宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

カフカ「こま」:天上のイデア(普遍)世界の実在を信じていた哲学者が、地上の個物(「こま」)のあまりの瑣末さに絶望し、天上の実在の夢を失った!

2020-05-14 09:01:38 | Weblog
※カフカ(1883-1924)「こま」(1920)『カフカ短編集』岩波文庫(池内紀編訳)

(1)
ある哲学者が、こまで遊ぶ子供たちを追いかけた。彼は、子供たちがこまを回すと、じっと観察し、それから回っているこまをひっつかむ。子供たちが騒いでも気にしない。だが、それもほんのつかの間、彼はさっさとこまを放りだし行ってしまう。
(2)
哲学者は「回転しているこまのような《ささやかなもの》を認識すれば、《大いなるもの》を認識したのと同じである」と信じていた。「ほんのちょっとした《ささやかなもの》でも、それを確実に認識すれば、すべてを認識したにひとしい。」だから彼は、回るこまを追っかけ、手につかんだ。
(3)
だがある時、彼は回るこまを「手にしたとたん、気分が悪くなった。」回るこまを何度、手でひっつかんでも、彼は《大いなるもの》を認識できなかったからだ。こまは、常にたわいないこまにすぎなかった。彼は絶望した。これまで少しも聞こえなかった子供たちの声が聞こえ、彼を追い立てた。彼は、よろよろ、よろめいた。

《感想1》世界の原理が普遍(イデア、《大いなるもの》)だとすれば、どんな《ささやかなもの》(特殊or個物)からも普遍に到達できると哲学者は信じた。彼にとって普遍は、天上世界だ。だが哲学者は《ささやかなもの》はただ瑣末なもの(特殊or個物)にすぎず、普遍(イデア、《大いなるもの》)にいたらないと気づいて、絶望した。
《感想2》イデア(普遍or形相)(《大いなるもの》)が個物(《ささやかなもの》)より先に立ちそれ自身において存し(実念論or実在論)、個物は質料に形相(普遍)が作用して形成されているのであれば、個物から普遍を認識できる。哲学者はそう思った。
《感想3》これに対し、実在するのは具体的な個物(《ささやかなもの》)であるとの立場(唯名論)もある。個物はそれ自身で存在する。普遍(イデア、《大いなるもの》)が作用しなくても個物は存在する。普遍は実在しない。普遍と思われたのは、単に類を示す「名前」にすぎない。個物から普遍(イデア、《大いなるもの》)を見出すことはできない。哲学者は、イデア(普遍or形相、《大いなるもの》)の実在を信じられなくなった。
《感想4》天上のイデア(普遍)世界の実在を信じていた哲学者が、地上の個物(「こま」)から普遍(イデア)が見出せず、またその個物があまりに瑣末であることに絶望し、彼は、天上の実在(イデアの実在)の夢を失った。
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