宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『決算書でよむ企業と業界力』國貞克則(1961生)、2010年、KKベストセラーズ

2010-05-30 12:39:17 | Weblog
 Ⅰ 決算書(財務諸表)は簡単に読み解ける
 Ⅰ-1 基本財務3表は①PL、②BS、③CSからなる。
 PL(Profit & Loss Statement)は「損益計算書」で、総計が「売上高」である。売上高-売上原価=「売上総利益(粗利)」。売上総利益-販売費及び一般管理費=「営業利益」。これから利息収入など営業外利益・費用を差し引けば「経常利益」。さらに土地や株の売却益・損など特別利益・特別損失を差し引くと「税引前当期純利益」。そして法人税等を差し引くと「当期純利益」である。
 BS(Balance Sheet)は「貸借対照表」。右側は「総資本」である。どうやってお金を集めてきたかが示される。「負債」+「純資産(資本金+利益剰余金)」からなる。左側はその集めてきたお金が何に投資されたかを示す「総資産」(流動資産+固定資産)である。
 CS(Cash Flaw Statement)は「収支計算書」。営業、投資、財務の収支計算書からなる。例えば、「営業-、投資+、財務+」はダメ会社のCSである。営業キャッシュフローのマイナスは儲からないことを示す。投資キャッシュフローのプラスは土地・株券など資産の売却。財務キャッシュフローのプラスは借入金・社債で資金を集めたこと示す。
 
 Ⅰ-2  ROE、レバレッジ比率、総資本回転率、当期純利益率:PL、BSからの4つの数字が事業の効率を示す
 「ROE(Return on Equity、自己資本利益率)」が株主にとって最も重要。これは「当期純利益/自己資本」(ROE(2))である。ただし簡便式ではROEは「当期純利益/純資産」(ROE)となる。
 資産取得のための資金を調達するフェーズでは「レバレッジ比率」がある。これは「長期他人資本/自己資本」(レバレッジ比率(2))である。ただし簡便式では「有利子負債/純資産」(レバレッジ比率)となる。
 資産を売上に変えるフェーズでは「総資本回転率」がある。これは「売上高/総資本(=総資産)」である。
 売上を利益に変えるフェーズでは「当期純利益率」がある。これは「当期純利益/売上高」である。
 
 Ⅰ-3 例:キリンビールの財務分析
 PL、BSを図表にする。キリンは利益剰余金がたっぷりある。流動比率(流動資産/流動負債)が100%以上でよい。自己資本比率は上場企業平均の約37%より高くて良い。
 CSでは2007年、営業キャッシュフローの2倍以上のお金が投資に回る。キリンは積極的に投資し拡大戦略を取る。東南アジアに進出、また医薬品分野でも拡大戦略。
 アサヒがスーパードライの成功で総資本が大きくなる。
 キリンが投資増で売上高増。

 Ⅱ 財務諸表と株式指標の関係
 配当とは何か?当期純利益は一部が配当となり残りが利益剰余金として会社に積み立てられる。配当性向は配当総額/当期純利益(=1株配当/1株益)である。日本では連結配当性向が20%程度である。
 「ROE(Return on Equity、自己資本利益率)」が大切。Ⅰ-2参照。これは「当期純利益/自己資本」(ROE(2))、または簡便式で「当期純利益/純資産」(ROE)である。定期預金ならその利率に相当する。
 「PBR(Price Book-value Ratio、株価純資産倍率)」は市場の評価を表す。これは「時価総額/純資産(資本金+利益剰余金)」である。帳簿上の純資産の価値が株式市場でどのくらいの評価を受けているかを示す。 
 「PER(Price Earning Ratio、株価収益率)」は市場の見通しを示す。これは「時価総額/当期純利益(=株価/1株益)」である。

