超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

神々の地を歩く

2017-06-01 21:09:38 | 旅行お出かけ
「どこかに」旅行計画編で書いたとおり、やはり我が家と御縁浅からぬ「火の国」である。週末休みに休暇を足して久々のリフレッシュ旅行で行き先や往復便まで航空会社が指定したのだが、出発便は朝一、到着便は夕刻と目一杯遊びに回れる日程だった。学生時代の企業訪問ツアー、家族やデタラメ4人組などと訪れたこと過去に5回、仕事の出張で訪れる福岡を除けば九州でダントツ御縁のある国である。(と言うか、これ以外の国に行ったことがない)最初は仕事や旅行で訪れたことのない地が当たってほしかったのだが、1年前の大地震で大きな被害にあったかの地を「応援するツアー」とすることにしたのだった。行き先は大体計画編で綴ったとおりだが、空港でレンタカーを借りっぱなしにし、総工程500km以上の壮大な(多少無謀な)ドライブとなっていた。まずはじめはいきなり県を通り越してしまうのだが、古事記や日本書紀に登場する日本神話で有名な高千穂である。

日本の創世記の様子を物語った神話には以前から興味があり、図書館などで色々と(マンガなども含めて)書物を読み漁っていたことがあった。有史以前の物語であり、記録や実物が残っているわけでもなく、結構「言ったモン勝ち」のようなところがあって、いくつか論争もあるようだが、「高千穂」というのは比較的世に認められている「神々の地」のようである。国の創生を著すような神話はギリシア神話などもそうだと思うが、えてしてかなり「下劣」とも言える。例えばよく知られている「日本を創った」とされるイザナギ・イザナミの神などがいきなりそうだ。何せ「国つくり=子つくり」であり、互いに自身の身体の特徴を「余計なモノがある」「足りないモノがある」と表現し、「挿入することによって国をつくろう」というのだから、劇画にしたら18禁もいいところである。しかもお互いへの言葉のかけ方の順番により、最初の子供は不完全だったなどという、男女差別や人権侵害と思えるようなくだりもある。

その後、両者は次々に日本の島や山、川を生み出すが、火の神「カグツチ」を産んだことで産道が焼けて死んでしまうイザナミや、これを悲しみ黄泉の国まで迎えに行ったイザナギが見た「イザナミの腐り果てた姿」、これを見て逃げ出すイザナギ、さらにそれを追いかけさせようとするイザナミや呪いの言葉など、かなりグロいし美しくない。「毎日、1000人を殺す」 と呪うイザナミにイザナギは 「では、毎日1500人の産屋を建てよう」 と答え、これで世界に「生と死」が生まれたという。さて黄泉の国から帰還したイザナギは穢れを落とす禊の儀式から神々が生まれ、最後に左目からアマテラス、右目からツキヨミ、鼻からスサノオが生まれ、この3柱の神を三貴神と呼び、世界と分割管理する特別な神とされた。ようやくこの高千穂の主役「天照大神」が登場し「天岩戸神話」へ発展するのである。

アマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の世界を、スサノオに海を、それぞれ統治するよう命じられたが、スサノオは母イザナミに会いたいと駄々をこね追放されそうになるが、一旦潔白が証明される。ところがこれでずに乗ったスサノオは高天原で悪さばかりする。アマテラスはこれに我慢できなくなり、ついに「天岩戸」に閉じ籠もってしまうい、高天原も地上も照らす光がなくなって真っ暗になってしまう。色々の書物にはスサノオの「暴虐の限り」「大暴れ」などと表現しているが、「田んぼの畦道を壊し」たり、「神殿に糞を撒き散らす」「生きた馬の皮を剥いで機織り小屋に投げ込む」など、どう考えても子供のイタズラにしか思えず、アマテラスの引きこもる理由としてはいまいちインパクトが足りないように思える。太陽が消え夜だけになってしまい困った神々は天安河原に集い、作戦会議を行った。そこで知恵のあるオモヒカネの案により、天岩戸の前で大宴会を開いてアマテラスをおびき出すことになった。

「花の慶次」には「いつの世でも人の心を溶かすのは楽しそうな笑い声・・・」とあるが、神様の宴会はどうにも品がない。アマノウズメはおっ○い丸出しパ○ツずり落としで踊り狂い、これを見た神々は大喜びでどんちゃん騒ぎ・・・この明るさに「自分がいないので真っ暗闇のはずなのに、なぜこのように楽しそうなのか?」少しだけ天岩戸を開いてアマテラスが尋ねるとアメノウズメは 「あなたよりもっとスゴイ神様がいらっしゃるので、皆で歓喜の声を上げて踊っているのです」と答え、アメノコヤネとフトダマが作戦通り、イシコリドメ(伊斯許理度売命)に作らせた八咫鏡(やたのかがみ)という鏡を差し出してアマテラスに見せたところ、確かに鏡に神らしい姿が映っている。ますます怪しく思ったアマテラスはその神のことが気になり、もう少し良く見てみようと、天岩戸をもう少し開いて身体を乗り出したそのとき!天岩戸の陰に隠れていた力持ちのアメノタヂカラオが、アマテラスの腕をぐいっと掴んで引っ張り出した。間髪入れずにフトダマは、注連縄(しめなわ)を天岩戸の入口に張って再び戻れなくしたのである。子供の頃読んだ「川面に映った肉を銜えた自分の顔を見て、「それもよこせ、ワン!」と吠えたら肉を川に落としてしまった犬の話のようだ。作戦は大成功だったが、今時スーパー戦隊でもそんな稚拙な策を弄しない・・・たまにはいい話もあるのだが、古事記に登場する逸話というのは男女差別、人権侵害、暴虐行為、乱痴気騒ぎと「放送禁止」事項何でもありのようだが、男女感、生と死、社会不安など、著作された時代の背景、儀式などを物語る深いところもある。

