病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

日野原先生、安らかにお休みください

2017-08-01 15:29:36 | はとはあと最新情報

ご指導ありがとうございました。日野原重明先生のご逝去を悼み、恭敬の心でここに追悼の気持ちを表します。     

 病院などが発行する広報誌の企画デザインのコンクール(現在のBHIデザイン賞)の企画立ち上げにあたり、電話で審査員長就任をお願いしたところ、二つ返事でお引きうけいただいたのが、日野原先生との交流の始まりでした。その後なんどか審査会においでいただき、あれこれとご指導いただいた記憶があります。(写真)

 そのうち各地での開催の要望が高まる一方、広報誌の編集デザインよりも戦略的な広報企画が注目されるようになって、それまでの熱い対話を通した審査・選考ではなく、カテゴリごとの「採点の合計」でジャッジする審査会となり、先生が入っての意見討議で賞が決めることがなくなりました。

 その後、全国に数ある患者会を支援しようというお話があり、その組織のトップに推挙されたのが、またしても日野原先生でした。医学部の教授やアメリカで活躍するドクターも参加、精神科の患者団体も幹部に入り、聖路加国際病院内のチャペルで発会式の予行演習まで行いました。しかし、その後、企業などの支援の見通しがつかず断念せざるを得なかったという苦い経験も、先生といっしょでした。

 でも、この企画やリハーサルを通じて、この病院のすごさを知ることになります。このチャペルは、万一災害の緊急処置に備えての、酸素などの配管が具備されているのを知りました。事実、地下鉄サリン事件では実用に供されたと聞き、医学の凄さに感動することができました。

 また、聖路加国際病院で先生のお帰りを待っていた時のことです。隣の部屋から秘書の方と先生のやりとりの声が聞こえてきました。それには他では聞いたことのないほどの迫力を感じました。秘書の方が大きな声で案件を伝えると、間髪を入れずに「それは断れ!」、それは「明日に返事する!」というような短く号令のような指示の連続がかなりの時間続いたのです。

 先生が背負われた使命感、生き方が一声一声にキビキビと溢れていました。朝夕の地下鉄築地駅では、ごく最近まですべての階段を先生は歩いて病院に通われていたという長寿の秘訣も、折角ですからここに記して、皆様とともに追悼の心をお伝えし、ご冥福をお祈りしたいと思います。 合掌 (石田章一HIS代表理事:会員報VIBRATIONより)