お寺さんぽ Ver.03

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清涼寺 (京都)

2010年08月22日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都の右京区は「清涼寺(せいりょうじ)」です。


ひでるさん好きなお寺でした。
そこそこ広い割に入口にゲートないため、すぐに入れるんですね。
お堂や仏像も多く、京都に住んでいた際は何度かお邪魔していました。
(※本堂拝観などで拝観料アリ)

こちらの注目は、何と言っても本尊の「釈迦如来立像」
日本三如来の一つで国宝。
”三国伝来”という、釈迦仏なのです
この三国というのは、「インド」、「中国」、「日本」ですね。
なんと、コレ三十七歳であった「釈迦」の姿をそのまま刻んだというのです。
なるほど、あーんな人だったんですね(たぶん)

なお、こちらには伝承があります。
お釈迦様の母「摩耶(まや)」夫人に法を説くため、「お釈迦様」は「忉利天(とうりてん)」にのぼりました。
(※なお、その「忉利天」というのは、中心に「帝釈天」が住む六つある天上界のうち二番目のトコです。だいたいそんなん)
こうして、お釈迦様が不在となると、弟子たちはひどく嘆き悲しんだのです。

…子供みたいですね。手がかかるなぁ。 

そこで、「優填王(うでんのう)」は「毘首竭摩(びしゅかつま)」に命じて、釈迦の像を作らせたのでした。
戻った釈迦はこれを喜び、
私が亡きあとはこの像が替わって衆生を救うだろう
そんなことを言ったとか。

さて、そんな伝説のある像は、インドからヒマラヤを越えて中国へと伝えられていました。
ここで登場するのが、当時中国(宋)へと渡っていた、奈良東大寺の僧「然(ちょうねん)」さま。
彼はこの彫像に感激(たぶん)し、現地の仏師にお願いして”そっくりな仏像”を作らせたのでした。
なお、その際にはキチンと”五臓六腑”って、絹製の内臓までも入れられていたようなのです
こうして持ち帰った釈迦像こそが、こちらの本尊「釈迦如来」なのでした。

なお、そのお顔に仏牙(ぶつげ:歯ね)を入れたところ、すぅと一点からが出たというお話もあるのです。
どうすか、なかなか凄いでしょ?




そうした、”生身”の「釈迦如来」のある「清涼寺」

もともと、こちらには「光源氏」のモデルと言われる「源融(みなもとの・とおる)」の別荘「棲霞観(せいかかん)」がありました。
融くんは死ぬ際に「阿弥陀座像」を自分の顔に似せて作らせています。
”光源氏写し顔”
とか言われるのは、そんな理由がため。
自ら自分の像を作らせるあたりが男前ですね(笑)

そんな「阿弥陀三尊座像」を安置されたのが「棲霞寺(せいかじ)」(※現在の阿弥陀堂)です。
なお、こちらも国宝。

天慶八年(945)
「醍醐天皇」の第四皇子「重明親王(しげあきら・しんのう)」の奥様はその「棲霞寺」寺領内に新堂を建立しています。
こちらが現在の本堂(釈迦堂)なんですね。
なお、先の僧「然」の願いであった「清涼寺」は、やはり「棲霞寺」寺領内に弟子が建立しています。
その後、焼失・再建を繰り返していくうち、もともとの「棲霞寺」は衰え、”三国伝来”という「釈迦如来」を擁する「清涼寺」が残ったというのでした。

広く信仰された釈迦像がため、「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれています。
正式名称は「五台山清涼寺(ごだいさん・せいりょうじ)」

なかなか広い寺領には多宝塔、一切経蔵、狂言堂のほか、「豊臣秀頼」の墓から多くの仏像・宝物を収納する「霊宝館」もあります。
どうせ行くならば、やっぱり霊宝館の公開される春・秋がオススメですよ。


[住所]
 五台山清涼寺(嵯峨釈迦堂) 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤の木町46

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