病院広報(はとはあと)評価支援情報

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「全身で見る」ことで生きつながる人間村

2019-01-20 16:54:40 | はとはあと最新情報
「全身で見る」ことで生きつながる人間村

いままでこのブログで視てきたように、目で見ることは、人が生きていくことの基本原理である。また、生きるべき環境に適応するための中心機能でもある。ただ目で見ての明るさや遠近、色彩、形状など、さまざまな視覚要素の把握・確認だけでなく、全身の視覚神経により人々の身体・心身機能とつながっている。あるいは他者との連携・協働の思考過程をコントロールしたり、意思決定や判断能力などに欠かせない役を担っている。より精密で戦略的な研究が進むことはもちろん、それらが社会全体をつないでいることは驚き以外にない。

見ることは、そのような視覚情報の受け皿専門のような認識が一般的である。しかし、よく考えてみればわかるように、「見ること」は情報を受けとるだけでなく、さまざまな判断や思考を一体として制御されているのである。映画や芝居、各種スポーツは「観る」というが、ここには「味わう」「楽しむ」などがあり、健康に有益だともいわれてきた「快適」にも大いにつながる意味合いがある。病院で患者を看るというのも突き詰めればヒトの目の能力である。見ることに関心をもてば、同じ観賞でもより豊かに向き合うことができよう。

また、人の目は、情報を「見分ける」「分析する」という仕事にも参画できる。外部からの刺激として網膜に届いた視覚情報を、その見え方により判別・分類するにも大いに役立ってくれる。さらにそれらは、道路標識やユニバーサルデザインによる視覚システムのように記号化ないし仕組み化して活用する。単なる「見る・見えない」ではなく、人の目の機能を統合的な交通システムの一部として成り立たせるのである。自らの制御に加え、社会全体の活動の基本になるのは、「見える」という人の感覚ネットワークである。

目は見るためだけ道具ではない。視覚神経から脳に、そして全身に行き渡る通信網によって我々の身体を自在にコントロールするセンター、それが「両目」の仕事になっている。その役割の大半は「確かめる」、と同時にこれから先(将来)のための予測し判定する役割、見て確かめる検証機能ではないだろうか。目があってこそ安心して命を継続することができる。もちろん他の臓器の存在あっての話ではあろうが、ただ「見て楽しむ目」だけではなく、よりよい人生を学ぶためには「全身で見る」ことを学ぶべきではないだろうか。mitameya190120

写真は、大阪なんばの夕焼け空