宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『転落』永嶋恵美(1964生)、2004年、講談社文庫

2011-05-25 23:50:10 | Weblog
  Ⅰ
 「ボク」はホームレスになってしまった。
 小学生、金井美希子がボクを餌付けしてイジメの代行をさせる。車に傷をつける。自転車をパンクさせる。郵便受けにアイスモナカを投げ込む等々。
 最後に小学生が睡眠薬をボクに飲ませ灯油をかけ空き家で焼き殺そうとする。
 「ボク」は大人である。力が強い。
 この小学生を殺し、建物もろとも燃やす。
  Ⅱ
 実はこの「ボク」は女だった。女は36歳の女、柿原知実。彼女は双子を生むが男の子は死産した。名前が達弥。女の子は麻衣で2歳のとき病死。
 女は自分が死んだ達弥だと思っている。
  Ⅱ-2
 私は老人病院の調理師をしている。私は離婚した。離婚した理由は柿原知美に一人息子、裕貴を殺されたから。
 昔、私は知実と隣同士でよく話をし、理解しあっていた。
  Ⅱ-3
 ある日、柿原知美が、預かった甥を連れて歩いていたときダンプが突っ込み、甥が死んだ。
 知実は、義妹に責められ、夫も義妹に味方した。
 知実は狂い、義妹に謝るため裕貴を殺し、甥の「嘉之ちゃんをお返しします」と義妹の玄関先に置いた。
  Ⅱ-4
 私は、そんな女と仲良く付き合っていたから息子、裕貴を殺されたのだと舅・姑さらに夫からも責められ離婚した。
 柿原知美は私の子、裕貴を殺した後、出奔した。そして今、ホームレスとなり、小学生の女の子、金井美希子を殺し、ここにいる。
 それなのに私は彼女を匿っている。
  Ⅱ-5
 私が勤める老人病院の新しい入院者が私を「裕貴ちゃんのお母さん」と呼ぶ。テレビで私の顔を見て、何と覚えていた。
 私は格好の噂の種となり、結果として病院をやめざるを得なくなるかもしれない。
 この老人を殺す毒薬を知実がくれた。
 知実はもともと化学者で、かつて会社から持ってきた毒薬を家においていた。
 家にあったこの毒薬を知実の夫が娘、麻衣に誤飲させて死なせた。夫はその事情を知らない。知実の精神が壊れ始める。
  Ⅱ-6
 私は老人を殺そうとして怖くなり警察にすべてを話そうとする。
 知実はあらかじめそれを予測して、帰宅した私を包丁で襲う。
 警察がそれを阻止する。
  Ⅲ
 私=飯田律子。私は、病弱で夜泣きする裕貴にイライラしていた。
 裕貴を虐待するようになる。ついにある日、泣く裕貴にイライラし布団をかけ、私が寝てしまったところ、裕貴が窒息死した。
  Ⅲ-2
 私は半狂乱となり、隣家の知実を訪ねる。
 すると知実は、私が裕貴ちゃんを気が狂って殺したことにしてあげると言う。
 知実は死んだ裕貴を、甥の「嘉之ちゃんをお返しします」と義妹の玄関先に置いた。
 そして出奔した。
   Ⅲ-3
 私が、小学生の女の子、金井美希子を殺した知実を、今回、匿ったのはこの事情による。
   Ⅲ-4
 しかしこれらすべては、実は知実が、義妹と夫に復讐するため仕掛けた陰謀だった。
 知実は、私=飯田律子を利用した。私が裕貴に手を焼いているのを知り、裕貴を虐待するよう誘導した。
 ついに、私=飯田律子は裕貴に布団をかけ殺した。
 知実は死んだ裕貴を、甥の「嘉之ちゃんをお返しします」と義妹の玄関先に置いた。
 義妹は、兄嫁を狂わせ、裕貴ちゃんを殺す凶行に至らせた張本人として嘲笑・悪意に満ちた噂の快楽のターゲットとなる。
 夫もその義妹の共犯者であり、嘲笑と噂の対象となる。
 知実の復讐が成就する。