 Ⅲ PL(Profit & Loss Statement、損益計算書)、BS(Balance Sheet、貸借対照表)、CS(Cash Flaw Statement、収支計算書)から企業・業界を見る
① 「放送」は利益漸減。特に2007年以降は経常利益が急激な下降線。広告収入の落ち込みがひどい。なおフジテレビが売上高最大。
② 「医薬品」はがっちり利益を貯め込む。粗利(売上総利益)率が極端に高い(売上高の約80%)。巨額の研究開発費(売上高の20-30%)が必要なためである。最大手は武田薬品工業。
③ 「海運」(日本郵船・商船三井)、「航空運輸」(JAL、ANA)はともに設備産業で似ている。航空運輸は利益剰余金が圧倒的に少ない。
・JALの問題:(1)確定給付型年金の積み立て不足、(2) 投資CF(キャッシュフロー)にまわす営業CFが足りない、(3)利益率が低い。
・商船三井は設備産業でかつ優良なので営業CFとほぼ同額を投資CFに回す。利益率が高い。ROE(自己資本利益率)も高い。ただし2009年はリーマンショックの影響で借金が増え財務CFがプラスである。
④ 「スーパー」、「百貨店」:笑うスーパー2強(セブン&アイ、イオン)と苦しむ百貨店(三越伊勢丹、高島屋)。スーパーは売上高が百貨店の4-5倍である。
⑤ 「畜産加工食品」、「調味料」:両食品業界は1社突出である。各々、日本ハムと味の素。ただし両社とも利益を犠牲にしてシェアを守る。食品業界は景気変動の影響がほとんどない、つまり売上高が変わらない。
・プリマハムとキッコーマンは利益率が高くPBR(株価純資産倍率)も高い。
⑥ 「コンピューター・電機」、「民生用電気機器」:これら業界は景気変動の影響を大きく受ける。リーマンショック後の2009年、各社とも莫大な赤字。輸出比率が高いためもある。
・コンピューター・電機業界のトップは日立製作所。東芝はPBR(株価純資産倍率)が群を抜いて高い。原発のウェスティングハウス買収、太陽光発電のためだろう。
・前者の業界でNEC、後者の業界で三洋の業績が振るわない。
・ソニー(民生用電気機器)だけは銀行・保険などサービス産業に積極進出する。
⑦ 「鉄鋼(高炉)」、「化学」は日本の装置産業の代表である。ともに莫大な有利子負債で事業運営。BPによれば総資本最大はそれぞれ、新日本製鐵、三菱ケミカルである。
・経常利益率は、鉄鋼5-20%に対し化学4-10%と異なる。
・新日鐵は将来、粗鋼生産量で韓国・中国に抜かれる。世界1はインドのアルセロール・ミッタル。鉄鋼(高炉)の技術力は日本が世界1である。
⑧ 「製紙」、「繊維」も装置産業。製紙業界は厳しい状況でPBR(株価純資産倍率)が低い。BSつまり総資本で業界1位王子製紙、2位日本製紙。
・繊維業界で大きく1位は東レである。
⑨ 「不動産」(三井不動産、三菱地所、住友不動産、東急不動産)はBS(総資本)が大きいのにPL(売上高)が小さい。つまり総資本回転率が小さい。金融業に似るが、自己資本が小さい金融業の方がROE(自己資本利益率)は良い。
・不動産業界は莫大な賃貸物件(固定資産)そして借金を抱える。売上高は賃貸料が主で小さい。
⑩ 「総合建設」:ゼネコン業界は4社横並びである。鹿島建設、清水建設、大林組、大成建設。パレートの法則(べき乗則)が成り立たない。普通、上位2割の会社が8割の売上高を占める:80対20の法則。

 Ⅳ 業界に横串を入れて比較する: PL(売上高)、BS(総資本)、CS
 PL(売上高)、BS(総資本)では電機メーカーの規模が大きい。1位日立製作所、2位パナソニック。日立の売上高は10兆円である(2009年)。
 ただしトヨタは別格で売上高20兆円、総資本29兆円。日立の総資本は9兆円。
 ROE(自己資本利益率)は武田薬品、日本郵船、新日鐵が高い(トップ3)。「海運」、「鉄鋼」は売上高も伸び、投資先としてよい。
 視野を海外に広げると「医薬品」ファイザーのBS(総資本)は10.0兆円、武田薬品は2.7兆円。「鉄鋼(高炉)」アルセロール・ミッタルのBS(総資本)は11.9兆円、新日鐵は4.9兆円である。

 Ⅴ おわりに
 規模(売上高orシェア)が大きくても利益を出せない企業は無価値である。
 日本企業は国内市場だけでは成長戦略を描けない。グローバルな視点が必要。
 PL(売上高or利益)だけでなく投資とリターン(BS、CS)が重要。ビジネスマンは財務諸表が読めなければならない。
 お金を集める→投資する→利益を上げるが、財務諸表の骨格である。

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『世界を知る力』寺島実郎(1947生)、2010年、PHP新書

2010-05-24 23:02:03 | Weblog
 固まった世界認識を変える必要がある。鈴木大拙が「外は広く内は深い」と言うように、固定観念からの脱却が必要である。
 
 Ⅰ ロシアという視界
 戦後日本人は特殊でありアメリカを通じてしか世界を見なくなった。
 実はロシアとの関わりがアメリカより長い。1705年、ピョートル大帝がサンクト・ペテルブルグに日本語学校を設立した。ロシアは極東進出を目指した。漂流民がロシア軍人に日本語を教授した。
 1792年、初の遣日使節ラクスマンがロシアから来る。大黒屋光太夫の帰国に際しエカテリーナ女帝が通商を求めた。1804年、レザノフが来航。漂流民4人を連れてくるが彼らが初めて世界一周した日本人である。幕府は通商を拒否するが北方の脅威に目覚める。ペリー来航50年前である。
 日米和親条約で1954年、箱館開港。ロシアが1860年、ウラジオストク建設着手。極東にはウクライナからの農業移民が多い。ロシア革命後は白系(反共)ロシア人、シベリア送りされたロシア人、さらにヒトラーと手を結んで独立を目指したウクライナ人が極東に追放された。

 Ⅱ アジア・ユーラシアの視点
 ユーラシアと日本とのつながりは深い。2500年前の孫子・孔子が今も生きる。七福神はヒンズー教、仏教、道教の和気藹々の混淆である。空海は中国から仏教とともに土木技術など先端技術を日本にもたらす。当時、日本の人口が500万人の時代に長安の人口は100万人であった。
 日本人は日清戦争に勝ち中国を侮蔑する。戦後はアメリカ崇拝で第2次大戦はアメリカの物量に負けたと思い、米中の連携に負けたと思わない。
 1912年、与謝野晶子がパリに行くのは新橋・敦賀・ウラジオストク・シベリア鉄道経由だった。日本にとってはアジア・太平洋でなく本来、アジア・ユーラシアが中心である。
 
