お寺さんぽ Ver.03

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七尾城址 (石川)

2010年08月29日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は石川県七尾市にある日本百名城の三十四番「七尾城址」です。

難攻不落で知られる「七尾城(ななおじょう)」
石川に行ったなら、やっぱりここを見なければ、ということで行ってきました。



※付近MAPです。「長」とか「遊佐」とか「温井」とか…心躍りますね。

室町時代にブイブイ言わせていた、三管領の一つ「畠山氏」
そのうち、能登の守護・畠山氏の歴代が居城とし、約百七十年ほどの歴史があります。
実際のところ、いつ頃から存在するか正確には明らかでないそうですが、初代「畠山満慶(はたけやま・みつのり)」が能登に入ったのは応永十五年(1408)以降のこと。
最終的に廃城となるのが関ヶ原合戦前の天正十七年(1589)なので、だいたいそのくらいです。
確実なところでは、戦国期(1500年付近)にはこの地に存在。
逐次拡張・増強されていたようでした。
天文十三年(1544)の記録では、城山の付近に城下町が一里(約3,927㎞)あまりも連なっていたと記述されています。


※ひでるさんが行った際には地震がため、修復作業してました。
 ちなみに、蜂に襲われたのはこの付近。


石動山の北に位置する「七尾城」
標高なんと三百メートルという山頂に本丸が置かれ、それを中心に尾根には各屋敷から曲輪(くるわ:守備拠点)までが複雑な地形を巧みに利用し、配置されていました。
さらに枝分かれする尾根にも、大小の砦が設置されていたようです。
(※そもそも七尾という地名が”七つの尾根”からの名称らしい)
現在城は復元されていませんが、本丸から三の丸にかけての縄張、石垣、空堀など、大きな災害などにも逢わず、良い保存状態で残っています。
国の指定史跡で、日本百名城にも選ばれました。
難攻不落な城として知られ、最終的には天正五年(1577)に越後「上杉謙信」によって攻略されましたが、前年の出撃では三ヶ月という籠城戦を耐え抜き、一度は彼を撤退させているのでした。
内部分裂による落城なんですね。


※本丸付近です。山奥ですよ。

特に大小様々な石が積み重なる石垣は見事に残っており、タクシーのおっちゃんは、
「日本三大石垣の一つ」
とかなんとか言ってましたけど…どこにもそんな記述はありませんね(笑)
ただ、大きさ均等でない石垣は、逆に当時の面影を見せています。

山頂付近までは車で進むことができますが、山道はもの凄い険しいもの。
”難攻不落”と言われたそうですが、それも納得。
ちょっとした展望台みたいなのが設置されており、上からの景色は見事です。


※頂上からの景色です。

なお、ひでるさんらが行った際には山の名物「スズメバチ」が出現し、しっかりと威嚇されました。
(※ひでるさんは大抵黒い服を着ているのです。←熊と勘違いされるので、最もダメな色)
くれぐれもご注意を。


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※畠山氏…というより、前田家がメインになってましたね。
 まぁ、当然か。