宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

三浦瑠麗(1980生れ)「今上陛下のご意思表明を受けて」(2016/08/09)『山猫日記』

2016-08-27 22:43:32 | Weblog
(1)「国民統合の象徴」としての天皇
A 今回のビデオは、「民衆とともにある天皇という自画像への、陛下の多大な責任感」の表明である。
A-2 これは「平成の時代に復古された民間信仰としての国民統合の象徴という解釈」である。

(2)「軍部の独走」
B 「昭和の時代における軍部の独走とは、大日本帝国憲法下における天皇の統治者としての役割を利用し、政治家をバイパスして直接『ご聖断』を仰ごうというもの」だった。
B-2 「美濃部の天皇機関説では軍部は都合が悪かった。内閣の権限を弱め、外交や軍事とそれにかかわる予算を全て掌握するために、天皇だけが持っていることになっている『統帥権』の範囲を拡げたかった。」

(3)「今回の譲位の御意思を快く思わない保守派」:「新・天皇機関説」論者
C 自民党の2012年改憲草案は、「軍部の天皇主権説」への「回帰」ではない。「国民主権ということははっきりと憲法草案に明記されています。」
C-2 「超保守的な方々が、どうも今上の御意思に疑念を投げかけ、皇室典範の改正の必要はないと言っているようなのです。こうした方々のオピニオン誌への寄稿を見てみると、かつての西郷どんのような暑苦しいまでの尊王の志は感じられません。そこに感じられるのは、ある種ヒヤリとするような官僚的冷たさです。」(Ex. 八木秀治)
C-3 「譲位に伴うリスクや天皇制度の趣旨から譲位に反対する保守派の一部の態度には、天皇制度を利用して武士から建国者に上り詰めた長州閥の系譜を感じさせるところがあります。」
C-4 「『新・天皇機関説』論者は天皇の主権も人格もなくして皇祖皇宗の伝統に閉じ込めておくことによって、より国家主義の度合いを強めている。」

(4)「今上の示された共同体」
D 今回のビデオで、「今上はこれまで作り上げてこられた象徴天皇の解釈によって、民衆とつながる天皇という像を直接国民に語りかけることで実現した。」
D-2 「市井の人々が慈しみ存続させている、いたるところの共同体に、自らは象徴として息づいているのだというメッセージ。」
D-3 「その共同体が残っているのは日本の地方でしかないかもしれませんが、そここそが自民党の地盤であり、もっぱらイデオロギー活動にいそしむ保守派論客が決して根を下ろそうとはしていない郷里」です。
D-4 「多くの地方選出の保守系議員は今上陛下のお言葉を受け止めることができたのではないかと思う。」

(5)「リベラルは代替わりしつつあります」
E 「戦前回帰を戒め、天皇の影響力を極小化したい(※リベラルの)観点からは、今上のビデオメッセージによる直接の国民への呼びかけは心穏やかでない人もいるでしょう。」
E-2 今上が、「政策に関与しないと明言されたとはいえ、その自信に満ちたご風からは、都市リベラルは戸惑いを感じる向きもあるでしょう。」
E-3 「ですが、(※リベラルの)新しい世代は、より普遍的に物事を見たうえで、天皇家の人権という概念も受け入れる余地があります。もしくは今上の来し方から、すぐに戦前回帰という脊髄反射をしない傾向もあります。」

(6)「制度変更」(「譲位を制度化する」)
F 「天皇をどのように位置づけていくか」という問題。
F-3 「君主と国民主権と代議制民主主義という緊張関係を孕んだバランスのもとに、あらゆる人の人権を守っていくということは、天皇の独断も、多数の専制も、政治エリートの暴走も許さないということにほかなりません。」
F-4 「今上の人権に配慮しつつ、政治エリートと主権者である国民が議論をしていく必要があるでしょう。」

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『路地裏の資本主義』平川克美(1950生まれ)、角川SSC新書、2014年

2016-08-14 12:55:51 | Weblog
はじめに
A ソ連邦の崩壊以後、資本主義は弱肉強食のダーウィニズムに似る。(4頁)
A-2 金融資本主義は、リーマンショックのような、詐欺まがいの事件まで引き起こした。(4頁)
A-3 資本主義は、今や、格差を拡大しながら地球規模で迷走し始めた暴力的な収奪システム。(4-5頁)
B 人間は、資本主義的生産方式、市場原理主義、自由主義経済とは、原理の異なる社会システムを作り上げる必要がある。(5頁)

第1章 資本主義のまぼろし
(1)労働(身体性)を伴わない商品が貨幣である(14頁)
C 資本主義は、産業資本主義から、消費資本主義、金融資本主義、カジノ資本主義、強欲資本主義へと変貌し、今やグローバル資本主義として世界を覆いつくす。(25頁)
《評者の感想》:民主主義によって、資本主義を制限・修正することはできるのでないか?

