな暗い道、今まで歩いた事がない。(193頁)
(7)「我が大君に召されえたあるう」と主人は歌を歌い、「ついて来い」と言った!
その時、背後から、「我が大君に召されえたあるう」と実に調子のはずれた歌を歌いながら、乱暴な足どりで歩いて来る男がある。主人だった。そして「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね。ついて来い。」(193頁)

《感想》「日本は、本当に大丈夫でしょうか」と私が言ったら、「大丈夫だから、やったんじゃないか。かならず勝ちます」と夫は言い、そして「ついて」行った結果、3年7か月後、日本は無残に敗北した。戦死者230万人(Cf. 餓死者も多い)、市民の死者数80万人(Cf. ジェノサイドに等しい原爆・空襲など)。都市はことごとく空襲で壊滅、都市民はホームレスとなった。(Ex. 大量の戦災孤児。)日本は「一等国」から「三等国」に転落した。

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町田康(1962-)『テースト・オブ・苦虫 1』(2002、40歳)(その2):「愚民」のように祭礼に出かけた!とにかくこの世は生きにくい!稀なもの、珍奇なものがよい!

2022-06-17 19:20:40 | Weblog
(6)「球が的にあたらない」
日曜の夕、世間が騒がしい。祭礼だった。「愚民」のように祭礼に出かけるのはいやだったので「超俗的、高踏的」態度でデスクに向かったが、やはり落ち着かない。そわそわする。そこで祭礼に出かけた。「的をめがけて毬を投げるゲーム」をやることになった。係員が勝手に「毬」をよこしたからだ。だが「球が的にあたらない」。苛立って7000円も使ってしまった。1笊(ザル)500円×14回。だが得たのは「こけし」ひとつだった。《感想》お祭りは魅力がある!
(7)「卑屈得。世紀寒。」
誰かが「得」をすれば誰かが「損」をする。世間はそうできている。電車で誰かが席に座り「得」をすれば、誰かが座れず「損」をする。「とにかくこの世は生きにくい。なんとか損得という概念を棄てて生きていけないものだろうか」。《感想》「あはは」と「屈託なく笑う」ことは、「この世」では大変だ。
(8)「DPEの憂悶」
自分はよく写真を撮り、よくDPE屋に行くが、「無意味かつアホーな写真」ばかりだ。「DPE屋のおばはん」に写真を見られると思うと「まったくもって恥ずかしい」。さて次に住んだところのDPE屋は、写真を受け取りに行くと「すみません、すみません」と謝り続ける。だが引っ越して、行かなくなってしまった。「落ち度」があって自分が行かなくなってしまったと、DPE屋が思い詰めていないか心配だ。《感想》町田康氏は心やさしい。
(9)「人生のループ」
今の世の中、「カネ」がないほど辛いことはない。だがカネを「愛」で埋め合わせることは出来ない。それは冷蔵庫の中の「ビール」は飲めるが、「冷蔵庫」は飲めないようなものだ。ところで「コネ」はカネの代わりになるかもしれないが、「コネ」で特別につくってもらった「だだど丼」はまったくおいしくなかった。結局、「カネ」をたくさん払って損した。「人生のループ」だ。《感想》「カネ」でものを買えるが、「愛」ではものを買えない。「コネ」でものを買えても、損するかもしれない。
(10)「ドゴンの珍奇」
「何でも稀なもの、珍奇なものがよい」。かくて「普及品で充足しきった豚のごとき大衆に対してスペシャルな俺」であることができる。わが家の植木は、珍奇でなんでもない。凡庸極まりない「植木」でむかつく。植木鉢のための「珍奇な水受け皿」を求めて俺は出かけた。だがなかった。その後、俺は全財産をはたいて、珍奇な「ドゴン族の太鼓」を購入。最近はこれをうちならすのが日課だ。《感想》「稀なもの、珍奇なもの」で、「スペシャルな俺」を演出する。「俺」の存在理由!

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太宰治(1909-1948)『女生徒』(1939、30歳)(その2 ):純粋の美しさは、いつも「無意味」で、「無道徳」だ!明日もまた、同じ日が来るのだろう!幸福は一夜おくれて来る!

2022-06-16 13:08:32 | Weblog
ある女生徒の1日の物語(続)。
(10)観念だけの生活で、無意味な、高慢ちきの知ったかぶり!
本なんか読むの止めてしまえ。観念だけの生活で、無意味な、高慢ちきの知ったかぶりなんて、軽蔑、軽蔑。やれ(ア)生活の「目標」がないの、(イ)もっと生活に、人生に、「積極的」になればいいの、(ウ)自分には「矛盾」があるのどうのって、しきりに考えたり悩んだりしているようだが、お前のは「感傷」だけさ。自分を可愛がって、慰めているだけなのさ。それからずいぶん自分を「買いかぶっている」のですよ。
(11)ああ、汚い、汚い!雌の体臭を発散させる女は、いやだ!
けさ、電車で隣り合わせた厚化粧のおばさんをも思い出す。ああ、汚い、汚い。女は、いやだ。こうして一日一日、自分も雌の体臭を発散させるようになって行くのかと思えば、また思い当たることもあるので、いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。《感想》「少女」の何人が果たしてこんなふうに考えるのか?「男」(太宰治)の「少女」フェチでもありうる?
(12)純粋の美しさは、いつも「無意味」で、「無道徳」だ!
「ロココ」という言葉を、こないだ辞典で調べてみたら、「華麗のみにて内容空疎の装飾様式」と定義されていたので、笑っちゃった。名答である。「美しさ」に「内容」なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも「無意味」で、「無道徳」だ。きまっている。だから、私は、「ロココ」が好きだ。
(13)『濹東綺譚』には、寂しさのある動かない強さが在る!
永井荷風(1879-1959)『濹東綺譚』(ボクトウキダン)を読み返してみる。わりに噓のない、静かな諦めが、作品の底に感じられてすがすがしい。この作者は、「日本の道徳」に、とてもとても、こだわっているので、かえって反撥して、へんにどぎつくなっている作品が多かったような気がする。愛情の深すぎる人にありがちな「偽悪趣味」。わざと、あくどい鬼の面をかぶって、それでかえって作品を弱くしている。けれどもこの『濹東綺譚』には、寂しさのある動かない強さが在る。私は、好きだ。
(14)大人になりきるまでの、この長い厭な期間!  Cf. 「中二病」!
大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮らしていったらいいのだろう。私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送るひとだってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあまとなだめるばかりだ。《感想》いわゆる「中二病」にあたる。Cf. 映画『中学生丸山』宮藤官九郎監督(2013)は猥褻な妄想に生きる中学生男子を描く。
(15)幸福は一生、来ないのだ!けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいい!
いよいよ寝る時間が近づく。明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それはわかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。どさんと大きい音たてて蒲団にたおれる。ああ、いい気持だ。
(16)あくる日に、素晴らしい「幸福の知らせ」が、捨てた家を訪れた!
幸福は一夜おくれて来る。ぼんやり、そんな言葉を思出す。幸福を待って待って、とうとう堪え切れずに家を飛び出してしまって、そのあくる日に、素晴らしい「幸福の知らせ」が、捨てた家を訪れたが、もうおそかった。幸福は一夜おくれて来る。

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太宰治(1909-1948)『女生徒』(1939、30歳)(その1):そいつらが、「お化け」みたいな顔になってポカポカ浮いて来る!ほんとうに私は、どれが「本当の自分」だかわからない!

