宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その7)「第12章」:「人間」の「殺戮の習性」や「食人の風習」は「サル類」から受けついだ!チンパンジーは「仲間の子どもの肉食」を楽しむ!

2021-06-30 20:27:07 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第12章 自然の掟を破ったもの:人間の「同族殺害」は「大悪」である!(225-242頁)
(13)「攻撃性」は、「種の保存」のために「遺伝的に組み込まれたプログラム」(「本能」)であって、「“性”と密着している生得的な性質」である!
M コンラート・ローレンツ(1903-1989)『攻撃』(1963)は、「攻撃性」が「“性”と密着している生得的な性質」であることを証明した。(228頁)
M-2 例えばシカの雄は秋の発情期に交尾テリトリーを作り、侵入してくる雄と戦い、雌を占有しようとする。これは「種の保存」のために「遺伝的に組み込まれたプログラム」(「本能」)が命ずる行動であって、「個体の意志」と無関係に雄ジカは戦い、種つけに邁進する。シカの雄は「進化」という「造物主の命」に従っている。(229頁)

(13)-2 「攻撃性を抑制する機構」:(ア) 形態の安全化、(イ)「武器となる形態」をシンボル化する、(ウ)闘争の行動を「儀式化」する、(エ)「転移行動」!
M-2-2 だが同時に「種の維持」(「個体群の維持」)のためには雄の「攻撃性を抑制する機構」がなければならない。(ア)形態の安全化:角を絡み合わせ戦うシカの角は枝分かれし、角が滑って相手を傷つけないように進化した。あるいは角の先端が扁平で巨大になった。さらに(イ) 「武器となる形態」をシンボル化する:角が闘争のシンボルとなり、より巨大な角を持った雄を優位な雄として認め無益な闘争を回避する。(ウ)闘争の行動を「儀式化」する:例えばダマジカでは「闘争の際、劣位者は横に寝転がって白い横腹を見せる。すると優位の雄は闘争を停止する。」(エ)「転移行動」:例えばアナウサギの雄は闘争で勢力が伯仲すると、戦いの相手を無視し急に穴掘りを始める。かくて闘争が鎮静する。(229-231頁)

(13)-3 動物社会の鉄則:「同じ種類の仲間を殺さない、食べない」!人間の「同族殺害」は「大悪」である!
M-3 こうしてローレンツは「同じ種類の仲間を殺さない、食べない」というのが「動物社会の鉄則」だと言う。(232頁)
M-3-2 だが人間はこの「自然の掟」を破る。個人的怨恨による殺人、ナチスによるユダヤ人大量虐殺、戦争、核爆弾による無差別大量虐殺など。いずれにせよ「同族殺害」は動物社会の鉄則に反する「大悪」である。(232頁)

(13)-4 人間界の「食人」の風習は宗教的・儀式的だった?!
M-3-3 「仲間を食べる」という「食人」の風習は人間界で広く行われていた。(イ)北京原人が人間の脳を食べる(or取り出す)ため頭骨の大後頭孔を大きく広げた。(イ)ネアンデルタール人(5万5000年前):脳を取り出した(or食べた)頭骨が出たが、頭骨の周りに石を輪のように並べてあったので、儀式的・宗教的な食人だったと思われる。(233-234頁)
M-3-4 「宗教」的な理由からであれ、「食物」としてであれ、人間は「人間の肉」を食べた長い歴史を持つ。(234頁)

(13)-5 「サル類の肉食」!
M-4 だが「仲間を殺し、仲間を食べる」ことは既にサル類に見られる。サル類は「動物社会の鉄則」をはずれる。「人間」の「殺戮の習性」や「食人の風習」は、「サル類」から受けついできた「原罪」だ。(以下詳しく見る。)(234頁)
M-4-2 さてサル類(真猿類)の食性は主として植物食だ。「雑食」と言われるもの(Ex. ニホンザル)もいるが動物食はおやつ程度だ。(Ex. 小動物、昆虫)長い間、このように考えられてきた。(234頁)
M-4-3 だがサバンナヒヒがガゼルの子を獲って食べる、ブルーモンキーがリスを頭からかじるなど、「サル類の肉食」が今は、多く発見されている。(235頁)

(13)-6 チンパンジーの肉食:「チンパンジーはしばしば協同して、けものを囲み、巧みに捕獲する。それは人類の原始的な狩猟と何ら異なるところがない」!チンパンジーは動物の「脳」を好む!
M-5 「チンパンジーの肉食」はかなりの頻度で起こる。「チンパンジーはしばしば協同して、けものを囲み、巧みに捕獲する。それは人類の原始的な狩猟と何ら異なるところがない。」(235頁)
M-5-2  「チンパンジーは捕らえた獲物を分配し、死体のほとんどすべてを食べてしまう。」「最も好むのは脳である。大後頭孔に指をつっこんで脳を食べるし、歯で前頭部に穴をあけて頭蓋腔をえぐってなめる。」(235頁)
M-5-3  チンパンジーのこのような行動を見ると「古人類が脳を食べたことに驚くことはない。それは化石類人猿から人類が継承した行動に他ならない。」(235頁)
(13)-6-2 チンパンジーの狩猟と肉食は「遊びと嗜好の要素」が強い!
M-5-4 チンパンジーの狩猟と肉食は「遊びと嗜好の要素」が強い。一般に「サルは動物をからかったりいじめたりするのが、大好きだ」。(Ex. 飼ったサルが犬や猫をからかう。Ex. 幸島コウジマのサルが鶏をいじめては楽しんでいた。)(236頁)
M-5-5 「サルの動物相手のいたずら遊びに攻撃性が結びつき、つかまえて殺してしまう」。そして「いったん食べるとその味が忘れられず、つぎは食べるために動物をとらえる、ということに発展していく。」(236頁)
(13)-6-3 チンパンジーは「仲間の子どもの肉食」を楽しむ風習がある!
M-5-6 チンパンジーは「子どもの肉食を楽しむ風習がある」。「《同じ集団の雌》の子を雄が殺し、しかもそれを食べる」。さらに「雌もまた《他集団からきた雌》の子どもを殺し、それを食べる」(241頁)
M-5-6-2 「殺した子」の食べ方:チンパンジーの雄と雌、どちらの場合も、殺害者のまわりに他の個体が集まって物乞いし、「殺した子」の肉は何頭かに分配される。チンパンジーたちは「殺した子」を食べるとき、木の葉をちぎっては食べる。つまり彼らは、「肉とともに野菜を食べる」という、本格的な食事を楽しんでいる。(241頁)
M-5-6-3 「彼らチンパンジーが住むブドンゴの森は、イチジクなどの果実が豊富に実り、食物にはことかかない。」となるとチンパンジーは「[仲間の]子どもの肉食を楽しむ風習がある」と言ってよい。(241頁)

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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その6-3):「第11章」《参考》ゲラダヒヒは「争うことをさけている平和主義のサル」だ!

2021-06-30 10:00:07 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

《参考》河合雅雄(兵庫県立人と自然の博物館名誉館長)「争うことをさけている平和主義のサル」(『共生のひろば』9号, 1-6, 2014年3月)(90歳)
(1)エチオピアでのゲラダヒヒ:霊長類の社会構造を支えるはずの「順位制」と「テリトリー制」の欠如!
私は霊長類社会学で従来の定説を破る現象に出会って驚嘆したことがある。それはエチオピアでのゲラダヒヒの研究においてである。従来は、霊長類の社会構造を支える大きな柱は、「順位制」と「テリトリー制」だとされてきた。つまり、群れ社会では、個体間には順位があり、それが集団を秩序づけている大きな柱になっており、また、群れと群れはおのおの自分のテリトリーを持ち対立しているということである。これまでよく研究されてきたニホンザル、アカゲザルらのマカカ類やアヌビスヒヒ、それにチンパンジーもこの原則に従っていた。ところがゲラダヒヒの社会では、この定説が通じないことがわかったのである

(2)ゲラダヒヒの「バンド」(Cf. 「群れ」):おとなの雄(「ユニット」のリーダー)間に順位がない!
ゲラダヒヒは、重層社会という特異な社会構造をもっている。リーダー雄を中心に、複数の雌と子どもたちから成るグループを「ワンメイル・ユニット」、略して「ユニット」と呼ぶが、これらユニットが集合して大きな集団を作る。この集団を「バンド」と呼ぶ。ニホンザルの「群れ」に相当する集団である。バンドは複数のユニットから成るから、バンドの中には複数のおとな雄(リーダー雄)がいることになる。「これらのおとな雄間には、当然順位がついており、その順位秩序によって複数のユニットが共存できる」というのが従来の考え方であった。ところが、驚くべきことにはおとなの雄(ユニットのリーダー)間に順位がないのである。初めはこのことが信じられなかった。
(2)-2 ゲラダヒヒ:「バンド」(Cf. 「群れ」)内の「ユニット」どうしの間にも順位がない!
ということは、「ユニット」どうしの間にも順位がなく、ユニットとユニットは同格平等だということである。その証拠を示す現象がいくつか観察された。顕著な証拠の一つは「水飲み場」で見られた。セミエン高地は水飲み場が少ない。とくに乾季の終わり頃になると、水飲み場は減少し、台地の上には数か所しかなくなる。「バンド」は台地の上を採食しながら遊動しているが、水飲み場にさしかかると水を飲む。従来の順位社会での考え方だと、優位なユニットの順に水を飲むということだった。ところが「ゲラダヒヒのバンド社会ではユニットの間に順位がない」ので先着順に水を飲むのである。ほかのユニットは順番を待っておとなしく待機している。
(2)-3 ゲラダヒヒ:「バンド」(Cf. 「群れ」)は、「ユニット間の順位秩序」でなく「ユニット間は平等対等だという原理」によって成立している!
初めてこの状況を見たときは、信じられなかった。ニホンザルやチンパンジーなどの「順位社会」になれている身には、じつに奇妙な風景であった。「ユニット」間に順位がないということは、「バンド」の成立に今までとはまるで変った観点が必要だということである。つまり、「バンド」は「ユニット間の順位秩序」によって成立しているのではなくて、全く正反対の原理である、「ユニット間は平等対等だという原理」によって成立しているということである。ゲラダヒヒの社会は、できるだけ個体間及び集団間の争いをさけ、協調を主軸にした平和な社会を作っている。もちろん個体は嫌なことや腹が立つことがある。だがそれらを抑制する社会行動が発達している。

