宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

豊島与志雄(1890-1955)「活人形」(イキニンギョウ)青空文庫:ターコール僧正は立派なお坊さんだ!

2024-01-31 16:00:08 | Weblog
☆年老いた人形遣いと妻のマンドリン引きが、旅回りをやめ、もう引退して田舎の息子のもとに帰りたいと思った。そこで、これまで働いてくれたあやつり人形に「お祈り」をしてほしいとターコール僧正に頼んだ。老夫婦は、お金がなかったが、ターコール僧正は、お金がない人にも「お祈り」をしてくると言った。
☆ターコール僧正に「お祈り」してもらうと、木製のあやつり人形は「魂」が与えられたかのように「笑った」。
☆この評判が人々の間に広がり、彼らが人形を一目見たいというので、人形遣いの老夫婦が最後の人形の踊りを町の広場で開くことになった。多くの人々が正装して集まった。
☆人形遣いが人形を踊らせ、妻がマンドリンを弾く。人形は「活きて」いるかのように踊る。やがて人形遣いは疲れ、人形の糸が切れ、妻のマンドリンの弦も切れた。だが人形は「活きて」いるかのように勝手に華麗に踊り続けた。人々はうっとりと眺め、踊りが終わると人形遣いの老夫婦は、人々から多くのお金をもらった。
☆老夫婦はその半分をターコール僧正に喜捨し、そして老夫婦は故郷に帰った。ターコール僧正はそのお金を貧しい人々に配った。   

《感想1》ターコール僧正は立派なお坊さんだ。生臭坊主(肉食をするなど,戒律を守らず品行の悪い僧)ではない。また腐敗・堕落した僧ではない。(Cf. カトリック教会の「贖宥状」に対するルターの批判で16世紀にヨーロッパで宗教改革が始まった。)
《感想2》人形遣いの老夫婦は、引退して「田舎の息子」のもとに帰る。今だったら老夫婦は「老人施設」に入るかもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島木健作(1903-1945)「赤蛙」(1946遺作)青空文庫:「死」を思い描けず「死」を恐れず(?)愚かな試みをくりかえす「生命」or「自然」の神秘!

2024-01-30 15:52:29 | Weblog
くりかえし中州から川に飛び込み向う岸に泳ぎ渡ろうとする赤蛙。何十回とくりかえす。だが力尽きついに急流の渦に呑みこまれ死ぬ(二度と浮かんでこない)。赤蛙をそうさせる「自然」の神秘の力への畏怖。生命(生物)における「死」を恐れさせない《「本能」すなわち「自然の命令」》の巨大(or偉大or超越性)!      

《感想1》「死」を思い描けず「死」を恐れず(?)愚かな試みをくりかえす「生命」or「自然」の神秘!
①赤蛙には「中州から向う岸に渡ろう」とする「意志(自発性)」はあった。
②だがその「意志」にもかかわらず、現実世界を「読み解く」手順、つまり「目的-手段の連関」の解明ができず、赤蛙は死んだ。
③赤蛙は現実世界(「自然」)の内にある「目的-手段連関」(「因果連関」を逆転させたもの)を把握し思い描くことができぬ「バカ」だった。
④赤蛙は、「自然の被造物」あるいは「自然の一部」において、「生命」(生物)という存在で「死」の対極にあり「死」の否定としてある。にもかかわらず赤蛙は、「死」を思い描けず「死」を恐れず(「死」に無頓着で)愚かな試みをくりかえす。「生命」or「自然」の神秘!

《感想2》「自然」の「法則=経験則=規則的な原因結果連関=目的手段連関」を赤蛙は「帰納」できない!
⑤「死」を思い描けない「バカ」(?)な赤蛙。
⑥現実世界(「自然」)の内にある「因果連関」を把握できず、したがってそれを逆転させたところの「目的-手段連関」を読み解けぬ赤蛙の「悲惨」?
⑦赤蛙には確かに「自発性(意志)」(「目的」の定立)があるが、どのようにしてその「目的」を達成できるかに関し、現実世界(自然)の「因果連関」すなわち「目的手段連関」を把握・認知する能力がない。
⑧土の中から出て、やみくもに前に進み、アスファルト上で干からびて死ぬミミズたちに、赤蛙は似る。
⑨「自然」は、「生命」が打ち立てる「目的」(「意志」)に対し、無関心である。「自然」は冷徹だ。「自然」における「法則=経験則=規則的な原因結果連関=目的手段連関」の知識を、赤蛙は「自然」から「帰納」できないし、したがって利用することができない。
⑩「バカ」で「無能」な赤蛙。

《感想3》赤蛙という「生命」にとって、「自然」はやさしくない:「神義論」の問題!「神」=「自然」に「義」(全能と善と正義)はあるのか?「神」=「自然」は「生命の存続・幸福」を願っているか?
⑪「かわいそう」な赤蛙。
⑫だがそのように赤蛙は生きている。赤蛙は「自然」によってそのように作られたのだ。
⑬「自然」の巨大(or偉大or超越性)!赤蛙は「自然」の中を生き抜く、あるいは生き残っていく「知力」がない。赤蛙は「目的」を定立する(そのような「意志」をもつ)が、それを実現するための「学習」ができない。つまり「自然」の「法則=経験則=規則的な原因結果連関=目的手段連関」の把握(「帰納」)ができない。
⑭「自然」のうちにあるor「自然」が作り出した赤蛙という「生命」にとって、赤蛙の「愚か」(「バカ」で「無能」)な死は、「自然」の一部である。
⑭-2 赤蛙という「生命」にとって、「自然」はやさしくない。
⑮これは「神義論」の問題だ。「生命」を被造物として創造した「自然」(=「神」)は「生命」(Ex. 赤蛙)を守ることに関し興味を持たず冷酷(無関心)である。
⑮-2 《「生命を守る」ことが、「生命」(Ex. 赤蛙)にとって「義」である》が、「神」(=「自然」)は「義」を示さない。
⑮-3かくて「生命」(Ex. 赤蛙)は、「神」=「自然」の「義」(全能と善と正義)に疑いをいだく。「神」=「自然」に「義」はあるのか?これは「神義論」(弁神論)である。
⑯島木健作(1903-1945)「赤蛙」は「神義論」の問題を提示した。「自然」(=「神」)の「生命」(Ex. 赤蛙)に対する冷淡・冷徹・無関心の問題!「自然」(=「神」)は「生命」(Ex. 赤蛙)に対し冷淡・冷徹・無関心であって、「生命(Ex. 赤蛙)の存続」=「生命の幸福」=「義」を願うことがない。「自然」(=「神」)は「義」(生命の存続)に無関心である。
Cf. 「命あっての物種」(何事も命があってこそ初めてできる、命の危険にかかわることは避けるべきだ)。
Cf. 「死んで花実が咲くものか」(生きていればこそよいこともあるが、死んでしまえばすべておしまい)。

《参考1》「神義論」(弁神論)theodicyとは「世界における悪の存在が神の全能と善と正義に矛盾するものでない」ことを弁証しようとする議論である。ライプニッツが最初に用いた哲学・神学用語。

《参考2》遠藤周作『沈黙』1966は迫害される「キリスト者」にとっての神の「沈黙」の問題、すなわち「神義論」の問題を提示した。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叢小榕『老荘思想の心理学』第6章26「足るを知る――心の豊かさが悩みを吹き飛ばす」(『老子』第44・46章):「富・利益」、「地位・名誉」、「権勢・権力」への「欲望」は果てしない!

