死が背後にあって死から生まれてきて、また死に帰る。広大な死の領域。面と向かって馬鹿にされ笑われて激怒する。誤解だ馬鹿にしてない、と言い訳されたがまあ仕方ない。そう言った者とこれからも一緒に顔をあわせていなければならない。それも仕方ない。すべては死である。ほんの一瞬の生である。人を信用するって何なのだろうと思う。人と住むなら細心の注意が要る。今は、気分が最低でどうにもならない。相手も気分が最低で怒っているだろう。もういい。機嫌をとるのはいやだ。相手が出て行くと言ったらそれも仕方ないだろう。どうせ、相手は私が何をしても、死にたいというだけなのだから、どうしようもない。終わりを静かに待つしかないだろう。とにかく今はどうにもならない。
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