(3)ゲラダヒヒの雄・雌、主食、「ユニット」、「バンド」(Cf. 「群れ」)!
《1》ゲラダヒヒのおとなの雄:首、胸部、鼠径部は赤い皮膚が露出している。おとなの雌:乳房がある。
《2》赤道に近いが、高所なので朝は-2度、北壁には氷がついている。ゲラダヒヒは水分の補給に氷を食べる。主食はイネ科の草、指で切り取り、口へ運ぶ
《3》「ユニット」:1頭のリーダー雄を中心に、数頭の雌と子どもよりなる。ユニットの社会構造:(a)ユニットの雌間には順位がある。順位1の雌はリーダーとは強い親和関係がある。(b)ときにセカンド雄がいる。彼はリーダーの補佐役である。1頭のガールフレンドが許され、彼女とは仲がよい。しかし、交尾権はリーダーにある。
《4》「バンド」(Cf. 「群れ」)の社会構造:複数のユニット、フリーランスの雄、若雄グループよりなる。
(3)-2 個体は嫌なことや腹が立つことがあるが、それらを抑制する社会行動が発達している!
《5》(ア)セカンド雄をリーダーが睨む。セカンド雄は上唇をまくり上げ、上あごの歯肉を見せて恐縮の意を表す。(イ)リーダー雄の前を通るセカンド雄。片足を上げてあいさつする。
(ウ)子どもがリーダーに叱られた。叱られた子どもは、リーダーの前に立って「すみません」の意を表す。
(エ)若者がリーダーに叱られた。若者はアカンボウを抱き、敵意がないことを示す。
(オ)リーダーが大口を開ける。あくびではない。鋭くて長い牙を見せ、威嚇を表す。
《6》(カ)雌はときに浮気を起こし、他のユニットのリーダーに接近することがある。それに気づいたリーダー雄は、まぶたの白い部分を見せ、怒りの表情を見せる。
(キ)雌を連れ戻しに出かけるリーダー: 浮気雌を見つけ、叱る。雌は「すみません」とばかり、上唇をまくり上げ(リップロール)て、恭順の意を表す。雌は尻をリーダーに向け、降服の意を表す。リーダーは叱らず、雌を抱きしめてエロチックな発声をし、雌を許す。決して咬みついたり、蹴とばしたりの攻撃行動はとらない。
《7》(キ)ユニットのリーダー同士の対決。お互いの目を見つめない。喧嘩はしない。引き分けに終る。

(4)ある地方のゲラダヒヒ:A、E、Kの3つの「バンド」!
ある地方に、A、E、Kの3つの「バンド」が生息していた。ニホンザルやチンパンジーなど今まで知られている霊長類では、集団は「テリトリー」(なわばり)を持ち、お互いに対立している。テリトリー境界では自領を守るために、隣接集団は相争う、というのが定説であった。
(4)-2 ゲラダヒヒのA、E、Kの3つの「バンド」:テリトリー性が皆無で、それどころかジョイントするという親和的関係!
ある日、Aバンドが山を降り、谷を越えてEバンドの方に向かって移動を始めた。AとEはテリトリー境界で戦いが起こると私は興奮し、カメラを構えてこの戦いを撮影しようと待ち構えた。2つのバンドは接近し、あわや戦いが始まるかと思ったら、全く予想に反して何の摩擦もなく、2つのバンドはジョイントしてしまった。そして、大集団となり、東のKバンドに向かった。Kバンドとも何の摩擦もなくジョイントし、さらに大集団を作って移動した。そして5日後、バンド集団は解け、K、E、Aとそれぞれの行動域におさまった。テリトリー性が皆無で、それどころかジョイントするという親和的関係に、私はしばし唖然として立ちつくした。
(4)-3 ゲラダヒヒ社会:「テリトリー」性がないとともに「集団」(バンド)間の対立がない!
霊長類の中で「テリトリー」性がないのは唯一ゴリラだけであった。だがゴリラの「群れ」は強く対立し、遭遇すると激しく戦った。しかし、ゲラダヒヒ社会のように「テリトリー」性がないとともに「集団」(バンド)間の対立がないという種は初めての発見であった。

(5)霊長類社会には、①攻撃性と競争、対立を基調とする社会と、②親和性と協調、共同を基調とする社会の2つの系列がある!
その後、研究の進展により、「親和性と協調性を主軸にした平和主義のサル」として、ゲラダヒヒのほかに、ボノボ、チベットモンキー、ベニガオザル、キンシコウなどが発見された。これらのことから霊長類社会には、①攻撃性と競争、対立を基調とする社会と、②親和性と協調、共同を基調とする社会の2つの系列があることが明らかになった。
(5)-2 霊長類の進化によって誕生したヒトは、霊長類社会の2系列(①攻撃性、②親和性)の性質を内包した存在である!
ヒトは霊長類の進化によって誕生した特異な動物である。ヒトの特異性の一つは、以上の霊長類社会の2系列の性質を内包した存在だということである。霊長類社会の2系列は「ヒトとは何か?」という問いかけに答えるための大きな基盤を提供したといえる。その意味で、ゲラダヒヒ社会の解明は大きな役割を演じたといえるだろう。

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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その6-2):「第11章」父系社会(Ex. マントヒヒ)の攻撃性に対し、母系社会(Ex. ゲラダヒヒ)は親和性によって社会が成立する!

2021-06-29 16:15:54 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第11章 人類社会の起源は母系か父系か:「人類の祖型」は母系社会だ!(207-224頁)
(12)父系社会(Ex. マントヒヒ、チンパンジー)は攻撃性によって社会が成立する!母系社会(Ex. ゲラダヒヒ)は親和性によって社会が成立する!
L 群れのメンバーの移出入が雄によってなされる社会は母系社会だ。雌の移出入はない。ニホンザル、サバンナヒヒ、ハヌマンラングール。サル社会は「母系社会」(雄の移出入がある。)と思われていた。(209頁)
L-2 チンパンジー社会で単位集団間での雌の移出入があり、雄は基本的に移出入しない。つまりチンパンジー社会は「父系社会」だ。この発見は衝撃的だった。(209頁)
L-2-2  ゲラダヒヒは「母系社会」で雄の移出入がある。ゲラダ・ヒヒの社会的単位は1頭の雄と複数の雌からなるワンメイル・ユニットだ。(ワンメイル・ユニットが複数集まってハードを作る。)ワンメイル・ユニットは、雌グループに雄が入ってきた形で成立する。(リーダー予備軍の雄グループがある。)リーダー雄の選択は雌の側にある。(210-213頁)
L-2-3  マントヒヒは「父系社会」(orメイル・ボンド)で雌の移出入(Ex. 「子さらい」)がある。マントヒヒのワンメイル・ユニットはリーダー雄が徹底した攻撃で雌を従わせる。(ワンメイル・ユニットが複数集まってバンドを作る。)(210-213頁)
L-3  単位集団を、「父系社会」では雌、「母系社会」では雄が、離脱し移籍(移出入)するが、生物学的には、これは集団内婚の回避、遺伝子の拡散の社会的方式だ。(210頁)
L-3-2 父系社会(Ex. マントヒヒ)は攻撃性によって社会が成立する。母系社会(Ex. ゲラダヒヒ)は親和性によって社会が成立する。(214頁)
L-3-3 チンパンジー社会はメイル・ボンドと雌の離脱を中心に形成された父系社会だ。雄間の拮抗性と攻撃性は強烈だ。激しい戦いで時に相手を殺す。(214頁)

(12)-2 人間とゲラダヒヒの性的二型は、男も女もor雄も雌も、両方が異性を誘引するための道具立てを持つ!
L-4 性的二型(雄と雌の形態的差)は、少数の雄が複数の雌を誘引するために、雄において特に顕著に現れた形態として理解することができる。(Ex. マントヒヒやゲラダヒヒの雄の長い毛のマントと頬ひげ、マントヒヒの雄の尻の紅い座布団のような肉塊、ゲラダヒヒの大きな尻だこの下の同形の黒い皮膚のパッチ、ゴリラの雄のシルバー・バックと頭骨の大きな刺状突起。)(218-219頁)
L-4-2 マントヒヒ、ゲラダヒヒ、ゴリラの社会的単位は1頭の雄と2-10頭の雌からなる小集団だ。(217頁)
L-4-3 オランウータンは単独で生活するが、雄は複数の雌のなわばりを含む大きななわばりを作り、複数の雌を占有する。(Ex. オランウータンの雄は首が隠れるほどの脂肪の蓄積を持つ。)(219-220頁)
L-5 人間の性的二型は、男も女も、両方が異性を誘引するための道具立てを持っている。男性のごつごつした筋肉質、ひげ。女性の脂肪が多くなめらかで優しい体型と乳房。(220-221頁)
L-5-2  実はゲラダヒヒは雌にも性的二型を示す形態的特徴がある。胸に逆ハート形の赤い皮膚の露出部があり、その縁にラムネ玉のような肉塊が並び雄を誘引する。(220-221頁)

(12)-3 人間も、「性的二型の特徴を両性が担っている」からゲラダヒヒのように「両性の社会的平等化」が基調の母系社会だったと類推される!(222-223頁)
L-6  「性的二型とエソロジカル(※動物行動学的)な観点を組み合わせて考えると、人類の祖型はゲラダヒヒ型であったのではないか」と想像可能だ。(222-223頁)
L-6-2 「霊長類で性的二型を示す特徴が、雄と雌の両方において著しいのは、人間とゲラダヒヒだけだ。」(222頁)
L-6-3 「ゲラダヒヒのユニット」は「雄の一方的な支配と雌の服従」(父系社会的なユニット)でなく、「両性の積極的な誘引」によって形成された。(母系社会的なユニット)(223頁)
L-6-4 人間は今、「性的二型の特徴を両性が担っている」から、人類の祖型も、ゲラダヒヒのように「両性の社会的平等化」が基調だと類推される。(223頁)

(12)-4 「人類学者」のように「狩猟採集民社会」では「男性の優位性が社会の原動力となっている」(父系社会)と決めつけるのは危険だ!
L-7 現在の「ブッシュマンやピグミーなどの男女の結合様式を見ると、男女間に等しく個性的で独立した交際が行われ、婚資をともなわない個と個の結合という形でなされている」。(※つまり母系社会的だ!ゲラダヒヒの社会に似る!)(223頁)
L-7-2  これに対し「人類学者」は「未開社会」の研究から、「集団間での女性の交換」を重視し、「女性が財あるいは労働力をもつものとして交換される」ことが、「家族とコミュニティーの維持」に大きく機能している(※父系社会!)と主張する。これが「人類社会の特質」だとする。しかし上記のブッシュマンやピグミーの例を見ると、「狩猟採集民社会では、男性の優位性が社会の原動力となっていると決めつけるのは危険だ。」(223頁)