2024-01-29 14:28:42 | Weblog
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第6章「どうすれば欲望から解放されるか」
(26)足るを知る――心の豊かさが悩みを吹き飛ばす(『老子』第44・46章)
「名誉」より大事なのは「わが身」だ。「財貨」より大事なのは「わが身」だ。つまり「名利の得失」より「わが身の存亡」こそ憂慮すべきだ。「足ることを知れば」、また「ほどほどに止む」ことを知れば「危険」はない。「そうすれば安泰でいられる」のだ。(『老子』第44章)

《感想1》「命あっての物種」だ!「命」(「わが身」)こそ根源だ。何事も命があるからできる。「名誉」・「財貨」より自分の「命」こそ重要だ。
《感想2》老子は「名誉」・「財貨」を否定しない。「名誉」・「財貨」を一定程度得たら、「ほどほどに止む」ことが重要だと述べている。

「足ることを知って満足すれば、常に満足である。」(『老子』第46章)
「富・利益」、「地位・名誉」、「権勢・権力」への「欲望」は果てしなく、「それらを握っている時は、失いはしないかとおびえ、失うと悲しみにくれる。」「絶えず追い求めるものに釘づけとなるさまは、まるで天からくだされた罰を受けているようなものだ」。(『荘子』外篇・天運)
★「足るを知る」ことがなければ、常に「欲望」(「欲求」)に翻弄され、「心の豊かさ」が得られない。

《参考1》人間の3大欲求として、「睡眠欲」「食欲」「性欲」をあげることがある。
《参考2》『荘子』「外篇・天運」は人間の主要な3つの「欲望」(「欲求」)を、「富・利益」、「地位・名誉」、「権勢・権力」への「欲望」(「欲求」)としている。

(26)-2 マズローの「欲求階層論」:①「生理的欲求」、②「安全への欲求」、③「社会的欲求」(所属と愛の欲求)、」④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)、⑤「自己実現欲求」
アブラハム・マズローの「欲求階層論」によれば、人間の欲求は①「生理的欲求」(Physiological needs)、②「安全への欲求」(Safety needs)、③「社会的欲求」(所属と愛の欲求)(Social needs / Love and belonging)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)、⑤「自己実現欲求」(Self-actualization)の、低次元から高次元までの、5つの階層をなしている。低次元の欲求が満たされて初めて高次元の欲求へと移行するという。また、生理的欲求や安全への欲求を「欠乏欲求」と呼び、自己実現を求める欲求は「成長欲求」と呼んだ。
《感想1》①「生理的欲求」、②「安全への欲求」、③「社会的欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)、⑤「自己実現欲求」は5つの階層をなすのでなく、むしろ同時に存在するというべきだ。

★①「生理的欲求」(Physiological needs):生命を維持するための本能的な欲求で、食欲・飲水・睡眠欲・排泄・呼吸・体温調整・性欲など。ただし極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間は、生理的欲求が他のどの欲求よりも最も主要な動機付けとなる。(Cf. 「衣食足りて礼節を知る」!)

《感想2》「性欲」(性的欲求)は、パートナーが存在(相手から愛されること)する場合は、「社会的欲求」(所属と愛の欲求)の充足、「自我欲求」(承認/尊重の欲求)の充足でもある。
《感想3》「女性」が高所得・資産家「男性」と結婚することは(「性欲」の充足でもあるが)、経済力による「安全への欲求」の充足、また上流の生活や教育投資による優秀な子供の存在などは「自我欲求」(承認の欲求)を満たすためでもある。

★②「安全への欲求」 (Safety needs)
物理的安全性(事故の防止)、経済的安定性(良い暮らしの水準)、身体的安全性(良い健康状態の維持)など。それらの保障の強固さも求める。予測可能で秩序だった安全な状態を得ようとする欲求だ。病気、不慮の事故、失業、貧困などに対するセーフティ・ネットも「安全への欲求」を満たすためにある。
《補足》「逃避」欲求(不安や危機を感じた場合に逃げ出したいという欲求)、「闘争」欲求(戦うことで生存しようとする欲求)、さらに「祈り」への欲求(神、仏などを求める欲求)も、「安全への欲求」 (Safety needs)と言える。

★③「社会的欲求」(所属と愛の欲求) (Social needs / Love and belonging)
自分が社会・集団に必要とされ果たせる社会的役割があるという感覚を得たいという欲求。あるいは情緒的な他者に受け入れられている、あるいは社会・集団に所属しているという感覚を求める欲求。愛を求め、孤独・追放・拒否・無縁状態を避けたいという欲求。「社会的欲求」(所属と愛の欲求)が満たされないことは、不適応、孤独感、社会的不安、鬱状態などの原因になる。

★④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)
自分(自我)が社会・集団から価値ある存在と認められ承認/尊重されることを求める欲求。「自我欲求」には、「他者からの尊敬を得たい」、「地位への渇望」、「名声」、「経済的優越」、「注目を得たい」などがある。「自我欲求」の高次の段階は、「自己尊重/信頼感」、「技術や能力の習得」、「自立性の感覚」などを得ることで満たされる。また「自我欲求」の高次の段階では、「他人からの評価」よりも、「自分自身の評価」が重視される。この「自我欲求」が妨害されると、劣等感や無力感などが生じる。

★⑤「自己実現欲求」 (Self-actualization)
さらに人
は、自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求を持つ。自分に適していることをしていないと、不満・不安感・不充足感が生じる。

★⑤-2 マズローは「自己実現者」には次のような15の特徴が見られるという。これは「自己実現」の充足目標の一覧でもある。(1)現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ。(※現実の肯定!生の肯定!)(2)自己、他者、自然に対する受容。(※道家における「宇宙の本源となる自然の法則」としての「道」の受容に近似する。)(3)自発性、素朴さ、自然さ。(4)課題中心的。(※「自己実現者」は「自己尊重/信頼感」、「技術や能力の習得」、「自立性の感覚」などを得ているので、課題中心的に生きる。)(5)プライバシーの欲求からの超越。(※「自己実現者」は社会的・社交的・公平・公正的である。)(6)文化と環境からの独立、能動的人間、自律性。(7)認識が絶えず新鮮である。(8)「至高なもの」(※道家の「道」!)に触れる神秘的体験がある。(9)共同社会感情。(10)対人関係において心が広く深い。(11)民主主義的な性格構造。(※天賦人権論!) (12)手段と目的、善悪の判断の区別ができる。(13)哲学的で悪意のないユーモアセンス。(14)創造性。(15)文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越。

Cf. V. E. フランクルは、「心と身体」は自己保存の「欲求」(欲望)のために働くが(Cf. 「快感原則」)、しかしそれらを超越して「精神」の次元での「意味」の呼びかけに応えることこそが人間らしい生き方だとする。
☆フランクルはナチスの強制収容所の体験を記録した『夜と霧』(1956)の中で、(ア)一方で一切れのパンを親子が命がけで奪い合う状況を描くが、他方で自分も飢えているのに、自分のパンを売りお金をためてジャガイモを買い、「死ぬ前にお腹一杯ジャガイモを食べたい」という仲間に、最後の幸福感を味わってもらった人たちもいたことを描く。さらに(イ)強制労働で死ぬほど疲れ、床にへたり込んでいた時、仲間の呼びかけに応じて、寒い中、落日の光景を見て「世界ってどうしてこんなに美しいんだ!」と感動する場面もある。
☆「自己保存」のためには、(ア)飢えているなら自分が食べ、(イ)疲れているならできるだけ休むのが最優先だ。けれどもそれを超えて、(ア)人のために尽くすという「意味」(「精神」の次元)や、(イ)夕日の美にまなざしを向けるという「意味」(「精神」の次元)のためにも、人間は行為する。フランクルはこの事を「意味への意志」と呼んだ。
☆人は「意味」を見出すことができれば、自己保存の「欲求」(欲望)(Cf. 「快感原則」)を超越し、苦痛・苦悩に耐えて生きることができる。その場合の「意味」とは、具体的な場面での「手段的意味」を超えた「超意味」と言える。自己保存の「欲求」(欲望)(Cf. 「快感原則」)を超越して、「精神」の次元での「意味」(「超意味」)(「ロゴス」)の呼びかけに応えることが人間らしい生き方だとV. E. フランクルは言う。

(26)-3 マレーの「39種類の欲求リスト」:★(A)マレーの11種類の「生理・本能的欲求」と★マレーの(B)28種類の「心理・社会的な欲求」※Henry Alexander Murray(1893―1988)
★(A)マレーの11種類の「生理・本能的欲求」(臓器発生的欲求)(Cf. マズローの①「生理的欲求」、②「安全への欲求」に対応!)
A《欠乏から摂取に導く欲求》
マレー☆a「吸気」欲求:酸素を求めたい。
マレー☆b「飲水」欲求:水を求めたい。
マレー☆c「食物」欲求:食べ物を求めたい。
マレー☆d「感性」欲求:身体的な感覚を求め、楽しみたい。
B《膨張から排泄に導く欲求》
マレー☆e「性的」欲求:性的関係を結び、快楽を得たい。(※「膨張から排泄」とは男子の射精をイメージ?)
マレー☆f「授乳」欲求:乳児への授乳をしたい。
マレー☆g「呼気」欲求:息を吐きたい。
マレー☆h「排尿・排便」:尿や便の排泄をしたい。
C《傷害から回避に導く欲求》
マレー☆i「毒性回避」欲求:有毒な刺激を回避して逃れたい。
マレー☆j「暑熱・寒冷回避」欲求:適正な体温を維持したい。
マレー☆k「傷害回避」欲求:痛みやケガ、病気や死を避けたい。

