病院広報(はとはあと)評価支援情報

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自分とふたりで見る、ふる里のような村への拘り

2018-10-05 11:26:55 | はとはあと最新情報
自分とふたりで見る、ふる里のような村への拘り

私という存在を知っているだろうか?まず、この問いが何を求めているのか、理解できるだろうか。禅問答のようで、何だか分かりすぎたような話で、かえって分かりにくい問いだな。答える人によって、いろいろな答えや答え方があるだろう。このような問いを前にしたとき共通するのは、誰でも筋の通った答えが一気に出ないことだろう。それほど私たちの意識は、自分で見たり感じたりする以上に、驚くほど無関心で動いていると言えるのだ。自分のものでありながら、自らに自覚はそれほど完全なものではないようだ。

自分という日常の実物、実態は、現代では、その気になればすべて機会で見ることはできる。例えばレントゲンとかCT装置というカメラ機能を用いることである程度のアウトラインが把握できる。自分の各臓器や血の流れの実際は、リアルタイムに把握することができる。全身の情報を集め、状況に応じて臓器や筋肉に指令を伝える神経によって自身をコントロールしている。ということを私たち自身、頭で理解できている。しかし、誰もが、鍛えられたスポーツ選手のように、全身を変幻自在に、手品のよいに操るようなことはできない。

つまり、自覚し自律できる自分と、自覚も自律もない自分、それが現実の生きる能力とは別に一体になって日常の世界にあるのということになる。自問自答という世界があるが、それは自分の自覚するところであり、答えのある通常に見える世界であるが、自覚のない自分の世界には何があるのだろうか。おそらくそれが無意識の世界、自己コントロールが殆ど不可能な感覚の世界であり、夢見る世界であるだろう。印象やイメージという曖昧な、しかし掛替えのない貴重な言葉によって一瞬を彩るような、強い意思の表現になることもある。

けして社会は、計算結果の積み重ねではない。あたりきしゃりき。平等な人間社会の建設のためには、共通価値の蓄積と適切な生産、その共有が必要である。そのための論理・仕組みの構築や理解への気配りも欠かせない。互いが大らかに生を全うする仕組みは、我々自身と社会が積み上げてきた潜在能力から育成される。目を通して何を見るか、何が見えるかであり、同時に見せる卒のない仕掛けづくりに力を入れることが必要である。だから品性と心地よさこそ何よりの栄養価、高いエネルギー源ではないだろうか。

デザインはアートではない。問題解決が仕事である。そのために「見るべき」は、理想と現実のギャップである。現実の問題は数値を理想に合わせていけばいいが、宇宙や体内には「見えない問題」も山積しているだろう。その基準を一言でいってしまえば、それは人間にとって、いつも「心地よい」ことである。意識しなくても、心地よい環境、心地よい情報に包まれていたいのが、生体としての人体である。その現実とのギャップ解消こそデザインの仕事であろう。仕事にも、家庭にも、健康にも、コミュニケーションにも。mitameya 181005


お知らせ

10月27日、京都左京区聖護院で行いますHISフォーラム2018の参加申込の締め切りは「24日午後5時」です。(事務局)

また、同日の懇親会へ参加申込は、準備の都合により「20日締め切り」とさせていただきます。(運営:御殿荘)
なにとぞお早めのお申し込みをお願いいたします。

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