皆さま 明けましておめでとうございます。いつも与太話に貴重な時間を割いていただいてありがとうございます。今年も少しずつEXCEEDしていきますので「超兵器」をよろしくお願いいたします。
息子甘辛のプチ祝いに行った箱根で珍しい「箱根駅伝の優勝トロフィー&メダル」を発見してから、今回の競争には何か御縁があるような気がしていた。友達同士や家族で正月3が日にスキーや旅行に出かけなくなり、実家に集まってまったり過ごすようになってから久しい。自宅も実家も「箱根駅伝コース」の近くで、寝ていても「ランナーの走音」が聞こえるくらいなのに、実際に見に行ったことはほとんどないが、ランナーたちの疾風のような走りを間近で見ると、全く縁もゆかりもない選手でも思わず熱く応援したくなるものだ。駅伝3区の戸塚〜平塚間のコースは「浜須賀」で湘南海岸のR134号に出て、平塚中継所までの間、恐らく茅ヶ崎の一中通りT字路にある歩道橋からの眺めが最も素晴らしいと思う。2日も3日もほぼ快晴で朝早く行けば真正面にどどーんと富士山がそびえている。往路、復路ともに選手が通過する時は沿道には溢れかえるくらいの声援と結構邪魔な「大学幟」がずらりと並ぶが、早朝に幟が立ち並ぶ光景を富士山を正面に撮影しに行ったら、何と一本も出ていない?!どうも各大学の応援拠点となっている場所以外は選手が通過する直前にばばばーっと幟を立て、すべての選手が走り終わると速やかに撤去してしまうらしいのである。往路に立てた幟はさすがにそのままにしておくかと思ったら、翌朝綺麗になくなっていた。(考えてみれば走る方向が逆なんで当たり前か?!)
私は2日、3日とも早朝に出かけ富士山を正面に駅伝ランナーが走るであろうコースを撮影した。驚くことにこの暖かい陽気のせいか、富士山の雪が大山ハイキングに行った1か月前よりもかなり減っているのである。(こんなの初めて気付いた)これまで箱根駅伝の出場校には残念ながら全くといってよいほど縁がなく、母校を応援するような昂揚感を味わったことは一度もなかった。強いてあげるとすれば30数年前に一応入門を許されたが御縁のなかったW大、新キャンパスに友人と遊びに行って面白半分でドイツ語の授業に数回紛れ込んだことのあるC大、グンマ勤務時代外出して高速道路を使用すると必ず目に入る巨大な「群馬から箱根へ」という看板が印象的だったJ大くらいしかないが、この程度の薄い縁では入れ込んで(例えば大学名入りアイテムを購入してまで)応援するほど親しみもない。息子が志望または御縁のある学校も全然名前がないところだったが、何と昨年から自分に非常に所縁のある学校から1名だけその名前とシンボルマークを胸に着けて走っていたのである。残念ながら陸上競技部は出場できるほど強くないが、個人成績として選抜されて出るチームの1ランナーになっており、なんと最終学年の今回は我が家の真横を疾走するのである。ぜひ沿道で応援したかったが、息子甘辛と毎年恒例の「お正月だよ、ウルトラマン全員集合」改め「ウルトラヒーローEXPO」に出かけるため、私は富士山に超兵器203号を向けながら彼が走るであろうコースに向けて健闘を祈った。
3日は荷物を引き払って実家から自宅へ移動するのだが、実家に「赤いライオン号」を駐車するスペースがないため、自宅を往復して私はポインター号で茅ヶ崎までやってきている。ヒーローEXPOのライブステージの指定時間からすると昼過ぎには出発したいところだが、ここに大きな難問があるのだ。箱根駅伝競争による幹線道路の規制である。実家から我が家へはその位置的にどうしても駅伝コースを跨がなければならないが、沿道に駆け付けたものすごい応援住民と交通規制のためにルートと通過時間に最大限の注意が必要なのだ。自分で応援する時間がないので、実家のテレビで皆と一緒に我が家周辺を走る箱根ランナーを眺め、彼の襷リレーをこの目で確かめることにしていた。朝8時に往路優勝の青学がスタートし、次々にランナーが走りだす。時々箱根登山鉄道を横目に急な坂を駆け下りる風景を見ながら「あー、ここ、この前行ったよねえ」などと指差していた。誰一人として知っている選手はいないのだが「何かゆかりあるランナーいねえかなー?」と箱根駅伝についての新聞記事を探していると、妻が「データ放送に詳しく載ってるよ」とリモコンボタンを押した。なるほど今までほとんど使用したことは無かったが、大学や個人選手が色々な角度から紹介されている。世の中には便利なものがあるものだ。