(12)-5 「現存する狩猟採集民社会」、例えばブッシュマンは「平等で対立のない社会」だ!
L-7-3 「人類社会の特質」として「男性優位の原則」(※父系社会!)を認めることは、「人類の祖型」において「ユニットの形成や集団間の関係」を「攻撃性」を基盤に考えざるをえない。(223頁)
L-7-3-2 Cf. すでに見たようにサル類において「父系社会」(Ex. マントヒヒ、チンパンジー)は「攻撃性」によって社会が成立する。「母系社会」(Ex. ゲラダヒヒ)は「親和性」によって社会が成立する。(209-214頁)
L-7-4 「人類の祖型」において「攻撃性」によって社会が成立するとの「人類学者」の考えは実情にそぐわない。「現存する狩猟採集民社会」、例えばブッシュマンは「平等で対立のない社会」だ。(223頁)

(12)-6 人間の祖型社会は、「ゲラダヒヒ型のユニット」でなく、「男も女も集団間の移籍が可能な、個体の自由度が非常に大きな社会」だったかもしれない!
L-8 なお人間とゲラダヒヒの「性的二型」に関し、ゲラダヒヒは雄雌の体重・身長差が大きい(ある資料によれば、《体重》雄20-23kg・雌12-14kg、《体長》雄69-74cm・雌50-65cm)。(224頁)
L-8-2 ところが人間は男女間の体重や身長差が小さい。すなわち人間の祖型社会は、「ゲラダヒヒ型のユニット」が社会的単位でなかったかもしれない。人間の始源の社会は「男も女も集団間の移籍が可能な、個体の自由度が非常に大きな社会」だったかもしれない。(224頁)

(12)-7 「父系説系譜論」は誤りだ!「牧畜・農耕社会」になってから、「父系」が社会構造の基軸となった!
L-9 「人類の祖型」において「攻撃性」によって社会が成立する(※「父系社会」!)との「人類学者」の「父系説系譜論」に対して異議を申し立てたいと河合雅雄氏が言う。(224頁)
L-9-2  サル社会からの類推では「父系社会は攻撃性を基調にした社会だ。」(224頁)
L-9-3 だが「父系」が制度化され社会構造の基軸として織り込まれるのは、「牧畜・農耕社会」になってからだと、河合雅雄氏は考える。そのとき以来、「女性は物として交換の対象となり」、「男性優位の歴史」が始まった。(224頁)
L-9-4 「牧畜・農耕社会」の成立は、「男性優位の歴史」のはじまりとして、「男が女に対して生みだした原罪」だ。(224頁)

《参考》(11)-3 ヒトは狩猟採集社会では「なわばり」を持たない平和な生活を送った!牧畜農耕社会になって物の所有、土地所有、財の蓄積が生じ、再び強い「なわばり制」(Ex. 国家)が発生し、ヒトは殺戮や戦争を開始した!
K-4 「ヒトは狩猟生活をしている間は、なわばりを持たない平和な生活を送っていた。ところが牧畜農耕革命によって人間は再び強いなわばり制(Ex. 国家)を持つに至った。」(206頁)
K-4-2 牧畜農耕社会になって物の所有、土地所有、財の蓄積が生じると、再び強いなわばり制(Ex. 国家)が発生し、ヒトは殺戮や戦争を開始した。(206頁)
K-4-3  牧畜農耕革命後の、物質文化の進歩、所有概念の発生と強化、財の蓄積にともなう物欲と権力のとめどのない増幅作用が、殺戮・戦争を発生させた。かくてそれらは人間に「悪の深淵」をのぞかせ、「悪魔の所業」をプログラムさせるに至った。(206頁)

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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その6):「第10章」サル類の「なわばり制」は平和的!樹上から地上生活になり「なわばり制」消滅!ヒトの「なわばり制」は攻撃的だ!

2021-06-28 13:33:44 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第10章 ヒト、なわばりを復活させたもの(190-206頁)
(11)サル類は群れを安泰に維持する、つまり群れ同士の争いを避けるために「なわばり」を持つ!
「なわばり制」が「攻撃性と排他性」を中心とするという見解(R. アードレイ)は誤り!
K  劇作家ロバート・アードレイ(『アフリカ創世記:殺戮と闘争の人類史』1961年)は、サルからヒトへの進化においては、サル類の「攻撃性と排他性を中心とするなわばり制」が原動力となっているとする。かくて「闘争と殺戮の歴史」がヒトの進化と進歩をなしとげたと主張する。(198頁)
K-2  だが森に住むつまり樹上生活のサル類における「なわばりを持つ集団」は出会った場合、「対峙や転移行動」が普通で、「相手を傷つける行動」は少ない。サル類は群れを作るが、「群れを安泰に維持する」ため、つまり「群れ同士の争いを避ける」ために「なわばり」を持つ。(198-199頁)

(11)-2 「森林からサバンナへ進出した霊長類」は「地上生活」で「なわばり制を放棄した」!
K-3 「樹上生活」のサル類は「なわばり制」を持つが、「地上生活」のサル類は「なわばり制」を放棄した。「地上生活」のサル類は、少ない「水場」・「採食地」・「泊り場」(安全なねぐら)を共有せざるを得ず、「なわばり制」を放棄した。(202頁)
K-3-2 「ヒト化を促進させた重要な決め手」は「霊長類(※サル類)が森林の生活を捨て、サバンナへ進出した」ことにある。そして「森林からサバンナへ進出した霊長類」は「なわばり制を放棄した」。(203頁)

(11)-3 ヒトは狩猟採集社会では「なわばり」を持たない平和な生活を送った!牧畜農耕社会になって物の所有、土地所有、財の蓄積が生じ、再び強い「なわばり制」(Ex. 国家)が発生し、ヒトは殺戮や戦争を開始した!
K-4 「ヒトは狩猟生活をしている間は、なわばりを持たない平和な生活を送っていた。ところが牧畜農耕革命によって人間は再び強いなわばり制(Ex. 国家)を持つに至った。」(206頁)
K-4-2 牧畜農耕社会になって物の所有、土地所有、財の蓄積が生じると、再び強いなわばり制(Ex. 国家)が発生し、ヒトは殺戮や戦争を開始した。(206頁)
K-4-3  牧畜農耕革命後の、物質文化の進歩、所有概念の発生と強化、財の蓄積にともなう物欲と権力のとめどのない増幅作用が、殺戮・戦争を発生させた。かくてそれらは人間に「悪の深淵」をのぞかせ、「悪魔の所業」をプログラムさせるに至った。(206頁)

《感想》「なわばり制」は、もとは森に住むつまり樹上生活のサル類の「すみ分け」的、平和的なものだった。ところがヒトが復活させた強い「なわばり制」(Ex. 国家)は、殺戮や戦争を伴い、さらに物欲と権力のとめどのない増幅作用という「悪魔の所業」をもたらした。

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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その5)「第8章」「文化環境」の創出は「非自然」・「悪」の出現だ!「第9章」人間には生殖期がなくなった!

2021-06-27 16:01:03 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第8章 反自然的文化の源流(151-169頁)
(9)「種」の自然的な「適応」システム:「すみ分け」!(Cf. 「優勝劣敗」)
I 今西錦司の「すみ分け」理論:生物の種は、できるだけ他の種との競争を避け、安定した種固有の生活の場を確保しようとして進化してきた。種はお互いにすみ分け、無用の競争を避けるように進化してきた。これが環境への「適応」である。(154-155頁)
I-2 ただし「環境」が激変すれば、「種」の自然的な「適応」システム(「すみ分け」)は破綻する。(155頁)
I-3 「優勝劣敗」理論: 同時に種と種は競争し、優位者が勝ち残り、劣者は淘汰されることで、種が存続する。これが環境への「適応」のもうひとつの側面だ。(154-155頁)(※なお「優勝劣敗」理論に対し河合雅雄氏は否定的だ。)

(9)-2 「文化環境」の創出は、「生物の自然存在の枠組み」(すみ分け)を破る「非自然」の出現だ!
I-4 適応的行動が自然環境や自然社会に対し行われるかぎり、善悪と関係ない。(159頁)
I-4-2 しかし「文化環境」の創出は、「生物の自然存在の枠組み」(すみ分け)を破る「非自然」の出現だ。(159頁)
I-4-3  長い進化の歴史を通じて、種は固有のニッチェをもってすみ分け、調和ある社会を構築してきた。ところがヒト類は「文化環境」という異質の環境を設定し、他の「種」の社会やニッチェ(※生態的地位)を侵害する。(159頁)
I-4-4 「文化」は「善」でヒトをヒトたらしめるものだとの考え方もある。(153-154頁)だが「文化を創造することは・・・・生物界に悪の要素を持ちこむことに他ならない。」(159頁)

第9章 人間には生殖期(性交期+出産期)がなぜなくなったか(171-188頁)
(10)サル類で出産後、赤ん坊がすぐ死亡すると、雌が時期外れ(性交期でない)に発情する!
J 動物にとって性行動は種族維持のための行動だ。例えばトゲウオは「生得的に」生殖行動をとる。(175頁)
《感想》DNAの遺伝子情報によって行動がプログラム化されていると言える。
J-2 ニホンザルは生殖期(性交期9-1月→妊娠期間6カ月→出産期3-7月)が決まっているが、ある雌の赤ん坊が4月に生後15日で死亡すると、雌は時期外れ(性交期でない)に発情し雄が続けざまに3頭交尾し妊娠したという例があった。(179頁) 
J-2-2 これは「どうしても子どもがほしいと思う」気持ちが、「発情」という生理的な変化を起こしたと考えられる。(179-180頁)
J-2-3 ニホンザルで「子どもを失った母ザル」が「赤ん坊がほしくて」、自分より劣位の雌の赤ん坊を奪ったことがある。(180頁)
J-2-4  産んだ赤ん坊がすぐ死んでしまったアカゲザルの雌が、他のサルの赤ん坊を奪えなかったため、ネコの子を奪い乳を与えた例がある。(しかし子ネコは死んだ。)(180頁)