 《読後の感想》
  A 主人公は誰か?
 ある日、柿原知美が預かった甥を連れて歩いていたときダンプが突っ込み、甥が死んだ。
 知実は、義妹に責められ、夫も義妹に味方した。
 ダンプの運転手は死に、その妻は行くえをくらます。
 攻撃先がなく行き場のなくなった噂好きの者たちも、攻撃の矛先を知実に向けた。一切の責任は知実の不注意のせいにされた。
 小説の主人公は柿原知美。
  B  悪・責任・正当性の問題
 甥が事故で亡くなった時点では、知実は何も悪くない。知実も大怪我をしたので被害者である。(①)
 義妹は間違っている。責任はダンプにある。(②)
 夫も間違っている。責任はダンプにある。(③)
 ダンプの運転手は死亡しているとはいえ、責任を問われるべきである。(④)
 運転手の妻は法的に責任があるなら責任を問われるべき。(⑤)
 知実が義妹と夫への復讐のため、飯田律子に、その子裕貴への虐待、殺害を誘導したのは赦されない。悪そのもの。(⑥)
 知実の復讐の感情は、それ自身は正当である。(⑦)
 知実を攻撃し、また復讐を受けた義妹を攻撃する嘲笑・悪意に満ちた噂の快楽は人の心にすむ最大の悪。(⑧)
  C 悪意・不運・退廃・苛立ち・生活不安・社会不安・不信・虐めのオンパレード
 1. ホームレス狩り。
 2. 小学生のイジメ。
 3. ホームレスを焼き殺す小学生、金井美希子の快楽殺人指向。
 4. やせたい小学生が母親が作った大盛りの弁当をトイレに流す退廃。
 5. 老人病院の人手不足、低賃金、それらに由来する老人に対しての介護士・看護士の敵意。
 6. 老人たちの自己主張に対応できず、我儘として攻撃するしかない福祉の貧困。
 7. 職場での人間関係・権力関係がもたらすイジメ・悪意ある噂・パワハラ。
 8. 非正規労働者の失業の可能性への不安と苛立ち。
 9. 低賃金による生活の不安定。
 10. 嫁と舅・姑の昔からの対立。
 11. 夫が妻の子育ての悩みを聞かない。
 12. 復讐の暗い情念。
 13. 幼児への虐待。
 14. 毒薬の誤飲など悲劇的出来事の不可避性。
 15. 嘲笑・悪意に満ちた噂がもたらす快楽。イジメの快楽。
  D まとめ
 救いのない小説。生きることは無駄で無意味と宣言する。楽しいことは存在しないか一瞬で失われる気休めに過ぎない。人と人の共感は成立しない。信頼は虚構。不信・裏切り・悪意・嘲笑・虐め・権力関係のみが人間関係を支配する。

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『永遠の0(ゼロ)』百田尚樹(1956生)、2006年、講談社文庫

2011-05-20 18:56:56 | Weblog
 特攻で死んだ祖父、宮部久蔵の物語。彼は零戦の搭乗員だった。
 しかしエリートの海軍兵学校出身ではない。彼は一般の水兵から航空兵を募った操練(操縦練習生)出身である。(なお 予科練(飛行練習生)は初めから航空兵として海軍に入る。)
  
  Ⅰ 真珠湾攻撃
 1941年(S16)12月、彼は空母「赤城」の零戦の搭乗員となり真珠湾攻撃に参加する。
 真珠湾攻撃については南雲長官が第三次攻撃をしなかったことが最大の誤り。
 ドックや石油備蓄施設などを彼は破壊すべきだった。しかし勲章に結びつかないそれらの攻撃を彼は躊躇し、撤退を命令した。
 また真珠湾が「だまし討ち」になった理由は泊り込んで待つべき大使館責任者が前日、パーティーで大騒ぎをしたため。翌日、二日酔いの彼らは日本からの宣戦布告関係の文書の翻訳に手間取り遅れ、アメリカへの通告が真珠湾攻撃後となる。
 この大使館責任者は何ら罰せられずその後、普通に出世した。
  
  Ⅱ ミドウェー海戦:1942年(S17)6月
 1942年(S17)6月、ミドウェー海戦で日本は4隻の空母を失う。
 最大の理由は日本の油断。アメリカ人は陽気なだけで腰抜けとバカにしていたことによる。
 敵空母を直ちに陸上用の爆弾でもいいから先制攻撃すべきだった。ところが米軍をなめた南雲長官は悠長にも魚雷への換装を命令。この間に敵の急降下爆撃を受け4隻の空母を失った。
  