甘辛は興味なさそうにゲームをしているが、母と妻は色々とデータ放送で調べ始めた。「神奈川の大学って言ってもあんまり意味ないから、県出身とか県登録で調べてみようか?」各選手の母校や出身地などもデータ放送で調べられるので面白い。「へーえ、この人富山県出身だよ。富山で調べてみようか?」よほど箱根駅伝に興味がある人でないと知らない専門誌掲載のような事項が簡単に調べられる。ネットでも分かるがあいにく実家はインターネット環境がないだけに、このデータ放送というのは新しい道が開けそうだった。しかし残念ながら出身地や高校名なども細かく調べても「つながり」を見出すことはできなかった。そうこうしているうちに7区先頭の選手が平塚中継所で襷をリレーした。上空のヘリからいきなり見慣れた湘南海岸が映し出され天気もよくキラキラ光る海原と江ノ島が印象的だった。ここから先はどの場所を放送されようが手に取るように分かるゾーンである。私はふとした思いつきでこたつに入ったまま超兵器203号をテレビに向けた。復路後半はもちろん独走する青学と追う東洋、駒沢を中心にシード権争いの10位前後のチームまでが注目を浴びるはずだが、残念ながら全出場選手で唯一個人的に応援したくなるランナーは、どこにも関係ない立ち位置(走り位置)なのでほとんど中継車の的にならないことが想定され、唯一あるとすれば襷リレーの瞬間と思い付いたのである。
やがて中継車はド正面の富士山をバックに疾走するW大の選手をとらえた。やはり早朝行った地点は駅伝コースの中でもかなりの名所なようだ。復路は先頭がスタートしてから10分後は一斉スタートになってしまうから、その後の個人のレース展開で走っている順位と実際の順位が異なってしまうからややこしい。中継車が我が家のほんの近く「華屋与兵衛」を映し出したとき・・・「10位の中央学院?シード権争いか。もうちょっとだけ少し先を走ってるのに・・・」トップから画面が切り替わり後方の選手を映し出すたびに203号をテレビに向けたのだが、やはり私が見ている前で彼の雄姿が現れることはなかった。甘辛の通った幼稚園を少し過ぎたあたりで、「おおーっ、父ちゃん、大学の名前出てんぞ!」甘辛は思い出したように言い出したが・・・「別に幟を撮りたいんじゃねーんだよ。本人(顔は知らないけど)を撮っておきたいんだよ。こんなこともう、無いかもしれないからな」とため息をつきながらも「(個人的に選抜されて出場していても、ちゃんと学校として応援するんだな)」と内心は感心していた。戸塚中継所の襷リレーまで見届けるつもりだったが、出かける時間になってしまったので甘辛に「画面に出たら撮ってくれ」と超兵器203号を託し、選手たちが駆け抜けたコースを横断してポインター号を我が家まで走らせ、再び赤いライオン号で迎えに行ったのである。
ついさっきまでものすごい群衆が旗を振って大声援を贈っていた沿道が「兵どもが夢のあと」のようにゴミ一つ落ちていないのには感心した。「沿道で応援していただく皆様に、箱根駅伝は育てられてきました。」という学生連盟のメッセージに応えての心がけなのかもしれない。駅で待ち合わせた甘辛から203号を受け取ったが「戸塚中継所の前で一瞬映った」そうだ。東海道線新橋駅で乗り換えで水道橋にある後楽園プリズムホールに向かう。新橋〜東京間で山手線の車窓を見ていた甘辛の「父ちゃんよ、アレ、駅伝じゃね?」という声にすかさず望遠連射モードの203号を向けた。時間的にはまだ走っている姿が見えるかもしれないのでセットしておいたのだが、何と山手線の窓から人ごみだけではなく奇跡的にも走っているランナーの姿を画像に収められたのだ。(上半身だけだけど)見れば某SNSサイトではたくさんの知人が箱根駅伝爆走シーンをアップしていた。中には列車で小田原あたりから列車で区間追っかけをしている人までいたようだ。母校を沿道で応援するというシーンはほとんど期待できない我々にとって、ピンポイントでも今回は常連校OBには分からない小さな感動があった。来年(のことを言うには早すぎるが)が今年のようなスタイルになるかは分からないが、沿道声援が「毎年恒例行事」となる日も近いかもしれない。
