在日は「第3国人」とかつて呼ばれたがこれは戦勝国でも敗戦国でもない“the third nation”とGHQが命名した語に由来する。在日にとって過酷で悪意に満ちた世界、それが日本である。これは在日第1世代にとって文字通りだった。
日本の敗北は祖国への希望を生んだ。しかし朝鮮戦争がそれを絶望へと変える。朝鮮民族だけで死者400万人。これは第2次大戦での日本の死者数をゆうに超える。
この絶望からの救いを与えたのが1958-1967年の北朝鮮への帰還運動である。それは「南」出身者が「北」に帰るほどの期待に満ちていた。日本の全国紙は高層ビルの林立するピョンヤンなどと「北」に好意的な記事を書いた。しかし「北」の現実はすぐあきらかとなり運動は頓挫する。
著者は「大塚ウェーバー」に疑念を持つ。「アジア的共同体」の残滓が残る日本を批判し「近代的人間類型」が日本に必要と大塚は言う。とすれば「在日」はアジア的野蛮そのものなのかと著者は反発する。真のウェーバー探しが始まる。これが著者の研究生活の出発点だという。
分断の現実が在日を「国家という甲羅」を持ない根無し草とする。この孤立感から著者を解放したのが1970年代末のドイツ留学で出会ったギリシャ人学生である。彼らもドイツで少数派であり「在日」のような存在だった。著者は「世界史の中の在日」という視点を獲得する。
1980年代は日本のうぬぼれの時代である。戦後という時代の重しが取れタガがはずれる。ポストモダンの軽薄さの時代。だが在日には指紋押捺拒否による逮捕の問題が起きる。著者は埼玉県での「拒否」第1号となるが結局、逮捕を避けて敗北する。しかし負けてもよいとの土門一雄牧師の言葉が彼を救う。
日本が経済大国にふさわしい政治大国を目指す中、1991年の湾岸戦争の国際貢献問題が平和憲法の「足枷」への反発を生む。ナショナリズムが強調されアイデンティティの源である歴史への注目・確執があらためて問題となる。「新らしい歴史教科書を作る会」などが発言権を増す。
朝鮮半島をめぐる著者のひたすらの関心は第2の朝鮮戦争を避けることである。再び凄惨な戦争を許してはならいと著者は言う。2003年に始まる六カ国協議だけが問題解決の今ただひとつの残された手段である。北朝鮮征伐、北朝鮮バッシングの包囲の下にあっても国家を超えた地域協力のみが問題を解決すると彼は主張し続ける。「東北アジア共同の家」が著者の年来の夢である。
日本の敗北は祖国への希望を生んだ。しかし朝鮮戦争がそれを絶望へと変える。朝鮮民族だけで死者400万人。これは第2次大戦での日本の死者数をゆうに超える。
この絶望からの救いを与えたのが1958-1967年の北朝鮮への帰還運動である。それは「南」出身者が「北」に帰るほどの期待に満ちていた。日本の全国紙は高層ビルの林立するピョンヤンなどと「北」に好意的な記事を書いた。しかし「北」の現実はすぐあきらかとなり運動は頓挫する。
著者は「大塚ウェーバー」に疑念を持つ。「アジア的共同体」の残滓が残る日本を批判し「近代的人間類型」が日本に必要と大塚は言う。とすれば「在日」はアジア的野蛮そのものなのかと著者は反発する。真のウェーバー探しが始まる。これが著者の研究生活の出発点だという。
分断の現実が在日を「国家という甲羅」を持ない根無し草とする。この孤立感から著者を解放したのが1970年代末のドイツ留学で出会ったギリシャ人学生である。彼らもドイツで少数派であり「在日」のような存在だった。著者は「世界史の中の在日」という視点を獲得する。
1980年代は日本のうぬぼれの時代である。戦後という時代の重しが取れタガがはずれる。ポストモダンの軽薄さの時代。だが在日には指紋押捺拒否による逮捕の問題が起きる。著者は埼玉県での「拒否」第1号となるが結局、逮捕を避けて敗北する。しかし負けてもよいとの土門一雄牧師の言葉が彼を救う。
日本が経済大国にふさわしい政治大国を目指す中、1991年の湾岸戦争の国際貢献問題が平和憲法の「足枷」への反発を生む。ナショナリズムが強調されアイデンティティの源である歴史への注目・確執があらためて問題となる。「新らしい歴史教科書を作る会」などが発言権を増す。
朝鮮半島をめぐる著者のひたすらの関心は第2の朝鮮戦争を避けることである。再び凄惨な戦争を許してはならいと著者は言う。2003年に始まる六カ国協議だけが問題解決の今ただひとつの残された手段である。北朝鮮征伐、北朝鮮バッシングの包囲の下にあっても国家を超えた地域協力のみが問題を解決すると彼は主張し続ける。「東北アジア共同の家」が著者の年来の夢である。