西国三十三所の第33番札所になる谷汲山(たにぐみさん)華厳寺は満願霊場とされています。
つまりは巡礼を終えて最後に参拝する結願・満願のお寺になるのですが、満願前に参拝することになりました。
もし華厳寺以外の32所の全てに参拝することが出来たら、もう一度お参りに行きたいは思っていますが、いつになることやら分かりませんしね。
滋賀県内や京都市内のお寺はともかくとして、近畿の広範囲に霊場がありますから全て廻るのは困難かもしれません。機会に恵まれればということになりますね。
華厳寺の御朱印は3種あって、本堂(大悲願)・満願堂・笈摺堂の御朱印になり、それぞれ現在・過去・未来を意味しているそうです。
この3枚の御朱印は3つで1組になっていて、花山法王(平安中期に在位した第65代天皇)が詠まれた御製三首の御詠歌にちなんで3つの御朱印とされているということです。
お寺の宗派は天台宗で豊然上人という方が開祖とされていて、創立は798年といいますから天台宗の開祖最澄が比叡山に延暦寺を開山したすぐ後ということになるのでしょうか。
このお寺までの道筋は“集落が点在するだけの田園地帯が続く里山を越えて、広くはない道幅の林道を登って行く”のですが、着いた先にはにぎやかな門前町が開けているので少々驚きます。
歴史的のある古いお寺ですから、時代を通じて巡礼者が絶えなかった霊山だったんだろうと思います。
山門の横の駐車場に車を駐めると、門前町を約1㌔ほど歩くことになります。
食べ物屋さんや甘い物を売る店・土産物屋などが並ぶ参道を歩いていくと、お寺に安置してあるような仏像が大量に置いてある大きな店がありました。
“誰が買うんだろう?”と思いながら見物しているとお店の方から“巡礼の方ですか?”と聞かれる。
“はい、そうです。いい物を見せて頂いてありがとうございました”と挨拶してお店を出る。
お店を出たあとで家内より“あんた巡礼の方ちゃうやろ!いい加減なこと言って~。”と注意されてしまいましたけどね。
門前町の参道の先に仁王門が見えてきます。
宝暦年間(1751年~1764年)に再建されたとされていて、立派な門には仁王様と大草鞋が奉納されています。
さて仁王門を越えてしばらく歩くと、いよいよ本堂までの石段登りです。
最近、石段登りが楽しいのですが、これくらいの石段なら楽勝になってきましたよ。
本堂(1879年に再興)が近づいてくると線香の香りが立ち込めてきます。
お参りに来ておられる参拝者も多く、堂内は活気に満ちています。
本堂では地下に「戒壇巡り」があり、真っ暗な中を手探りで進んでいって「お鍵前」にさわると仏さんと縁が結ばれて極楽浄土に行けるとされているのですが、お鍵前の場所が分からずに触れることが出来ませんでした。
満願した者が触れる習わしがあるという「精進落としの鯉」という銅製の鯛もどこにあるか分からずじまいでしたから、満願していない者にはまだ早いということなんでしょうね。
ところで、参道で何件か“菊花石”を売っているお店を見かけましたが、お寺の中にも立派な菊花石が置いてありました。
岐阜県には上質な菊花石の産地があって、産出される区域が特別天然記念物に指定されて採取禁止になっているとか。
谷汲山の境内は想像以上に広く、見所のあるお寺がいくつもありました。
本堂以外に御朱印が頂けるお寺がありましたので、話は続く...。
つまりは巡礼を終えて最後に参拝する結願・満願のお寺になるのですが、満願前に参拝することになりました。
もし華厳寺以外の32所の全てに参拝することが出来たら、もう一度お参りに行きたいは思っていますが、いつになることやら分かりませんしね。
滋賀県内や京都市内のお寺はともかくとして、近畿の広範囲に霊場がありますから全て廻るのは困難かもしれません。機会に恵まれればということになりますね。
華厳寺の御朱印は3種あって、本堂(大悲願)・満願堂・笈摺堂の御朱印になり、それぞれ現在・過去・未来を意味しているそうです。
この3枚の御朱印は3つで1組になっていて、花山法王(平安中期に在位した第65代天皇)が詠まれた御製三首の御詠歌にちなんで3つの御朱印とされているということです。
お寺の宗派は天台宗で豊然上人という方が開祖とされていて、創立は798年といいますから天台宗の開祖最澄が比叡山に延暦寺を開山したすぐ後ということになるのでしょうか。
このお寺までの道筋は“集落が点在するだけの田園地帯が続く里山を越えて、広くはない道幅の林道を登って行く”のですが、着いた先にはにぎやかな門前町が開けているので少々驚きます。
歴史的のある古いお寺ですから、時代を通じて巡礼者が絶えなかった霊山だったんだろうと思います。
山門の横の駐車場に車を駐めると、門前町を約1㌔ほど歩くことになります。
食べ物屋さんや甘い物を売る店・土産物屋などが並ぶ参道を歩いていくと、お寺に安置してあるような仏像が大量に置いてある大きな店がありました。
“誰が買うんだろう?”と思いながら見物しているとお店の方から“巡礼の方ですか?”と聞かれる。
“はい、そうです。いい物を見せて頂いてありがとうございました”と挨拶してお店を出る。
お店を出たあとで家内より“あんた巡礼の方ちゃうやろ!いい加減なこと言って~。”と注意されてしまいましたけどね。
門前町の参道の先に仁王門が見えてきます。
宝暦年間(1751年~1764年)に再建されたとされていて、立派な門には仁王様と大草鞋が奉納されています。
さて仁王門を越えてしばらく歩くと、いよいよ本堂までの石段登りです。
最近、石段登りが楽しいのですが、これくらいの石段なら楽勝になってきましたよ。
本堂(1879年に再興)が近づいてくると線香の香りが立ち込めてきます。
お参りに来ておられる参拝者も多く、堂内は活気に満ちています。
本堂では地下に「戒壇巡り」があり、真っ暗な中を手探りで進んでいって「お鍵前」にさわると仏さんと縁が結ばれて極楽浄土に行けるとされているのですが、お鍵前の場所が分からずに触れることが出来ませんでした。
満願した者が触れる習わしがあるという「精進落としの鯉」という銅製の鯛もどこにあるか分からずじまいでしたから、満願していない者にはまだ早いということなんでしょうね。
ところで、参道で何件か“菊花石”を売っているお店を見かけましたが、お寺の中にも立派な菊花石が置いてありました。
岐阜県には上質な菊花石の産地があって、産出される区域が特別天然記念物に指定されて採取禁止になっているとか。
谷汲山の境内は想像以上に広く、見所のあるお寺がいくつもありました。
本堂以外に御朱印が頂けるお寺がありましたので、話は続く...。