2022-06-15 20:51:57 | Weblog
ある女生徒の1日の物語。
(1)朝は「しらじらしい」、「灰色」、「意地悪」!
あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。「かくれんぼ」で見つかった時のような気持ち。「箱」の中に「箱」があって、その「箱」の中にさらに「箱」があって、8つ以上開けていって、ついにさいころぐらいの「箱」に行き当り、それが「からっぽ」、あの感じ。そして朝は「しらじらしい」、「灰色」、「意地悪」。
(2)婆さんがひとつ居る!
「よいしょ」と掛声して蒲団をたたむ。お婆さんの掛声みたいだ。私のからだの中に、どこかに、「婆さんがひとつ居る」ようで、気持ちがわるい。
(3)「眼鏡」をとって、遠くを見るのが好きだ!
他の人には、わからない「眼鏡」のよさも、ある。「眼鏡」をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。汚いものなんて、何も見えない。
(4)可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやる!
可哀想な犬「カア」。カアは「片輪」。カアは、悲しくていやだ。可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやる。私は「カア」だけでなく「人」にもいけないことをする子。ほんとうに「厭な子」なんだ。
(5)何年かたって・・・・「コトン」と、感じたことをきっと思い出す!
過去、現在、未来、それが一瞬間のうちに感じられる様な、変な気持ちがした。こんな事は、時々ある。遠くの田舎の野道を歩いていても、この道は、いつか来た道、と思う。何年かたって、この、いま何げなく、手を見た事を、そして見ながら、「コトン」と感じたことをきっと思い出すに違いない。そう思ったら、なんだか、暗い気がした。
(6)そいつらが、「お化け」みたいな顔になってポカポカ浮いて来る!
結局は、私「ひま」なもんだから、「生活の苦労」がないもんだから、毎日、幾百、幾千の見たり聞いたりの感受性の処理が出来なくなって、ポカンとしているうちに、そいつらが、「お化け」みたいな顔になってポカポカ浮いて来るのではないのかしら。
(7)ほんとうに私は、どれが「本当の自分」だかわからない!
私は、「本に書かれてある事」に頼っている。一つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけて見るのだ。人のものを盗んできて自分のものにちゃんと作り直す。かくてほんとうに私は、どれが「本当の自分」だかわからない。読む本がなくなって、「真似するお手本」がなんにも見つからなくなった時には、私は、一体どうするだろう。
(8)目立たずに、「普通の多くの人たちの通る路」をだまって進んで行くのが、一ばん利巧!
「お父さん、お母さん、姉、兄たちの考え方」(家族)、「親類」、「知人」、「友達」、またいつも大きな力で私たちを押し流す「世の中」というものがある。自分の「個性」を伸すどころの騒ぎではない。まあ、まあ目立たずに、「普通の多くの人たちの通る路」をだまって進んで行くのが、一ばん利巧なのでしょう。
(9)学校の「修身」を絶対に守っていると、その人は「ばか」を見る!
学校の「修身」と「世の中の掟」が、すごく違っている。学校の「修身」を絶対に守っていると、その人は「ばか」を見る。「変人」と言われる。出世しないで、いつも「貧乏」だ。「嘘をつかない人」なんて、あるかしら。あったら、その人は、永遠に「敗北者」だ。

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町田康(1962-)『テースト・オブ・苦虫 1』(2002、40歳)(その1)①電話を引け、②復讐のタネが多い、③陽気浮気なことを考える、④「いつもの」店、⑤世の中の仕組み!

2022-06-14 13:44:57 | Weblog
(1)「コミュニケーション・ブレイクダウン」
「電話を引いていないと、連絡が取りにくいので、電話を引け」と「この偉い俺」が相手に要求する話。《感想》電話がない相手に、連絡するのは大変だ。(まだ固定電話の時代!)
(2)「洞窟から誰も出てこない」
家の前にぽっかり洞窟が開いて、「呪い復讐呪詛一般教授。個人レッスン。週一回からお試しコースあり」の木札が下がる。たくさんの人が並ぶ。復讐したがる人が、世の中たくさんいる。①風邪を引いた。酔った自分を寒い廊下にほったらかしたあいつらに復讐したい。②荷重勤務で事故を起こし会社を馘になった。復讐したい。③クライアントのNGくらった。復讐したい。④「勝手に名前出された」と苦情を言われて仕事を降ろされた。復讐したい。⑤房井久子が俺を振ったので自棄飲みして自動車事故を起こした。復讐したい。《感想》この世では復讐のタネが多い。
(3)「陽気な僕ら浮気なあんたら。ハッピーなデイズ」
莫大な印税。ハッピーな人生。酒池肉林。鯛や平目の舞い踊り。死に物狂いで陽気浮気なことを考えるが、実際の人生はアンハッピー。(ア)ポータブルエムディーが動かないので怒って破壊した。(イ)CD売れないし、家賃が払えない。」(ウ)重なった碗が取れない。ピクとも動かない。怒って暴れ狂い部屋がめちゃくちゃ。(エ)寒いので暖房をつけようとしたがリモコンが壊れてる。《感想》ハッピーなデイズとは「死に物狂いで陽気浮気なことを考える」ことだ。
(4)「『いつもの』と言って来るのは知らねぇ料理」
常連でないと、店で冷たく扱われる。ところが、今日はいつもの店なのに冷たく扱われた。「予の顔を見忘れたかっ!」苦虫の味が口中に広がった。《感想》「いつもの」店で冷たく扱われショックだった。
(5)「世の中の仕組みを見通したのらくら者の涙」
基本的に世間を渡世していくことは「やりたくない」ことの連続だ。パン屋なら「やりたい」が、資金もないし、パン製造の技術も持っていない。だが世の中には金を払ってでも僕にパン屋をやらせたいという奇怪な欲望(「やりたい」)を持った人が絶対にいるはずだ。「やりたい」と「やりたい」の幸福な出会い!僕の話を聞いていた巣鴨のおじさんの口中に苦虫がつぶれる音がした。《感想》渡世していくことは「やりたくない」ことの連続だ。これが「世の中の仕組み」だ。

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「2010年代 ディストピアを超えて」(その14):吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(1937)!ディストピアな時代、文学はニヒリズムを気取っているだけが能ではない!(斎藤『同時代小説』6)

2022-06-13 12:18:05 | Weblog
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(76)「ディストピアの向こうへ」:吉野源三郎(1899-1981)『君たちはどう生きるか』(1937、38歳)!
N 今後の日本文学に未来はあるのか?(266頁)
N-2  2017年から2018年にかけて、吉野源三郎(1899-1981)『君たちはどう生きるか』(1937、38歳)が爆発的にヒットした。戦前の旧制中学生の物語がなぜ200万部も売れたのか?(266頁)
N-3  『君たちはどう生きるか』は主人公のコペル君(本田潤一)とその3人の友人の友情の物語だ。北見君が上級生に睨まれており、北見君が殴られそうになったら「みんなで守る」と4人は約束する。ところがコペル君はこの約束を破る。(266頁)
N-3-2  昔の中学生はエリートだ。勇気がなく友達を助けられなかったコペル君は、「ヘタレな知識人予備軍」「ヤワなインテリ予備軍」そのものだ。(266-267頁)
N-3-3  コペル君は勇気をふりしぼり長い謝罪の手紙を書き、最終的には友情を取り戻す。最悪の状態から再生した少年の物語。(266-267頁)
N-3-4  なぜこの本がヒットしたかは、ここから理解可能だ。「ヤワでヘタレな子でも、絶望の淵に沈んでも、生還の道はある」というメッセージをこの本は示す。「ディストピアな時代」にこの本はマッチしていた。(267頁)

《書評1》大切な話ばかり。話題になってくれて新装版出してくれてよかった。 立派な人間になりたい。消費だけでなく何かできるように。そして弱さで善を潰されないように強く。
《書評2》古本屋に100円であったので購入。これは若いうちに是非とも読むべき本だ。学問を修める意味、正しいことを為す勇気、友情、社会階層・・・・、人として社会に生きていく上で考えなければならない様々な問題が、興味を引くエピソードと共に散りばめられている。
《書評3》漫画化され話題になった作品。 子供向けにやさしく書かれた哲学書・道徳書。 15歳のコペル君が主人公。 当時は中学に行ける子はエリート。彼もお金持ちのお坊ちゃま。 学校で上級生と揉めたり、上級生に殴られる友達を見て逃げ出したり、家が貧しい友達ができたり。 そんな彼へのおじさんの助言(説教)が間に挟まる。

(76)-2 「ディストピアな時代」、(日本)文学はニヒリズムを気取っているだけが能ではない!
N-4 『君たちはどう生きるか』は日中戦争開始の年(1937年)に、つまりファシズムに向かう時代に、知識人(吉野源三郎)が知識人予備軍の少年たち(旧制中学生)に向けて、「知識人いかに生くべきか」を説いた書だ。(267頁)
N-4-2  だから説教臭くて鼻持ちならない部分がある。(267頁)
N-4-3  だがここには、(日本)文学にとってひとつのヒントがある。純文学のDNAに縛られて、ニヒリズムを気取っているだけが能ではない。絶望をばらまくだけでは何も変わらない。せめて「一矢報いる姿勢」だけでも見せてほしいい。そのように読者たちは求めている。(267頁)