  Ⅲ ラバウルからのガダルカナル島攻撃は「搭乗員の墓場」:1942年8月-1943年(S18)2月
 1942年7月宮部は零戦の搭乗員としてニューブリテン島のラバウルへ配属される。
 当時、ラバウルの零戦隊は世界最強だった。零戦隊はニューギニア島南部のポートモレスビーを攻撃。
 しかし米軍が、日本が作った飛行場を奪おうとソロモン諸島のガダルカナル島を攻撃し占領。
 これに対し海軍は無謀にも約1000km離れたラバウルから零戦など攻撃機を出撃させた。往復2000kmである。この無謀な攻撃のため実際、最初の2日間でラバウルの零戦の半数が失われた。
 以後も続いたラバウルからのガダルカナル島攻撃は「搭乗員の墓場」となる。しかし海軍上層部にとっては搭乗員はいくらでもいる消耗品だった。
 優秀な電探(レーダー)が日本の攻撃機を捕らえ、米戦闘機が待ち伏せていた。
  
  Ⅳ ガダルカナル戦:1942年8月-1943年(S18)2月
 1942年8月からの帝国陸軍のガダルカナル攻撃もいい加減だった。
 大本営が最初に送った一木支隊900人は全滅する。大本営は調査もせず米軍を2000名と想定。しかもアメリカ人は腰抜けで軟弱と考え、日本軍はその半数で充分とした。ところが米海兵隊は1万3000人いた。
 以後も大本営は兵力の逐次投入という最も愚かな作戦を行い、しかも敵の兵力さえ調べない。
 また勝って敵の食料を奪えと命令し軍が食料を用意しない。食料がなければ必死に戦うとの理由。
 結局、ガダルカナル戦には日本陸軍3万人が投入されるが、5000人戦死、1万5000人がジャングルに逃げ餓死した。
 軍上層部にとって兵・下士官は道具にすぎない。陸軍大本営・海軍軍令部は人間でない。
 ガダルカナル戦は1943年(S18)2月、日本が奪回をあきらめ終了。
 海軍は熟練搭乗員のほとんどすべを失った。「搭乗員の墓場」。
 この時、日本の負けがはっきりする。
  
  Ⅴ グラマンF6Fとシコルスキー:1943年(S18)終わり
 1943年(S18)終わりにはグラマンF6Fとシコルスキーが、戦闘機として零戦を凌駕する。
 また腕のある職工が出征で減り零戦の質が落ちる。
 グラマンF6Fの防弾板は非常に厚く、防弾板がない零戦と対照的だった。米軍は搭乗員の命を大切にした。
 日本の戦闘機の搭乗員はかつて飛行1000時間で空母に乗ったのに、今や100時間で乗る。日本は搭乗員を大事にせず、熟練搭乗員はほとんどいなくなった。
  
  Ⅵ 米軍のサイパン上陸とマリアナ沖海戦:1944年(S19)6月
 ラバウルを孤立させると、米軍は1944年(S19)6月マリアナ諸島のサイパン島を攻撃する。サイパンを占領すれば米軍はB52による日本本土空襲が可能となる。
 サイパンは日本の委任統治領で日本人街もあった。
 連合艦隊は米軍のサイパン上陸を知り米機動部隊撃滅作戦=「あ」号作戦を遂行。約700kmを飛んで零戦五二型、彗星艦爆、天山艦攻が6次に渡って攻撃する。
 だが高性能の電探で米戦闘機に効果的に待ち伏せされ、また近接信管によって日本の攻撃機は次々と撃墜された。参謀たちは高性能の電探も近接信管も知らなかった。
 しかも攻撃機の搭乗員たちは未熟で編隊さえ組めなかった。
 「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれるほど米軍機は簡単に日本の攻撃機を撃墜した。
 攻撃の間に空母「大鳳」など2隻が撃沈される。
 かくてマリアナ沖海戦は日本の大敗となった。

  Ⅶ フィリピン・レイテ戦:1944年(S19)10月
 1944年(S19)10月、米軍は日本と南方の資源を結ぶ要のフィリピン・レイテ島へ上陸する。連合艦隊は「捷(ショウ)1号作戦」を展開する。
 初めての特攻部隊が組織される。「志願」とは名ばかりで「命令」だった。
 「志願」としたのは軍上層部の責任逃れのため。
 囮作戦によって米輸送船団を撃滅させることができたはずの栗田艦隊が「謎の反転」をする。勲章の査定で評価されるのは軍艦のみである。輸送船団を壊滅させても点にならない。艦隊に被害が出ればマイナス査定である。大きなミスをしないため、つまり出世のためにのみ艦隊が反転させられた。
 しかもエリートの彼らは自分が誤ると思わない。
 海軍兵学校の席次がすべて、陸軍大学校の席次がすべての超エリートはすぐ逃げる。自分が死ぬ可能性がなければいくらでも無茶苦茶な作戦を立てる。
 よく戦ったのは兵や下士官のみである。