D もう誰も、「心がすべてだ」など言わない。現代は、お金の万能性信仰の時代。(27頁)
E アメリカでは、一般の社員と社長の給与格差は、500倍。しかし社長たちは、500倍働いていない。(29頁)
F 普通の商品は、使用価値と交換価値をもつ。しかし貨幣は使用価値を持たない。貨幣は、純粋な交換価値。労働(身体性)を伴わない商品が、貨幣である。(32-33頁)

(2)身体性(「自然の慎み深さ」)を失った貨幣市場(金融市場)(33頁)
G 貨幣は、身体的「限界」から自由である。人間は、時間・空間・身体に縛られた存在。しかし貨幣は、身体性を持たない。(34-35頁)
G-2 身体性を失った貨幣市場(金融市場)。身体という限界が教えてくれる「自然の慎み深さ」が忘れ去られた。(38-39頁)

(3)市場で交換されるものは商品となるという倒錯:サブプライムローン債権(39頁)
H リーマンショック。サブプライムローン債権を資本と思い込ませ転売。その債権の破綻で、金融機関がババをつかまされ大損。2008年の日経平均株価、9/12終値12214円、10/28一時6994円まで下落。(39-41頁)
H-2 金融ビジネスは、賭博に近い。(43頁)
H-3 商品が交換される場が市場である。その考え方の倒錯。市場で交換されるものは商品。(44頁)
H-4 商品は、労働の結果生まれた価値の担い手だが、サブプライムローン債権は、労働の対象化としての価値を持たない。(44-5頁)

(4)後ろ向きでいいじゃないか:自然と折り合いをつける(⇔自然をコントロールする)システムへ(45頁)
I 貨幣の起源については、「商品が貨幣に変化した」という商品説と、「共同体や国家が制度として貨幣を定めた」という法制説がある。(45頁)
I-2 貨幣の出現以後は、①「贈与・互酬的な交換システム」と②「契約による等価交換の商品経済システム」という二つの交換システム、そのアマルガムの上に、人間社会は築かれてきた。(46頁)
I-3 ①脅威である自然と折り合いをつけるための共同体的な生存システムから、②自然をコントロールし、個が共同体から離れても生存可能なシステムに、人間社会は移行した。(46-7頁)


第2章 路地裏の資本主義
(1)借金まみれの資本主義(50頁)
A 零細企業経営者としての著者の経験からすれば、経済活動の胴体は「実物経済」であり、「実物経済」は、緩やかにしか動かない。(52頁)
B クレジットカードは、飲み屋の「つけ」と同じ。(55頁)
Bー2 「つけ」は信用で成り立つ。(56頁)
(2)厚顔無恥な人々(59頁)
C 2014年2/12の国会中継で、安倍首相は「俺が一番偉い」と言った。(65頁)
(3)喫茶店が消えた理由と、働く理由(68頁)
D 1980年、ドトール1号店が原宿駅前にできた。1980年終わり頃、街から喫茶店が消え始めた。(69ー70頁)
Dー2 80年代中頃、土地バブルで、土地所有者が、喫茶店からコインパーキングでの資産運用に転換。(71頁)
Dー3 日本人のライフスタイルが変化し、「無為の時間」が大切と思われなくなり、喫茶店なくなる。(72頁)
(4)コンビニの少ない町(74頁)
E 岡山県では、「小商いの店」が今も健在。町の機能が充実している。(77頁)
Eー2 戦後日本を大きく変えたもの。①週休2日制、②労働者派遣法の改正、③コンビニの出現。(77頁)
E-3 コンビニは、友人の助け、家族の協力、地域の人々の支援を不要とした。必要なものはお金だけ。(78頁)
(5)まぼろしの楼閣(「洲崎パラダイス」)跡で、尊厳死法案を考える(79頁)
F 映画『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)の一杯飲み屋「千草」。(81ー82頁)
Fー2 歴史の上に、私たちの現在はある。現在は、自己決定できない。(83頁)
Fー3 「死」は死ねないし、自己決定できない。「死」を自己決定可能とする尊厳死法案に反対。(86頁)
(6)知恵の掟としての贈与(86頁)
G 「人は誰も、自分で思っているほど、自分のために生きているのではない。」(88頁)
Gー2 マルセル・モース『贈与論』:なにかを贈られた者は、相手に返礼するのでなく、第3者に贈るという掟が、マオリにあった。贈与された物を、退蔵してはいけない。(89ー90頁)
Gー3 社会が存続していくための、人類史的な知恵の掟。(90頁)
(7)顔のない消費者(92頁)
H 「金さえ払えばよい存在」としての消費者=顔のない消費者。これに対し、近所の商店街では、顔がある。(94ー95頁)
(8)ネットに飛び交う剣呑な言葉と、貨幣の関係(96頁)
I インターネットに飛び交う悪意に満ちた言葉。(96頁)
Iー2 匿名で言われた言葉は、「生の身体」を持たない。(99頁)
Iー3 「貨幣の無身体性」に似る。徳ある者の1万円も、詐欺師の1万円も区別がない。(99ー100頁)
Iー4 貨幣が市場を離れたら紙屑であるように、ネットの言葉もネットを離れたら無意味なノイズにすぎない。(104頁)
(9)教育と正義(104頁)
J 政治家・財界人は、日教組・ゆとり教育が、日本人の教育を劣化させたと言う。(106頁)
Jー2 「考える」という営みは、「既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑う」という点において、本質的に反時代的・反社会的な行為だ。(立教大吉岡知也総長)(108頁)
Jー3 「礼節をわきまえた、親孝行で愛国心に富んだ若者」、「英語ができ、自己利益に敏感で、他人を出し抜く技に長けた人間」など、「画一化した人材」を大量に産み出すことが、教育ではない。(110頁)
K 禁煙は、表現の自由の上位にあるわけでない。映画『風立ちぬ』への「日本禁煙学会」の抗議。(113頁)
Kー2 ファアシズムは、個人の自由を謳う個人主義、さらに多文化主義、平等主義を嫌う。(119頁)
(10)パンとサーカスに踊る人々(120頁)
L オリンピック大政翼賛の「空気」。批判すれば、「なんで素直に喜べないんだよ」「変わり者」「きもい」、さらに「非国民」「日本を出て行け」「死ねば」と攻撃される。(120ー121頁)
Lー2 多様性を認めようとしない空気。(123頁)
M 今の日本の世相は、パン(経済)とサーカス(娯楽)のみが関心事。それ以外のことを考える異分子を、排除する。(124頁)
Mー2 祝祭は、熱狂を提供し、一体感や団結をもたらす国民統治のための装置。(125頁)
(11)時間をめぐる考察(126頁)
N お金とは、自分が汗水たらして差し出した労働時間と引き替えに受けとる「商品引換券」である。(133頁)
《評者の感想》:この労働時間は、他者にとって役立つ使用価値を産み出さねばならない。そうでないと他者が受け取らない。単なる労働時間は、徒労、つまり無価値である。