 Ⅲ ネットワーク型視界
 地政学的「グレート・ゲーム」の視界でなくネットワーク型・地下水脈型視界が重要である。
 (1)大中華圏:広義のチャイナ
 中国、台湾、香港、シンガポールが大中華圏である。中国のエレクトロニクス産業で輸出の半分は中国に進出した台湾企業のものである。
孫文は1912年中華民族について「五族協和」と漢・満・モンゴル・チベット・ウイグルをあげた。
 胡錦濤(フーチンタオ)国家主席は2008年、北京オリンピックを「中華民族の歴史的成果」と述べた。大中華圏を意識していたかもしれない。
 シンガポールは大中華圏の研究開発センターである。Ex. 先端医療など。
 ポスト冷戦で中国が台頭できた理由:①1989年、体制側の過剰な恐怖にもとづいたとはいえ天安門事件で学生の民主化要求を弾圧したこと、②香港問題(1997返還)・台湾問題をうまく切り抜けることができたこと。

 (2)ユニオンジャックの矢
 ロンドン→ドバイ→バンガロール→シンガポール→シドニーと結ぶ線はイギリスの影響力の大きさを示す。
 ①ロンドンがアジアからの人の流れを取り込む。イギリス・シンガポールのオープンスカイ協定(発着枠・路線などの自由化)が重要。
 ②ドバイが「中東の金融センター」になったのはシティの金融エンジニアリングとの提携で可能になった。
 ③バンガロールはインドのIT革命の基点であり、シンガポールと大容量光ファイバー回線で結ばれる。
 ④シンガポールはインド、オーストラリアをASEANにつなぐ基点。もちろん中国をASEANにつなぐ基点。さらに大中華圏とユニオンジャックの矢という二つのネットワークが交叉する一大中継点でもある。シンガポールは「頭脳国家」(バーチャル国家)である。  
 ⑤シドニーが世界の成長センターをつなぐユニオンジャックの矢の終点である。
 英連邦加盟国の情報密度の高さは有利である。英語・文化・法制度の共通性。

 (3)ユダヤ・ネットワーク
 世界を変えた5人のユダヤ人のジョーク:人間の本質についてモーセが理性、キリストが愛、マルクスが経済、フロイトが性欲と主張するとアインシュタインが相対的だと言う。
 ユダヤの陰謀説はありえない。ユダヤ人は誇り高い個人主義者であり陰謀などという「愚か者の集まり」には参加しない。
 ユダヤ・ネットワークの基軸は国際主義と高付加価値主義である。①国際主義としては彼らは国境にとらわれずグローバルな価値を重視する。②高付加価値主義で教育投資をする。科学技術、金融、医学、法律、芸術など。

 (4)パラダイム転換:大規模集中型文明から分散型ネットワーク社会へ 
 90年頃からのIT革命で80年代のアメリカ衰亡論(Ex. 1975年サイゴン陥落、1985年プラザ合意など)が終わる。冷戦終了が軍用技術の民生転換をもたらしIT革命が起こる。
 オバマ大統領のグリーン・ニューディールはイラン、ベネズエラを念頭に置いた石油安全保障論に由来する。太陽光・バイオマスは小型分散で非効率に見えるが電気時自動車の時代には強みである。1908年に始まるT型フォードと石油の時代が今や終わりつつある。
 IT利用の次世代双方向送電線網(スマートグリッド)構想が実現すれば太陽光・バイオマスも効率化する。

 Ⅲ アメリカ型競争主義・市場主義の終焉
 2009年夏、「格差社会の是正」「米国との対等な関係」をかかげた民主党が総選挙で勝利する。小泉内閣的な競争主義・市場主義の時代が終わる。
 1990年代のアメリカのIT革命・グローバリゼーション(アメリカ一極支配)にひきずられ、日本はアメリカ依存という冷戦思考にとどまる。
 日本をアメリカのように変えなければならないとの強迫的改革幻想により1990年代、日本は漂流する。
 クリントン政権(1993-2001)はアメリカ企業の日本参入のため「年次改革要望書」(1994年が最初)を日本に提示する。日本に「改革」を要求。以後「改革」がお題目となる。細川の政治改革、橋本の行政改革など。
 最も苛烈なのが2001年対日要望「規制改革及び競争政策イニシアティブ」だった。グローバリゼーションのもと競争主義・市場主義を徹底しアメリカ企業の参入を要求する。 
 しかしアメリカはイラクと、サブプライムで失敗する。日本の「改革」のご本尊がオバマの「チェンジ」で消失する。
 麻生首相が「市場原理主義からの決別」を表明し、その後、民主党政権に移行した。

 Ⅳ 日米中トライアングル
 アメリカはもともと米中関係重視である。
1898年、米西戦争に勝利したアメリカはグアム島、フィリピン諸島を手に入れる。中国進出を開始し門戸開放、機会均等を唱える。
 タイムワーナーの創始者でメディアの帝王ヘンリー・ルースは中国生まれで中国に親近感を抱く。かれは1930年代にアメリカで、反日親中国の世論を作り蒋介石を支援する。米中が連携して日本を倒したのが太平洋戦争である。
 ところが中国に共産党政権が成立し、ルースを頭目とするチャイナ・ロビーが皮肉な決断をする。共産中国を封じ込めるため日本を西側陣営に取り込み戦後復興させる。
 「二つの中国」が日本に戦後復興をもたらす。米中(蒋介石)が仕切れば日本の復興は30年以上遅れたはず。米の投資と支援が中国に向かったからである。
 アメリカのアジア政策が常に日米を基軸とすると考えるのは幻想である。まして日米の力で新たな脅威、中国と対峙するなどという議論は歴史認識を欠く。
 世界の米中「G2化」は必然。例えば中国は市場として大きくアメリカの雇用問題に直結する。日本は日米中トライアングルという世界認識を持つべきである。