★(B)マレーの28種類の「心理・社会的な欲求」!(Cf. マズローの③「社会的欲求」(所属と愛の欲求)」、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)、⑤「自己実現欲求」に対応する。一部はマズローの②「安全への欲求」にも対応する。)
☆マレーの「心理・社会的な欲求」(28種類)の8分野!
マレーD《物質に関する欲求》
マレーE《野心・向上心に関する欲求》
マレーF《自己防衛・保身に関する欲求》
マレーG《支配・権力に関する欲求》
マレーH《禁止に関する欲求》
マレーI《愛情に関する欲求》
マレーJ《遊戯に関する欲求》
マレーK《情報に関する欲求》

ヒトは群居性の動物であり、また高度な思考力を持つために、「社会的に認められたい」、「知識を満足させたい」、「他者を満足させたい」などの欲求がある。それら欲求の内容は、後天的に(「生理的・本能的」でなく)身につくものであり、社会や文化の影響が大きい。マレーによれば以下のような28種類の「心理・社会的な欲求」が人間に認められる。

D《物質に関する欲求》(Cf. マズローの②「安全の欲求」)、(Cf. マズローの⑤「自己実現欲求」 )
マレー☆1「獲得」欲求:財物(お金、財産、いろいろなモノ)を得ようとする欲求。
マレー☆2「保存」欲求:財物を収集し、修理し、保存する欲求。
マレー☆3「秩序」欲求:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。
マレー☆4「保持」(「所有」)欲求:財物を持ち続ける(手放したくない)、貯蔵する、消費を最小化する欲求。
マレー☆5「構成」欲求:組織化し、構築する欲求。モノを組み立て、築き上げたい。

E《野心・向上心に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆6「優越」欲求:他者より優位に立つ欲求。社会的地位を向上させたい。
マレー☆7「達成」欲求:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。
マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。
マレー☆9「顕示」欲求:他人の注意を引き、感動やショックを与えたい。自己演出・扇動を行う。

F《自己防衛・保身に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆10「不可侵」(「保身」)欲求:社会的な批判から逃れたい。自尊心を傷つけられないようにしたい。
マレー☆11「屈辱回避」(「劣等感の回避」)欲求:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。失敗して笑われたくない。
マレー☆12「防衛」欲求:非難・軽視から自己を守る。自己正当化を行う、言い訳をしてでも自分を正当化したい。
マレー☆13「中和」(「反発」)欲求:失敗をリベンジしたい。再び努力し、弱さを克服し、名誉を回復したい。

G《支配・権力に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆14「支配」欲求:他人をコントロールし、影響を与え、統率したい。
マレー☆15「服従」(「恭順」)欲求:他人(優越・優秀な人間)に積極的に従い、協力し、仕えたい。
マレー☆16「同化」(「模倣」)欲求:他人の行動・あり方を真似したい。他人と同一視し、感情移入し、見習いたい。
マレー☆17「自律」欲求:他人の影響・支配に抵抗したい、独立したい。
マレー☆18「対立」欲求:他人と違ったor反対の行動をとりたい。ユニークな存在でいたい。
マレー☆19「攻撃」欲求:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃・意地悪したい。
マレー☆20「屈従」欲求:他人に降伏、謝罪し罰を受け入れたい。痛みや不幸を楽しむ。罪悪の承服・自己卑下の欲求。

H《禁止に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆21「非難回避」欲求:処罰・追放を避けるため、法・規範(禁止)に進んで従いたい。

I《愛情に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。
マレー☆23「排除」(「拒絶」)欲求:他人を差別・無視・排斥(排除)したい欲求。
マレー☆24「養護」欲求:困っている他人を守り、助け、同情し、保護したい。
マレー☆25「救護」(「救援」)欲求:他人から同情を求め、依存したい。愛され、看護され、許され、慰められたい。

J《遊戯に関する欲求》(Cf. マズローの⑤「自己実現欲求」 )
マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。(Cf. ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」=「遊戯する人間」!)

K《情報に関する欲求》(Cf. マズローの⑤「自己実現欲求」 )
マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。
マレー☆28「証明」(「解明」)欲求:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。情報を提供したい、他人を教育したい。(Cf. 兼好法師「物言わぬは腹ふくるるわざなり」!)(Cf. 「王様の耳はロバの耳」!)

(26)-4 「70種類の欲求リスト」:★マレーの「生理・本能的欲求」(「臓器発生的欲求」)11種類と★荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」59種類(「心理発生的欲求」)!
日本の心理学者の荻野七重・斎藤勇が、マレーの「心理・社会的な欲求」(「心理発生的欲求」)28種類をさらに細分化させて59種類とした。
☆かくて人間の欲求は、マレーの「生理・本能的欲求」(「臓器発生的欲求」)11種類と、同じくマレーの「心理・社会的な欲求」28種類を合わせれば、39種類である。
☆あるいは人間の欲求は、マレーの「生理・本能的欲求」(「臓器発生的欲求」)11種類と、荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」59種類を合わせれば、70種類となる。人間の「70種類の欲求リスト」!

★荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」(「心理発生的欲求」)(59種類)は以下のとおり。
☆荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」(「心理発生的欲求」)(59種類)の6分野!
L《優越支配に関する欲求》
M《情的支配に関する欲求》
N《積極的活動に関する欲求》
O《関係形成に関する欲求》
P《保身に関する欲求》
Q《協調に関する欲求》

L《優越支配に関する欲求》(Cf. マズローの②「安全の欲求」 (Safety needs)、③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
☆1「自尊」欲求:自分を認めて、自尊心が傷つかないようにしたい。(Cf.  マレー☆17「自律」欲求:他人の影響・支配に抵抗したい、独立したい。)
☆2「競争」欲求:他人と争いたい。(Cf.  マレー☆18「対立」欲求:他人と違ったor反対の行動をとりたい。ユニークな存在でいたい。)
☆3「優越」欲求:他人よりも優れていることを証明したい。(Cf.  マレー☆6「優越」欲求:他者より優位に立つ欲求。社会的地位を向上させたい。)
☆4「攻撃」欲求:武力を使って相手を攻撃したい。(Cf.  マレー☆19「攻撃」欲求:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃・意地悪したい。)(Cf.  マレー☆23「排除」(「拒絶」)欲求:他人を差別・無視・排斥(排除)したい欲求。)
☆5「反発」欲求:やられたら、やり返したい。(Cf.  マレー☆13「中和」(「反発」)欲求:失敗をリベンジしたい。再び努力し、弱さを克服し、名誉を回復したい。)
☆6「流行」欲求:流行の先端のモノを手に入れたい。(Cf.  マレー☆6「優越」欲求:他者より優位に立つ欲求。社会的地位を向上させたい。)
☆7「自己顕示」欲求:注目を集めて、みんなの評判になりたい。(Cf.  マレー☆9「顕示」欲求:他人の注意を引き、感動やショックを与えたい。自己演出・扇動を行う。)
☆8「指導」欲求:リーダーシップを発揮して集団をまとめたい。
☆9「名誉」欲求:社会的に名誉ある地位につきたい。(Cf.  マレー☆6「優越」欲求:他者より優位に立つ欲求。社会的地位を向上させたい。)
☆10「支配」欲求:人に指示や命令したい。(Cf.  マレー☆14「支配」欲求:他人をコントロールし、影響を与え、統率したい。)
☆11「権力」欲求:社会で活躍できるような、地位と権力が欲しい。(Cf.  マレー☆14「支配」欲求:他人をコントロールし、影響を与え、統率したい。)