Nー2 「効率」とは「時間の短縮」である。時間の短縮により、ビジネスのサイクルが早まり、資本が高速回転し、収益が高くなる。(136頁)
N-3 労働時間が凝固しない商品。お金が、商品になった場合。(137頁)
(12)飼い犬の遺言(140頁)
O 人間は「成長」へ向かい、あくせく働き続けている。(141頁)
O-2 しかし犬・猫・鳥の生活のリズムは「繰り返し」である。(141頁)
P “征服欲、上昇志向がないため「臆病」と呼ばれる者”は、「優しさ」をもつ。(148頁)


第3章 国民国家の終わりと、株式会社の終わり
(1)グローバリズム
A 日本は、成熟した資本主義国家として、市場が飽和し、人口が減少し、かくて自然過程としての経済成長は望めない。それでも経済成長するために、①大企業優遇、②非効率分野の切り捨てが、なされる。(150頁)
A-2 株式会社というシステムを成り立たせる、「右肩上がりの経済」の喪失。(152頁)
A-3 グローバリズムとは、まだ成長している国を収奪するためのイデオロギーである。関税障壁など自国産業を守る慣習・規制の破壊。(152頁)
A-4 WIN-WIN関係などありえない。ハイチ、チリの大打撃。南米が反米となる。(153頁)

(2)株式会社
B 株式会社の起源は、東インド会社ではない。それは、アジア地域の権益独占のための商社連結体。(154頁)
Bー2 17C後半、ロンドンの金融街で、遠隔地貿易の遠洋航海の資金集め。現代の株式会社の起源。(155頁)
Bー3 南海会社の汚職事件などで、株式会社は1720年禁止。(159頁)
Bー4 産業革命が始まり、設備資金を集めるため、株式会社システム復活。(159頁)
B-5 「始まったものは、必ず終わる」。株式会社、法人資本主義にも終わりが、やがてくる。(160ー1頁)

(3)国民国家・成熟した資本主義・グローバリズム
C 想像の共同体である国民国家。壮大なフィクション。(ベネディクト・アンダーソン)(162頁)
Cー2 国民国家は、1648年のウェストファリア講和体制で誕生。(164頁)
C-3 近代社会は、国民国家というフィクションと、株式会社というフィクションの上に、発展。(164頁)
D 株式会社は経済成長、つまり株主期待がないと、成立しない。(165頁)
D-2 ところが今や、成熟した資本主義国家では、右肩上がりの経済は、無理。(165頁)
Dー3 かくて株式会社が生き延びるため、国民国家の枠組みを破壊し、発展途上国の右肩上がりの要件を取り込む。グローバリズム!(165頁)

(4)家族形態と日本の会社の関係
E 日本の株式会社制度の転換。①年功序列から成果給へ、②終身雇用から契約制へ、③社員の非正規化。(165頁)
E-2 日本的システムは、合理性を欠く前近代の残滓か?グローバリストは、等価交換の合理性を主張。(166頁)
F エマニュエル・トッド『世界の多様性』によれば、社会主義化したロシア、中国、ベトナム、旧ユーゴ、キューバ、ハンガリーは、外婚制共同体家族。(①親子関係は権威主義、②兄弟関係は平等、③外婚制)(167ー8頁)
Fー2 共産主義国家のイデオロギーである権威主義と平等主義は、外婚制共同体家族に由来する。(168頁)。
G 家族形態は、歴史の古層に由来。生き延びる確率を高めるための家族形態。(169-171頁)
H 日本の家族形態は、①親子関係が権威主義、②兄弟関係は長子相続型で不平等。これは、アジア地域に多い。またドイツ、オーストリア、スウェーデン。(167頁)
Hー2 日本の会社制度は、「家制度」を模倣し成立。Ex.三井家、住友家。(171頁)
Hー3 日本的経営システムは、1980年代中頃に、根底的に否定される。(174頁)
Hー4 社長は父親、社員は子供、会社は家族。(175頁)

(4)ー2 会社の目的:存続か成長か?
I 日本の会社の第一の目的は、本来、「存続」であって、成長(家の拡大)ではない。(175頁)
I-2 これは、「株式会社が成長を不可欠とする」ことと、原理的に、異なる。(175頁)
I-3 成果主義、実力主義は、「存続」を旨とする家共同体的な会社を破壊する。(176頁)

(4)ー3 日本的株式会社の解体は英米への屈服
J 日本の家族は、長子相続型権威主義家族の形態から、核家族形態へ変化。家的共同体の価値観、衰退へ。(177頁)
K アメリカのビジネスセクターによる、日本的株式会社の解体。1980-90年代、日本からの輸出攻撃への対抗。(177頁)
Kー2 アメリカの構造改革要求で、護送船団方式(行政官庁、銀行、大企業、中小企業が一体となって産業を牽引)解体。(178頁)
L 英米は、絶対核家族。①親子関係が自由で互いに独立、②兄弟関係が平等。日本の本家、分家のような関係はない。個人は自己責任で生きる。(178ー9頁)
L-2 個人主義、自己責任制、成果主義という近代株式会社の価値観は、英米の絶対核家族と親和的。(179頁)
L-3 「権威主義的な日本型」、「平等主義的な中国型」、「個人主義的な英米型」は、本来ともにローカル。(179頁)
M ところが英米型がグローバル標準とされる。英米が、政治的、経済的ヘゲモニーを持つため。(179頁)