  Ⅷ 沖縄方面「全力特攻」方針:1945年(S20)2月
 1943年(S18)10月の学徒出陣以降、陸軍でも海軍でも学徒兵から大量に飛行予備学生が採用された。
 特攻でなくなった約4400人の半数は飛行予備学生だった。
 大学生は優秀なのでパイロットの速成に好都合だった。彼らが特攻機の搭乗員となり、熟練搭乗員は特攻機の直掩機に乗るか、教官となった。
 1945年(S20)2月、連合艦隊沖縄方面作戦会議が「全力特攻」の方針を決定。
 参謀たちが軍部のメンツのため、意地を見せるため、特攻を命令した。
 「大和」からも海上特攻があった。
  さらに人間が操縦するロケット爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」。
 宮部久蔵は飛行予備学生の教官、また特攻機の直掩機として多くの若者の死に立会う。彼は幽鬼のごとくなり、ついに自らも特攻機の搭乗員として死を選ぶ。

 《読後の感想》
 架空の零戦搭乗員、宮部久蔵を通して描いた日本軍上層部の無責任・非人間性の立証。
 死んだ兵・下士官・一部の真摯な士官へ合掌。
 エリートの日本軍上層部の無責任・非人間性は許さない。

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『6時間後に君は死ぬ』高野和明(1964生)、2007年、講談社文庫

2011-05-07 21:30:43 | Weblog
 (1)「6時間後に君は死ぬ」
 謎解きである。ヴィジョナリー(幻視者)が実在するかどうかが決め手。
 幻視者が日常的にありえないので、一度は幻視者がいないのかと思わせる。
 ところが幻視者がいるとの設定に変化。話がSF的になる。
 この幻視者は殺された恋人の復讐のため、犯人を捜していた。
 犯人の動機は猟奇的殺人。この動機は誰でも犯人にできる設定。
 “ヴィジョナリーの実在”と“通り魔的猟奇殺人”がストーリーの枠組みをなす。
 
 (2)「時の魔法使い」
 脚本家になれずプロットライターのアルバイトで食いつなぐ未来(ミク)。お金がない。
 その29歳の私が20年前の自分、9歳の自分、ミクちゃんに会う。
 ミクちゃんは自分を、優しいおばさんと言ってくれた。
 しかもミクちゃんは今の自分、未来(ミク)が、20年後の自分(ミクちゃん)だと知っていた。
 ミクちゃんが過去に戻るとき、後催眠指示を与えれば未来を変え、未来(ミク)の生活を変え、成功させることもできた。
 しかし29歳の私は今の自分を受け入れ、今と同じままの自分を信じて生きることにする。
 
 (3)「恋をしてはいけない日」
 美男は嫌な心の人、醜男は優しい心の人。
 彼女は優しい心の人だと思って美男に恋をする。ところが優しい心の人は死んでいてその霊が美男の身体に憑依していた。
 美男は優しい心の人ではなかった。
 醜男の霊は、やがて憑依の力を失い美男の身体から去る。彼女は優しい心を持つ醜男の霊に恋をしていた。
 しかし、その霊は身体を失った。彼女はもはやその霊に会えない。
 
 (4)「ドールハウスのダンサー」
 ある若いダンサー志望の女性の未来を見通してしまった年長の女性(ドールハウスの今は亡き創立者)。
 彼女が、若いダンサーの運命に同情・共感し、ドールハウスを訪問した彼女に贈り物をするよう遺言する。(死後に渡されるよう遺言されていた贈り物。)
 ダンサーを目指した若い彼女の4年間の夢が果たされず終わる。人を蹴落とすことができなかった彼女の失敗。
 でも普通の生活の中で幸せになることの意味に若いダンサーは気づく。
 寝癖がついた髪の未来の夫との幸せな生活が、彼女が受け取った贈り物のドールハウスに表現されていた。
 
 (5)「3時間後に僕は死ぬ」
 ヴィジョナリー(幻視者)の予言が実現しなかったケース。
 爆発事故で死ぬはずの運命が、自由意志によって変えられた事件。
 予言は運命をあらかじめ示す。しかし運命の諸出来事の複雑な連関の一部を変えれば、その結果が変わるはず。
 そして、そのようにして現に運命が変わった。「3時間後に僕は死ぬ」とのヴィジョンの内容(運命)は実現せず「僕は死なない」。