(10)-2 サル類の子ども殺し:「雄リーダーの交代」という「社会的な原因」で雌が発情する!
J-3 インドのハヌマンラングールというサル類は、1頭の雄を中心に6-13頭の雌を含む単雄群を形成する。新たな雄が、旧雄を追放し新リーダーとなると、新リーダーは群れの赤ん坊をすべてかみ殺し、少年期の雄を追い出す。すると雌たちが次々と発情し、新リーダーと交尾する。(181-182頁)
J-3-2 この場合、「リーダーの交代」という「社会的な原因」で雌が発情する。性が「自然的な枠組み」とは別に、一部は「社会」に帰属している。(182頁)

(10)-3 ゲラダヒヒの新リーダーは「性」を媒介にして雌たちと「親密な紐帯」を形成・強化する!性が「生殖」と無縁に機能している!
J-4 ゲラダヒヒの場合も、雄1頭と数頭の雌からなるグループ(ユニット)を作る。しかし新たな雄が、旧雄を追放し新リーダーとなっても、「子ども殺」しはしない。雌たちは新リーダーができると、一斉に発情する。ゲラダヒヒは「雌たちと頻繁に交尾するが妊娠しない」という方法を採る。(182-183頁)
J-4-2 ゲラダヒヒの新リーダーは、性を媒介にして雌たちとの「親密な紐帯」を形成・強化する。性が「生殖」と無縁に機能している。(183頁)

(10)-3-2 ゲラダヒヒの前リーダーは、性衝動を「個体の努力」によって抑制できる!
J-5  ゲラダヒヒの前リーダーはユニットから追放されず、セカンド雄となってユニットに居残る。ただし前リーダーは雌に対する性行動を一切、放棄する。つまりゲラダヒヒは、性衝動を「個体の努力」によって抑制できる。つまり性は、個体において、「生理的レベル」を離れ、「社会心理的な次元」で扱われる。(183-184頁)

(10)-4 雌の「育児」の負担が軽減されない限り、性は「種族維持」に関わる制約のうちに置かれる!
J-6 サル類でも性は「生理的なレベル」を離れた所で機能しかけている。だがサル類においては人間のように、「性行動の自由な発現」が保証されていない。(186頁)
J-6-2 「雄」は、いつでも性行動をとれるから、生殖期がなくなる(「性行動の自由な発現」が保証される)かどうかの問題は「雌」の側にある。(186頁)
J-6-3 サル類の「雌」が出産すると性行動をストップさせる(発情しない)が、これは「育児」のためだ。サル類では「育児」は母親の負担においてのみ行われる。かくて雌の「育児」の負担が軽減されない限り、性は「種族維持」に関わる制約のうちに置かれる。(186頁)

(10)-4-2 人間が「家族という社会単位」を持つようになると、(ア) 女の「育児」の負担が軽減され性は「種族維持」に関わる制約から解放され、また(イ) 異性の新入者と迎え入れる者の親密な関係の形成のため「性的な結びつき」が必要となった!かくて性はいつでも自由に機能するようになった!
J-7 人間がサル類と区別されるための大きな条件の一つは、人間が「家族という社会単位」を持つことだ。
J-7-2 (ア)女(雌)は家族という枠組みの中で経済的保証を与えられる。また家族のメンバーが子どもの面倒をかなりみる。かくて女(雌)の「育児」の負担が軽減される。性は「種族維持」に関わる制約から解放される。性行動の「自然的な制約」がなくなる。(187頁)
J-7-3 さらに (イ)家族という社会的単位が定着すると「外婚制」(エクソガミー)が行われ、異性の新入者と迎え入れる者の親密な関係の形成のために「性的な結びつき」が必要となる。性はいつでも自由に機能しなければならない。(187頁)

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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その4):「第6章」群れ型社会での文化伝播と文化の呪縛性!「第7章」人類の道具使用は「武器」でなく、まず「食物獲得」から由来する!

2021-06-26 22:15:26 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第6章 文化の発生(113-128頁)
(7)「群れ型社会」では文化(Ex. イモ洗い文化)の伝播がなされる!
G 社会型には、「単独生活社会」(Ex. イタチ、ヒョウ、オランウータン)、「ペア型社会」(Ex. ナキウサギ)、「群れ型社会」(複数の雄雌の「複雑群」、1頭の雄に数頭の雌と子どもの「単雄群」、「ワンメール・ユニット」が複数集まった特殊な社会型)が区別できる。(115頁)
G-2 「単独生活社会」、「ペア型社会」(子どもは成長すると離脱)は「文化」の維持・継承が難しい。「文化」を持つことが困難。(116頁)
G-3 「群れ型社会」では新しく獲得された行動つまり「文化」(Ex. イモ洗い文化)の伝播がなされる。母子、さらに兄弟、仲間関係のチャンネルによって伝播する。(117頁)とりわけ血縁が重要だ。(119頁)Ex. ゴリラが毒性の植物を食べないのは、子どもが「母親が食べるもの」を見て学習するからだ。(120頁)

(7)-2 人間社会では「言語」の使用によって「食物タブー」が形成された!
G-4 人間社会では、「ある食物を食べてよいとか食べていけない」ということは「言語」で伝えることができる。かくて食物に関する「タブー」が形成される。(124頁)
G-4-2 「食物タブー」については「宗教」が最も強力なタブーを強いる。Ex. イスラム教は「豚」を食べない。
Ex. 「断食」:エチオピアのキリスト教では「人はパンだけで生きるものではない」とのマタイ伝の言葉に従い1年間に240日、断食(1日1度豆と水のみ食べる)する。(125頁)

(7)-3 「文化の呪縛性」(Ex. 屋久島のニホンザルの群れの死)! 
G-4-3 「文化の呪縛性」:犬山市の大平山に、屋久島のニホンザルの群れが離された。だが植生が全く違うのに、サルたちは「屋久島の植物にもとづく食文化」に呪縛され、何を食べてよいかわからず、雪が降った時、飢えと寒さで、ばたばた死んだ。(126-127頁)

第7章 道具の使用と製作(129-150頁)
(8)「自分の身体以外の物質」を使って生活の用にあてるだけでは「道具使用」でない!(Cf. 「道具」は「生得的」習性でなく、「文化」現象だ!)
H 「人類とは道具を使う動物である」(Homo faber、道具人、ホモ・ファーベル)は誤りであり、チンパンジーも道具使用と製作を行う。もちろん「ヒトから道具をとりあげてしまえばヒトでなくなる。」(Cf. ホモ・サピエンス。)(131頁)
H-2 エジプトハゲワシは「石」をダチョウの卵に落し堅い殻を割り、ラッコは「石」で貝を叩き割る。だがこれは「道具使用」だろうか?「外界にある物質を材料に使い生活に役立てる」ことを「道具使用」と言ってよいのか?(132-133頁)
H-2-2 ハタオリドリは「木の枝や草を使って巣を作る」。白アリは「土と唾液」でアリ塚を作る。「木の枝や草」「土」は「道具」か?「道具」ではない。Cf. 人間も「土と水」で土壁の家を作る。だが「土と水」は「道具」でない。(132-133頁)
H-2-3 「自分の身体以外の物質」を使って生活の用にあてるだけでは「道具使用」でない。それでは動物界では「道具使用」は普通のことになってしまう。(132-133頁)

(8)-2 「生得的」習性に基づき使用される「自分の身体以外の物質」は「道具」でない!「道具」は「シンボル化」の過程を前提し、かつ「文化」現象でなければならない!
H-3  エジプトハゲワシが「石」をダチョウの卵に落し堅い殻を割ること、また、ラッコが「石」で貝を叩き割ることは、どの個体にも備わっている「生得的」習性かもしれない。(134頁)
H-4 エジプトハゲワシにとって「石」が「道具」と呼ばれるためには、(a)「シンボル化」の過程が含まれねばならない。「卵を割る」という嘴が持っている意味を抽出し、その意味を「石」に付与するという「シンボル化」の過程を含むことによって、「自分の身体以外の物質」(「石」)は「道具」となる。(135頁)
H-4-2 また「石」が「道具」と呼ばれるためには、(b)「石」の使用が、「文化」現象でなければならない。つまり(「シンボル化」の過程を遂行した上で)最初ある一羽がこの行動(「石」で卵を割る)を「発明」し、その行動を見た他の個体が「学習」し(つまり他の個体に「伝播」し)、かつ世代を越えて「伝承」されねばならない。(135頁)
《感想》エジプトハゲワシが「石」をダチョウの卵に落し堅い殻を割ること、また、ラッコが「石」で貝を叩き割ることは、「生得的」習性か、「文化」現象か、河合雅雄氏は、結論を出していない。

(8)-3 「武器」としての道具使用は霊長類で極めて貧困だ!「人類の道具使用」は「食物獲得」に基盤を置いたはずだ!
H-5  霊長類は「道具」を敵対行動で使う。言わば「武器」としての道具の使用だ。ゴリラ、チンパンジー、ホエザルなどは、外敵に対し「棒」を振り回し、「木の枝」を投げ、「石」を蹴飛ばす。(136頁)
H-5-2 だが彼らが「武器」を使用することはめったにない。「武器」としての道具使用は霊長類でも極めて貧困だ。初発的な「武器文化」を形成するまでに至らない。(138頁)
H-5-3 「人類の道具使用」が「武器使用」から始まったとは考えにくい。「人類の道具使用」は「食物獲得」に基盤を置いたはずだ。(138頁)

(8)-4 「人類の道具使用」は「食物獲得」に基盤を置く!アリ釣りの「釣り棒」!アブラヤシの実の殻を割るための「叩き台の石」と「握り石」! 「人類の道具使用」が「武器使用」から始まったとは考えにくい!
H-6 チンパンジーは食物採集として、アリの巣穴に「釣り棒」を差し込み、アリを釣る。チンパンジーはアリ釣りをするため「釣り棒」を製作する。木の蔓など材料を「選択」し、さらに歯や手を使って「加工」する。(138-139頁)
H-6-2 チンパンジーは「今日はアリ釣りをしよう」と思い立つと、「釣り棒」を作り、それを持ってアリ塚まで出かけていく。しかも釣り棒は数本用意されている。意図的計画的な道具使用だ。(140頁)
H-6-3 またチンパンジーは、アブラヤシの実の殻を割るために、「叩き台の石」の上に実を載せて「握り石」をで叩き割り中の胚珠を食べる。「叩き台の石」と「握り石」は何度も使うので、この二つはいつもアブラヤシの木の下に置いてある。(140-141頁)また「叩き台の石」と「握り石」は身のまわりにある石を拾って来たものだ。(144頁)

