宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『フリーター 家を買う』有川洪(アリカワヒロ)(1972生)、2009年、幻冬舎

2010-10-26 07:40:11 | Weblog
 Ⅰ フリーター、立つ
 誠司24歳は3ヶ月で会社をやめフリーター。母寿美子が精神病になる。父誠一(55歳)が立派な社宅に安く入って嫉妬され、また酒癖が悪く近所のイジメを受けたため。
 姉亜矢子は父親を非難する。引越しするしか母親の病気の回復はない。父親は「病気は甘えだ!」と言い引っ越す気がない。
 姉亜矢子が100万円、置いていく。誠司は真面目に働こうと決意。
 
 Ⅱ フリーター、奮闘
 父親、月8万円のローンで家を買う気さえない。誠司は家を買うために100万円ためようと建築現場の夜間アルバイトを開始。2ヶ月以上続き周りの作業員たちからほめられる。
 
 Ⅲ フリーター、クラスチェンジ
 第2新卒の誠司が正社員として就職可能なのは営業・販売・運送・飲食業くらい。しかし半人前の自分が会社を批判する資格はない。またやりたい仕事に就けるなど普通ありえない。仕事はまず生活の保障。
 誠司は母の病気で医療への関心を持ち医療技術会社に応募。OKすれば採用される段階まで行く。またアルバイトの先の大悦土木が正社員として誠司を採用したいと言う。迷った末、誠司は大悦土木の正社員となる。
 
 Ⅳ 元フリーター、働く
 大悦土木は社長、現場監督3人、事務職(業務主任)誠司、作業員37人の零細企業。誠司はまずパソコン、インターネットを要求、事務のOA化をすすめる。
 近所に対しては母親の自殺をほのめかしその責任を取れと脅す。
 誠司は効率化のため資材倉庫の使用方法を改善。
 社長が事務職をもう一人採用すると言い、それを誠司に任せる。
 誠司は「新卒お断り。第2新卒、元フリーターのみ募集!6ヵ月の現場研修!」とネット広告。零細企業に新卒が来るはずがないとの誠司のアイデア。
 現場監督志望の東工大卒女子千葉と営業要員に豊川、計二人を採用。
 
 Ⅴ 元フリーター、家を買う
 豊川は現場を回りこぼれた仕事を上手に取ってくる。早く亡くなった建築会社社長を父親に持つ千葉は男勝りに仕事をする。
 誠司は簿記2級の合格を目指し、「経理の鬼」と呼ばれる父親から特訓も受ける。そして見事、簿記2級を取得。
 3ヵ月後、誠司は200万円貯め、姉亜矢子の100万円とあわせ300万円。これを頭金に家を買い母親のため引っ越すよう父親と談判。父親は自分で資金を全部用意すると家を買うことを決断。
 そして引越し。母親の病気は良くなるだろう。

 after hours
 現場監督志望の千葉さんと誠司の関係は発展しそう。陽気で世間を良く知る豊川が二人を観察しつつ見守る。

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『日韓がタブーにする半島の歴史』室谷克実(1949生)、2010年、新潮新書

2010-10-01 11:42:48 | Weblog
 はじめに
 1994年、天皇は金泳三(キムヨンサム)大統領を迎えた宮中晩餐会で「私共の祖先は貴国の人々から多くのことを学びました」と述べた。
 しかし古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を学んだという定説は誤り。むしろ日本が文化的に先進的であった。実際、半島最古の正史『三国史記』には新羅の基礎を作ったのは倭人・倭種、中国の『隋書』には新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰すると明記されている。
 
 Ⅰ 新羅の基礎は倭種が造った
 高麗の正史『三国史記』(1145)とこれに対する異説集(野史)『三国遺事』(1280中頃、一然著)を以下検討する。
 新羅の第4代王、昔脱解(タレ)は倭種だった。倭種は北九州の倭国の倭人とは別、倭国の支配圏外の倭人を指す。倭種は漁業が得意。脱解(タレ)の出身は正史も野史も「倭の東北1千里」にあった国と述べる。この国を『三国史記』の『新羅本紀』は「多婆那国」と呼ぶ。新潟から鳥取にかけての地域にあったと思われる。
 倭種の国の王子脱解(タレ)が最初、新羅2代王の姫を娶り大輔(テーポ)=宰相となる。その後、彼は新羅4代王となる。新羅4代王脱解(タレ)は倭人瓠公(ホゴン)を大輔(テーポ)とする。
 倭種は慶州で当時のハイテク産業(鍛冶屋)を営んでいた。3世紀になっても半島の刀剣は鋳鉄。列島は鍛造である。倭種の文化が先進的。また韓族と倭種に先鋭な対立はなかった。
 