(5)反グローバリズム&棲み分けシステム
N 日本は、①対米関係におもね、②国益より企業益(多国籍企業益)を優先。(180頁)
N-2 拡大を求めず、持続的経営を目標とする「小商い」企業の価値観の重要性。(180頁)Ex. ドイツのライン川沿いの地域にも、日本的価値観に似た会社が、たくさん残る。(180頁)
N-3 会社形態の多様性、そしてローカルな国家運営こそ、自然である。英米の価値観を押しつけるグローバリズムこそ、不自然なフィクションである。(181頁)
O 世界の富を独占するヘゲモニー国家のグローバリズムによる、国民国家の解体。株式会社(多国籍企業)の利害の貫徹。(182頁)
O-2 「低廉な労働力の供給」、「市場の提供」のためだけに存在を許された非ヘゲモニー国家。(182頁)
P 資本主義は、民主主義と組み合わされなければ、弱肉強食のダーウィニズムとなる。(182ー3頁)
Q 世界が連鎖的な危機に陥ることを防ぐため、国民国家の分散が重要。世界の多様性の維持。反グローバリズム。(184頁)
Qー2 一極集中でなく、「分散型の棲み分け」こそ、生き延びる知恵。「効率重視の中央集権的システム」と、「生き延びるための棲み分けシステム」のせめぎあいの時代!(186頁)


第4章 ”猫町”から見た資本主義
A 経済成長とは、ゴミを出すこと。(196頁)
B 2005年を境に、日本の総人口減少。これから数十年間は、経済成長が不可能。(197頁)
Bー2 反論:①イノベーションによる発展が可能。②人口減少を食い止めることは可能。③グローバリゼーションを利用し発展途上国の果実を取り込む。④サイバー空間は無限。金融技術で勝ち組となる。(197頁)
C 株式会社は、右肩上がりでないと生きられない。なにが何でも経済成長を求める。そして国家は、株式会社にのっとられている。(200頁)
Cー2 成熟段階の資本主義経済の国家では、発展でなく、平安と安定こそ、目標とすべきである。(201頁)
Cー3 「商品交換」でなく、「贈与的交換」の社会を目指すべきだ。(204ー5頁)


第5章 銭湯は日本経済を癒せるのか
D 日本の60年代は、「家内工業と職人の町」が、徐々に「ホワイトカラーの住む町」へと変貌していく端境期だった。(209頁)
E かつて銭湯は、風呂桶、お湯や水など、みんなの共有物を長く大切に使っていこうという「節約の精神」で貫かれていた。(215頁)
F アダム・スミスやジョン・スチュワート・ミルは、経済発展の先には、「定常状態」がやってくると、予言。これ以上経済を発展させる必要がない状態。(213頁)
Fー2 経済発展を遂げ、人口減少で総需要の伸びが見込めないのに、日本は未だ「経済成長」を政治家もビジネスマンも願う。かくて、富裕層のみ資産膨張、中間層破壊、貧富の格差拡大。(214頁)
Fー3 株式会社は、利潤の拡大、したがって「経済成長」を、前提するシステムである。(215頁)
《評者の感想》
(a)株式会社が、「経済の定常状態」あるいは「縮小する経済」のもとでも、存続するにはどうしたらよいか?
(b)株式会社を、「小商い」的システム、すなわち、成長でなく「存続」を目指すシステムに、改変できないか?

G 家業のように、必要なときに必要な量だけを刈り取るような「定常的な経済」をめざせ。(217頁)
Gー2 成長が無理なのだから、「成長しなくてもやっていけるシステム」を構想すべきである。(221頁)
Gー3 経済成長を生命線とする株式会社の戦略。
①サイバー空間に新しいフロンティアを求める。
②国外にフロンティアを求める。
③国内に貧困層という成長市場をつくりだす。(221頁)
Gー4 ②について:グローバリゼーションによって発展途上国の成長の果実を取り込むにしても、これらの地域の市場も、やがて飽和するだろう。(222頁)
H 日本は、無理な経済成長を追うのでなく、世界に先駆けて「定常経済モデル」を確率すべきである。(222頁)
Hー2 経済が停滞してから生まれてきた若い人たちの中から、リアリティのない成長戦略でなく、「生き延びるための共生」に向かう人たちが、現れてきている。(223頁)
Hー3 「定常経済」を構想する。競争戦略、成長戦略、原発再稼働、集団的自衛権行使は誤り。(224頁)


終わりに
I 「昨日と今日がほとんど変わらない日々」でよい。非生産的でよい。(226頁)
I-2 西欧中心主義、アメリカニズム、立身出世主義、経済成長至上主義でなくてよい。(226頁)
I-3 本書は、グローバル資本主義への違和感をつづった。(227頁)
《評者の感想》
(c)定常経済のもとで、人々の野心、冒険心、成功欲を、どのように満たすのか?構想せよ!