息子甘辛のプチ祝いに行った箱根で珍しい「箱根駅伝の優勝トロフィー&メダル」を発見してから、今回の競争には何か御縁があるような気がしていた。友達同士や家族で正月3が日にスキーや旅行に出かけなくなり、実家に集まってまったり過ごすようになってから久しい。自宅も実家も「箱根駅伝コース」の近くで、寝ていても「ランナーの走音」が聞こえるくらいなのに、実際に見に行ったことはほとんどないが、ランナーたちの疾風のような走りを間近で見ると、全く縁もゆかりもない選手でも思わず熱く応援したくなるものだ。駅伝3区の戸塚〜平塚間のコースは「浜須賀」で湘南海岸のR134号に出て、平塚中継所までの間、恐らく茅ヶ崎の一中通りT字路にある歩道橋からの眺めが最も素晴らしいと思う。2日も3日もほぼ快晴で朝早く行けば真正面にどどーんと富士山がそびえている。往路、復路ともに選手が通過する時は沿道には溢れかえるくらいの声援と結構邪魔な「大学幟」がずらりと並ぶが、早朝に幟が立ち並ぶ光景を富士山を正面に撮影しに行ったら、何と一本も出ていない?!どうも各大学の応援拠点となっている場所以外は選手が通過する直前にばばばーっと幟を立て、すべての選手が走り終わると速やかに撤去してしまうらしいのである。往路に立てた幟はさすがにそのままにしておくかと思ったら、翌朝綺麗になくなっていた。(考えてみれば走る方向が逆なんで当たり前か?!)
私は2日、3日とも早朝に出かけ富士山を正面に駅伝ランナーが走るであろうコースを撮影した。驚くことにこの暖かい陽気のせいか、富士山の雪が大山ハイキングに行った1か月前よりもかなり減っているのである。(こんなの初めて気付いた)これまで箱根駅伝の出場校には残念ながら全くといってよいほど縁がなく、母校を応援するような昂揚感を味わったことは一度もなかった。強いてあげるとすれば30数年前に一応入門を許されたが御縁のなかったW大、新キャンパスに友人と遊びに行って面白半分でドイツ語の授業に数回紛れ込んだことのあるC大、グンマ勤務時代外出して高速道路を使用すると必ず目に入る巨大な「群馬から箱根へ」という看板が印象的だったJ大くらいしかないが、この程度の薄い縁では入れ込んで(例えば大学名入りアイテムを購入してまで)応援するほど親しみもない。息子が志望または御縁のある学校も全然名前がないところだったが、何と昨年から自分に非常に所縁のある学校から1名だけその名前とシンボルマークを胸に着けて走っていたのである。残念ながら陸上競技部は出場できるほど強くないが、個人成績として選抜されて出るチームの1ランナーになっており、なんと最終学年の今回は我が家の真横を疾走するのである。ぜひ沿道で応援したかったが、息子甘辛と毎年恒例の「お正月だよ、ウルトラマン全員集合」改め「ウルトラヒーローEXPO」に出かけるため、私は富士山に超兵器203号を向けながら彼が走るであろうコースに向けて健闘を祈った。
3日は荷物を引き払って実家から自宅へ移動するのだが、実家に「赤いライオン号」を駐車するスペースがないため、自宅を往復して私はポインター号で茅ヶ崎までやってきている。ヒーローEXPOのライブステージの指定時間からすると昼過ぎには出発したいところだが、ここに大きな難問があるのだ。箱根駅伝競争による幹線道路の規制である。実家から我が家へはその位置的にどうしても駅伝コースを跨がなければならないが、沿道に駆け付けたものすごい応援住民と交通規制のためにルートと通過時間に最大限の注意が必要なのだ。自分で応援する時間がないので、実家のテレビで皆と一緒に我が家周辺を走る箱根ランナーを眺め、彼の襷リレーをこの目で確かめることにしていた。朝8時に往路優勝の青学がスタートし、次々にランナーが走りだす。時々箱根登山鉄道を横目に急な坂を駆け下りる風景を見ながら「あー、ここ、この前行ったよねえ」などと指差していた。誰一人として知っている選手はいないのだが「何かゆかりあるランナーいねえかなー?」と箱根駅伝についての新聞記事を探していると、妻が「データ放送に詳しく載ってるよ」とリモコンボタンを押した。なるほど今までほとんど使用したことは無かったが、大学や個人選手が色々な角度から紹介されている。世の中には便利なものがあるものだ。
