※田中貢太郎『日本の怪談』河出文庫、1985年
★小松益之助は新たに御宝蔵方になった。かれには高知の城下に新たな邸が与えられた。
☆その邸は小谷政右衛門が元住んでいたが、「小谷」は讒言せられて切腹を命ぜられ、「家財」は没収された。(貴重なものは「御宝蔵」に保管された。)
☆その後、「その邸には不思議なことがある」と云う噂が立ち、暫く空き家になっていた。
☆小松益之助は豪胆な男で、年も三十前後、知人から怪しい噂を聞かされても笑っていた。益之助は女房と二人暮らしだった。
★新たな邸に移って二十日ばかりは何も起きなかった。ところがある夜、夜中に「がたり」と大きな音がした。雨戸を開けると物干竿が十本ばかり庭の真ん中に転がっていた。朝になると物干竿は影も形もなかった。益之助は笑いだした。
☆次の夜、寝床で、女房が物干竿のことを話出した。「なに、狸かなにかだろう」と益之助は取り合わなかった。また夜中に「がたり」と大きな音がした。物干竿が十本ばかり庭の真ん中に転がっていた。だが朝になると物干竿は影も形もなかった。益之助は「またやったな」と笑うだけだった。
☆三日目の夜も同じことが起き、朝には宵の庭の竹は一本もなくなっていた。
★四日目、益之助と女房が待ったが、夜中に「がたり」と大きな音がすることがない。益之助は寝てしまった。ところが女房がうとうとしていると「もし、もし、・・・・もし」と「女」の声がした。女房は「夫の隠し女」ではないかと疑った。「色の白い痩せぎすな女」が雨戸にくっつくようにして立っていた。
☆「女」は「御主人におめにかかりたい」と言った。女房は嫉妬に駆られ、嘲って言った。「主人は留守でございます。」「この夜更けに、お壮い御婦人が、よくまあ、こんな処にお出でになりました。」「女」は「またまいります」と言って、門を出て木立の傍らで見えなくなった。
☆翌朝、夫の益之助は「物干竿の音はしなかったな」と言って、いつものように飯を食って、ふだんのように城に出仕した。女房は昨晩訪ねてきた「女」の話を益之助にしなかった。だが女房は「疑念」が晴れない。
★次の夜、益之助が眠ってしまうと、再び「もし、もし、・・・・もし」と「女」の声がした。女房は嫉妬に駆られ憤って、「主人は、この比、毎晩留守でございますから、お出でになりましても、当分お目にかかれますまい」と言った。「女」は二三度頭を下げて何か云い、門を出て木立の傍らで見えなくなった。
☆その時、益之助は夢を見たのかぶつぶつ言ったが、目を覚ますことはなかった。
★その次の夜も、「女」はやってきた。益之助の女房は「あれ程、主人はこの比(コロ)留守であると申し上げたのに困ります」と腹立たしそうに言った。
☆「女」は顔を上げた。涙が両目に光って見えた。「女」が言った。「私は小谷の女(ムスメ)でございます。私の家には先祖から伝わった短刀がございましたが、家が没落した時、その短刀は御宝蔵の中へ納めれられました。どうぞ御宝蔵方になられたご主人にお願いして、それを執りだし、祭りをしてくださいませ。そうでないと、私たち一家の者が浮かばれません。」
☆「御主人がその短刀を執りだすのが無理なら、私が執りだします。ただ祭りをしてくださいませ」と「女」は言った。
★女房の眼が暗んできた。女房がアッと云って倒れた。その時、女房は寝床の上に仰向けに倒れたのであった。寝床の益之助が女房を抱き起した。女房はやっと気がついて恐ろしそうにして益之助の顔を見た。
★朝になって起き上がろうとした女房の枕頭に「白木の鞘に入れた短刀」があった。奇怪なその短刀はすぐ小松益之助の家の仏壇に置かれた。