(8)-5 チンパンジーの道具使用や製作は特定のチンパンジーの集団が発明したものだ!つまり文化現象だ!
H-7 アリ釣りの「釣り棒」や、アブラヤシの実の殻を割るための「叩き台の石」と「握り石」は、全てのチンパンジーに見られるものでない。これらは特定の集団にのみ見られる。つまりチンパンジーの道具使用や製作は、特定のチンパンジーの集団に発生した、その集団が発明したものだ。(142頁)
H-7-2 そして「シロアリ釣り」「アブラヤシの種子割り行動」は母親から子に伝播し、世代を越えて伝承される。チンパンジーの道具使用・製作は文化現象だ。(142頁)(Cf. 発明・伝播・伝承、135頁)

(8)-6「道具が道具を作る」(道具の2次製作)という段階に至って「道具文化の世界が確立される」と言える!「道具の2次製作」の有る無しが人類と霊長類(※サル類)を区別する!
H-8 「道具の1次製作」:身体要素を使って道具を作ること。チンパンジーの道具製作過程はすべて歯や手で作られている。(Ex. アリ釣りの「釣り棒」。)(142-143頁)
H-8-2 「道具の2次製作」:道具を使って道具を作る。(Ex. 棒の先を石で削って尖らす。)チンパンジーでは「道具の2次製作」観察されていない。「道具の2次製作」の有る無しが、人類と霊長類(※サル類)を区別する大きな決め手の一つだ。「道具が道具を作る」という段階に至って、「道具文化の世界が確立される」と言える。(143頁)

(8)-7 原初人類にも「無加工道具」や「1次製作段階の道具」使用の時代があったはずだ!
H-9 人類学者や考古学者は「加工した証拠」(2次製作された道具)がないと道具と認めない。(144頁)
H-9-2 これに対して霊長類学者は、原初人類は「身のまわりにある棒や石を拾って道具に使い」つまり「加工しない物体を道具として使い」、また一部は「1次製作した道具」を使ったと考える。(144頁)
H-9-2-2 原初人類にも「無加工道具」や「1次製作段階の道具」使用の時代があったはずだ。Ex. 「小さな尖った石を拾い、皮の脂肪とりに使う」。(以上、河合雅雄氏の見解!)(145頁)

(8)-8 チンパンジーの道具使用・製作は「食物獲得」の手段として発達した!ただし「肉食」の比率が極めて低くチンパンジーは「狩り」に際して「道具」を使わない!かくて外敵の防御や攻撃のための「武器」もほとんど使わない!
H-10 チンパンジーの道具使用・製作は「食物獲得」の手段として発達してきた。チンパンジーは外敵の防御や攻撃のためには、つまり「武器」としては道具をほとんど使わない。(145-146頁)
H-10-2 食物獲得について、「ヒト化」の問題を考える上で最も重要な出来事は「狩猟」だ。霊長類(※サル類)は「植物食」が主なのに(動物食は昆虫・卵に限られる)、どうしてヒトだけが「肉食」をするのか、長年の謎であった。(146頁)
H-10-3 だが実は霊長類も「肉食」をする。今日ではチンパンジーの「肉食」の報告が相次いでなされている。(146頁)
H-10-3-2 チンパンジーは狩りをする。1頭でイノシシやレイヨウの子どもを捕るときもあれば、数頭で協同して捕えることもしばしばだ。だが「狩りに道具を使わない」。(146頁)
H-10-3-3 チンパンジーは食物の獲得(肉食)のために狩りをしたというより、遊びの傾向が強い。(「狩りによる肉食」の比率は極めて低い。)(146-147頁)
H-10-3-4 チンパンジーが「狩りに際して道具を使わない」のは、「肉食」が彼らの食物生活の中に占める割合が少ないためだ。(数パーセント以下だ。)(146頁)
H-11 「狩猟と肉食」は雄において圧倒的によく見られる。「アリ釣り」は雌の方が雄より圧倒的に多い。(これは雄と雌の狩猟と採集の分業の問題に強くかかわる。)(147頁)

(8)-9 チンパンジーには「脳味噌嗜好」がある!うまいものを食べたいとの嗜好品への欲求が狩り・肉食の動因となった!
H-12 現在の狩猟民であるボツアナのブッシュマンは、食物摂取量の80%が植物、20%が狩猟による動植物だ。動植物は「御馳走」であり「贅沢品」だ。つまり「嗜好品」だ。「うまいものを食べたい」との嗜好品への欲求が狩猟の動因だったかもしれない。(148頁)
H-12-2  他方、チンパンジーには「脳味噌嗜好」がある。かくて、「うまいものを食べたい」との嗜好品への欲求が狩り・肉食の動因となったと言える。(148頁)
(a)チンパンジーがヒヒや他のサルを狩る場合、一番の好物は脳らしい。
(b)チンパンジーは大後頭孔を歯でかじって大きく開け、指や棒を突っこんで食べたり、葉を入れて丹念にふきとって食べたりする。
H-12-3 サル類の食物は非常に種類数が多く、融通性が強い。食物の選択は「味による嗜好性」が大きいと思われる。チンパンジーほどのサルになると、「うまい物を食べたい」という欲求がかなり強いと考えられる。(148頁)

(8)-10 原初人類において「動物を攻撃するための武器」(狩りのための道具)は「自分たちの仲間(※人間)を攻撃する武器」となった!
H-13 原初人類においても「おいしい物を食べたい」という欲求が、彼らを「狩り」に向かわせたと考えうる。(148頁)(※これはただし「採集」によって得られる食物が極めて多い場合だ。)
《感想》河合雅雄氏は、熱帯雨林に住むチンパンジーにおいて「狩猟」の比率が低いので、原初人類においても「狩猟」の比率が低いと考えているが、この点は、何とも言えない。原初人類が「採集によって得られる食物が少ない北方」で住む場合は、「狩猟」の比率が高まるはずだ。単に「おいしい物を食べたい」という欲求が、彼らを「狩り」に向かわせるわけでない。
H-13-2  「狩猟」が生計活動の中に組み込まれると「狩り」のために道具を使うようになる。この道具は「動物を攻撃するための武器」だ。原初人類はこうして「武器のもつ攻撃力・破壊力」を知る。(148-149頁)
H-13-3  そして「動物を攻撃するための武器」が「自分たちの仲間(※人間)を攻撃する武器」となった。(149頁)
H-13-4  武器は、人間同士の「闘争」から生まれたのでなく、元来は「食物獲得の手段」(「狩り」のための道具)に由来すると言える。(※河合雅雄氏の見解!)(149頁)
H-13-5 いったん武器の持つ攻撃力が認識されると、「自分たちの仲間(※人間)を攻撃する武器」は、常に「高能率」を目指す技術(「道具の2次製作」の体系)の自己運動のうちで、ますます「殺戮」の効率を高める。(149頁)
H-13-6 「自分たちの仲間(※人間)を攻撃する武器」の出現は「悪の世界」の基盤だ。武器は「殺戮」の効率を高めていく。また他の人間を「殺戮することに快感を覚える」という「残虐性の世界」をも出現させる。(149頁)

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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その3):「第4章」個性の伸長を獲得したサル類・人類の「文化」の基礎!「第5章」サル類におけるポピュレーションの自己調節!

2021-06-25 15:35:31 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第4章 遊動生活は個性化を強めた!(73-91頁)
(5)サル類の遊動生活&気ままな生活:移動は「群れ」に従うが、採食や休息は「個体」の自由!
E サル類は豊かな森で遊動生活をする。ここから個性が発達した。個性は一方で社会を崩壊させる契機となるが、他方で社会の内容を高度にする。(75頁)
E-2 森で暮らすサル類の群れは、決まった泊り場を持たない。地上で暮らすゴリラも、行き当りばったりの生活だ。(76-77頁)
E-2-2  サル類は生活のリズム(※規則性)を持たない。気ままに食べ、腹いっぱいになれば寝る。(Cf. ヒトにおいて、狩猟採集時代はおそらく放恣な生活だった。生活に決まったリズムが登場したのは農耕牧畜社会になってからだろう。)(78-79頁)
E-2-3 サル類は、群れからあまり制約を受けない。移動は群れに従うが、採食や休息は個体の自由だ。(79頁)
E-2-4  なぜサル類は遊動するのか?栄養的に色々な種類の食物(植物)を食べる必要があった。(80頁)栄養のバランスをとるためにサル類は遊動の生活様式をとる。Ex. ゴリラ。(85頁)

(5)-2 サル類は森林で「すみ分け」がほとんど必要でないから、嗜好によって自由に食物が選択でき、これは「主体」の確立の基盤のひとつとなった!
E-3 サル類は食物に対して好き嫌いを持ち、それに基づいて食物を選択している。Ex. ゴリラは甘いもののほか、苦みのあるものが好きだ。(86頁)
E-3-2 他の生物or動物が「すみ分け」=「食い分け」するのに対し、サル類は森林で「すみ分け」がほとんど必要ないから嗜好によって、自由に食物が選択できる。これは「主体」の確立の基盤のひとつとなった。(87頁)

(5)-3 「個性の伸長」を獲得したサルたち!個性の発達は人類社会でその極に達した!
E-4 豊かな森の中での樹上生活が基盤になって「個性の伸長」を獲得したサルたちは、高度な社会を作るための素地を与えられた。(89頁)
E-4-2 個性の発達は人類社会でその極に達した。個体関係の調整が必要となり、集団を統合するための秩序や制度が要求された。かくて人類は独自の社会制度や文化を創り上げてきた。そこでは集団が個人の欲求に優先された。こうして個性と社会の相克の人類の歴史が生まれた。(90頁)
E-4-3 個性は生きがいの源流であり、創造の源泉だが、英雄・王など権力者の強烈な個性が、欲望と結合すれば、多くの人を圧殺する「悪」が生まれる。(90頁)