M《情的支配に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)、⑤「自己実現欲求」 )
☆12「愛情」欲求:愛する人のために行動したい。
☆13「恋愛」欲求:好きな人の望みを叶えて、その人から好かれたい。(Cf.  マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。)
☆14「愉楽」欲求:みんなと一緒にワイワイ騒ぎたい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)
☆15「自由」欲求:誰にも縛られることなく、自由な生活をしたい。
☆16「自己表現」欲求:自分の個性をアピールしたい。(Cf.  マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。)
☆17「不満解消」欲求:ストレス解消のために、思い切り気分転換したい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)

N《積極的活動に関する欲求》(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)、⑤「自己実現欲求」 )
☆18「達成」欲求:困難を乗り越えて目標を達成したい。(Cf.  マレー☆7「達成」欲求:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。)
☆19「内罰」欲求:自分に悪い点はないが反省したい。
☆20「自己成長」欲求:自分自身を充実、成長させたい。
☆21「持続」欲求:最後まで根気よく続けたい。(Cf.  マレー☆7「達成」欲求:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。)
☆22「自己実現」欲求:人生計画をしっかり立てて、日々努力したい。
☆23「知識」欲求:勉強して多くのことを学びたい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)
☆24「自己主張」欲求:自分が正しいと思ったことは主張したい。(Cf.  マレー☆28「証明」(「解明」)欲求:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。情報を提供したい、他人を教育したい。)
☆25「批判」欲求:人が悪いことをした時は、はっきりと指摘して正したい。(Cf.  マレー☆28「証明」(「解明」)欲求:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。情報を提供したい、他人を教育したい。)
☆26「趣味」欲求:生きがいのために趣味を持ちたい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)
☆27「感性」欲求:美しいものを見たり聴いたりして感動したい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)
☆28「理解」欲求:モノゴトの因果関係を理解したい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)
☆29「他者認知」欲求:他人の性格やプライベートを知り理解したい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)
☆30「好奇」欲求:新しいことや、珍しいことを経験したい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)

O《関係形成に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
☆31「秩序」欲求:社会生活において規則やルールを守りたい。(Cf.  マレー☆21「非難回避」欲求:処罰・追放を避けるため、法・規範(禁止)に進んで従いたい。)
☆32「援助」欲求:弱い人や困っている人の面倒をみたり、世話をしてあげたい。(Cf.  マレー☆24「養護」欲求:困っている他人を守り、助け、同情し、保護したい。)
☆33「集団貢献」欲求:所属している集団のために、全力をつくしたい。(Cf.  マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。)
☆34「社会貢献」欲求:住みよい社会をつくるために貢献したい。(Cf.  マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。)
☆35「教授」欲求:自分の得意分野について、先生として人に教えたい。(Cf.  マレー☆28「証明」(「解明」)欲求:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。情報を提供したい、他人を教育したい。)
☆36「自己認知」欲求:自分がどんな性格なのかを知り、理解したい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)
☆37「承認」欲求:できるだけ多くの人から好かれたい。(Cf.  マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。)
☆38「自己開示」欲求:親しい人に自分のことを知ってほしい。

P《保身に関する欲求》(Cf. マズローの②「安全の欲求」、③「社会欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
☆39「屈辱回避」欲求:人前で笑われるようなことを回避したい。(Cf.  マレー☆11「屈辱回避」(「劣等感の回避」)欲求:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。失敗して笑われたくない。)
☆40「同調」欲求:仲間と一緒に同じことをしたい。(Cf.  マレー☆16「同化」(「模倣」)欲求:他人の行動・あり方を真似したい。他人と同一視し、感情移入し、見習いたい。)
☆41「嫌悪回避」欲求:人に嫌悪感を持たれたくない。(Cf.  マレー☆10「不可侵」(「保身」)欲求:社会的な批判から逃れたい。自尊心を傷つけられないようにしたい。)(Cf.  マレー☆12「防衛」欲求:非難・軽視から自己を守る。自己正当化を行う、言い訳をしてでも自分を正当化したい。)
☆42「批判回避」欲求:人から批判されることを避けたい。(Cf.  マレー☆10「不可侵」(「保身」)欲求:社会的な批判から逃れたい。自尊心を傷つけられないようにしたい。)
☆43「服従」欲求:上の人の指示に従って行動したい。(Cf.  マレー☆15「服従」(「恭順」)欲求:他人(優越・優秀な人間)に積極的に従い、協力し、仕えたい。)
☆44「優位」欲求:自分が優位であるために、自分よりも劣った人と仲良くしたい。
☆45「譲歩」欲求:争いを避けるために譲りたい。(Cf.  マレー☆20「屈従」欲求:他人に降伏、謝罪し罰を受け入れたい。痛みや不幸を楽しむ。罪悪の承服・自己卑下の欲求。)
☆46「安心」欲求:失敗しそうなことを避けて、安心な方を選びたい。
☆47「気楽」欲求:無理をせずにのんびりと人生を送りたい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)
☆48「挑戦」欲求:危険なことでも挑戦したい。(Cf.  マレー☆7「達成」欲求:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。)
☆49「安全」欲求:身に危険なことが生じるような、恐ろしいことを避けたい。
☆50「拒否」欲求:嫌いな人とは付き合わないようにしたい。
☆51「金銭」欲求:お金を確保したい。(Cf.  マレー☆1「獲得」欲求:財物を得ようとする欲求。)(Cf.  マレー☆4「保持」(「所有」)欲求:財物を持ち続ける(手放したくない)、貯蔵する、消費を最小化する欲求。)
(Cf. さらにマレー☆2「保存」欲求:財物を収集し、修理し、保存する欲求。マレー☆3「秩序」欲求:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。マレー☆5「構成」欲求:組織化し、構築する欲求。モノを組み立て、築き上げたい。)
☆52「生活安定」欲求:安定した生活を送りたい。(Cf.  マレー☆1「獲得」欲求:財物を得ようとする欲求。)(Cf.  マレー☆4「保持」(「所有」)欲求:財物を持ち続ける(手放したくない)、貯蔵する、消費を最小化する欲求。)

Q《協調に関する欲求》(Cf. マズローの②「安全の欲求」、③「社会欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
☆53「依存」欲求:誰かに助けてもらいたい。(Cf.  マレー☆25「救護」(「救援」)欲求:他人から同情を求め、依存したい。愛され、看護され、許され、慰められたい。)
☆54「親和」欲求:友だちと交流を深めたい。(Cf.  マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。)
☆55「協力」欲求:仕事や活動はみんなで分担して、協力し合いたい。(Cf.  マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。)
☆56「孤立」欲求:できるだけ一人でいたい。
☆57「恭順」欲求:信頼できる指導者に従いたい。(Cf.  マレー☆15「服従」(「恭順」)欲求:他人(優越・優秀な人間)に積極的に従い、協力し、仕えたい。)
☆58「自己規制」欲求:規則正しい生活を送りたい。
☆59「迷惑回避」欲求:人に迷惑をかけないようにしたい。(Cf.  マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。)

《感想》「行為の目的」・「その上位の目的」(目的は目的連関の内にある!)・「上位の目的を生み出した理由」、これらはすべて「欲望」である。かくて、《無限の種類》の「欲望」がある。

Cf. マレーの「心理・社会的な欲求」(28種類)の8分野!
マレーD《物質に関する欲求》
マレーE《野心・向上心に関する欲求》
マレーF《自己防衛・保身に関する欲求》
マレーG《支配・権力に関する欲求》
マレーH《禁止に関する欲求》
マレーI《愛情に関する欲求》
マレーJ《遊戯に関する欲求》
マレーK《情報に関する欲求》

Cf.  荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」(「心理発生的欲求」)(59種類)の6分野!
L《優越支配に関する欲求》
M《情的支配に関する欲求》
N《積極的活動に関する欲求》
O《関係形成に関する欲求》
P《保身に関する欲求》
Q《協調に関する欲求》

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叢小榕『老荘思想の心理学』第5章25「子を亡くした子煩悩――『適応的無意識』と道家の死生観」(『列子』力命):「自然」の変化である生死を、喜んだり悲しんだりするのは、人の勝手である!

