宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『ハイエク、知識社会の自由主義』池田信夫(1953生)、2008年、PHP新書(後半)

2010-11-03 23:40:23 | Weblog
 Ⅶ 自生的秩序の進化:ハイエク
 Ⅶ-1 「自生的秩序」としての一定のルール(「見えざる手」)が価格機構を可能にする
 1714年、マンデヴィル『蜂の寓話』は利己心がビジネスを生み出し人々を豊かにすると述べる。
 しかしここには泥棒、贋金は許さないとの一定のルールが「自生的秩序」としてある(ハイエク)。マンデヴィルが「人間の知恵は時間の子である」と述べる。
 ハイエクは秩序をギリシア的に二つに区分。「人為的秩序(タクシス)」(Ex. 官庁、企業)と「自然発生的な秩序(コスモス)」(Ex. 言語)である。
 ハイエクはヒューム「道徳のルールは理性による結論ではない」に従う。
 計画主義の誤りはハイエクによれば人間世界の自生的秩序を人工的な組織の秩序と同一視することにある。
 社会全体に与えられた目的はなく(※ カントの形式的な目的の王国!)、人々は利己心にもとづき行動するので集権的コントロールはできない。各自の行動の合成が意図しなかった秩序or混乱を生み出す。
 マンデヴィルがスミスの「見えざる手」(『国富論』、『道徳情操論』に各1回出てくる)に影響を与える。
 『道徳情操論』は他人に対する「共感」が秩序の基礎と述べる。「共感」とは相手or第三者(※内なる観察者)を意識することである。「社会的自我」が見えざる手である。
 スミスにとって「見えざる手」は神である。神が法則に支配される世界(Ex. ニュートン力学の世界)を作った。世界は自動的にルールにのっとって動く、スミスは理神論を信じる。
 ただしスミスは独占、談合の規制を要求。この限りではスミスは自由放任でない。
 
 Ⅶ-2 ルールなしに市場メカニズムは機能しない
 人々のばらばらな経済行動がなぜ福祉を最大化するのか?
 ワルラス以来の新古典派経済学はニュートン力学(古典力学)をモデルにする。価格の変動を超過需要(需要と供給の差)の関数とすると、価格変動は(ニュートンの運動方程式と同じ)微分方程式で記述でき、一般均衡は連立方程式の解を求める問題となる。
 ハイエクは時間の概念が入っていないと新古典派経済学を批判。
 ハイエクは適者生存の生物学モデルで経済の非効率排除のメカニズムを説明する。
 しかし経済はただの適者生存でなくルールが存在する。Ex. 盗み禁止。Ex. 契約の一方的破棄禁止。Ex. 国家権力の恣意的財産強奪禁止。
 共産圏崩壊後の一挙の市場メカニズム導入を目指したビッグバン・アプローチは、全くの自由放任で失敗。旧ソ連のGDPは半減した。ルールなしに市場メカニズムは機能しない。
 実際、晩年のハイエクは法的な制度設計、議会制度の改革を唱える。
 経済システムの進化にはルールが必要。
 恣意的な官庁の規制、政府の裁量的介入を排し、市場経済のルールを明確化することが重要。
 
 Ⅶ-3 目的を「社会的効用」として集計はできない
 効用は個人間で比較できないので集計は不可能。新古典派でも効用は序数的な概念(選好の順序)としてしか定義できない。しかし人々の選好順序も首尾一貫した「社会的福祉関数」として集計すること不可能。(アロウの不可能性定理。Ex. グー、チョキ、パー)個人の合理的選択を集計して一義的な結果を常に出すメカニズムは存在しない。
 「最大多数の最大幸福」(効用の社会的最大化)をめざす功利主義は不可能。パレート最適のような福祉最大化も不可能。
 望ましいのは自由度を最大化するルール。ルールの功利主義。
 目的さえ決まっていれば社会主義が優れている。
 豊かになり製品が複雑化し変化も激しくなった60年代から社会主義が停滞する。
 資本主義は与えられた目的を最大化することでなく、常に目的を探し変更する自生的秩序として高い成長率を達成。

 Ⅶ-4 個人が欲望のままに行動しても予定調和が生じる:部族社会の利他的遺伝子
 メンバーの利害が一致しない社会では無条件に相手を裏切り続ける「邪悪な」戦略が最強である。
 集団淘汰論は利他的な個体が多いと集団が生き残ると主張。しかし集団内では善良な固体は邪悪な個体に裏切られ淘汰されるので集団淘汰論は不可能。
 血縁淘汰の理論は繁殖力が最大(=自分の遺伝子の拡大力最大)の個体が生き残る。
 ところが細菌が宿主に感染する場合、細菌の繁殖力があまりに強いと宿主を殺し細菌全体=集団が滅亡。
 個体レベルの淘汰と、集団レベルの淘汰の相互作用からなる多レベル淘汰が考えられなければならない。
利己的に行動する経済人は互いの足を引っ張り合い集団を自滅させる。集団同士が戦争状態に常にあるような「部族社会」では集団内に利己的な裏切り者が出ては集団が滅びる。
 人間は何万年も部族社会に生きてきたので利他的な遺伝子がある。これが個人の、欲望のままの行動に枠をはめる。つまりルール、あるいは予定調和の誕生である。