第5章 文化を支える生物的基礎(93-111頁)
(6)「文化」は、(ア)社会の中で誰かによって作りだされること(発明)、(イ)他個体による学習(伝播)、(ウ)その行動型の継承と維持(伝統)によって成立する!
F (ア)社会の中で作り出され(自然のままでなく個体が発明する)(Ex. 砂を落とすためにサルがイモを洗う)、(イ)社会を構成するメンバーによって分有され(Ex. イモ洗いを他のサルたちも行うようになる)、(ウ)社会的習慣として社会に定着し伝承される(Ex. 生まれてくる子供はすべてイモ洗いを行う)生活様式が、「文化」である。(98頁)
F-2 つまり「文化」の成立には、(ア)社会の中で誰かによって作りだされること(発明)、(イ)他個体による学習(伝播)、(ウ)その行動型の継承と維持(伝統)が必要だ。(98頁)

(6)-2 サル類は人間と同じように「二次的に巣に坐っているもの」で、「母子の強いきずな」が母から子への行動の伝承を容易にしている!( Cf. 「文化」成立の要件:(イ)伝播(エ)伝統!)
F-3 アドルフ・ポルトマンは、哺乳類を「巣だつもの」(離巣性:生まれてすぐ独立して生活できる・巣を持たない、Ex. シカ、ウマ)と「巣に坐っているもの」(就巣性:巣を持つ・赤ん坊は目が見えず赤裸、Ex. ネズミ、ウサギ)に分類する。(99頁)
F-3-2 ポルトマンはサル類を「巣だつもの」に分類した。(99頁)
F-3-3 これに対し人間はどちらにも分類されず「二次的に巣に坐っているもの」とポルトマンは述べた。「人間はほとんど1年早すぎて誕生する」(ポルトマン)。(99-100頁)
F-3-4 だが河合雅雄氏は、サル類も人間と同じように「二次的に巣に坐っているもの」だと述べる。(100-101頁)
Ex. ニホンザル:80日目頃まで母乳のみで育つ。母からの独立は次の子が生まれた時で、生まれなければ2歳でも母親の乳をしゃぶるものがいる。
Ex. チンパンジー:生後半年まで母親に抱かれている。離乳は2-4歳、自力で長距離の移動をするのは4-5歳、母から離れ単独行動するのは7-8歳の思春期だ。
F-3-5 要するに、サル類は人間と同じように「二次的に巣に坐っているもの」で、「母子の強いきず」なが母から子への行動の伝承を容易にしている。(102-103頁)

(6)-3 サル類におけるポピュレーションの自己調節:(a)「子どもを1頭しか生まない」、(b)「子どもの成長速度が遅い」、(c)「妊娠期間」が長い、(d)雌は子どもを生み終わると死亡する者が多い、(e)「病気」による「幼児死亡率」が高い!
F-4 サル類は1回に「子どもを1頭しか生まない」し、また「子どもの成長速度が遅い」。(103頁)
F-4-2  サル類は生物経済学的に「個体数と食物量の関係」から見て、ポピュレーションの自己調節のために、「子どもを1頭しか生まない」また「子どもの成長速度が遅い」と考えられる。(103頁)
F-4-3  「出来るだけゆっくり成長」すれば、(a)「食物摂取量は体重に関係する」から集団としての食物摂取量が減るし、また(b)「性的成熟」が遅くなり「一生に産む子供の数」が少なくなり、ポピュレーションの増大を抑制できる。(105-107頁)また
F-4-4 「体重の重い」類人猿は「妊娠期間」・「授乳期間」が長く、生まれる個体数が少ない。(106-107頁)
F-4-5 「サル類の幼少期が長いこと」は、「病気」による「幼児死亡率」を高め、ポピュレーションの調節に役立つ。(109頁)
F-5 「サル類の雌は子どもを生み終わると、死亡する者が多い」。サルたちは「むだ食いの能無し」になると、さっさと死んでゆく。かくて生態系の効率が高まる。(107頁)

(6)-4 人類のポピュレーションの自己調節:「赤ん坊殺し」(まびき)と「姥捨て」というやむなき悪業!
F-6  サル類はポピュレーションの自己調節のいくつかの方法を編み出した。人間は、自然生態系から脱却するにしたがって、別の調節法を作り出さねばならなかった。それが「赤ん坊殺し」(まびき)と「姥捨て」だ。(Cf. なお日本では「姥捨て」は、話は多いが、実際に行われたことはないと言われる。)(108-109頁)
F-6-2  「赤ん坊殺し」(まびき)と「姥捨て」は、サル類におけるポピュレーションの自己調節を受け継いだ人類の「止むなき悪業」だ。
《感想》人類における農業・牧畜業の開始(紀元前1万年頃)と発展、その後、とりわけ西洋近代科学(医学)・技術の発展(特に産業革命以後)で、人類の人口は爆発的に増えた。紀元前7000-6000年約500-1000万人(この頃以降、農業・牧畜業の発展)→紀元元年約2-4億人→1650年約5億人→1800年約8-11億人→1900年約15-17億人→1950年約25億人→1970年約37億人→1990年約53億人→2010年約69億人→2020年78億人。これを見ると「サル類におけるポピュレーションの自己調節」を人類が受け継いだという議論は無意味だ。

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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その2)「第3章」サル類のヒト化:自然的環境における「適応放散」から、「文化的環境」の下での「文化的社会的放散」へ!

2021-06-24 13:39:43 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

第3章 人間、この不自然な生物(51-71頁)
(4)「適応放散」とは、「すみ分け」原理に基づき「環境の主体化」(自ら環境を選択し、自己の生活の場として確立する)を行うことだ!
D 種の間の関係は「生存競争(弱肉強食)」だけではない。種の間には無益な競争を避け共存するための「すみ分け」原理(今西錦司)がある。(55-58頁)
D-2 種の「適応放散」とは、「すみ分けるために、生物は自ら環境を選択し、自己の生活の場として確立(環境の主体化)する」ことだ。(58頁)

(4)-2 サル類は、体を「特殊化」する必要がなく、「一般的形質」を保持した!
D-3 森林にすんだサル類は、(a)食物が豊富なので、また(b)天敵がいないので、体を「特殊化」する必要がなかった。かくてサル類は「一般的形質」を保持した。そしてサル類は「すみ分け」しないで共存する。(60-61頁)
D-3-2 「サル類が一般的形質を保持していることは、豊かな開放系である森林での樹上生活という、哺乳類の中では特異の生活様式の中から導きだされた」。(61頁)

(4)-3 人類(ヒト)はおそらくサル類の第4回目の「分化放散」の時期に誕生した!鮮新世の終わりから更新世にかけてラマピテクス亜科が「分化放散」し人類(ヒト)が誕生した!
D-4 サル類は始新世に誕生してから、4回の「系統の分化放散」(すみ分け原理に基づく適応放散と異なる)を行っている。漸新世で、真猿類が出現した。(1回目の「系統の分化放散」)(62-63頁)
D-4-2 2回目の「系統の分化放散」は中新世から鮮新世の初めにかけて起こり、そのうち類人猿の系統の分化放散ではドリオピテクス亜科(巨猿)、ギガントピテクス亜科(ゴリラ、チンパンジー、オランウータンの先祖)、ラマピテクス亜科(ヒトの祖型につながるサル)が生じた。(63-64頁)
D-4-3  3回目の「放散」によって「森から地上へ進出したサルが現れた」。(64頁)
D-4-4  河合雅雄氏はサル類の第4回目の「分化放散」があったと考える。(※これまでは3回とされた。)すなわち鮮新世の終わりから更新世にかけて、ラマピテクス亜科が分化放散した。アウストラロピテクスA型(きゃしゃ)、アウストラロピテクスP型(大きくて頑丈)(=ジンジャントロプス・ボイセイ)、ホモ・ハビリス(脳容量650CC)、ホモ・エレクトゥスという「4種の人類の先祖」が分化放散し、同じ場所に同時に住んでいた。(65-66頁)
D-4-4-2  Cf. 「アウストラロピテクスから人類の出自を考えようという単一起源説」は誤りだ。(66頁)
D-4-5 「人類(※ヒト)はおそらくサル類の第4回目の分化放散の時期に誕生した」。(66-67頁)

(4)-4 サル類のヒト化:第1に「直立2足歩行」と第2に「新脳化現象」(大脳の発達)による「文化的環境」の創造!
D-5  サル類は、始新世に誕生してから、「一般的形質」の保持を基礎として4回の「分化放散」を行った。しかしいつまでも「一般的形質」を保持したままでいるわけでなく、「特殊化」=ヒト化への道が進行し始めた。それは第1に「直立2足歩行」であり、第2に「新脳化現象」(大脳の発達)だ。この2つによって、ヒトは、サルたちが持ち合わさなかった、質的に飛躍した世界を作り上げた。つまり「文化的環境」の創造だ。Cf. サルの社会の文化的現象は「文化的環境」の萌芽にすぎない。(67頁)
D-5-2  (ア)言語機能の獲得、(イ)道具の製作と(イ)-2技術の発展、(ウ)家族の形成、(エ)シンボル機能の発達等によって、人類(ヒト)は独自の「文化」を形成した。(68頁)
D-5-2-2 ヒトの「高度な精神活動」(これは「新脳化現象=大脳の発達」で可能になった)は宗教、社会制度(Ex.国家、民族、部族)などの「文化」を形成した。(68頁)(なお基礎となる「文化」が(ア)言語、(イ)道具、(イ)-2技術、(ウ)家族、(エ)シンボルなどだ。)
D-5-2-3  逆に「文化」は人類(ヒト)に働きかけ、さらに新しい「文化」を創造する。(68頁)
D-5-2-4  このように「文化が文化を創っていく」つまり「主体環境系の弁証法的な自己運動による創造活動」こそが、人類(ヒト)の特質だ。(68頁)

(4)-5 人類(ヒト)は、自然的環境の下での「適応放散」でなく、《ヒトが創造した「文化的環境」》の下での「文化的(社会的)放散」(※異なる国家、民族、言語、宗教等を形成すること)を自らの手で行う!
D-6 人類(ヒト)はかくて、自然的環境の下での「適応放散」でなく、《ヒトが創造した「文化的環境」》の下での「文化的(社会的)放散」を自らの手で行う。(68頁)
D-6-2 人類(ヒト)はサル類(サル目)から誕生したが、人類独自の世界を創造し展開した。サル類は4回の分化放散の結果、「人類(ヒト)目」という新しい目を誕生させたと言ってよい。(68頁)
《参考》ヒトは、動物界・脊索動物門・哺乳綱・サル目・ヒト科・ヒト属・サピエンス種という分類階級を持つという。
D-6-3 「適応放散」は自然環境に対し動物の種が「自分自身の身体構造を変化させる」ことで達成される。
D-6-3-2 だが「文化的放散」(※異なる国家、民族、部族、言語、宗教等を形成すること)は自分自身の身体構造の変化を最小限にとどめ、「新しい文化をまとう」ことによって「外界」(※「文化的環境」)に適応していく。
D-6-3-3 Ex.「狩猟という生活文化」:肉食獣のニッチェ(※生態的地位)の獲得。Ex.「採集生活」:草食獣のニッチェの獲得。Ex.「牧畜」:共生の延長と拡大。Ex.「農耕文化」新しい生産環境(※文化的環境)の創造。(69頁)