2024-01-26 14:46:18 | Weblog
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第5章「なぜ忘れる能力は必要か」
(25)子を亡くした子煩悩――「適応的無意識」と道家の死生観(『列子』力命)
魏に東門呉(トウモンゴ)という者がいた。彼は比類のない子煩悩だった。ところが彼は自分の子が死んでも、いっこうに悲しまなかった。理由を問われて東門呉が答えた。「わたしには以前、子がなかった。その時、とくに悲しむことはなかった。今、子が死んだということは、子がなかった時と同じ状況になっただけだから、何もとくに悲しむことはない。」(『列子』力命)

★東門呉の考え方には道家(ドウカ)の死生観がある。道家は人を「自然」と同一視し、生も死も「自然」の変化である。「自然」の変化である生死を、喜んだり悲しんだりするのは、まことに人の勝手である。したがって道家の死生観においては、生を喜ぶことも、死をいやがることもなく、すべてを「自然」のなすがままにゆだねる。

★だが①「人はなにか(Ex. 子)を得れば、それがなかった頃の自分にはもどれなくなる。」(Ex. 子と過ごした時代のや子の思い出を持った自分にすでに変化している)また②「ものの価値」は、それを「得る」時よりも、一度自分のものとなった後にそれを「失う」時の方が高まる。「授かり効果」!
・かくて普通は人は、「道家の死生観」をもたないので、一度子を授かった者が、子を失った時、東門呉のように「今、子が死んだということは、子がなかった時と同じ状況になっただけだから、何もとくに悲しむことはない」と思うことはできない。

★なお人には、愛する者を失った時には、悲嘆を克服する「適応的無意識」と呼ばれる心理的機構がある。自分で知ることのできる自分は「意識できるかぎりの自分」に過ぎず、人間の行動の大部分は意識では知ることのできない「無意識の適応のメカニズム」=「適応的無意識」に支えられている。人は愛する者を失って悲嘆しても、やがて「時間の推移」に伴い、自分の置かれた環境の中で、生きてゆこうとするようになる心のはたらきを無意識に(潜在的に)持っている。
★ところが「今、子が死んだということは、子がなかった時と同じ状況になっただけだから、何もとくに悲しむことはない」と思い、「子を亡くした瞬間から子がいなかった時に戻った」という東門呉は、「道家の死生観」にたつものであって、「時間の推移」に伴う「適応的無意識」のメカニズムによって「子を亡くした状況の中で生きていけるようになる」ことと異なる。

(25)-2 「適応的無意識」:すべての精神活動はもともと「無意識」的だった!脊椎動物の進化の大部分において、すべての精神活動はもともと「無意識」だった!
「適応的無意識」(適応性のある無意識)は、判断や意思決定にかかわる無意識の「適応」プロセスだ。
★「適応的無意識」としての「暗黙の学習」は、「意識的な学習」よりもはるかに古くから存在している。例えばヒトにおいて典型的なのは「言語の習得」である。子どもたちは「意識的な学習」によらず母国語を話すことを学び、社会に「適応」していく。
・「適応的無意識」とは、判断や意思決定に影響を与える一連の「無意識的な」精神プロセスである。「意識的な」視野の外で動作し、情報を素早く解釈し、どのように行動すべきかを決定する。

★「適応的無意識」という言葉は、それが生存価値を持つものであり、過去の生存における「適応」を示唆するとともに、それが「無意識」のメカニズムであることを示す。実際、脊椎動物の進化の大部分において、すべての精神活動は「無意識」的なものだった。Cf.  魚に「意識」があるとは誰も思っていない。
・脊椎動物の進化の大部分において、すべての精神活動はもともと「無意識」的だった。

★私たちの「意識」は、私たちが感じることのなく動作する既存の「無意識」のメカニズム(「適応的無意識」)に追加されるのである。

(25)-2-2 《参考》T・ウィルソン『自分を知り、自分を変える―適応的無意識の心理学』 (邦訳 2005):本当の自分は無意識に隠されてるから、それを知ることで自己変革しよう!
「適応的無意識」はフロイトのいう「無意識」とは全く別の概念。意識できない心の領域で起こっている効率的(適応的な)情報処理を、「適応的無意識」と呼ぶ。本書は「自分を変えるにはどうしたらよいか」を知る自己啓発書であるとともに、心理学の新しい領域を示す。
☆「進化の過程で獲得してきた生存に必要な能力」という意味で、著者は「適応的」無意識と呼ぶ。
☆「適応的無意識」に含まれるものは、主要な心の働き、すなわち(a)潜在学習、(b)注意を向けて情報を選択すること、(c)解釈、(d)評価、(e)心理的免疫システム、(f)目標設定などである。「適応的無意識」は自動的処理を行い、早とちりで、ネガティブ情報に敏感である。
☆「意識的自己」にも、「適応的無意識」にも、人のパーソナリティがあり、本書では、その相関と起源が論じられる。

☆自分の心の隠されたところ(「適応的無意識」)を洞察する方法として、「出来事に一貫した説明をする物語」を作る筆記エクササイズの有益性が述べられる。
・どの様な「自己物語」をつくるか、言い換えれば「適応的無意識」の性質を知るには、他者の目を通して自分を知ることに加えて、自分の行動を観察するという方法がある。

☆自分が「なりたい」ように振る舞えば、その状態が習慣化し自動化するとともに、自己知覚過程により「適応的無意識」が書き換えられる。
・このように「行動」を意識的に変化させて「自己概念」を変化させることは、中毒や抑うつの人への援助に実際に生かされた。つまり「良いことをすれば、良い人間になる」!
☆「適応的無意識」がキーワードであり、本書は「本当の自分は無意識に隠されているから、それを知ることで自己変革しよう」と述べる。結論は「くよくよ考えすぎんな!自分を変えたけりゃ、行動あるのみやで!!実践、実践、アンド実践!」という分かりやすく力強いもの。このシンプルさ!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叢小榕『老荘思想の心理学』第5章24「物忘れのありがたさ――忘却という防衛機制」(『列子』周穆王):華子におけるような「健忘症」は、「防衛機制」としての忘却、すなわち「抑圧」とは異なる!

2024-01-25 13:37:56 | Weblog
445-24 叢小榕『老荘思想の心理学』第5章24「物忘れのありがたさ――忘却という防衛機制」(『列子』周穆王):華子におけるような「健忘症」は、「防衛機制」としての忘却、すなわち「抑圧」とは異なる!2024/1/25
(※DIARYyuutu43××へ転載)  
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第5章「なぜ忘れる能力は必要か」
(24)物忘れのありがたさ――忘却という防衛機制(『列子』周穆王)
宋の華子という人が、中年になって健忘症を患った。①朝、人から物をもらったら夕には忘れ、①-2夕に人に物を与えたら朝には忘れる。②路上では歩くのを忘れ、②-2家では坐るのを忘れる。③つい先のことは今になるとわからなくなり、③-2今のことは後になって、すぐ分からなくなる。魯に儒者がいて、華子の健忘症を治した。ところが記憶がよみがえった華子は大いに怒った。華子が言った。「健忘症が治って、今や過去の記憶が急に蘇って、数十年このかたの存亡、得失、哀楽、好悪などいろいろな思いがいっぺんに湧き出た。しばしでもよいから物忘れの状態に戻りたい。」(『列子』周穆王)

Cf. フロイトは言う。「自我を脅かす不快な経験は無意識の領域に『抑圧』されて意識にのぼらない、つまり忘却される。この『抑圧』は防衛機制のひとつとして無意識のうちに行われる。」

《感想1》「自我」は、自らを守るために無意識の防衛メカニズムつまり「防衛機制」備えている。「自我」は、直視できない苦しい経験を「無意識に」なかったことにする、あるいは嫌なことから「無意識に」目をそらし、忘れてしまう。これが「防衛機制」としての忘却、すなわち「抑圧」である。

《感想2》華子におけるような「健忘症」は、「防衛機制」としての忘却、すなわち「抑圧」とは異なる。「健忘症」とは、過去の体験や出来事を思い出す能力(「記憶」)が失われる障害だ。
《感想2-2》★健忘症の分類:健忘症の原因によって健忘症の分類がなされる。(a)頭部外傷後に起こる「一過性」の健忘、(イ)脳卒中のように脳の広い範囲に影響を与え改善が困難な病気が原因の「永続的」な健忘、(ウ)アルツハイマーのように「進行性」の健忘など。
《感想2-3》★「健忘症」の原因:(1)頭部外傷、脳卒中、脳腫瘍、脳炎、アルツハイマーなど、脳に損傷や萎縮をもたらす病気が「健忘症」の主な原因だ。「記憶」にはさまざまな脳領域が関わるため、脳のどこが損傷しても「健忘症」を起こす可能性がある。特に海馬、扁桃体、視床、正中核といった脳部位が損傷を受けると「健忘」が起こりやすくなる。(2)ほかにも、チアミン欠乏症のような栄養障害、(3)けいれん発作、(4)多発性硬化症、(5)アムホテリシンBやリチウムなどの薬剤の使用、(6)一酸化炭素中毒、(7)アルコールの乱用、(8)強い精神的ストレスなどによって「健忘」が起こる場合がある。