 Ⅴ 分散型ネットワークの時代
 アメリカ流金融資本主義の世界化としてのグローバリゼーションは失敗した。
 G8からG20への移行に見られる「多極化」こそが新たなグローバリゼーションである。
 消費財輸入、その生産・輸出、次いで生産財の輸入、その生産・輸出と各国が順繰りに経済発展していくとする「雁行形態論」がある。
 しかし今やアジア経済は域内貿易比率が高まる。相互に活発な貿易を交わすネットワーク型相関の中で経済発展する時代である。
 分散型ネットワークの時代に、日本はネットワーク型視界を持ちつつ「高度なものづくりの産業基盤と技術力をもつ国」として自らの役割を果たすべきである。

 Ⅵ 「東アジア共同体」の理念
 日本はアメリカをアジアから孤立させないため「親米入亜」の道を進むべきである。
 しかし「日米安保=ビンのフタ論」に見られるように、中国・韓国は日米安保こそが日本の軍事大国化を防ぐと考える。
 相互不信解消のための「東アジア共同体」の理念が重要である。

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『国家論:僕たちはいま、どこに立っているのか』田原総一郎、姜尚中、中島岳志、2010年、中公新書

2010-05-16 22:09:54 | Weblog
 Ⅰ 90年代半ばの変化
 ボーダーレスといわれながらむしろ国家が意識されるようになる。
 ネオコンはマーケット・エコノミーと国家主義の融合。
 日米貿易摩擦で兄貴分のアメリカが日本に文句をつけ、例えば92年の大店法改正で地方の商店がつぶれバイパスの周りが同じ風景となる。こうして国家が論じられるようになる。
 89年の東欧自由化、91年のソ連崩壊が自明のものを不安視させ国家論へ向かわせる。89年は天安門事件、またリクルート事件による竹下辞任の年でもある。
 日本では1991年湾岸戦争が国家を論じる決定的契機となる。武村正義が“小さくともキラリと光る国”について述べたのは1994年。小沢一郎が個人に基づく“普通の国”を論じたのが1993年。“普通の国”論は小泉改革に当たる。
 小沢一郎が小選挙区制を導入するが、権力の源泉が選挙にあるから選挙のルールを変えるとの発想による。
 日本の政治は学歴(官)、マーケット、金権(政治家)の中で動いている。

 Ⅱ 冷戦が終わり日本はどうしていいかわからない  
 冷戦下、米国依存で日本は何も発言しないですんだ。だから日本は西側だけでなく東側もマーケットに出来た。当時、日本は国家についても、安全保障についても考えなかった。冷戦が終わり日本は困る時代になった。
 冷戦後、新自由主義のサッチャーは徹底している。「社会」は存在しない、存在するのは「個人」と「家族」だけだと言う。 
 冷戦後のこの状況は日本にとっては昭和10年代と似る。かつての日英同盟が1921(大正10)年に解消し、昭和10年代、満州事変をめぐりイギリスが日本の敵になる。日本はどうしていいのかわからなくなる。現在は危うい時代である。アメリカはイラクで失敗し、リーマン・ショックで失敗しモデルにならない。
 日本にナショナリズムの危険がある。
 1933(昭和8)年に国際連盟を脱退したとき松岡洋右は袋叩きにあうと恐れていたのに国民から熱狂された。これが日本の“孤立”へのターニング・ポイントとなる。

 Ⅲ テロの可能性とエモーショナルな世論
 第1次大戦の1911-18年は成金と同時に河上肇の『貧乏物語』(1916年-)の時代。そして戦後不況とテロの時代に移行する。1921年、安田善次郎暗殺がテロの開始を告げる。
 大川周明の5・15事件(1932(昭和7)年)の調書によれば彼は革新勢力を5つに区分する。①アナキズム(Ex. 大杉栄)、②国家社会主義(Ex. 高畠素之)、③社会民主主義、④共産主義、⑤猶存社(ユウゾンシャ)=右翼=日本的革新:但し大川は天皇に心酔したが北一輝は天皇を道具とした。
 オピニオンでなくセンチメントな世論が危険である。例えば拉致問題への日本のエモーショナルな対応を韓国は呆然と眺める。
 第2次近衛内閣の1940年、大政翼賛会を支えたのは左翼=無産政党である。左翼的革新思想、左翼的設計主義が満州事変・大東亜戦争を引き起こした。

 Ⅳ 国家と公(公共性)
 国家のみが暴力を合法的に占有できる。政治は言葉である。暴力=テロをコントロールする必要がある。
 年寄りは全員が「戦争に負けてよかった。平和になり豊かになった」という。バブル崩壊後の若い10代の生徒は生活がどんどん悪くなっていくと思う。1980年代以降生まれは、ものは食えるし民主主義だが豊かさを感じない。
 日本のリーダーは、リーダーというより調整する世話役だった。
 公とはまず国家である。国家が秩序を守り再分配する。ネイション(国家)はパトリ(郷土)とは異なる。
 しかし公は国家に回収されない。小林よしのりは、公は国家であり大東亜戦争の時代、みな生き生きしていたと言うが、ハーバーマスは権力を監視する公共性があると主張する。