 Ⅷ 自由な社会のルール
 ハイエク『法と立法と自由』(1976, 1979)は自由な社会のために必要なルールが何かについて述べる。
 「約束を守る」、「他人のものは盗まない」が市場経済の秩序を保つルール。
 このルールの欠如が1989年以後の東欧社会主義の市場経済化の失敗の理由である。
 Ⅷ-1 法実証主義批判
 市場経済の秩序を保つルールの問題は法実証主義 legal positivism、言い換えれば実定法(positive law)主義では解けない。
 法実証主義のケルゼンはすべての価値から中立な純粋法学を目指す。法の正統性の根拠は国家の目的に依拠せず、制定手続きの論理整合性にのみ求められる。法の正統性の根拠は伝統や自然権にはない。
 実定法主義のケルゼンはナチ政府の下でも法は法だと述べる。
 法は数学の定理のように具体的な内容(Ex. 人権抑圧、Ex. 非効率な経済運営)と無関係な形式である。実際、ケルゼンの実定法主義は社会主義国の公認の哲学。
 
 Ⅷ-2 分節的知識
 ポラニーの「分節化」の概念によれば分節言語で表現されるのは本源的知識のごく一部。Ex. 自分の顔を言語で表現する困難。またEx. 音楽は楽譜ではない。 
 感覚など本源的知識は「縁辺系」の古い脳がつかさどる。言語など分節的知識は新しい脳、「新皮質」がつかさどる。

 Ⅷ-3 テシス(成文法・実定法)はノモス(慣習法)の上に作られる
 慣習法を国家権力が実定法として表現する。Ex. ハムラビ法典。
 西欧では市民の契約のルール=私法が文書化される。Ex. ローマ法大全。
 また西欧では部族的ゲルマン法、あるいは地域・領主に依存した法から中立・普遍的な教会法が成立し「法の支配」にいたる。
 ハイエクは慣習法をノモス、実定法(legislation, statute)をテシスと呼ぶ。Lawはあいまい。
 大陸法の独・仏は実定法を重視する。
 英米法は慣習法、判例の積み重ねの上に成文法があると考える。慣習法は「常識」の語に近い。テシス(成文法)はノモス(慣習法)の上に作られる。
 例えば、アメリカ合衆国憲法(1779)はもともとバラバラの州法の矛盾を調整するルールである。またアメリカでは法と法の矛盾を解釈する裁判所の立場が強い。
 
 Ⅷ-4 テシス(成文法・実定法)は政府、企業、追いつき型近代化に有効
 実定法(テシス)は企業・政府など一定の目的のもとに組織された秩序では有効。
 新古典派経済学も戦時経済や、企業内の資源配分のように、目的が一定の場合、有効である。
 大陸法はすべての権限が行政に集中しまた国力を総動員する「追いつき型近代化」(Ex. 日本)で有効。実際、英米法のインドは近代化が遅れた。
 日本は教条的な大陸法型で優秀な官僚のエネルギーが法の膨大な「補修」(整合性の確保)に追われる。
 
 Ⅷ-5 自由な社会のルールの中心:財産権
 ハイエクによれば慣習法(ノモス)の価値の中心は財産権である。
 個人の自由を紛争なしに実現する問題の答として、人類の見出した唯一のものが財産権。財産権の法的保障なしに自由な行動は不可能である。「よい塀はよい隣人をつくる。」塀の中では各人は隣人と衝突なしに自由に行動できる。
 財産権・法・自由は三位一体である(ハイエク)。
 カール・ポラニーが未開社会に経済交換はなく社会的交換=象徴交換しかないと述べたのは誤り。市場は社会とともにあり、財産権・貨幣は歴史とともに古い。私有財産の肯定はプロテスタンティズムの職業倫理にあったとのウェーバーの説は疑わしい。
 遊牧生活から定住生活への移行はわずか1万年前に過ぎず、遊牧生活の部族社会の私的欲望への非難の感情が常に普遍的に人間のうちにある。
 利己心を積極的に認めたのは近代西洋である。近代西欧、特にイギリスとオランダが財産権を法的に確立し(=私的欲望を正当化し)、市場経済を成立させて産業革命を進めた。
 またキリスト教の攻撃的な自然観が近代科学を築く。(なおハイエクは科学の「知識の共有」と矛盾する知的財産権に対しては否定的。)
 