(24)-2 《参考》「記憶」とは?
★「記憶」の3要素:「記憶」は、①新しい情報を取り込む「記銘」と、②脳に保存されている情報・イメージ・記憶と関連付ける「符号化」、そして③記憶を思い出す「想起」の3つからなる。
★「記憶」には主に「前頭葉」と「側頭葉」が働く。さらに脳の多くの部位が働くが、特に「海馬」が重要であり、大脳辺縁系にある海馬は記憶の形成や想起に関与し、記憶と感情を結びつける働きがある。ほかにも生命の維持に関わる「脳幹」も記憶に関係する。
★持続時間による「記憶」の分類としては、数分間の記憶である「短期記憶」と、ほかのことに長時間集中したあとや睡眠後でも覚えている「長期記憶」に分かれる。
★内容による「記憶」の分類では、(A)意識的に思い出せる「陳述記憶」と、(B)意識に上がらない「非陳述記憶」がある。
(A)「陳述記憶」は表現したり説明したりすることが可能であり、「陳述記憶」はさらに「エピソード記憶」と「意味記憶」に分かれる。
・「エピソード記憶」は生活の記憶であり、いわゆる思い出だ。前頭葉や側頭葉などが関係する。
・「意味記憶」は勉強などに関わる記憶で、言葉の意味や数学の公式、物理の法則などの記憶だ。大脳皮質が関係する。
(B)「非陳述記憶」は自動車の運転やタイピングのような技能の記憶だ。非陳述記憶は感覚的で、言葉などで表現するのが難しいという特徴がある。大脳基底核や大脳皮質運動野や小脳などが関係する。

(24)-2-2  《参考》「健忘症」とは?
「健忘症」とは、過去の体験や出来事を思い出す能力(「記憶」)が失われる障害だ。失われる「記憶」は(a)数秒前や数日前、さらに長期などさまざまだ。また(b)部分的に失われる場合もあれば、完全に失われる場合もある。
★「健忘症」は主に、「陳述記憶」(Cf. 「非陳述記憶」)のうちの「エピソード記憶」(Cf. 「意味記憶」)の障害だ。
★また「記憶の3要素」である①「記銘」・②「符号化」・③「想起」のどれが障害されても、記憶障害(「健忘症」)が起こる。
★「健忘症」の記憶障害は、3つに分類される。(ア)原因が起こった直後の出来事を健忘する「前向性健忘」、(イ)原因が起こる直前の出来事を健忘する「逆行性健忘」、(ウ)聴覚や視覚のように1つの感覚に処理される出来事を健忘する「感覚特異的健忘」である。

★「健忘症」はすべての記憶を失うのではなく、数分間の出来事を記録する「短気記憶」を障害される場合が多くある。人との約束を覚えられない、今日の食事で何を食べたか思い出せない、ものをどこに置いたかを思い出せないなど。
・ほかにも、「新しいこと」を記銘して保持するのが難しくなる。
・一方で、その場で6桁の数字を覚えて答えたり、数十年前の記憶を思い出したりなど、「即時の記憶」や「昔の記憶」は思い出せる場合が多い。
★「健忘症」のこれらの症状により仕事や家事などの日常生活に支障をきたす場合が多くなり、混乱をごまかすために「作話」することもある。
★このような健忘症の持続時間は損傷の重症度によって、数分間から数時間、さらに長期とさまざまだ。

(24)-3 《参考》防衛機制とは?
「防衛機制」とはフロイトの精神分析における考えで、本能的衝動である「エス」と道徳性や良心である「超自我」との間で、現実判断や統制をおこなっている「自我」が、自らを守るために備えている無意識の防衛メカニズムが「防衛機制(defence mechanism)だ。この防衛メカニズムは、ありのままに受け止めると「苦しい」「辛い」「耐えられない」ような現実(体験や記憶)から身を守るために働く。
・例えば、直視できない苦しい経験を「無意識に」なかったことにする、嫌なことから「無意識に」目をそらし、忘れてしまう。これが防衛機制でもっとも使われる「抑圧」だ。そのほかにも「無意識に」現実を歪曲したり無視したりとさまざまなメカニズムがある。
・「自我」とは言わば「こころ」だ。人は「無意識に」防衛機制の働きによって一方でこころの健康を保つが、他方で防衛機制は「無意識に」現実を都合よく歪めてしまうため、働きが強すぎると「社会に適応できなくなること」や「神経症」の原因になる。

★「抑圧Repression」:防衛機制のメインとなる働きが抑圧だ。不快な体験や考えを「無意識に」押し込み、忘れさせるこころの働きだ。Cf. 意識的な抑圧は「抑制」という。

★「昇華Sublimation」:性的欲求や攻撃的欲求といった反社会的で認められない強い感情や欲求を、「無意識に」社会的・道徳的に認められる形に置き換えること。主にスポーツや芸術、仕事や学業へ衝動欲求を転換する。〈例1〉失恋してマラソンを始める、仕事にがむしゃらになる。〈例2〉破壊衝動を野球など部活に向けて解消する。〈例3〉性的欲求を詩や小説に表現する。

★「置き換えDisplacement」:特定の人物や物などに向けられた欲求や感情の表現が難しい場合に、「無意識に」対象を別の人物や物に置き換える行動。〈例1〉上司に対する不満や怒りを「無意識に」家庭に持ち帰り妻にあたりちらす。〈例2〉子供が独り立ちした親が「無意識に」ペットを溺愛する。

★「逃避Withdrawal」:面倒に感じることや向き合うことが困難な現実から「無意識に」目をそらし、別の現実や空想へ目を向けること。〈例1〉明日までにレポートを作成しなければいけないのに「無意識に」部屋の掃除に時間を費やす。〈例2〉学校に行きたくないから「無意識に」体調を崩す。

★「退行Regression」:「無意識に」未熟な発達段階に戻り、子どものような言動をとることで不安を避けようとする行動。(※「退行」は「逃避」に含まれる。)〈例1〉赤ん坊のように振舞って親の気を引こうとする。〈例2〉「指をしゃぶる」など幼い子供の行動をとる。

★「反動形成Reaction formation」:無意識の中に抑圧されている強い感情や衝動が、意識できる側面で正反対の傾向となって行動にあらわれること。〈例1〉強い憎しみを抱く相手に対して、「無意識に」好意的に愛想よく振る舞う。〈例2〉好きな相手に「無意識に」イジワルする。〈例3〉本心と裏腹なことを言ったり、その思いと正反対の行動をとる。〈例4〉憎んでいるのに愛していると思い込んだり、愛他主義の背後に実は利己心があったりと、性格として固定されることも多い。

★「合理化Rationalization」:満たされない欲求に「無意識に」都合の良い理由を付けることで、自分の失敗や好ましくない体験を正当化しようとすること。〈例1〉イソップ物語「すっぱいブドウ」のように、手の届かないブドウは「無意識に」すっぱいブドウだと自分に言い聞かせる。〈例2〉彼が私をフッたのは「女を見る目がないからだ」と「無意識に」自分に言い聞かせる。

★「同一化(同一視)Identification」:自分の尊敬する人や理想とする人(自分にない名声や権威を持つ人)の(ア)振舞いや特徴を真似て、または(イ)自分の存在をそのような他者に重ね合わせ、他者の状況を自分のことのように感じ行動すること。〈例〉憧れの映画の主人公の口癖を「無意識に」真似る。

★「投影Projection」:自分の中にある受け入れたくない不都合な感情や衝動を、「無意識に」他人に写し出すこと。「投影」はしばしば迫害されるという被害妄想の形を取る。〈例1〉実は「自分が彼女を嫌っている」のに「彼女は私を嫌っている」と思う。⇒自分が相手に抱いた感情を「無意識に」相手のものだと思い込む。〈例2〉実は「傲慢なのは自分」なのに「あいつは傲慢だ」と思う。⇒自分の特性や願望を「無意識に」相手のもだと思い込む。