★その朝、藩庁に宿直していた役人の許へ「御宝蔵」の番人が来た。番人は「昨夜、御宝蔵へ盗賊が入って小谷の持物であった短刀を盗んで逃げたが、その後ろ姿は、新たに御宝蔵方になった小松益之助にそっくりであった」と云った。
《感想1》昨夜、御宝蔵へ盗賊が入った時刻、「小松益之助」は自分の邸にいて女房を介抱していたのであり、邸を出ていない。御宝蔵から小谷の持物であった短刀を盗んで逃げた盗賊=「小松益之助」は、「ドッペルゲンガー」だ。Cf. 「ドッペルゲンガー」とは「同じ人物が同時に別のor複数の場所に姿を現す」ことだ。
★小松益之助が朝飯を喫っていると、藩庁の「詮議の者」が突然来た。ところが益之助はかの「短刀」が自分の邸に来た筋道を説明できなかった。
《感想2》「小谷の女(ムスメ)」は「御主人がその短刀を執りだすのが無理なら、私が執りだします。ただ祭りをしてくださいませ」と言ったのだから、藩庁の「御宝蔵」から短刀を執りだしたのは「小谷の女(ムスメ)」だ。
《感想2-2》「小谷の女(ムスメ)」は怪異の存在であり、その魔術的力によって、御宝蔵方の小松益之助の「ドッペルゲンガー」を出現させ、その「ドッペルゲンガー」に短刀を盗ませ、益之助の女房の枕元に置かせた。
《感想2-3》だが小松益之助自身は、自分の「ドッペルゲンガー」が短刀を盗んだことを知らない。かくて「益之助はかの『短刀』が自分の邸に来た筋道を説明できなかった。」
★益之助にとっては、まったく覚えのない罪状は、彼にとっては「讒言せられ」たに等しい。益之助は自分の「潔白」を訴えるため、「女房を殺した後で自分も自殺してしまった。」
《感想3》「小谷の女(ムスメ)」の怪異な存在について語った「女房」も、藩庁の者たちによって信じられることはないだろう。だから益之助は「女房」をも、彼女の名誉のために殺した。
★小松益之助は新たに御宝蔵方になった。かれには高知の城下に新たな邸が与えられた。
☆その邸は小谷政右衛門が元住んでいたが、「小谷」は讒言せられて切腹を命ぜられ、「家財」は没収された。(貴重なものは「御宝蔵」に保管された。)
☆その後、「その邸には不思議なことがある」と云う噂が立ち、暫く空き家になっていた。
☆小松益之助は豪胆な男で、年も三十前後、知人から怪しい噂を聞かされても笑っていた。益之助は女房と二人暮らしだった。
★新たな邸に移って二十日ばかりは何も起きなかった。ところがある夜、夜中に「がたり」と大きな音がした。雨戸を開けると物干竿が十本ばかり庭の真ん中に転がっていた。朝になると物干竿は影も形もなかった。益之助は笑いだした。
☆次の夜、寝床で、女房が物干竿のことを話出した。「なに、狸かなにかだろう」と益之助は取り合わなかった。また夜中に「がたり」と大きな音がした。物干竿が十本ばかり庭の真ん中に転がっていた。だが朝になると物干竿は影も形もなかった。益之助は「またやったな」と笑うだけだった。
☆三日目の夜も同じことが起き、朝には宵の庭の竹は一本もなくなっていた。
★四日目、益之助と女房が待ったが、夜中に「がたり」と大きな音がすることがない。益之助は寝てしまった。ところが女房がうとうとしていると「もし、もし、・・・・もし」と「女」の声がした。女房は「夫の隠し女」ではないかと疑った。「色の白い痩せぎすな女」が雨戸にくっつくようにして立っていた。
☆「女」は「御主人におめにかかりたい」と言った。女房は嫉妬に駆られ、嘲って言った。「主人は留守でございます。」「この夜更けに、お壮い御婦人が、よくまあ、こんな処にお出でになりました。」「女」は「またまいります」と言って、門を出て木立の傍らで見えなくなった。