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白柳秀湖(1884-1950)『維新革命前夜物語』(第七~第一五)1940年、千倉書房

2016-08-05 12:42:29 | Weblog
第七 田沼意次のインフレ中、天災事変、分列行進の巻
(1)井戸・ポンプ・タンクによる比喩(七二)
A 江戸時代前期は、吉宗まで。(吉宗将軍職1716-45→家重の後見45-51→吉宗死去1751)(七二)
B ①諸侯の「井戸」の水(富)を農民が汲みだす。
②都会に大きな「タンク」=町人階級あり。富の集中。
③「ポンプ」(タンクに富を集中させる)に当たるのは水陸交通機関・商業上の特権(株)など。
④「ポンプの柄ヲ取って上下に動かし富をタンクに集中させる主体」は、自然に発生する力。民権のためのたたかいで勝ち取ったのではない。(七二)

(2)宝暦10(1760)以降、飢饉が慢性的・全国的となる(七三)
C 幕府は、一方で、タンク(町人階級)の水(富)を、元の井戸(諸侯・家臣・従者)に戻そうとした。Ex. 買米令、冥加金(用金令)(七三)
→他方で、ポンプの柄は、上下させたまま。(七三)
→これに疲れて、やがて、どたっと幕府は倒れ、大政奉還となる。(七三)
D 封建政府が、貨幣という悪魔の手箱に手をつけた。
→新井白石・荻生徂徠が手箱を封じる→しかし封じた絆創膏がはがれる時が来る。(七三)
E 全国的大飢饉という人食い鬼!封建制度だけなら、飢饉は全国的にならない。(七三)
E-2 ポンプを力いっぱい押し上げ:綱吉(1695(元禄8)荻原重秀)
→押し下げ:(家宣・家継)(1709新井白石登用)、さらに吉宗(1736徂徠の元文銀等)(七三)
E-3 かくて農民、へとへととなる
→宝暦10(1760)以降(家治将軍職1760-86)、飢饉が慢性的・全国的となる。自給自足経済が壊れた。
→天明の大飢饉(1783-88)→天保の大飢饉(1810-43)(七三)

(3)徳川家重(将軍職1745-60):吉宗1751死去後、驕奢を極める
F 徳川家重(将軍職1745-60):吉宗が後見の間は政弊なし。(七四)
F-2 吉宗1751死去後、家重は、驕奢を極める。大岡忠光、ついで田沼意次をとりたてる。(七四)

(3)-2 家治28カ年(将軍職1760-86)の不祥事
G 徳川家治(将軍職1760-86)(七四)
G-2 田沼意次:1766側用人→1769(明和6)老中格→田沼時代(1775(安永4)以降)→1783子意知若年寄、→1786(天明6)田沼意次罷免。(七四)
G-3 杉田玄白『後見草』が、家治治世の不祥事を語る。旗本・御家人・譜代・外様の窮迫、天変地異、金融梗塞。天下の凶荒、真に見るに忍びず。(七四)

(3)-3 家治将軍宣下祝賀(1760)・上武一揆(1764)・明和事件(1767)
H 家治将軍宣下祝賀(1760)の前夜から引き続いた大火。(七五)
H-2 家治:3都のブルジョアへの最初の用金令。(七五)
H-3 明和元年(1764)上武一揆、20余万人。各家に押し入る。翌年、首謀者ら数百人がつかまる。(七六)
H-4 明和3(1766)御蔵門徒(オクラモント、浄土真宗の異端、隠れ念仏)の宗徒の大検挙。不安な時代。(七六)
H-5 明和4(1767)明和事件:山県大弐、尊王斥覇、江戸城攻略。獄門。(謀反の疑いで山県大弐ら30余人を処刑した尊王運動弾圧事件。)(七七)
H-6 明和7(1770)火星の凶変予兆、大旱3年。(七八)
明和8(1771)人心の不安、いよいよつのる。怪異のうわさ。(『後見草』)(七八)

(3)-4 第2回抜け参り(1771)
I 明和8(1771)第2回抜け参り。「田沼意次の悪政を弾劾する大衆国民の大示威行列」(白柳秀湖)。(七九)
I-2 地方にも多くの不穏、一揆。「土民ども徒党」、「火事、洪水、大風」。(『後見草』)(七九)
I-3 伊勢皇大神宮へ抜け参り。徳川氏の政治に対する、愛想尽かし。(七九)
I-4 60年以前、荻原重秀の悪政に対する民衆の弾劾的示威行列:第1回抜け参り。(七九)
J 明和9(1772)「メイワク(迷惑)」の年。目黒火事(目黒行人坂大円寺)が起き、明暦大火(1657)以来の惨禍。(八〇)

(3)-5 安永元(1772)田沼老中となる、以後は天災・百姓一揆頻発→天明3(1783)浅間山噴火→天明の大飢饉(1783-88、天明3-8)と米騒動→天明6(1786)田沼意次罷免
K 安永元年(1772、田沼老中となる)以後は、天災・百姓一揆が頻発。(八一) 
K-2 天明3(1783)浅間山噴火。浅間山の降灰で関東では「田畑俄に荒地となる。」一揆、豪家を略奪し城下に迫る(安中、小諸、上田)。将軍家治は何もせず、田沼は地方の民情を顧慮せず奢侈にふける。(八二・八三)
K-3 天明の大飢饉(1783-88、天明3-8)襲来とともに、米騒動が日本全国に広がる。(八四) 
→天明6(1786)田沼意次罷免。(八四)
→天明7(1787)米価暴騰、細民餓鬼道の惨状。京・大阪・江戸で米騒動(脅喝・略奪)(八四)


第八 天明大飢饉中(1783-88、天明3-8)、都市ブルジョア栄耀・栄華の巻
L 天明7-8(1787-88)、米騒動(米屋・物持ちの家を襲う)は、飢饉の惨害の軽微な地方に起こっている。(八五)
L-2 飢饉が激甚な陸奥・出羽では、米騒動を起こしうる弾力さえなかった。(八五)
M 都市ブルジョアの豪遊。十八大通:筆頭は大和屋文魚。(八六)
M-2 幇間を兼ねた山東京伝。天明以来の赤本・黄表紙の作者の多くは、幇間を兼ねた。(八六)
L 井戸という井戸は皆、餓死人の死骸で埋もれていいた。南部領~秋田領。天明3年。(八九)
L-2 天明8(1788)、草間に人の骸骨が、るいるいと重なっている。五戸・六戸より東の方。(杉田玄白)(九〇)