(4)-6 「地球は自分のものだ、自分たちだけのためにある」という思い上がりを人類(ヒト)は持つようになった!
D-7 人類(ヒト)は世界中に拡がり、いたるところに「生活の場」(※文化的環境)を作り上げる。草原・山岳地・砂漠など様々な地形、また熱帯・温帯・寒帯など様々な気候のもとで「生活の場」(※文化的環境)を作り上げる。(69頁)
D-7-2 一つの種が、このように広範な地域にわたって生息地を確保することは、一般の動物ではありえない。かくて「地球は自分のものだ、自分たちだけのためにある」という思い上がりを人類(ヒト)は持つようになった。(69頁)

(4)-7 動物の「適応放散」は「すみ分け」を結果するが、人類(ヒト)における「文化的放散」は「すみ分け」につながらない!
D-8 自然環境の下での「適応放散」は「すみ分け」を結果する。しかし文化環境の下での「文化的放散」(※Ex. 固有の文化をもつ様々な民族あるいは部族の存在)は「すみ分け」に必ずしもつながらない。(70頁)
D-8-2 「すみ分け」は生活の場の自己限定であり、無用の競争の回避であり、種社会の社会的調整機構だ。しかし人類(ヒト)における異なった文化(※Ex. 国家、民族、部族、言語、宗教等)をもつ集団の接触は、文化摩擦、さらに激しい殺戮・戦争を引き起こす。(70頁)

(4)-8 人類の原罪:人類は存在において不自然である(※文化を創造し文化的環境に生きる)ゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく!
D-9 人類(ヒト)は自然と不自然(※文化)を内包した「進化の鬼子」だ。人類(ヒト)は「自然の生態系からはみ出した存在」だ。かくて人類(ヒト)は、「自然に対してもろもろの罪科を重ねる存在」だ。(70頁)
D-9-2 「人類(ヒト)は自然界における異端であり反逆者である。」「人類は存在において不自然である(※文化を創造し文化的環境に生きる)ゆえに、その行為はすべて自然を乱すものにつながっていく。」これこそが「人類が担った原罪の一つだ。」
《感想》ルソーの「自然に帰れ」(自然は人間を善良、自由、幸福につくったが、社会が人間を堕落、奴隷化し、悲惨にした)を思い出させる。ルソーは「人類(ヒト)はサル類に帰れ」と言ったわけでない。(※そもそも、もはやサル類に帰れない。)ルソーは《自然に属す「自己保存」(自己愛)と「哀れみの情」》こそが、「理性(※文化)に先立つ二つの原理」であると述べた。
D-9-3 「人類は基本的に自然と不自然(※文化)という矛盾を胚胎した存在である以上、永遠に不安定で未完成だ」。(70-71頁)
D-9-3-2 「サルから分化放散した人間は、次第にサルばなれした進化の方向を強めていった」。(71頁)
D-9-3-3 「文化は、人類をサル類から訣別させ、人類の独自性を創発していく根源である」が、「文化は人類の幸福を約束するとともに、地獄の深淵をのぞかせる窓口でもある。」(71頁)

(4)-9 動物の世界には善も悪もない!人類(ヒト)において「悪の芽を育てた文化とは何か」?
D-10 「動物の世界には善も悪もない。善と悪を育んだ土壌は文化そのものだ。」(71頁)
《感想》おそらく「自己保存」(自己愛)と「哀れみの情」(Cf. ルソー)の実現が「善」である。「理性」とはこの「善」を状況の中で確定し認識する能力(Cf. 理論理性)であり、又、「善」を実現しようとする意志(Cf. 実践理性)である。
D-10-2 河合雅雄氏のこの著作では「善」の問題は取り上げない。以下では、「悪の芽を育てた文化とは何か」の問題を取り上げる。(71頁)

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河合雅雄『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』(その1)「文庫版まえがき」「第1章」「第2章」:人類は自己破壊の性質を内蔵した唯一の動物である!戦争など大量殺人を平気で犯す!

2021-06-23 12:15:56 | Weblog
※河合雅雄(1924-2021)『森林がサルを生んだ・原罪の自然誌』1977年(53歳)

「講談社文庫版まえがき」(1985年)(7-10頁)
(1)人工的環境の中での人類の進化は「おそらく、人類の滅びの道に通じている」!
A 河合雅雄氏(61歳)が言う。「私の心は明るくない。」「平和の持続性について不安を覚える。」(7頁)
A-2 「人類は自己破壊の性質を内蔵した唯一の動物である。」「動物は種の永続的な維持に向かって進化してきたが、人類だけは動物とは別の異端の道を歩みはじめた。」(7頁)
A-3  この「あとがき」を書いている1985年、日本人の80%以上が中流意識をもち、満足感を持つ人が70%を越える。これは「人類史上画期的な出来事だ。」それなのに家庭内暴力、校内暴力など「陰湿化した暴力性」はなくならない。(7頁)
A-4 サル類は「食物の豊かなそして捕食圧の低い森林」で進化し、ヒトという特異な動物を誕生させた。そして「森からサバンナへ出た人類」は数百万年かかって、現在のホモ・サピエンスにまで進化した。(8頁)
A-5 さて今や人類は人為によって豊かさを達成した。人類の人工的環境の中での進化は、生物学的法則から予測できない。「その道はおそらく、人類の滅びの道に通じている」と河合雅雄氏は言う。(8-9頁)
《感想》1985年は戦後日本の絶頂期だ。バブルの直前で、「Japan as No. 1」(1979)と呼ばれたころだ。無比の豊かさの中でも、「陰湿化した暴力性」はなくならない。人類は「呪われた」動物かもしれない。(Cf. 今2012年、「失われた30年」のあと衰退する日本!)

第1章 森林がサルを生んだ(13-32頁)
(2)《爬虫類から進化した哺乳類》の中でサル類だけが、爬虫類とすっぽり縁の切れた所、「森林の樹上」で進化の出発点をもった!
B K. ローレンツらによると、「動物は原則として同種の仲間を殺さない」。ところが人間は戦争などで大量殺人を平気で犯す。(Cf. もちろん、「愛や献身、思いやりといった高貴な精神活動」も人間は行う。)(17頁)
B-2 サル類は、一般の哺乳類と別のコースを歩んで進化した。(20頁)
B-2-2 「適応放散」(化石学者オズボーン)(各種の生物が、自分が住む生活の場に放散しそこで適応する)において、サル類のみが「森林の樹上」に放散し適応した。(22頁)
B-2-3《爬虫類から進化した哺乳類》の中でサル類だけが、爬虫類とすっぽり縁の切れた所、「森林の樹上」で進化の出発点をもった。このサル類が、人類という奇妙な「裸のサル」を産み出す母体となった。

第2章 楽園に生まれた悪(33-50頁)
(3)サル類の進化は「森林という豊饒な楽園」の中で行われた!森林にはサル類の捕食者としての天敵がいない!
C (ア)森はサバンナより食物(葉・果実・花・若芽等)がはるかに豊かだ。(36-37頁)(イ)食物に関し、森はサバンナのように乾季と雨季の大きな差がない。(37-38頁)(ウ)森林は温度環境も安定している。(40頁)(エ)サル類にとって森は食物をめぐる競争者が居ない。(40-41頁)(エ)また森林にはサル類の捕食者としての天敵がいない。(41-42頁)
C-2 サル類の進化は、「森林という豊饒な楽園」の中で行われた。サル類から進化した人類の特性もまた「森林という豊饒な楽園」からの所産だ。(42頁)
(3)-2 病気、寄生虫症による淘汰が、《人口調節による種の維持》、また《健康な個体が残ることによる種の維持》に役立つ!
C-3 楽園のサルには、捕食者がいないことから「ポピュレーションの過剰」の問題が生じる。(44-45頁)
C-3-2 ただしサル類にも、病気(Ex. 黄熱病、結核、赤痢)、寄生虫症(Ex. サナダ虫)による淘汰があり、《人口調節による種の維持》、また《健康な個体が残ることによる種の維持》に役立った。(45-47頁)
(3)-3 病気のない世界という「人工」生態系の中で、種の維持と永続をどうして行えばよいのか?「戦争、乳幼児の間引き、老人を捨てる姥捨て」は人類が持ち込まざるを得なかった「主体的な(人口)調節の道」だ!
C-4 人を含めた霊長類の人口調節に最も大きな役割を演じてきたものは病気である。(49頁)
C-4-2  だが人類はついに病気をほぼ征服した。これは「人類の進化、種の維持を助けてくれた」もの、病気との訣別だ。「病気のない世界という、人類が未だ経験したことのない人口生態系の中で、種の維持と永続をどうして行えばよいのか」。(49頁)
C-4-3 「戦争、乳幼児の間引き、老人を捨てる姥捨て」は人類が持ち込まざるを得なかった「主体的な(人口)調節の道」だ。(48-49頁)

《感想1》この本が書かれた1977年は世界が先進国を中心に戦後成長の成果を享受していた時代だ。しかし1973年の石油危機以後、宇宙船地球号・人口爆発・資源の枯渇が問題とされるようになった。河合雅雄氏は人類の人口爆発を憂慮している。だが事情は変わり、その40年余後の現在、2021年、日本では人口減少・経済縮小が問題となっている。
《感想2》今も、世界での戦争・内戦・テロなど《人類の殺し合い》は終わっていない。(Cf. これら《人類の殺し合い》を河合雅雄氏が《人類の人口調節=種族維持のために必要》と主張していると解釈される可能性がある。)

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「生きることの意味を問う哲学」戸谷洋志・森岡正博(『現代思想』2019/11所収):ベネターの反出生主義とヨナスの出生主義!「出生」はつねに「出生させる側」の暴力としてある!