 Ⅱ 新羅と倭国は地続き:倭の本拠は北九州で、半島の新羅の南(任那)は「倭地」
 『三国史記』の『新羅本紀』によれば新羅は59年に倭と国交。『後漢書』は57年、漢委奴国に金印を与えたと述べる。この時、韓族の邑長には銅印を与える。倭人の国のほうが格が上である。
 かつて倭国とは北九州の委奴国と半島南部の分国からなり、やがて半島から倭国は足場を失う。倭国は旧委奴国は同じ領域となる。
 脱解(タレ)の後、17代から52代新羅王は金王朝だがこれは倭種・脱解(タレ)の血筋である。新羅の3王室、朴・昔・金のうち昔氏は倭種、また金氏には倭種・昔氏の血が流れる。
 新羅4代-16代の倭種・昔氏の王には名君が多かった。
 
 Ⅲ 稲作、3世紀の倭国
 Ⅲ-1 稲作は半島から伝わったのでない
 稲作は日本へは半島から伝わったのでなく雲南省→東シナ海→九州と考えるべきである。
 半島への稲作は山東半島・遼東半島経由である。
 列島では3500年前(縄文後期)に稲作をしていた。
 日本人は新羅人・百済人から稲作を学ぶ必要はなかった。半島南部で稲作が始まるのは紀元後。3500年前に馬韓地域にコメがあったとの考古学的発見は特殊なケースである。
 
 Ⅲ-2 3世紀、倭の文明が半島より優れていた
 倭の本拠は九州で半島の新羅の南(任那)は「倭地」だった。
 半島西南端の前方後円墳は5-6世紀のもので、3世紀の日本起源のものが伝わった。
 3世紀、卑弥呼の頃、倭兵は圧倒的に強かった。
 3世紀、倭の文明が半島より優れていた。
 倭はすでに1世紀に楽浪郡と通交していた。漢字を知らなかったわけがない。
 400年、新羅は高句麗の属国だった。
 倭が新羅を攻め400年、高句麗の広開土王が新羅救援のため倭と衝突した。潰走した倭を別の「倭人の国」、安羅が援助し慶州を占領する。
 
 Ⅳ 近親婚・養蚕・献女・単一民族国家
 Ⅳ-1 近親婚 
 新羅の王族は近親婚集団である。
 韓国には「日本人=近親婚集団=淫猥」論(Ex. いとこ同士の結婚)がある。
 Ⅳ-2 養蚕
 半島が養蚕の先進地だが製品は日本のほうが優れていた。例えば『日本書紀』には日本が任那に送った赤帛(アカギヌ)を新羅が奪ったとの記述がある。
 Ⅳ-3 献女
 『三国史記』の『新羅本紀』によれば668年、唐の皇帝が新羅に献女を禁じるとの勅を出している。
 『新羅本紀』の年代が不確かとの批判があるが骨格は問題がない。年代のみ新羅建国の年を高句麗より先にしようとしたため矛盾が出た。
 Ⅳ-4 単一民族国家
 半島南部では新羅、高句麗、倭人、中国人、様々の民族が雑居し混血も進んでいた。しかし国と国とは対立。
 ところが「高等学校国定国史」は、韓国は「5000年以上」の「世界史上まれな単一民族国家」と記述。
 
 Ⅴ 韓国の英雄・愛国忠臣・殉国の義士
 高句麗の支文徳(ウルジムンドク)は高句麗の将軍で612年隋の大軍を「薩水の戦い」で破った英雄である。しかし『三国史記』によればこれは「偽の降伏申し入れ」戦術という偽計だった。
 申采浩(シンチェホ)(1880-1936)によればパミール高原に発した朝鮮民族は華中から華北・沿海州・半島に及ぶ大帝国を檀君のとき築いたという。
 新羅の愛国忠臣「朴堤上」は倭国に人質になった王弟を救出するが倭国で拷問・処刑される。しかし人質を差し出すのは当時の「取り決め」によるものでその「救出」は実は約束破りである。
 安重根が1909年、暗殺した伊藤博文枢密院議長は日韓併合に反対だった。
 尹奉吉(ユンボンギル)は1932年、上海の日本人の天長節祝賀行事に爆弾を投げ込む。彼は「殉国の義士」でなく無差別テロ犯であると著者の見解。
 