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「1980年代 遊園地化する純文学」(その3):「破壊派」村上龍『コインロッカー・・・』!「幻想派」村上春樹『世界の終わりとハード・・・』!「土着派」中上健次!(斎藤美奈子『日本の同時代小説』3)

2022-06-11 19:24:38 | Weblog
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(28)「固有の路線を見つけた中上健次、村上龍、村上春樹」:①「破壊派」村上龍の世界は「廃墟感がただよう近未来」だ!『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)!
C 団塊世代の作家(1970年代に登場)の中で、80年代をリードし、日本文学を代表する作家として一歩抜け出したのは、中上健次、村上龍、村上春樹の3人だった。彼らは(古典芸能的な)「私小説」でないのはもちろん、(伝統的な)「リアリズム小説」でもない。(95頁)

C-2 村上龍(1952-)は、初の長編小説『コインロッカー・ベイビーズ』(1980、28歳)で大きく飛躍する。主人公はコインロッカーに遺棄されたが奇跡的に生き延びたキク(関口菊之)とハシ(溝内橋男)だ。2人は乳児院に収容されるが、小学校入学を機に、かつて炭鉱で栄えた「西九州の離島」に住む夫妻に引き取られ兄弟として育つ。十余年後、17歳になったハシは実の母を探すと家出し東京に向かい、やがて歌手として成功。一方、キクも東京に向かうが、偶然再会した実母を殺害し、少年刑務所に送られる。(95頁)
C-2-2  キクとハシは1972年生まれ、舞台は80年代後半の「近未来」だ。(95頁)
C-2-3 『コインロッカー・ベイビーズ』とは、彼らが巨大なコインロッカー(的なもの)を破壊して自分を取り戻すまでの物語だ。(95-96頁)
C-2-4  SFチックな物語を現実につなぎとめるのは、キクがいう「廃墟」が、二人が育った「閉山後の炭鉱」の風景と重なることだ。近代の力で破壊された炭鉱町の呪詛。彼らにとって「繁栄を誇る東京」(※80年代の「
Japan as No.1」の時代の東京)は「憧れ」でなく「破壊」の対象だ。(96頁)
C-2-5  村上龍は「破壊派」だ。(97頁)
C-2-5-2  そして村上龍の世界は「廃墟感がただよう近未来」だ。(98頁)
《参考》 村上龍(1952-)『限りなく透明に近いブルー』(1976、24歳)(芥川賞受賞)は、19歳の「僕」ことリュウを語り手に、米軍基地の町・福生(フッサ)にたむろする若者たちを描く。若者たちがドラッグとセックスに溺れたパーテイーに興じている。(75-76頁)

(28)-2 「固有の路線を見つけた中上健次、村上龍、村上春樹」:②「幻想派」村上春樹の世界は「現実観の薄いワンダーランド」だ!『羊をめぐる冒険』(1982)、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)!
C-3  村上春樹(1949-)は『風の歌を聴け』(1979、30歳)(※大学生の春、「僕」は「鼠」と友達になった)の続編、『1973年のピンボール』(1980、31歳)(※1973年9月に始まり、11月に終わる。「僕」の物語と現実感のない日々を送る「鼠」の物語がパラレルに進行)を経て、『羊をめぐる冒険』(1982、33歳)を発表。これによって「知る人ぞ知る作家」だった村上春樹は、一躍人気作家のひとりとなった。Cf. この3作は後に「鼠三部作」と呼ばれる。(96頁)
《参考》村上春樹『風の歌を聴け』(1979)は、「1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり8月26日に終わる」という物語だ。東京の大学に通っていた「僕」が、大学一年生の夏に港のある街に帰省した、そこでの出来事。(Ex. 「鼠」とプールに行くが、「鼠」は「僕」に「大学へ戻らない」と告げる。)(77-78頁)

C-3-2 『羊をめぐる冒険』(1982)は非現実的な小説だ。舞台は「1978年」。「僕」(29歳)はPR誌製作事務所の共同経営者。「僕」の前に「謎の男」が現れ「背中に星型斑紋をもつ羊」を探してほしいと依頼した。そんな時、「僕」のもとに失踪した親友の「鼠」からの手紙が届く。「僕」は謎の「羊」と「鼠」を追い、北海道に行く。「僕」は「十二滝村」で「羊男」(※羊の皮の衣装を頭からすっぽりかぶった男)に出会う。「僕」は羊男が「鼠」だと見抜いて問いかける。「君はもう死んでるんだろう?」失踪した親友との永遠の別れ!Cf. レイモンド・チャンドラー(1988-1959)『長いお別れ』(1953)を思わせる。(96-97頁)

C-3-3  1980年代の村上春樹を代表する作品が『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985、36歳)だ。物語は、「世界の終わり」と名づけられた世界に住む「僕」の物語と、「ハードボイルド・ワンダーランド」 と名づけられた世界に住む「私」の物語が、交互に進行する。(97頁)
・「世界の終わり」は高い壁に囲まれ一角獣の住む世界。
・「ハードボイルド・ワンダーランド」は「やみくろ」なる謎の生物(?)が侵入した世間。
しつらえは完全なファンタジー小説だ。春樹作品は謎めいた部分が多く、主人公は大きな喪失感を抱えている。(97頁)
《参考》第21回谷崎潤一郎賞における丸谷才一の選評:「村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、優雅な抒情的世界を長篇小説といふ形でほぼ破綻なく構築してゐるのが手柄である。われわれの小説がリアリズムから脱出しなければならないことは、多くの作家が感じてゐることだが、リアリズムばなれは得てしてデタラメになりがちだつた。しかし村上氏はリアリズムを捨てながら論理的に書く。独特の清新な風情はそこから生じるのである。この甘美な憂愁の底には、まことにふてぶてしい、現実に対する態度があるだらう。」

C-3-4 『ノルウェイの森』(1987、38歳)は一転、1960年代末を舞台にした大学生の三角関係小説だ。村上春樹にしては、リアリズム度の高い作品だ。ただし主人公が喪失感を抱えている点は変わらない。(97頁)
《参考》書評1:「『ノルウェイの森』・・・・最近読んだら・・・・新聞に載るエロ小説みたいだな思いました。・・・・村上春樹の登場人物は相手を喜ばせるために話してるだけで、自分がない感じ。・・・・主体性がなくてだら〜んとして落とし所がわかりません。どういうとこが面白いんですか。」書評2:「官能小説なら、もっと主人公がそれなりに快楽を覚えてていいのに、理屈っぽいのが嫌です。」書評3:「大人の小説なのでね。百万部うれた。大学は皆アンナ感じですよ男女とも。」

C-3-5  村上春樹の作品は、その無国籍性とポピュラリティの高さもあり、各国語に翻訳され、世界的なマーケットを獲得した。(97頁)

(28)-3 「固有の路線を見つけた中上健次、村上龍、村上春樹」:③「土着派」中上健次の世界!「私小説の発展型」であり、「路地」を核に「大きな物語」が構築される!『枯木灘』(1977)、『地の果て 至上の時』(1983)!
C-4  村上龍(1952-)を「破壊派」、村上春樹(1949-)を「幻想派」とするなら、中上健次(1946-1992)は「土着派」の作家として80年代文学シーンのトップランナーに躍り出た。(97頁) 
C-4-2  すでに中上健次は『岬』(1975)で紀州を舞台に複雑な血縁関係の中でもがく24歳の青年・竹原秋幸(アキユキ)を創出した。その後、竹原秋幸の世界がさらに前に進められる。(97頁)

C-4-3  中上健次『岬』:秋幸の母フサには夫(西村勝一郎)との間に4人の子がいる。フサは夫の死後、材木業を営む「蠅の王」浜村龍造との間に婚外子(私生児)として竹原秋幸を生む。その後、母フサは、他の女を2人も妊娠させた浜村龍造に怒り、秋幸だけをつれて子持ちの男(竹原繁蔵)と結婚。秋幸の周囲には、父や母の異なる兄弟姉妹がごっそり存在する。これが秋幸の精神に暗い影を落とす。(98頁)
C-4-4  中上健次『枯木灘』(1977):26歳になった竹原秋幸は、実の父・浜村龍造に復讐を試み、異母妹のさと子と近親相姦に及ぶが、父は全く動じない。秋幸は遂に、父の嫡出子である異母弟(浜村秀雄)を殺害する。弟殺し!(98頁)
C-4-5  中上健次『地の果て 至上の時』(1983):3年の刑期を終え29歳になった秋幸は故郷に帰る。故郷の風景は土地開発・改造で一変し、高速道路の工事も始まり、浜村龍造は土地成金となっていた。秋幸は父への復讐を遂げようとするが、父は息子より何枚も上手だった。(98頁)