 Ⅷ-6 「正しい分配」は算出不可能
 ハイエクは「正しい分配」は算出不可能だと言う。
 そして各人が受けるに値するもの(分配)を当局が押し付けるのは自由文明の破壊である。(※あらゆるものに交換可能な貨幣の分配は自由の破壊ではない?)最低生活の保障はもちろん必要。
 人々の効用は同一でなく比較不可能なので「効用の最大化」が算出できない。
 
 Ⅷ-7 利己心を「財産権」として中核に置く資本主義は倫理的弱さの点で崩壊する
 「平等な分配」、「格差是正の要求」は遊牧的部族社会の感情(=倫理)である。それは集団的狩猟での公平な分配の感情(=倫理)。グループの崩壊を避けようとする遺伝子が今もある。
 利己的行動を「合理的行動」として肯定し、独占欲を「財産権」として中核に置く資本主義は、倫理的弱さの点で崩壊するかもしれない。ハイエク、シュンペーターの見解。
 
 Ⅸ インターネット:ハイエクの「自律分散」の思想の実現
 ハイエクが『感覚秩序』でニューラルネットの原理を予言した頃、ウィーナーの『サイバネティックス』が自己組織系の非ノイマン型コンピューターを考える。(フォン・ノイマン型コンピューターは外部からの命令をメカニックに処理する。)
 20世紀の科学はニュートン、フォン・ノイマンの機械論的モデルにもとづく。21世紀の科学はハイエク、ウィーナーの進化論的モデルにもとづく。
 インターネットはワルラス的な均衡を実現するシステムでなく、ウィーナー、ハイエク的な絶えず自己破壊を繰り返して進化する複雑系。
 ブラウザと呼ばれるソフトウェアの開発がインターネットを成功させた。マルチメディア(Ex. アメリカの情報ハイウェイ)は失敗する。インターネットは偶然成立したスーパーハイウェイ。
 ハイエクはインターネットの「自律分散」の思想を1945年にすでに提唱。インターネットを知らないままハイエクは1992年に死去。
 
 Ⅸ-1 自由を最大化させるルール
 インターネットを作ったデヴィッド・クラークは「我々は王も大統領も投票も拒否する。信じるのはラフな合意と動くコードだ」と述べる。インターネットは不完全な知識のユーザーで動き、問題があれば後から直す「進化的」発想。
 ルールは常に未完成で多くの人々に修正されて発展する。インターネットの「いい加減な」ルールは慣習法のようなノモス。
 知的財産権は国家のコントロールによって知識の自由な利用を妨げる。本来の財産権と異なる。
自由を最大化させるルールが必要。自由を阻害する法は廃止。

 Ⅸ-2 イノベーションと企業家精神(=どこに利潤機会があるかを察知する感度)
 研究開発やイノベーションが重要になって、社会主義は停滞した。重化学工業化による経済建設は「ユートピア社会工学」の成功。しかしイノべーションは事前に計画できない。
 イノベーションとは不確実な世界で答えを探すことである(ミーゼス)。
 イズラエル・カーズナーによれば分散した情報のなかで利潤を追求する企業家精神が競争の本質である。企業家精神とはどこに利潤機会があるかを察知する感度である。
 新古典派経済学は消費者がすべての財について情報を知っていると前提する。広告を浪費と考える。しかし「いいものを作れば売れる」わけでない。広告が重要。

 Ⅸ-3 市場の情報機能
 市場(=価格)の情報機能が重要である。感度が生産性を決める鍵になる。検索エンジンのようなサービスが経済の中核になる。
 どこに利潤機会があるかを察知する感度の競争が機能していればよい。独占はそれ自身が問題なのではなく、新規参入を阻止する限りで問題である。
 イノベーションに法則はない。アップルはiPodで一発当てた。
 IT産業の商品、必需品でないものは、需要が予測できない。
 
 Ⅸ-4 政府の役割①:ボトルネックをなくし参入を自由にしなければならない
 日本では検索エンジンは著作権法上違法なのでグーグルやヤフーへのアクセスではアメリカのサーバーにアクセスする。国際通信料金がインターネット・サービス・プロバイダーの負担。
 電波もボトルネック。デジタル放送に240メガヘルツ割り当てられているが必要なのは60メガヘルツ。180メガヘルツが空いている周波数(ホワイトスペース)。これは携帯電話会社の周波数合計に相当する。ホワイトスペースを開放すれば新しい産業が生まれる。
 