第九 田沼意次のインフレ(明和2(1766)鍋銭鋳造開始)と世直し思想発展の巻(明和8(1771)第2次抜け参り)
(1)安永・天明のインフレ景気:田沼の銅銭改鋳(明和2(1766))
M 元文元年(1736、吉宗)から明和2(1765、家治)まで幕府は貨幣に手を触れず安定。(九一)
M-2 ところが明和2(1766)、田沼意次(側用人)が貨幣改鋳に手を染める。(九一)
M-3 土交じりの「鍋銭」と真鍮の「四文銭」(無理やり並銭4文と強制)。かくて銭価が下落。(九三)
M-4 田沼の政府は馬鹿の一つ覚えで、銭を粗悪にすれば、米価が上がり、天下は太平となると考えた。(九三)
M-5 Cf. 高橋蔵相の言草によれば「貨幣のことは何も経験だ」。(九二)

N 明和2(1766)以来、田沼の政府は、銭の品質を下げる。かくて物価騰貴。(九三)
N-2 武士はコメが高く売れるといっても、売った後は、高い物価の物を買い生活が大変。(コメは、程よく高く売れるのがよい。)(九三)
N-3 その日暮らしの水吞百姓、素町人は、物価騰貴で大変。(九三)
N-3 万民窮迫の中、少数のブルジョアどもが、のさばりかえった。(九三)
N-4 金銀の宝(賄賂)を贈りて御奉公したいというのは、「上に忠あること明らかなり」と意次が公言。(九四)

(2)世直し大明神:佐野善左衛門政言による意知刺殺(天明4(1784))
O 天明4(1784)、佐野善左衛門政言が殿中にて若年寄・田沼意知を襲撃。この年は、浅間山噴火の翌年。鍋銭鋳造で物価は天井知らずに高騰。10日後、意知死亡。(九五)
O-2 佐野をとめる者がいない。大目付と目付がとらえる。佐野は、狂気として切腹させられる。(九五)
O-3 意知が、政言の系図を奪い、政言の粗暴を誣いる。政言は脇差に毒を塗っておいた。(九六、九七)
P 佐野善左衛門政言は「世直し大明神」として祀られる。(本願寺境内徳本寺。)(九八)
P-2 当時、大衆国民の「世直し思想」。尊王敬神運動。Ex. 明和8(1771)第2次抜け参り。伊勢参宮。(九八)
Q 天明6(1786)将軍家治死去。田沼意次罷免、蟄居。(九九)


第十 松平定信デフレーションの巻(天明7年(1787)~(寛政5(1793))
(1)米騒動(天明7年(1787))
A 天明7年(1787)5月江戸の米騒動5/20から3日間。その直後、松平定信、老中(政府の首班)となる。(寛政5(1793)7月まで満6年。)(一〇〇~一〇一)
A-2 郡代伊奈忠尊の素晴らしい働き。米穀輸送の責任者。時価で買い、半額で売る。(一〇二)
A-3 この時、貴人・高位の人も、4・5日は食に窮した。(一〇二)

(2)松平定信と荻生徂徠
B 松平定信の寛政の改革は、吉宗前半期の政策を踏襲した。質素簡約・風俗矯正。(一〇三)
B-2 Cf. 吉宗後半期は、徂徠の『政論』『太平策』に基づき貨幣制度との折衷に成功。(一〇三)
C 松平定信の政治家としての生命が、何故短かったのか?(一〇四)
C-2 自給自足の荘園経済と、流通自在の貨幣経済との矛盾、それらの折衷の必要に、定信は気づかず。徂徠は気づいていた。(一〇四)

(3)都市ブルジョアジーの倹約令への反感、&囲米令(寛政元年(1789))
D 大奥の女性の消費欲によって代表された都市ブルジョアジーの勢力。大奥が非難し、将軍に働きかけ、定信が失脚。(一〇五)倹約令が微細にわたる。(一〇六)
E 寛政元年(1789)、諸大名への囲米強制法(囲米令)。大名が、1万石につき100石は売らない。①備荒貯蓄、②収入減で贅沢させない。③米価が上がる。(一〇六)
E-2 囲米令で、藩財政は収入減となり、大名は困る。(一〇六)
E-3 囲米令で、大阪の蔵元・掛屋は困る。(一〇六)

(4)徳政令(寛政元年(1789))
F 徳川幕府の制度建直しが切迫したことを物語る徳政令。すなわち寛政元年(1789)、蔵前札差96人に、旗本に対する旧債棄捐令を出す。ブルジョアジーに対する革命的措置。(一〇七)

(5)都会か農村か
G 「都会を活かして農村を殺すか、農村を活かして都会を殺すか」という制度の立て直しの問題あり。これこそ水野越前守忠邦が取り組んだ問題!(一〇八)
G-2 定信は奢侈の一つ一つの事実を取り締まった。Ex. 寛政元年(1789)娼楼新開店禁止、寛政3(1791)男女混浴禁止。(一〇八)
G-3 定信による、大名の留守居役の「懇親」の取り締まりは、大名御用達に打撃!(一〇八)