C-4-6  村上龍の世界は「廃墟感がただよう近未来」、村上春樹の世界は「現実観の薄いワンダーランド」、これらに対し中上健次の世界は「狭い『路地』の中ですべてのドラマが進行する」。そして恐ろしいほどの「地縁と血縁」に縛られている。(98頁)
C-4-6-2  中上健次は、彼が生まれ育った「路地」(被差別部落をモデルとする)を一種の「虚構」として描き、自身の自伝的事実の中に閉じこもらない「大きな物語」を構築した。「私小説の発展型」!(99頁)
C-4-6-3  1本の枝から何本もの枝を伸ばすように、中上健次は「紀州サーガ=路地の物語」を書き継いだ。(※「サーガ」:一家一門の物語)(a)『鳳仙花』(1980)母フサの物語、(b)『千年の愉楽』(1982)路地の産婆オリュウが取り上げた者たちを描く、(c)『日輪の翼』(1984)路地の土地を売った金でオバたちが旅に出る、(d)『奇蹟』(1989)路地で生まれたタイチの物語、(e)『讃歌』(1990)『日輪の翼』の続編、(f)『軽蔑』(1992)路地における異色の恋愛。(99頁)

(28)-4 「私小説」の発展型の先例:大江健三郎の自伝的内容の小説の発展!生まれ故郷の「四国の森(谷)」!
C-5  「私小説」の発展型には先例がある。大江健三郎(1935-)は『個人的な体験』(1964、29歳)で 初めて自伝的な体験、障害のある息子「大江光」の誕生を描いた。また『万延元年のフットボール』(1967、32歳)は60年安保世代の若者と、生まれ故郷の「四国の森(谷)」の人々が重ねて語られる。以後、大江健三郎は近縁者や生まれ故郷に取材した作品を書き続けるが、「私小説」の枠を大きくはみ出し、縦横無尽に枝葉を広げるものだった。(99-100頁)
C-5-2  家族をモチーフにした作品には、1970年代の『洪水はわが魂に及び』(1973、38歳)、『ピンチランナー調書』(1976、41歳)にはじまり、『キルプの軍団』(1988、53歳)などがある。(100頁)
※『洪水はわが魂に及び』:大木勇魚は、知的障害のある息子ジンと共に社会から逃避し、核避難所跡に籠もり暮らす。勇魚は「自由航海団」の若者たちと出会う。機動隊が出動し、彼らは鎮圧される。
※『ピンチランナー調書』:もと原発技師の「父」と「障害者の息子」の二人が、宇宙的な意志に導かれ「ピンチランナー」として核の暴力と戦う。
※『キルプの軍団』:次男がモデル。ディケンズの『骨董屋』を英語で読む。キルプは『骨董屋』の登場人物。70年代的闘争の余韻あり。

C-5-3  自伝的内容に「四国の森(谷)」を重ねた作品としては、『万延元年のフットボール』のほかに、『懐かしい年への手紙』(1987、52歳)などがある。
※『懐かしい年への手紙』:物語で一生が語られるギー兄さんは、語り手の作家Kより5歳年長で、Kの終生の精神的な「師匠」だ。ギー兄さんは「谷間の村」の高みの「在」の富裕な屋敷に住む。単行本の帯にある著者のメッセージは次の通り。「自分のなかに『祈り』と呼ぶほかにないものが動くのを感じてきた。生涯ただ一度書きえる、それを語りかける手紙。その下書きのように、この小説を書いた。故郷の森に住んで、都会の『僕』の師匠でありつづける友。かれは事故のようにおそう生の悲惨を引き受けて、荒あらしい死をとげる。かれの新生のために、また自分のもうひとつの生のために、大きい懐かしさの場所をつくらねばならない…… 大江健三郎」

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「2010年代 ディストピアを超えて」(その13):「ポスト・モダン文学わが道」堀江敏行、松浦寿輝、小野正嗣、青木淳悟、磯崎憲一郎、鹿島田真紀、円城塔、今村夏子、又吉直樹!(斎藤『同時代小説』6)

2022-06-11 19:02:01 | Weblog
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(75)「わが道をいくポスト・モダン文学」:堀江敏行『熊の敷石』(2001、37歳)フランス留学経験のある「私」がノルマンディーの田舎町を訪ねる癒し系ポストモダン文学!   Cf . 須賀敦子(1929-1998)『ミラノ 霧の風景』(1990、61歳)・『コルシア書店の仲間たち』(1995、66歳)!
M 進化の袋小路にハマりかけていたポストモダン文学(純文学)はその後、どうなったか?(262頁) 
M-2  癒し系ポストモダン文学の代表選手・堀江敏行(1964-)『熊の敷石』(2001、37歳)(芥川賞受賞)は、フランス留学経験のある「私」がノルマンディーの田舎町を訪ねる物語。小説なのか随筆なのか紀行文なのか哲学的エッセイなのか判然としない作風。(※「熊の敷石」とは、「要らぬお節介」という意味。)(263頁)
《書評1》いかにも芥川賞らしい、綺麗で静かな文章。「近づきすぎない人と人との距離感」の描き方が印象的です。ただ、少々インテリ臭が鼻につくのが残念。(Ex. 「ペタンク」はかろうじて知っていたが、辞書編集者エミール・リトレなんてもちろん知らないし、「宮沢賢治のホモイが取り逃した貝の火みたいな」などと言われても、未読ゆえ分からず。)
《書評2》「熊の敷石」は、ラ・フォンテーヌの寓話から採られている。「熊が善意から投げた敷石が老人を殺してしまう」皮肉から「無知な友人ほど危険なものはない」という苦い教訓が導かれる。教訓はそのまま、ユダヤ人の親友ヤンの暗い記憶に不用意に触れてしまった後悔へと繋がる。
《書評3》紀行文やエッセイを読んだような読後感。物語や情景描写は澱みなく流れていくが、ほんのりとした印象しか残らない。個人的にはもう少し引っかかりがほしい。

M-2-2  小説なのか随筆なのか紀行文なのか哲学的エッセイなのか判然としない堀江敏行の作風は、イタリアで暮らした日々を綴った須賀敦子(アツコ)(1929-1998)の作品と通じるかもしれない。(263頁)
★須賀敦子(1929-1998)『ミラノ 霧の風景』(1990、61歳)
《書評1》「女流」とか「女性〇〇」というと政治的な悪臭がして好きになれないが、この本にはそういうものとはかけ離れた瑞々しさがある。 著者は社会運動や弱者の救済に大きな関心を寄せ尽力した人だ。けれど、その精神は独善と分断でなく、人間の温かみに根差したものだ。「霧」という言葉は著者の中で特別な意味を持つ。「霧」が著者の作品の底に流れる精神の象徴と思う。
《書評2》大戦後の空気のまだ残る北部イタリアで巡り会う個性的な人々、短いが豊かな夫との暮らし、友人たちとの共同作業などの記憶が、みずみずしい文章でよみがえる。
《書評3》戦後・留学を経て13年住んだイタリアの思い出を綴るエッセイ。遠い国の遠い時間の人になってしまった友人たちについて綴る。全体に寂しさが漂う。でもその寂しさは、イタリアの生活を目一杯愛したからこその寂しさ。温もりを同時に感じる。知性に富む美しい文体。

★須賀敦子(1929-1998)『コルシア書店の仲間たち』(1995、66歳)
《書評1》イタリア・ミラノにあるコルシア書店が舞台のエッセイ。1950年代後半から60年代。若者が盛り上がった熱い時代。激しくも美しい青春群像劇となっているのは、文章に気品があるから、あるいは随分時間が経ってから書かれたからだろう。若い人は「古き良き時代」にうっとりするかもしれないし、年代を重ねた人は「自分の青春時代」を思い出すかもしれない。良書という言葉がぴったりの本だった。
《書評2》若者たちの政治活動拠点として誕生したコルシア書店(戦時中のレジスタンス運動や、カトリック教会改革を叫ぶ一派の流れを汲む)の人々を丁寧に書き綴る。美しく、ときに感情を揺さぶられる文章だが、装飾された印象はない。友人への親しみと、それでいてニュートラルな姿勢。「青春のほんのいっときの夢のようなきらめき」が、閉じ込められた本。
《書評3》イタリアに身を置き、イタリアの方と結婚され、イタリアの本を翻訳し、日本の本をイタリア語に翻訳し、イタリアとの架け橋であった須賀さんならではの書物。