さて長いあらすじになってしまったが、訪れた高千穂には有名な「天岩戸」と「天安河原」を祀られている神社がある。今回はこの地が第一の目的地だった。空港を出て約70km、一路県境を越えるとそれらしいベタなモニュメントが現れた。高千穂峡に向かって進んで行くと、小ぶりの蒸気機関車と赤い列車が展示されている「トンネルの駅」という施設が見えてきた。「鉄道路線の延長工事が予定されていたが、途中で出水があって掘削を断念したトンネル」だそうだ。一度も列車は通ることはなかったが、トンネル内の温度や湿度の条件が焼酎に適していることから、焼酎樽の貯蔵庫として利用されている。総延長は1115メートルもあり、1年を通じて気温17度、湿度70%で約1300本の樽を貯蔵している。見学は自由でトンネル内に入ったとたんに樽の隙間から蒸発したと思われる焼酎の独特な香りが充満していた。中々他ではできない不思議な体験だった。
次に訪れたのが高千穂神社である。メインの御神木は樹齢800年の秩父杉で、高千穂郷88社の総社である。荘厳で広い境内には重要文化財の本殿と鎌倉時代に源頼朝が奉納したという鉄造狛犬があり、本殿横の他でも割とよく見る「根のつながった夫婦杉」を言い伝え通り「手を繋いで3回、回って」家内安全と子孫繁栄を祈った。

            

        

そして神社から少し歩くと国の名勝・天然記念物になっている「高千穂峡」がある。太古の昔、阿蘇山の火山活動によって噴出した火砕流が冷え固まり侵食された断崖がそそり立つ峡谷で、高いところで100m、 平均80mの断崖が東西に約7キロに渡って続いている。写真家が愛してやまないスポットであるそうで、峡谷内にはパンフレットなどでよく見る名瀑「真名井の滝」があり、日本の滝百選に指定されているそうだ。20分ほどの遊歩道には神話の由縁のある「おのころ島」や「月形」「鬼八の力石」などが見られる美しい渓谷だ。もう一つ高千穂峡の遊歩道の撮影ポイントとなっている「高千穂三橋」は趣の違うアーチ橋が一望でき、 一つの峡谷の一か所に三本ものアーチ橋を見ることができるのは全国でもここだけだと言われているそうだ。「オノコロ池」には妙な姿の魚がいると思ったが、なんと「チョウザメ」だそうだ。有名な貸しボートだが、30分2000円と高額で時間も不足気味だったので残念ながら眺めるにとどめた。

            

  

最後がその日のメインイベント「天岩戸神社」である。西本宮と東本宮があり、それぞれ天照皇大神が御隠れになられた天岩戸(洞窟)を御神体として御祀りしている神社と、天照皇大神が天岩戸からお出ましになられた後、最初にお住まいになられた場所を御祀りしている神社である。神話にある天岩戸そのものが神殿であるために、通常の建物としての本殿がない。御神木は招霊(おがたま)の木といい、さすが天皇家のルーツということもあり、秩父宮殿下、秩父宮妃殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下、朝香宮殿下、常陸宮(義宮)殿下を始め皇族、侍従の代参等、度々の御参拝記録があった。御神体が天岩戸の洞窟そのもので、西本宮から谷を挟んで反対の壁の中腹にあり、西本宮拝殿裏側の遥拝所は施錠されており、神職の案内により御祓いをした後に拝むことができる。ここは神域のために撮影は禁止で、天岩戸は度重なる浸食により扉の部分は落ちてしまっているそうだ。

また天岩戸に引き籠ってしまった天照大神を、外界へ引き出すためにやおろずの神が集まって作戦を練ったという、「天安河原」が神社から500メートルほど川上にある。間口、奥行ともに数十メートルある大きな洞窟で「天安河原宮」が祀られている。歴史的な建造物ではなく、「神話の地」というのは初めてだったが、正直あまりに古代過ぎて「言ったもの勝ち」っぽいところはあるが、確かに独特な雰囲気がありパワースポットであると思う。神話では舞台を出雲の国や大和の国、熊野などと移していく。このあたりになると神社や土地などに多くの人が訪れる「有形文化物」のようになるが、日本のルーツのルーツに触れられたことはありがたいことだった。ちょっと駆け足になったのだが、その日は150kmほどの走行距離で宿泊地である阿蘇内牧温泉に向かったのだった。