 Ⅴ 天皇制
 皇室(天皇)は男系でなく直系のほうが、レジティマシーがある。
 岸信介と北一輝は設計主義者で共通である。天皇は使うもので心酔するものではないと考える。今、岸の考えが再登場しつつある。 
 共和制より立憲君主制の方が政治的に安定する。二つの中心、天皇と首相で安定。例えば、小泉、安倍、麻生大統領では危ない。
 日本が戦後、共産主義にならなかったのは天皇制のためである。
 天皇制は「一君万民」で平等を担保する装置。
 右翼は近代国家に懐疑的で、アナーキストに親近感を持つ。例えば三島由紀夫と全共闘。 天皇様と国民があればよいとする天皇アナーキズム、あるいは村落アナーキズムが右翼の原理。
 今の右翼的保守はアメリカ印の天皇に懐疑的である。

 Ⅵ 希望のない時代と若者
 1995年、日本経団連の雇用の3形態レポートが非正規・派遣の問題を生み出す。「高度な技術者」・「ホワイトカラー」・「柔軟型雇用」(非正規・派遣)が区別される。
 冷戦が終わって安心だったアメリカ依存も終わる。日本人が不安になった。誰かに断定してもらいたい。松本人志『遺書』(1994)が断定本の始まり。
 バブリーな状況は90年以後も政府の借金で続く。ジュリアナ東京は1991年オープン、閉鎖が94年である。98年から自殺者が年3万人になる。
 1996年、「新しい歴史教科書を作る会」が結成される。自虐史観批判。93年に従軍慰安婦問題で河野官房長官のお詫び談話があり、95年に村山首相が侵略行為・植民地支配への反省・お詫び談話がある。
 若者は反乱でなく自殺する。雨宮処凛は「ミニスカ右翼」から反貧困ネットワークでデモ、新しい労働運動を始める。
 ポスト・モダン、ニューアカデミズムが反乱を起こさない若者を思想的に作った。「世界の本質」はない、すべては「言葉によって名づけられたもの」、だから「戯れて生きる」しかない。
 『なんとなく、クリスタル』(田中康夫、1981年)の消費主義、全共闘は「ダサい」、「引き受けない」、デリダの「宙吊り」、『逃走論』(浅田彰、1984年)と続く。
 依拠するものがなくなり不安になった若者がオウムへ逃げた。
 宮台真司が1995年頃、「意味」を求めず楽しく「まったり」生きると述べ登場する。
 若者はしかし再び「意味」を求める。「自分探し」が始まる。
 ポスト・モダンの「空白」に1995年、現れた小林よしのりのゴーマニズムに若者が惹かれる。今、ネットを見ると若い世代は、真ん中より右である。
 大川周明、岸信介は第1次大戦のロースト・ゼネレーションである。
 「希望がない」時代の最後の希望は「愛」である。愛とは「ここで生きていいよ」といろいろな人から承認されることである。
 戦争を欲するのは承認してほしいという問題である。

 Ⅶ ファシズム、ナショナリズム、左派と右派
 2009年の政権交代後、民主党もだめだとカリスマ待望論、ファシズムになる。
 「4島返還」以外だと右バネのナショナリズムが働く。
 ポピュラー・センチメントが怖い。1933年の松岡の連盟脱退のときがそうである。
 18世紀の国民国家成立のとき、ナショナリズムとは民衆の主権要求であり国家が王のものでなく国民のものと主張された。典型がフランス革命である。
 ネイションが成立すると、王がレジティマシーの源泉を神でなくネーションに変更し、主権を民衆から王にのっとる。
 左派は設計主義的・合理的で理性を信頼する。一方で左派は国家による再分配を主張し、他方でアナーキズムが国家によらない市民の平等な社会を性善説に立ち主張する。
 右派は理性を疑う。人間は不完全な社会を行き続けるしかなく徐々に変えていくしかないと述べる。人智を超えた宗教・慣習に依拠する。例えばイギリスのバーク。
 右派の3タイプ:①漸進的な改革の保守、②理想的過去回帰の右翼、③市場原理主義の新自由主義。