 Ⅸ-5 政府の役割②:安全重視の銀行型ファイナンスはイノベーションに不利
 ベンチャーキャピタル型投資を政府が促進すべき。
 
 Ⅸ-6 政府の役割③:正社員を非正規労働者化する
 非正規雇用の正規雇用化を義務付ければかえって労働需要を減退させ失業率を高める。非生産的な部門に滞留する労働力の生産的部門への移転のためにも非正規労働者化が必要。

 Ⅹ ハイエク問題
 晩年のハイエクは市場が自生的に存続できないことに注目した。実際、資本主義が自生的秩序として生まれたのでないケースがある。フランスでは資本主義は暴力革命で生まれたし、西欧以外では人工的に移植された。一種の計画主義の結果である。
 社会主義・全体主義も歴史の積み重ねの中で生まれたのだから自生的な秩序である。自由を守るためこれらを転覆せよというのは計画主義である。
 ハイエクらの保守主義には最適解が全体最適とは限らないという問題がある。局所解かもしれないという問題。
 労働・資本市場の改革で参入・退出を容易にし試行錯誤によって局所解を脱却する創造的破壊を行い全体最適解を探し続ける必要がある。
 かくてハイエクの進化論的経済思想が現代においても意味がある。

 おわりに
 1 自由な社会のために宗教的ルールの人格化(神)も必要
 ハイエクは『隷従の道』(1944)で社会主義より自由社会が以下に優れているか述べる。
 『自由の条件』(1960)は暴力革命など「社会工学」を否定。バーク的保守主義が望ましいとし自生的秩序を強調する。
 これと対照的に『法と立法と自由』(1973, 76, 79)は自由な社会は自動的にできるのでなく、ルールによって維持される、ルールの設計が重要とする。
 最晩年、ハイエクは悲観的となる。人間には「部族社会の感情」が遺伝的・社会的に埋め込まれている。政府のパターナリズムが阻止できない。自由な社会のために宗教的ルールの人格化(神)も必要と述べる。(The Fatal Conceit, 1988)
 
 2 現実の人間は怠惰で習慣的に行動する:「自由」が重要でない
 「(選択の)自由」はそんなに重要か?
 実験経済学は人々が「効用最大化」の計算をしないことを示す。ほとんどの行動が習慣的行動である。
 自分の利益を最大化しようとする「経済人(ホモ・エコノミクス)」モデルをとるハイエクは新古典派経済学と同じ。
 だが現実の人間は怠惰。

 3 古典的自由主義のルールとアジア的共同体の掟
 飢えとの戦いが重要であって自生的秩序は多くは村落共同体の掟として成立した。イギリス的慣習法による自生的秩序=資本主義的市場経済は例外である。アジア的共同体の問題。
 中国や朝鮮では儒教の実定法的硬直性が市場や科学技術を拒否した。日本は儒教が弱く市場=古典的自由主義のルールを受け入れた。
 ハイエクの古典的自由主義の移植は発展途上国の慣習法の形を考慮しないとうまくいかない。

 4 グローバルな資本主義という魔物
 英米型の株主資本主義=グローバルな資本主義という魔物は地下に戻せない。その魔物の基本思想がハイエクである。

 5 サイバースペースに自生的秩序が生まれる必要がある
 ムーアの法則によれば情報の量が増えると価値が下がる。これがインターネットの時代。ここでのボトルネックは情報選択、紛争処理の価格が上昇すること。人手に頼るため。
 サイバースペースに自生的秩序が生まれる必要がある。紛争処理を行政が行うのは表現の自由を侵害しうるし非効率。
 「鎖国」政策でインターネットから逃れるのは競争からの脱落。

 P.S. 2008年9月のリーマンショックをこの本の著者はまだ知らない。

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『ハイエク、知識社会の自由主義』池田信夫(1953生)、2008年、PHP新書(前半)

2010-11-03 23:17:45 | Weblog
 はじめに
 人は不完全な知識のもとで慣習にしたがって必ずしも合理的ではない行動をとる。
 古典派経済学の「合理的経済人」の仮定、社会主義・ケインズ主義の計画主義は誤り。
 ハイエクは1974年、ノーベル賞受賞。
 サッチャー、レーガンはハイエクを尊敬する。
 「不完全な知識にもとづき進化し続ける秩序が、あらゆる合理的計画をしのぐ。」Ex. インターネット。
 経済の「計画的」運営は不可能で有害。
 
