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見る・観る・視る・診る・看る・覧るの故郷を考える

2019-01-11 12:53:33 | はとはあと最新情報
見る・観る・視る・診る・看る・覧の故郷を考える

このブログは、「見る」という人間の基本行動についての意義を、いちいち目くじらを立てんばかり騒いでいるように見えるかも知れない。しかし「見る」ことの中に「他者の自分が生きている」と考えるとすんなり受け入れる余地を認め、むしろより良い価値観に貢献できるのではないか。少なくとも事実、見ることで、そのこと自体が、直接他者に迷惑になるということはあり得ない。見ることは自分にとって現実の「世界」、いわば誰にでも許された自分世界の額縁にあたるのだ。自由気ままな「見る」が許された人間の権利が「見る」であり、また「見える」という共有価値と考えてはどうだろう。

実はこのブログを綴る筆者のことで恐縮だが、「見る」ことで世界を一変させたことがある。いえ、もう少し正確には、筆者の意識が一変したことがあるが、誰しもがこんな経験があるものではないので、ここに述べて見る。とはいえ大したことではない。私の眼鏡歴の始まりに過ぎない。日本軍によるハワイの真珠湾攻撃によって始まったとされる先の戦争で家を焼かれた後、兵庫県の甲子園から、京都で暮らす親戚を頼りに、歩いて移り住んだ京都・西陣でのことである。確か小学校低学年での視力検査でかなりの低下が指摘され、母親に手を惹かれ西陣・千本通りの眼鏡店を訪問したことがある。

その店での視力は、0.03という値であったことは強く記憶している。その後何日か経た日、同店に連れて行かれ、出来上がっていた子供用の小さな眼鏡をかけてみて驚いた。腰がぬけるという言い方があるが、まさしく見える現実世界が違っていた。初めて見るモノ(初めての視覚認識)ばかりである。筆者にとっては、まさしく「世界が一変していた」のである。戦争はあったとはいえ、兵庫や大阪とは違い、爆撃などは少なかった京都の繁華街は、ネオンとは言えないまでも夜の燈の列や塊の輝きは、子供心を圧倒したのだ。見えた世界は、眼鏡という新基準によって全面改装となったのである。

まさしくビルの改装のような見える世界の一新は、眼鏡という大胆な目の性能アップで成功し、その後は成長に即応した微調整の継続により世界という概念を把握、全体の体質調整にも役立っているだろう。言えることは、目を通じた世界観は、人間にとってもうひとつの世界である。そこに他者と共有するという価値や価値観を目の前にして見ることができる。抽象的でありながら具象的な実感が湯気を立てている空間である。この人には一体何が見えているのだろうと考えても何もわからない。その共有空間に入ってみないと実感は不可能。そうしない限り他者を理解するなど頭の中の出来事なのだ。mitameya190111