 Ⅷ 現代の政治問題:二大政党制、自民党、左翼の問題点、既得権バッシング、エモーショナルな問題、徴兵制、世論、新自由主義、消費税増税、シニシズム
 (1)二大政党制
 2009年、政権交代で民主党政権が成立。今後は右派保守と左派社民の対立が望ましい。
 (2)自民党
 「みんな抱きこむ」自民党、「国民の面倒を見る政党」、「総合デパート」の自民党は小泉政権のとき終わる。インとアウトが区別されるようになった。
 自民党は2009年麻生政権が新自由主義・市場原理主義から決別した。理由は①格差、②2008年9月リーマン・ショックである。
 (3)左翼の問題点
 労働組合が正規労働者と非正規労働者を分ける。
 左翼には運動圏から制度圏への移行がなかった。共通点を探す努力が必要である。団塊の世代は「昔は暴れた」とくだらないことを言いながらがちがちに管理的である。
 (4)既得権バッシング
 新自由主義、既得権バッシングをやりすぎると国家の本質、権力独占と再分配による秩序維持を解体してしまう。
 (5)エモーショナルな問題
 エモーショナルな問題が政治の流れを決定する。
 日本では在特会(在日特権を許さない市民の会)、外国人参政権、夫婦別姓、死刑存廃の問題。なお、日本の伝統は夫婦別姓であり、夫婦同姓の伝統は明治の家制度に始まる。
 欧州・英国では外国人労働者問題、同性愛、未婚の母、フリーセックスなどがエモーショナルな問題である。サッチャーがヴィクトリア朝的リゴリズムでこれに対応した。
 (6)徴兵制
 国家は2つの義務を課す。課税と徴兵。
 9条を守って国民皆兵の民兵としゲリラ戦で日本を防衛すべき!?
 (7)世論
 世論で日中戦争が拡大した。近衛も広田も抗えなかった。
 (8)新自由主義
 新自由主義は競争、競争で冷たい社会を作る。しかし人が助け合わないで国家だけでは社会保障など高くつきすぎる。
 (9)消費税増税
 消費税増税で国の借金を減らすべき。
 増税をして再分配するのが国家の役割。2009派遣村問題以後、政府は再分配政策へ転換した。
 (10)シニシズム
 民主党の政権交代が失敗するとシニシズムへ、カリスマの期待へと移行する危険あり。

 Ⅸ 日本とアジア
 Ⅸ-1 愛国主義(ナショナリズム)
 愛国主義(ナショナリズム)と国民主権(デモクラシー)は歴史的に一体だった。国家が王のものでなく国民のものだとの理念が国民国家を生む。フランス革命がその典型である。
 明治維新は「一君万民」の理念が平等な万民を生む。反徳川・反封建制。
 反藩閥の理念が正当にも「愛国」主義だった。国家は藩閥のものでなく国民のものである。
 Ⅸ-2 アジア主義
 玄洋社(頭山満)のアジア主義は国内的に反封建・対外的に反植民地主義である。
 1924年の孫文の大アジア主義演説で日本は西洋の犬になるのか(侵略・覇道)アジアの城(連帯・王道)となるのかとの問に、頭山満は「日本国民が許さない」と覇道(21か条要求支持)をとる。頭山はむしろ「日本国民を説得する」と連帯を取るべきだった。
 インドのボースも1924-25年頃、日本に落胆する。
 竹内好はアジアとの連帯を追求した。
 今、世界は3極に向かいつつある。米国、EU、そして3極目がアジア、中・韓・印・日である。
 Ⅸ-3 首相たちのアジア主義
 岸信介は反共、ナショナリズム、アジア主義である。満州国で岸資金があった。米国と岸は反共でつながる。岸信介は北一輝の影響を受けた国家社会主義者である。左翼的設計主義的理性主義者である。
 鳩山一郎は1955年のバンドン会議に参加しアジアに近づくことでアメリカを牽制しようとした。
 アメリカと距離を置くとき日本はアジアに近づく。Ex. 岸、鳩山一郎、鳩山由紀夫。
 Ⅸ-4 中国の国家資本主義
 1928年からのソ連の第1次5ヵ年計画は国家の統制経済の典型である。
 資本主義には国別のタイプがある。アメリカ型、フランス型など。
 「中国の時代」論の中国は国家資本主義である。
 2008年のアメリカの経済破綻後、世界は統制経済化しつつある。
 Ⅸ-5 日本のアジア戦略
 大平正芳が1978-80年、環太平洋連帯構想を提案。アメリカを含めた上で共産中国を取り込むアジア主義の一種である。
 反米のアジア連帯は良くない。
 米中はともに覇権国家である。その間で日本は非覇権国家としてアジアをまとめる。
 Ⅸ-6 韓国と日本
 韓国は雇用なき経済、派遣・低所得労働者問題で日本と同じである。
 韓国の「反日」デモは実は「反政府」デモであることも多い。
 対中国として日韓の連携が必要である。
 Ⅸ-7 アジアを思想的に問う
 インドは2010年で経済自由化から20年になる。
 “近代を問う”オルタナティヴ・モダニティとしてアジアを思想的に問う必要がある。
 Ⅸ-8 日本・アジア・アメリカ  
 日本の「国体」は天皇制から、戦後、日米重視&官僚制へ移行した。
 今後、日本はアジアとアメリカに両属すべきである。
 経済では日本は成熟し今後、経済成長しない。中国・東南アジアが経済成長する。

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怒りは形がない!怒りが私の心の中を漂う!

2010-05-11 22:39:24 | Weblog
 解けない過去。どうにもならない状況。何に怒る?怒る相手がいない。自分が怒りの対象でもない。怒りが宙吊り。怒りが中空をただよう。
 自分はどこにいる?身体がここにある。世界へと身体の知覚が広がる。心はどこにある?ただよう怒りと心の関係は?怒りと身体との関係は?心の中に身体がある。心の中に怒りがある。
 心の中に怒りも私の身体もあるのに、そして他者の身体さえ私の心の中にあるのに、他者の心だけが私の心の中にない。
 心の中に怒りはあるのに、怒りは形がない。怒りが私の心の中を漂う。

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『アイルランドを知れば日本が分かる』林景一(1951生)、2009年、角川oneテーマ21