 Ⅰ 世紀末のウィーン
 Ⅰ-1 「不可知」論・懐疑主義
 ハイエクは1899年、ウィーンに生まれる。(1992年死去。)
 1917年の革命でハプスブルク帝国終わる。オーストリア、ハンガリー、チェコスロバキアに解体。
 「西洋の没落」の時代でありハイエクには世紀末ウィーンの一種の「不可知」論がある。
 調性のない新ウィーン学派の音楽、客観的フォルムをゆがめた表現主義、カンディンスキーの抽象絵画が生まれる。
 量子力学が物理量は確率分布としてしか分からないとする:シュレーディンガーの波動方程式。また位置と運動量は一義的に決まらないとするハイゼンベルクの不確定性原理が発見される。(両者は数学的に同一と証明された。)
 ハイエクは当時流行のマルクス主義と精神分析には早い時期に決別。「この二つの教義は、自分たちの言明が必然的に真になるように用語を定義しており、それゆえ世界について何事も語らないのであって、まったく非科学的である。」
 ハイエクが反論した社会主義はイギリス労働党、サン・シモン、オーギュスト・コントである。
 ハイエクはオーストリア学派の創始者メンガーの影響を受ける。メンガーは、価値が生産費でなく消費者の必要で決まるとする。主観主義。
 ここにはマッハの懐疑主義の影響がある。(源流はヒューム。)マッハはアインシュタインの相対性理論に影響する。

 Ⅰ-2 オーストリア学派、限界革命、新古典学派、シカゴ学派
 オーストリア学派(メンガー、ハイエク、シュンペーター)は市場重視の点でシカゴ学派(マネタリスト)に吸収されたとされる。
 しかしハイエクは人間の非合理的行動に焦点。
 シカゴ学派のフリードマンは新古典学派の均衡理論を取り入れる。(現在、ケインズ学派は絶滅。主流は新古典学派。)
 新古典学派は英ジェボンズ、仏ワルラス、墺メンガーの「限界革命」に始まる。彼らは価値を「効用」(⇔「労働」)に求める。価値は「労働」でなく「需要」で決まる。
 現在の新古典派理論に最も近いのは仏ワルラスの一般均衡理論である。ワルラスは市場を需要と供給の均衡する方程式で表し、経済全体を「一般均衡」の連立方程式で記述できるとした。後にマーシャル、サミュエルソンへ。
 英ジェボンズは英の功利主義を数学的に表現。
 墺メンガーの主著『原理』は哲学的。メンガーは①価値が主観的であることを証明し、②社会現象を意図せざる合成された結果であることを示す。「意図せざる結果」の概念がハイエクの「自生的秩序」に通じる。
 
 Ⅱ ハイエク対ケインズ
 1931年、皮肉にもハイエクはLSE(London School of Economics)に金融の専門家として招かれる。LSEはフェビアン協会の本拠地である。フェビアン協会はコミンテルンの暴力革命の立場に立たない。暴力革命のモデルはパリ・コミューンである。
 自由放任の終焉を1926年にケインズが宣言。
 1931年、リチャード・カーンが「乗数効果」の理論を発表。例えば、公共投資1億ポンド、消費性向0.6とすれば、乗数効果で1億/(1-0.6)=2.5億ポンドの有効需要が創出される。
 政府が金利を下げても、過度にリスクを恐れ現金を持つ「流動性選好」があり通貨が供給されず、長期金利が下がらない。だから公共事業による有効需要創出が必要とケインズ。
 古典派経済学が均衡のみを扱う特殊理論であるのに対し、ケインズは自分の理論は不均衡も扱う一般理論だと言う。
 ケインズは財政政策が事態を改善するなら経済学はそれを提言すべきだとする。いくらハイエクのように市場は自律的であるべきで政府は撹乱すべきでないといっても、不況が長く続けばみんな死んでしまう。
 ハイエクはケインズの議論が財政政策を正当化する「時事論説」で「理論」でないと主張。しかしこれはケインズにとってどうでもよいことで、彼にとっては政策提言こそ経済学の役割である。
 ハイエクは1941年、理論上のケインズ批判をするが失敗。以後、経済学から身を引く。
 
 Ⅲ ハイエクの社会主義批判
 1930年代から社会主義を批判するハイエクには、しょっちゅう玉子が投げつけられ洗濯代が大変だったと夫人。
 知識人が「進歩派」となるのは社会の合理的操作が可能と信じるためである。
 Ⅲ-1 市場経済の価格機構
 ハイエク『集権的経済計画』(1935年)が「社会主義経済論争」の始まりとなる。ハイエクは、計画経済の欠陥を批判した論文(ミーゼス、1920年)を引用する。
 ミーゼスによれば、市場経済では価格を通じて消費者の評価が企業に伝えられる。企業は正しい価格を計算なしに知ることができる。
 例えば、ある企業が利潤を上げていることはその商品の価格(社会的評価)がそれを生産するコスト(限界費用)より高い、つまり企業が効率的計算をしていることを示す。
 