☆翌朝、夫の益之助は「物干竿の音はしなかったな」と言って、いつものように飯を食って、ふだんのように城に出仕した。女房は昨晩訪ねてきた「女」の話を益之助にしなかった。だが女房は「疑念」が晴れない。
★次の夜、益之助が眠ってしまうと、再び「もし、もし、・・・・もし」と「女」の声がした。女房は嫉妬に駆られ憤って、「主人は、この比、毎晩留守でございますから、お出でになりましても、当分お目にかかれますまい」と言った。「女」は二三度頭を下げて何か云い、門を出て木立の傍らで見えなくなった。
☆その時、益之助は夢を見たのかぶつぶつ言ったが、目を覚ますことはなかった。
★その次の夜も、「女」はやってきた。益之助の女房は「あれ程、主人はこの比(コロ)留守であると申し上げたのに困ります」と腹立たしそうに言った。
☆「女」は顔を上げた。涙が両目に光って見えた。「女」が言った。「私は小谷の女(ムスメ)でございます。私の家には先祖から伝わった短刀がございましたが、家が没落した時、その短刀は御宝蔵の中へ納めれられました。どうぞ御宝蔵方になられたご主人にお願いして、それを執りだし、祭りをしてくださいませ。そうでないと、私たち一家の者が浮かばれません。」
☆「御主人がその短刀を執りだすのが無理なら、私が執りだします。ただ祭りをしてくださいませ」と「女」は言った。
★女房の眼が暗んできた。女房がアッと云って倒れた。その時、女房は寝床の上に仰向けに倒れたのであった。寝床の益之助が女房を抱き起した。女房はやっと気がついて恐ろしそうにして益之助の顔を見た。
★朝になって起き上がろうとした女房の枕頭に「白木の鞘に入れた短刀」があった。奇怪なその短刀はすぐ小松益之助の家の仏壇に置かれた。
★その朝、藩庁に宿直していた役人の許へ「御宝蔵」の番人が来た。番人は「昨夜、御宝蔵へ盗賊が入って小谷の持物であった短刀を盗んで逃げたが、その後ろ姿は、新たに御宝蔵方になった小松益之助にそっくりであった」と云った。
《感想1》昨夜、御宝蔵へ盗賊が入った時刻、「小松益之助」は自分の邸にいて女房を介抱していたのであり、邸を出ていない。御宝蔵から小谷の持物であった短刀を盗んで逃げた盗賊=「小松益之助」は、「ドッペルゲンガー」だ。Cf. 「ドッペルゲンガー」とは「同じ人物が同時に別のor複数の場所に姿を現す」ことだ。
★小松益之助が朝飯を喫っていると、藩庁の「詮議の者」が突然来た。ところが益之助はかの「短刀」が自分の邸に来た筋道を説明できなかった。
《感想2》「小谷の女(ムスメ)」は「御主人がその短刀を執りだすのが無理なら、私が執りだします。ただ祭りをしてくださいませ」と言ったのだから、藩庁の「御宝蔵」から短刀を執りだしたのは「小谷の女(ムスメ)」だ。
《感想2-2》「小谷の女(ムスメ)」は怪異の存在であり、その魔術的力によって、御宝蔵方の小松益之助の「ドッペルゲンガー」を出現させ、その「ドッペルゲンガー」に短刀を盗ませ、益之助の女房の枕元に置かせた。
《感想2-3》だが小松益之助自身は、自分の「ドッペルゲンガー」が短刀を盗んだことを知らない。かくて「益之助はかの『短刀』が自分の邸に来た筋道を説明できなかった。」
★益之助にとっては、まったく覚えのない罪状は、彼にとっては「讒言せられ」たに等しい。益之助は自分の「潔白」を訴えるため、「女房を殺した後で自分も自殺してしまった。」
《感想3》「小谷の女(ムスメ)」の怪異な存在について語った「女房」も、藩庁の者たちによって信じられることはないだろう。だから益之助は「女房」をも、彼女の名誉のために殺した。