2010-05-09 08:25:57 | Weblog
 Ⅰ はじめに
 アイルランドは1801年にイギリスが併合し反英闘争の後、1922年に独立する。面積も人口も北海道とほぼ同じ。現在、アイルランド経済は外資に支えられ、輸出で経済発展する。外国企業の4割はアメリカ企業。
 アイルランドはかつてヨーロッパの最貧国である。イギリス併合時代、イギリス人不在地主により搾取される。アイルランド移民が大量発生。戦後は1973年、EC加盟後奇跡の経済発展で「ケルトの虎」と呼ばれる。
 大量移民の結果、アイルランド系がアメリカに4000万人、世界に7000万人いる。O-(-の子孫)、M-はアイルランド系の苗字である。
 イギリスの過酷な植民地支配を受け「弱きを助ける」伝統がある。PKO に積極参加し移民の受け入れにも寛大である。
 日本は朝鮮支配にあたりイギリスのアイルランド支配を参考にした。

 Ⅱ アイルランドとアメリカ
 アイルランド最大の祝日は3月17日聖パトリック・デイ(アイルランドにカトリックを布教した聖人の命日)、また国の象徴の植物はシャムロック(クローバー)である。
 アイルランドからアメリカに総計700万人が移民。
 1801-1922年イギリス併合時代、アイルランド人はイギリス人とみなされる。
 
 Ⅱ-1 スコッチ・アイリッシュ:長老派プロテスタント 
 独立戦争(1775-83)以前のアイルランド移民(20万人以上)は、長老派信徒が中心でスコッチ・アイリッシュと呼ばれる。当時の13州の人口は250万人。彼らは国教徒でないためイギリスで排斥されたピューリタンである。
 アイルランドが複雑なのはカトリック、国教会信徒、長老派(プレスビテリアン)の三つ巴の憎悪・敵対にある。17世紀半ば、ピューリタンのクロムウェルがカトリックのアイルランドを攻撃、クロムウェル軍の末裔が長老派である。
 アメリカの建国に当たり植民地軍の3分の1はアイリッシュ系だった。ただし中心は長老派信徒のスコッチ・アイリッシュである。
 
 Ⅱ-2 カトリック・アイリッシュ
 1798年のアイルランド対英反乱に敗れたカトリック・アイリッシュがアメリカに逃れる。彼らの共和主義がジェファーソンに影響を与える。彼に敵対するフェデラリストは反アイリッシュ移民政策をとる。ジェファーソンが1801年第3代アメリカ大統領となりフェデラリスト(第2代大統領アダムズ)は敗北。
 カトリック・アイリッシュのアメリカへの移民第1波は1815-1830年の100万人である。これはフランス革命・ナポレオン戦争後の不況の時である。儲かる牧畜のため北アイルランドのイギリス人不在地主が農地を囲い込み、アイリッシュの小作人を追い出し食い詰めた彼らがアメリカに向かった。
 移民第2波はジャガイモの疫病によるアイルランドの大飢饉(1845-49)の時である。数年で100万人が流出する。移民船は船底で移民者全員が死ぬこともあり棺桶船と呼ばれた。
その後も約1世紀にわたり500万人が流出しアイルランド移民は総計700万人に達する。
 1870年代、カトリック・アイリッシュは勤勉なプロテスタントと異なり“怠惰で酒飲みのカトリック”と差別された。彼らは金を得るため南北戦争の兵士になり、また騎兵隊に多くが入隊する。3k仕事の警察・消防にはアイリッシュが多い。
 彼らは反英闘争の「フィニアン団」を支持する。
 アイリッシュの生んだ最大のスターがジョン・ウェインである。
 20世紀、タイタニック号の船底にいたのはアイルランド人移民である。
 なお、18-19世紀にオーストラリアに流された囚人のかなりの部分は反英闘争を戦ったカトリック・アイリッシュだった。4万人といわれる。
 アイリッシュは民主党と強い結びつきをもつ。NYのアイリッシュの組織「タマニー・ホール」は民主党の政治マシーンであり就職の世話・公共事業の配分を行う。シカゴの「デイリー(市長)・マシーン」がケネディとオバマを強力に支援した。
 カトリック・アイリッシュの星がJFK、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ。WASPでないカトリックは大統領になれないとの不文律を彼が破る。
 
 Ⅲ アイルランドとイギリス
 アメリカが移民先の友好国であるのに対し、イギリスは最も近く最も憎い国である。
 
 Ⅲ-1 先史・古代・中世のアイルランド
 アイルランドには5000年以上前からの先ケルト文明がある。例えばダブリン郊外ニューグレンジに巨大石造古墳がある。ローマ人は先ケルト文明の国を「エール」と名づけた。
B.C.4世紀にケルト人がアイルランドを征服する。
 A.D.5世紀に聖パトリックがアイルランドをカトリック化する。アイルランドは「聖人と学者の島」と呼ばれた。なお土着信仰「ドルイド」の神々は妖精として生き延びる。
 10-11世紀、バイキングの襲来でアイルランドが荒廃する。
 12世紀になるとプランタジネット朝を開いたヘンリー2世がアイルランド王を称し侵略。