 Ⅲ-2 分権的社会主義(オスカー・ランゲ)・線形計画・コルナイ
 これに対しポーランドのオスカー・ランゲが『社会主義の経済理論』で社会主義の立場から反論する。中央当局は自分で計算する必要はなく、ワルラスの「せり人」のように価格を提示して各企業の需要と供給を集計しそれが一致するまで価格を動かせばよい。貨幣も財産権もなくても、こうした「分権的社会主義」が可能である。これは正しい。
 「影の価格」を実際に計算するのが線形計画であり、1940年代、戦時経済におけるオペレーションズ・リサーチ(OR)として実際に使われる。
 ある作戦に武器と石油と食料という3資源がある。戦力が最大になるように最適な資源配分を求める。米軍はこの手法で補給を手厚く行う。
 ところが日本軍は補給を考えずすべての予算を武器につぎこんだため第2次大戦の戦死者230万人の半分は餓死だった。
 しかしこれが可能なのは戦争のように目的関数がはっきり決まっているときである。
 線形計画で求めた解は新古典派経済学の一般均衡と一致する。
 社会全体を巨大な線形計画問題として定義すれば答えがならず出る。1960年代ハンガリーのコルナイが新古典派理論を応用して実際に分権的社会主義を運営するメカニズムを設計する。
 これは失敗した。計算を行う前提の目的関数が決められないからである。また影の価格がいい加減、さらにデータが膨大すぎた。
 コルナイは結局、ハイエクにたどり着く。情報の集権化は不能。知識は分権化されねばならず、そして営業の自由と私的所有のもとで情報の効率的な完全利用が実現する。

 Ⅲ-3 市場経済は膨大な計算を自律分散的に行う:ハイエク
 個人の目的が明確だとしても国家の目的をどう集計するのか?国民全体の福祉はどうすれば最大化できるのか?
 計画経済では官僚が適当に目標を決め工場に割り当て、うまく行かないと割り当て変更する。ソ連には組織的な計画手法はなかった。
 市場経済は膨大な計算を自律分散的に行う。30年代に「分権的社会主義」に負けたハイエクやミーゼスが実は正しかった。それが60年代に明らかになる。
 
 Ⅲ-4 社会の正しい目的は一義的に与えられない
 ハイエク『隷従の道』(1944年)は市場原理主義と批判される。
シカゴ学派(ハイエク)は新古典派に挑戦した。
 社会主義者E.H.カーは世界を大きな組織体に作り上げることをめざす。自由主義・自由放任は軽蔑される。
 科学者も賛成する。「社会を科学的に組織する計画」が語られる。
 「不可避な歴史法則」のもとで自由は無意味である。
 社会の計画的組織化は目的の与えられたシステムでは正しい。しかし問題は目的が正しいかどうか分からないこと。
 
 Ⅲ-5 カール・ポパー:素朴な科学主義
 ハイエクともにカール・ポッパーも全体主義・社会主義を批判。ともに同じウィーン生まれでロンドンへ移る。二人は友人。ポッパー『開かれた社会とその敵』(1945年)。しかしハイエクはポパーを素朴な科学主義と批判。
 
 Ⅲ-6 マイケル・ポラニーの「身体的知識」、トマス・クーンの「パラダイム」
 ハイエクはマイケル・ポラニー(ハンガリー生まれ)の暗黙知としての「個人的知識」・「身体的知識」の概念に惹かれる。科学の客観的知識に分節化される前の知識。後期ヴィトゲンシュタインの言語ゲームの理論に通じる。
 ポラニーの科学思想はトマス・クーンに影響を与える。トマス・クーンは『科学革命の構造』(1962年)の中で科学理論は「パラダイム」で一種の宗教のようなものと述べる。それは身体的知識と化し、反証されても新たな「パラダイム」の出現までは維持され続ける。
 
 Ⅳ ハイエクの自律分散の思想
 Ⅳ-1 社会全体の目的関数の不在
 すべてのメンバーの目的が同一でないと目的関数が決まらず社会全体の均衡が求められない。一人が二階建てをめざしもう一人が平屋を求めたら目的関数は決まらない。
 
 Ⅳ-2 価格メカニズムによる効率的な知識のコーディネーション 
 ハイエクは知識の分業について語る。
 すべての商品についての完全な情報がないのに、つまり新古典派が仮定する完全情報の条件が満たされないのに、なぜ市場で最適な資源配分が可能になるのか?
 市場経済の参加者は計画経済よりもはるかに少ない知識で正しい行動がとれる。例えば、銅価格の上昇は原因が分からなくても何十万の人々に「銅を節約せよ」「代替金属を増産せよ」と命じる。
 価格メカニズムには知識のコーディネーションの効率性がある。
 競争の過程を通じて商品の最低費用が発見されるに至り、またどんな質の商品があるかも知られてくる。
 重要なのは競争が完全か不完全かではなく、競争があることである。
 