★「隔離Isolation」:自分の行動などについて気づいているが受け入れがたい事実についての感情を「無意識に」自分から切り離し、逃れ、麻痺させたりすること。思考と感情、または感情と行動が切り離される。〈例〉親しい人が亡くなっても、涙が出てこない。意識はできている(頭ではわかっている)が、「無意識に」感情だけが切り離されて(麻痺して)、無感覚の状態に陥っている。

★「解離Dissociation」:「隔離」(分離)がつらく受け入れ難い自分の感情を「無意識に」切り離し、逃れ、麻痺させるのに対し、「解離」は自分のパーソナリティの一部が「無意識に」変更されることだ。つまり「解離」では、ある一連の心理的過程が、「私の体験」という全体から切り離される。感覚、知覚、記憶、思考、意図など個々の体験の要素が「私の体験」(私の人生)として通常は統合されているが、それがほつれ、統合性を喪失する。

★「否認Denial」:認めたくない現実、不快な体験や欲求を「無意識的に」なかったことことにしてしまうこと。視界に入っているが見えていない、聞いているが聞こえていない、知っているはずが知らないといったように、その現実や体験を存在しなかったことにする。〈例1〉医者は間違っている。私はアルコール依存ではない!〈例2〉狂信的になり特定の人物の言葉以外の現実を認めない。
Cf. 「抑圧Repression」はその出来事を無意識の領域に追い払うものだが、「否認Denial」は出来事自体が存在しないかのような言動をとる。

★「打ち消しUndoing」:不安や罪悪感を生じさせた行為をやり直したり、反対の行為をとって「無意識的に」無効にしようとすること。〈例1〉浮気をした罪悪感から「無意識的に」夫の機嫌をとる。〈例2〉受け入れたくない相手との性行為を忘れるために「無意識的に」複数の相手と関係を持つ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叢小榕『老荘思想の心理学』第4章23「金(キン)しか見えない男――欲望のスポットライト」(『列子』説符):欲望の動機づけが強すぎると「見る自分」のはたらき(「メタ認知」)が欠落する!

2024-01-24 12:19:56 | Weblog
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第4章「注意という心的資源をどう使うべきか」
(23)金(キン)しか見えない男――欲望のスポットライト(『列子』説符)
昔、斉(セイ)の国に金(キン)をほしがる男がいた。朝、身なりを整えると、市場へ出かけた。そして金をあつかう店に行き着くや、金(キン)を攫(サラ)って立ち去った。役人がこの男を捕らえ、「大勢の人がいる前で、人の金を攫うなんて、どういうつもりだ」と問うた。男が答えて言う。「金(キン)を取る時には、人などまったく見えなくて、見えたのは金だけでした。」(『列子』説符)

★情報処理にあたって「心的資源」には限界があるので、注意を向ける必要のないことは意識から排除される。
Cf. 第4章22「馬鑑定の名人――本質を見極める眼力」(『列子』説符):九方皐(キュウホウコウ)は、「本質」である「内面の素質」にすべての心的資源(注意)を集中するため、馬の「外見」は眼中にない。馬の「性別や毛色」さえ意識にのぼらない。「九方皐(キュウホウコウ)は馬を相(ミ)るにあたり、その『神』(シン)(本質)を相るのであり、その『形』を相るのではない。」

★「金(キン)をほしがる男」においては欲望が強い動機づけ状態となっており、注意のスポットライトがただ一つの対象つまり金(キン)に釘づけとなり、ほかの物事にはスポットライトが当たらない。

★「自分」は「見る自分」(主体的「自我」)と「見られる自分」(客体的「自己」)に分化している。ふだんは「自我」が「自己」を見ており、その行動をモニターしている。これが「メタ認知」だ。そして「自我」は「自己」の行動をコントロールもしている。
★欲望の動機づけが強すぎると「見る自分」(主体的「自我」)のはたらき(「メタ認知」)が欠落し、「無我夢中」の状態に陥る。
Cf. 第4章21:晋の文公は、衛討伐を取りやめ、軍を率いて国へ帰って行った!直接の目標達成(Ex. 衛討伐)に心的資源を集中すると、場面全体に注意が行き届かず視野が狭くなり「メタ認知」(モニタリング)ができない。「狙う者」(晋の文公)は、自分が「狙われる」(晋が攻め込まれる)者になりうることに気づかなかった。

《参考》「ハロー効果」という認知バイアス:Ex. 「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」!
第4章23「金(キン)しか見えない男――欲望のスポットライト」は「認知バイアス」現象について論じている。
☆「ハロー効果」とは、「一定の際立った特徴を持つ人への評価は、その特徴の影響を受けて歪む」という「認知バイアス」の現象のことだ。「ハロー」または「ヘイロー」とはHalo=後光、天使や神仏の背後にさす後光である。良い印象を持っていると良い方向に、悪い印象を持っていると悪い方向に働く。「ハロー効果」につてはアメリカの心理学者エドワード・ソーンダイクの論文が初出。Ex. 「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」。
☆「ハロー効果」は、「感情による即断」の典型的な例だ。人間の思考には「早い思考=直感的な思考」と「遅い思考=論理的な思考」がある。
☆人間は「認知」において「早い思考=直感的な思考」で対応することが多く、「認知」にかかるエネルギー、労力をけちる。「この人のことをよく観察してから評価しよう」という認知活動が苦手だ。(ダニエル・カーネマン『ファストアンドスロー』)

☆人が人を認知する際には①「信用レンズ=信用関係によって認知が変わる」、②「パワーレンズ=権力によって認知が変わる」、③「エゴレンズ=自分の自己肯定感を守るために認知が変わる」といったレンズ(「認知バイアス」)が邪魔して人を正しく見ることが難しい。(H・G・ハルバーソン)Cf. 「ハロー効果」はこういったレンズの影響である。
☆心理学や行動経済学で多くの「認知バイアス」の事例が報告されている。人間の認知、評価、判断にはどうしても何らかのノイズが混ざる。「認知バイアス」は人材育成の文脈では「人事考課」の際によく取り上げられる。
☆「人間はどうしても第一印象で判断する」、「人間はどうしても認知にかかるカロリーをケチる」という観点からは、「印象管理」や「マナー」は重要だ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叢小榕『老荘思想の心理学』第4章22「馬鑑定の名人――本質を見極める眼力」(『列子』説符):伯楽が推薦した九方皐は、馬の「神」(シン)(本質)を相るのであり、その「形」を相るのでない!

2024-01-22 12:26:50 | Weblog
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第4章「注意という心的資源をどう使うべきか」
(22)馬鑑定の名人――本質を見極める眼力(『列子』説符)
A 秦の穆公(ボクコウ)(前660-前621)が馬鑑定の名人の伯楽に言った。「そなたはもう年だな。そなたに代わる馬鑑定の名人はいないか?」とたずねた。伯楽は「九方皐(キュウホウコウ)という馬鑑定の名人がおります」と答えた。そこで穆公は九方皐を引見したうえで、「天下一の馬」(千里の馬)を探しにでかけさせた。3か月たつと九方皐は帰ってきて報告した。「見つけました。牝(メス)で黄色の馬です。」人をやって連れてこさせるが、それは「牡(オス)で黒い馬」だった。穆公は不機嫌になり伯楽を呼び出して言った。「九方皐は馬の色合いや牡牝さえもわからない。馬の鑑定などできるわけがない。」
B 伯楽が言った。「九方皐は馬の『本質』つまり内面(天賦の素質)を追求して、『外見』(馬の色合いや牡牝)は気にもとめません。観察すべき点を観察し、観察しなくてもよい点は無視します。」九方皐が鑑定し見出したその馬は、果たして「天下一の馬」(千里の馬)であった。(『列子』説符)

★「伯楽」とは、秦の穆公の時、「馬を見る名人」として知られた人。転じて「人物を見抜く眼力のある人」を指していう語として用いられる。Ex. 「球界の名伯楽」。

★九方皐(キュウホウコウ)は、「本質」である「内面の素質」にすべての心的資源(注意)を集中するため、馬の「外見」は眼中にない。「性別や毛色」さえ意識にのぼらない。
★唐の盧重玄は「九方皐(キュウホウコウ)は馬を相(ミ)るにあたり、その『神』(シン)(本質)を相るのであり、その『形』を相るのではない」と解説する。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叢小榕『老荘思想の心理学』第4章21「狙う者が狙われる――メタ認知を促すアナロジー」(『列子』説符):晋の文公は、衛討伐を取りやめ、軍を率いて国へ帰って行った!

