お寺さんぽ Ver.03

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仁和寺 (京都)

2007年12月24日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都は右京区の「仁和寺」です。
真言宗御室派の総本山であるので、総本山シリーズ(そんなんない)ですよ。

こちらは世界遺産なんですが、そんなお寺をほっといて以前「そうめん」とかどーでもイイもの紹介してましたね。
はちゃめちゃです。

ひでるさん、京都へ行って最初に訪ねたのは「広隆寺」なんですが、その流れで自転車走らせ、最終的にたどり着いたのがココ「仁和寺」なのでした。
懐かしいなー。
また行きたいなー。
住みたいなー。
…と、そんな訳で再び京都への転勤を密かに願っているひでるさんです。

さて今回は「仁和寺」のお話です。
平安時代のこと。
こちらは「西山御願寺」として、五十八代「光孝天皇」の勅願によって着工されます。
がしかし、完成を見ぬまま天皇は死去してしまい、その意思を継いだ「宇多天皇」によってついに完成したのでした。
当時の年号そのまま、「仁和寺」と名付けられたようです。
(※なお、完成は仁和四年(888)のフィーバー年。きゃー!!)

正式名称は「大内山仁和寺」です。
「宇多天皇」は完成したこちらがたいそう気に入ったらしく、退位後に出家するとお住まいを「仁和寺」としたのでした。
西南に「御室(おむろ)」という僧坊を建て、そちらに三十年もの間生活していた様子。
生活、ってたって真言密教の修行してたんですけどね。いちおう。

それ以後も天皇皇族の庇護を受け、なんと明治維新にいたる長きにわたり、皇子・皇孫が歴代の門跡となっていくのでした。
別名「御室御所」ってのは、そんな理由なんですね。

広大な境内と多くの伽藍を有してブイブイ言わせていたこちら「仁和寺」ですが、やっぱり応仁の乱で焼失。
一時期は双ヶ岡西麓に仮御所を設けていたという時期もあったそうです。
なお、現在の建物は江戸時代、寛永年間に「徳川家光」の協力を得て再興されたものなのでした。

金堂は京都御所の紫宸殿を移転したもの。
これは国宝、そりゃそうでしょう。
本尊は「阿弥陀如来」です。
ほか、仁王門や五重塔なども、江戸時代で重文。
春・夏に公開されている霊宝館には数多くの国宝・重文がずらりと並び、もともとの本尊らしい「阿弥陀三尊像」は平安時代初期頃のもので非常にやさしーいお顔ですよん。

あとね、こちらのパンフレットはいい具合にはっちゃけており、まるでどこぞの雑誌記事みたいでした。
カラーも鮮やかで、なかなかいい感じ。

中門西側には「御室の桜」と呼ばれる里桜がありまして、名所として知られています。
好きな方はその頃にどうぞ。
ちなみに、ひでるさんが行ったのは八月の真夏(笑)


[関連記事]
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  五劫思惟阿弥陀如来 みかえり阿弥陀如来 うなずき阿弥陀

[住所]
 仁和寺 京都市右京区御室大内33

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※さすがに世界遺産なお寺です!
 パズルなんてのがありましたよ。



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