 Ⅳ-3 「計画主義」の不可能性
 「市場の失敗」はインフレ、失業をもたらすにすぎない。「政府の失敗」は粛清・大躍進・文化大革命で1億人以上の死者をもたらした。これは第1次・2次大戦の死者数より多い。
 ハイエクは「社会を特定の目的のために計画的に動かすこと」を「計画主義」として否定。社会主義、全体主義を批判。
 プラトンの哲人国家が計画主義の最初。
 数十億の人々の分散した事実についての全情報、しかも刻々・急速に変化する全情報を獲得できないかかぎり科学(=新古典派経済学)の「計画主義」は不可能。
 
 Ⅳ-4 市場経済を支えるルール:財産権、慣習法(コモン・ロー)
 しかしハイエクは制度設計を否定しない。
 市場経済では、無数の人々のわずかな情報による行動の決断にもかかわらず、社会秩序が保たれる不思議。
 財産権、慣習法(コモン・ロー)などのルールの体系が市場経済を機能させる。
 
 Ⅳ-5 脳内のシナプス結合パターンの淘汰的・自生的形成:ハイエク、エーデルマン
 自律分散的な主体が相互作用することで自生的秩序が生み出されるというハイエクの発送の相似物が、脳科学について彼の著作『感覚秩序』(1952年)に見られる。
 物理的刺激レベル(行動主義)とは別のレベルの感覚秩序がある(ゲシュタルト心理学)。
 ハイエクは脳のニューロン(神経細胞)の結合パターンが感覚の「分類」に対応すると
いう。例えば、連続したスペクトラムが赤、青などに分類される。
 コンピューターの「コネクショニズム」モデルは入力と出力の関係を一定の素子の結合として記憶させ、試行錯誤的に結合様式を学習させる。
 脳科学ではニューロンのグループ(シナプス結合)と特定の認識パターンの対応が淘汰的に存続することで「カテゴリー」形成がなされるとのニューラル・ダーウィニズム仮説がある。エーデルマンの理論。
 ハイエクとエーデルマンは知覚(「分類」「カテゴリー」)を外界の刺激に対応させるのでなく、脳内のシナプス結合パターンに対応させる。
 シナプスの結合とその競争によってパターンが自生的に形成される。断片的な感覚が集まりパターンを自発的に形成する。
 これは後期ヴィトゲンシュタインの思想と共通面がある。
 経済的行動が、合理的選択よりも心理的バイアスで決まる。この心理的バイアスを脳内のニューロン、シナプスの動きとして解明する「ニューロエコノミクス」も登場した。

 Ⅴ ハイエクの合理主義批判
 1979年にイギリス首相となったサッチャーはハイエク『自由の条件』(1960年)を「これがわれわれの信じているものだ」と宣言した。
 ハイエクの著書は1960年当時、「時代遅れの自由放任主義」と批判された。完全雇用のときには新古典派理論、不完全雇用のときにはケインズ理論とするサミュエルソンの「新古典派総合」が主流だった。
『自由の条件』は60歳をすぎたハイエクの研究の集大成である。
 人間の「無知」から出発して社会を考える懐疑主義の立場。
 
 Ⅴ-1 「不完全な知識でも動く」というのが市場経済の最も重要な特徴
 現実を単純な数学も出つに還元するための新古典派経済学の「完全情報」の仮定、合理的期待モデルは誤り。
 自由とは、合理的社会的意思決定が不可能な人間が、つまり無知な人間が様々な選択肢を試すことができることである。
 「試行錯誤による進化」はあるが、それが「最適」かどうか、またはポパーが言うような「客観的知識」に近づくかどうかは、不明。
 
 Ⅴ-2 自由とは「強制からの自由」であり自由の例外的規制が「ルール」である
 自由とは「強制からの自由」であって、何が望ましいかは誰も知らないから「積極的自由」ではない。
 自由の例外的規制が「ルール」。自由はネガティブリスト(禁止されるケースのみリスト化)で制限し、制限内容は抽象的(Ex. 著作権法の例外は「フェアユース」)でなければならない。
 
 Ⅴ-3 自然発生的な制度が自由を保障する:革命の計画主義への批判
 自由は、真の知=必然に従うこと(ヘーゲル&マルクス)ではない。自由は、例外的規制が慣習法的ルールとして漸進的進化することで実現する。
 合理的、先験的で完全な目的の実現のための革命は、自由の実現でありえない。
 試行錯誤の結果、苦労して蓄積された成果としての自然発生的な制度が自由を保障する。。
 ハイエクがメンガーから学んだ「意図せざる結果」。
 長い歳月を経て生き残った制度は歴史の実験で何度も有効性を検証されたのであり、個人の経験をはるかに超える価値がある。
 エドマンド・バークの保守主義の立場。
 合理主義的目的を掲げる計画主義批判。全知全能な計画当局などありえない。パレートやワルラスは計画主義者=社会主義者である。新古典派は計画主義であり、神と同一のモデルを仮定する。