2021-06-22 21:47:06 | Weblog
※『現代思想』2019/11「特集 反出生主義を考える《生まれてこないほうが良かった》という思想」(8-19頁)    
※戸谷洋志(トヤヒロシ)(1988-):ハンス・ヨナスの哲学研究等。
※森岡正博(1958-):「人生の意味」の哲学的探究、「生命の哲学」の提唱等。

(1)ベネターの反出生主義(生まれてこないほうが良かった)とヨナスの出生主義(生まれて来ることは意味がある)!
デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』(邦訳2017年)、は、分析哲学的に論理ゲームとして「誕生害悪論」を展開する。ベネターが反出生主義であるのに対し、ハンス・ヨナス(1903-1993)は出生主義(生まれて来ることは意味がある)の立場に立つ。(10頁)
Cf. David Benatar (1966-), Better Never to Have Been: The Harm of Coming Into Existence (2006)

(2)ハンナ・アーレントの出生主義:「出生」とは「新しい活動を始めること」だ!
ユダヤ系のハンナ・アーレント(1906-1975)『全体主義の起源』(The Origins of Totalitarianism, 1951)は出生主義の立場だ。「出生」とは「新しい活動を始めること」、「既存の秩序に対し違うものを打ち立てる能力」の条件である。ハンナ・アーレントは、出生を肯定することで政治的な公共性を作り出し、それによって全体主義を克服する可能性を見る。全体主義は人間の繁殖を管理する。(10頁)
(3)ヨナスは「人類の存続への責任」を訴え出生主義の立場をとる!
ユダヤ系のハンス・ヨナス(1903-1993)は出生主義の立場だ。人類の存続のためには、新しい世界を作り上げていくことのできる多様な人間が生まれてこなければならない。そうした可能性を開き続けることが未来世代への責任だ。ヨナスは「人類の存続への責任」を訴え出生主義の立場をとる。(ヨナスはアーレントの考え方に影響を受けている。)(10頁)

(4)反出生主義のベネター:「生まれてこないほうが良い」ことを「論証できる」?!
反出生主義のベネターは、「意識のある存在は生まれてこないほうが良い」ことを「論証できる」という。
《感想》「良い」か「良くない」かは価値判断だから、「選択」するのであって、「論証」と無縁だ。ベネターは「良い」か「良くない」かを「論証できる」と言うことはできない。できるのは世界の構造を論理的に分析することだけだ。(11頁)
(4)-2 ヨナスの出生主義:「出生しなければならない」という「命法(命令)」を受け入れることを実存的に「選択」する!
「良い」か「良くない」かを「論証できる」とするベネターと異なり、ヨナスは「出生しなければならない」という「命法(命令)」を受け入れるか拒否するか、実存的に「選択」するのだと言う。ヨナス自身は「出生しなければならない」という「命法(命令)」を受け入れ、従う。これがヨナスの出生主義だ。(11頁)

(5)ベネターの反出生主義は「分析哲学の知的なゲーム」であって、「実存的な自分の問題」でない!
ベネターは反出生主義を主張するにあたり、それを「分析哲学の知的なゲーム」としてとらえている。知的なパズル解きだ。だから「生まれてこないほうが良かった」という問題を「実存的な自分の問題」としてとらえている人には、ベネターの著作は答えを与えない。(10-12頁)
(5)-2「良かった」or「良くない」という価値判断、つまり実存的な選択の問題は、「論理的」に証明できない!ベネターへの疑問!
ベネターは「人生の中に痛みがほんの一滴でもあれば、いくら快があっても、生まれてこないほうが良かった」と主張する。(Cf. これについてはショーペンハウアーが『意志と表象としての世界』の中で言いつくしている!)ベネターはこれを「論理的」に証明できると言う。(12頁)
《感想》だが「良かった」or「良くない」という価値判断は、「実存的な選択」の問題であるから、「論理的」に証明できない。

(6)どうしてわれわれは子どもを生んでいいのだろうか?「出生」はつねに「出生させる側」の暴力としてある!(ベネターが提起した問題!)
だがベネターは「われわれはいったいどういう理由で新たな人間の命をこの世に生み出していいと言えるのか」、「どうしてわれわれは子どもを生んでいいのだろうか」という問いを、重要な問いとして提出した点で、重要だ。「出生」はつねに「出生させる側」の暴力としてある。」12-13頁)

(7)レヴィナスの出生主義:「繁殖性」!
ショーペンハウアーを非常に大きな例外として、近現代の哲学者は、出生主義であり「子どもの誕生」を無条件に肯定的にとらえ、「希望の象徴」として語ってきた。例えばエマニュエル・レヴィナス(1906-1995)は『全体性と無限』で「私」が「繁殖性」によって無限の時間を生きうると述べる。(13頁)
(7)-2 クィア(Queer)理論エーデルマン:生殖を前提としない社会!
これに対してクィア(Queer)理論(※異性愛の規範性に対して異議を唱える理論)のリー・エーデルマンは「生殖を前提としない社会」のあり方を模索する。

(8)「生まれてこないほうが良かった」という「反出生主義」の思想は「暴力性」をはらむ!
「生まれてこないほうが良かった」という「反出生主義」の思想は「暴力性」をはらんでいる。私が生まれたことによって喜びや幸せを感じた人たち(Ex. 両親)がいる。「生まれてこないほうが良かった」は「誰にとって良いのか」を考えねばならない。(13-14頁)
(9)「反出生主義」に対抗する方法は「自殺」でない!「誕生肯定」にいたるにはどうすればよいかを問うべきだ!
「反出生主義」(生まれてこないほうが良かった)に対しては、「じゃ自殺すればいいじゃないか」という主張がなされる。だが「反出生主義」と「自殺」は根本的に異なる。「自殺」は遂行可能だが、「生まれてこないこと」は遂行不可能だ。「すでに生まれてきてしまっている」ことを前提に「誕生肯定」にいたるにはどうすればいいかという問いこそ、反出生主義に対抗する方法だ。(14-15頁)

(10)ヨナスの出生主義の「暴力性」!
出生主義も「暴力性」をはらむ。ヨナスの出生主義は「人類はまず存続しなければならない」、そのために「人間が生まれてこなければならない」と主張する。したがって「生まれてきた子供にとって良いかどうか」は問題でない。これは極めて暴力的だ。(15頁)
(10)-2 アーレントの出生主義の「暴力性」!
アーレントの出生主義は、「政治的な公共性を維持するために新しいものが生まれてこなければならない」、したがって「ある種のコミュニティを維持するために子どもを生む」という発想だ。彼女は「世界が良くなる」ことを求めており、「生まれてくる者にとって生まれてくることが良いかどうか」を考慮しない。(15頁)
(10)-3 ニーチェ:「人類をいかに発展させるか」が、出生の価値を決定する!
ニーチェにおいても、「人類をいかに発展させるか」が、出生の価値を決定する。「生まれてくる者自身にとって生まれてくることが良いかどうか」は考慮していない。(Cf. ショーペンハウアーやベネターにとって苦痛は害悪だ。しかしニーチェにとって苦痛は単なる害悪でない。なぜなら苦痛を経験することで、既存の価値観を相対化し、そこから新しい価値観を提示できるようになるからだ。)(15-16頁)

(11)森岡正博は「誕生肯定の思想」を構想する!
近現代のいわゆる出生主義とは異なり、「生まれてくる者にとって生まれて来ることが良い」と言えるような思想、つまり「誕生肯定の思想」を森岡正博は構想する。(16頁)
(11)-2 ヨナスのある種の「全体主義」を相対化しうるベネターの反出生主義!
ヨナスの「全体主義」、つまり「個人の出生を人類全体のために必要とする」というようなある種の「全体主義」!これに対して、ベネターの反出生主義、つまり「なぜわれわれが子どもを生んでいいのか」という問いは、ヨナスの出生全体主義的なものを相対化しうる。(16頁)
(11)-3 ショーペンハウアーと仏陀:出生主義と反出生主義の二項対立を超える道の可能性!
ショーペンハウアーは、自殺は「生への執着」がもたらしたとして否定する。ただし彼は「生へのあきらめ」としての餓死は許す。ショーペンハウアーは仏陀の思想を継承している。仏陀の最期は餓死による自殺と言ってよい。かくて仏陀は輪廻(生)から解脱する(出生の否定=反出生主義)は、出生することによって可能となると述べる。(出生主義!)ここから出生主義と反出生主義の二項対立を超える道が構想されうる。(16-17頁)
(11)-4 ニーチェ:倫理的な意味での反出生主義が、美的な意味では出生主義となる!
ニーチェは『悲劇の誕生』は、苦痛に満ちた生を神格化する「アポロン的芸術」に対し、その神格化を破壊する「デュオニソス的芸術」が生まれ、両者の一体化として「悲劇」が生まれたとする。「生まれてこないほうが良かった」(反出生主義)という苦悩によって、芸術や文化が育まれる。ここには倫理的な意味で「生まれてこないほうが良かった」(反出生主義)としても、美的な意味では「生まれきたほうが良かった」(出生主義)とされるロジックがある。(17頁)
(11)-5 ジャック・デリダにおける出生主義と反出生主義!
ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』は、「生まれてきて良かった」と思える者(出生主義)が、「生まれてこなければ良かった」と思う者(反出生主義)と関係を持ちつつ社会を作り上げていかねばならないと言う。ここには出生主義と反出生主義の二項対立の構図を崩す道がありうる。(以上、戸谷洋志。)ここにはしかしある種の全体主義がある。「生まれてこなければ良かった」と思う者(反出生主義)を、「生まれてきて良かった」と思える者(出生主義)が、社会の安定・存続のための駒とみなしている。(以上、森岡正博。)(17-18頁)
(11)-6 「誕生肯定の哲学」:「絶滅の運命」のなかでも「より良く生きる」とは、つまり「どう肯定的に絶滅するか」への答えとは、「愛」(共感)の「永遠のイデア」を生き抜くことだ!
「誕生肯定の哲学」(森岡正博)は、「人類が全体として絶滅する可能性」を肯定的に確保し、「どう肯定的に絶滅するか」を考えるべきだと言う。つまり「絶滅の運命のなかでより良く生きるとは何なのか」を考えるべきだと言う。(18-19頁)
《感想》「絶滅の運命」のなかでも「より良く生きる」とは、つまり「どう肯定的に絶滅するか」との問いへの答えとは、「愛」(共感)の「永遠のイデア」を生き抜くことだと思う。(評者の私見。)(18-19頁)

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