病院広報(はとはあと)評価支援情報

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目覚めたい、愛の理念による組織的人材育成

2019-06-16 15:20:05 | はとはあと最新情報
目覚めたい、愛の理念による組織的人材育成

私たちの二つの目は何を捉え、どんなことに役立っているのか、考えてみると底抜けに面白い。目の神経が対象を捉えることで、自分の意思に関わらず、さまざまな印象が自発的に湧き上がり、断片的ではあるが、身体を使って独自の行動や仕草を誘発する。つまり目が捉えた刺激を自分なりの世界に変えながら、それぞれの生を持続させている。それだけに「見ること」は考えているよりも凄いことであり、また面白いというのが当グログの一貫性である。今回は、病院に入院したという経験から「見えた」心理的光景であり、社会という身体知性、その堕落の一場面である。

さまざまな受診指導・連絡のため病室に来て質問を繰り返えしている看護師に対し、ベットに横臥したまま答えていたときのこと。合図もなく突然、反対側のカーテンから首だけだして話し始めた別のナースが現れた。それまで続けていた会話を遮り、いままで質問しながらメモを取っているナースに向けて、全く無関係の話を持ちかけたのだ。状況から緊急の要件と直感、それまでの会話は譲るべきと思い、当方は口を閉ざした。しかし、カーテンの顔からは、ベットに寝ている当方へのサインは一切ないまま、二人の会話は数分続いた後、バシャ!とカーテンからの覗きの顔は消えた。

その後、もともとの看護師の口からも詫びらしい言葉もなく、その会話の中身に緊急性も感じられないが、それを詫びてほしいなど、さらさら思っていない。「ここは病院なんだ。特別なことも起こりうる。協力も惜しまない」と考えている。でも、もともとカーテンからの顔が、申し訳なさを伝える言葉または表情とか全身からの態度がなければ、医療サービスどころか、通常のエチケットも成り立たないわけである。なんにもなし。ベットに寝ている人間を意識している気配すらなにもないあり様である。医療を受ける人間を「ヒト」という認識なし。その常識・ルールを持ちわせていない。

ここでただ愚痴っているだけではない。以前から「医療崩壊」という言葉が、この世界に冷風として吹いていた時代があった。クレーマーさん達が病院に押しかけた時代である。しかし今は、その反動であるのかどうか知らないが、実感にはもっと冷ややかなモノを感じる。前の例でいえば、すでに喧嘩にもならない。周りの人の存在は、ただの環境であり、仕事はキーを叩くのと同様の対応である。「温かいサービス」というキーを叩くだけ。挨拶や労いは無用の長物、なんの得にも役にも立たないという認識が、医療の場の全体にと言わないまでも広まってきているように感じる。

「医療は営利ではない」がそれは理想である。利益がなければ回らない、がそのような議論は聞きあきた。現実に目の前、痛みで困っている人に対して、その場にいる人間(人の間にいる人)が何をすべきか、という視点と教養は必須である。たったそれだけの経験であったが、目の前に見えた現象、自らの体験は、すでにこの世のものではなかった。このことをどうするか、これからの成果、効率を前にした社会の仕組みが必要だが、その前に「非効率であっても愛の理念による組織的人材育成」をどうするか、人材育成自体が機械的効率を求めるだけでは無理。たとえ無駄でも心の施策を。mitameya190616

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