 Ⅵ ケインズ主義批判
 Ⅵ-1 ケインズ経済学にはミクロ経済学的基礎がない
 経済学の標準理論はサミュエルソンの「新古典派総合」。ミクロ=新古典派経済学とマクロ=ケインズ経済学との折衷。
 ハイエクはケインズとの論争に敗れた傍流経済学者とされる。
 ミクロ経済学では労働力市場でも需要と供給が一致し完全雇用が実現するはず。しかしマクロ経済学では有効需要は総供給と一致しない。ミクロ経済学とマクロ経済学は論理的につながらない。ケインズ経済学にはミクロ経済学的基礎がない。
 
 Ⅵ-2 フリードマンのケインズ主義批判:「自然失業率」の理論
 1960年代、米民主党を支えたサミュエルソンやジェームズ・トービンなど「リベラル」シカゴ学派のフリードマンが批判。
 有効需要を拡大したのはニューディール政策でなく戦争景気。
スタグフレーションの問題:ケインズ流に失業を減らすため財政支出を増やしてもインフレがひどくなるだけで失業は減らない。
 1968年、シカゴ学派のフリードマンが「自然失業率」の理論を発表。財政支出増でインフレになると実質賃金が下がり労働需要が増え失業が減る。賃上げが行われれば実質賃金が上がり失業がまた増える。
 自発的に職探しをする人がいるから自然失業率が必ずあり「完全雇用」はありえない。完全雇用をめざし財政支出増大=通貨供給増大させればインフレになるだけ。
 1980年代以降英米は、実際、フリードマンの主張にそって通貨供給を安定させる金融政策をとり、最初、失業率上昇するがインフレが終息しその後景気も回復した。
 フリードマンの自然失業率理論がケインズ理論を倒した。
 
 Ⅵ-3 ハイエク、1974年、ノーベル経済学賞受賞
 市場には長期的な調整メカニズムがあり、それを政府が撹乱すると混乱するだけ。
 ケインズ理論は政治家のバラマキに利用され選挙が近づくとバラマキで好況、終わると不況となる。ケインズ自身、経済成長を押し上げるのは財政支出でなく投資家のアニマルスピリッツだと言う。
 社会が成熟するにつれ市場の市場の自動調整機能が働きやすくなる。現実がハイエクに追いつく。
 1990年代の日本の時代錯誤のケインズ政策。100兆円の「景気対策」は財政赤字を残しただけ。先進国でケインズ政策をとる国はない。
 
 Ⅵ-4 ハイエクのフリードマン批判
 経験的事実(集計量と平均値)から論理的に法則(原因と結果の確定)を帰納できないとするヒュームの懐疑主義がハイエクの立場。
 経験的事実から論理的に法則を帰納できるとする論理実証主義がフリードマンの立場。
 数式による演繹的な経済モデルか、統計による計量分析を含まない論文は正式の業績と見なさない傾向がある。フリードマンの論文は主流の経済学の枠内におさまる。
 フリードマンの自然失業率の理論がケインズ理論を倒した。(Ⅵ-2)
 しかし中央銀行が通貨供給の成長率を一定にすべきだとの「マネタリズム」は敗北。中央銀行の通貨供給量は、現実に市場で流通する通貨量とは関係がない(=通貨の流通速度は安定しない)から。

 Ⅵ-5 サッチャー、レーガンの「小さな政府」
 まず①国営炭鉱の労組ストを炭鉱閉鎖で鎮圧、さらに民営化、さらに②フリードマンなどマネタリストの助言で通貨供給量安定させインフレ抑制のため、不況下で金利引き上げ、財政赤字削減の増税。「荒療治」で初期に失業増大するが、インフレ終息、成長率回復。「英国病」克服。
 レーガンはフリードマンらシカゴ学派を経済顧問とする。レーガンは連邦政府の肥大化を防ぎ、アメリカの衰退を食い止めたと評価される。
 レーガンとサッチャーは労組の強大化、福祉肥大化による経済の疲弊を救う。特にイギリスの経済成長率回復が著しい。イギリスは欧州の最貧国から1人当たりGDPがG8諸国2位となる。
 小泉構造改革の中核が金融システムの改革である。官庁と銀行に依拠した「官僚社会主義」が90年代の不況をもたらしている。官僚機構のコアの大蔵省の下部機関=銀行の不良債権処理を先伸ばししたのが長期不況の原因。小泉構造改革の中心は竹中氏主導の不良債権処理である(Ex. 「金融再生プログラム」の資産査定の厳格化に代表される)。
 
 

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