超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

「行かせてやろうじゃないか!」

2017-06-28 17:48:35 | 出来事
約2ヶ月ほど前に遡るが、皇族の内親王がご婚約された。私が最初にそのニュースを見たのは夜のジムのランニングマシンに取り付けられたテレビだったが、帰宅すると早速妻がその話題を振ってきた。「お相手は『江ノ島海の王子』だってね。やっぱ去年、甘辛は2次面接行けばよかったのに・・・」どうやら考えていたことは同じだった。「結婚したら皇室から離れるわな。黒田さんの時、支度金いくら出たっけかな?」「1億円は超えてたんじゃない・・・」どう考えても小市民の妄想丸出しの会話である。このサイトでも少し紹介したが、昨年息子甘辛が進学を決めた直後、コンテストに応募して書類審査を通過していたからである。実際は春休み暇そうにしているので、チラシをもらってきて「入学記念に応募してみたら」と言ったのだが、本人は本入部もしていないのに「部活が忙しいから」と興味なさそうだった。別にイケメンではないと思うが、背丈と生まれも育ちも完全地元民というくらいは目につくんじゃないかと思った。

私はせっかく申込み用紙をもらってきたので、とりあえず身長体重、スポーツ歴、学歴等とあらゆる美辞麗句の自己(じゃないけど)PRを書き込み、最近の本人一人写真がないので、卒業式に家族3人で写した記念写真の真ん中に丸を書いて「これです」と矢印を書いておいた。忘れていた頃にやってきた2次面接の案内通知を「オレが渾身の自己PR書いたんだから、これくらいは当然よね」と甘辛に渡したら、さすがに苦笑しながらも「しょうがねえな。。。」と満更でもなさそうだった。しかし残念ながら当日はサッカー部の新歓行事が重なっていたらしいのだ。「別に、スルーしちゃえばいいじゃんか。まだ正式部員にもなってないんだからさ」妻と二人して説得(普通は逆のような気がする)を試みたが、妙に義理堅い彼は辞退するという。とどめの言葉は「だってオレが面接に行ったら、ホントに受かっちゃうもんよ。さすがに王子の活動はできねえぜ」「(うーむ。。。そんなわけねえだろ。どこまでもお気楽なヤツ・・・)

しかし、書類選考を通過したことはしっかりチームメイトやクラスメイトに宣伝していたらしく、今回の婚約報道では多くの友人から「もったいなかった」とか「やったな甘辛」とか冷やかしがあったらしい。その甘辛だが、先々月「2X回目の記念日は割烹で」編で書いたとおり、彼のバイトする小料理屋で食事していたら妙なことを言い出したのである。「オレ、ヨーロッパかオーストラリアに留学したいんだけど」我々両親とも元々高校時代から「考えてみろ」とけしかけていたので、別に多少の驚きと歓迎ムードで話は聞いていた。ただかなり動機が勉学から離れていて、「留学にかこつけて海外でサッカー修行をしたい」らしいのである。昨今、大学には色々な留学制度があり、限定的な分野で就学したまま提携先大学で単位互換する交換プログラムもあれば、休学となるが自由に取得単位を互換するコース、休み期間に短期で語学留学するコースなどがある。

なるべく最短コースで卒業してほしいものだが、あいにく甘辛の学科は国内の特定プログラムをクリアしないと卒業できない仕組みになっており、海外に留学したとたんにいわゆる「留年」が決定してしまうようだった。またこのことを考え付いて、色々調べ始めたのが時既に遅く、ほとんど募集が終了してしまっているのだった。さすがに「海外でサッカーだけ」というつもりはないらしく、「海外で勉学とサッカーを両立させる」という課題を自己に課したらしい。大学や学校で語学その他勉学に勤しみつつ、日本に比べてはるかに多層構造となっているクラブチームやアカデミーで武者修行する作戦をたてたようだが、実際にそういうプログラムがサッカー強豪国にはたくさんあるらしい。「留学の際に海外サッカーも経験する」のではなくて、「サッカーの武者修行のおまけに語学でも勉強する」ようなスタイルに最初は正直かなり懐疑的で、「ま、学校のプログラム他、よくリサーチしてオレ達を納得させるんだな」と言っておいた。

ところが例の国内特定プログラムの申込み期限が迫っており、一両日に結論を出さなければならなくなって緊急家族会議が開催された。彼もそれまで色々と足で調べてきたらしく候補地やプログラムなど具体的な希望も用意していたようだった。私達は事前に話し合って、いくつか条件を設けることにした。
・語学留学した証に一定水準以上の公的資格を取得すること
・休学を認めるのは1年限り、他のカリキュラムを油断なく調整して必ず卒業すること
・卒業2年以内に定職に就くこと
ちなみにもう一つ「帰国したら江ノ島海の王子コンテストに応募すること」という条件も考えていたのだが、さすがに採用はしなかった。それらに同意した上で本人が最も希望していたのは「サッカー発祥の国」である。「サッカー留学」のエージェントとしては有名な大手で、渡航先での練習プログラムや所属チームも本人のスタイルに合わせて多彩であり、併設する語学留学プログラムも「英会話学校レベル」から「国際資格取得」まで色々と組み合わせがあるようだ。