(75)-2  松浦寿輝(ヒサキ)(1954-)『川の光』(2007、53歳):クマネズミの一家を主人公にした寓話風の長編!  Cf. 松浦寿輝『花腐し(ハナクタシ)』(2000、46歳):偏差値高い系、気が滅入る系の実験小説!
M-3  松浦寿輝(ヒサキ)(1954-)『川の光』(2007、53歳)はクマネズミの一家を主人公にした寓話風の長編。東京郊外の川辺で先祖代々暮らしてきた父と2匹の子どもが、川の暗渠工事にともなって巣穴を追われ、上流めざして旅に出る。現代への風刺も込められているが、アニメシリーズ化され今や代表作といってもいいほどだ。(263頁)
《書評1》三匹のネズミたちとともに、心からワクワクを楽しめる一冊。彼らに危機が訪れるたびに、本気で心配してしまう。グレンの思慮深い発言には心が動いた。グレン曰く、「なあ、タータ、『書く』ことも『読む』こともできないのは、われわれネズミ族の幸福なんじゃないのかな。ぼくはそう思うんだ。」
《書評2》作者の松浦さんは「人類は滅んでしまった方がいい」とまで明言し、あまり人間が好きではない模様。 そうなると共感の対象は、人間よりも動物や大自然に向かうようで、それが一般の読者には共鳴しやすいのか、圧倒的人気作となった。 自然に寄り添う気持ちが強いためか、人間に対する視線が厳しい。
《書評3》「狂った世界」「倒錯した世界」「常なるものから逸脱した世界」の愉悦が売りだった松浦氏。でも兄タータと弟チッチ、楽しく読んだ。

M-3-2  松浦寿輝(ヒサキ)(1954-)『花腐し(ハナクタシ)』(2000、46歳)(芥川賞受賞):筆者は詩や評論の世界から小説に進出。偏差値高い系、気が滅入る系の実験小説の書き手だった。(263頁)
《書評1》現役東大教授の芥川賞受賞作。淫靡で暗い。登場人物は少ない。「時間は流れない。過去もみな、今ここから等間隔にある」という発想。頽廃と倒錯。
《書評2》雨が記憶を呼び覚ます。全てを失いかけた俄
地上げ屋と、バブルで多額の借金を背負った男の出会い。状況は変わっていなくても、雨が鬱屈していた男に何かを思い起こさせ、何かを変えた。
《書評3》登場人物が腐敗した人生を思い出しながら、過去と現在を行ったり来たりしつつ、現実なのか精神世界なのかよくわからなくなっていく。

(75)-3 小野正嗣(マサツグ)(1970-)『にぎやかな湾に背負われた船』(2002、32歳)・『九年前の祈り』(2014、44歳):「浦」と呼ばれる大分県の海辺の町が舞台!
M-4  小野正嗣(マサツグ)(1970-)『にぎやかな湾に背負われた船』(2002、32歳)は、「浦」と呼ばれる大分県の海辺の町が舞台。駐在所の警官の息子の目から見た町議選をめぐる騒動を描く。(263頁)
《書評1》九州の小さな湾に面した「浦」。町民が皆どこかでつながっている狭い社会。祭りのような町会議員選挙。新しく赴任した交番の一家、酒さえ飲まなければいい人、家にロケット花火を打ち込まれるトシコ婆さん・・・・。農業も漁業も中途半端で、漂う閉塞感と町民の平穏と哀愁。日本のどこにもこんな町がある。
《書評2》地元有力者の一族内でのいざこざ、女房を殴る男、子を豚小屋につなぐ家とそれを黙認する地域の住民たち、アル中、身障者とそれを囃し立てる子ども達など、陰鬱な要素十分の舞台にもかかわらず、あっけらかんとした雰囲気。

M-4-2  小野正嗣(マサツグ)(1970-)『九年前の祈り』(2014、44歳)(芥川賞受賞)は、カナダ人男性との間に生まれた3歳の息子を連れて「浦」に帰って来た35歳の女性が主人公。いずれも土地そのものが主役のような作品である。(263頁)
《書評1》ひとり親の母、障害のあるハーフの息子、閉塞感があるが平和な田舎、難しい状況、不確かな未来。息子が病気に苦しむ時、母親は息子を手放すという考えも持つ。深い孤独と悲しみ。その時、過去の記憶が蘇り、母親はもう一度、息子の手を握りしめる。
《書評2》障害や病、生まれた時からの人間関係、閉塞感のある地域。これだけ並べるとさぞや・・・と思うが、絶望はない。人生には努力だけでは変えられないものがある。それが祈りに繋がる。どの人も主人公になる、どの人の人生も誰かに影響を与えている。それが救いになっているのかとも思う。「ひとって優しいな」とほっとする。

(75)-4 青木淳悟(ジュンゴ)(1979-)の『四十日と四十夜のメルヘン』(2005、26歳)、『クレーターのほとりで』(2004発表、25歳):頭がクラクラするような「変な」小説!
M-5  ピンチョン(1937-)(※百科全書的知と全歴史を引き受けるテーマの大きさからジョイスやメルビルとも比肩される)の再来と騒がれた青木淳悟(ジュンゴ)(1979-)の『四十日と四十夜のメルヘン』(2005、26歳)はチラシの配布員を主人公に、4日間の日記がくりかえし書かれるという頭がクラクラするような小説。(※時間軸が円環構造になっている複雑な構成。)(264頁)
《書評1》私小説のような書き出しで始まり、日記となり7/4〜7/7までの四日間が延々と繰り返される。主人公の日常、書いているメルヘン小説、先生の著書の断片とか、それらが絡み合い繰り返される。主人公のためらいや思考のループが、小説の構造になっている。
《書評2》ポスティングで生計を立ててる主人公の日記風。チラシを集めたり配ったり、チラシをメモにしてメルヘン描いたり・・・・。タイトル『チラシ』にすればよかった。
《書評3》繰り返す日常の日記。進んでは戻るを繰り返し、少しずつ厚みを増す。生真面目だけど要領の悪い小心者の主人公が日記やメルヘンを書く話。

M-5-2  青木淳悟(ジュンゴ)(1979-)の『クレーターのほとりで』(2004発表、25歳)は、さらに「変な」小説だ。前半は『創世記』よろしく語られた、クロマニヨン人とネアンデルタール人の交配にはじまる先史時代の神話。後半は、人類の起源を探るべく、くだんの神話を発掘調査やDNA鑑定を通じて実証しようとする人々の話。(264頁)
《書評1》聖書、神話、科学、哲学といった古今東西のテクストをぎゅーっと固めた内容。真剣に読むと言うより、笑い飛ばしながら読むのが正当な読み方であるようだ。重いテーマを軽妙なステップでカオスにミックスする。
《書評2》前半は人類の進化を超高速再生、後半はそれの発掘調査の悲喜こもごも。本当に訳が分からん。意地で読了したけど何の充実感もない・・・・。
《書評3》SFか? 何時代で場所がどこかもわからないまま、最後は“たま”の「さよなら人類」が出てきて笑った。

M-5-3 これら2作で青木淳悟はたちまち注目作家となった。(264頁)

(75)-5 磯崎憲一郎(1965-)『肝心の子供』(2007、42歳)ブッダの一族を描く!『終の住処(ツイノスミカ)』(2009、44歳)時間の流れ方がハイスピード!
M-6 磯崎憲一郎(1965-)『肝心の子供』(2007、42歳)はブッダの一族(ブッダとその息子、孫の三世代)を題材にする。(264頁)
《書評1》ブッダ、その子ラーフラ(「束縛」という意味を持つ)、孫のティッサ・メッテイヤの3人のエピソードが描かれる。仏陀から3代の物語ではなく、それぞれの人物のある時点での話が書かれる。
《書評2》自分の肝臓・心臓のように大切な息子も、別個の肉体をもった存在で、時にはわら束と見間違うくらいの違和感を抱く。「家族」や「自分の記憶」に束縛され限られた時間の中を生きる人間と、「悠久の自然」とが神話的につづられる。
《書評3》淡々とした起伏のない語り口。夫婦も親子も、分かり合うことなくすれ違い別々の人生を送る。それでも、実は「続いていくこと」に何かしらの意味がある。「肝心の子供」とは個人のことでなく、生が続いていくことだろう。男たちが茫洋と浮世離れしているのと対照的に、女性たちの存在感が際立つ。