 Ⅵ 檀君神話・金首露降臨神話
 Ⅵ-1 檀君神話
 「天神の孫が三種の神器を持って高い山頂に降臨する」という檀君神話は、
日本の神話に似ているとの論がある。檀君は朝鮮民族の始祖。
 『三国遺事』の檀君神話によれば、中国の尭と同じ頃、つまりBC2500頃、檀君が平壌を都に朝鮮という国を開いた。
 檀君神話と記紀神話は似ているか?両者とも「天孫降臨」、そして「三つ」の神器を持って来る。
 北朝鮮も檀君廟を建立して「民族の祖」として祀る。
 
 Ⅵ-2 金首露降臨神話
 『三国遺事』に収められている『駕洛国記』(11c)に「日本神話の原型」とされる金首露の降臨神話がある。その建国伝説によれば光武帝の建武18年(42年)、金首露が降臨し六伽耶国を建国したという。
 江上波夫は金首露の降臨神話と記紀神話の共通点を挙げ、天神なる外来民族が任那(六伽耶)から北九州に渡来したと主張する。
 金首露を始祖とする韓国最大の氏族が「金海金氏」。この氏族に属す新羅の大英雄が百済・高句麗を滅ぼした金庾信である。
 金庾信は『三国史記』の『列伝』によると黄帝の後裔である。『列伝』の記事は金庾信の碑文(7c)にもとづく。
 『駕洛国記』(11c)は彼が天から降臨した金首露の後裔と書く。
 金首露の降臨神話(金卵降臨始祖神話)は7c(金庾信の碑文)から11c(『駕洛国記』)までの間の捏造であろうと著者は言う。
 
 Ⅶ 倭王の出自は半島か?
 Ⅶ-1 “天皇の半島出自論”
 団塊の世代は江上波夫「騎馬民族国家論」の影響下にある。
 民主党幹事長小沢一郎は2009年12月韓国で“天皇の半島出自論”を語り喝采された。
 しかし倭王の出自は中国の『三国史』にも高麗の『三国史記』にも書かれていない。倭王は土着の倭人で当たり前なので何も書かれていないというべきである。
 『三国遺事』に半島から日本に行って王になった人物の話がある。しかし著者、一然はこれは辺境の小王ぐらいのことで、真の王ではないと述べる。
 
 Ⅶ-2 新羅が列島に分国・植民地を持っていた?
 崔南善(チェナムソン)『物語朝鮮の歴史』(1945)は新羅が列島に分国・植民地を持っていたと述べる。同様の主張は北朝鮮の金錫享(キムソギョン)「三韓三国の日本列島内の分国について」(1963)にも見られる。
 逆に著者は倭国が半島に分国・植民地を持っていたとする。
 崔南善は文化文明が半島から列島に伝わったと述べる。しかし著者は倭国こそ文化大国で新羅も百済も「敬仰」していたとする。
 
 Ⅶ-3 「日本」の国号
 『三国史記』の『新羅本紀』は倭国が670年、自らを「日本」と号したと述べる。
 崔南善は新羅が倭国を日本と呼ぶようになったのが「日本」の国号のもとになったと述べるがこれは誤り。
 
 Ⅶ-4 半島南部の倭人・倭種
 半島南部の倭人・倭種は民族的に融解し韓族化し存在性を失う。例えば半島南部にあった倭国の分国、金官国(もと狗邪韓国;南伽耶とも呼ばれる)(P.178)は532年新羅に帰伏しその王族・廷臣は新羅の貴族・将軍・廷臣に転じる。
 663年白村江の戦いで倭国が敗北し半島南部の倭人・倭種の韓族化は完成へ向かう。

 おわりに
 新羅の4代目の王は倭種の昔脱解(タレ)だった。その宰相瓠公(ホゴン)は倭人だった。昔脱解(タレ)は「多婆那国」の出身で、この国は新潟から鳥取にかけての地域にあったと思われる。高麗の正史『三国史記』(1145)と異説集(野史)『三国遺事』(1280中頃、一然著)はそのように述べる。
 戦後日本の朝鮮史学者は「任那(日本府)」否定論に立つ。そして脱解(タレ)にも「昔」王室にも瓠公(ホゴン)にも触れない。「任那に倭人がいた」と言うことさえ皇国史観であり、まして「新羅では倭種が王位についた」とは言えないからだろう。
 また倭人はほとんどあらゆることを半島の民から学んだとする「自虐的関係史観」も誤りである。『隋書・俀国伝』は「新羅、百済皆、俀ヲ以ッテ大国、多珍物ト為シ並ビニ之ヲ敬仰シ恒ニ通使往来ス」と述べる。倭国こそ文化大国で新羅も百済も「敬仰」していたのである。

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