第十一 文化文政時代、都市ブルジョアの贅沢行詰まり・げてもの趣味の巻(文化元(1804)~文政13=天保元(1830))
A 元禄の贅沢は「成金」風、天明は「通」な贅沢、これに対し文化文政の贅沢は「低徊趣味、行き詰まり、贅沢の仕様がない、げてもの趣味」。(一〇九)
A-2 家斉(1786-1837):①老中筆頭・松平定信(1787(天明7)-93(寛政5))→②老中・水野忠成(タダシゲ)(1817(文化14)-34(天保5))のインフレ政策(一〇九)
A-3 インフレ景気に飽満し贅沢に困り抜く。Ex. 多摩川まで煎茶の水汲みに人を走らせた山谷の八百善。煎茶と漬物で1両2分。(一一〇)
B 諸大名の部屋を回ってとばく開帳の次郎吉親分が鼠小僧。天保3(1832)、小塚原で処刑。(一一一~二)


第十二 水野忠成(タダシゲ)インフレーションの巻(老中職1817(文化14)-34(天保5))
C ①元禄・宝永の景気は、荻原重秀の貨幣改鋳による。
②明和・天明の景気は、田沼意次の悪銭による。
③文化・文政の景気は、水野出羽守忠成(老中職1817(文化14)-34(天保5))の貨幣改鋳による。(一一三)
C-2 信用があった南鐐二朱銀の品質低下を、松平定信も、その後の松平信明(ノブアキラ)も、行わず。しかし水野忠成が老中になると、それを、行う。(一一三)
C-3 吉宗以来、当局が苦心した物価と貨幣の平衡が壊れる。(一一四)
C-4 幕府は改鋳の度に、出目をむさぼる。特に文政12(1829)以後は、幕府は自暴自棄で、政策もなにもない。(一一五)
D インフレ景気で、水野忠成(タダシゲ)は、引き立てられ出世。(一一六)
D-2 忠成(タダシゲ)は、インフレ策の一環として富興行を許す。(一一七)
D-3 忠成(タダシゲ)の本所仲之郷下屋敷の庭園へ家斉御成。硝子で飛泉(滝)を造り、寒かったので炭火で桜花を咲かせた忠成。(一一八)


第十三 天保の大飢饉(天保3(1832)より全国的大飢饉)、都市ブルジョア豪華の巻
(1)天保の大飢饉の始まり(天保3-4(1832-3))
E インフレをやれば(水野忠成の貨幣改鋳(老中職1817(文化14)-34(天保5))、大飢饉になる。凶作への抵抗力が落ちる。(一一九)
E-2 天保2、3年から天候不順。天保4年冷夏・暴風雨・洪水。東北地方がひどい。秋田、山形はまだいい。仙台は半収。津軽がひどい。(一一九)
E-3 南部盛岡不作3年続き、天保4(1833)大凶作。例年の1/20収量。軒下に茨を植え棄児、行倒れを防ぐ。(一二〇)

(2)天保7-8(1836-7)、水戸街道、1日、6-7千人の流民
F 天保7(1836)さらに大きい大飢饉。冷夏。米価高騰。捨て児。老人・病者は身投げ。(一二〇)
F-2 水戸街道を江戸に向かって、東北流民が流れ込む。(一二一)
F-3 65棟の土蔵を持つ真壁郡茂田村の豪農高梨助右衛門。天保7-8(1836-7)、水戸街道、1日、6-7千人の流民。救い小屋を設置。67万人の流民を救う。3000人の埋葬者。「家と田畑が残れば暮らしていける」と孫に対し答える。(一二一)
F-4 野田、高梨権兵衛(醤油屋)、救小屋に2万両、使う。(一二一)

(3)天保4-8(1833-7)施行(セギョウ)の張札&天保7(1836)甲州百姓一揆
G 天保4-8(1833-7)には、天明7(1787)の打毀しをおそれ、あらかじめ施行(セギョウ)の張札:米を安く売り、金を配る等。(一二二)
G-2 天保の大飢饉で暴富を得た加賀の船商・銭屋五兵衛。(一二三)
G-3 天保7(1836)、甲州百姓一揆。甲府まで押し出す。1万8-9千人。城内から一斉射撃で死傷者300人。174人が掴まり4人磔、9人死罪、遠流38人など。(一二三)

(4)天保8(1837)大塩中斉(平八郎)の挙兵&生田万の陣屋襲撃事件
H 大塩中斉(平八郎)の挙兵(天保8(1837)):大阪町奉行組元与力。蔵元・掛屋など特殊商人の暴利を非難し、政府官人の無能を呪う。徂徠の制度論の復活。(一二四)
H-2 天保8(1837)、越後柏崎生田万(ヨロズ)(国学者)、陣屋襲撃事件。尊王敬神の大義。平田篤胤の門。情にもろく激しやすい。「楽翁様(松平定信)に代わって、米屋どもに天誅を加える」との「落とし文」。同志は15人。(一二五~七)


第十四 水野越前守忠邦(天保の改革1841(天保12)~43(天保14)、44(弘化元)~45(弘化2))、デフレーションの巻
(1)商業都市を滅ぼす
A 水野越前守忠邦は、徳川氏最後の最大の政治家。(一二八)
A-2 ブルジョアジーに対する大決心。商業都市を滅ぼす。(一二八)都府の衰微を覚悟した。(一二九)
A-3 定信のような、質素倹約の封建的人道主義者では、ダメ!(一二八)
B 町奉行鳥居甲斐守忠耀(耀蔵):林家の第2子で蘭学を敵視→蛮社の獄1839(渡辺崋山・高野長英)(一二八)

(2)1841(天保12)「御城下衰退」でもかまわぬ
C 越前守の、ブルジョアジーに対する堂々の宣戦布告:1841(天保12)5/5。家慶への同年6月の上書で「御城下衰退」でもかまわぬと越前。(一二九)
C-2 1841(天保12)11/11から開始。①奢侈品の禁止→江戸の商人、大恐慌。②劇場の移転→3座、浅草へ。③私娼窟の掃討→新吉原のみ。④図書の取り締まり→第1次アヘン戦争・南京条約(1840-42)の頃で、民心動揺させ、攘夷を煽ると取り締まり。(一三〇)