M-6-2  磯崎憲一郎(1965-)『終の住処(ツイノスミカ)』(2009、44歳)(芥川賞受賞)は製薬会社に勤める男性の30歳から50歳頃までを、時代の諸相をまじえて語った小説。ただし磯崎作品は時間の流れ方が独特だ。結婚、浮気、子どもの誕生、仕事、また浮気、娘の成長・・・・みたいなよくある話も、新幹線並みのハイスピードで書かれると、普通ではない景色に見えてくる。(264頁)
《書評1》ある夫婦を、夫を中心として第三者目線で簡潔に述べる。夫も妻も結婚当初から、どこか疲れたような、枯れたような様子。関係はひんやりとし温かみはない。そして登場人物に名前は付与されない。そこに存在する夫婦の十数年を俯瞰しつつ切り取ったような作品。
《書評2》改行のなさ、カギ括弧のなさなどによってか、時間や空間や視点が目まぐるしく移動しクラクラした。全ての出来事が同時のように感じられる。決定論のようなフレーズが何度かでてくる。典型的な中年以降の男性とそれを取り巻く社会を描く。疲れの雰囲気。のっぺらぼうの登場人物と奇想との配合で、非常に恐ろしい。
《書評3》芥川賞受賞作って、こんな感じの小説が多い。訳がわからない不気味さいっぱい。こんなに薄い本なのに、読むのに時間がかかった。

(75)-6 鹿島田真紀(カシマダマキ)(1976-)はデビュー以来「難解系前衛文学の王女」と呼ばれる(Ex. 『二匹』1999)!『冥途めぐり』(2012、36歳)家族関係に疲れた妻が秘かに心中を企む旅!
M-7 鹿島田真紀(カシマダマキ)(1976-)はデビュー以来「難解系前衛文学の王女」みたいな批評家泣かせの作家だった。(264頁)
Ex. 鹿島田真紀(カシマダマキ)(1976-)は『二匹』(1999、23歳)で文藝賞を受賞しデビュー。
《書評1》クラスでいじめられている明とクラスの人気者の純一。しかし純一は狂犬病にかかり、純一に噛まれた明も狂犬病にかかる。そんな二人が独自のコミュニティ「二匹」になる。
《書評2》「つかみ所がないのに、パワーはある」ところが前衛文学なのだろうと思う。ただ「狂犬病」という命名は、他の病名をつけてほしかった。
《書評3》『二匹』というのは明と純一の動物的ともいえる関係を表すうまいタイトルだ。思春期の男同士の間にある友情とも愛情ともいえない微妙な空気を巧みに描く。リアリズムの向こう側の世界へひょいと移行してしまう軽やかさも良い。

M-7-2  鹿島田真紀(カシマダマキ)(1976-)は『冥途めぐり』(2012、36歳)(芥川賞受賞)で芸域を広げる。これは、主人公が、裕福な家で育った母、たかり体質の弟、脳を病んだ夫を連れて熱海に旅する物語。家族関係に疲れた彼女(妻)が秘かに心中を企む旅で、現代版の「道行き」だ。(264頁)
《書評1》過去の裕福な時代をいつまでも思い続ける母と弟。そして障害を背負った夫と暮らす主人公がかつて母や祖父母と訪れたホテルを訪れ過去を思う話。
《書評2》裕福だった過去を引きずる母、酒と浪費にしか生きられない弟。精神的にも経済的にも搾取されてきた奈津子。病気で体が不自由になった夫。思い出のホテルを訪れるが、かつての華やかさはなく、うらぶれたホテル。奈津子は、旅行の帰りに寄った美術館で、煩わしい家族を「絵」として捉えたとき、ふと自由になったと感じる。ずっと重苦しかったが、最後に夫の善良さと優しさが見えたとき、かすかな光を感じた。
《書評3》ケアしてやるべき存在である夫に、気がつけばケアされている主人公。そうやって支えあう関係の尊さは、母と弟には一生わからないのだろう。

(75)-7  円城塔(エンジョウトウ)(1972-)『道化師の蝶』(2012、40歳):小説の先は迷宮・迷路!
M-8 円城塔(エンジョウトウ)(1972-)『道化師の蝶』(2012、40歳)(芥川賞受賞)は「袋小路で何が悪い」と開き直って、その先へ突き抜けたような小説。選考委員が「途中で寝た」と告白。ネット上には「攻略法」まで出た。飛行機の中で本が読めない「わたし」と、架空の蝶を捕獲する補注網を手にしたエイブラハム氏が飛行機の隣り同士に乗り合わせて・・・・みたいなシーンから始まり、小説の先は迷宮・迷路。(264-265頁)
《書評1》言語と解釈の狭間にある、目に見えない矛盾のようなものを描こうとしているのか、とにかく実験的で難解で、噛み砕くのに相当な時間を要する。一つ気になった一節は「どこでも通用するようなものは中途半端な紛い物」という言葉。
《書評2》今のわたしはいつの私?? わたしは虫取り網で捕まる。 着想を捕まえるように見事に。 わたしの思考は渦の中、目が回る。
《書評3》いつのまにか、私が次々と入れかわり、私だと思っていたものが別の私の中に入れ子になる。私は絶えず移動し続ける。物理的にも、主体的にも。 細い銀の糸に呪文を書いて編み上げた捕虫網。これだけが私をめぐる物語をつなぎとめる現世の魔具。

(75)-8 今村夏子(1980-)『こちらあみ子』(2011、31歳):前衛色がまるでないが、リアリズム系ともいいがたい!『星の子』(2017、37歳)は新興宗教に入信した両親の下で育つ少女を描く!
M-9  今村夏子は前衛色がまるでないが、リアリズム系ともいいがたく、「ポスト・ポストモダン」な作家だ。
M-9-2  今村夏子(1980-)『こちらあみ子』(2011、31歳)は、病名をつけようと思えばつけられるだろう女の子の小中学生時代を描く。(※少し風変わりな少女のあまりに純粋な行動が、家族や同級生など周囲の人たちを無意識に変えていく過程を描き出す)(265頁)
《書評1》心がざわつく話だった。 悪気のない無邪気な思い、振る舞いで、家族や友達を傷つけてしまうあみこ。 あみこが悪くないことは分かっているのにどうすることも出来ない父親。 あみこは幸せなのか、幸せになれるのか、そんなことを悶々と考えて読んだ。
《書評2》発達障害と思われる少女の語りで、綴られる話。呼びかけても、呼びかけても、答えてもらえない。これは、あみ子に限ったことではないだろう。
《書評3》「人の気持ちを察することができないあみこ」が無意識に周りの人を傷つけているのは胸が苦しくなった。義母は病み、兄は非行に走り、好きな子からは殴られ、父には見放されるというこんな悲しい展開をあみこ目線でさらっと語っているのも、複雑な気持ちにさせる。

M-9-3  今村夏子(1980-)『星の子』(2017、37歳)は新興宗教に入信した両親の下で育つ少女を描く。周囲からは疎まれそうな子どもの感覚を、あくまでも子ども目線で書く。(265頁)
《書評1》信じるものが違うと見えるものも違ってくる。ちひろと両親の見えるものが違う、またちひろと友人たちの見えるものが違う。読んでて両親も、友人たちも私はすごく好きだったし、ちひろもきっとそうだと思うから、すごく悲しくなった。
《書評2》家族と異なる社会にも属し、次第に親とすれ違い、見える景色が違っていくちひろ。お風呂のシーンからすでにちひろに「流れ星」は見えなくなっている。「好きな人が信じるものを、一緒に信じたい」の言葉が、この物語をよく表している。
《書評3》両親の入信する新興宗教に肯定的である(そうなるよう教育された)当事者の視点で、安易に主人公に感情移入すると、ある種偏った考え方に加担してしまう。「ああ、こういう生活も悪くないな」と思う。 日常化された狂気は、一見して正気と見分けがつかない。