ただ私は自身の社内派遣の経験から何となく知っていたが、費用はかなり多額なものになっていて、まず妻が見積書を見て目を見張った。「正直、こんなにかかるとは思わなかったんで・・・」学校の国内プログラムはほほ1年先の予定は色んな方面に協力を仰いで調整した結果実現するので、申し込んだ後のキャンセルはできない。色々と話し合っているうちに「どういう結論であろうと渡航する強い意思があり、単にサッカーをやりたいだけでなく、語学や経験を活かそうと考えているようなことが伝わってきた。「とりあえずキミには『行かない』という解はないんだろ?」その場でカウンセリングと見積もりを出してくれた担当に連絡を取らせ、数日後私を含めて3者で話ができるようにアポを取った。妻は仕事の関係でどうしても同席できなかったが「もう我々が子供にしてやることって、これくらいかもしれないから」成人間近の甘辛を前にして妻も感慨深げで、最後のボタン押しは私に任せてくれたようだった。

期間は色々と作戦を練った結果、8月から翌年5月、今年度の後半学期と来年度の前半学期分を休学する予定となる。下世話な話だが、これまで息子甘辛は高校大学共に「学費」という面に限ってみれば奇跡的ともいえる親孝行ロードを歩んでいた。これは全く妻も同じことを考えており、浪人して学費の嵩む学校に進学されたら、受験費用、予備校費用、入学費用そして学費を合わせると今回の留学費用くらいすぐに並んでしまうのである。「結局、お金はかかるものだけど、今しかできないチャレンジしたいというなら、させてやりたいよね」私は妻の言葉に「さよなら銀河鉄道999」のワンシーンを思い浮かべていた。鉄郎が再び999に乗車して地球を脱出するときに命を懸けて協力した老パルチザン(故・森山周一郎さん声)の台詞である。
「若いって、いいもんだ。どんな小さな希望にも自分の全てを賭ける事が出来るからな。みんな、わしらのセガレが行くと言うんだ、行かせてやろうじゃないか!」

          

          

数日後、甘辛と待合せて約束通り、事務所で甘辛のコンサルティングを行ってくれた担当と会って、具体的な話を詳しく聞いた。そしてさらに実際、現地のエージェントと話したほうが実感が沸くでしょう」と回線をつなげてくれたのである。主に甘辛との会話ではサッカー歴、ポジション、身長、プレースタイルなどを始め、この留学で何を得たいか?将来のビジョンはどのようなものか?中々切れ味鋭く質問してきたが、感心にも「語学勉強と両立」「将来はこうしたい」と明確に答えていた。(私がすぐ横にいたので空気を読んだのかもしれないが)そして最後に私が質問した。「本人も分かっていると思いますが、明らかにプロを志向するとかサッカーを生業とするような水準に至ってはいないが、『両立』とかキレイなことを言って武者修行に行くような人って多くいるんですか?」「むしろそういう人に来てもらいたいです。先も見てないのにプロになりたいと言われても困ります。今しかできない経験をしてサッカーに何か見出せればそれでもいいし、甘辛君の考える将来に必ず得るものはあると思います」

かなりサービストークも入っていたと思うが、ここでも999の名シーンを思い出し、横で完全にその気になっている甘辛を見ながら「(こりゃ、もう行かすしかないわな)」と感じたものだった。時期をほぼ同じくして、私の第一期会社員時代もそろそろ終焉というモードに入っていた。何度か書いているが人生100歳まで生きるとしてほぼ均等に起承転結にあてはめるといよいよ「転」の時期がやってきたのである。この前の「承」の期間は社会人になって仕事はそこそこ、家庭を作り家を建てバディや子供と過ごすという面振り返ると「これ以上は無理だったよな」とかなりの満足感がある。しかしさらに振り返り999の鉄郎が過ごした「起」の時期は「どんな小さな希望にも自分の全てを賭けて」起こす、と思い立つことすらなく、ただ走り切ってきた感がある。第1回家族会議の時は「父親がバタバタ落ち着かない時に全く世話の焼けるヤツ・・・」と思ったが、自分の同時代を振り返ると、海外で学びたいという息子と言い出した勇気と決断をとても羨ましく誇らしくも思った

    

そんな話があったのが1ヶ月前ほどである。「なーんか、もう一波乱ありそうな気がするんだけどねー」妙に勘のいい妻は首を傾げてもいたが、エージェントとのコンタクトは今風にLINEで行っており「オレもグループに入ったほうが話が早いんじゃないか?」と言ってみたが、「一人で何もできないと思われるのがいやだ」と言って、費用以外の基本は全部自分で手配しようとしているようだ。海外渡航の基本手続きや支援制度の利用、学校関係の書類など中々煩雑であり、最初に起きた高揚感ほどではないようだが、練習がオフでも自主練を欠かさずやったりオリエンテーションに行ったりと着々と準備は進めているようだ。もう少しで彼も成人となるから、最初の大いなる試練と挑戦として「どのように大きくなって帰ってくるか?」妻と楽しみに待っていようと思う。
「ワシらのせがれが行くと言うんだ。行かせてやろうじゃないか」という999そのまんまの話である。希望に満ちた若者と世に言う定年退転職を迎える中年のコントラストが光る。
そして前にも書いたメーテルの言葉で本サイト最終回につづく。

「若者はね、負ける事は、考えないものよ。一度や二度しくじっても、最後には勝つと信じてる。それが本当の若者よ。」