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賤ヶ岳の戦いと名は付いていても実際には賤ヶ岳を舞台に戦いがあった訳ではなく、東の木之本や余呉や西の西浅井の辺りを含めた広域が戦場になっていたようです。
戦いは激戦を極めたようですが、柴田勝家の与力だった前田利家が突如戦線離脱したことで、戦局は秀吉側に傾き、勝家は越前・北ノ庄城に退却。
北ノ庄城で追い詰められた勝家は信長の妹のお市と共に自害しますが、浅井三姉妹と呼ばれた3人の娘の茶々・初・江はお市の方が庇護を懇願したことにより城から脱出します。
その後、戦国時代から江戸時代にかけて3人の娘たちは歴史に名を刻んでいくことになります。
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この日は朝のウォーキングをした時に夜間に降った雨で地面が濡れており、雲がかかっていましたので山は諦めて家で遅めの朝食を食べていました。
ふと外を見ると雲ひとつない快晴となっており、この天気を逃すのはもったいないと遅まきながらサクッと登れる賤ケ岳へやってきた次第です。
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賤ケ岳は標高421mの低山とはいえ、晴れた日に山頂から見る景色は絶景ですし、道は登りやすくリフトを利用することができます。
山本山からの縦走コースや余呉湖を取り巻く山の周回コースなど幾つかのルートがありますが、大音から登るルートは整備された緩い勾配の道を登ることになります。
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麓から山頂手前まではリフトが通っており道と交差しているため、歩いて登っていくとリフトの下を2度横断することになります。
登山道の途中には特に見所や寄り道するような所はありませんので、下山は気晴らしにリフトで下りようかと軟弱な誘惑に誘われる。
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九十九折の道を小走りで走りながら登っていき、上を見ると稜線が見えます。
麓から1.55㌔の山ですが、道が緩やかでとても登りやすい山です。
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稜線に出ると賤ケ岳リフトの山頂駅があり、そこから先は山頂へと続く坂を登って行くことになります。
この山は低山でリフトでも登れる山なんですが、山頂まで続くこの道はとても好きな道です。
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気持ちのいい稜線を登りきると賤ケ岳山頂の広いスペースに到着します。
登山道では人に会うことがほとんどなかったのに、山頂には10名以上の方がおられましたので、リフトで上がって来られた方が大半なのでしょう。
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三等三角点「賤ケ岳」もあり、やや風は強かったものの晴天に恵まれて景色はとても綺麗です。
地面の草は綺麗に刈られていてベンチも多く、小さな子供連れの家族が多かったように思います。
中には子供連れで余呉湖の方へ下山していかれる家族もおられ、今日1日を自然の中で楽しまれるのかと思います。
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「七本槍古戦場賤ケ岳」の石柱が建つ後方には葛籠尾崎が延びていて竹生島がポツンと琵琶湖に浮かぶ。
賤ケ岳七本槍の若武者たちは豊臣の世で大名に出世したものの、徳川の世になって改易された家や幕末まで続いた家など様々なようです。
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山頂広場から南方向へは山本山まで尾根が続く縦走路があり、尾根筋には古墳時代前期から終末期の古保利古墳群が132基あります。
琵琶湖の湖水運に恵まれ、農耕地となる平野にも面していたため、古代より有力者が権勢を誇っていたと思われます。
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平野部の向こうに聳えるのは伊吹山で、平野の真ん中にあるのは赤後寺のある湧出山。
伊吹山の手間の山は小谷山でしょうか。琵琶湖と山に挟まれるかのように平野が広がっています。
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北には余呉湖と湖を取り巻く山々が望めます。
余呉湖は周囲約6.4㌔・水深13mの湖で、水面が穏やかなことから「鏡湖」とも呼ばれており、白鳥に姿を変えた天女の羽衣伝説が残ります。
余呉湖は琵琶湖より50m高い位置にある自然湖ですが、琵琶湖からの揚水トンネルで水を注水しているとのことです。
それにより余呉川沿いの洪水被害の軽減と湖北地方一帯のかんがい用水の補給のために貯水ダムの役割を果たしています。
溜められた水は、余呉湖から田園地帯に供給されて田畑を潤しているといい、自然を利用しながら水利事業を実現した事例のようです。
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よく観光で滋賀に来られた方が“琵琶湖はまるで海のよう”と言われますが、賤ケ岳の山頂から見る琵琶湖はまさに海のようです。
賤ケ岳の山頂から見る冬の景色は琵琶湖の雄大さと変化に富んだ景観を選定した「琵琶湖八景」に【「新雪」賤ケ岳の大観】として選ばれています。
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展望台には小さな神棚のある場所にたくさんの絵馬が願いを込めて掛けられています。
この絵馬には願いを込めるという意味もありますが、絵馬から得られるお金を賤ケ岳の保全に役立てるという意味合いが強いそうです。
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さて、ゆっくりとした時間を山頂で過ごした後は、軟弱にもリフトで下山することにします。
でも考えてみればリフトに乗るなんて一体いつ以来なのか?
もう10年は乗っていないかもしれませんので、少し楽しかったりする。
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春の季節に賤ケ岳に登るとマムシグサが多いのに驚きます。
あれだけあったマムシグサも真っ赤な実を付けているのはこの1本だけでした。
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マムシグサは茎の模様がマムシに似ていることから名前が付いたようですが、実は触って汁が手に付くと炎症を起こし、実は有毒なので食べられません。
そんな毒性も名前の由来になっているのかもしれませんね。
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