甘辛は興味なさそうにゲームをしているが、母と妻は色々とデータ放送で調べ始めた。「神奈川の大学って言ってもあんまり意味ないから、県出身とか県登録で調べてみようか?」各選手の母校や出身地などもデータ放送で調べられるので面白い。「へーえ、この人富山県出身だよ。富山で調べてみようか?」よほど箱根駅伝に興味がある人でないと知らない専門誌掲載のような事項が簡単に調べられる。ネットでも分かるがあいにく実家はインターネット環境がないだけに、このデータ放送というのは新しい道が開けそうだった。しかし残念ながら出身地や高校名なども細かく調べても「つながり」を見出すことはできなかった。そうこうしているうちに7区先頭の選手が平塚中継所で襷をリレーした。上空のヘリからいきなり見慣れた湘南海岸が映し出され天気もよくキラキラ光る海原と江ノ島が印象的だった。ここから先はどの場所を放送されようが手に取るように分かるゾーンである。私はふとした思いつきでこたつに入ったまま超兵器203号をテレビに向けた。復路後半はもちろん独走する青学と追う東洋、駒沢を中心にシード権争いの10位前後のチームまでが注目を浴びるはずだが、残念ながら全出場選手で唯一個人的に応援したくなるランナーは、どこにも関係ない立ち位置(走り位置)なのでほとんど中継車の的にならないことが想定され、唯一あるとすれば襷リレーの瞬間と思い付いたのである。
やがて中継車はド正面の富士山をバックに疾走するW大の選手をとらえた。やはり早朝行った地点は駅伝コースの中でもかなりの名所なようだ。復路は先頭がスタートしてから10分後は一斉スタートになってしまうから、その後の個人のレース展開で走っている順位と実際の順位が異なってしまうからややこしい。中継車が我が家のほんの近く「華屋与兵衛」を映し出したとき・・・「10位の中央学院?シード権争いか。もうちょっとだけ少し先を走ってるのに・・・」トップから画面が切り替わり後方の選手を映し出すたびに203号をテレビに向けたのだが、やはり私が見ている前で彼の雄姿が現れることはなかった。甘辛の通った幼稚園を少し過ぎたあたりで、「おおーっ、父ちゃん、大学の名前出てんぞ!」甘辛は思い出したように言い出したが・・・「別に幟を撮りたいんじゃねーんだよ。本人(顔は知らないけど)を撮っておきたいんだよ。こんなこともう、無いかもしれないからな」とため息をつきながらも「(個人的に選抜されて出場していても、ちゃんと学校として応援するんだな)」と内心は感心していた。戸塚中継所の襷リレーまで見届けるつもりだったが、出かける時間になってしまったので甘辛に「画面に出たら撮ってくれ」と超兵器203号を託し、選手たちが駆け抜けたコースを横断してポインター号を我が家まで走らせ、再び赤いライオン号で迎えに行ったのである。
ついさっきまでものすごい群衆が旗を振って大声援を贈っていた沿道が「兵どもが夢のあと」のようにゴミ一つ落ちていないのには感心した。「沿道で応援していただく皆様に、箱根駅伝は育てられてきました。」という学生連盟のメッセージに応えての心がけなのかもしれない。駅で待ち合わせた甘辛から203号を受け取ったが「戸塚中継所の前で一瞬映った」そうだ。東海道線新橋駅で乗り換えで水道橋にある後楽園プリズムホールに向かう。新橋〜東京間で山手線の車窓を見ていた甘辛の「父ちゃんよ、アレ、駅伝じゃね?」という声にすかさず望遠連射モードの203号を向けた。時間的にはまだ走っている姿が見えるかもしれないのでセットしておいたのだが、何と山手線の窓から人ごみだけではなく奇跡的にも走っているランナーの姿を画像に収められたのだ。(上半身だけだけど)見れば某SNSサイトではたくさんの知人が箱根駅伝爆走シーンをアップしていた。中には列車で小田原あたりから列車で区間追っかけをしている人までいたようだ。母校を沿道で応援するというシーンはほとんど期待できない我々にとって、ピンポイントでも今回は常連校OBには分からない小さな感動があった。来年(のことを言うには早すぎるが)が今年のようなスタイルになるかは分からないが、沿道声援が「毎年恒例行事」となる日も近いかもしれない。