(75)-9 又吉直樹(1980-)『火花』(2015、35歳):往年の私小説に近い「自虐的なタワケ自慢と貧乏自慢」!
M-10  又吉直樹(1980-)『火花』(2015、35歳)(芥川賞受賞)は、2010年代で、おそらくもっともヒットした純文学だ。売れない漫才コンビの片割れの「僕」と先輩芸人・神谷との交友録。ストイックなまでに笑いを追求する神谷と、彼を尊敬する「僕」。自伝的エッセイとも言える。(265頁)
M-10-2  ベストセラーになったのは、作者が人気漫才師だったからとしても、内容は往年の私小説に近い自虐的な「タワケ自慢」と「貧乏自慢」だ。又吉直樹は、一周遅れのトップランナーとなった。(265-266頁)
《書評1》「(傘をくれた厚意を無下にしたくないという)その想いを雨が降ってないのに傘を差すという行為に託すことが最善だと信じて疑わない純真さを、僕は憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛するのである」という文が心に残った。同時に存在している色んな感情をちゃんと描写している。「同じ時代に同じ劇場で共に戦った全ての芸人達を誇らしく思う。もし彼らがいなかったらこんな狂った生活を10年も続けることはできなかっただろう」「絶対に全員必要やってん」と又吉氏は書く。
《書評2》ずっと芸人さん、アイドルが書いた本って避けてたけど、又吉さんのおかげでこれからは少しずつ手に取ろうかと思った。 芸人さんの話なのに生活面がとってもリアル。芸人さん、尊敬します。
《書評3》面白い芸人さんなのに、そうでない芸人さんより明らかに人気が無かったり、直ぐに消えてしまったり、とにかく厳しい世界だといつも感じる。読み手としては、全編を通して重苦しかったが、「お笑い」はクリエイティブな日本の文化だと思う。

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「2010年代 ディストピアを超えて」(その12-2):「戦後史に取材した作品」角田光代、赤坂真理、小手鞠るい、乃南アサ、中脇初枝!「沖縄」池上永一、上原正三、真藤順丈!(斎藤『同時代小説』6)

2022-06-10 09:01:48 | Weblog
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(74)-7 「戦後史に取材した作品」①角田光代(カクタミツヨ)(1967-)『ツリーハウス』(2010):敗戦前後から始まる家族三代の物語!
L-8  2010年代、もう一つ特筆すべきは、戦後史に取材した作品が増えていることだ。(a)戦後が「歴史」になった。(b)歴史を見る目に生活者視点が入った。いわゆる歴史小説とは異なる市井の人々の戦後史だ。(261-262頁)
L-8-2 角田光代(カクタミツヨ)(1967-)『ツリーハウス』(2010、43歳)は戦後、旧満州から引き揚げて、新宿に翡翠飯店なる店を開いた夫婦からはじまる親子3代の物語。(261頁)
《書評1》満州、引上げ、闇市、復興、オリンピック、地上げ、オウム、天皇崩御・・・・と時代のうねりの中で、家族みんながバラバラ好き勝手に生きているようで、家族の誰かに一大事があれば家族みんなが家に戻りこの時だけは一緒に飯を喰う。「どこかに逃げたくなったときに迎えてくれる場所」、「ツリーハウス」みたいな場所を、みんな求めているのかもしれない。
《書評2》祖母の「後悔したってそれ以外にないんだよ。後悔なんてするだけ損。それしかなかったんだから」という言葉が印象に残った。
《書評3》「逃げる」ことに対する価値観が時代によって変化していくさまを見た気がする。 戦時中は「逃げることは生きること。逃げないことは死ぬこと。」昭和は「逃げちゃダメだ。」令和は「逃げるは恥だが役に立つ」ということか?

(74)-8 「戦後史に取材した作品」②赤坂真理(1964-)『東京プリズン』(2012):「天皇に戦争責任はあったのか」をテーマにアメリカの高校で強制的に肯定意見を発表させられる16歳の少女の物語!
L-9 赤坂真理(1964-)『東京プリズン』(2012、48歳)は、留学先のアメリカの高校で「天皇の戦争責任」について話すことになった少女が、GHQ で翻訳を手伝っていた母を介して戦後と対峙する長編小説。(261頁)
《書評1》時間が飛んだり、物語がいくつも入っていたりする。「 日本人は戦争をきちんと考えてこなかった」、「大人たちのあいまいさ」、「アメリカに対する卑屈」等々、ずっと変に思ってきた。「 天皇が責任を取ったら、今の日本の繁栄はなかった」という。しかし今の繁栄はなくても、日本人は卑屈にならず、子供たちにも善悪をきちんと伝えられる国になったように思う。私が考えていたことを、文字で読めてよかった。
《書評2》司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞、紫式部文学賞の3賞を受賞した本作品。天皇の戦争責任問題が主題。その本質を問う模擬裁判劇を描いた最終章は読み応えがある。
《書評3》「天皇に戦争責任はあったのか」をテーマにアメリカの高校での授業で、強制的に肯定意見を発表させられる16歳の少女の物語。「自分の頭で考えないようにプログラムされている(日本の)教育」の恐ろしさ。天皇の戦争責任問題は、過去の出来事でない。きちんと向き合わないから、きちんと怒ることも、きちんと反省することもできない。常に考え続けなければならない。

(74)-9 「戦後史に取材した作品」③小手鞠るい(1956-)『アップルソング』(2014):現実の戦争·紛争と、数奇な運命を辿る女性カメラマンの人生が交錯する!
L-10 小手鞠(コデマリ)るい(1956-)『アップルソング』(2014、58歳)は1945年、空襲の瓦礫の中から救出され、渡米して報道写真家になった女性の、評伝と見まがうような波乱万丈の人生の記録。(261頁)
《書評1》終戦直前の岡山大空襲で助けられ時に赤ちゃんだった茉莉江。10歳までは優しい親戚と明るく暮らしていたが、母と渡米。16歳で母が自殺し、1人ニューヨークへ。全財産を列車内で盗まれたのに、果敢に人生を切り開いていくのが凄い。やがて写真に魅了され報道カメラマンとして戦地や悲惨な事故現場に向かっていく。戦地に行くことは、精神をむしばんでいく。9・11テロ現場で、カメラやフィルムよりも大切なものがあると気づき、人助けに飛び込むシーンが最も心に響いた。
《書評2》現実の戦争·紛争と、数奇な運命を辿る女性カメラマンの人生が交錯していく物語。美しいものを撮りたくてりんご畑での労働で手にしたカメラ。カメラが映す戦争·紛争の悲惨さに打ちのめされそうになりながらも、最後はカメラを投げ捨て、死んでいく主人公の人生に圧倒された。

(74)-10 「戦後史に取材した作品」④乃南(ノナミ)アサ(1960-)『水曜日の凱歌』(2015):敗戦直後、RAA(特殊慰安施設協会)で通訳として働く母と娘の変転と成長の軌跡!
L-11  乃南(ノナミ)アサ(1960-)『水曜日の凱歌』(2015、55歳)は敗戦直後、米軍将兵のために設立されたRAA(特殊慰安施設協会)に身を寄せた母と娘の変転と成長を描く。(261頁)
※主人公・二宮鈴子は1931年東京市生まれ。運送会社の経営者の父が事故死。兄2人は戦死・行方不明。姉妹2人は空襲で死亡。7人家族のうち鈴子と母親つたゑ2人だけが残る。敗戦後、英語を話せたつたゑはRAAで通訳として働く。
《参考》「すこぶる平易で親しみやすい文章で、そこに関わる男女の心情や人生のみならず、国家と人権、戦争と平和といったテーマに切り込んだ、社会性と娯楽性を兼ね備えた大作である」。「思春期の少女の視点からこうした問題を取り上げ、物語の形で時代を浮かび上がらせたものはかつてなく、日本の現代史を踏まえ、扱いにくいテーマに誠実に向き合い、丁寧に掘り下げてきた」。(文化庁のウェブページ)