 《読後の感想》
 予言とは何か?結果をあらかじめ知ること。
 現実には結果はあらかじめ知られないから、予言された時点には予言が当たるかどうか全く分からない。
 予言が当たると、予言が運命を言い当てたと言われる。
 しかし運命なるものは過去にしか存在しない。運命は、出来事が起きた後に、その起きた過去の出来事の連鎖のことである。
 運命は出来事が実際に起きる以前には存在しない。
 未来には運命なるものはない。運命は過去にしか存在しない。
 すでに起きてしまったことを予知すること、運命を予知することは、常に誰もがこの今に生きている限り、ありえない。もちろん出来事が起きてしまえば、その出来事は知られ、今から見て過去となる。
 今が過去と未来の境界世界として広がり、そこにのみ私たちはいる。
 過去から私たちは出来事の連鎖の規則性を一定程度一般化できるが、それは未来に一定の蓋然性を与えるだけである。
 決定論は過去に成り立つだけである。未来は決定論から自由である。
 結果をあらかじめ知ることは、現実にはありえぬ想定である。
 ヴィジョナリー(幻視者)の実在の想定は、思考実験である。
 それは「過去である未来」を想定する。
 つまり「決定された未決定」を想定する。
 「夏である冬」「白である黒」「上である下」「丸くない丸」を想定することに似る。
 これは無意味である。しかし面白くないこととは別である。「過去である未来」の想定は面白い思考実験である。

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『流星ワゴン』重松清(1963生)、2002年、講談社文庫

2011-05-01 10:21:03 | Weblog
  (1)
 設定は「僕」38歳。その一人息子広樹くん。妻の美代子。
「僕」はリストラに会う。
 広樹は中学受験に失敗。公立中学でイジメにあい自宅に引きこもる。
 美代子は一種の病気のため、テレクラで多くの男と寝る。そして彼女は離婚を「僕」に申し出る。
 かくて夜中の公園のベンチで「僕」は死にたいと思っている。
  (2)
 そこに時空を超える自動車オデッセイが登場する。交通事故で死んだ父と子が乗る。橋本さんと健太くん。
 健太くんは、橋本さんの妻の連れ子。
 健太くんは成仏できない。母に会いたいのだ。
 しかしその母がまたも再婚し赤ちゃんがいると分かる。健太くんが諦めをつけ成仏する。
  (3)
 「僕」の父親は田舎で死の直前。「僕」は父が嫌いで父の会社のあとを継がず、東京に出た。ところが今のザマである。
 そこに「僕」と同い年の父親、38歳が自動車オデッセイに乗り、チュウさんとして現れる。
 小説の中でチュウさんが最も精彩がある。土建会社の社長で地元の有力者・成功者。子煩悩。息子である「僕」・カズをかわいいと思う。
  (4)
 過去を後悔したとき、意味を探しまた自分を納得させるため、自動車オデッセイに乗る。時間を行き来し、もうひとつの現実を生きる。後悔する出来事をやり直すことができる。
 ただ現実のやり直しによって、後の現実が変わることはない。
 それは新しい納得できる意味を自分が探し出す過程である。
  (5)
 終わりはハッピーエンド。
 「僕」は夜中の公園のベンチで夢想していただけだった。
 しかし「僕」は過去を受け入れ、新たな希望を見出す。
 いわば流れ星に願いが届いた。自動車はだから「流星ワゴン」。
 聞き届けられたことはただひとつ。死にたいと思わなくなったこと。希望を持つに至ったこと。
  (5-2)
 父親・チュウさんの死に顔は安らかだった。「僕」は父親を受け入れた。
 息子の広樹は「僕」を赦し始める。「僕」が将来に向け生きる気になったことに反応した。
 妻の美代子も「僕」の変化に気づく。外泊しなくなる。
 もう流星ワゴンは「僕」にいらない。橋本さんと健太くんが成仏する。

 《読後の感想》
 テーマは父親と息子の衝突と和解。副テーマが子供の家庭暴力、連れ子と父親の関係、リストラ、夫婦の離婚問題。時代的道具建てとしてテレクラ、イジメ。
 夜中の公園のベンチでの「僕」の夢想は、込み入っている。
 「僕」が、父親・チュウさんを受け入れられて良かった。
 息子の広樹くんが父親の「僕」と和解できるといい。だが彼はまだ中一。これからが一層大変。広樹が38歳になるのは25年後である。
 妻の美代子とは離婚するしかないだろう。「僕」は潔癖で真面目だから妻のテレクラ通いを知った今、修復は無理である。
 私小説的な作品。

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