 Ⅲ-2 16世紀末以降のアイルランド
 16世紀末からのチューダー朝期に土地収奪が進む。イギリスは国教会が成立し、カトリックから分離。カトリックのアイルランドは容易にスペイン、後にはフランス前進基地になりうると警戒された。
 17世紀初頭、アイルランド豪族オニールがスペインと結び反乱を起こす。
イギリスの清教徒革命を好機ととらえたカトリック・アイルランドの反乱を、クロムウェルが鎮圧・虐殺する。彼は悪魔の代名詞となる。
 カトリックのジェームズ2世を支持した党派がトーリー(保守党)と呼ばれる。トーリーはイギリスでは「アイルランドの盗賊」の意味であるが、アイルランドでは反英闘争を戦った英雄の「仇討ち者」を意味する。なおホイッグ(自由党)は「スコットランドの謀反人」である。
 名誉革命でイギリスを逃れたカトリックのジェームズ2世を追ってウィリアム3世(オレンジ公ウィリアム)がアイルランドを侵略・制圧する。
 フランス革命・ナポレオン戦争期、アイルランドの長老派(国教会と区別されたプロテスタント)がナポレオンと手を組むことを恐れ1801年アイルランドが併合されイギリスが連合王国となる。
 イギリスによる併合後、アイルランド固有の言語、ゲール語は衰退する。

 Ⅲ-3 17世紀以降のプロテスタントとカトリックの対立、及び北アイルランド問題(1922年以降)
 17世紀以降、クロムウェル、オレンジ公ウィリアムによる征服後のイギリス人支配者が「ニュー・イングリッシュ」である。その主力は国教徒。彼らによりカトリック教徒・長老派プロテスタント(クロムウェルの清教徒の流れを汲む)が差別される。
 アイルランド人がイギリス議会に議席を得るのは1801年連合王国成立後であるが、1829年、カトリック解放令でカトリック・アイリッシュも議席を得る。
 しかし国教徒、後に長老派プロテスタントを含むオレンジ団とカトリックのフィニアン団との対立・闘争が続く。
 1922年のアイルランド(南部26県)独立に際し、プロテスタントが多数を占める北部6県が連合王国に残留する。ここに北アイルランド問題が生まれる。多数派プロテスタントと少数派カトリックの対立である。

 Ⅲ-4 北アイルランド問題の解決:2007年
 1997年ブレア首相が100万の餓死者・100万の移民を出した1845-49年のジャガイモ大飢饉について「今日それを反省してみるにつけ苦痛をもたらすものであった」と実質的に謝罪する。
 1998年北アイルランド和平合意が成立する。殺し合いに嫌気がさしたこと、南の経済発展にあせりを感じたことが契機となる。しかし強硬派が納得せず失敗しさらに10年が経過する。
 2005年、イギリス在郷軍人会アイルランド支部主催の第1次大戦戦没者追悼行事にアイルランド大統領が出席。アイルランド人兵士の名誉回復と追悼を訴えた。彼らはアイルランド自治獲得促進の意志をもって参戦したのにそれまではイギリスへの協力者と非難されてきた。
 2007年2月、クローク・パーク競技場でのワールドカップ・サッカー試合、アイルランド対イングランド戦が平穏に行われる。イギリス国歌の演奏に当たりアイルランド側から一つのブーイングもなく、イギリスとアイルランドの歴史的和解の象徴となった。この競技場は1920年の独立戦争のときイギリス軍がゲーリック・フットボール観戦中のアイルランド人を虐殺した場所で反英闘争の聖地である。
 同年3月北アイルランド自治政府が成立。カトリック、プロテスタント両強硬派のトップがそれぞれ首相となった。

 Ⅲ-5 英愛和解のベースにあったもの
 和解は被害者がカタルシスを得ることによってのみ達成される。 
 英愛和解のベースにあったものの一つは、EUに両国が対等に加盟したことでアイルランドが得た自信である。また共通の外交・安保政策、EU軍としての共同作戦などが両国にパートナーとしての信頼感を生み出す。
 アイルランドが一人当たりGDPでイギリスを抜いたことも英愛和解の余裕をアイルランドにあたえた。
 1974年に設定された「グレンクリー平和・和解センター」の活動も重要。ここでは元IRA兵士と過激派ロイヤリスト(英国との統合維持支持者)が泊り込み、ひざ詰めで話し合う。
 英愛関係は日韓関係和解の参考になりうる。
 
 Ⅳ 資源小国、中立政策、PKO参加
 資源小国アイルランドの経済発展は1973年EU加盟後の外資優遇策が奏功する。外資は法人税が12.5%で低い。アメリカは法人税が約30%である。アイルランド経済は90年代に飛躍的に成長した。2008年アイルランドがEUのリスボン条約批准を国民投票で否決した理由の一つに課税権の制限への懸念がある。
 人間以外に資源がないアイルランドは教育に力をいれる。公的教育は大学まで完全無償である。(但し人口は日本の30分の1、約400万人。)
 大英帝国に支配・搾取され「弱者・敗者」を経験したアイルランドは1922年の独立以来、中立政策を採る。独立後、参戦したことは一度もなく英連邦の一員でありながら第2次大戦も参戦を拒否した。
 軍隊は1万人だが、そのうち800人が国連とPKO待機軍協定を結ぶ。小国ゆえの「弱い者の味方」である。

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過去を殺す決断

2010-05-03 00:03:24 | Weblog
 過去を消し去る。終わるのでなく終わらせる。あったものが無になる。景色が消える。当然なものがよそよそしい。人が化け物になる。昼が夜に。腹立たしい過去。過去が敵対する。死んだ過去。時間を皆殺しにする。意味が蒸発する。生きたのに生きなかったと同じ。いた人がいない。

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