《書評1》女の強さ・意地・たくましさ・したたかさ・美しさ・優しさ・儚さは人それぞれなんだなと思った。戦時中から終戦後と冷静に周りを見つめ続けた鈴子に感服。そして、はかりしれない強さを持つつたゑ!
《書評2》戦争が終わったその日からの女性、何もかも無くしてしまい混乱したまま ほっぽり出された女性の生き方が描かれている。 14歳の少女目線で語られる戦後は、余りにも過酷で非情。進駐軍相手の特殊慰安施設で通訳として働き始めた母を通し、 世間を学び成長していく様は強く逞しい。
《書評3》特殊慰安施設協会は、米兵による一般女性への性暴力を防ぐため、政府の援助により設置された進駐軍用の慰安婦施設である。5万人以上の女性が働き、自殺した女性や1日に数十人の相手をさせられる女性もいたという。戦いとは、勝てば土地も富も略奪し女性を凌辱することだ。一部の同性の苦しみの上に他の女性の純潔が守られた。知らなかった。(日本は従属国にはならなかったけれど。)

(74)-11 「戦後史に取材した作品」⑤中脇初枝(1974-)『世界の果てのこどもたち』(2015):中国残留孤児、戦災孤児、在日朝鮮人を生んだ過酷な時代!
L-12 中脇初枝(ナカワキハツエ)(1974-)『世界の果てのこどもたち』(2015、41歳)は旧満州の国民学校で出会った3人の少女(残留孤児となった珠子、戦災孤児となった茉莉、日本に渡った朝鮮人の美子)の戦後を描く。(261-262頁)
《書評1》幼い少女3人を軸にそれぞれが満州・日本を移動しながら戦争に翻弄されていく。なるほど、こうやって在日と呼ばれる人達や残留孤児が生まれたのか・・・・。日本人なのに中国人になったり、朝鮮人なのに日本人になったり、名前も変わるのでややこしい。私が子供の頃にも朝鮮学校の制服の子を見かけた。
《書評2》戦時中、満州の開拓団として満州で出逢った三人の少女たち。日本、中国、朝鮮と戦乱の時代に翻弄され続けた彼女たちの人生。今も残る在日朝鮮人や、昔、報道で知った中国残留孤児の来日。その陰には、これ程までに辛く残酷で過酷な時代を生きてきた事を、恥ずかしながらこの作品で思い知らされました。
《書評3》皆、苦労に苦労を重ねた人生だったが「人から優しくされた記憶があればそれを頼りに生きていける。その優しさを人に贈ることもできる」の文が、幾度か出てきてとても印象に残った。

(74)-12 「沖縄を舞台にした作品」①池上永一(1970-)『ヒストリア』(2017):沖縄戦ですべてをなくした少女が、ボリビアに渡る波乱万丈の一代記! Cf. 池上永一『テンペスト』(2008):琉球王国は独立国であり、どちらかというと清国の一部であった!
L-13 池上永一(1970-)『ヒストリア』(2017、47歳)は、沖縄戦ですべてをなくした少女が、ボリビアに渡るビッグスケールな物語だ。(262頁)
《書評1》沖縄戦の凄まじさから始まり、ボリビアでの苦闘、チェゲバラとの出会い、ナチの残党との闘い、そひて成功と転落をこれでもかと繰り返す波乱万丈の一代記。どんなに打ちのめされも立ち上がる知花煉の強さに引き込まれる。
《書評2》知花煉は、米軍の沖縄上陸作戦で家族すべてを失い、魂(マブイ)を落としてしまう。そこから彼女の波乱万丈の人生が始まる。沖縄で束の間の成功があったが、米軍のお尋ね者になりボリビアへ移住。そこでも運命に翻弄され、どん底まで落ち、また這い上がり、落としたマブイを取り戻そうとする。ナチスの残党、キューバ危機、チェ・ゲバラとの恋を絡めた壮大(あるいはトンデモ)な展開。
《書評3》沖縄戦で奇跡的に生き残った少女がボリビアにわたって生きていくお話。戦争の辛い体験で魂が割れてしまい、自分が二人いるという設定。マブイという生き霊のようなものが主人公レン(煉)から分離して実際に体まで持ち、おまけにゲバラの情婦になるというトンデモ展開でちょっと引いてしまう展開だった。

★池上永一『テンペスト』(2008、38歳)は、琉球王朝からはじまる沖縄の近代史を壮大なエンターメインとして描く。(262頁)
《書評1》琉球で女として生まれたが、学問好きな孫寧温が主人公。宦官のふりをして科試(科挙)に合格し、役人となる。色鮮やかな首里城、祭祀を行うノロという巫女、代々続く国王、大奥に相当する大内腹(ウーチバラ)、そして琉球を狙う中国や薩摩の大使など、沖縄の歴史をしらなかった私には新鮮で未知の世界だった。
《書評2》幕末の動乱期に琉球で活躍した人物の物語。端麗な美少女が宦官と偽り科試を受け、大活躍しながら、女性としての幸せも求めるという韓流ドラマのような内容。 あまりにドラマチック仕立てで、登場人物もキャラクターが強すぎるが、面白かった。
《書評3》「琉球王国は独立国であり、どちらかというと清国の一部であったが、最終的に日本が併合し沖縄となった」という事実を改めて知った。琉球王国は知らないことだらけで面白かったが、戦もないし、大奥のような話が多く退屈でもあった。

(74)-13 「沖縄を舞台にした作品」②上原正三(1937-2020)『キジムナーkids』(2017、80歳):沖縄戦に生き残ったこどもたちの物語!
L-14 沖縄出身のシナリオライター上原正三(ショウゾウ)(1937-)は80歳でのデビュー作『キジムナーkids』(2017、80歳)で敗戦直後の少年たちを活写した。(262頁)
《書評1》出会い、友情、冒険、好奇心、別れ・・・・そして、希望。太平洋戦争後の沖縄でたくましく生きた子供たち。ウルトラマンのシナリオライターがみずみずしく描く自伝小説。80歳を超えているとは思えない文章!
《書評2》沖縄の戦中戦後を生き抜いた子供たちの物語。本土への疎開、対馬丸、ひめゆり、集団自決についても語られる。戦後、遺骨を集めガマに納める元軍曹の話、身売りや軍の物品横流しなどの危険行為をしながらたくましく生きる若者の話など、かなり濃い内容。子どもたちがガジュマルの樹上に作った秘密基地「キジムナーハウス」に集まり、明るくたくましく成長していく。
《書評3》「腹をすかした裸足の子供たちは、キジムナーkidsになって子供なりの知恵で大人たちの目を盗み、アメリカ軍の目を盗み、欲しいものを手に入れた。それは巨大で計り知れない進駐軍の迷路をさまよう日々でもあった。しかし子供達は目を輝かせて毎日を刺激的に生きていた」「戦争に生き残ったこどもたちは、戦後の混乱にも、進駐軍の圧力にも潰されることはなかった。そんな子供達を軸に戦中戦後の沖縄を書こうと思った」(著者「あとがき」)

(74)-14 「沖縄を舞台にした作品」③真藤順丈(1977-)『宝島』(2018):終戦から沖縄返還までの、ある英雄をめぐる仲間たちの青春物語!
L-15  真藤順丈(シンドウジュンジョウ)(1977-)『宝島』(2018、41歳)(直木賞受賞)は、占領下の沖縄を舞台に、米軍基地から物資を奪って姿を消した伝説のヒーローと、残された若者たちを、本土復帰運動などもからめて熱っぽく描く。(262頁)
《書評1》琉球・沖縄の戦後の熱量、混沌が吹き荒ぶ物語。アメリカから物資を奪い分配する「戦果アギヤー」の英雄オンちゃんの魂を追い、グスク・レイ・ヤマコの物語が交差し加速する展開。そして、実際にあった出来事(B52の墜落、毒ガス流出事件、コザ騒動・・・・)を絡めながらこの時代の沖縄を圧倒的熱量で書き上げた著者が、沖縄ではなくて東京生まれなのには驚いた。この小説を読んだ後は、沖縄に対する見方、想いが変わる。
《書評2》学校で学んだ程度の知識しかなかった戦後の沖縄。胸が張り裂けそうな描写がいくつもあり何度も涙を流した。そんな過酷な状況下で、主人公達「ウチナンチュ」の懸命に生きる姿に心を打たれる。沖縄弁で語られるのがまた良い。全日本人が読むべき物語。
《書評3》太平洋戦争で日本が敗北し、沖縄はアメリカの統治下となり、1972年に日本に返還された。その終戦から返還までの、ある英雄をめぐる仲間たちの青春物語。読みづらい箇所があったが、沖縄の悲しい歴史は理解できた。 米軍基地は現在も存在し、今も日本はアメリカの傘の下に守られ、それは沖縄の犠牲で成り立つ。これでいいのか私には疑問だ。

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