(3)1841(天保12)営利同業組合解散(株仲間禁止)
D 越前守、ブルジョアの牙城に肉薄して、営利的同業組合の解散。(一三一)
D-2 上記①②③④は、本格的ブルジョアに対しては、さしたる痛痒与えず。ところが1841(天保12)12/13、江戸の商工業者の営利同業組合解散(株仲間禁止)。菱垣廻船・樽廻船(江戸・大阪の海上運輸権独占の2大船問屋)と同業組合の結託の規約破棄。消費者(武士)を搾ろうという制度(=資本主義ギルド)の破壊。(一三一)
D-3 都会を滅ぼしても、農村救済へ!町人階級を滅ぼし、武士救済!(一三一)


第一五 水野越前守忠邦・封建革命計画の巻
(1)鎌倉の原始封建制に戻す(一三二)
E 荻生徂徠の都市分散政策(『政談』『太平策』)を、そのまま実行しようとした水野越前守。(一三二)
E-2 都会の雇夫・傭丁(ヨウテイ)と化す農民たちを憂慮。①農民の江戸居住、原則禁止。①-2 近く出府した者は帰国させる。③農民はみだりに勘当しない。④農民の他業への転業禁止(出稼ぎは8カ月のみ)。⑤農民が他国に転ずるのも禁止。(僧侶・神主など)(一三二)
E-3 百姓(農民)を拘束し、鎌倉の原始封建制に戻す。(一三二)
E-4 ⑥農商工の武芸禁止。(一三二)
F 将軍直轄地の代官を、頻々と人を変えるのを、やめよ!(一三二)

(2)武士と百姓を土地に背かせた「参勤交代制」と諸侯旗本の「飛地制度」(一三三)
G 参勤交代制(徂徠のいわゆる“旅宿の境涯”)を廃止し、大名小名を領土に親ましめる。(一三三)
G-2 ただし参勤交代制は徳川氏の憲法で、廃止は“朝憲紊乱”との批判。(一三三)
H 諸侯旗本の「飛地制度」は、実際には代官に任せきりなのに、他の土地との交換となれば大苦情。(一三三)

(3)1843(天保14)9/14、大名旗本への2か条①江戸・大阪十里四方の地は幕領とする。②私領のうち諸国にある飛び地は城附きの領地へ引き換える(一三四)
I 領主をその領地に固着させるため(②)、彼らが謀叛の際に、幕府が江戸・大阪を守るため(①)。(一三四)水戸烈公と相談。(一三五)
I-2 ②は、領土・領民との疎隔を矯正させる。(一三五)
I-3 そして参勤交代制度を廃止し、諸大名旗本を領地にとどめる。(一三五)
J 1843年9/14の布告に対する諸大名・旗本の異議爆発。(一三六)
J-2 土井利位が紀州家と結託し、翌月、1843(天保14)閏9/7大名旗本への2か条撤廃
→閏9/13水野越前守罷免。(一三六)

(4)オランダ国王の来書に驚愕し、1844(弘化元)6月越前守を再帰させた家慶の政府(一三八)
K 越前守は、すでに1842(天保13)7/26、異国船打ち払い令停止=薪水給与令を復活。
K-2 文政の攘夷令を停止し、堂々一視同仁の義を説いた水野越前守!(一三七)

L 1844年、オランダ国王より世界の情勢(開国を促してくるだろう)と来書。(一三七)
L-2 土井利位は因襲古格のみで、対応できず。(一三七)
L-3 1844(弘化元)6月、水野越前守老中首班再任。「国家非常の場合」である!越前守は、支那日本近海における英米仏露の動静を、よく知っていた。(一三七)

M 1844(弘化元)7/3、オランダ使節、来日。イギリスの支那侵略、日本が惨禍を招かぬようアドバイス。
M-2 越前守、開国主義の外交方針。(一三八)
M-3 しかし再び越前守、排斥へ。8カ月の在任期間。1845(弘化2)2/10越前守、免官・謹慎→1851(嘉永4)、58歳で死去。(一三八~一三九)

N 1858(安政5)日米、1859(安政6)英仏蘭露、いずれも不平等通商条約。白人欧米の横暴なる経済的搾取。(一三九)
N-2 越前守の開国主義が採用されていたら、幕府への非難は、少なかったろう。(一三九)


第一五-2 明治維新の本質は断じて封建革命ではなく、ブルジョア革命(中産階級革命)である(一四〇) 
(1)明治維新=下士階級維新革命=ブルジョア革命
A 維新革命:都市ブルジョアが陰の力として働く。都市ブルジョア階級と、社会階級の本質において全く根源が同じ、各藩の下士階級が、幕府を倒した。(一四〇) 
A-2 明治維新は、ブルジョア革命である。(一四〇)
A-3 260余藩の武士は、身分において2つの階級、上士階級と下士階級に分かれていた。(一四〇)

(2)文久維新=上士階級維新革命=封建革命:横井小楠・島津久光
B 横井小楠の筋書による島津久光の「上士階級維新」=「文久維新」構想。(白柳命名)「文久維新」は、公武合体主義に基調する「封建革命」。(一四一)
B-2 1862(文久2)、越前候松平春嶽を政治総裁、一橋慶喜を将軍家茂後見職とする。(一四一)
C これに対し薩長の下士階級連盟による「下士階級維新革命」=「明治維新」(一四二)
D 1862年、諸大名の妻子を国に帰し、参勤交代の期を緩めた(3年に1度)のは、一時しのぎでない。徂徠、水野越前守、横井小楠の「封建革命」の理念にもとづく。(一四二)

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