2024-01-21 13:53:15 | Weblog
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第4章「注意という心的資源をどう使うべきか」
(21)狙う者が狙われる――メタ認知を促すアナロジー(『列子』説符)
晋の文公が衛を伐(ウ)とうとした。公子の鋤(ジョ)が言った。「隣人の男が妻を実家に送った時、その隣人の男は道中で会った桑摘みの女を見かけて気に入り口説いた。ところが妻はよその男から気に入られ口説かれていた。」文公はその話の意味するところを悟り、衛討伐を取りやめ、軍を率いて国へ帰って行った。まだ帰りつかぬうちに、晋の北方の辺境に攻め込んできた者があった。(『列子』説符)

★これについて東晋の張湛の注に「われの行うところは、人もまた行う」とある。「自分の認知活動について一段高いところからながめること」(モニタリング)すなわち「メタ認知」が重要である。
★直接の目標達成(Ex. 衛討伐)に心的資源を集中すると、場面全体に注意が行き届かず視野が狭くなり「メタ認知」(モニタリング)ができない。
★公子の鋤(ジョ)は「アナロジー」つまり「四項類推」の必要を提示して、メタ認知活動を促した。「隣人の男が桑摘みの女を口説いた(a)」:「よその男が隣人の男の妻を口説いた(b)」。「晋の文公が衛を伐(ウ)つ(c)」:「?(d)」。晋の文公は「北方の者が晋を伐(ウ)つ(d)」と「四項類推」して、晋の防衛のため衛討伐を取りやめ、軍を率いて国(晋)へ帰って行った。かくて「アナロジー」(四項類推)は「メタ認知」を促す。
★「四項類推」の例:「教師:生徒=医者:?」において、「?」は「患者」と類推される。

(21)-2 アナロジー(「四項類推」)は「関係性の間の関係性」という高次の理解を必要とする!(a : b)の関係と(c : d) の関係から d を推定する!
★認知科学において「四項類推」は、「関係性の間の関係性」という高次の理解を必要とするため、人の推論能力の重要な特質とされてきた 。「四項類推」課題とは、(a : b) と (c : d) の対からなる 4 つの単語や物の内、 a、b、c のみが与えられたとき、(a : b)の関係と(c : d) の関係から d を推定する、という課題である。 この課題に対して想定される回答を得るためには(a : b)の関係 、 (c : d)の関係、それぞれを発見し,そこから d を推定する必要がある。例えば、「大阪府」と「大阪市」(a : b)に対して「石川県」(c)に対する d は何か、という問いには「県-県庁所在地」という関係を満たす「金沢市」(d)が回答となる

Cf. 「象は動物の一種である」、「リスは木の実を食べる」といったように、物事は相互に関係して存在する。限られた資源の下で効率的な情報処理を行う必要がある脳やコンピュータにとって、これらの関係をど
う利用して情報を処理するかは重要な問題である。「物や事」の「意味的関係」の問題は、記憶や学習といった「認知」における、つまり「認知科学」における根本的な問いである。

(21)-3 法の「類推適用」:甲という要件に対して乙という法律効果の規定があり、甲に類似した丙については明文の既定がない場合において、類推により丙につき乙を生じるとする!
★法の「類推適用」とは「直接定めた法規がない場合に、もっとも類似した事項についての法規を適用すること」、「甲という要件に対して乙という法律効果の規定があり、甲に類似した丙については明文の既定がない場合において、類推により丙につき乙を生じるとすること」である。つまり「類推適用」とは、事案の解決にぴったりの法規がない場合で、しかもある法規が想定した場面によく似ているものがあるときに、法規の「こころ」に従いつつ、その守備範囲をちょっと広げて解決を図ろうという方法だ。ここで大切なのは、法規の「こころ」を見抜くことで、それを間違うとお門違いの類推をしてしまう。「こころ」の例としては、民法ならば、「取引の安全」、「真の権利者の保護」、「法律関係の早期安定」などがある。法規は、何らかの「理由(必要性)」=「こころ」があって、はじめて存在する。法規の「こころ」を考えることが肝要だ。

Cf. 「こころ」とは㋐物事の本質をなす意味。また、芸術上の理念。「演技の—を会得する」「能の—は幽玄にある」。㋑なぞ解きなどで、その理由。わけ。「田舎の便りとかけて豆腐ととく。こころはまめ(豆)で稼いでいる。」

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叢小榕『老荘思想の心理学』第3章20「酒と純粋な精神状態――心身の弛緩から見える自然な生き方」(『列子』黄帝、『荘子』外篇・達生):酔った者、赤子、睡眠中の人は「純粋な精神状態」にある!

2024-01-18 13:05:18 | Weblog
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第3章「何が自然で何が不自然か」
(20)酒と純粋な精神状態――心身の弛緩から見える自然な生き方(『列子』黄帝、『荘子』外篇・達生タッセイ)
道家の関尹(カンイン)が言った。「酒に酔った者は、車から落ちた時、けがはしても死ぬことがない。車に乗っている意識がないし、落ちた自覚もない。死ぬこと、生きること、驚き懼(オソ)れることも、その胸中に入らない。このような『純粋な精神状態』では、いかなる物事にぶつかっても、びくともしない。」(『列子』黄帝、『荘子』外篇・達生タッセイ)

★酔った者、赤子(赤ちゃん)、睡眠中の人は「純粋な精神状態」にある。
★道家は「赤子」を精神状態の最も純粋な者の例としてしばしば取り上げる。『老子』第55章に「徳を厚くそなえている人は、赤子に比べることができる」とある。『列子』「天端」には「嬰孩(エイガイ)の時期にあっては、精神が純粋にして雑念がなく、和の至りであるから、外物から傷つけられることもなく、至高の徳がそなわっている」とある。
★「純粋な精神状態」とは、安危も利害もまったく意識せず、自然のなりゆきに身を任せる「弛緩状態」、つまり「自然な状態」である。「弛緩状態」にあれば、緊張が生じず、身体が構えず、抵抗による不自然な摩擦や衝撃が起こらないため、外物によって傷つけられにくい。
★中国拳法の一つの「酔拳」では、酔態が弛緩状態として、ポジティブに生かされている。Cf. 『ドランクモンキー 酔拳』(1978)ジャッキー・チェン主演の香港映画。実在の武術家・黄飛鴻(コウヒコウ)(1847-1925)がモデル。酔八仙拳に基づくカンフーを見せる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叢小榕『老荘思想の心理学』第3章19「君主になりたくない王子――命の重さ」(『荘子』雑篇・譲王):越の国の人々は、「命は何物にも代えられない」という自然の道理を知る捜を、君主とした!

2024-01-17 12:53:53 | Weblog
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第3章「何が自然で何が不自然か」
(19)君主になりたくない王子――命の重さ(『荘子』雑篇・譲王)
越(エツ)の人々は、三世にわたってその主君を殺した。王子の捜(ソウ)は殺されるのを恐れて、丹穴(タンケツ)という洞窟に逃げ込んだ。」越の国の人々は、王子の捜を燻しだし、王子を君主とした。王子は「君主か、君主か、どうしてわたしがならなければいけないのか」と嘆き叫んだ。越の国の人々は、王子の捜のような者は、国のためだからといって、生命を害するようなことをしない人物なので、越の国の人々は捜を君主として迎えたかったのだ。(『荘子』雑篇・譲王)

★捜(ソウ)が権力ほしさに自ら君位についていたら、彼も先代と同じように殺されただろう。だが権力のために身を滅ぼすのを嫌って逃げた捜は、「命は何物にも代えられない」という自然の道理をわかっている人物として、越の国の人々は捜を君主として迎えた。
★道家は「自然の変化としての死」は肯定するが、権力をむさぼることは「自然のなりゆき」に逆らうことであり、権力への欲望のため命を落とすことは「天から与えられた罰」だと考える。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする